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今日は久しぶりに静かに集中してトレーニングができた。
というのも、ここ数日いつものように現れる彼が、今日は顔を出してこなかったから。
いつもだったら、トレーニングの時間になってしばらくすると、ふらふらと現れるんだけど。
どうにも今日は姿を見せる様子がなくて、おかげでいつも以上に集中して取り組めた。
そうして時間も時間だから、トレーニングを切り上げようとした時に。
「ごきげんよう、ヴィルシーナさん」
なんて、聞き覚えのある声が私の後ろからかかってきて。
「何の用ですか…………」
「あらまあすごい顔」
振り返った先には、珍しく驚いたような表情をしたジェンティルドンナが立っていた。
「あなたがそんな露骨に機嫌を悪くしているなんて、珍しいですわね」
「ええ。それが分かっているなら、そっとしておいてくれない?」
「……もしかして、いつもの彼が一緒ではないのが原因かしら?」
ぶちっ。
「……あなたまでそんな不愉快なことを言い出さないでくださる?」
「でもここ最近はいつも一緒にいますわよね?」
「向こうが! ベタベタと! 私のことをっ! つけ回してくるだけよ!」
「いいことじゃありませんの。そこまで熱烈なアプローチをされるなんて、羨ましい限りですわ」
「あなたが言うと皮肉にしか聞こえないんだけど……?」
私みたいにしつこく付き纏われているとは、さすがに思わないけど。
あなたはそれなりの人から、担当の話をこれでもかと持ち込まれているでしょうに。
「というか、あなたの方こそ担当のトレーナーはまだ決めないつもり?」
「ええ。こうも多いと、どうしても迷ってしまって。とはいえ、本命の方は既に決めていますの」
「そう。贅沢な悩みですね」
もう少し話が続きそうな気がしたけど、それ以上は聞きたくないので、話を終わらせた。
「それで、あなたはいつになったらあの方と契約するのかしら?」
「……まさか。冗談でしょう? 誰があんな人と組むものですか」
「あら? 私の見立てでは、そろそろ気も変わる頃だと思ったのですが」
「残念ですけど、あんな不純な人を担当にするつもりはありません」
別に担当のトレーナーにこだわりとか、理想があるわけじゃないけど。
少なくとも、ああいう人とは担当としても、一人の人間としても関わりたくないだけで。
こんなことを言うのはどうかもしれないけど、正直アレ以外だったらこの際誰でもいいわ。
「勿体ない限りですわね」
なんて考えていると、彼女がそんな言葉をぽつりと漏らして。
「どういうことかしら?」
「彼、そこそこ優秀ですのよ。少なくとも、私の担当になろうとするトレーナーの方たちよりは。それこそトレーナー同士の中でも話題になっているみたいですし、実力に間違いはありませんわ。彼に代わって、私が保証して差し上げます」
彼の口から聞いたときは、一切、全く、ひとかけらも信頼できなかったけど。
でも、このジェンティルドンナが言うなら、実力だけは本物らしい。
「だからって、あの人と組めって言うつもり?」
「人間、何かを代償にして何かを得てるものですのよ」
「代償がアレじゃ話にならないと思いますけど」
「それでも、彼を選ぶ価値はあると思いますわ」
「……ちょっと待って。まさかあなた、アレの味方をするつもり?」
「というよりは、ヴィルシーナさんの味方をしているつもりですが」
私に強くなってほしい、という願望が彼女にあるのは、私も薄々気づいている。
それに関して、私も何か言うつもりはない。形は少しだけ歪かもしれないけど、お互いをライバルとして認知しているのは、きっと向こうも同じ。情けをかけるような真似はしないし、憐れむような真似をしないはず。力の差はあるけど、そこに優劣があるとは思っていない。
でも、今の彼女の言葉は、あまりにも。
「あなたにとって、今の私はそんなに惨めに見える?」
「そこまで言うつもりはありませんわ。ですが、選択の余地は残されていないのではなくて?」
「……………………」
聞きたくない声が聞こえてきたのは、そうやって彼女に問いただされている時だった。
「シーナちゃん、お疲れさま」
「うわっ」
「あら、噂をすれば」
振り返るとそこには、こちらに向かってくる彼の姿があって。
「ゴメンゴメン。今日はちょっと仕事が残っちゃってさ」
「そうですか。お勤めご苦労様です。もうお帰りになってよろしいですよ」
「いやいや、シーナちゃんの顔見てからじゃないと帰れないって」
「なら脚じゃなくて、ちゃんと私の顔を見て話してもらえますか?」
出会うなり足元に視線を寄せるのは、失礼を通り越してもはや侮辱だと思うのだけれど。
「ドンナちゃんもこんにちは。今日も美人さんだね」
「ごきげんよう。あなたの口の回りも、いつも通り調子がいいみたいですわね」
「そりゃね。今までの人生、これしかしてこなかったから」
「みたいですわね。謙遜も未だに慣れていないようですもの」
「あはは、そこまでお見通し?」
いつもどおりへらへらと笑う彼に、ジェンティルドンナはため息交じりにそう答えていた。
面識があったことには、驚かないけど。それにしたって、彼とのやり取りが手慣れているのは少しだけ疑問だった。というよりは、アレとまともに話す気があるのが不思議というか。
……いや、私が気にしたって仕方がないか。
「では、私はこれで」
「えー? もうちょっとイチャイチャしようよ。ほら、タイムとか測ってあげよっか?」
「結構です!」
あと、タイム測定をそう認識してるのはトレーナーとして問題じゃないかしら!
