オズの十戒   作:木ノ宮

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22 僕と同じなんて

 

 ──ぼくは“にんげん”ではないのですか?

 

 

 その疑問を初めて口に出したのはいくつのときだっただろう。

 二歳か、三歳か。物心ついた頃、という月並みな表現が正しい気がする。

 

 壁面を埋め尽くすほどの本棚に囲まれた狭い書斎だった。

 

 その床にぺたりと座り込み、目の前に置いた分厚い本をぺらりとめくった(めぐる)は尋ねた。

 生まれたときから本能的に抱いていた違和感。

 書物で得た知識によって導き出されたその結論を、ふと思いついたように口にしたのだ。

 

 

 ──人間よ。少なくとも私よりは

 

 

 くるりと椅子を回して振り返った廻の創造主は、形のいい唇をわずかに動かし抑揚のない声でそう言った。

 

 能面のような顔をした、冷たい雰囲気の女性だった。

 

 顔立ちは整っているが表情がない。機械じみた口調と動きが、いっそう彼女から人間味というものを奪っているようだった。

 

 

 ──りんねさんも魔法でできているのですか?

 ──いいえ。私は人間の両親から生まれた。二人とももうこの世にはいないけれど

 ──なら、りんねさんは魔法で造られた人間(ホムンクルス)ではありません

 ──前提に認識の齟齬があるようね。魔法で造られた人間(ホムンクルス)の肉体は正しく人間と同じものなの。現実に存在する男女の精子と卵子がもとになっているか、魔法によって架空につくられた遺伝子を持っているかの違いだけ

 

 

 人間の定義に当てはめるならあなたは間違いなく人間よ、と彼女は言った。

 

 

 ──人間の定義?

 ──ドロシーが言っていたの。人間と名のつく生物の条件を。人のかたちをしていること。思考をし言語を使いこなすこと。そして──

 

 

 淡々と話す彼女の、生気のない黒色の瞳がまっすぐに廻をとらえた。

 

 廻と向かい合うためだろう。身体の向きを変えるため再び椅子を回した彼女の、肩より少し短い黒い髪の毛と、普段着のようにしている白衣の裾がわずかに揺れた。

 

 

 ──“心”を持っていること

 

 

 心のない魔法で造られた人間(ホムンクルス)は肉体的には人間であるが、ドロシーの思想を適用するなら正確には人間ではない。

 

 そしてその理屈で言えば、廻は人間で、自分はそうではないということになる。

 

 そう無感情に説明した廻の記憶の中にいる人の名は──小津佐(おづさ)輪廻(りんね)

 

 十六年前。オズの十戒第二条、“魔法で造られた人間(ホムンクルス)を生んではいけない”に背き廻の命を生み出した魔女。

 

 原初の魔女ドロシーに匹敵する天才だと評された、日本人の魔法使いだ。

 

 

 **

 

 

魔法で造られた人間(ホムンクルス)、なのか……!」

 

 影のない真っ白な空間に、廻を見上げて叫んだルクスの声が響き渡る。

 

 大きく見開かれた青い瞳。そこに浮かんだ驚愕の色を見て廻は苦笑した。

 

 無理もない。いま彼の目の前にいるのは、この世に存在してはいけない人間。魔法によってつくられた人工生命体なのだから。

 

「……ありえねぇ。魔法で造られた人間(ホムンクルス)が現実にいることもだが、それ以上に──」

 

 真昼の月のように輝くさらりとした銀髪をわずかに揺らし、ルクスは拳を握りしめる。

 

「お前たちには、()()()()()はずだ……!」

 

 動揺を押し隠したような声で彼は言った。

 

 廻は頷き、右手に持った長杖を両手で持ち直して静かに微笑む。

 

「ルクスくんは、戒律二がどうして存在するのか知ってる?」

 

 尋ねると、ルクスは虚をつかれた顔をした。質問の意図がわからないといった様子だった。

 

