呪霊装術   作:戦艦YAMATO

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幕間の小話14

 

 

 

『しがない美女のお話』

 

 

入学初日の朝。

まだ校舎の匂いも、人間関係も、何もかもが新しい頃。

 

金髪の新入生──九十九由基は足を組みながら、前で自己紹介している男を眺めていた。

 

神凪蒼真(かんなぎそうま)

 

名家である神凪の嫡男。

実力はすでに一級相当、生得術式は神凪家の相伝“操符呪法”。

まさにお堅い呪術界がなんとも喜びそうな要素ばかり揃った人間。

だが気になったのは経歴より以前から聞いていた噂だった。

 

「既に現場経験あり」

「冷静すぎる」

「感情が読めない時がある」

 

──面倒くさそう。

 

それが九十九の第一感。

だが教室で実物を見た瞬間、印象は少し変わる。

静かな佇まい。

無駄のない姿勢。

周囲に飲まれず、誰にも見下されず、誰にも媚びない。

 

“自分の強さを理解している人間の空気”

 

それは九十九にも覚えがあった。

同じ強者の匂い。

同じ“中央には居座らないタイプ”

同じ“外側の景色を見ている視線”

 

席に着いた神凪と、ふと目が合う。

ほんの一瞬。

なのに、確信が生まれる。

 

──この男は、ただの秀才じゃない。

 

九十九は声をかけた。

 

「君が神凪蒼真?噂どおり落ち着いてるじゃん」

 

神凪は小さく頷き、淡々と答えた。

 

「そういう君が九十九由基だね。

実力は把握している。君はおそらく、いずれ特級になるだろうね」

 

同期なのに敬意。だが媚びない。

評価するが、従属はしない。

そのバランスが妙に心地よかった。

 

九十九はニヤリとする。

 

「へぇ。見る目あるじゃん。気に入ったよ

ちなみに女の好みは何?」

 

急に素っ頓狂な質問をしてくる九十九に、神凪は苦笑いをしながら言う。

 

「…実力だけじゃ、わからない部分もあるものだね」

 

その瞬間から、

 

二人はまだ友達ではないけれど、敵でもない。

距離は近くないのに、遠くもない。

 

そんな、不思議で特別な“同期”だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呪術高専2年の春。

 

任務帰りの夕方。

校舎の屋上、清水の舞台のような場所の柵にもたれて、神凪蒼真は制服の袖を乱暴にまくり上げていた。

指先には墨が微かに残り、書きかけの術符がポケットに覗いている。

 

そんな神凪のもとへ、風に金色の髪を揺らしている九十九がひょいと顔を出した。

 

「お、いたいた。冥冥が言ってたよ。『神凪先輩はすぐあそこに行く』って」

 

「ここが集中しやすいだけだよ」

 

素っ気ない返答。

だが追い払うでもなく、隣に立つスペースは空けている。

九十九は柵に手をかけ、夕焼けの街を見下ろした。

 

「ねぇ神凪。今日の任務さ」

 

「何が不満なんだい?片付いただろう」

 

「いや、不満じゃない。

君……一般人を巻き込もうとした?」

 

神凪の眉が僅かに動く。

 

「あれはたまたまだったよ。君が声をかけなければ私は気づかなかった。感謝する」

 

「ふーん。どういうつもり?」

 

「なんのことかな?」

 

即答。

 

九十九は肩をすくめて笑う。

 

「でもさ、一応呪術師って呪いから非術師をを守るのが鉄則でしょ?」

 

沈黙。

 

神凪は懐から一枚の札を取り出す。

墨跡は乱れ、書き損じの符だった。

 

「守る必要があるのか? 私たちは“特別”だ。

特別が、なぜ“普通”を庇う。理に合わない」

 

九十九は横目で彼を見て、すぐに空へ視線を戻す。

 

「理屈だけで生きられるほど、人間は綺麗じゃないよ」

 

「人間? 私は」

 

言いかけて、神凪は言葉を飲み込む。

九十九は笑って続けた。

 

「ね、神凪。君は自分のこと、誰より強いって思ってるでしょ?」

 

「事実だろ?」

 

「そ。じゃあ教えてよ。強いってのは“ひとりで立ってること”なのか、

“誰かを支えること”なのか」

 

神凪は答えない。

ただ夕陽に照らされる札を見つめる。

風が二人の間を抜けていく。

九十九は歩き出しながら、背中越しに軽く手を振った。

 

「答えは急がなくていいよ。同じ同期でしょ?

