死滅回游の合間に書いていた話なので、まぁ没案ですがせっかくなので出してみました。
時期は星漿体護衛任務前です。
その日、呪術高専の空はやけに澄んでいた。
春の中頃に差し掛かる節だが、空気は時々冷たく、校舎の中も少しひんやりとしている。
職員室に、高専二年生の硝子はまっすぐな足取りで入ってきた。
彼女の目はいつになく真剣で、決意に満ちていた。
「夜蛾先生。私、歌姫先輩の任務先に行きます」
「……何を言ってる。お前が出張るには重すぎる任務だぞ。それにお前は前に出てはダメな人間だろ」
椅子に座ったまま、夜蛾は低く静かに告げる。
確かに、任務の内容は一見すると簡単だった
──ある村にかかる呪いを祓ってほしいという依頼。
三級くらいの任務だが、2日前に行ったはずの庵歌姫は未だに帰ってこない。連絡もない。
「危険だからやめておけ。それにお前は戦闘には向かないだろう」
その一言に、硝子の眉がピクリと動いた。
そして、すぐにくるりと踵を返し、
「……ちょっと待っててください」
それだけ言い残して教室を出る。
廊下を駆け抜け、彼女は男子寮の一室に向かった。
扉をノックすることなく、勢いよく開ける。
「千鬼!」
「うおっ!? 硝子……どうした?」
龍山千鬼は自室で筋トレ中だった。タオルを肩にかけながら、訝しげに硝子を見つめる。
だが、彼女の目を見れば、本気だとすぐに分かった。
「歌姫先輩が帰ってきてない。村の任務に行ったまま。あたし、行く」
「俺が行くよ」
千鬼は即答した。
彼の目には、心配と覚悟が入り混じっていた。
けれど、硝子は首を振った。
「先輩が怪我してるかもしれない。だから、あたしも行く」
硝子の目を見て(こりゃ絶対行くな)と察した千鬼。
「……分かった。じゃあ一緒に行こう。
俺が守るから」
そう言って、千鬼はすぐにシャツと学ランを羽織り、硝子とともに夜蛾の元へ戻る。
「夜蛾先生。俺も行きます。だから、許可をください」
強い目でまっすぐに言い切る千鬼。
夜蛾はしばし沈黙したあと、深く息を吐いた。
「…分かった。だが気をつけろ。何かがおかしい」
それだけを残し、二人は高専を出る。
目指すは、呪われた村。
帰ってこない先輩を追って、千鬼と硝子は闇の中へと歩みを進めていく。
※
目的地へつき、村に入ると、辺りには田畑の香りと古びた家屋の風景が広がっていた。
どこか時間の流れが遅くなったような、そんな静けさが感じられる。
「こんにちは。ここに最近、女の人が来てませんか?黒髪で、巫女服を着た……」
千鬼が村の入り口にいた年配の男に声をかける。
その男は一瞬何かを考えるような仕草をしたが、すぐに首を振った。
「いやあ、誰も来とらんよ。最近外から来たのはあんたらが初めてじゃなかろうか。けど…村長なら、何か知っとるかもしれんのう」
そう言って、男はふたりを村長の家まで案内してくれた。
古びた瓦屋根と、木造の軒が深く伸びたその家は、村の中心にひっそりと建っていた。
「ほう、わざわざご足労いただいて……」
現れた村長は、年の割に背筋が伸びており、穏やかな口調の男だった。
その笑顔にはどこか胡散臭さもあったが、表立って怪しい様子はない。
「お疲れでしょう。どうぞ、お茶でも」
通された座敷には、湯気の立つお茶と、見た目にも美しい和菓子が並べられていた。
千鬼は一言礼を言って、気にせず湯呑みに口をつける。
そして菓子も一口食べてみると、「美味しい!」と言う反応になり、村長が「遠慮せずどうぞ」と言ったので、どんどん口に運んだ。
一方隣に座る硝子は椀にも手をつけず、目だけで村長の動きを追っていた。
「それで、ここに来た女性のこと、何か知っていませんか?」
硝子が切り出したその時だった。
ドンッ。
横から大きな音がして、彼女の視界が揺れる。
目を向けると、隣に座っていた千鬼がテーブルに倒れ込んでいた。
「千鬼……!?」
咄嗟に脈と瞳孔を確認する。
毒ではない。呼吸も正常。
ただ、深い眠りに落ちているようだった。
「……睡眠薬? いや、それにしては……」
村長はなおも穏やかな顔でにこにこと笑っていた。
「まあまあ、お疲れだったんでしょう。ここらの気候は、眠気を誘うんですな」
その言葉に、硝子の背筋に冷たいものが走る。
この村──やはり、何かがおかしい。
千鬼が眠りについたまま動かない。
硝子は警戒心を強め、静かに立ち上がった。
「すみません、やっぱり今日は....」
帰ります、と言いかけた瞬間。
襖が音を立てて開かれ、数人の男たちが部屋に入ってきた。
作業着のような服を着たその男たちは、無言で千鬼の体に手を伸ばす。
「やめろ! なにすんだよ!?」
「運べ」
村長が静かに言った。
その言葉が合図だったかのように、男たちは千鬼を抱え上げ、無言のまま運び出す。
硝子が止めようと立ちはだかるが
「離せっ…このっ…!」
腕を掴まれ、床に押さえつけられる。
四人がかりの力に、いかに抵抗しようとも、体はあっという間に拘束されていく。
「クソッ……!」
やがて視界が暗い通路に切り替わり、冷たい空気の中を運ばれていく。
どこかで錆びた扉の軋む音がして、次に見たのは、古びた地下座敷牢だった。
畳の敷かれた奇妙な牢屋。鉄製の格子がはめられ、出入口には分厚い錠前。
無理に抜け出せば、音がすぐに響き渡りそうな作りだ。
その牢に投げ込まれるようにして閉じ込められた硝子が、痛む腕をさすりながら顔を上げると、すぐ隣の檻から声がした。
「……硝子!?」
目を見開いた硝子は、格子の間に駆け寄る。
隣の牢に、少し疲れた様子の庵歌姫がいた。
「先輩…っ! 本当にいた…!」
檻越しに、硝子は必死にその姿を確かめるように目を凝らす。
歌姫も硝子の顔を見て、安堵の息を吐いた。
「来ちゃったの…でも無事でよかった」
「先輩こそ、怪我は?」
「なんとか大丈夫よ。けど、もう2日もここに閉じ込められてる」
「何か知らないけど…村長たち、何かの儀式の準備をしてるみたい。私、たぶん…贄にされる」
「贄って……!」
硝子は言葉を失いながら、牢の中を見回した。
格子は太く、呪具のような気配を帯びている。
簡単には破壊できそうにない。
「くそ……抜け出す方法、何か……」
焦るように周囲を探る硝子は、ふと、もう一つの檻に気づいた。
奥の牢に、千鬼が横たわっていた。
「千鬼!」
叫ぶが、反応はない。
眠ったまま、まるで生気の抜けたような姿で横たわっている。
「…おーい、最強さんよ。ここまできて寝てんじゃないよ……」
怒り半分、心配半分。
硝子は格子越しに悪態をついた。
「ほんと使えないんだから……起きなさいよ、バカ……!」
檻の中で、硝子の声が虚しく響いた。
だが千鬼は微動だにせず、まるで深い深い底に沈んでしまったかのように、静かに横たわっているだけだった。
硝子が呆れたその時
──ぎゃああああああああああッ!