「……倫理的にまずいからだろ」

「表向きにはそうだね。けど、本当の理由はもっと単純なんだ。ただドロシーがいやだっただけ。自分以外の魔法使いに魔法で造られた人間(ホムンクルス)をつくってほしくなかったんだよ」

 

 ルクスが目を丸くする。当然の反応だと廻は思う。

 

「“魔法でできないことはない”。それがドロシーの主張であり絶対的な信条だ。魔法は万能。もし魔法を使ってできないことがあるとすれば、それは単に使い手が未熟なだけ。……けど、そんなドロシーにも唯一できないことがあった」

「できないこと……?」

「人の心をつくることだよ」

 

 心を操る魔法は存在する。

 たとえば魅了魔法がそうだ。対象の好意を無理やり引き出し、強制的に自分に惚れさせる効果がある。

 

 だが、それらの魔法はその人間がもともと持つ感情を利用しているだけにすぎない。魔法によって無から心を生み出しているわけではないのだ。

 

「火、水、植物、光。影の概念がない空間。どんなものでも生み出すことのできる魔法が、人間の心を一からつくることはできない。ドロシーにはそれがどうしても許せなかった」

 

 だから彼女は魔法で造られた人間(ホムンクルス)をつくることに躍起になった。

 

 魔法の万能性を証明するために。魔法によってつくられた心を宿す、()()()()()をこの世に誕生させようとしたのだ。

 

「ドロシーはプライドが高いからね。感情を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)の完成を自分以外のだれかが先に成し遂げてしまうことがいやだったんだ。だから十戒の第二条に魔法で造られた人間(ホムンクルス)生成の禁止を定めた」

 

 魔法の権威は主張したい。

 けれど自分より優秀な魔法使いが存在するのは許せない。

 

 子供みたいな人よ、と。

 廻をつくってくれたあの人は、かつてドロシーについてそう語っていた。

 

 

「いまもまだドロシーの願いは叶っていない。彼女自身はまだ心を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)の完成には至っていないんだ」

「ちょっと待て、ならお前は……」

 

 はっとしたような顔でルクスが廻の言葉を遮る。

 彼が言わんとすることを察し、廻は目を細めて答えた。

 

「うん。僕は特別みたいだ」

 

 魔法で造られた人間(ホムンクルス)。生物学上の両親は存在せず、架空の遺伝子によって創造された完全魔法生命体。

 

 文字どおり無から生まれた人間だが、廻にはひとつだけ他の魔法で造られた人間(ホムンクルス)たちと大きく異なる点がある。

 

「僕には心がある。悲しみも喜びも、怒りも、嘆きも。一般的に人間が持つだろうとされる感情を僕もちゃんと持ってる、と思う。……生まれたときからずっと」

 

 心を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)

 

 ドロシーがこだわり続ける人間としての条件を、廻はおそらく満たしている。

 

 裏を返せば、それは原初の魔女が成し得なかったことを成し遂げた魔法使いがいるということだ。

 

「……思い出した。小津佐、オヅサリンネ。オズのイギリス校を首席で卒業した唯一の日本人。それがお前の創造主か」

 

 ルクスの問いかけに廻は頷く。

 するとルクスはわずかにうつむき、はたりと伏せた銀色の睫毛を静かに震わせた。

 

「なら、小津佐輪廻は……」

処刑(ころ)されたよ。九年前に、十戒二条の違反者として」

「!」

 

 顔を上げたルクスが息を詰めたような表情で廻を見る。

 

 哀れみか、戸惑いか。

 

 その青い瞳を揺らす感情の波を確認し、廻はふっと口元を緩める。

 

 十戒に反した異端者が罰を受けるのは当然のことだ。すべての魔法使いの共通認識と言っていい。

 

 それでも彼は心を痛めてくれるのか。廻をつくった人間が、すでにこの世にいない事実に。

 

「輪廻さんがいなくなったあと、僕はドロシーに拾われた。本当なら僕も処理されるはずだったんだけど」

「……」

「感情を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)の貴重なサンプルとして認められて命拾いしたんだ。そしてそれまで住んでいたイギリスを離れてアメリカに移ることになった」

