猿飛慎也はある窮地に陥っていた。
試合が始まる前、これなら優勝はほぼ確実だとのんきにかまえていた自分自身を殴ってやりたいと本気で思った。
魔法ドッジボール大会。毎年、夏休み前の期末試験終了後に行われるクラスごとのレクリエーション。裏期末試験と呼ばれるこの大会で重要なのは、“いかに自分の見せ場を増やすか”ということだ。
可動式のコートを使う特殊なドッジボールで、どの魔法をどのように扱うか。チームメイトとの連携。少人数のチーム同士で戦うことでスピーディーに展開していく試合の中、どれほどの機転と瞬発力を見せられるか。
そういったすべての要素が評価対象だと噂されるこの大会で自分を魅せるには、一つでも多くの試合に出場して活躍の場を手にするしかない。
猿飛のチームメイトは、阿夜撫子と敷波真夏。御三家の跡取りとクラス委員長を務める才女という、できすぎた組み合わせの二人だった。
だからこそ猿飛は今回、彼女たちの活躍に乗じて自分も上手く立ち回ればいいと思っていた。
実際、チーム決めの際には他のクラスメイトたちから不満の声をぶつけられたものだ。この大会で与えられる勝負の場は最大で四つ。その四試合すべてに出場できれば、自分の実力を教師に示し、評価の材料を増やすチャンスが他の生徒よりも多く手に入る。
つまり学年トップとして名高い二人の魔法使いをチームメイトに持った猿飛は、その時点で有利な立場にあるといっても過言ではなかったのだ。
(だが……いまなら言える。今回いちばん評価の上で不利なのは、まちがいなく俺だろ……!)
もちろん優勝はしたい。優秀なチームメイトに引っ張られ、試合の出場回数が増えるのは大歓迎。
だが、それはあくまで
猿飛は気づいてしまった。いや、そもそも最初にその懸念が頭に浮かばなかったこと自体が問題だったのだ。
「──試合終了! 勝者は阿夜、猿飛、敷波の1番チーム!」
二回戦目の終わりを告げる教師の声がグラウンドに響き渡る。
あまりのできごとに唖然とする相手チームの面々。それもそうだろう。試合開始から一分も経たないうちに内野の二人が同時にアウトになってしまえば、自分たちの不甲斐なさよりもまず驚きの方が先にくるというものだ。
「阿夜さんすご~……」
「や、でもちょっとくらい手心あってもよくない?」
すでに敗退し、観戦側に回っていた他チームの生徒たちが好き勝手に感想をこぼし合う。
この試合を一瞬で終わらせた張本人、撫子はそんな周囲の反応にもどこ吹く風だ。頭の後ろで一つにまとめた長い黒髪をさらりと揺らし、すんとした顔ですたすたとフィールドの外にはけていく。
そんなクラスメイトの背中を追い、後ろから棘のある声をぶつける者がいた。
「おい、阿夜撫子」
敷波だった。
撫子を睨みつけるように細められた瞳。その全身から発せられる剣呑なオーラ。
あきらかな敵意を孕んだその眼差しに少しの動揺も見せることなく、撫子は振り返る。
「なにかしら」
「貴様……なぜまた同じ魔法を使った?」
責めるような口調で敷波が尋ねた。先程の試合のことを言っているのだろう。
開始早々猿飛たちの勝利に終わった二回戦目。相手の内野を二人同時にアウトにしたのは、撫子が発動した彼女自身の固有魔法、
魔力によって生成した植物を自由自在に操るその魔法で、撫子は敵の二人を一瞬のうちに拘束した。
目にもとまらぬ速度で地面から出現し、ほんのわずかな身動きすらも許さない強度で相手の全身に絡みついた植物の蔓。
その隙に撫子がボールを投げ、試合は終了した。コート係を務める敷波、外野の猿飛が出る幕は少しもなかった。
そしてそれは、一回戦のときとまったく同じ流れだった。
「この大会で重視されるのはいかに早く相手のチームを倒すかじゃない。その過程で発動される魔法の精度、その使い方だ。同じ魔法で同じように勝つだけでは評価は得られないんだぞ」
「それは……魔法の使い方を工夫してもっと見応えのある試合にすべき、というアドバイスかしら」
「そういうことだ」
「そう。でもごめんなさい。私はそもそも前提からしてあなたたちとは考えがちがうから」
「前提?」
敷波が眉をひそめた。
怪訝そうな態度を隠しもしない彼女とは対照的に、撫子は表情ひとつ動かさず、淡々と言葉を続ける。