地下牢の奥、どこか遠くの空間から、耳をつんざくような叫び声が響いた。
男とも女ともつかない、獣じみた叫び。
怨嗟と憎悪、痛みと嘆きが混ざり合い、濁った怨念のように響き渡る。
「な…に、今の…!?」
硝子が思わず身をすくめると、隣の牢の歌姫も、目を見開いて硬直していた。
「また聞こえた……何度もあの声が聞こえるの……」
歌姫の顔は恐怖に染まっていた。
硝子も歌姫がこんなに怯える姿を見たのは初めてだった。
叫びは断続的に続き、やがて囁きに変わる。
聞き取れないが、言葉ではない“念”のようなものが、肌に絡みついてくる。
「やっぱり、この村普通じゃない。あれ、“何か”を起こそうとしてる!?」
硝子は額から冷たい汗を垂らしながら、千鬼を見た。
──どうか、早く目を覚まして。
そう思った矢先、千鬼の檻の中に、ふわりと黒い影が差し込んだ。
ずるっ…ずるっ…
誰もいないはずの床を、何かが這う音がする。
檻の外、薄暗い通路の奥から、何かがこっちに来る。
「…っ、何!?」
硝子はとっさに千鬼の檻の方へ駆け寄る。
だが、彼はまだ目を覚まさない。
ずるっ…ずるっ…
音が近づいてくる。
硝子は顔を引きつらせながら、隣の檻で眠り続ける千鬼の名を叫んだ。
「千鬼! 起きて! 起きろよバカッ!!」
鉄格子にしがみつき、檻越しに必死に呼びかける。
だが、千鬼はまるで聞こえていないかのように、静かに寝息を立てていた。
「おい千鬼、冗談やってる場合じゃないわよ! 起きなさいっての!!」
隣の歌姫も、焦りの色を滲ませて叫ぶ。
その声もどこ吹く風。千鬼は顔を横に向けて、すうすうと眠り続けている。
そして、その“気配”が、とうとう姿を見せた。
通路の奥、薄闇から這い出してきたのは、醜く膨れ上がった皮膚に歪んだ顔面が張りついた三級呪霊だった。しかも、二体。
そのうちの一体が、千鬼の檻の前でぴたりと動きを止める。
ふにゃりと溶けかけたような体を伸ばし、鉄格子をすり抜けたその瞬間
オオォォォ....
千鬼の体から、低い音とともに巨大な骨の手が飛び出した。
白く禍々しい骨の巨人、【がしゃどくろ】
巨大な頭蓋骨が呻くように口を開けたかと思うと、次の瞬間、伸びた腕で呪霊を握り潰す。
グシャッ!
呻き声すら上げられず、三級呪霊は跡形もなく潰された。
粉のようになって消える呪霊の残骸を見上げながら、硝子があっけに取られた顔で言う。
「……おお。反射的に出てくるとか、相変わらずすごいな、あいつ」
「いや、なら起きろよ。寝ながら祓うなっての…」
歌姫が毒づくのも無理はない。
がしゃどくろは、虚空を見つめている。
硝子は鉄格子を指差しながら、さらっと言った。
「ねえ、ちょっとそこ壊してくんない?」
がしゃどくろは硝子の方を向き、首をゆっくりと横に振った。
どこか無機質な声が、硝子の頭の中に響く。
「千鬼様の命令ではない」
「…は?いやいや千鬼は寝てるでしょ? だったら代理でいいじゃん、ねえ?」
「却下」
言い切ると、がしゃどくろは何事もなかったかのように千鬼の中へ戻っていった。
その姿が霧のように消える頃、もう一体の呪霊が動いた。
千鬼の方を見て、何かを察したように後退し、そしてターゲットを硝子に切り替える。
「あーあ、こっち来たわ...」
「おい、千鬼。起きろってマジで…がしゃどくろだけ反応しても意味ないんだよ!」
硝子は舌打ちをしながら、檻の中で足場を確認する。
目の前の三級呪霊が、鉄格子をねじ曲げるようにゆっくりと侵入してこようとしている。
「硝子、あんた術式あるんだっけ?」
「ないです。先輩は?」
「支援系だから、この状況は....」
二人とも、緊張した顔でにらみつけながら、それでも口だけは止めない。
「…とりあえず、反転術式の準備しておきなさい」
「了解です。あーもうほんと、あいつ起きたら絶対ぶん殴るから」
そう言って、硝子は袖をまくり上げた。
闇の中、呪霊が今まさに檻に入ろうとしたその瞬間
「ダメだよ」
穏やかだが、どこか柔らかく冷たい声が響いた。
次の瞬間、呪霊の頭部が唐突に潰れた。
黒い煙のような呪力が弾け飛び、呻きもなく、そのまま塵のように消える。
「……え?」
硝子と歌姫が同時に目を向けると、檻の奥、地下牢の薄闇から、ひとりの男が姿を現していた。
年の頃は二十代半ば。整った顔立ちに柔らかな物腰だが、その口元には底知れない薄笑いが張り付いている。
黒の長髪を軽く撫で、余裕たっぷりに言葉を吐いた。
「ようこそ、僕の村へ」
硝子が一歩身を引き、睨みつけるように問いかける。
「…あんた、誰?」
青年は一礼すら挟まず、演劇でも始めるように胸に手を当てて名乗った。
「
その口調は軽く、だが不気味だった。
「何で私たちをこんなとこに閉じ込めるのよ!」
歌姫が怒りを露わに叫ぶ。鉄格子に手をかけてにらみつけると、英明は笑みを保ったまま、肩をすくめた。
「単純な話なんだけどね。僕の家って呪術師の家系だったんだよ。昔は強かったんだけど……代を重ねるごとに落ちぶれちゃってさ」
声に芝居がかった調子が混じる。
「相伝の術式は【
「……10体?」
硝子が眉をひそめる。英明はゆっくりとうなずいた。
「うん。で、今僕はすでに7体使っちゃっててね。残り3体。だけどさ、適当な呪霊にしちゃうと周囲に“力”を見せつけられない。ほらそういうのって大事じゃん? この世界」
「だから僕、“強い呪霊を作ればいい”って思ったんだよね」
「……作る?」
硝子が聞き返す。
「そう。【
「たまたま呪胎を見つけたから調べてみたらね、すこし昔の村の犠牲者などの絶望でできた呪霊らしいんだ」
その目が異様なほど澄んでいるのが、逆に不気味だった。
「君たちは……ま、触媒みたいなもんだね」
「呪いの質を上げるための。だって術師の苦悩や憎悪って、いい材料になるからさ」
「……っ!」
硝子の手が震える。
歌姫も絶句していた。英明は、芝居の終幕のように優雅に笑った。
「安心して。すぐには使わないよ。もう少し“絶望”してもらってから、黒廻の餌になってもらうつもりだから」
──ギィ……ギギギギ…ッ…!!