君が迷うなら、付き合ってやる」

 

神凪は目を伏せ、小さく呟いた。

 

「……迷ってはいないよ」

 

しかしその札は、ゆっくりと指先から落ち、風に攫われた。

 

落ちていく紙を追いながら、彼は気づいていた。

自分が、初めて“答えに詰まった”ことに。

屋上に残ったのは夕焼けの色と、二人だけの静かな距離。

その距離はまだ、壊れてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の高専。

寮の自室で神凪蒼真は、静かに札へ文字を書き込んでいる。

淡い墨の香りが漂う。

 

扉が軋む音。

九十九由基が入ってきた。

 

「……あぁ、やっぱり。君は夜も符かい?」

 

「私の術式を知っているだろう。これがないと始まらないんだ」

「それにここ男子寮だけど?」

 

九十九は笑って机に腰をかける。

 

「ねぇ神凪。ずっと気になってたんだけどさ」

 

「なるほど無視かい……それで?」

 

「君はこの先の世界をどうしたい?」

 

神凪の手が止まる。

墨が紙に一滴、落ちた。

 

「決まっている。“術師中心の世界”だ」

 

九十九は眉を上げた。

 

「中心、ね。どういう形?」

 

神凪は静かに札を置く。

 

「“特別”が上に立ち、“普通”は従う。

呪力を持つ者が世界を管理し、秩序を作る。

無力な者に任せれば、世界は腐る」

 

九十九は肩をすくめる。

 

「それ……結構極端だね」

 

「極端で何が悪い。事実だ。

力のない者が運営する社会など、脆弱で、無駄だ」

 

「じゃあさ」

 

九十九は机に教本を置いて、真っ直ぐ見つめる。

 

「呪力を持たない人間は、“劣ってる”ってこと?」

 

間を置かず、神凪は答えた。

 

「当然だ。下等種族とも言っていい。

特別な私達が陰に潜んで下を支える理はない」

 

九十九の表情から笑みが消える。

 

「……本気で言ってるんだ」

 

「本気だよ。術師こそ“人類の進化系”だ。

いずれ世界は階層化される。

そしてその上に立つのは──私達だ」

 

九十九は机から降り、神凪の前まで歩く。

明かりが二人の影を揺らす。

 

「私はね、違うよ」

 

神凪の瞳が細められる。

 

「どういう意味だい?」

 

「人類は呪力から脱却すべきだと思ってる」

 

神凪の表情がわずかに揺れた。

 

「脱却? 呪力を捨てるというのか?」

 

「そう。呪力は呪いを生むし、憎しみの燃料にもなる。

人間が呪力を手放せば、呪いもいずれ消える。

術師なんて、必要なくなる」

 

静寂。

 

神凪の声は低く冷たかった。

 

「……それは“特別”を否定する考えだ」

 

「否定するよ。

だって特別も普通も、本来同じ“人間”でしょ?」

 

神凪は立ち上がる。その表情が鋭く光っていた。

 

「違う。私達は違う。これは区別であり基準にもなりうるものだ。

力ある者、特別な者が頂点に立つのが世界の正義だ」

 

「それは“支配”だよ」

 

「だったらその支配こそ秩序だと思うよ」

 

「私はそうは思わない」

 

九十九の声は柔らかいが、揺れてはいなかった。

 

「人が呪力から自由になる未来。

それが、私の理想」

 

神凪は嘲るように笑った。

 

「理想など弱者を慰めるための戯言だよ」

 

「じゃあ聞くよ。神凪」

 

九十九は一歩踏み込む。

 

「“特別”は、誰が決めるの?」

 

神凪は答えなかった。

握った拳が、小さく震えた。

九十九は踵を返す。

 

「君の世界じゃ、私も特別な人間の一人なんだろうね」

 

扉に手をかけながら、振り返らずに言う。

 

「でもさ」

 

「……何だ」

 

「同期ってだけで、君の未来を完全に肯定するわけでもないよ」

 

扉が静かに閉じた。

 

彼は拳を握りしめながら、確信した。

 

