誤字報告ありがとうございます。
自分でも気づかない細かいところまで読んだいてくれてるのだと思い、嬉しいです。
土蜘蛛の八つの眼がゆっくりと細められた。
長い脚が石床を擦り低い音が響く。
その視線の先に立つのは神凪蒼真。
だがその瞳に宿るものは別のものだった。
「久しぶりだな神凪…いや、羂索と呼んだほうがいいか?」
土蜘蛛は愉快そうに笑う。
巨大な牙の隙間から毒の滴が落ち、石床を黒く焦がした。
「おや、聞いてたのかい」
「聞こえただけだ」
「まさか肉体に乗り移る呪詛師が使っているとはな」
羂索は小さく肩をすくめた。
「まぁ何かと便利だからね」
彼は懐から5枚の札を取り出す。
白い紙に刻まれた符号が、ゆっくりと赤く発光する。
ボウッ!
空気が爆ぜた。
【火符
5枚の札が一直線に並び、そこから巨大な火柱が噴き出す。
炎は蛇のようにうねり、土蜘蛛へと襲いかかった。
だが地面が沈む。
ズズズッ
土蜘蛛の巨体がそのまま地面の中へと潜り込んだ。
炎は空を焼くだけで、標的を捉えない。
羂索はわずかに眉を上げた。
「なるほど。地中移動か」
その瞬間。
ズドン!!
羂索の足元の床が爆ぜた。
巨大な脚が地面から飛び出す。
「遅いぞ羂索」
土蜘蛛の顎が羂索の首を噛み砕こうと迫る。
だが羂索の体が崩れた。
紙のように。
「分身か」
土蜘蛛が舌打ちする。
羂索はいつのまにか分身と入れ替わっていたようだ。
「正解」
背後で羂索の声が響き、振り向いた瞬間。
無数の札が宙に広がった。
まるで雪のようにくるそれは紙から金属へと変貌する。
【金符・
パチン。
指が鳴る。
数十枚の札から鋭い金属の刃が飛び出す。
空気を裂きながら、土蜘蛛の脚へと殺到した。
ガギィィィィン!!
しかし硬い。
刃は弾かれ、火花が散った。
「こんなの効くか」
土蜘蛛が嗤う。
「俺の外殻は並の呪具でも破れん」
羂索は静かに頷いた。
「そうだろうね」
さらに札を取り出す。
今度も色が違う。
「ならばこう言うのはどうかな?」
十枚の札が円を描く。
【木符・
ドゴォォン!!
床が割れ、巨大な木の根が地面から噴き出し、土蜘蛛の脚へと絡みつく。
だが。
ブチブチブチッ!!
一瞬で引き千切られる。
特級呪霊というのもあるが、蜘蛛自体の筋力の特性も相まって素の状態でも土蜘蛛の力は圧倒的だった。
「こんな小細工で俺を止められると思ったか?」
その口元が歪む。
同時に空間が震えた。
シュルルルル
無数の糸が空中に広がる。
見えないほど細い。わずかな光が当たってきらめく綺麗な光景だが、そんな優しいものではない。
呪力が宿っている糸が一斉に引き絞られた。
ズバン!!
羂索の体が、斬り裂かれる。
……はずだった。
「残念」
また紙が舞った。
分身。
羂索の本体は少し離れた場所に立っていた。
「面倒だな!」
土蜘蛛は忌々しげに舌打ちをする。
目の前の相手が逃げてばかりで苛ついている。
「なるほど、糸ねぇ」
対する羂索は楽しそうに笑う。
空中を見上げて張り巡らされている糸を確認する。
「しかも結界のように空間を張るタイプ」
土蜘蛛の脚がゆっくり動く。
「貴様の札など全部裂いてやる」
羂索は小さくため息をついた。
「やれやれ」
彼は新しい札を取り出す。
バチン!!
札が弾けてそこから巨大な呪霊が現れる。
羂索の唇が吊り上がる。
「土蜘蛛」
その瞳が狂気に染まる。
「さっきは楽しめなかったから、今はすごく楽しい呪い合いだよ」
土蜘蛛の脚が地面を叩いた。
殺してやりたい相手から馬鹿にされているように思えるが、相手の目はそう言うわけではない。
だからこそもどかしいような怒りが土蜘蛛を支配していた。
「だったら冥土の土産にその気持ちを持っていけばいい!」
地面が割れ、薨星宮の空気が変わる。
土蜘蛛の八つの眼がゆっくりと開かれた。
「小細工ばかりの術師よ」
低い声が洞窟のように響く。
「ならば逃げ場のない場所で遊んでやろう」
巨大な脚が地面へ叩きつけられる。
ドンッ!!
岩盤が崩れ、薨星宮の床が沈み込む。
羂索の足元が大きく傾いた。
「……(領域か)」
羂索はわずかに目を細める。
「領域展開」
解縛印のように両手を合わせ、人差し指を突き出して交差させる。
【
周囲の景色が崩壊する。
薨星宮が巨大な地下空洞へと変貌した。
天井。
壁。
地面。
すべてが蜘蛛の巣で、無数の糸が空間を埋め尽くしている。
その一本一本に濃密な呪力が感じられた。
土蜘蛛の声が響く。
「逃げ場はない」
瞬間。
シュルルルルルル!!