突然、地下の奥、封印された何かの向こうから呻きとも叫びともつかない声が響いた。
まるで地の底で誰かが苦しみ続けているかのような、どこか人間臭さを残した不気味な咆哮。
「……あーあ、まただよ」
三河英明が肩をすくめるように振り返る。
憂鬱そうにしながらも、その顔に浮かんだ笑みは明らかに愉悦を含んでいた。
「かれこれ結構溜まってるからね。封印してるのも正直ギリギリ。ほんと、扱いに困るよ“完成前の特級”ってさ」
その声はどこまでも軽く、どこまでも狂っていた。
「時折呪力が漏れ出すし、ああやって“声”が聞こえてくる。怒り、悲しみ、狂気。それが混ざり合ってるからね」
言いながら、英明はちらりと視線を檻の中の2人へ向けた。
そして、にやりと下卑た笑みを浮かべた。
「特にさ、女とか子どもの絶望って……よく溜まるんだよね」
「……最低だな」
硝子の声が低く、静かに怒っていた。
歌姫も同様に睨みつける。
「あんた、頭いかれてるって自覚ないの?」
「あるけど?怖くないの?そんなに怒って。ほら、そっちからじゃ手出せないんだし」
英明が檻越しに顔を近づけてくる。歌姫が反射的に手を伸ばすが、鉄格子がその手を止めた。
「……まあいいや。君たちすごく綺麗だし、いっそ愛人にでもしようかと思ったんだけど……どう? ここで一緒に暮らすのも悪くないよ?」
「は? 絶対無理よ」
「キモいんだよ、お前」
即答した二人に、英明は一瞬だけ残念そうな表情を見せた。
「……そっか。じゃあ、仕方ないよね」
再び笑みを深めながら、背中を向ける。
「あと3人ほど呪力持ちを捧げれば完成するんだ。“黒廻”」
「君たち、最高の素材だからさ……明日からちょっと辛いけど、頑張ってね?」
くつくつと嘲笑いながら、英明は闇の向こうへと消えていった。
沈黙が落ちた地下牢の中
「……あいつ、マジでぶっ飛ばす」
歌姫が絞り出すように言った。
「呑気に寝てる千鬼よりぶん殴り甲斐ありますね。先輩…」
硝子も頷きながら拳を握る。
「絶対生きてここから出て、あいつの顔面ぶっ潰すから……覚悟しとけ、三河英明」
二人は檻越しに視線を交わす。
たとえ絶望の中でも、決して心までは折れなかった。
※
それから約二日、英明が少し辛くなると言ったのは、痛めつけるなどではなく、最低限の水のみの、飢えを中心としたものだった。
だが2人はちょうどいいダイエットだと思い、平気そうにしていた。
「...マジで起きない……」
硝子が檻の中に寝転がったまま微動だにしない千鬼の顔を覗き込みながら、呆れたようにため息を吐く。
「ねえ千鬼、起きてってば。もうそろそろ起きても良くない? てか、こっちは命かかってんだけど」
檻の隙間から呼びかけ、つつき、腕を引っ張っても、千鬼はただ静かに寝息を立てるだけだった。
硝子は頭を抱えると、そのまま壁にもたれかかった。
「どうします……明日には“捧げられる”らしいですけど、正直千鬼はあてにできないし」
「今のところ、一時的に現れたがしゃどくろが一番使えるっていう……」
歌姫が皮肉を吐いたその瞬間だった。
カチャン。
小さな音がした。
二人が反射的に顔を上げる。
「先輩、今の音....」
「鍵の音、だった……よね?」
よくみると、奥の扉が少し開いており、風が入ってきていた。
そして、檻の外の薄暗い石壁にかけられている鍵がないことに気がつく。
「まさか…」
硝子が身を乗り出して檻の格子に近づく。鍵はないかと床を見回すと、石壁の近くに錆びた鍵束が落ちているのが見えた。
「……これ、チャンス?」
「いや、待って、それ罠のパターンあるわよ。ホラー映画的に」
歌姫が慎重に言ったが、硝子は目を細めて言い返す。
「でも、もう時間もないですし、選んでる余裕もないですよ」
ふと見ると千鬼が寝返りを打ち、壁に頭をぶつけて「んー……」と唸っていた。
起きる気配は……まだ、ない。
「もういい、こいつはお留守番」
硝子は鉄格子の枠から手を伸ばす。
「脱出計画開始。あの鍵束、取れるかも」
二人の目に、わずかな希望の光が差し始める。
「よし…あとちょっと……!」
錆びついた檻の鉄格子の隙間から手を伸ばし、硝子が指先を鍵束へと滑らせる。届きそうで届かない。そんなもどかしい距離。
「もうちょい……!」
すると何かが石畳を踏む音。
奥の影から四つん這いの呪霊がぬるりと姿を現した。
白濁した目に、血のような模様が浮かぶその呪霊は、硝子の動きに反応するように口を開き――
「キャアアアアアアアアアアア!!!」
耳を劈く金属音のような悲鳴が地下牢に響き渡る。まるで警報のようなその声に、硝子は思わず耳を塞ぎながら叫ぶ。
「はぁ?なにこの呪霊!? 警報鳴らすとか、セコくない!?」
「マジで最低な趣味してんな、あのクソ男……!」
呪霊は叫び続け、わずかに開いていた扉がバン!と音を立てて開き、数秒もしないうちに英明が数人の村人を従えて現れた。
「はーい、こらこら。脱出未遂だなんてよくあるけどね?残念でしたー」
そう言って英明は足元の鍵束を拾い上げ、くるりと指に巻きつけてから硝子の前にしゃがむ。