「それでは私のタイムを測っていただけます?」
「あ、ドンナちゃんはまだ残るんだ?」
「ええ。といっても、これで最後にするつもりですが」
「そうなんだ。ま、時間も時間だしね。シーナちゃんとイチャイチャできないのは残念だけど、ドンナちゃんとイチャイチャできるなら、仕事早く終わらせて来た甲斐があったかな」
「そこまでハッキリ言われると、さすがにヴィルシーナさんに妬いてしまいますわね」
……やっぱりあの二人、仲はそこそこいいみたいね。
元から付き合いがあったのかしら。彼女の言葉を信じるなら、あの男も優秀みたいだし。
優秀な生徒とトレーナー同士、どこかで顔を合わせていたって考えれば、不思議な話じゃない。
……いや、だから、私には関係ない話だって――。
「でも、今のヴィルシーナさんでは、貴方のことを満足させられないでしょう? そのぶん、私が貴方のことを満たして差し上げますわ」
はぁ?
「……聞き捨てならないわね、今の台詞」
「あらヴィルシーナさん、まだいらしたのね?」
「ずっといたわよ! ……それで、さっきの言葉はどういう意味?」
「そのままの意味ですわ。あなたの実力だと、この方を満足させるのは難しいのではなくて?」
「へえ、面白いじゃない。それなら確かめてみましょうか」
別に、彼を満足させられるかどうかなんて、本当にどうでもいいけれど。
ここまで分かりやすく煽られたら、黙って見過ごす方が失礼でしょうし。
「そしたら、二〇〇〇と一六〇〇、どっちがいい?」
「一六〇〇にしましょうか。ちょうど、先日の模擬レースと同じ距離ですし」
「ええ、私もそれで構いません」
「やる気だね、二人とも。じゃ、さっそく始めよっか」
そうして。
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「っ、は……! けほ……!」
ただでさえ重たい空気を吸い込んだ肺が、無理やり締め付けられるのを感じていた。
干上がった喉では呼吸もまともにできなくて、途切れ途切れの咳が口の端から流れていく。
滲んだ視界の先に立っているのは、何でもないように髪をたなびかせる彼女の姿。
……あの時に見た景色と、同じだ。
「こんなところですわね」
息の一つも乱さずに、ジェンティルドンナは何でもないように呟いて。
「でも、先日よりも少しばかりは楽しめましたわ。本当に少しだけ、ですが」
「……悪かったわね。物足りなくて」
「あら、これでも褒めてるんですのよ? あなたの成長が見られて嬉しい限りですわ」
彼女が浮かべる満足そうな表情を見れば、それが嘘ではないことは理解できる。
ただ、だからこそ、純粋な格の違いというのを見せつけられているようで、悔しくて。
「ですが、トレーニング終わりで疲れているのに、無理やり走らせたのはいけませんでしたわね。焚きつけた私にも責任はありますが……今日はゆっくりお休みになってくださいな」
「言われなくてもそうします! いちいち上から……ッ、本当に何様のつもりよ、あなた!」
「何様って……私、あなたの先輩ですわよ? 後輩のことを気に懸けるのは当然ですわ」
「ジェンティルドンナァ!!!!」
苛立ちを抑えきれずに、思わずそう叫んでしまう。
そんな私のことを、彼女はいつものことみたいに流してから。
