重い瞼をゆっくりと開く。
視界に入ったのは、古びた木の天井。
硝子は頭を振ろうとしたが、それすらままならなかった。
「(……!)」
両手首と足首に強く何かが食い込んでいる。
視線を落とせば、しっかりと拘束された自分の姿があった。
「……なに、これ」
状況を理解しようとするが、頭がまだぼんやりしている。
だがすぐに足音が近づいてきた。
扉が開き、静かな気配が室内に満ちる。
「目が覚めたみたいだね」
柔らかい声が響く。
硝子が顔を上げると、ぼやけた視界が開けてくる。そこには二人の人物が立っていた。
一人は禪院真依。
もう一人は──神凪蒼真
「…あんた、確か...」
硝子が低い声で問うと男はくすくすと笑う。
「久しぶり、と言っておこうか。家入硝子」
「……」
死んだはずの神凪が目の前にいるのにも気になったが、それ以上に硝子の目を引いたのは真依の表情だった。
自分のことをよく思っていないとわかる視線。
だが硝子はそれよりも先に思ったことは
「…なんで、真依がここにいる?」
不吉な予感が胸を締め付ける。
神凪が笑みを深めた。
「気になるよねぇ。種明かしをしようか」
「実はね、彼女が高専の“内通者”なんだ」
硝子は内心舌打ちした。
硝子も五条からは内通者の話を聞いていた。
そして先輩である歌姫の調査で、2人いる可能性が出てきて、1人は上層部の人間。1人は京都校のメカ丸だと聞いていた。
だが、内通者は3人いたと言うことだ。完璧にみんなが見破れなかった存在。
「嘘…じゃなさそうだね」
神凪が優雅に手を広げる。
「そうだよ。ちなみに、君をここに連れてくる役目も彼女が一役買っていたんだ」
硝子は真依を睨みつけた。
真依は口を閉ざしたまま硝子を見下ろす。
「……真依、どういうこと?」
神凪は満足そうに微笑む。
「まぁまぁ焦らないで。 これから君に“とても大切なこと”を話そうと思っていたところなんだ」
その言葉に、硝子の背筋が冷たくなる。
大抵こういうやつの言う“大切なこと”は自分たちにとってはとても不利なもの。
だが負けてはいられない硝子は睨みつける。
だが神凪は微笑むだけで、怯む様子もない。
神凪は優雅に言葉を紡ぐ。
「君をここに連れてきた理由……それは、龍山千鬼を封じるためさ」
それを聞いた瞬間、硝子の胸がざわめいた。
「……封印?」
「……まさか」
「そのまさかさ」
神凪はゆっくりと微笑む。
「君を、その餌にするってことだ」
硝子は息を呑んだ。
「……っ!」
すぐに状況を理解し、怒りが込み上げる。
「ふざけるな!」
硝子は拘束されたまま叫んだ。
「そんなことで、千鬼が動揺するわけない! こんな安っぽい手に引っかかるような奴じゃない!」
硝子の声は力強かった。
千鬼はそんな甘い男ではない。
彼はどんな状況でも冷静に対処する。
自分が囚われたからといって、感情的に動くような人間じゃない。
そう訴えようとしていた。
「なるほどね……君はそう思っているんだ?」
神凪が、静かに問いかける。
「当たり前だろ!」
瞬間、神凪の目が細められた。
その瞳は深く、硝子を見透かすようだった。
「けれど……」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「龍山千鬼は、君の夫だろう?」
硝子の呼吸が止まる。
「……っ」
硝子はまずなんで神凪がそれを知っているのか疑問に思ったが、隣にいる真依を見てすぐに理解する。
「君のことを愛しているはずだ」
空気が凍りつき、硝子は思わず息を呑む。
神凪は微笑みを崩さず、確信を込めて言う。
「夫が、最愛の妻を攫われて冷静でいられると?」
硝子は、必死に否定しようとした。
だが、言葉が出てこなかった。
「(…くそっ)」