 

 廻と輪廻はかつてイギリスにある隠れ家で暮らしていた。

 

 異端審問官(インクイジター)の目を逃れるなら他の国に逃亡するべきでは、と主張する廻に、そんなことには興味がないとばかりに輪廻は耳を貸さなかったのだ。

 

 日本には灯台下暗しという言葉がある、と無表情で口にして。

 

「……つらくないのか」

「え?」

 

 白い空間にぽつりと落ちたルクスの言葉。

 普段の彼からは想像もつかない弱々しい声に、廻は思わず首をかしげた。

 

「お前は他のだれともちがう。魔法で造られた人間(ホムンクルス)はこの世にほとんど存在しないからだ。そもそもつくれるやつがいない。十戒で定められていなくたって、魔法で人間を生み出すなんて並大抵の魔法使いじゃ不可能なんだよ」

「……うん」

「苦しくないのか。だれともわかり合えないのに。ずっとひとりのままなのに。……同じやつが、どこにも存在しないのにっ……」

 

 くしゃりと顔を歪ませ、何かに堪えるような声でルクスは言う。

 

 廻は胸が詰まるような思いだった。

 

 苦しくないのか。

 

 その疑問は廻だけに向けられたものではない。ルクス自身を突き刺す言葉なのだと気づいたからだ。

 

 

  ──廻はわたしたちと(おんな)じだね

 

 

「ちがう方がいいよ」

 

 静かに目を伏せそう答えた。

 ルクスの肩がぴくりと跳ね、戸惑いに揺れる瞳がまっすぐに廻を映す。

 

 

 ──(まほう)によって生まれた子供。僕らに求められているのは、完璧な人間になることだけだ

 

 ──けど、うん。いいね

 

 ──君が僕らの心になってよ

 

 

「同じじゃなくていい。──だって、僕と同じなんてかわいそうだ」

 

 ルクスがはっと目を見開いた。

 そんな彼を見て廻は微笑む。これが拙い笑みになっていなければいい、と願いながら。

 

「僕と同じなら、その人の命は罪の上に成り立っているということになる。……痛みは共有できるかもしれないけど、僕はこんな思いを他のだれかがしているのはいやだよ」

 

 

 ──……いやだ! いやだよ、輪廻さんっ……!

 

 

「だから僕はユダや“蛇”を捕まえなくちゃならない。それがオズの十戒によって苦しむ人を減らすことにつながると思うから。そのために……まずは君に勝たないとね」

 

 杖を右手で握り直し、その先端を眼下にいるルクスに向ける。

 

 その瞬間、彼のまわりを浮遊していた銀の欠片(クリスタル)が音を立てて砕け散った。

 

 同時に五つ。不意打ちといっても過言ではない。

 

 ここは廻が創り出した空間だ。

 少し狡い気もするが、動揺するルクスの隙を突いて彼の銀の欠片(クリスタル)に攻撃魔法を撃ちこむことは容易だった。

 

「ごめんルクスくん。君とちゃんと話したいと思ったけど、結局僕が一方的に喋る感じになってしまったね」

「……!」

「でも、おかげで少しだけ君のことがわかった気がする。……ねえルクスくん。僕思ったんだ」

 

 かざした杖に魔力を込める。

 二人だけの空間に穏やかな風が流れ、ローブの裾がふわりと浮く。

 

 ルクスはただ廻の顔を見上げていた。

 反撃をする意志がないというよりは、いまだ衝撃から抜け出せていないような様子だった。

 

「ちがうっていいね。ちがうから──相手のことを知りたいって思える」

 

 ──パリン、と。

 ルクスの胸の前に浮いていた最後の銀の欠片(クリスタル)が砕け散った。

 

 瞬きを忘れたかのように大きく目を見開くルクス。

 

 そんな彼の青い瞳と銀髪に、星屑のように散る破片の光がきらきらと反射していた。

 

 

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