■
開催:日本ウマ娘トレーニングセンター学園、第二レース場。
番号:第四レース
レース名:選抜レース
コース内容:芝一六〇〇メートル、左
天候:雨
バ場状態:不良
出走人数:九人。
発走時刻:一六:四五分
結果――
「ジェンティルドンナって子が一着で、君は二着だった」
雨の降るレース場で、彼は話を始めた。
「昨日のレース映像見てたけど、やっぱりとんでもないね、あの子。見てるこっちが気持ちよくなるくらい圧倒的だった。他の子たちには悪いけど、この世代はあの子かな」
「……そうですね。格の違い、というのものを思い知らされます」
「あれ、思ったより素直に認めちゃうんだ。もしかしてちょっと自信なくしちゃった?」
「まさか。貴方は知らないのでしょうけれど、別にこれが初めての敗北というわけではありませんから。むしろ同じレースを走った回数で言えば、お互いに一番なんじゃないかしら?」
「で、昨日と同じように、毎回二着で敗けてる?」
「…………ええ」
「なるほど。そりゃ、あの子の実力も否定しにくいわけだ」
悔しいけれど、認めるしかなかった。その事実は痛いほどにこの身体で実感していたから。
ジェンティルドンナ。
彼女を表す言葉は多くある――どこかの
周りを見下しているわけではない。かといって、自分の実力に過度な自信があるわけでもない。
ただ、その目に映っているのは、”絶対的な強さ”という頂だけ。
もしかすると彼女は、私や他の生徒のことなんて視界にすら入れていないのかもしれない。
……なんてことは、さすがに無いんだろうけど。
でも、そう思えるほど彼女の存在は大きくて、だから私たちが小さく思えてしまう。
「卑屈になるのはよくないよ。あの子が頭一つ抜けてるだけで、君もかなり上澄みなんだし」
「別に、弱気になっているわけではありません。ただ、私には越えなければいけない壁があって、その壁の高さを改めて実感しているだけです。それを卑屈だと言われる筋合いはないわ」
「そう? ま、ヘコんでないなら、なんでもいいんだけどさ」
隣に立っている彼は、分かりやすいくらい適当な言葉を私へ返した。
……それで、今更だけど。
「貴方は、どうしてここに?」
「君が来ると思ったから」
言葉を渡すと、すぐに答えが返される。
まるで最初から、私が質問するのを分かっていたみたいに。
……手のひらで転がされているような、そんな不快感が湧き上がってくる。
「私のことを待ってたのかしら?」
「そんな感じ。ほら、ミステリーでもよく言うでしょ? 犯人は現場に戻る、って」
「……その例えは少し違うんじゃない?」
「ああ、そう? でもまあ、君ならここに戻ってくるって、なんとなく分かったんだよね」
詰めが甘い自覚はあったみたいだけど、彼はそこまで気にしていないみたいだった。
「このコース、想定は東京レース場の一六〇〇なんだけど、知ってた?」
「東京の一六〇〇……ヴィクトリアマイルあたりを想定としたコースですか?」
「そうそう。あとは安田記念とかNHKマイルCとかさ、あそこは大きめマイルのレースすることが多いからね。つまり、マイル走るならこのコース練習しとけば何とかなるってわけ。坂もある程度は同じ……ってか、元のコースがそもそも勾配が緩いから真似しやすかったし、それならできるだけ近づけておこう、みたいな話が昔にあったんじゃないかな」
その話だけは信頼できた。
だって彼の胸元には、トレーナーバッジが見えたから。
だから今の話も、その場で吐いたようなウソには聞こえなかった。整合性も説得力もある。レース業界にある程度の精通があるのはその場で分かった。
でも。
「話を戻そうか。君は昨日、このコースで敗けた。その敗因を確かめるために、君はもう一度このコースを確認しにきた。幸い、今日は雨だからほとんどの生徒は屋内で練習してるしね。それに何より……今日はかわいい二人の妹さんたちとの約束も無くて、手持ち無沙汰だったもんね?」
「……探偵ごっこがしたいんですか?」