──世界の形は、必ず自分が決める。

 

その瞬間、二人の道は静かに分かれ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演習場。

 

模擬戦を行った二人は近くの木陰に座って休んでいた。

 

「思ったよりイケるじゃん」

 

「当然だよ。幼少の頃から学んでいたからね」

 

九十九は目を細める。

 

「でもさ」

 

「何だ」

 

「私は任務の時、蒼真と組むと戦いやすいよ」

 

神凪の目が止まった。

 

「……それは私もだ。由基の術師としての実力は認める」

 

九十九は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから笑う。

 

「へぇ。蒼真に褒められるなんて、レアじゃん」

 

「勘違いしないでくれ。私は無能を嫌うだけだ」

 

「はいはい。ツンデレツンデレ」

 

「違う!」

 

九十九は立ち上がり、歩き出すと真面目な声で言った。

 

「でもありがと。私も蒼真の力は認めてるよ」

「んじゃ、任務をさっさっと終わらせに行こうか」

 

神凪は言葉を返さない。

二歩ほど前にいる九十九との歩調を自然と合わせる。

これから任務がある二人の影が同じ方向に伸びていく。

 

言葉にしなくても互いに理解していた。

 

思想は違う。

未来も違う。

だけど、

 

“実力は疑わない”

 

その一点が、二人の距離を静かに繋いでいくと。

 

 

 

 

さらに時間が経過して、昼下がりの高専。

 

任務帰りの二人は、自販機の前で缶ジュースを受け取っていた。

 

プシュッ、と開ける音が重なる。

 

九十九由基は背伸びしながら言う。

 

「いやー疲れた。あの呪霊、デカいくせに逃げ足だけは速いとか反則でしょ」

 

「無駄が多い相手ほど厄介だね。……札を発動させるのが少し遅れたよ」

 

「はいはい、反省会は後にしよ。今は休憩」

 

九十九は缶を掲げる。

 

「ほら、親友らしく乾杯でもする?」

 

「親友と言わないでくれ」

 

「照れてる?」

 

「…違う」

 

九十九は笑い、缶をコツンと神凪の缶に当てた。

 

二人は並んで校庭のベンチに腰掛ける。

 

しばらく沈黙。

風が吹き抜ける。

 

九十九がふと呟いた。

 

「ねぇ、神凪さ」

 

「何だ」

 

「将来、“どんな世界”を見たい?」

 

神凪は一瞬だけ視線を落とし、当然のように答える。

 

「前も言っただろう。術師が中心となる世界だ。

強者が管理し、秩序を敷く。それが正しい」

 

九十九は苦笑した。

 

「変わんないねぇ、その意見」

 

「当然。揺らがぐわけがない」

 

「でもさ」

 

九十九は空を見上げながら笑う。

 

「そんな世界になったら、私はどうなる?」

 

「君は上の存在になれる。術師だからね」

 

「へぇ、排除しないの?」

 

「……実力は認めている」

 

九十九の目元が柔らかくなる。

 

「ありがと」

 

彼女は缶をくるくる回しながら続ける。

 

「でも私はさ、呪力から自由になれる未来がいいと思ってる」

 

神凪は眉を寄せる。

 

「相変わらず寝言のようなことを言うね」

 

「ひどいねぇ」

 

「呪力がなければ、呪霊も消え、術式も使えなくなる。

そうなると術師も存在意義を失う」

 

「そう。それが理想」

 

神凪は鼻で笑った。

 

「それでは“特別”が消える」

 

「特別なんていらないよ。みんな普通でいい」

 

神凪は即答する。

 

「普通は下だ」

 

「はいはい、出た出た」

 

九十九は笑って肘で軽く突く。

 

「でもさ。アンタがどんな世界を目指しても」

 

神凪は横目で見る。

 

「何だい?」

 

「私は私の理想を捨てないよ」

 

神凪は小さく息を吐く。

 

「なら好きにしたらいい。私だって自分が成すべきことを成すのみ」

 

九十九は少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「……それ、応援ってことでいいの?」

 

「違う。なぜそうなるんだい?」

 

「やっぱりツンデレじゃん」

 

「違う!」

 

二人の声が校庭に響き、鳥が飛び立っていく。

 

九十九は立ち上がりながら言う。

 

