爆音と衝撃。
氷壁は砕け散り、
破片が吹雪のように舞う。
だが、釘崎には傷一つなかった。
「っ!」
澪華の背中に僅かにひび割れた氷が走り、呪力の余波で澪華の体にはところどころ傷がある。
衝撃を完全には殺しきれていなかった。
それでも澪華は動かない。
釘崎を庇うようにただ立ち続けている。
数瞬遅れて釘崎が状況を理解する。
「……な、にしてんのよ……」
視線を上げると、すぐ目の前に澪華の横顔があった。
変わらない無表情。
だがほんの僅かに眉が寄っているのが見える。
「……危険でした」
それだけ。
まるで当たり前のことをしたかのように。
釘崎は言葉を失った。
「(……消すとか言ってたくせに)」
「(なんで、庇うのよ)」
乙骨も、石流も、その光景を目にしていた。
「なによそれ……」
釘崎のその声には苛立ちと困惑、そしてわずかな悲しさが混じっている。
「私を消すんじゃなかったの、澪華!」
澪華はゆっくりと釘崎から離れ、再び戦場へと向き直る。
「……」
一瞬だけ、釘崎を見下ろす。
その瞳に浮かんだのは理解できないものを見つめるような色。
澪華本人もなぜ釘崎を庇ったのか分かっていない。見捨てれば良かったのに体が勝手に動いていたのだ。
「……」
何も言わないまま視線を逸らした。
釘崎は拳を握りしめる。胸の奥がざわつく。
「(意味分かんない)」
「(でも……)」
「…ありがと…」
その言葉に澪華はほんの一拍だけ動きを止めた。
「……?」
感謝される理由が理解できない。
守ったのは事実だが、それが礼を言われる行為だとは思っていなかった。
それに自分でもなぜあんなことをしたのか理解できないという考えが頭のほとんどを占めている。
「……なぜ」
小さく、問いが零れる。
「礼を言うのですか?」
釘崎は一瞬言葉に詰まった。
その問いがあまりに真っ直ぐで子どものようだったから。
だが澪華は本当にお礼を言われるようなことをしたとは思っていないので、その目は真剣だった。
「……なぜって」
視線を逸らし、瓦礫を蹴る。
「普通でしょ。助けられたら」
澪華は沈黙した。
“普通”。
その言葉が胸の奥で引っかかる。
「私がしたことは、あなたを消すことと矛盾しています」
「だからよ」
釘崎は顔を上げ、澪華を真っ直ぐ見た。
「意味分かんないの」
吐き捨てるような口調だったが、さっきよりも棘はなかった。
「消すかもとか言っといて、守るとか」
「どっちかにしなさいよほんと…」
澪華は、しばらく釘崎を見つめていた。
その瞳は相変わらず感情に乏しい。
だが、先ほどまでの“観察”とは違う。
「……あなたは」
言葉を選ぶように、少し間を置いてから続ける。
「私が怖くないんですか?」
「当たり前でしょ!」
即座に返る声。
「怖いわけないじゃない!こちとら殺されかけたことなんて何回もあるんだよ!」
怒鳴った直後、釘崎は息を吸い直した。
「……でも」
声が少しだけ低くなる。
「あんたが前に出てきたの見た」
澪華の指先が、わずかに動いた。
「……だから?」
「だから」
釘崎は肩をすくめる。
「私はあんた…澪華が完全に敵って思ってはない。」
はっきりとした宣言だった。
「言ったでしょ。“友達”って」
一拍。
なぜか澪華はその言葉を真正面から言われた時、どこか不快感がなくなるような感覚を覚えた。
「“話が通じない化け物”とは思ってない」
澪華は、その言葉を何度か頭の中で反芻した。
敵ではない。
だが、味方でもない。
──友達──
その言葉が、なぜか胸の澱みをわずかに揺らした。
「……奇妙ですね」
澪華は呟く。
「あなたの言葉を聞くと…私の中の不快感が、少し形を変えます」
「なによそれ」
釘崎は眉をひそめる。
「気持ち悪い言い方しないで」
「ですが事実です」
澪華は視線を逸らし、戦場の方を見た。
石流と乙骨の呪力がぶつかり合う気配が、遠くで唸っている。
「今わかりました。あなたが傷つくと私は不快です」
「あなたが消えると……おそらく私は悲しい」
釘崎はその言葉で少し吹き出しそうになるが、澪華のあるものを見て目を見開く。
「……あんた、それ」
釘崎の方を見ていた澪華の視界が滲む。
瞬きをした拍子に、熱を帯びたものが頬を伝った。
「……え?」
澪華自身でも驚くほど静かに涙が落ちていた。
