オズの十戒   作:木ノ宮

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52 反省文ならとっくに

 

 観客たちの盛大な拍手が体育館中に響き渡る。

 

 オーケストラなどの大規模な公演を画面越しには観たことのある(めぐる)だったが、こうして現場で生の演奏を鑑賞するのは生まれて初めてだ。

 

(す、すごかった……!)

 

 感動したし、楽しかった。この素晴らしい演奏をしているのが自分と同じ高校生だという事実も、信じられなかった。

 

「素敵だったわね」

 

 隣の席に座っていたオズのクラスメイト、撫子が呟いた。

 端的で独り言のような感想だったが、それが自分に向けられた言葉だと正しく把握した廻は、「うん」と笑って相手の目を見て頷いた。

 

 真島がオズの十戒を破ろうとしたあの事件から一週間。

 

 あのあと廻は自分と同じ異端審問官(インクイジター)の姉弟、グレーテとハンスとともに壊れた校舎を修復し、結界が張られていた間に起こった出来事をすべてなかったかのように偽装した。

 

 撫子、ルクス、蝶野の三人が効果を書き換えた結界のおかげで、蘇生魔法の生贄となるため眠らされた校内の人々が目覚めたあとパニックに陥る事態も避けられた。

 

 学校の設備にトラブルが生じ、演奏会の開始が予定通りにいかなくなったという認識に皆の記憶が統一されたのだ。

 

 一度張られた結界の干渉には、高度な魔法の技術が必要だ。

 

 それを難なくこなしてしまったというのだから、撫子たちはやはりすごいと廻は思う。

 

「あのイカレ女、命令するだけ命令してさっさとどっかに行っちまった。オレらが協力しなかったらどうするつもりだったんだ」

 

 そうぼやいていたルクスだったが、手伝ってくれてありがとう、と廻が言うと、きまり悪そうに眉をひそてふいと顔をそむけてしまった。

 

 べつにたいしたことはしてない、と。

 

 銀髪の間から見える耳は、ほんのり赤く染まっていた。

 

 ちなみに、資格(ライセンス)を持たないルクスや蝶野が学外で魔法を使った件については、プロの魔法使い兼トトであるグレーテの指示ということで大きな問題にはならなかったようだ。

 

「──みんな!」

「あ、お姉ちゃんお疲れ〜」

「めっちゃよかったよ優香ちゃん」

 

 演奏会の終了後。

 校門の前で集合していた廻たちのもとに、黒髪のポニーテールをふわりと揺らす一人の少女が駆けてきた。

 

 山根優香。廻と撫子、ルクスを誘った蝶野の友人である明日香の姉。

 

 今回の演奏会の主役、桜倫高校吹奏楽部の三年生だ。

 

「お疲れさまです。素敵な演奏でした」

「はい、とても! ね、ルクスくん」

「……まあ、そうだな」

 

 真顔で感想を告げる撫子と、その言葉に笑顔で頷く廻。廻に促され肯定したルクスの表情も比較的穏やかなものだった。

 

 結局、吹奏楽部の演奏会は一週間後に延期となった。

 

 日曜日である今日。廻たちはあらためて優香に誘われ、この桜倫高校を訪れたのだ。

 

(演奏会が中止にならずにすんでよかったけど……)

 

 自分がもっとうまく動けていれば、ここまで多くの人に迷惑をかけることはなかったかもしれない。

 

 そんな罪悪感に苛まれる廻だったが、こうして再び桜倫高校に足を踏み入れ、圧巻の演奏を聴くことができたのは喜ばしいことだった。

 

 みんなが無事でよかった。

 

 だれかが犠牲になることも、先輩が取り返しのつかない罪を犯すこともなくて、本当に。

 

 他人の犠牲の上に成り立つ自身の鼓動を感じながら、廻は静かに瞼を伏せた。

 

「お姉ちゃんはこのあとどうするの?」

「私は部のみんなとボウリングで打ち上げ。夕飯はいらないってお母さんに言っといてくれる?」

「了解。じゃあひめちゃん、せっかくだし私たちもどっか行こっか」

「いいね~ ファミレスとか?」

「ファミレス……」

「ファミレス……」

 

 明日香が提案し、蝶野が口にしたファミレスという単語を、撫子とルクスが復唱する。

 

 二人とも行ったことがないのだろう。当然ながら廻もない。

 

「え。もしかしてファミレス知らない人たち?」

「阿夜っちは箱入りのお嬢さまだし、ルクスっちはイギリス育ちだし、めぐっちはなんか森とかで育ってそうだし、あるかも?」

「イギリスってファミレスないの?」

「──優香」

 

 ぽかんとする廻たちを置いて蝶野たちが盛り上がる中、優香の名を呼び、その後ろから歩いてくる人物がいた。

 

「文美!」

 

 桜倫の制服であるセーラー服に身を包み、二つに分けた黒髪を三つ編みにした眼鏡の少女──真島文美だった。

 