「いやいや、子供じゃないんだから。それに推理なんて呼べないよ、こんなの」
「そうですね。推理と呼ぶには稚拙だったかもしれません。でも、それはどうでもいいの。大事なのは、今の言葉で私はあなたのことを少しも信頼できなくなったこと。答えなさい。あの子たちのことはどこで知ったの?」
「そんな怒んないでよ。午前中に偶然、あの子たちと会っただけ。二人ともいい子だよね。君がそうやって大事に思う気持ちも分かる気がするよ。僕にも君みたいなお姉さんが欲しかったなあ」
私の知らないところで、予定を把握されていることも、確かにそうだけど。
何よりも、こんな男が私の妹たちに近づいたという事実に、不快感が湧き上がってくる。
……ああ、そうなんだ。私って、こういう人が苦手なタイプなんだ。
今まで男の人と話した機会が少なかったから分からなかったけど、今この瞬間に気づいた。
「……無駄話はもういいわ。私に用があるなら、早く済ませてくれる?」
「そう? じゃ、端的に」
睨みつけても、返ってくるのはへらへらとした笑いだけ。
「君のことスカウトしに来たんだよね。今、担当いないし」
「……………………」
もちろん、お断りしますけど。
彼の言葉にはいくつか疑問があったから、それだけ話してもらいましょうか。
「どうして私なのかしら?」
「ああ、ドンナちゃんじゃなくて、ってこと? いやだってあの子、競合相手が多そうじゃん? そういうの苦手なんだよね。女の子の取り合いなんてやったことないからさ」
「……貴方がろくでもない経験しかないことはよく分かりました」
「あはは、まあね。話のネタは色々あるよ」
そんな下世話な話なんて聞きたくありません。
「それで、二着の私なら取り合いもせずにスカウトできると?」
「……ん? ああ、別に君を下に見てるワケじゃないよ。その理論で行ったら、三着の子でも四着の子でもよかったしね。君で妥協しよう、って考えは一切ない。そこは安心してほしいな」
「なら、どうして私を?」
そうして私が投げかけた疑問に、彼は。
「君の顔めっちゃタイプなんだよね」
「……………………」
「……………………」
……………………。
「はい?」
「いや、君みたいな子マジでタイプなの。あと脚もちょー綺麗じゃん? お願いだからさ、一回だけ。ホント、お試しでもいいからやらせてくれない? あ、もちろん担当の話ね」
「うわっ……」
思わず声が出た。詰まった排水溝とかを見た時と、同じような声が。
いや、だって。こんなのありえない。無理よ。絶対にイヤ。
「……美人のウマ娘をお探しなら、私の他にも沢山いらっしゃるのでは?」
「いや、君がいい。君が一番かわいいから声かけたの。あと脚も綺麗だから」
「あっそうですか!!」
向こうに引くつもりがないことは、その時点で理解できた。
そんな言葉には似合わないような、あまりにもまっすぐな瞳で、こっちを見つめてくるから。
あと、さっきからいちいち脚を褒めてくるのは何のつもりなの!?
「ダメ?」
「そんな理由で契約するつもりはありません! バカにしないで……!」
「まさか、バカになんてしてないよ。それに自分で言うのも恥ずかしいんだけど、僕って意外と優良物件なんだよ? 試験もその代の首席で合格したし、先生からのお墨付きも貰ったんだから」
「だとしてもお断りします! あなたみたいな人とは組みたくありません!」
ちゃらちゃらしてるし、適当なことしか言わないし、そもそも人の目を見て話っ……!
……え? まさか脚見て話してるの? ウソ、ホントに……!?
「ま、ここで断られてもアタックは続けるから。これからもよろしくね」
「続けないでください」
「でも、どうしても担当が見つからなくて、デビューもできなかったら、僕のこと思い出してよ。滑り止めでもいいから、君のことを応援してる人が一人はいる、ってことだけ覚えておいて」
「……そういったことを仰るのは、脚ではなく目を見てからにしていただけるかしら?」
「あ、ゴメン。つい、ね」
無意識なの?