「せっかくだから、ほら、見てていいよ? この鍵、君たちには絶対渡さないから」
「……クッソうぜぇ……」
硝子が思わず悪態を吐くと、歌姫も負けじと罵倒する。
「どんな育ち方したらそこまで胸くそ悪い性格になるわけ?」
「少なくとも私が知ってるクズ2人より性格悪いわ、あんた」
英明は一瞬、乾いた笑みを浮かべたままだったが
「……お兄ちゃんによく負けてた?」
「お母さんに、褒められた記憶ある?」
その言葉が、英明の表情を完全に凍りつかせた。
硝子と歌姫が見たのは、怒りを抑え込むようにピクリと歪むその口元。ぎり、と歯を噛み締め、英明は無言のまま手を伸ばし、硝子の襟を掴み、強く引き寄せた。
「お前ら…どう絶望させてやろうか、あ?」
吐き捨てるような声が硝子の鼻先に届く。
だがその時、硝子の瞳に、確かに光が灯った。
「(わかった…こいつの“スイッチ”、完全に見えた)」
怒りも、屈辱も、全て利用してやる。
この檻から出るために。千鬼を起こすために。そして…あいつをぶっ飛ばすために。
「……へえ、そんなに効くと思わなかった。ねぇ歌姫先輩、ちょっと面白くなってきたかも?」
「えぇ、意外とチョロかったわ。メンタル豆腐ね」
ふたりの煽りが、英明の神経をさらに逆撫でする。
「ふーん、やっぱ図星なんだ」
硝子が、襟を掴まれたままニヤリと笑った。
「家族の誰にも褒められず、仲間にも恵まれず、だから自分で“呪霊を作って飼う”なんて方法に行き着いたんだね? やること幼稚すぎ」
「しかもその呪霊が、なんだっけ?特級?バカも休み休み言いなさいよ」
歌姫も追い打ちをかけるように、わざとらしく肩をすくめた。
「“愛人にしてやろうか”なんてセリフ吐くやつ、マジで昭和。時代錯誤も甚だしいんだけど」
「そうね。ていうかあなた、多分人生で一度も本気で女に相手されたことないでしょ?」
「図星じゃん。顔に出てる」
英明の顔がみるみるうちに紅潮し、片手に力が入り硝子の襟を掴む手が震える。
「黙れ……!」
「お?効いてる効いてる〜」
「もしかして、泣いちゃうのかしら?それはそれで面白いんだけど?」
「うわ、それ絶対見たい!」
歌姫と硝子が顔を見合わせてニヤリと笑う。檻の中からでも、完全に主導権を握っている空気だった。
英明は怒りにまかせて硝子を投げ捨てるように突き飛ばすと、バッと後ろを向いた。
「…いいさ。あともう少しで準備が完了する。そしたら、お前らのどちらかを最初の生け贄にして見せつけてやる…!」
「言っとくけど、完成する前に絶対あんた殴るからね。しかも全力で」
「うん、私反転術式できるけど、あんたには使わないから。ボッコボコのままで放置するつもりなんで」
「楽しみにしててね?」
英明は唇を噛みながら、怒りを押し殺した様子で部下たちに「下がれ」と命じ、扉をバタンと乱暴に閉めて去っていった。
そして、足音が遠ざかる。
「…ったく、チョロい男」
「でも、あれで完全に冷静さ失った。やるじゃない硝子」
「ありがとうございます。あとはあいつが次に来る時を狙う。そしてここから抜け出す。絶対に」
※
翌日、地下とはいえ重苦しく、とても不穏な空気が漂っていた。
奥の扉が開かれ、英明が悠然と立っていた。後ろには屈強な村人たちが並び、手には縄や棒を握っている。
「さあ、お嬢さん方。覚悟はできているかい?」
嘲るような声音に、硝子と歌姫の顔が一瞬で強張る。だが、それは“演技”だった。
「お願い……」
硝子が震える声で一歩、前に出た。
「私達がどうなってもいい…でも、千鬼には...彼には手を出さないで!」
「そうよ!あいつは関係ないの!術師でもないの!」
歌姫も必死に訴える。涙を滲ませる演技はさすがの名女優レベルだ。
英明はその様子に満足げな笑みを浮かべた。
「もしや、君の恋人ってわけかい?」
彼の目が、牢の隅に倒れている千鬼に向かう。
硝子はその視線に気づき、すがりつくように叫んだ。
「そう!そうなの……お願い……彼には何もしないで……!」
英明の目が細くなる。
「懇願する恋人の目の前で…最愛の者を殺す。これほどの贅沢、あるだろうか」
英明は手を振った。
「やれ。その男を痛めつけてやれ。手加減はしなくていい。どうせ完成したら、全員呪霊の餌なんだからな」
村人たちが動き、牢の鍵が開けられる。
千鬼が引きずり出されようとする。
「やめてえええっ!!!」
硝子が金切り声で叫び、牢の中で暴れる。
歌姫も鉄格子を拳で叩きながら、必死に止めようとする。
英明はそれを見て、恍惚としたような笑みを浮かべる。
「いい顔だ。もっと絶望しろ。お前らの顔が最高のスパイスになる」
しかし。
その裏で。
硝子と歌姫は、鉄格子の隙間越しに目配せを交わしていた。
──作戦通り。
笑みを堪えながら、歌姫が心の中で呟いた。
(ごめんね、英明。あんた、千鬼を“ただの男”だと思った時点で、終わってんのよ)
(この“寝てるだけの男”が、どれだけヤバいか……そろそろ知る時間だね)
鈍く錆びた鎌を手にした村人が、千鬼の足元へと近づいていく。
硝子と歌姫は声を張り上げ、鉄格子を必死に揺らすが、その手は届かない。