「いい演奏だったわ。三年間お疲れさま」

「へへ、ありがと。……てか、文美はもう大丈夫なの? アンタが一週間も学校休むなんて相当ヤバい風邪だったんじゃ」

「風邪だけじゃなくてね、ちょっと家のことでいろいろあったの。けどもう平気よ、ありがとう」

「……そっか」

 

 騒動のあと、真島はオズ魔法協会に連行され、“蛇”や“蛇”に渡された林檎の水晶について事情聴取を受けることとなった。

 

 もともと魔力を持たない一般人であった彼女は、魔法使いの犯罪に巻き込まれた被害者として今回は無罪放免。

 

 彼女自身にかけられた“蛇”の魔法や身体検査に時間がかかり、一週間ほど身の拘束を余儀なくされたが。一連の事件に関する守秘義務を受け入れるかたちで、ちょうど昨日解放されたのだ。

 

「それより優香。あなたたち打ち上げに行くんでしょう? ぜひ楽しんできてほしいけれど──」

 

 自分の眼鏡を人差し指で押さえながら、きらりと目を光らせて真島は言う。

 

「校則その六、学外での活動について。登校時、放課後、休日における商業施設等での制服着用は認めない。──ちゃんとみんなで着替えてから行くのよ」

 

 でないと反省文を書いてもらうから、と。

 

 ほとんど一息で放たれた少女の忠告に、優香がうっと顔をしかめる。

 

 わかってますよ、とうんざりしたように返す彼女の、その態度の裏にある確かな安堵を感じ取り廻は笑った。

 

 真島の調子が戻ったことを喜んでいるのは、自分だけではないのだ。

 

「小津佐くん。少しだけ時間をくれる?」

 

 優香の笑顔に注がれていた真島の視線が廻に向いた。

 

 先行ってるね、とファミレスに向かった蝶野たちの気遣いを受け取り、廻と真島は、自分たちが初めて会った校舎裏で話をすることにした。

 

 

 **

 

 

「──本当にごめんさい。あなたにとんでもない迷惑をかけてしまって」

 

 迷惑どころの話じゃないけど、と苦しそうな笑みを浮かべる真島の前で、廻は静かに首を振った。

 

 真島が罪を犯そうとしたことは事実だが、彼女を唆し、取り返しのつかない状況を生み出すよう謀ったのは“蛇”だ。

 

 異端審問官(インクイジター)である自分がいまだその魔法使いを捕らえられずにいることがそもそもの原因なのだから、真島一人を責めるのはお門違いだと廻は思う。

 

「先輩は被害者だ。“蛇”は狙った人間を自分の思いどおりに操るために、その対象の思考を鈍らせる魔法を使う。あのときのあなたは、ただ正常な判断力を奪われていただけなんです」

「協会の人にもそう言われたわ。それでも……私が優香を、この学校のみんなを犠牲に自分の望みを叶えようとしたことには変わらない」

 

 それは消えない事実だから、と。自身の胸に手を当てながら真島は言う。

 

「本当は優香に会うのだって怖かった。優香だけじゃない。学校のみんなにも、小津佐くん、あなたにも。合わせる顔がない、そんな資格は私にないって、何度も悩んだわ」

「先輩……」

「でもね、私はもう逃げない。最悪の選択をしようとした自分の愚かさも、大切な人たちを裏切ろうとした罪悪感も──父を失った悲しみも。すべてを抱えて生きていく。自分の罪と向き合ったうえで、私は私の正しさを貫くんだって、そう決めたの」

 

 そう宣言して廻を見た真島の目は、どこまでもまっすぐで。その奥側から放たれる眩しいほどの意志の強さは、出会ったときと変わらない。

 

 ああ、やっぱり。

 

 先輩はかっこいいな、と廻は思う。

 

「……校則その三。学校生活について。許可のない屋上への立ち入りは禁止」

「え?」

「学業に関係のない私物の持ち込み禁止、もありますよね。オズならともかく、この学校では勉強に魔道具を使いません。──この前先輩がしたことは、校則違反です」

 

 反省文を書かなきゃですね、とおどけるように笑いかけると、真島は大きく目を見開いた。

 

 そしてふっと口元を綻ばせ、憑き物が落ちたようなやわらかな顔で、嬉しそうに彼女は微笑む。

 

「反省文ならとっくに、既定の三倍の量は書いたわ。──あたりまえでしょう? 私は風紀委員長なんだから」

 

 もう引退したけどね、という真島の言葉を聞いた廻は目をみはった。

 

 その直後にくすりと笑う。本当に、どこまでも彼女らしい。

 

「──ありがとう。小津佐くん。私が罪を犯さずにすんだのは、あなたのおかげよ」

 

 夏の始まりを告げる風が校舎裏を吹き抜けた。

 

 廻のローブと真島のスカートをふわりと揺らす、爽やかでやわらかい風だった。

 

 

 

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