「それで、タイムの方は?」
……返事が無い。
不思議に思って、私も同じ方向へと視線を向けると。
「………………………………」
私たちになんて目もくれず、無言で手元の資料を見つめている、彼の姿があった。
「ちょっと、聞いてるの?」
「……え? ああ、ごめんごめん。タイムね。ほら、これ」
そう言って、彼はストップウォッチを私たちに見せながら、
「ドンナちゃんは短くなってる。シーナちゃんは逆に伸びちゃってるね」
「まあ、それは……」
「でも、二人ともデビュー戦の勝ちの平均タイムに近いから、二人ともかなりイイ線はいってるよ。他のメンツとか天候バ場もあるから絶対とは言えないけど、逆に言えばこのままデビュー戦に飛び入り参加で突っ込んでも勝てそうな勢いはあるってことだね。
走行中のフォームも二人とも綺麗だった。クセは少ないけど、かといって単純な走り方でもない。それに何より、自分のやり方が確立できてるのはいいことだね。これに関しては出来てない子の方が多いし、そう考えるとやっぱり二人は結構同じ世代の子の中でも上澄みだよ」
呆然とする私たちなんて目に入ってないみたいで、彼がそのまま話を続けた。
「じゃ、ここからは個人の話。
ドンナちゃんはもうちょいがっついてもいいかな。ま、今のはトレーニングの締めに走ったってのは分かるんだけどね。ただ、ドンナちゃんってもっとやれるでしょ? それに君が全力出せる相手なんて、今んとこシーナちゃんしかいないんだし。遠慮せずにぶつけちゃっていいと思うよ。
逆にシーナちゃんは結構、前のめりな印象だったかな。相手が相手だからってのは多少あるだろうけど、セーブする感覚はどっかで掴んどいたほうがいいかもね。良くも悪くも視野がこの子にしか開けてない。逃げで走るなら話は変わってくるけど、少なくとも先行なら自分でレース作るのが前提になってくるし。もうちょい周り見ると変わってくるかも……ね……」
「…………………………」
「…………………………」
「……え、何? 二人ともどうしたの?」
「ですから言ったでしょう? 彼、そこそこ優秀だって」
「……あなた、そんな真面目な顔できたのね」
「ちょっとやめてよー。こういうキャラじゃないことくらい理解してるって」
少しだけ照れくさそうに彼は笑っていたけど、目線は今でも資料の方へ向けられていた。
……正直、今までの適当な態度が演技だと思えるくらいには、真っ当な意見だった。
だって、自分の中で燻ぶっていた走りに対する問題点が、明確に言語化されて渡されていたから。そんな一度見ただけで、ここまで細かく分析して、的確に指示を出せるものなのかしら?
適当に嘘をついているとは思えないし、そもそも嘘をつく理由が無い。
だから、彼が優秀だという事実を否定する材料が無い。
……また、否定という選択肢がひとつ、私から奪われた気がする。
「色々と勝手に言っちゃったけど、教官に何か言われたらそっちに従った方がいいよ。僕の意見はあくまで今のレースだけを見た上での感想だから。これで伸びるって保証はできない」
「いえ、参考になりましたわ。ありがとうございました」
「……ありがとう、ございました」
「あ! シーナちゃんがデレた!」
「ぐっ……!」
「今日ほんとにすごい顔しますわねあなた」
うるさい!!