「とにかく、僕のことだけ覚えてくれればいいから。今日の目的はそれ」
「……まさか、だからレース直後じゃなくて、この時間を狙ったの?」
「
「っ……本当に、憎たらしい……!」
「あはは、怒った顔もかわいいね。もっと見てたいけど、僕もそろそろ仕事戻らないと」
「どうぞ行ってください! 私の前から早く消えて!」
あと少し居残られたら、足で泥を蹴り上げていたところだった。
というよりは、そういう線引きが分かった上で、自分から身を引いた気すらする。
「……変なのに目をつけられたわね」
なんて、適当なことばかり言うトレーナーと話したのが、二週間も前のことで。
■
今日は一日ぶりに妹たちと昼食を一緒にできる日。
だから、シュヴァルとヴィブロスを連れて、一緒にカフェテリアへと向かって。
そうして、カフェテリアの扉を開けたところで。
「……あ、来た。や、こんにちは。シーナちゃん」
ばたん!
「やっぱり今日は外で食べましょうか、シュヴァル、ヴィブロス」
「……姉さん? 今、誰かが向こうのテーブルから呼んでたけど……」
「あなたの気のせいよ。まったく、シュヴァルったらおかしなこと言うんだから」
「じゃあわたし、最近できたイタリアンのお店がいいな~♪」
「そうしましょうか。ヴィブロスが見つけたお店なら美味しそうだもの」
「え、ホントにこのまま行っちゃうの?」
もちろん。
わざわざ
そうと決まれば早速、場所を調べて……。
「僕そこ一度行ったことあるから案内してあげよっか?」
「結構です。あと、許可なく話しかけないでもらえますか?」
携帯の画面を覗いていると、横からそんな声が聞こえてきた。
できる限りあの顔を視界に入れたくないので、そのまま視線を動かさずに答えていると。
「あ、この前のお兄さんさんだ!」
「やっほ、ヴィブちゃん。今日はお姉ちゃんと予定合ったんだ?」
「うん! お兄さんはもうあそこ行ったの?」
「駅前のとこだよね? フツーに美味しかったよあそこ。内装もオシャレで雰囲気も良かったし、何よりこっから徒歩十分なのがいいね。ヴィブちゃんもきっと気に入ると思うな~」
「え~ホントに~? でもああいうお店って、やっぱりお値段張るんじゃないの~?」
「それがね、結構お財布にも優しいんだよ。シュヴァルちゃんもどう? そこ実はピザ食べ放題なんだよ。しかも二千円以内で。いいでしょ?」
「え、そうなんですか? それは……いい、ですね」
「何ならワインも飲めるしね。いや、ホントにあそこ穴場だと思うよ」
「すご~い! ねえねえ、お姉ちゃんどう思う?」
「これ以上、二人にこんな変な人と話してほしくないと思ってるわ」
「そこまで?」
首をかしげる彼から、ヴィブロスとシュヴァルの二人を引き離す。
「……その。妹たちにこれ以上近づかないでもらえます?」
「シーナちゃんを置いてけぼりにして、僕たちがイチャイチャしてるのが面白くなかった?」
「違います! あなたみたいな男が近くにいると、二人の教育に悪いから言ってるの!」
「えー、めっちゃ言うじゃん? 僕ってそんなに信用ない?」
「あるわけないでしょう!」
だってこの二週間、ずっと私に付き纏ってくるんだから!
トレーニングの時なんて当たり前に近づいてくるし、学園内でも隙があれば声をかけてくるし。それに何度断っても、次の日には忘れましたみたいな顔して来るのが本当に腹立たしい。
彼のヘラヘラとした苛立たしい顔が、ここ数日は目を閉じても浮かび上がってくる。
「ハッキリ言って迷惑です。この先も続けるようであれば、理事長にお伝えしますよ?」
「うん、いいよ。ってか今まで言ってなかったんだ。意外」
……はい?