「やめてっ!やめてってばああああッ!!」
「千鬼ィッ!!起きろ!この鈍感野郎!!」
それでも、千鬼はぴくりとも動かない。
村人の鎌が振り上げられた、その瞬間――
ガシャ…ギィ……ィ…ィ…
どこか遠くで、骨が軋むような音が響いた。
「……?」
村人たちが一瞬、動きを止める。
鉄のように冷たく、どこまでも重く、禍々しい呪力が空気を震わせた。
「う、後ろ……ッ!」
誰かが叫ぶ。
その言葉と同時に千鬼の背後、彼の影から巨大な骨の手がぬるりと現れた。
「な…なんだ…あれ……!」
それは、巨大な骸骨。
全身を無数の骨で編まれた巨大な呪霊──がしゃどくろ。
がしゃどくろの紫に輝く眼窩が、ゆっくりと鎌を振り上げた村人を見据えた。
「千鬼様に、触れるな」
重く、低く響く声と同時に、村人が骨の指に挟まれた。
バギィ
骨がきしむ音とともに、男の体が宙を舞い、壁に叩きつけられて気絶した。
他の村人たちが悲鳴を上げながら後ずさる。
硝子と歌姫は、その光景を牢の中から見て、思わず口元を歪めた。
「……やっぱ、アイツはこうじゃなきゃね」
「こっちが心配する必要なかったかも」
がしゃどくろがゆっくりと千鬼の前に立ちふさがり、彼を守るように腕を広げる。
英明が顔を引き攣らせながら後退する。
「な、なにが……起きてる……っ」
震えながら立ち尽くす英明と村人たちを見ながら、がしゃどくろの巨大な身体が影の中へと沈もうとする。
「ちょっと待って! こっちも助けてくんない」
檻の中から硝子が叫ぶ。がしゃどくろは一瞬止まり、ぎしぎしと骨を軋ませながら顔だけを硝子に向けた。
「命令は無い」
冷たく、明瞭な拒絶。
「ちっ、やっぱそうなるか……!」
硝子が歯噛みしたその瞬間
「硝子は千鬼の恋人よ!!」
歌姫の鋭い声が牢屋中に響いた。
がしゃどくろの動きが止まる。
音もなく、骸骨の眼窩が硝子へとじっと向けられた。
何かを確かめるように沈黙が流れる。
硝子と歌姫は顔を見合わせ、うなずき合う。硝子が急いで言葉を継いだ。
「そう。私は千鬼の恋人。あいつにとってすっごく大事な存在なの」
「私たちを見捨てたら、千鬼がどれだけ怒るか、悲しむか……あんたにもわかるでしょ?」
「起きてすぐ『硝子が死んだ』って知ったら、あいつ……泣くよ? そんで、お前のことめっっちゃ叱るからね」
がしゃどくろの顔がぴくりと動いた。
再びゆっくりと硝子たちの方へ体を向け、静かに告げる。
「……代理として、ご命令を」
硝子と歌姫は、同時に拳を握りしめた。
「よしっ!」
「ナイス、恋人!」
「とりあえず、この檻壊して」
硝子の言葉に、がしゃどくろは鉄の格子を見下ろすと、ゆっくりと手を伸ばした。
太い骨の指が檻の鉄をわしづかみにし
バギィッ!!
耳をつんざく破壊音と共に、牢の扉が無惨に引き千切られた。
硝子と歌姫が、土煙の中をくぐり抜けて飛び出す。
「恩に着るわ、骨」
「とりあえず千鬼が起きるまで、全力でよろしく!」
がしゃどくろは無言でうなずくと、再びその骨の体をうねらせ、周囲を警戒するように配置についた。
その場にいた英明と村人たちが、目の前の光景に言葉を失う。
急に眠っている男から現れたのは、巨大な骸骨の化け物。
その異形が、今まさに少女ふたりを守るように立ちはだかっているのだ。
「なっ…!? なんで、なんでそんな呪霊がっ!」
英明が一歩後ずさり、震える指でがしゃどくろを指す。
「訳がわからねぇ…お前たちが、どうしてそんな呪霊に…!」
「やーねぇ、知らないの? これは千鬼の呪霊よ」
歌姫があくまで軽く言ってのけると、英明の顔が引きつる。
「千鬼……? あの爆睡してる奴の……?」
「そう。あいつ、ただの術師じゃないの【呪霊装術】の使い手。がしゃどくろは、その手駒のひとつってわけ」
硝子が不敵に笑い、英明を見下すように言った。
「まさかそんな...寝てる間に呪霊が勝手に動くなんて……!」
「呪霊の質の問題じゃない?あんたが使ってるしょぼい呪霊とは格が違うんだよ」
村人たちも混乱し、ざわめき始めた。
「ど、どうします英明様?」
「アイツら、本当に人間か?」
英明は顔を引きつらせたまま、それでも虚勢を張るように言い放つ。
「ふ、ふざけるな!呪霊がいれば何だって言うんだ!結局は術者が本体なんだよ! 寝てる奴なんか、こっちがやれば」
その瞬間。
がしゃどくろの首が、ぴくりと英明に向いて動いた。
「今なんて言った?」
地の底から響くような低い声に、英明の顔から血の気が引いた。
「っ…」
硝子と歌姫は背後でニッと笑いながら言った。
「ちょっとアレ怒ってるわね」
「ですね。よかったね、英明。今からちょっとだけ死ぬほど怖い目に遭えるよ?」
英明は冷や汗を滲ませながら、身を翻す。
「チッ……! 村人ども、さっさと盾になれッ!」
そう叫ぶと、戸惑う村人たちを前に押し出し、自身は地下牢の奥にある隠し通路へと逃げ出した。前に出された村人たちは茫然としながらも立ちはだかり、硝子と歌姫の視界を塞いだ。
「待てっ、逃がすか!」
硝子が駆け出そうとするが、後ろにいるがしゃどくろが動かなかった。
