「今日からオマエはトトだ。
だが、本当の始まりはいまから約九年前。
廻の創造主である小津佐輪廻が、戒律二に背いた罪によって処刑された日にまで遡る。
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──オレが憎いか?
うつむく廻にそう問いかけたのは、輪廻を処刑した張本人である、背の高い
廻を捕らえていた鎖の魔法を解除し、右手に持った長杖を下ろして男は静かに近づいてきた。
「……憎くありません」
褪せた床に力なく座り込んだまま、顔を上げずに廻は答えた。
「憎みません。あなたのことも、輪廻さんのことも……輪廻さんが死んでしまうきまりをつくった、ドロシーのことも。僕にはそんな資格がない。だって僕が憎いのは──」
家中を包んでいた炎はすでに消えていた。
残るのは、崩れた壁の瓦礫や、焼け焦げた家具といった絶望の残骸ばかり。
かろうじて無事だった壊れかけのランプだけが、悲劇を終えた部屋を照らす唯一の明かりだった。
「僕自身だから」
自分を見下ろす男が驚いたように息を詰めるのが廻にはわかった。
憎いと言ってほしかったのか。
廻のような子供がそんな発言をするとは思わなかったのか。
その真意はわからなかったが、廻の言葉が彼をわずかに動揺させたことはまちがいなかった。
「お前は……」
視線を床に落としたまま黙り込んだ廻に、男が何かを言いかけたとき。
「──これはすごい。まさかここまで情緒が発達した個体だとは」
薄暗い部屋にそぐわない、抑揚のきいた高く美しい声が男の言葉を遮った。
顔を上げると、目の前に立つ男の視線が廻の背後に向けられている。
つられて廻が振り返った先──焼けて崩れた本棚の瓦礫の上に、一人の女が足を組んで座っていた。
「さすがは輪廻が生んだ
妖しげな光を宿す赤い瞳と、それを縁取る長い睫毛。
毛先だけ巻かれた肩より長い真っ直ぐな髪の毛は、少し暗めの赤色をしていた。
細い身体のラインを強調した黒いドレス。
頭を飾る先の尖った黒い帽子は、物語に出てくる魔女が被っていそうないかにもな代物だった。
初めて見る顔。初めて聞く声。
いつからいたのか、どこから現れたのかは不明だったが、そんな状況でも廻にわかることがひとつあった。
彼女の正体だ。
「私の名はドロシー。この世に魔法をもたらした原初の魔女。
廻の心に浮かんだ答えに正解を告げるかのごとく女は言った。
魔女ドロシー。
オズの十戒を制定した、始まりの魔法使い。
衝撃のあまり声をなくして廻は固まった。
そう簡単には人前に姿を現さないことで有名な彼女が、なぜここに。
「オマエは優秀だな。なによりおもしろい。大切な存在を奪われそうになったときの怒り、嘆き、願い。失ったあとの悲しみや絶望。自己否定の感情まで備わっている。まさしく私が求めた“完璧な人間”そのものじゃないか」
カツンと靴の音を鳴らし、ドロシーはゆっくりと立ち上がった。
そのままゆっくりと歩き出した彼女は、先にいたトトの男を押し退けるようにして廻の正面に回り込む。
幼い我が子と目線を合わせる母親──否、ペットの犬に姿勢を合わせる飼い主のように、魔女はしゃがんで廻の顔を覗き込んだ。
「悔しいが完敗だよ。輪廻は私よりも先に心を持つ
形のいい唇の端を上げ、ゆったりと目を細めてドロシーは肩をすくめる。
「輪廻は私の友人でな。十年前に気まぐれで忍び込んだイギリスのオズで出会い、魔法の見識を深め合った仲だったんだが……八年ほど前に私の前から姿を消した。嫌われてしまったのかと傷ついていたが、まさか禁忌に手を染めていたとは」
ドロシーの視線が廻から外れ、部屋の奥で事切れている輪廻の方に注がれた。
ぐっと床を掻くように拳を握り、廻は唇を噛みしめる。
異端者として処刑される人間は遺体さえも残らないのだと聞いていたが、輪廻の
「せっかくなら引導を渡してやりたかったが、生憎それは私の仕事じゃない。せめて最後に顔くらいは拝んでやろうと思って来てみれば、随分といい収穫があったものだ。──まあ、つまりだ」
叶うことなら、自分も輪廻の隣で眠りたい。
そんな現実逃避とも、現実を受け入れているとも言える廻の思考を打ち砕いたのは、次にドロシーが発した耳を疑うような一言だった。
「オマエは私の研究所に来るといい」
廻は小さく目を見開いた。一瞬、何を言われたのか理解することができなかった。
「本来なら処分するところだが、オマエは完成された
「……」
「それに親友の忘れ形見だ。多少の面倒を見てやるのはやぶさかではないさ」
私にだってそれくらいの情はある、と。
どこか寂しげな声でドロシーが言うのに廻は戸惑った。
彼女は悼んでいるのだろうか。彼女自身が定めた戒律によって異端者となった、小津佐輪廻という人間の死を。
「……だめです。輪廻さんが死んで、僕が生きているのはちがうと思います」
「輪廻は魔法使いのきまりに背いたんだ。こうなることくらいわかっていただろうさ」
「なら、自分が死んだあと僕が殺されることもわかっていたはずです」
「本当か?」
え、と思わず声がこぼれた。
ドロシーの顔を見る。
深淵に溜まる血のような赤い瞳が、困惑した表情を浮かべる廻の姿を映して揺れていた。
「輪廻はオマエが
ちがうか? とからかいを含んだ口調でドロシーは廻に問う。
その瞬間、廻の脳裏をよぎったのは輪廻の最期の表情だった。
命を落とす直前、彼女はたしかに笑っていた。
微笑みと呼ぶことすら躊躇われるほどの儚い笑み。
あの最初で最後の表情の裏で、彼女はいったい何を想っていたのだろう。
──廻
その罪の先にあるものが死だとわかっていてなお、彼女が廻を生んだのはなぜなのだろう。
──あなたはなんでもできる
輪廻を失った世界で、自分が生きる意味はどこにあるのか。
「きまりだな」
波のように揺れ動く廻の内心を悟ったかのように、ドロシーが声を発した。
「せいぜい役に立ってくれよ? 私の──私たちの
腰を上げ、にこりと笑って廻を見下ろす美しい魔女。妖しく艶やかな雰囲気とは対照的に、その笑顔はどこか幼い。
子供みたいな人よ、という輪廻の言葉を廻は思い出した。
「ドロシー、あんた……」
廻たちのやりとりを見守っていたトトの男が、ドロシーの後ろで苦虫を噛み潰したような声をこぼした。
機嫌よく笑う原初の魔女と、複雑そうに顔をしかめる処刑人の男。
魔法によって生まれた子供。
ここには輪廻の仇しかいない。
──それでも自分は。
「ドロシー」
震える足で立ち上がり、疼く胸を右手で押さえて、廻はその魔女の名前を呼んだ。
「僕の名前は……廻。小津佐廻です。輪廻さんに生み出された
睨みつけるようにしてドロシーの顔を見た。
それは彼女への憎しみではなく、自分への憎しみを抱えたまま生きていくことへの廻なりの決意だった。
「──は、いいじゃないか。やはりオマエはおもしろいな」
にやりと、数秒前までの無邪気さを捨てた悪魔のような顔でドロシーは嗤う。
それがすべての始まりだった。
その後、廻はドロシーに連れられ
人生を大きく変える、彼らとの出会いを果たすことになる。