人気のない山の奥、雪女の澪華は宴を終えて北海道から自分が元々いた場所に戻ってきていた。
静かで人が滅多にこない。
まだ開発もされていない山の奥。
冬になれば一面真っ白となる澪華の落ち着ける場所だった。
だがここにきてから、否
宴の時から頭から離れない場面があった。
脳裏に浮かぶのは別れ際に見せた、ある人間の顔。
『行っちゃうの?』
少しだけ寂しそうな声で、引き止めるわけでもないあの表情。
『もうここにいる“意味”はないですから』
そう答えた自分。
あれで本当に良かったはずだ。
元々澪華は静かに過ごせることを目的で今までを過ごしていた。
平穏を乱す者を雪山の餌食にして、何百年もほぼ山から出ないで存在していた。
千鬼に調伏されてからも、基本的に千鬼の中で静かに過ごすことが好きだった。
それに相手は呪術師。呪霊である自分と友達なんておかしなことを言っていたが、本気でそう思っていたのだろうか?
そんな考えがよぎり、いつのまにか澪華の頭の中は人間──釘崎の見せた表情となんだかわからない心の違和感などでいっぱいだった。
だがいくら考えても澪華自身、この澱みがなんなのかが分からない。
だから澪華は決めた。
「確かめてみますか。そして原因を消せばいい」
そう思って澪華はまた山から出た。
※
瓦礫と化した建物の間を、乾いた衝撃音が何度も貫いた。
空気が震え、地面が抉れ、
崩れ落ちたコンクリート片が雨のように降り注ぐ。
その中心で、二つの影がぶつかり合っていた。
「いいねぇ……!」
石流龍は、口の端を歪めて笑った。
「甘い甘い、もっとだ乙骨!」
次の瞬間、
解き放たれた呪力砲が街区ごと薙ぎ払う。
轟音。
爆炎と粉塵の中乙骨憂太は跳躍していた。
「(いける)」
理屈ではなく、経験がそう告げていた。
剣を振り抜き、斬撃と同時に呪力を放つ。
相殺しきれなかった衝撃が、乙骨の身体を後方へ弾き飛ばす。
「……っ」
ビルの壁に叩きつけられ、息が詰まる。
だが、すぐに体勢を立て直した。
石流は、その様子を見て心底楽しそうに目を細める。
「最高だ。俺はなこういう“瞬間を求めてた」
「……」
乙骨は応えない。
剣を握る手に、僅かに力を込める。
「おいおい、なんかかけ」
石流が肩をすくめる。
「いいぜ。なら全部吐き出せ。」
再び、呪力が唸りを上げる。
次の瞬間
乙骨の背後に、異形の存在が現れた。
「リカ」
応えるようにリカが顕現する。
呪力が、爆発的に膨れ上がった。
石流の目が、歓喜に輝く。
「(変わった!?)…いいねぇ、それだよそれ!」
二人の衝突は、もはや戦闘という言葉では足りなかった。
思想と覚悟が、剥き出しの呪力となってぶつかり合う。
石流の砲撃を、リカが受け止め、
乙骨の剣が、石流の肩を掠める。
血が舞った。
だが石流は、笑ったままだ。
「いい!甘いぜ乙骨!」
「……」
だが石流も負けていない。
リカと接続した今の乙骨でも、出力は石流の方が上。
石流の放つ呪力が連続して乙骨を追い詰める。
破壊された地形はもはや戦場というより、抉り取られたクレーターだった。
「どうした乙骨ぉ!