「理想は違っても、喧嘩する気はないよ。

だって──」

 

振り返る。

 

「親友だから」

 

神凪は顔を背けた。

 

「それにしては軽いね」

 

九十九は手をひらひら振りながら歩き出す。

 

「じゃ、帰ろ。晩ごはん奢って」

 

「なぜ私が?」

 

「親友でしょ?」

 

神凪はしばらく沈黙し

 

「本当に都合がいいね……安く済ませるよ」

 

九十九の笑みが弾む。

 

歩幅が自然と揃う二人。

理想は交わらない。

未来も真逆。

それでも、互いを認める強さだけは、ずっと同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の深夜の高専。

 

任務帰りの九十九由基は、廊下をふらふら歩いていた。

髪は乱れ、肩にはまだ呪力の余韻が重く残っている。

 

「……くそ。面倒な任務させやがって、しかも何件も…」

 

独り言に近い八つ当たり。

疲労で感情のコントロールが利かない。

 

気づけば足は神凪の部屋の前で止まっていた。

ここ何日か会えてなかった親友に愚痴りに行こうと考えていた。

ノックもせず、勢いでドアを開ける。

 

「神凪ー。ちょっと愚痴らせ…」

 

言いかけて止まる。

 

部屋の中。

机に符を散らしたまま、ベッドの端に背中から倒れ込むように寄りかかった神凪がいた。

顔色は悪く、額には少し汗が出ている。

 

「…今は勘弁してくれないかい」

 

声はいつも通り冷たいのに、息は荒い。

 

九十九は眉をひそめる。

 

「アンタも任務帰り?」

 

「……あぁ。四日間だ。休む暇もなかった」

 

その言葉を聞いた途端、九十九の苛立ちはふっと溶けた。

 

「あーあ。バカじゃん。限界までやるなんて」

 

「私の理想の実現のためには、必要なこと」

 

「はいはい。相変わらず生意気だね」

 

九十九は神凪の隣にドスンと座り込む。

 

沈黙。

 

妙に落ち着く空気。

 

眠気が二人をゆっくり包み込んでいく。

 

九十九がぽつりと言う。

 

「…なんかもう、疲れた」

 

神凪は視線だけ九十九に向ける。

 

「……私もだ」

 

「寝たい」

 

「どうぞ」

 

「ここで」

 

「……別にいいよ」

 

もう「なんでそうなるんだい?」と言い返すのも

「自分の部屋に戻りなよ」と注意するのも考えたが、その返答をすること自体に疲れた神凪が投げやりに返答すると、九十九は神凪のベッドに倒れ込む。

 

その姿を見て神凪も立ち上がり、隣に静かに横になる。

 

二人は背中合わせのまま、呼吸だけが重なる。

 

電気が消された暗闇の中。

 

九十九が小さく笑った。

 

「ねぇ神凪」

 

「なんだい?」

 

「私たちさ……二人で任務行くと、いつも楽じゃない?」

 

神凪は瞬きを一度だけして、答えた。

 

「当然だ。君も私も強い、それによく連携が取れる」

 

「そういうのってさ」

 

九十九は布団を引き寄せながら続ける。

 

「相性いいって言うんだよ」

 

神凪の呼吸が止まる。

 

「……術師としての話だろ」

 

「それだけ?」

 

間が落ちる。

 

神凪は少しだけ、九十九の方に体を向ける。

 

「……君といると疲労が減る。任務が楽になる。余計な思考がいらない」

 

九十九は目を閉じたまま微笑む。

 

「それってさ」

 

「何だ」

 

「付き合う理由に十分じゃない?」

 

静寂。

 

期待でも照れでもなくただ事実を確認するような声。

タイミングはとても変で、まず急な展開だが、思考が朧げな2人には関係ない。

任務のストレスやら呪術界からのストレスやらで、九十九は少しでも理解し合えるような相手が欲しかったのもあるかもしれない。

 

神凪は目を閉じる。

 

「……そうかもしれない」

 

九十九は布団越しに彼の背中に触れた。

 

「じゃあさ。今日から私たち、“二人で”進んでみよっか」

 

息が揃う。

互いの理想は違う。

未来も違う。

それでも、この瞬間だけは同じ方向を見ていた。

そして二人は肩が触れる距離のまま眠りに落ちた。

 

