冷たい風が吹き荒れ、瓦礫と血の匂いを含んだ空気を撫でる。
九十九は、ゆっくりと歩を進めながら神凪を見据えていた。
口元には薄い笑みを浮かべていたが、その双眸は鋭い。笑顔と裏腹に、全身の筋肉が戦闘態勢にあることを隠そうとはしていなかった。
「ねぇ、覚えてる?」
九十九は肩越しに髪を払う仕草を見せ、わざと軽く問いかける。
「“どんな形でも人類は次のステージに行ける”って考えたことを。
私は世界から呪霊をなくすため、それで私は“呪力からの脱却”を選んだ」
声は穏やかだが、吐息の端に苛立ちと警戒が滲む。
対する神凪は微動だにせず、表情も崩さない。ただ、氷のように冷ややかな声音で返す。
「違うね。私は“呪力の最適化”だと思っている」
わずかに顎を上げ、視線を九十九に突き刺す。
「大体にしてそのプランは──禪院甚爾が死んだからやめた。と前に聞いていたんだが?」
九十九の口元から笑みが消える。瞳の奥に、かつての記憶が閃いた。
「私は蒼真に話しかけたんだけどね……ま、いっか。初心に帰ったのさ」
彼女はわざと肩をすくめてみせたが、手の甲に浮いた血管がその内心を物語る。
「それに、その“最適化”には大きな穴がある」
九十九の声は鋭くなり、笑顔が完全に消える。
「海外は日本に比べて呪霊や術師の発生が極端に少ない」
「それに、そのプランには天元の結界が必要不可欠。天元を利用するとなれば、呪力が最適化され術師となるのはこの国の人間限定」
「つまり呪力というエネルギーを日本が独占することになる」
九十九は一歩、神凪に踏み込む。瞳に怒気を宿しながら続けた。
「そんなもの、世界各国が黙っちゃいない。エネルギー源が“生きた人間”だなんて知れ渡ったら、どんな地獄になるかは想像に難くない」
「それは私の描く理想とはかけ離れた世界だ」
神凪は、そんな彼女の怒りを心底愉快そうに見つめた。唇の端がようやく動き、乾いた笑いを零す。
「ハハハッ、それがどうした」
「そもそも目指している目的が違うんだ。私は呪霊のいない世界も、牧歌的な平和も望んではいない」
その声は揺らぎなく、冷徹な自負に満ちていた。
「非術師、術師、呪霊──これらは全て可能性だ。“人間”という呪力の形でね。だが、まだまだこんなものではないはずだ」
「自ら生み出そうとした時期もあった。だが、それではダメだ。私から生まれるものは、私の可能性の域を出ない」
九十九はわずかに目を細める。瞳の奥には怒りと同時に、かつて“蒼真”と呼んだ男への残滓のような感情が滲む。
「その言葉は蒼真の考えじゃない。……お前、一体何がしたい?」
神凪は薄く笑う。
「フフッ……答えはいつだって混沌の中さ。私の創るべきものは、私の手から離れた“混沌”なんだよ」
言葉に合わせるように、彼の右手が紫色に輝き出す。
その光はじわじわと大地に広がり、禍々しい圧が辺りを満たした。
「既に抽出は済ませた」
九十九の眉がピクリと動く。
彼女は急ぎ視線を虎杖へと向け、声を張り上げた。
「真人とかいう呪霊がいるだろう!魂に干渉できる術式を持ったやつ!」
「さっきあいつが取り込んだけど」
呑気に答える虎杖に、九十九は顔を青ざめさせる。
「マジんが〜〜!」
神凪の瞳に冷たい愉悦が宿る。
「見ていなよ」
【無為転変】
次の瞬間、大地に巨大な印が刻まれ、空には同じ紋様が反転するように浮かび上がった。
九十九は息を呑む。
「(天元の結界……じゃない!これは、術式の遠隔操作!?)」
神凪はゆったりと語り続ける。その余裕が逆に不気味だった。
「釘崎野薔薇には礼を言わないとね。操符呪法も呪霊操術と同じく、呪霊の術式の精度は取り込んだ時点で成長が止まる」
「彼女との戦いで真人は成長した。本当は漏瑚も欲しかったが……まぁ、仕方ない」
九十九は歯を噛みしめ、神凪を睨みつける。
「何をした?」
神凪の声が愉悦に濡れる。
「マーキング済みの2種類の非術師に、遠隔で【無為転変】を施した」
「虎杖悠仁のように呪物を取り込ませた者、吉野順平のように術式を所持しているが脳の構造が非術師の者」
「前者は器としての強度を、後者は術式を発揮する仕様を手に入れた」
「そして──」
神凪は結ばれた紐のようなものも解いた。
「今その呪物達の封印を解いた」
「マーキングの際、私の呪力にあてられて寝たきりになった者もいたが、じきに目を覚ますだろう」
「彼らにはこれから呪力への理解を深めるための殺し合いをしてもらう」
淡々と説明する神凪の姿に、九十九は拳を握りしめ、肩を震わせる。
だが、彼はさらに言葉を重ねた。
「私が厳選した者達だ。
1人はトラブルがあって急遽代わりを用意したが…まぁ千人の虎杖悠仁が悪意を持って放たれたとでも思ってくれ」
「千人か…控えめだな。それに人間の理性を舐めすぎだ。力を与えただけで人々が殺し合いを始めるとでも?」
「物事には順序があるのさ、その程度の仕込みを私が怠るわけないだろう。相変わらず話し続けると軽くなるね君は」
ピキッ
九十九の表情が怒気に染まり、ついに低く唸るように吐き捨てる。
「あぁそう……。それ以上、蒼真の姿と声で喋らないでくれるかな?……本当に仕草や口調も似てるから、ますますイラついてきたよ」
握った拳が小さく震え、眼差しにはかつての情と今の憎しみが交錯する。
──空気が張り詰める。
その瞬間、神凪がふと視線を横に逸らした。
「裏梅、撤退するよ」
「なぜだ?すぐに殺して──」
「龍山千鬼の呪霊達がこっちに向かっている。それに大嶽丸も……まだ遠いが、渋谷に着いたみたいだ」
裏梅が舌打ちする。神凪は札を操り、無数の呪霊や式神を解き放った。
その手には──禍々しい黒い箱。
それを見せつけるように前に出す。
それを確認した虎杖の表情が強張り、叫ぶように声を出した。
「(獄門疆!?)五条先生!」
神凪はその反応を楽しむかのように笑みを浮かべた。
「じゃあね、虎杖悠仁」
そして、去り際に独白のように呟く。
「聞いてるかい?宿儺始まるよ」
──「再び、呪術全盛の平安の世が」
やっと渋谷事変が終わりました。
これから死滅回游にむけて色々と試行錯誤をしていきます。
あとちなみに、九十九と神凪は高専時代の同期です。(もしかしたらより深い関係かも……)