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「あれ、今日は妹さんたちと一緒じゃないんだ?」
また別の日、カフェテリアで。
一人でランチを摂っていると、当たり前のように彼が近づいてきた。
「ええ。二人ともそれぞれ、友達と約束をしていたみたいで」
「あはは、それは残念だったね。……隣、いい?」
「どうぞ」
許可を出すと、彼はありがとー、なんて気の抜けた返事をしてから、隣の席へ座る。
「珍しいね、僕と素直に話してくれるなんて。もしかして契約する気になってくれた?」
「そのことについて、一つだけお聞きしたいことがあるのですが」
「……いいよ、何?」
多少ウキウキしてるように見える彼に、一言。
「あなたは、私がジェンティルドンナに勝てると思いますか?」
珍しく少しだけ言い淀んでから、話が始まった。
「……そうだなあ。断言はできない。この世に絶対なんてないんだし」
「そうですか」
「でも、シーナちゃんのことは全力で応援する。シーナちゃんをドンナちゃんに勝たせてあげたい、って気持ちは本当だよ。……まあ、ここで勝たせてあげられるって言えたらよかったんだけどね。残念ながら、僕は自分にそこまでの実力があるとは思ってない」
「それも謙遜ですか?」
「いや、事実だよ。僕の実力ってよりは、あの子の実力に対する言葉だけどね」
「……否定できませんね」
「ま、だろうね。君が一番、あの子の実力を知ってるはずだ」
頷く。これまでに、何度も彼女の実力を見せつけられてきたから。
「あなたも理解してるなら、私じゃなくてジェンティルドンナさんを担当すればいいじゃない」
「実績のこと考えるならそれもアリなんだけどね。ドンナちゃんも僕の顔を覚えてくれてるみたいだし。ちゃんと話せば、決勝戦までのシード権くらいは貰えそうかな? なんて」
「それでも、あなたは私を選ぶんですか?」
「うん。だってタイプだし」
「それだけの理由で?」
「ま、そうだね。でも、だからこそ君のことは全力で応援したいし、君の力になりたい」
まっすぐとした視線で、彼はそう言って。
「貴方のことを使い捨てるかもしれないわよ」
「全然いいよ。それでドンナちゃんに勝てるならね」
「……そう」
「だから愛想がついたら適当に切ってくれていい。あの時の私はどうかしてたんだ! ってテキトーに理由つけて納得してくれればいいよ。ただ僕はね、君があの子に勝ちさえすれば、それ以外のことはどうでもいいんだ」
そうやって語った声には、どことなく哀愁が漂っている気がした。
「私、もう行きますね」
「うん。午後も頑張ってね」
「……トレーニング、今日も見に来ますか?」
「もちろん」
「そうですか」
……はあ。
「今日は坂路のコースでトレーニングをしようと思っています」
「……! そっか。なら、そっち見に行くよ」
「まあ、時間が合えば、ですが」
「シーナちゃんのためなら無理やり作るって」
なんて言葉を最後にして、会話が終わる。
……いつの間にこんなに絆されたのかしら、私。
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「え~? お姉ちゃん、今日もトレーニングなの?」
「ごめんなさいね、ヴィブロス。ここしばらくは予定が詰まってて……」
「この前、一緒に買い物しようって約束したじゃん! デートしようよ、お姉ちゃん~!」
「それは……」
「……やめなよ、ヴィブロス。姉さんだって頑張らなきゃいけない時なんだ」
「それは、分かってるけど……」
「買い物なら僕が付き合うから。この後なら、時間もあるし」
「え、シュヴァちが一緒にデートしてくれるの!?」
「うん。だから、姉さんの邪魔だけはしちゃダメだよ」
「シュヴァル……!」
本当に、本当に心苦しいけど、それでもトレーニングを優先しないといけない。
選抜レースの時期も近いし、ジェンティルドンナだって力を入れているはず。
ただでさえ彼女に先を越されているのに、このまま後れを取るわけにはいかない。
「ごめんなさいね、二人とも」
「うん。ヴィブロスのことは僕に任せて、行ってきて」
「頑張ってね、お姉ちゃん!」
「ありがとう、シュヴァル、ヴィブロス。じゃあ私はこれで――」
なんて。
私に手を振ってくれている、シュヴァルとヴィブロスに手を振り返した時。
ふと、視界の端、渡り廊下の影に隠れているところに見えた。
「では、場所を移しましょうか。貴方もその方が都合がいいのではなくて?」
「……そうだね。部屋は用意してるから、そっちで話そっか」
ジェンティルドンナと彼が、二人っきりで話をしている光景が。
「………………………………は?」
「あ、お姉ちゃんまたすごい顔してる!」
「えっと……姉、さん?」
「は?」
「壊れちゃった」
「ええ……!?」
「は?」
待ちなさいよ。
ジェンティルドンナの担当をするつもりはない、って言ってたじゃない。
いや、別にそういう話だっていう根拠は、今のところどこにもないし。
そもそもあの二人が何してようと勝手だけど、それにしたって。
え、何? 彼、私にゾッコンとか言いながらどうして彼女と話してるわけ?
しかもなんだか、二人っきりになって大事な話をしようとしてるし。
は?
「ごめんなさい。私、行かないと」
「……と、トレーニングに、だよね? でも、コースはあっちだけど……?」
「ちょっとだけ用事を思い出したの。大事な大事なね」
そう、ちょっと話があるだけだから。
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二人の後をつけてたどり着いたのは、トレーナー室だった。
どうやら彼に割り振られた部屋みたい。まだ担当契約もしてないのに。
彼が優秀だから? それとも、契約予定があれば前借りできるとか?