「いいのね? 私の言い方次第で、もしかしたらクビになるかもしれないのよ?」
「んー……ま、ぶっちゃけた話すると、正直この仕事に何かこだわりあるわけじゃないんだよね、僕。だからそれでクビ切られても、別になあ、ってのが正直なところかな。給料良いから手放すのは惜しいけどね。でも、この仕事なくなっても、何とか生きてはいけるよ。今までそうしてたし」
「……へえ? それなら、遠慮なく報告させてもらいましょうか」
「でもさあ、それだと困るのはどっちかというとシーナちゃんじゃないの?」
「それはどういう意味で……」
「シーナちゃんさ、今すぐに担当になってくれそうなトレーナーって僕以外に誰かいるの?」
言葉が詰まる。否定したくても、できないことがこんなにも悔しいのは、初めてだった。
私に担当の話を持ち込んでくるトレーナーは、あのレースから今まで一人もいない。
……彼を除けば。
「いないでしょ? 知ってるよ。君のこと、ずっと見てたからね」
「ッ……」
「ま、今のはちょっとだけ言い方がイジワルだったかな。ごめんね。でも、今はみんなドンナちゃんに首ったけで、他の子を見てる余裕がないのは事実だよ。あの子もあの子で適当に選ぶつもりはなさそうだし。担当が決まれば、溢れた連中がシーナちゃんに話を持ち込んで来ると思う。
でもさ、シーナちゃんはそれまで待てるの? 向こうの担当が溢れるのを待ってたら、ドンナちゃんに遅れを取っちゃうよ? あの子と戦いたくないから世代をズラす、って考えならアリだけど……君がそんな考えをするはずないもんね?」
「……ええ、そうね。彼女とは正面から勝負したいのは確かです」
「なら、今すぐ担当トレーナーが欲しいんじゃない? 幸い、目の前に都合よく君が本命のトレーナーもいるんだし。ここまで来て、まだ選択の余地が残ってる……って考えちゃうほど、シーナちゃんも残念な頭はしてないでしょ?」
本当に憎たらしい。
私のことをからかっているような発言も、へらへらと語るその態度もそうだし。
何より、彼の言っていることが全て事実だから。
……ジェンティルドンナには、多くのトレーナーが担当の話を持ち込んでいる。
それこそ、同じ世代であるはずの私たちなんて眼中にないくらいに。
苛立たしいことではあるけど、それも彼女の強さを考えれば納得できた。
仕方ないか、という鬱屈とした納得だけど。
この男が言っていた、この世代は彼女、という言葉がじわじわと私の中で実感を帯びている。
「賢くやろうよ。お互いに、さ」
なんてことを囁いて、彼は私たちのそばから一歩引き下がった。
「ま、ここまで言ったけど無理強いはしないよ。強引なのは僕のやり方じゃないしね」
「………………」
「ただ、どうしようもなくなったら僕の話を聞きに来てよ。いつでも待ってるから、さ」
それから彼は、妹たちの方に向かって。
「ヴィブちゃんとシュヴァルちゃんも、またね。今後、よろしくするかもしれないし」
「うんうん、よろしくねお兄ちゃん」
「あ、はい……よろしくお願いします……」
「じゃ、三人でランチ楽しんできてね。バイバイ」
手をひらひらと振りながら、そのままカフェテリアへと戻っていった。
……まさか、あそこまで迫られるとは思わなかった。
適当なことばかり言っていると思ったら、急に核心を突くようなことを言って。
その上で、言うこともそれなりに筋が取っていて、頭ごなしに否定しにくい。
……もしかして、私から否定という選択肢を一つずつ取り上げているつもり?
強引なのは嫌い、って言ってたけど……だからといって、諦めるつもりもないみたいだし。
今はまだ拒否できているけど……それもいつまで続くかは、分からない。
追い詰められている。それも的確に一歩ずつ、逃げ道を塞がれながら。
「……本当に、どこまでも憎たらしい人」
とにかく今は、あの男のことは忘れてランチに行きましょう。
「うわっお姉ちゃん顔スゴっ」
ヴィブロス。
■