声は出ない。ただ、止め方が分からない。
釘崎に言われたその言葉のその温もりが張り詰めていた何かを、ふっと緩めてしまった。
どうして泣いているのか。
それすら考える余裕はなかった。
ただ、胸の奥に溜まり続けていた“名もない感情”が、
涙という形を借りて、静かに零れ落ちていくだけだった。
そんな澪華を見て釘崎は微笑む。
「じゃあさ」
戦場を横目に見ながら。
「一緒に生き残ったら、ちゃんと話しましょ」
「その“分かんない気持ち”が何なのか」
澪華は涙を拭いながら釘崎を正面から見た。
「……約束、ですか?」
「そうよ」
釘崎は親指を立てる。
「縛りじゃない。ちゃんと友達同士がやるやつ」
澪華は、その仕草をじっと見つめてから、
「……分かりました」
短く、だが確かな声で答えた。
その瞬間、澪華の胸の奥に溜まっていた澱みが、
ほんの少しだけ、氷解したような気がした。
それが友情なのか、執着なのか、
それとももっと別の何かなのか──
まだ誰にも分からない。
だが確かにこの瞬間、
雪女と人間の少女の間に、
呪霊と人間の間に、
名もない“繋がり”が芽生え始めていた。
澪華は乙骨と石流が戦っているのを見つめて釘崎に
「少し待っていてください」
と言った。
そんな澪華を見た釘崎はすぐに察した。
澪華の目はただ殺しに行くと言う目ではなくなっていたからだ。
「そう…気をつけてきなさい!」
そう言って澪華の背中を叩く。
澪華は急に叩かれて驚いたが、不思議と苛つきはしなかった。
「…はい」
※
石流の呪力が空気を震わせる。
砲撃の余波が瓦礫を跳ね上げ、遠くで建物が軋む音がした。
乙骨は刀を構えたまま、間合いを測っている。
その背中越しに、澪華は戦場を見ていた。
──さっきまでとは、違う。
呪力の流れが、澪華自身でも分かるほど静かだった。
荒れていない。
焦りも、衝動もない。
ただやるべきことが目の前にある。
澪華は一歩、前に出た。
「私も出ます」
その声は小さかったがはっきりしていた。
乙骨が驚いたように振り返る。
「澪華さん?」
乙骨が少し困惑して思わず声を上げかけたが、 言葉を飲み込む。
澪華の横顔がさっきとは違うのを見てしまったからだ。
石流が大きく笑みを浮かべた。
「なんだぁ?やっと出てきてくれたか…」
呪力が膨れ上がる。
空気が歪み、次の砲撃が来るのが分かる。
その瞬間、乙骨が小さく息を吐いた。
「……分かったよ」
迷いはなかった。
澪華を止める言葉もなかった。
「私が前に出ます」
自信を持って言われたその言葉に、乙骨の口元がわずかに緩んだ。
「悪いけど、僕も少しは出るよ。共闘だね」
次の瞬間。
石流の呪力砲が放たれる。
轟音。
だが直撃するはずだったそれは凍りついた。
澪華の足元から氷が走り、空間ごと呪力を封じ込める。
砲撃は氷の中で爆ぜ、白い粉雪となって散った。
「……は?」
石流の声が間抜けに漏れる。
その隙を逃さず乙骨が踏み込んだ。
「今だ!」
澪華の氷が地面を覆い、石流の足を奪う。
石流は滑り、そのまま体勢が崩れる。
そこへ乙骨の斬撃。
剣に宿る呪力が一直線に走り、石流の防御を正面から叩き割った。
「チッ!」
石流は無理やり呪力を噴出させ、距離を取ろうとする。
だが逃がさない。
澪華の視線が石流を捉える。
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
倒す。
殺意でも怒りでもない。
ただ終わらせるという意志。
氷が空中に展開される。
無数の氷刃。
「降りなさい」
その声と同時に氷が降り注いだ。
石流は呪力を全開にして迎撃するが、乙骨が前に出る。
「ここで、決める!」
澪華の氷が動きを縛り、乙骨の剣が心臓を捉えた。
衝撃。
石流の体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「っ!……ははっ!」
「最高だなぁ!」
石流が呪力を集中させた。
今までよりも比べ物にならないほどの出力。
石流が最高の技を繰り出そうとしているのを表していた。
「2人でこいよ…出し切ろうぜ」
乙骨はその言葉を聞き、石流の顔を見た。
そして笑った。
400と余年の渇望に比例したその熱い眼差しが、おそらく今後も戦いで意味を見出すことのない乙骨を動かす。