でも私は契約予定なんてしてないわよ?
…………。
ジェンティルドンナ?
「まさかね……」
こっそりと扉に近づいて、耳を当てる。
部屋の中から聞こえてきたのは、彼とジェンティルドンナの会話で。
「こちらの紙に記入すればよろしくて?」
「うん。名前とクラス番号さえ書いてくれれば、後はこっちで何とかするよ」
「そうですか。では、明日からよろしくお願いしますわね」
……ちょっと。
ちょっと。
「ちょっと待ちなさいよ!!!」
「うわびっくりした!? え、あれ!? ホントにシーナちゃん!?」
「あら、ヴィルシーナさん。ごきげんよう」
「ごきげんようじゃないわよ! あなた、どういうつもり!?」
「そちらに関しては、彼から質した方がよろしいのではなくて?」
確かにそれもそうね!
「ねえ」
「はい……」
「納得のいく説明してくれるかしら?」
「いや、まあ、その……えっと、ドンナちゃんから話があって?」
「契約の?」
「いや、一応その、契約書類をこっちで用意しただけで……」
「契約する気まんまんじゃない!」
堪え切れなくなって、そのまま彼の胸元へと手を伸ばしてしまう。
「貴方、どういうつもり!? 私のことタイプだから契約したいって言ってたわよね!? 私にゾッコンだって!? 私のことを勝たせたいって言ったばっかりじゃないの!! なのにこれはどういうことかしら!? 話がまるっきり違うじゃない!」
「いや、えーっと……その……」
目を泳がせないで、せめてちゃんとした言い訳をしてくれるかしら!?
「違う? どこが違うのですか? あなた、このお方から何度も契約の話があったのに、断り続けてるではありませんの。それなら、私が契約してもよろしいのではなくて? だって、あなたには契約する気がないんですもの」
「っ、それは……!」
「ああ、でもそうですわ。また、あなたから奪うことになってしまいますわね」
「……何を」
「彼の一番を」
はぁ!?
「ちょっとそれ貸しなさい!」
「あら乱暴」
あとそのボールペンも寄越しなさい!
で、氏名とクラスだったかしら!? あとは距離!? マイルと中距離!
「はい契約書類! どうぞ!」
「……え、マジで?」
「マジです!」
あそこまで私に付きまといながら、ぺらぺらと調子のいいセリフで口説いておいて!
こっちがその気になった瞬間に、別の女に乗り換えるなんて!
そんなのただで見過ごせるわけがないじゃない!
それに、何より!
乗り換える先が、よりにもよってあのジェンティルドンナなんて!
「いい!? 私にここまでさせた責任はちゃんと――」
「あー……ホントに契約できちゃった……」
「だから言ったでしょう? こうすれば自分から来る、って」
「…………はい?」
書類を封筒に入れながら、二人が交わす会話に、急に頭が醒める。
「あなたたち……まさか、最初からそのつもりで…………!」
「だっていじらしかったんですもの。私としては、そっと見守るつもりでしたが……こうなってしまっては、もう耐えきれなくって」
「いや、僕もまさかホントに来るとは思ってなかったよ」
――――――ッッッ!!!
「今日もいつものコースでトレーニングするから! ちゃんと来なさいよ!」
「あっちょっとシーナちゃん!? まだ話がちょっとあるんだけど!?」
「言い訳ならコースで聞いてあげます!」
揃いも揃って、私のことをおちょくって!!
もう知らないんだから!!
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「いやぁ、それにしてもこんなに上手く話が進むなんて思わなかったよ」
「あの子は思っているよりもまっすぐな子ですから」
「よく見てるなあ、君も」
「私のライバルですもの。当然ですわ」
「でもホントに助かったよ。それに、こんな演技みたいなことさせちゃってゴメンね」
「本当ですわ。ここまでのことを私にさせたのですから、相応の対価を期待してもよろしくて?」
「そうだなあ……あ、お礼に君の言うこと、何でも一つ聞いてあげる、ってのは?」
「……あら。それは……」
「できる限り応えるつもりだよ。手加減はしてほしいけど……」
「それは今お伺いしてもよろしくて?」
「もちろん」
「なら、今すぐ私の分の書類も用意していただけるかしら?」
「…………………………」
「…………………………」
…………………………。
「え?」
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