「……何やってんの!? 今がチャンスでしょ!」
硝子が苛立ち混じりに問い詰めると、がしゃどくろは低く唸るような声で応えた。
「千鬼様はここにいる...離れるわけには行かない」
「お前馬鹿なの? こんなとこで寝かせてるほうが危ないでしょ!? あんたの“主”が、あいつらにまた襲われたらどうすんの!」
「……確かに」
しばし沈黙したがしゃどくろが、ゆっくりと千鬼をその巨大な手で抱きかかえる。骨の手の中に、爆睡したままの千鬼が収まる。
「やっとわかったか。じゃ、出発!」
「言い方もうちょい優しくしてあげなさいよ……」
歌姫が苦笑しながら後ろをついていく。
がしゃどくろが村人を蹴散らし、扉を破壊し、三人を包むようにして地上へ躍り出る。
瓦礫を蹴散らし、英明の逃げた先を追って村の奥深くへと足を進めていった。
※
封印場所、村の外れにある古びた神社。
その奥の洞窟のような場所をつけると、開けた場所に出た。
洞窟の壁には札が至る所に貼り付けてあり、その先の祭壇の中央で、英明が笑っていた。
その手には、紫黒く変色した異様な頭蓋骨。まるで人間のものとは思えないほど、呪力が凝縮されていた。
「ようこそ、歓迎するよ。…まあ、すぐに絶望してもらうことになるけどね」
英明がその骸骨を撫でながら、不敵に笑う。
「ちょっと…千鬼、さすがにそろそろ起きなよ」
硝子はがしゃどくろに抱かれたままの千鬼を見て、焦燥の滲む声で呼びかける。
しかし、彼は依然としてぴくりとも動かない。
「……おい英明、千鬼に一体何を飲ませた?」
硝子の目が鋭く光る。
英明は芝居がかった仕草で肩をすくめた。
「ある眠り薬さ。まぁあれだ。大の男でも一口飲めば1日中眠りっぱなしになるような代物だよ。
しかもそのバカ、茶も菓子もたんまり食いやがって…逆によく死ななかったもんだ」
逆ギレ気味に吐き捨てる英明に、硝子のこめかみに怒りの筋が浮かぶ。
「……がしゃどくろ、あんた、毒物の探知ぐらいできなかったわけ?」
「……その命令は受けてはいない」
平然と答えるがしゃどくろに、硝子は眉をぴくぴくさせた。
「なにそのロボットみたいな返答!主人守る気ある!?」
「ちょっと八つ当たりはやめなさいって。がしゃどくろ、あんたは悪くないわ」
歌姫が、呆れたように硝子の肩をぽんと叩く。
「だけど先輩、こいつ…本当にずーっと寝てるんですよ。こっちは命かかってんのに……!」
「...千鬼、あとで絶対起きたら説教だな……」
二人が言い合っている中、英明はにやにやと嗤っていた。
「いいねぇ。そうやって余裕こいてられるのも今のうちだよ」
英明の手の中で、骸骨が青白く光り始めた
「不完全でも、お前らを喰わせりゃ、問題ないッ!」
英明が狂気を孕んだ瞳で叫ぶと、頭上に掲げた頭蓋骨が赤く輝き出す。その光は天井に届くほどに強く、封印の陣に描かれた結界の紋様が軋み、崩れていった。
ギィ……ギギギィ……ッ!!
床の中心が崩れ、黒い瘴気とともに巨大な影が姿を現す。
「くっ……!」
硝子と歌姫が身構える中、現れたのは異形の呪霊。
無数の顔が蠢く体、腐肉がところどころについている巨大な腕を這わせるように動かす“黒廻”。
英明は狂気に満ちた笑顔で、その腕に抱えた頭蓋骨を大事そうに撫でた。
「さあ、喰らえ!こいつら3人を餌にして、お前は“完全”になるんだ!」
黒廻が呻き声のような重低音の雄叫びを上げ、その巨体を揺らして硝子たちに向かって突進する。
「来るッ!」
「くそッ……!」
その瞬間、影のように飛び出したのはがしゃどくろだった。
「私が相手だ!」
巨大な骨の腕と腕がぶつかり合い、地響きのような衝撃が響き渡る。
がしゃどくろと黒廻、二体の特級呪霊が激突する中英明は後方で高らかに笑った。
「さあ、どっちが勝つかなァ!? あの骸骨風情が黒廻に勝てるわけがない……!」
確かに呪力量こそ、僅かに黒廻の方が勝っていた。
「…意外だな、あっちの方が押してる?」
英明が口を歪める。
がしゃどくろは千鬼が最初に調伏した自我がある呪霊。
何度も実戦をくぐり抜けてきた“実戦慣れした特級”。
対する黒廻は確かに生まれながらにして特級の力を持っているが、まだこの世に現れたばかり。
攻撃も粗く、力任せに振るうそれは、どこか未熟さを感じさせた。
「このままじゃ」
がしゃどくろの腕が黒廻の肩を掴み、豪快に地面へと叩きつける。岩が砕け、瘴気が舞い上がった。
「チッ……!」
初めて英明の表情に焦りが浮かんだ。
がしゃどくろが黒廻を再び地面に叩きつけ、骨と骨がぶつかる轟音が響いた。
「こっちが劣勢じゃねえか……!」
英明の焦りが露骨に滲む。手にした頭蓋骨を見下ろし、歯噛みするように呟いた。
「なぁ……がしゃどくろ」
唐突に呼びかけられ、戦闘の合間で振り返った巨大な骸骨の眼窩が英明を捉えた。
「お前、今の主は寝てて指示もできないんだろ? だったら、条件次第で乗り換えないか?」
「……」
がしゃどくろは黙して動かない。
英明は言葉を続けた。
「俺ならもっといい使い方をできる。それに生きた人間だってやれる。……今の主よりもな」