硝子は歯を食いしばった。
悔しい。たが神凪の言葉を完全に否定できない自分がいる。
“千鬼は必ず来る”
その確信があるからこそ、今、硝子は神凪を睨みつけることしかできなかった。
「……」
何も言い返せない硝子を見て、神凪は満足げに微笑んだ。
「やはり、そういうことか」
硝子は奥歯を噛み締める。
「……お前」
「さて、準備は整った」
神凪は悠々と振り返る。
「計画を進めるとしよう」
硝子はただ静かに拳を握りしめた。
※
重苦しい沈黙が、部屋を支配していた。
窓はなく、灯りは薄暗い。
高専の医務室にあるような消毒の匂いではなく、湿っぽい空気が肌にまとわりつく。
硝子は冷たく拘束されたまま、静かに息を整えていた。
神凪が去ってからどれくらい時間が経ったのか。
足音が近づく。
「……」
部屋の扉が開く。
ギィィィ…という音と共に、入ってきたのは真依だった。
「…あんたか」
硝子は皮肉げに言う。
「今さら様子見ってわけでもないだろ?」
真依は硝子の前で立ち止まり、じっと見つめた。
何かを言いたげな表情だ。
やがて、ぽつりと呟く。
「……なんで私が裏切ったか、知りたい?」
硝子は目を細める。
「知りたいね」
皮肉混じりに言葉を返した。
「なんで私達を裏切って、内通者になったのか」
真依の視線が少し鋭くなる。
その瞳には憎悪と渇望が入り混じっていた。
やがて静かな声で告げる。
「私は千鬼先生を愛しているの」
硝子の呼吸が止まった。
「……は?」
「驚いた?」
真依は笑わなかった。
ただ寂しそうに目を伏せる。
「小さい頃から、私は禪院家で酷い扱いを受けてた。どうにもならない。価値もない。真希もいなくなった。誰も助けてくれない」
淡々とした語り口。
だが、その言葉には深く沈んだ絶望が滲んでいる。
「そんな時……千鬼先生が現れた」
硝子は息をのんだ。
「私を救ってくれたの」
真依の声がわずかに震えた。
「初めてだった。私を『個人』として見てくれた人。術師としての才能があろうがなかろうが、どうでもいいって言ってくれた」
その時のことを思い出しているのか、真依の視線は遠くを彷徨う。
「だから、千鬼先生の一番になりたかった」
淡々とした口調だった。
だがその一言には強い執着が滲んでいた。
「…でも」
真依の目が硝子を見据える。
「高専に入学したら……もう遅かった」
「……」
「千鬼先生は、あんたと結婚してた」
硝子は何も言えなかった。
真依は目を伏せて微笑んだ。
「バカみたいでしょ? でも……どうしようもなかった」
苦笑しながら、呟くように言葉を紡ぐ。
「それからは……もう、何をやっても遅いんだって思った。千鬼先生はあんたを選んで、あんたと一緒にいる。それが変えられないなら、せめて……」
言葉を切る。
そして、ゆっくりと、静かに告げた。
「せめてあんたがいなければ……」
硝子の心臓が、嫌な音を立てる。
「そんな時だった」
真依の声が落ち着いていたのが、余計に恐ろしかった。
「神凪に会ったのは」
「……」
「『邪魔者を消して、さらに千鬼を手に入れられる方法がある』みたいなことを言われたの」
静寂が落ちる。
「……それで乗ったのか」
硝子は、静かに問いかけた。
「ええそうよ」
真依は、何の迷いもなく頷いた。
「神凪はあんたを餌にすれば、千鬼先生が動くって言った。だったら私はそれを利用する」
硝子の視線が鋭くなる。
「……本気で言ってんの?」
「ええ、本気よ」
真依は、怯むことなく硝子を見つめ返す。
「これは私の望みでもあるから」
「……っ」
硝子は奥歯を噛み締めた。
真依の目は本気だ。もうどんな手段を使っても、千鬼を手に入れようとしている。
睨みつけてくる硝子の前で、真依はゆっくりと手をかざした。