糸が襲いかかる。
四方八方から。
羂索の腕、脚、首へと絡みつこうと襲いかかる。
糸にはうっすらと紫色に光る部分も見え、毒が塗られているのがわかった。
おそらく触れただけで体を侵していく毒だろう。
普通の術師なら一瞬で痙攣、または即死の毒。
だが羂索の瞳は揺れない。
「……なるほど」
彼は静かに息を吐いた。
【落花の情】
羂索の体の周囲に呪力の膜が張られる。
糸が触れた瞬間、弾け飛んだ。
必中効果が作動した瞬間に反射的に呪力をぶつけて弾く。
しかし糸は止まらない。
次から次へと、降り注ぐ。
「……ほう」
土蜘蛛が愉快そうに笑う。
「それが対領域技術か」
土蜘蛛はさらに呪力が流れ込む。
蜘蛛の糸が太くなり、強靭となって襲いかかる。
ギシギシギシ……
強度が増していく。
落花の情では弾ききれない。
羂索は舌打ちした。
想定以上の領域の効果で羂索も
「面倒だな(伊達に平安の世で恐れられた呪霊じゃないってことか)」
大嶽丸や両面宿儺ほどではないにしろ、呪術全盛期の平安、しかも都でその力を恐れられていた存在が弱いはずもなかった。
だが羂索も平安から時代を巡って生きていた術師。
対領域のための手段はこれだけではない。
【
羂索を包むような結界が生まれた。
シン陰流の元となった古い結界術。
土蜘蛛の脚が止まる。
「ほう」
八つの目が細められる。
「その技……」
低く笑う。
「そんなものがあったとはな…」
羂索の口元がわずかに歪む。
「君が封印された後に普及してきた技だからね」
彼は肩を回す。
「何せ」
無数の蜘蛛の巣。
毒。
拘束。
完全な捕食領域。
「その時代に生きていたからね」
土蜘蛛の目が光る。
次の瞬間。
領域の糸が一斉に震えた。
シュルルルルル!!
数千本の糸が、同時に締め上げる。
彌虚葛籠の結界が軋む。
ビキ……ビキ……
ヒビが入る。
羂索の目がわずかに細まる。
「なるほど」
小さく笑う。
「力任せか」
蜘蛛の糸にさらに呪力が流れ込む。
強度が上がり、結界が潰れる。
「領域の出力は素晴らしいね」
羂索は静かに札を取り出した。
十枚。
二十枚。
三十枚。
「だが」
札が宙に広がる。
五行の符。
木、火、土、金、水。
「私も準備はしている」
彼の指がゆっくりと重なった。
「さて」
口元が歪む。
「どちらが先に潰れるかな」
蜘蛛の巣が、さらに締め上がる。
土蜘蛛が嗤った。
「決まっている……獲物だ」
蜘蛛の巣が締め上がる。
彌虚葛籠の結界が悲鳴を上げる。
数千本の糸。
その一本一本に流れ込む土蜘蛛の呪力。
「潰れるぞ」
土蜘蛛が嗤う。
「その結界は長くは持たない」
羂索は答えない。
ただ札を取り出し続けていた。
一枚。
二枚。
十枚。
二十枚。
三十枚。
札が宙を舞う。
止まらない。
四十。
五十。
六十。
札が空間を埋めていく。
土蜘蛛の八つの目がわずかに細くなる。
「……何をしている」
羂索は、ふっと笑った。
「言っただろう?」
指を鳴らす。
札が円を描いた。
「私は準備していると」
次の瞬間。
札が一斉に光る。
【
札が空間を覆う。
無数の符が天井のように並び、
五行の呪力が循環する。
それぞれの札が術式を発動し、土蜘蛛の領域と衝突した。
領域同士の押し合いではなく、領域と術式の押し合い。
土蜘蛛の脚が地面を抉る。
「ぐっ……」
蜘蛛の巣が締め上がる。
糸がさらに太くなる。
だが羂索の札は止まらない。
数百枚の札を空中に展開し、巨大な五芒陣を形成する。
陣が完成すると、五行が同時に発動。
木の札は巨大な樹木や蔦が敵を拘束、そのまま火の札が火炎の奔流で樹木や蔦ごと燃やす。
その中で助かっても、土の札は地割れ・岩槍で攻撃していき、金の札は金属の刃などの雨を振らせ、
水の札が濁流や水牢を引き起こす。
五行が相生循環して威力が増幅する。
つまり終わらない連続攻撃陣。
「別に相手の領域内で、自分の術式が使えないわけではないからね」
羂索の声が静かに響く。
「領域も時には、領域以外に負けることもある」
札がさらに輝き
「操符呪法はね」
五行が循環する。
「符の量」
さらに一層。
「符の質」
蜘蛛の巣が裂ける。
ビリッ。
「そして──」
羂索が笑った。
「準備だ」
次の瞬間。
領域が押し潰された。
ドゴォォォン!!