「何言って……!」
歌姫が怒鳴るが、英明は気にも留めない。
「その黒廻を取り込めば、俺はお前と同じくらいの特級呪霊と並ぶ器になる。つまり対等の契約ができる。力を合わせれば、この場にいる奴ら全員、消せるはずだ」
「ふざけんな、がしゃどくろ!騙されんなよ!」
硝子が叫ぶ。
だが、がしゃどくろは微動だにせず、英明と向き合っていた。
「どうだ?今の主は寝たきりで何の命令も出せない。だが俺は今、お前に選択肢をやる。お前を必要とする主として、契約してやってもいい」
骸骨の口がギリギリと音を立て、低い声で
「私は調伏された時点で、解かれぬ限り主は一人のみ。貴様如きの誘いには乗らん」
言い放つと同時に、巨体が再び黒廻に向き直り、巨腕を振るって打ち据えた。黒廻は呻き声と共に吹き飛び、地を抉る。
「チッ、使えねぇ骨だな……!」
英明は舌打ちしながら悪態を吐くが、背後では硝子と歌姫が思わずガッツポーズを決めていた。
「ナイス、さすが千鬼の呪霊」
「ざまぁみろ!調子に乗ってんじゃないわよ!」
2人は小声で笑い合いながら、心の中で全力でがしゃどくろを応援していた。
その時、硝子の目が鋭く英明の手元に向く。あの頭蓋骨
「(あれが鍵。あれを奪えば、あの呪霊の制御が崩れる!)」
「先輩、行きましょう!」
「任せなさい!」
2人は同時に飛び出した。狙うは、英明の手に抱えられた頭蓋骨。
「もっと暴れさせてやるッ!」
英明が怒号と共に頭蓋骨を高く掲げた瞬間、黒廻の身体が再び青白く脈打ち、禍々しい変化が走る。
骨が軋み、肉が盛り上がり、頭部にはより巨大な一本の角が生えた。
全身から黒煙のような呪力が立ち昇り、牙をむき出しにして咆哮する。
「まずい、呪力が跳ね上がってる!」
その変化に反応する暇もなく、がしゃどくろの巨体が吹き飛ばされた。黒廻の一撃がまともに入ったのだ。
洞窟の壁に叩きつけられ、岩が崩れ落ちる。
「がしゃどくろッ!」
「やっぱり、あの頭蓋骨が鍵!」
硝子と歌姫はすぐに互いの目を見て頷き合い、英明の元へと駆け出す。
「来ると思ったよ……!」
英明はニヤリと笑い、影から複数の呪霊が飛び出した。
牙を剥いた異形たちが、2人に向かって一斉に襲いかかる。
「くっ……!」
「硝子!私が前に出る。援護して!」
「任せてください!」
2人は頭蓋骨を狙って突き進む
「邪魔よ、どきなさい……!」
歌姫が呟くと同時に、呪霊を殴る。
迫る呪霊に歌姫の拳が触れた瞬間、呪霊が飛ばされ、祓われた。
歌姫も伊達に二級ではないのだ。
「硝子!少し時間稼いで!」
「了解です!」
もう一体の呪霊が硝子に迫るが
「回復だけが私の仕事じゃないんだよ!」
反転術式の光が呪霊を牽制し、呪霊を遠ざける。
その隙に、後方では歌姫が舞を踊っていた。
「(私の術式は、呪力総量と出力を増幅させる!呪霊相手には初めてだけどね)」
歌姫の術式によって骨がきしみ、がしゃどくろの巨体が再び起き上がる。
ボロボロになった体が、呪力で再構築されていくようだった。
「立ちなさい、がしゃどくろ!あんたは千鬼の呪霊でしょ!」
歌姫の声に応じるように、強化された巨骨の怪物が咆哮を上げる。
がしゃどくろは自身の腕の骨を二倍以上に太くさせ、黒廻の巨体を押し込み、その腕で無理やり掴み上げると、そのまま英明のいる方へと全力で放り投げた。
「なっ!」
英明は寸前で身を翻し、辛うじて直撃を避けた。
しかし、その衝撃で懐から頭蓋骨が弾け飛ぶように滑り落ち、地面を転がった。
「今よ硝子!」
歌姫の叫びに応え、硝子が呪力を集中させる。
手のひらに収束する反転術式の光は呪いを焼く鋭利な刃となる。
「こんなもんに、頼るなっ!!」
硝子が頭蓋骨へ手を翳すと同時に、光が炸裂した。
頭蓋骨が鋭い音を立てて割れ、砕け、呪力の柱が消え去るように空間から光が引いていった。
「やめろっ…それは制御するためのものだ…っ!」
頭を抱え英明が叫んだ。顔は青ざめ、声は裏返り、ひどく狼狽えている。
「壊したら……制御が効かなくなる!黒廻がッ、何をしてくれたあああッ!!」
その怒声に対し、硝子と歌姫は無言で顔を見合わせ、ゆっくりと英明の前に歩み出た。
「…前からやってやろうと思ってたんだよ」
硝子が呟き、
「こういうのは、正面からが一番効くのよね」
歌姫が応じる。
次の瞬間。
ドガッ!!
バキィ!!
歌姫のストレートと硝子の膝蹴りが、まるで打ち合わせたかのように英明の顔面と腹に同時に炸裂した。
英明はそのまま吹き飛ばされ、洞窟の地面に転がった。
すると黒廻が咆哮を上げた。
抑えの効かなくなり、暴走を始めたのだ。
壁という壁がヒビ割れ、天井の岩が崩れ落ちる。
「逃げましょう、先輩!」
「わかってるっての!!」
硝子と歌姫は急いで出口へと駆け出した。その背後で黒廻が地を這い、あらゆるものを破壊しながら迫ってくる。
だがそのとき、突然
ガシッ。
「っ…!」
歌姫の足首を、倒れていた英明が掴んだ。
「お前たちだけは…逃がすかよ……」
「クソ野郎が!!」
硝子は反射的に叫び
バキィッ!!