目覚めたときにはもう、『ただの同期』ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

休日の昼。

東京・新宿。

 

人混みを避けるように歩きながら、九十九由基はコンビニ袋をぶら下げて言った。

 

「休日にまで訓練って、ほんっと頭おかしいよ」

 

隣で歩く神凪蒼真は、紙袋を抱えている。

 

「これでも神凪家を背負っているんだ。強くならないと」

 

「はいはい。めんどくさいやつでしょそれ」

 

九十九はあくびをしながら携帯を見た。

 

「で。なんで私を呼んだの?」

 

「たまたまだよ。街に出るついでに、君が暇そうだったから」

 

「ナチュラルに失礼!」

 

神凪の答えにツッコミ混じりで返しながらも、九十九の口元はどこか緩んでいる。

 

二人はショッピングモールに入り、なんとなく雑貨店へ。

九十九は面白そうにアクセサリーを手に取る。

 

「これ似合わない?」

 

「何か呪具の代わりにでもする気かい?」

 

「そういう話じゃないんだけど?」

 

神凪は懐から札を無言で差し出した。

 

「これは?」

 

「結界が込められた札だ。呪力がこもってないアクセサリーより役に立つよ」

 

九十九は呆れたように笑った。

 

「ねぇ神凪」

 

「なに?」

 

「今、私とデートしてる自覚ある?」

 

神凪はフリーズする。

 

「……買い物だろ?」

 

「男女二人で」

「休日に」

「街に出て」

「一緒に歩いて」

「雑貨見てる」

 

指を一本ずつ立てながら九十九が言う。

 

「デートだよ」

 

沈黙。

 

神凪はわずかに視線を逸らす。

 

「……否定はしないよ」

 

九十九はふっと笑った。

 

「かわいーじゃんその答え」

 

「かわいくはないよ」

 

「ツンデレ発動」

 

「違う」

 

そのままフードコートに移動し、

神凪はざる蕎麦、九十九はハンバーガーを選んだ。

 

席に着くと九十九が手を合わせる。

 

「いただきまーす。彼氏くん」

 

「なんて呼び方をするんだ」

 

「でも事実でしょ?」

 

神凪はそばを啜りながら答える。

 

「…まぁ任務に行くより、ストレスが少ない」

 

九十九は一瞬だけ固まり、頬がわずかに赤くなる。

 

「あはは、それ褒め言葉として受け取っておくね」

 

「構わないよ」

 

九十九は笑みを零した。

 

「じゃあさ、またデートしよ?」

 

神凪は食事を置き、真っ直ぐに答える。

 

「予定が空いていれば、同行しよう」

 

「同行て。ロボットかよ」

 

「違う」

 

「はいはい。彼氏くん、またよろしく」

 

「……あぁ……あとその呼び方はやめてくれ」

 

「それじゃあ旦那様」

 

「それはもっとダメだろう!」

 

店内の喧騒の中、二人の声だけが穏やかだった。

 

特別でも普通でもない──ただ隣にいる。

その時間が心地よかった。

それだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四年の夏。

風が高専の敷地を撫でる。

高専四年生となった九十九は任務帰りの眠たげな目をこすりながら、校舎前で待っていた。

 

「蒼真遅いな。今日は一緒にご飯行くって言ったでしょ」

 

その時、

 

「九十九、ちょっといいか?」

 

担任の教師が九十九を呼び出した。

 

首を傾げながらもついていき、

教室に入ると教師は開口一番に

 

「単刀直入に言うぞ、先ほど非術師30名死亡。

と言う報告が入った。

原因は術師によるもの、犯人は──神凪だ」

 

その言葉が耳に届いた瞬間、九十九の思考は止まる。そして呆然と立ち尽くしていた。

 

「は?」

「………何言ってんの…は?…」

 

「事実だ。任務中、避難が遅れた非術師を殺したらしい」

 

「……嘘でしょ。だって、蒼真が…いくらなんでもそんないきなり」

 

九十九が言い切る前に教師は続ける。

 

「“下等種族”と非術師に向かって言ってたらしい。

“非術師は術師の邪魔になるべきではない”とも言っている」

 

喉が凍りつく。

 

それはかつて神凪が語っていたことだった。

最近は大人しかったが、彼は決して非術師に対しての考え方を改めていたわけではなかったのだ。

 