彼女の手の上には、一つの指輪が乗っている。
銀色をベースにしているはずなのに、なぜか闇のように深い光を宿していた。
「……何それ」
硝子は警戒しながら尋ねる。
真依は指輪を弄びながら、静かに口を開いた。
「これは【永想の指輪】。はめた者に『偽りの赤い糸』を結びつける呪具よ」
「……」
硝子の眉がわずかに動く。
「簡単に言えば、これをつけた人間は私と強い縁を感じる。理屈抜きで、私に愛情を抱くようになる」
真依は、指輪を硝子の目の前にかざした。
「……そんなものがあるのか」
硝子はさらに眉をひそめ目を見開いた。
「あるわよ。ただし、いくつかデメリットもあるの」
真依は笑みを浮かべた。
「この指輪はね、つけた本人が『本当に愛する人』と手を繋ぐと、赤い糸が消えて指輪が砕けるの」
「……」
「だから、決して『本物の愛』を思い出させてはいけない」
真依の指が、指輪をなぞる。
「それにこの指輪は精神が弱っている者にしか作用しない」
「……精神が弱っている者?」
硝子が訊ねると、真依は薄く笑った。
「そう。だから千鬼先生が無傷の状態では、効果がない」
「…それで?」
硝子は、冷え切った声で真依を睨みつけた。
「何が言いたい?」
真依は指輪を握りしめながら静かに言った。
「家入硝子、あなたを消せば千鬼先生...いえ、千鬼さんは必ず動揺する」
その言葉に、硝子の胸が冷たい怒りで満たされる。
「その隙をついて、この指輪をはめる」
真依はゆっくりと陶酔したような微笑みを浮かべる。
「そうすれば、私と千鬼先生は結ばれる」
「……ふざけるな」
硝子の声が震えた。
「千鬼が……そんなものに騙されるわけないだろう!」
「いいえ、騙されるわ」
真依は確信に満ちた口調で言った。
「あなたがいなくなれば、彼は絶望する。精神的に追い詰められれば、指輪の呪いは簡単に作用するわ」
「……っ!」
「千鬼さんが私を愛するようになればそれでいい」
真依は、勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「あなたはもう死んでいるんだから、解除される心配もない」
硝子の中で、怒りが爆発する。
「……ふざけるな!!」
叫びながら、椅子ごと体を揺さぶった。
「お前…そんな安っぽい呪具で、千鬼の心をどうこうできると思ってんの!」
真依は余裕の笑みを浮かべたまま、冷たい目で硝子を見下ろす。
そして硝子の顎を掴んで顔を近づける。
「それも一理あるけど、でも試す価値はあるでしょう?」
「このクソガキが……!!」
硝子は罵声を浴びせ、今にも噛み付くような勢いだが、真依の表情は変わらない。
むしろ自身の恋敵が激昂しているのを見て、優越を感じている様子だった。
「せいぜい、残りの時間を楽しんで」
「家入硝子さん」
それだけ言い残し、ニヤッと笑みを浮かべて真依は部屋を出て行った。
扉が閉まる音が響く。
硝子は、ギリッと歯を噛み締めた。
「……っ、こんなことで…負けるか…!」
悔しさと怒りを噛み殺しながら、彼女は必死に状況を打開する策を模索し始めた。
だがこの真依の計画の結果は半分成功、半分失敗と言うことで終わるのだった。
※
〜博多港〜
潮の匂いが風に乗って流れてくる。
遠くで波の音が規則的に打ち付けていた。
死滅回游のせいか、人の姿はほぼない。
真依はベンチに腰掛け、足を軽く揺らしていた。
指先で無意識に触れているのは、懐に忍ばせた小さなある物、天岩戸。
「……もうすぐね」
ぽつりと呟く。
頭の中では、これからの未来が何度も繰り返されていた。
──千鬼が目を覚ます。
──自分のことを見る。
──名前を呼ぶ。
『真依』
その声は、いつもより少しだけ柔らかくて。
