オズの十戒   作:木ノ宮

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45 感情っていうのはたぶん

 

 イギリスに暮らしていた頃、(めぐる)には輪廻以外の人間と接する機会がめったになかった。

 

 十戒に背いた異端者と、その異端者によって生み出されたこの世に存在してはいけない人間だったのだから当然だ。

 

 自分たちの事情を他人に知られるわけにはいかず、生活に必要なことは輪廻がたいてい魔法でどうにかしてしまうので、外に出る必要はない。

 

 結果、廻は生まれてからの七年間をほとんど家の中で過ごした。

 

 魔法について常になにかを研究している輪廻の隣で、廻はいつも本ばかり読んでいた。

 

 世界のこと。人間のこと。魔法のこと。自分のこと。一般常識。

 

 その多くを廻は自力で学んだのだ。

 

 積極的に教えてくれることはなかったものの、質問すれば輪廻はなんでも答えてくれた。

 狭い隠れ家を埋め尽くすように並べられた大量の本に囲まれる生活は、けっして悪いものではなかった。

 

 廻の世界は輪廻と本でできていた。

 

 ──だから生まれて初めてだった。

 

 自分と同じ年頃であろう見知らぬ子供に、こうも親しげに話しかけられるのは。

 

「……心になる、って……」

 

 同年代だ、おそらく。

 

 少年の方は廻よりも背が高く雰囲気もおとなびており、少女の方は逆にどこか幼い感じがするのは否めない。

 

 だが、二人とも自分と同じくらいの年齢なのだろうという根拠のない確信が廻にはあった。

 

「君は七歳なんだって? 僕らもなんだ。小津佐輪廻が君を生み出したのは四月二十三日。僕らが生まれたのは四月二日だから、僕らの方が少しだけお兄さんだね」

 

 廻の考えていることがわかったのか、にこりと笑った少年が、相手の緊張をほぐすようなやわらかな声で言った。

 

「私はお姉さんだけどね」

 

 胸の前で腕を組んだ少女が、得意げな顔で鼻を鳴らす。

 その頭に飾られたウサギのピン留めが、彼女の態度に合わせるようにニヤリと笑みを浮かべた気がした。

 

「僕と同じってことは……君たちも魔法で造られた人間(ホムンクルス)なの?」

「そうだよ。ここにいる子供たちはみんなドロシーによって生み出された魔法で造られた人間(ホムンクルス)だからね」

 

 ふっと息を吐くように微笑む少年の前で、廻は大きく目を見開く。

 

 答えのわかりきった質問であったはずだ。

 

 α(アルファ)β(ベータ)。被験体としての識別番号。(まほう)によって生まれた子供。

 

 彼の言葉は最初から真実を示していた。疑う余地はない。

 それでも廻は驚きを隠せなかった。

 

「……魔法で造られた人間(ホムンクルス)に感情はない。少なくともドロシーはまだ、心を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)の完成には至っていない。そう輪廻さんは言ってた。ドロシー自身も」

「うん、そうだね。だから廻はそこだけは僕たちとちがう。君は特別な存在なんだ」

「……でも、僕には君たちが心を持っているように思える」

 

 穏やかな声色で友好的に語りかけてくる少年と、無邪気な笑みを絶やさずじっと廻を見つめてくる少女は、廻の目にはあくまでふつうの感情を持つ、ふつうの人間の子供にしか見えない。

 

 最初に廊下ですれ違った、能面のような顔をした魔法で造られた人間(ホムンクルス)の少女とはあきらかに雰囲気がちがう。

 

「君にそう見えているならよかった。けど僕たちはまちがいなく失敗作だ。ここにいる他の子供たちと同じ、未完成の魔法で造られた人間(ホムンクルス)。──だから君が感じている僕らの人間らしさは、本能からくるものなんだよ」

「……本能?」

()()()()()()()()()()()()。それが僕とβにドロシーが組み込んだ、他の魔法で造られた人間(ホムンクルス)にはないプログラムなんだ」

 

 よく意味がわからず瞬きをくり返す廻に微笑み、唇に人差し指を当て、内緒話をするような口調で少年は続けた。

 

「ドロシーはこの二百年間、どうやったら魔法で完璧な人間──彼女が思う人間の定義である“心を持つこと”を満たす存在を生み出せるか試行錯誤し続けた。きまった状況下できまった感情が生まれるようになる魔法をかけたり、本物の人間の感情を物理化して肉体に埋め込んだり」

「……」

「けれど、そうやって表面化した感情は結局どれも偽物だ。あくまで自然に、プログラムとは別のところで生まれる感情こそがなによりも美しい人間の証だというのがドロシーの考えだからね」

 

 そんな彼女が思いついたのは、「完璧な人間をつくりたい」という自身の望みを本能に置き換えて対象の肉体に組み込む、という創造の方法だったのだと少年は言う。

 

「感情を持つ本物の人間になること。それが僕らの本能だ。すべての動物が生存本能──遺伝子を残して自らの種を守ろうとする性質を有して生まれてくるように、僕らには生まれたときから『ドロシーが望む心を持つ人間にならなければいけないと思考する』という変えることのできない性質がある」

「それはつまり……強迫観念でも使命でもない。あくまで先天的なもので、君たちの意思ではないってこと?」

「そういうこと。ふふ、やっぱり廻はとても賢いね」

 

 こてりと首をかしげて微笑む少年。

 どこが未完成なのだろう、と疑問を抱いてしまう程度には、廻を褒める彼の笑顔は自然だった。

 

 それが意思ではなく本能からきている、と言われても、にわかには信じがたい。

 

「ま、わかりやすく言えば演技ってことね」

 