英明の顔面に、硝子の蹴りが炸裂した。
白目を剥いた英明の手が緩み、歌姫を解放する。
「ありがと」
「お礼は後で、先輩早く立って!」
硝子が歌姫を引き起こし、二人は再び駆け出す。
その背後では
「や、やめろ! おまえは僕が創ったんだぞ……!」
黒廻が、怨念の咆哮とともに英明に迫る。
「ぎゃああああああッッッ!!!」
英明の断末魔が、洞窟の奥に木霊するのだった。
※
洞窟が崩れ落ちる寸前、硝子と歌姫、そしてがしゃどくろに抱えられた千鬼は、ぎりぎりのタイミングで地上へと脱出した。
夜明けの光が差し込む外の空気はひどく冷たかったが、それ以上に自由の匂いが心地よかった。
「……んあ?」
その瞬間、がしゃどくろの腕の中で千鬼のまぶたがぴくりと動いた。
「ふああ……久しぶりによく寝た……。って、なんで俺抱えられてんの?」
何が起きたかもわかっていない様子で、寝起きの声を上げる千鬼。
口元にはまだ寝ぼけたような緩い笑みすら浮かんでいた。
「おはよう、千鬼」
「おはよう、やっと起きたのね」
硝子と歌姫が、優しい微笑みを浮かべながら近づいてくる。が.......その足取りが妙に重い。
「あっ先輩……あれ?なんでそんな怖い顔……」
「いやあ、ほんとに無事で良かったわ……」
「でもさあ……」
千鬼の顔の左右から、バキバキと背筋が鳴るようなプレッシャーが襲いかかる。
「私らがどんだけ大変だったか、ゆっっっくり説明してあげるわよ?」
「逃げたら殺すからね、千鬼」
「えっ!? え? なんかした俺!? 起きたら世界変わってたんだけど!?!?」
千鬼の困惑の叫びが、夜明けの空に響き渡った。
「ちょ、がしゃどくろ! お前だけが頼りなんだって!助けて!」
千鬼がそう叫ぶと、がしゃどくろは硝子と歌姫に向ける。
すると2人はにこやかに
「いやー、ほんとありがと。今回は大活躍だったね」
「そうね。ほんと、がしゃどくろがいなかったら詰んでたわね~」
満面の笑みで、がしゃどくろを讃える。
「対してさ、千鬼はさぁ」
「呑気に寝てるわ、薬盛られても気づかないわ、なんなのもう……」
「え?えっ!? 俺何もしてないのになんか責められてない!?」
困惑する千鬼の言葉に、がしゃどくろは静かに言った。
「……お話はちゃんと聞いた方がよろしいかと」
そして、すっと霧のように消えていった。
「ちょ、待て、俺まだ寝起きなんだけど!? 記憶も曖昧だし、空腹だし!!」
だが時すでに遅く。
硝子と歌姫が左右からゆっくりとにじり寄り、千鬼を挟む形で立った。
「じゃあ、千鬼くん」
「反省タイム、はじめよっか――」
「え、ちょ、待って!? 本当に何も覚えてないの、俺!!」
その後、千鬼はしょんぼりと正座して説教を受けた。
ようやく全員が落ち着きを取り戻し、洞窟の外の空気を吸った。
「……はあ、やっと帰れる……」
「ほんと、もう二度とあんな村には行きたくないわ」
「ずっと寝ててすいませんでした…今度から何かもらってもすぐ食べない」と千鬼がぼそり。
硝子と歌姫も呆れつつも微笑み、ようやく帰路につこうと背を向けたそのときだった。
ズウゥゥン……!!
空気が震えるほどの強大な呪力が、背後から溢れ出す。
「……っ! 嘘でしょ……」
硝子が振り返ると、洞窟の出口付近に黒い瘴気が立ちこめていた。
その中から、かつて見た黒廻とはまるで異なる姿の、巨大で凶悪な特級呪霊、黒廻が再び姿を現す。
背後で、高く甲高い笑い声が響いた。
「アッハハハハハ!! やっとだ…やっと完成した! 僕は……僕こそが最強だ!!」
その声は、確かに英明のものだった。だが姿はなく、まるで黒廻そのものから聞こえてくるようだった。
「まさか……」
歌姫が息を呑む。
「英明の魂が、黒廻と融合した!?」
硝子が目を見開いた。
「うわ、何この最悪の展開……」
歌姫が顔をしかめ、
「マジでまだ続くの? 冗談じゃないんだけど」
硝子も身構えたその時、
千鬼が不機嫌そうにため息をついた。
「……お前のせいかーっ!!」
その叫びと同時に、彼の背後に巨大ながしゃどくろの姿が浮かぶ。そして千鬼の手には骨の金砕棒が握られており、
次の瞬間、千鬼の姿は黒廻の前から消える。
ドゴォン!!!
轟音と共に、黒廻の頭部が上から打ち砕かれ、その肉体が爆ぜるように四散する。
英明の断末魔が虚しく響いた。
「ぎゃああああああああああッ!!」
静寂の中、千鬼はぽりぽりと頭をかきながら振り返った。
「ふー、スッキリしたわ。ずっと寝てたから体動かしたかったんだよなー」
「おい、待てコラ」
「ふざけんな寝坊助!!」
怒りの表情を浮かべた硝子と歌姫が、同時に千鬼の顔面と背中に渾身の一撃を叩き込んだ。
「ぐはっ!?」
千鬼が地面に沈みながら、心底納得いかない顔で呟いた。
「え、俺...悪くない、よな……?」
※
数日後。
山村の呪力も無くなり、村も警察が対処することになった。
「やっと終わった……」
高台から村を見下ろしながら、歌姫がそう呟く。
「終わったのはいいけど、ほんと疲れたわ」
硝子は深く息を吐きながら、少し険しい顔で千鬼を見る。
「いやだから、俺は寝てただけで何もしてないんだってば……」
千鬼は手を挙げて弁解しつつ、どこか居心地悪そうに苦笑していた。
「「それが問題なんだよ!」」
歌姫と硝子が同時にツッコむと、千鬼はふてくされたように口を尖らせた。
「……がしゃどくろ、寝てるときに助けてくれてありがとな」
千鬼が空に向かって小さく呟くと
「そっちは礼を言う相手間違ってない?」
硝子がじとっと睨む。
「うん。間違ってるわね」
歌姫が続けて追撃。
「申し訳ございませんでした……」
千鬼は頭を下げた。2人の横に並んだ。
夕暮れが差し込む中、三人は並んで山道をゆっくりと下っていく。
「でも、やっぱりさ……」
「ん?」
「何?」
「がしゃどくろが活躍したってことは、実質俺はちゃんと働いてたってことだよな?」
その瞬間、
ガツン!
硝子と歌姫の拳が再び千鬼に振り下ろされた。
「ほんとぶっ飛ばすぞ!」
「帰ったらもう一回説教ね!」
「調子に乗ってごめんなさい!」
山道には、いつも通りの喧騒と笑い声が戻っていた。