『そばにいてくれ』
そんなことを言うはずがない人が、当たり前のようにそう言う。
「……ふふ」
思わず笑みが零れる。
隣に並んで歩く。
何でもない会話をする。
自分だけを見てくれる。
ここから出れば、もう硝子はいない。
邪魔するものは何もない。
「やっと……私も…」
選ばれる側になれる。
その瞬間だった。
「楽しそうだね」
声が現実に引き戻してきた。
真依の思考が一瞬で途切れる。
この声は、間違えるはずがない。
今一番会いたくもない人物。
真依はゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは
硝子。
その両脇には、真希と加茂。
さっきまで頭の中にあった“未来”が、音を立てて崩れた。
「……あら」
一瞬だけ沈黙した後、真依は肩をすくめる。
「珍しい組み合わせね。傷心旅行でもするの?」
軽口を叩く声はいつも通り。
だが、指先はわずかに強く握られていた。
硝子は何も言わず、まっすぐ真依を見る。
その視線に温度が宿っている。
「真依、今すぐやめろ。こんなこと「うるさいわよ」…っ!…」
被せるように遮る。
真希の言葉を途中で断ち切り、真依は苛立ちを隠さない。
「もうあんたなんかどうでもいいの」
冷たく言い放つ。
「私のことは気にしないで消えてくれない?」
真希を見ていない。
視線は最初から、ずっと硝子だけを捉えている。
「分かってるだろ」
硝子が口を開く。
声は低く、抑えられている。
「千鬼を取り戻しにきたんだよ」
その一言に真依の眉がわずかに動いた。
「……取り戻す?」
くすりと笑う。
「最初から、あんたのものじゃないでしょう」
だがその直後。
硝子が一歩、踏み出した。
「私が迎えに行く。そう千鬼と約束したから」
空気が変わる。
その声にはこれまでとは違う熱があった。
「絶対に、あんたなんかに渡さない」
真依の心臓が一瞬だけ強く脈打つ。
「……は」
小さく笑う。
「まだそんなこと言ってるの?」
ゆっくりと立ち上がる。
「もう終わってるのよ」
懐に手を入れ、天岩戸に触れる。
「千鬼さんは、もう私の──」
「ふざけるな」
硝子の声が遮った。
今までで一番強い声だった。
「お前、自分で何やってるか分かってんのか?」
真依の動きがほんの一瞬止まる。
「人を餌にして、心を壊して、偽物で縛る」
一歩、また一歩と距離を詰める。
「それで“手に入れた”って言えるのか?」
その言葉に空気が張り詰める。
「……言えるわよ」
真依は即答した。
一切の迷いなく。
「結果が全てでしょ?」
銃を抜く。
「どんな形でも、隣にいれればそれでいい」
硝子も構える。
その目はもう迷っていなかった。
「違うね」
静かに言う。
「そんなもん、全部壊れる」
「……」
「千鬼はそんな男じゃないし、第一私が許さない」
「へぇ、試してみればいいじゃない」
銃口を向ける。
「どっちが正しいか」
「せっかくだから、この国を離れる前に不安要素は消しておかないとね」
風が強く吹き抜けた。
波の音が、やけに大きく聞こえる。
同じ男を想い、同じ場所を目指した二人。
だが辿り着いた答えは、あまりにも違っていた。
両者があったこの時、いや、両者が同じ男を好きになっていた時点、その瞬間から、硝子と真依はこうなる運命だったのかもしれない。
イメージCVについてご質問があったので、ここに書きます。
龍山千鬼 cv森田成一
大嶽丸 cv小山力也
がしゃどくろ cv三宅健太
雪女 cv原由美
天逆毎 cv鈴木達央
大百足 cv置鮎 龍太郎
滝夜叉姫 cv悠木碧
土蜘蛛 cv江口拓也
アッコロカムイ cv大塚明夫
影逆鉾 cv梶裕貴
神凪蒼真 cv前野智昭
夜刀神 cv速水奨
となっています。