 それまで黙っていた少女が、スキップをするように一歩前に足を踏み出し、下からじっと廻の顔を覗き込んだ。

 

「αがやさしーい顔であなたに話しかけるのも、私がにこにこ無邪気な女の子みたいに近づくのも、ぜんぶ()()()()()()()()()()()って私たちの本能が言っているから。私たちの中にある“感情を持つ人間になりたい”っていうプログラムが、そういう行動をさせているだけ」

 

 緋い瞳を静かに細め、歌うような口調で少女は言った。

 

「僕たちは人間の感情に対する学習能力が他の個体より高いんだよ。要は人間と同じような会話ができる人工知能と似たようなものだと思えばいい」

 

 少女に代わって少年が説明を追加した。

 相変わらず穏やかで、知性を感じさせる涼やかな声音だった。

 

「人の心の在り方を知識として吸収して、それを実際の言動として表に出す。その選択を僕らにさせているのは本能だから、一見するとすべて自然な感情の発露のように見えるけど」

「……」

「完璧な人間になりたいという本能以外、僕らの中に感情と呼べる自然な心の動きはひとつもない。歴代の魔法で造られた人間(ホムンクルス)の中では圧倒的に人間に近い動きができているから、施設の職員たちには“ドロシーの最高傑作”と言われているけど……ドロシー本人にはあと一歩が足りない失敗作だって揶揄されるよ」

 

 眉を下げて困ったように笑う少年に、廻は言葉を返せなかった。

 

 これが本当に演技だというのだろうか。

 

 感情を持つ人間にならなくてはいけないという本能から、「初めて会った同類の子供に接する優しい少年」を彼が演じているのだとしたら。

 

 ──それはまさしく、人間の在り方ではないのか。

 

「廻? どうしたの」

 

 黙ってしまった廻の様子が気になったのか、少年が心配そうに首をかしげる。

 

「……君たちの言っていることは、なんとなくわかったんだ。けど、なんだか少し引っかかって」

「引っかかる?」

「その……なんというか、そもそも僕には本能と感情の明確な違いがわからない。感情っていうのはたぶん、意識して生み出さなくても勝手に生まれてくるものだから。本能との間に正しい線を引くのは難しいんじゃないかな」

 

 戸惑いながらも廻が答えると、少年たちは呆気に取られたような顔をした。

 

 この反応すら「予期しなかった相手の言葉に驚く人間」を演じた結果のものだとすれば、彼らはあまりにも優秀な俳優だ。

 

「むしろ僕は感情の逆……本能を抑える理性、意思の方に本来の人間らしさがある、と思う。命の危険を前にして恐怖を覚える、防衛本能をはたらかせることは獣にも人間にもできるけど、状況に合わせて自身の欲望を抑える能力なら、獣よりも人間の方が高い」

 

 だから感情の有無で人間の定義を決めることには疑問がある、と廻は続けた。

 

「君たちの演技(それ)は人間になりたいという本能に基づいたものかもしれないけど、その本能をうまく処理した結果そういう振る舞いが生まれているなら、それは十分に理性のある行動のように思えるんだ。だからその、そういう意味では、僕から見た二人はとても人間らしいというか」

 

 必死に言葉を尽くす廻だったが、少年たちの反応は薄い。

 

 自分に向けられる二人の視線に動揺し、廻はあたふたと両手を振った。

 

「も、もちろん定義の問題だっていうのはわかってるんだ……! ドロシーが求める人間の条件が“感情を持つこと”なら、僕の言う理性とか意思の話は関係なくて……」

「……」

「でも、そもそも完璧な人間になりたいってこと自体が“願い”という感情そのもので、それだと君たちはすでに感情を持ってるんじゃないかな、とも思ったりして……」

 

 自分の声が次第に小さくなっていくのが廻にはわかった。

 

 的外れなことを言っているのだろう。一種の慰めとも取れる廻の言葉に、二人が気を悪くした可能性もある。

 

 彼らが本当に感情を持たない存在だというなら、他人の言動に不快を覚えることはないのかもしれないが。

 

 不安と羞恥に襲われる廻。

 

 だが次の瞬間、ぱっと破顔した少年の愉しげな声が、図書室の中に響き渡った。

 

「ふ……ははは!」

 

 突然腹を抱えて笑い出した彼の姿に、廻はぽかんと目を見開く。

 

「……ふふ、やっぱり君はおもしろいね。あのドロシーがわざわざここに連れてくるのも納得だ」

 

 君はおもしろい。

 

 そう言って笑った少年の声には喜色が滲んでいて、それがふつうの人間を模しただけの演技であるとは、やはり到底思えない。

 

「こいつほんとに七歳? 言ってることがちっとも子供らしくないんだけど」

「僕たちが言えることでもないんじゃないかなぁ」

 

 途端に口の悪くなった少女がわずかに眉をひそめて言うのに、少年が肩をすくめて笑いをこぼす。

 

 なんとなく、場の雰囲気が先程よりも明るくなったような気がした。

 

「廻。やっぱり僕は、君に僕らの心になってほしいと思うよ」

「え……」

「君といれば、僕らは本当の“完璧な人間”になれる気がするから」

 

 真っ直ぐに廻を見つめる少年の緋い瞳は、緩やかに凪いでいた。

 

「これからよろしくね、廻」

 

 息をのむほど美しいやわらかな笑み。差し出された白い右手。

 

「αったらずるい! 私も〜」

「わっ」

 

 少年の手を取ろうとした瞬間、便乗するように横から割り込んできた少女に抱きしめられ、廻はつい背中から転んでしまった。

 

 それが、廻と同じで、廻とはちがう魔法で造られた人間(ホムンクルス)の少年と少女──

 

 イザヤ、アマネとの出会いだった。

 

 

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