 

 

 

〜隔離部屋前〜

 

九十九は制止を振り切って走り、重い扉の前に辿り着く。

中には拘束具を付けられ、静かに座る神凪蒼真。

 

「……蒼真」

 

九十九の声に、神凪はゆっくり顔を上げた。

 

その眼は、見知った優しさも気怠さもない。

ただ、底冷えするほど澄んだ“確信”だけがあった。

 

「来たのか、由基」

 

「理由は?事故?ミス?…違うって言いなよ」

 

神凪は微笑んだ。

恋人に向けるような、穏やかな、しかし残酷な笑みで。

 

「邪魔だっただけだよあれらは。

私の描く“術師の世界”に、あの下等種族は不要だろう」

 

九十九は息を呑む。

 

「……ふざけないで。あなたはそんな人じゃ」

 

「違わない。最初からだよ、由基。私は“特別”で、あれらは“下”だ」

 

言葉が突き刺さる。

 

「じゃあ私との時間は?一緒に寝て、笑って、デートして……あれは全部嘘?」

 

少しだけ、ほんの一瞬だけ、神凪の表情が揺れた。

しかし少し目を伏せて、静かに言う。

 

「それは嘘ではないよ。君は術師だからね、一緒に過ごしても不快にならない」

 

九十九の拳が震える。

今の神凪の言葉からは、打算的な思いしか感じられなかったからだ。

 

「……最低だよ、蒼真」

 

「…そうかもしれない。だけど楽しかったのは事実だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神凪が隔離されてから三日。

神凪は実家に移送されてしまった。

高専は異様な空気に包まれていた。

重苦しく、誰もが口を閉ざし、足音すら遠慮するような沈黙。

 

そんな中、九十九は屋上で一人、風に髪を揺らしていた。

 

考えても答えの出ない問いだけが、胸に渦巻いていた。

 

──蒼真は、なぜあんな考えになったのか?

──私との時間は本物だったのか?

──止められたはずじゃないのか?

 

その時、九十九の後ろに教師が姿を見せる。

表情はいつになく険しい。

 

「九十九……話がある」

 

嫌な予感が骨の奥を凍らせた。

 

「神凪家が壊滅した」

 

教師からの発言を聞いた九十九は息を忘れた。

自然と脳が拒否をしたいくなるような、そんな内容。

ざわつく胸や頭を必死に動かして九十九が出した言葉は、神凪が捕まった時と同じ言葉。

 

「……は?」

 

そんな九十九を他所に淡々と続ける。

 

「屋敷にいた一族60名が全員殺害された。逃げた者も、生存者もいない」

 

風の音すら止まった気がした。

 

「っ!……は、犯人は?」

 

九十九は聞いた。

脳裏に最悪な答えが出ていたがそれでもほんの僅かな希望に縋るように──蒼真が無関係であることを祈るように

 

だが教師は短く答える。

 

「神凪蒼真だ」

 

九十九の足元が揺れる。

僅かな希望は打ち砕かれるがまだ九十九は納得できなかった。

 

「嘘でしょ……だって、蒼真は拘束されて……!」

 

「拘束具を破壊し、見張りを殺し、そのまま脱走した。

そして家にいた一族全てを…」

 

九十九は唇を噛む。

 

「……なんで。なんでそんなこと……」

 

教師は目を伏せる。

 

「神凪家の軟禁と処分方針が決まっていた。一生、外に出られない形でな」

 

その言葉で九十九は悟る。

 

蒼真にとって神凪家はもはや“邪魔”だったのだ。

膝が崩れ、九十九はその場に座り込む。

胸が痛い。苦しい。

怒りでも悲しみでもない、名もない空洞。

 

「……本当に行っちゃったんだね、蒼真」

 

かつて隣で眠った背中。

任務帰りに並んで歩いた影。

未来を語り合った声。

全部が一瞬で遠ざかっていく感覚になる。

 

そんな九十九を見ながらも、教師は続ける。

 

「今後、蒼真は正式に“呪詛師”として認定される。

 いずれ、誰かが討つことになるだろう」

 