もっと来いよ、不満だぞ俺は!」
「…ッ!」
再び2人がぶつかり合おうと来た時、空間が歪んだ。
乙骨の背後、いや上空。
空そのものが捲れ上がるように裂ける。
「……ッ!」
乙骨が視線を上げるより早く、
布のような何かが、しなやかに舞い降りてくる。
「ふふ……」
女の声。
「面白いことになってるじゃない」
烏鷺亨子。
空を踏み、逆さになった姿勢で、二人を見下ろしていた。
「ドルゥヴを殺して、黒沐死まで始末して……」
「挙げ句、石流と殴り合い?」
愉快そうに笑い、舌なめずりをする。
「全部ひっくるめていい機会」
「(来る!)」
石流もまた、烏鷺の存在に気づき怒鳴り声を上げる。
「邪魔すんじゃねぇよゲロ女ぁ!」
「るっせぇんだよ!」
烏鷺は空を蹴り、
乙骨と石流の間に割って入ろうとする。
その瞬間。
「……させないわよ」
低く鋭い声。
向かってくる烏鷺の近くの壁に釘が突き刺さった。
【簪】
「ッ!?」
釘が刺さった部分が爆発、烏鷺の体勢が一瞬崩れた。
「……誰?」
烏鷺が視線を向ける。
瓦礫の影から釘崎野薔薇が姿を現していた。
相当走ったのか、それとも乙骨と石流の攻撃から生き残るのに必死だったのか呼吸は荒い、それでも目だけは鋭く光っている。
「悪いけどさ」
釘崎はトンカチを握り直す。
「あんたみたいな高みの見物決めてる女、嫌いなんだよ」
「……随分と威勢のいい小娘ね」
烏鷺は空中で体勢を立て直す。
「自分の立場分かってる?」
「分かってるわよ」
釘崎は一歩も引かない。
「だから──“邪魔はさせない”って言ってんの」
釘崎は釘を撃ち出す。狙いは烏鷺ではなくその周り、
「【簪】!」
釘が連なり、烏鷺の周囲の空間で爆発が起き、瓦礫が一気に飛び交う。
「ッ…!(鄒霊呪法か!?)」
足止めには十分だった。
「(効いてる……!)」
釘崎は歯を食いしばる。
「(相手は格上。でも)」
視線の先で、乙骨と石流が再び激突する。
「(今は先輩が全力で戦える状況を作るのが私の役目)」
そんな釘崎を見て、烏鷺はすぐに理解した。
「なるほど」
口角が上がる。
「時間稼ぎ、ね」
「そうよ」
釘崎は、挑発的に笑った。
「悪いけどあんたみたいな“横槍専門”は嫌いなの」
「生意気」
烏鷺の呪力が、一段階跳ね上がる。
二つの戦いが起きると思われたその瞬間──
「「「「!」」」」
結界にまた別の呪力が紛れ込んできたのを感じた。
釘崎の肌に、ぞくりと寒気が走る。
「……?」
烏鷺も、石流も、乙骨も、そして釘崎も。
全員が同時に感じ取った。
「(何か、来る)」
空から雪が舞い始めた。
空気が、変わった。
ひやりとした感覚が戦場を覆う。
爆熱だったはずの空気が一瞬で冷え込む。
石流が眉をひそめた。
「……あ?」
乙骨も気づく。
これは、石流の呪力ではない。
自分でもリカでもない。
しかも呪力はさっきの黒沐死よりも上。
結界の外側から、“何か”が入り込んでくる。
空から白いものが舞い落ちた。
雪──否。
それは呪力を孕んだ冷気だった。
降り積もることなく、触れた瓦礫を瞬時に凍てつかせる。
ひび割れたアスファルトに、霜が走る。
「……雪?」
石流が、訝しげに空を見上げる。
雲の切れ間から、
静かに、ひとつの影が降りてきた。
白銀の長い髪。
氷のように透き通った肌。
感情を凍らせたかのような無表情。
人の形をしていながら、
明らかに“人ではない”存在。
乙骨の背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
「(あれは……)」
雪女は、戦場を一瞥すると、
興味がなさそうに視線を伏せた。
そして静かに足を下ろした。
その瞬間、仙台結界の温度が確実に下がった。
誰もが理解する。
この結界に、
新たな異物が入り込んだということを。
石流の瞳が見開かれる。
次の瞬間、
「…っ、は……」
喉が震え、笑みが歪む。
次第にそれは抑えきれない歓喜へと変わっていく。
「ハハハハハハ!!」
石流は、天を仰ぐように両腕を広げた。
「会いたかったぜぇぇ!!」
「甘い、甘い、激甘だぁ!」
突然叫び出した石流に乙骨だけでなく、少し遠目にいる烏鷺や釘崎も目を見開いていた。
「俺は、お前を探してたんだ!」
その叫びは結界中に響き渡っていた。
今まで見てくださってありがとうございます。
来年ももう少し続くので、呪霊装術をよろしくお願いします。