蜘蛛の巣が崩壊する。
土牢蛛界が歪む。
天井の糸が裂け、地面が崩れる。
土蜘蛛の八つの目が見開かれた。
「な……」
領域が砕けた。それはすなわち──術式が焼き切れる。
羂索はゆっくり歩いた。
「領域展開の直後」
淡々とした声。
「術式はしばらく使えない」
土蜘蛛が牙を剥く。
「ぐ……」
だが糸は出ない。
毒も出ない。
地中移動も。
すべて封じられている。
ただ己の身体能力だけで戦うしかない。
だが、並の相手ならまだしも、今目の前にいる羂索は確実に指折りの術師。
つまり土蜘蛛はほぼ詰みの状態だった。
「さて」
羂索が札を取り出した。
「終わりだ」
札が舞い、変化する。
五行の力を持った式神となって土蜘蛛に襲いかかる。
轟。
最初は回避や撃退していた土蜘蛛だが、どんどん出てくる式神に対処がしきれなくなり、土蜘蛛の巨体が吹き飛ぶ。
結界の壁に叩きつけられた。
土蜘蛛の体は外殻が割れ、
毒が地面に流れ、脚が何本も折れている。
八つの目のうち三つが潰れていた。
羂索がゆっくり近づく。
「悪くなかったよ」
静かな声。
「油断はできなかった。」
笑う。
土蜘蛛が血を吐く。
だがその目はまだ死んでいない。
「…おのれ……」
低い声。悔しさや憎しみに歯を食いしばり、なおも羂索を睨みつける。
重傷を負ってなければ、土蜘蛛は即座に羂索の首を掻っ切っていただろう。
羂索は感心したように呟く。
「さすがは土蜘蛛。まだそんな気があるんだ」
「やっぱり少し勿体ない」
袖から札を取り出す。
一枚。
墨で書かれた式が複雑に絡み合っている。
「君ほどの存在をただ殺すのはね」
呪力が流れ込む。
空間にさらに数十枚の札が展開される。
「真人の時は1枚くらいで良かったけど、今の君はまだまだ油断できないからこれくらいでいくよ」
そう言いながら神凪が出した札は円を描くように並び、土蜘蛛を囲んだ。
「……まさか!?」
土蜘蛛が唸る。
そう、この感覚は前に体験したことがある。
土蜘蛛にとっては忘れられない苦く、屈辱的な記憶。
それを察した羂索は微笑みながら淡々と言った。
「調伏だ」
次の瞬間札が一斉に落ちる。
バンッ!
土蜘蛛の体へ貼り付いた。
「ぐ……っ!」
土蜘蛛が暴れる。
岩盤が砕ける。
だが札は剥がれない。
むしろ呪力が吸われていく。
「この符はね」
羂索が説明する。
「呪霊を調伏するためのものだ」
さらに手をかざす。
追加の符。
十枚。
二十枚。
「弱らせてから使うほうがとても効果がある」
土蜘蛛の体が震える。
呪力が拘束されていく。
「……貴様……!」
「今回はちょうど良かった」
羂索が微笑む。
「弱っている」
土蜘蛛の体が潰れるように縮んだ。
巨大な体が一枚の札へとへと変換されていく。
「ぐ……!」
最後の抵抗。
土蜘蛛の牙が地面を砕く。
蜘蛛の顎が大きく口を開いて噛みつこうとする。
──だがもう遅い。
「ガァぁァァァァァァ!!」
符が閉じるように土蜘蛛の体はそこに収められた。
札はそのまま羂索の手元に飛んでくる。
「これはいい」
札から感じる禍々しい力を見て羂索は笑い、袖の中へしまう。
「あとは天元だな」
羂索は周囲を見渡した。
だが誰もいなかった。
気配も感じない。呪力も感じない。
「……逃げられた?」
羂索はてっきり土蜘蛛戦の中で隙を狙って攻撃してくるものだと思っていた。
だが一向に攻撃が来ず、さらに言えば土蜘蛛との戦いが終わったあとは、わざと隙を作っていた部分もある。
そんな中、羂索は何かに気づいて舌打ちをする。
「なるほどね、隠したか……」
実は、天元は土蜘蛛が現れた時には結界の準備をしていた。
天元の結界は守るよりも隠すことに重点を置いている部分がある。
土蜘蛛がこちらを見てから神凪を見た隙に結界を作り出し、それによって土蜘蛛の意識は自然と羂索に向けられるようになった。
戦いの中で羂索を追撃するかなどの案も出たが、先ほど羂索と戦った時の感覚でそれはやめた方がいいと言うことになり、そのまま全員退避したのだ。
「…全く、相変わらずやり方が狡いというか、うざったるいというか…」
「これでは計画が少し遅れてしまう」
羂索は不機嫌そうにも薨星宮を後にした。
自身の計画には天元は必要不可欠。何がなんでも天元を追いかけなければならない。
羂索は決して焦りは見せずに、ただ自身の“面白そう”な事のために、手に入れた札を指で回しながら、進んでいくのであった。