その日、九十九由基は初めて知ることになる。

理想が違うだけで、人はこんなにも遠くへ行けるのだと。

神凪蒼真は堕ちた。

もう、二人が同じ未来を見ることもお互いが隣り合って歩くこともない。

九十九は心の中で静かに、そして激しく泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の夕暮れ。

沈む陽が赤く世界を染める。

 

九十九は胸のざわつきを押さえながら歩いていた。

 

「(もしかしたら)」

 

そんな馬鹿みたいな希望を、まだ捨てられずに。

 

校舎の屋上、清水のような舞台。

滅多に人が来ない、二人がよく過ごした場所。

そしてそこに、本当にいた。

 

こちらに背を向けて風に髪を揺らしながら立つ神凪蒼真。

 

九十九は息を飲む。

 

「……蒼真」

 

その声に、神凪はわずかに肩を震わせて振り向いた。

驚きの色が一瞬だけ浮かぶ。

 

「由基……どうして」

 

九十九は歩み寄る。

 

「戻ってきて。自首して、ちゃんと償って……やり直せる。まだ間に合う」

 

神凪は静かに九十九を見つめる。

 

その眼は、かつて見た優しさとは違う。

燃えている。確信と野心で。

 

「間に合わないよ。もう始まっている」

 

九十九は首を振る。

 

「そんな世界、誰も救われない。君の理想はただの支配で、虐殺で──」

 

神凪は遮るように言った。

 

「救う必要はない。

 弱者は淘汰される。

 術師こそが世界を導くべき存在だ」

 

九十九は声を荒げる。

 

「それが本気で言ってるなら……私が止める!」

 

一瞬、風が止まった。

 

そして神凪は微笑む。寂しさと決意が混ざった笑み。

 

「できるものなら。

でも、邪魔をするなら術師だろうと容赦はしない」

 

九十九の心臓が強く鳴る。

 

「……私にも?」

 

神凪は迷いなく答えた。

 

「君でもだ、由基。私は世界を変える。そのために行動する」

 

神凪が背を向けた瞬間。

九十九は思わず駆け寄って、その手を掴んだ。

 

「行かせない!本気でそんな未来を作ろうとしてるなら!」

 

声は震え、涙はこらえていた。

だが神凪は歩みを止める。

 

ゆっくりと振り返り、九十九の手を見つめる。

 

そして、

 

神凪がその手を掴み返した。

 

指が絡む。力がこもる。

拒絶でも排除でもない。ただ確かな接触。

 

「……蒼真?」

 

次の瞬間、神凪は九十九の手を自分の胸元まで引き寄せた。

 

心臓の鼓動が触れる距離。

温度が伝わる距離。

 

そして、静かに言う。

 

「殺したいなら殺せばいい」

 

九十九の瞳が大きく揺れた。

 

「……何言って……」

 

神凪は一歩近づき、目を逸らさず続ける。

 

「そうすればいい。

君が望んでいない未来を作ろうとしている“私”が消える」

 

その言葉は、自嘲でも挑発でもなかった。

ただ「事実」を告げるような声だった。

 

九十九は唇を震わせる。

 

「……自分で言ってる意味、わかってるの?」

 

神凪は静かに頷く。

 

「わかっている。

私が進めば、争いが生まれる。血が流れる。多くの者は死に絶えるかもしれない。

君の理想とは真逆になる」

 

九十九は掴まれた手を強く握り返す。

 

「だったらやめればいいじゃないか! そんな未来!」

 

神凪は微笑んだ。悲しいほど穏やかに。

 

「やめられない。私は“術師の世界”を作るために生まれた。そう思っている」

 

九十九の視界が滲む。

 

「……そんなの、勝手な思い込みだよ」

 

神凪は首を振る。

 

「違う。“確信”だ」

 

そして、ゆっくりと言葉を落とす。

 

「だから殺すなら今だ、由基」

 

胸元に置かれた九十九の手を、神凪はさらに押し当てる。

 

「君ならできる。今この瞬間、私を止められるのは君だけだ」

 

九十九は震えながら言う。

 

「……できるわけない。

だって、私は……まだ…」

 

言葉の続きを、神凪は聞かない。

そっと九十九の手を離し、背を向ける。

 

「なら、このまま行かせてもらう」

 

歩き出す足取りは迷いがなかった。

九十九は叫べない。追えない。

ただ胸元に残った温もりだけが、残酷に証明していた。

 

 

 

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