「この大会が裏期末試験と呼ばれていることは私も知ってる。けどそれは生徒たちが勝手に騒いでいるだけで、実際のところ教師が私たちの試合を見て本当に何かを評価してるかどうかはわからないでしょう」
「……たしかに評価の仕組みは明文化されていない。だがこの大会で数字にはできない私たちの実力が見られているという噂は何十年も前からあるんだ。否定する教師もいない。少しでも自分の評価に関わる可能性があるなら全力で臨むのが、オズの生徒として当然の姿勢だろう」
「私は噂は信用しないわ」
「!」
きっぱりとした口調で言い切る撫子に、敷波が目を見開く。
猿飛も思わず息をのんでしまった。撫子の口から出る噂という言葉がどれほどの重みを持つか、自分も敷波も、クラスメイトとして知らないはずはなかったからだ。
「私の母が学生だった頃、このドッジボール大会は期末試験を終えたあとの祭りのようなイベントだったと母は言っていたわ。昔はいまよりずっと長期休暇中の課題が多くて、試験が終わっても休めたものではなかったから、評価や成績関係なく好きに魔法を使えるこの大会が息抜きになったって」
「……」
「何十年も前からある噂、というのは何を根拠に言っているの? 時代によって認識は変わる。煙が立つための火があることもわかる。けれど私は、評価されているかもしれないという不確かな情報のために過度なパフォーマンスをするつもりはないわ」
「貴様……」
「それとも、あなたはこれが正式な期末試験だという話を聞いているの? ──三条先生に」
「……っ!」
敷波の目の色が変わった。そこに浮かぶのは激しい怒りと屈辱、憎しみ。
これはまずい、と猿飛は思った。
「冬香さまはそんなことはしない!」
激昂する敷波。そのあまりの迫力に、猿飛を含め周りにいた生徒たちがみな一斉にぶるりと背中を震わせる。
怯む様子を見せないのは、怒りをぶつけられた本人である撫子だけだった。
敷波はこの学園で教師を務める三条家の長女、三条冬香の側近だ。
その名前を出すだけでふだんの真面目でクールな態度を一変させるくらいには、主人である三条を敬愛している。
いっそ病的とも言えるその性質を知ったうえでの発言か、そうでないかはわからないが、撫子が彼女の地雷を踏み抜いたことはまちがいないだろう。
「貴様には冬香さまが従者だからという理由で私に学園側の評価基準を漏らすような軽薄な人間に見えるのか……!? あの方はだれよりも清廉潔白で教師という仕事に誇りを持って向き合っておられる!」
「そうね。三条先生は立派な人よ」
「なら……」
「だからこそ、あなたがこんなふうに私に言いがかりをつけてくることにもいい顔はしないんじゃないかしら」
「!」
敷波が息をのむ。
彼女の二つ目の地雷を踏み抜いた撫子は、依然として無表情のまま、相手とは正反対の落ち着いた態度を崩すことはない。
やがて撫子は敷波にくるりと背を向け、話はもう終わりとばかりに無言でその場を離れてしまった。
(お、終わった……)
静かに肩を震わせてうつむく敷波に声をかけることもできず、猿飛は頭を抱えた。
猿飛が陥った窮地。チームメイトが優秀すぎるがゆえに自分が活躍する隙がない、というのが一つだが、問題はそれだけではない。
(阿夜と敷波の仲が、悪すぎる……!)
試合前の顔合わせのときから酷かったのだ。最初からやけに撫子に刺々しい敷波と、その睨みを華麗にスルーし、余計に相手の怒りを煽る撫子。
俺この二人といっしょにやるの? と猿飛は不安を覚えた。
一回戦、二回戦と早々にひとりで勝利を決めてしまう撫子の協調性のなさもさることながら、彼女に対して当たりの強い敷波の態度も、けっして褒められたものではなく。
(くそ、ルクスの野郎とだけは絶対組みたくねえと思ってたけど、これじゃあぜんぜんあっちのチームの方がいいじゃねえか……!)
何かと人を馬鹿にしたような態度を取るルクスには腹が立つが、彼は
優秀なチームメイトに囲まれているという点では同じだが、その二人が喧嘩をせず、むしろ友好的だという時点で、猿飛よりも白雪の方が恵まれているというわけだ。
「おお~!」
「ルクスくん、かっこいい!」
グラウンドの端の方から聞こえる歓声。どうやら廻たちのチームが三回戦目の試合に勝利し、決勝への進出を決めたらしい。
猿飛は思った。白雪。甘いなんて言って悪かった。だから頼む。
──どうか、俺とチームを代わってくれ!