「しょうがないですね。一回だけですよ」
乙骨はリカを顕現させて高出力の呪力砲を放つ準備を整える。
そしてその様子をただ見ているだけの澪華ではない。
「私も手伝いましょう。まだ彼の方が出力は上ですから」
そう言って乙骨の呪力砲に重ねるように冷気を纏った呪力が合わさっていく。
いつもの澪華なら、石流が乙骨に集中して完全に技を溜めている隙をついて凍らせて砕くだろう。
だが、不思議とそうしようとは思わなかった。
澪華が今まで、これほどまでに戦う相手と真正面からぶつかりたいと思ったことはないだろう。
それが石流の感じていた何百年分の渇きに呼応したせいか、それとも釘崎との関わりで培われたものか、その答えは誰もわからない。
だが澪華は決して驕りでも、相手を下に見ているわけではない。
そして石流が完全に準備ができる頃には、澪華と乙骨も準備ができていた。
三者が互いの存在だけを認識するその一瞬
「いくぜぇぇ!!乙骨!澪華ぁぁぁ!!」
石流の叫びが合図かのように、双方の呪力砲が放たれる。
世界が歪むような感覚となり、轟音が世界を引き裂いた。
石流の呪力砲が唸りを上げ、地を抉り、空を焦がす。
対する乙骨と澪華の呪力は、重なり合い、一本の奔流となって放たれた。
熱気と冷気が衝突する。
圧力が拮抗し、空間が悲鳴を上げた。
「っ…!」
乙骨は歯を食いしばり、呪力を押し出す。
澪華の冷気がその背を押すように流れ込み、呪力の輪郭を固定する。
暴れる力を抑え、逸らさず、逃がさない。
石流は笑っていた。
「いい……! 最高だ……!」
呪力砲がさらに膨れ上がる。
だが、次の瞬間。
澪華の氷が、砲撃の中心を“縫い止めた”。
爆ぜる直前、呪力の流れが一瞬だけ鈍る。
それが致命的だった。
「今だ!」
乙骨の声と同時に呪力が一気に押し切る。
奔流が石流を呑み込み、轟音が遅れて地面を揺らした。
爆風が収まった時。
そこには、瓦礫の中に仰向けに倒れた石流の姿があった。
呪力はほとんど残っていない。
「……はぁ……」
石流は天を仰ぎ、かすれた声で笑った。
「やっと……腹いっぱいだ……」
指先がわずかに動き、そして止まる。
戦闘不能。
完全に、出し切った顔だった。
しばらくの沈黙。
乙骨は刀を下ろし、深く息を吐く。
「……終わりましたね」
澪華もまた、呪力を解く。
氷が砕け、音もなく消えていった。
「ええ」
短く、それだけ答える。
胸の奥に残る熱は、不思議と心地よかった。
「……ありがとう。助かったよ」
乙骨の言葉に澪華は少し口角が上がり、
「どういたしまして」
と短く返したその時だった。
「おーい!!」
少し離れた瓦礫の上から、聞き慣れた声が飛んでくる。
「終わった!?」
釘崎だった。
次の瞬間彼女は躊躇なく飛び降り、一直線に澪華へ駆け寄ってきた。
「澪華!!」
勢いそのままに、ぎゅっと抱きつかれる。
「っ!」
一瞬、息が詰まる。
だが逃げる暇もなかった。
「やるじゃん!」
耳元で明るくいつもの調子の声。
「なにあれ!氷で呪力止めるとか反則でしょ!」
「しかも乙骨先輩と一緒に真正面から撃ち合って勝つとかさ!」
釘崎は満面の笑みだった。
戦場の埃も、血も、全部忘れたような顔。
澪華は一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく息を吐いた。
「……大げさですよ。あれよりも強い攻撃を体験したことがあったので…」
そう言いながらも抵抗はしない。
抱きしめられた腕の温度がやけに現実的だった。
「大げさじゃないっての!」
釘崎は腕を緩めない。
「ちゃんと生きて戻ってきて勝ってんだから。十分すごいわよ」
その言葉に澪華の胸の奥がきゅっと締まる。
「……ありがとうございます」
ぽつりと零れた声は、釘崎にだけ届いた。
少し離れたところで乙骨がその様子を見て苦笑する。
「元気そうで何よりだよ」
「でしょ?」
釘崎はようやく手を離し、澪華に手を差し出す。
「これからよろしくね、澪華」
澪華も自分からその手を握り返し、微笑んだ。
「はい…野薔薇」
「え!?……澪華が笑った!というか野薔薇って言った!?」
子供のようにはしゃぐ野薔薇を見て澪華と乙骨は笑う。
戦いはまだ終わってない。
それでも今この時は、勝利の余韻と新たな出来事が確かにあった。