敷波真夏が三条冬香と出会ったのは、いまから約十年前。敷波が五歳、冬香が十四歳のときだった。
日本に魔法が普及し始めたおよそ百五十年以上前から、三条家と敷波家は主従関係で結ばれている。
敷波の子供は生まれたときから三条の人間に仕えることがきまっており、将来自分の主人となる相手との顔合わせは、最低でもオズの高等部に進級する十五歳までに済ませておくことがしきたりだった。
敷波は幼い頃から優秀な魔法使いだった。
魔力の保有量は歴代の敷波家の中でもトップクラス。先天的な魔法のセンスも持ち合わせていた。
五歳という若さで未来の主との対面を果たすことができたのもそのためだろう。
魔法よりも言葉の方が拙い頃、敷波は当時中等部に在籍していた冬香のもとに連れて行かれた。
将来あなたのご主人様になる人よ、と紹介されたのは、真っ直ぐな黒髪を後頭部で一つにまとめた美しい少女だった。
──あなたが真夏さんね。初めまして、私は三条冬香です
そう言って薄く笑った冬香に握手の手を差し伸べられた瞬間、敷波の目の前にきらきらと星屑のような光が散った。彼女はいまなにかそういう魔法を使ったのだろうか、と幼心に本気で思った。
──わたしが、あなたをいっしょうおそばでおささえしますから……!
五歳とは思えない重さ、言葉遣いで冬香への忠誠を誓った敷波の反応は敷波家の伝説となり、その甲斐もあってか敷波真夏はわずか十歳で正式に三条冬香の従者となることが決定した。
当然、それが許されるだけの努力もした。
初等部、中等部での成績は常に学年一位。学術も魔法も求められるレベル以上に磨き上げ、冬香の従者に相応しい実力や振る舞いを身につけてきた。
そんな敷波にとって彼女は──阿夜撫子は、無視しようにも無視できない存在だったのだ。
三条家の主な生業は国政の補助。魔法によって政治家や官僚のはたらきをサポートし、国を動かす影の立役者となることで現在の地位を作り上げてきた。
だが、同じ立場でありながら三条家よりも遥かに大きな功績を持つ家系がある。
それこそが阿夜家だった。魔法省の設立に尽力し、日本における魔法使いの地位の向上に努めた有名な三つの家系──御三家のひとつ。
運命の歯車がほんの少しでも違っていれば御三家と呼ばれていたのは三条家の方だったのだ、と敷波は思う。
だから敷波は撫子には負けたくなかった。要はライバル視していたのだ。
敬愛する冬香の立場を脅かす阿夜家の令嬢。撫子の魔法の実力は幼稚部の頃から異常に高く、敷波が彼女を意識するより前から二人はよく比べられていた。
自身の敗北は冬香の敗北、と勝手に思い込んでいた。
三条家が阿夜家を敵視しているわけではない。むしろ両家の関係は良好で、冬香にいたっては仕事の場や要人主催のパーティーなどで顔を合わせる撫子のことをその都度気にかけていたくらいだ。
それが余計に敷波には気に食わなかった。
撫子は優秀だ、と周囲の大人たちは言う。阿夜家のお嬢さまは格が違うね、と。三条家の跡取りである冬香の前で、平気な顔で口にする。
冬香本人は少しも気にしていないようだったが、敷波はそれが許せなかった。
冬香はこの世のだれよりも美しく聡明な魔法使いだ。
優しく、賢く、努力家で、常に自分を曲げることなくまっすぐな生き方を貫いている。
その努力を知ることもなく、なぜ彼らは撫子ばかりを持ち上げるのか。
ただの逆恨みであることは自覚していたが、どうしても認めることはできなかった。
──その身勝手な敵対心に明確な理由が追加されたのは、いまから一年前のことだ。
きっかけは、冬香がオズの教師になったことだった。
オズを卒業し、プロの魔法使いのライセンスを得た冬香はそのまま大学に進学し、その課程で教員免許を取得した。
彼女が三条家を継ぐものだと思っていた周囲の者たちは驚いたが、冬香の母である現在の当主が娘の頼みを快諾したのだ。
自分はまだまだ現役だから問題ない。あなたはあなたの好きなように生きなさい、と。
なぜ冬香が教師の道を選んだのかはわからない。尋ねてみようと思ったことは何度かあるが、冬香が何になろうと敷波が彼女の従者であることは変わりなかったし、自分で自分の将来を選択するその生き方に尊敬の念を覚えた。
だが、周囲の声はそうではなかった。
三条家は没落するのだ、跡取りである冬香が教師の職に就いたのもそのためだ、という噂が関係者たちの間に広まった。
かつてと比べ魔法使いの数が増えた現在、阿夜家ですらその立場の重要性を誇示することができずにいる中、三条家が生き残れるはずがない。政界関係の仕事は阿夜家に任せて、現当主の代で家を終わらせるつもりなのだと。
敷波は憤慨した。三条家には三条家の役目があり、そこに仕える敷波家も相応の誇りを持って彼らの務めをサポートしている。それなのに。
──ほら、自分より九つも年下の撫子さまがあれだけ優秀でしょ。冬香さまもプレッシャーだったんじゃないかしら
──たしかに、活躍の場が違えば比べられることはなくなりますからねぇ
ふざけるな、と敷波は思った。
何も知らないくせに、冬香さまを愚弄するな。その選択を妥協であるかのように貶めて、世間話のタネにして、お前たちにいったい何の得がある。
そんな敷波の怒りに追い討ちをかけたのは、一年前の撫子の一言だった。
──進むべき道を見つけたあなたを、私はとても尊敬します
冬香がオズに赴任する少し前。自分がオズの教師として働くことになったという報告、挨拶のために魔法省を訪れた冬香と、その付き添いであった敷波は、ちょうどそのとき同じ場所を訪れていた撫子と遭遇した。
幼稚部から中等部にかけて、敷波と撫子が同じクラスになることは何度かあったが、二人の間に交流はほとんどなかった。
敷波が一方的に相手をライバル視していただけ。撫子の母が亡くなってからは彼女がなかなか学校に来なくなったこともあり、敷波の方から相手に声をかける機会は皆無となっていた時期のことだった。
丁寧に挨拶を交わす主人と同級生。冬香の後ろで二人の会話を聞いていた敷波は、撫子が放ったその言葉に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
貴様が──よりにもよって貴様が、それを言うのか。
心ない周囲の人間に冬香が何を言われているのか知らないのか。
三条家が没落するから教師の道を選んだのだと、阿夜撫子に劣ることが重圧になっていたと、そう噂される冬香に対して、彼女は。
進むべき道、だと?
すぐにでも殴りかかりそうになる気持ちを抑えて、敷波は二人のやりとりの終わりを待った。
撫子が去ったあと、彼女の言葉を素直に喜ぶような態度を見せる冬香に、敷波は初めて負の感情にも似たものを抱いてしまった。
(私はずっと──あのときの貴様の言葉を許せずにいる)
それがやはり逆恨みであることはわかっていても、自身の内で燻る怒りを消すことは敷波にはかなわなかった。