地下へと続く薄暗い通路を進むと、バーンは妙な気配を察知した。
(……何者かがいるな)
静かに歩を進めると、奥の部屋に一人の少女が佇んでいた。
白い狐のお面。艶やかな黒髪。
そして、その手には奇妙な石板のようなものが握られている。
(フム……中から持ち出したものか)
「うーん……これが一体何なのか、まったくわかりませんね。壊そうにも……」
少女はどうやら石板の正体を探ろうとしているようだったが、うまくいっていない様子だった。
「……あら?」
次の瞬間、バーンの接近に気づいた彼女が、こちらへと視線を向けた。
「あ、ああ……」
一目バーンの姿を見た瞬間、ビクリと肩を跳ね上げる。
「あら、あららら……し、し……失礼いたしましたー!!」
震えるような声を漏らすと、反射的に一目散に逃げ出そうとする。
「フン」
バーンは軽く右手をかかげ、静かに技の名を呟く。
「闘魔傀儡掌」
するとバーンの右手から暗黒闘気の糸が狐面の少女へと迫り、その身体の自由を奪う。
「う、うぐ……!?」
指一本動かせず、声も出ない。
突然自由を奪われた少女の目に、明らかな恐怖が宿る。
バーンはそんな彼女をじっと見下ろした。
(……どうやら、こやつは"敵"ではないな)
目を見れば分かる。
この少女は確かに動揺し、怯えている。しかし、その目には殺意も敵意もない。ただの困惑と焦燥――それに、若干の興味が混じっている程度だ。
(フン……ならば、盗賊か)
バーンは腕を組み、静かに言った。
「万物全ては余の所有物。それは貴様とて例外ではない。窃盗などという下らぬ行為は、二度とするでない」
少女の目が大きく見開かれる。
「余は寛大だ。過ちは三度まで許してやる。行け。」
そう言いながら、バーンが闘魔傀儡掌を解く。
すると少女は慌てて立ち上がり、バーンに向かって深々と頭を下げると、そのまま全速力で逃げていった。
「……さて」
逃げ去った少女を見送ると、入れ替わるようにリンが地下室へと入ってきた。
「お待たせしました。……? バーン先生、何かありましたか?」
「いや、そこに面白そうなものが落ちていると思ってな」
バーンはそう言いながら、少女が落としていった板状のものを指さす。
「なぜこんなところに……」
リンは慎重な面持ちで石板を拾い上げ、バーンへと差し出した。
「これは"シッテムの箱"です」
「シッテムの箱……?」
バーンがそれを受け取ると、石板が微かに光を放つ。
「見た目はタブレット端末ですが、キヴォトス全体の制御を可能とするものです」
「ほう……?」
バーンの目が細くなる。
「そして……」
リンはわずかに視線を落とし、慎重に言葉を選ぶ。
「連邦生徒会長が先生のために残したもの、と言われています」
沈黙が落ちる。
バーンは無言でそれを見つめた。
「つまり、余がこれを用いれば、このキヴォトスの理すらも支配できるというわけか。実に興味深い……」
その声には、どこか"試す"ような響きがあった。
リンは微かに息を呑む。
「……正直に申し上げますと、私個人としては大魔王でいらした先生にこれをお預けして良いのか、迷っている部分もあります」
「ほう?」
バーンは興味深げにリンを見た。
「先生は……その、大魔王として世界征服を目指していらしたのですよね?」
「そうだな」
「そんな方に、これをお渡しするのは私個人としては戸惑いがあります。」
言葉を選ぶように沈黙した後、リンは決意したように続ける。
「ですが……先ほどユウカさんが先生に何者かと問いかけた際、先生は迷わずに『教師だ』とお答えになりました」
「――」
「過去がどうあれ、今の先生がご自身を教師であるとおっしゃっている以上、それを信じることが、私たち生徒にできる精一杯の誠意です。バーン先生、どうかシッテムの箱をキヴォトスの未来のためにお使いください」
静寂が落ちる。
バーンはしばし考え、口角をわずかに上げた。
「クク……何とも不思議なものよ」
「かつて余は"奪う"ことで世界を支配しようとしたが、此度は託される立場になるとはな」
彼はかつての自分と、今の自分を思い返す。
「よかろう。……貴様らが余を信じて世界を託すと言うのであれば、その期待にせいぜい応えるとしよう」
バーンが改めてシッテムの箱を眺めると、その平面に光が浮かび上がる。
「パスワードを入力してください」との文字列が浮かび上がる。
「フム……何らかの世界に繋がる制御板のようだが……」
バーンは低く呟き、端末を睨む。
次の瞬間だった。
脳裏に、知らぬ声が響いた。
『我々は望む、七つの嘆きを。我々は覚えている、ジェリコの古則を』
「……何だ、これは?」
思わず顔を上げる。
ここには誰もいない。であるのに、確かにその言葉は余の耳に届いた。
いや、耳ではない。脳に直接響く、呪詛めいた響き。
「余の知らぬ記憶……否、これは誘導か?」
バーンは眉をひそめた。
このような干渉をバーンを相手に試みるとは、よほど増長した輩か、崖っぷちまで追い詰められた輩だ。
「クク……余を操ろうとはな。誰であれ、身の程を思い知らせてくれるわ」
静かに手を掲げる。
五指から発せられる魔力が、端末を覆った。
「太古の封印よ 城に眠る霊よ
我が願いを聞き届けたまえ
今こそ隠されし鍵を解かん――アバカム」
バーンの言葉と共に、周囲の空気が微かに震えた。
端末はノイズ音を発し、一瞬だけ「ERROR」の文字が浮かんだ。
だがすぐに切り替わり、画面に新たな文字が踊る。
**『シッテムの箱へようこそ、バーン先生』**
「フフ……術理は違えど、封印を解く理。その本質は変わらぬ」
バーンは満足げに微笑んだ。
――と、その時。
「んん……むにゃ……おはようございます……」
微かな声がした。
振り返ると、机に突っ伏して眠っていた少女が目を覚ましたところだった。
青白い髪。幼い顔立ち。純粋さをそのまま形にしたような存在。
「おや、あなたがバーン先生ですね!」
少女はパッと顔を上げて微笑んだ。
「フム……ゴーストの一種かと思ったが……」
バーンはじっと観察する。
だが、魔力を感じ取るまでもなく、彼女は幽霊などではない。
「それにしては、人としての意識ができすぎている……」
しばし考え込む。
そして、一つの結論に至った。
「なるほど。人間の魂を、何らかの術式でこの石板に転写した存在か?」
「えっ? ち、違いますよ!」
少女は慌てて首を振った。
「私はアロナ! システム管理AIです!」
「フム……ならば貴様は、機械の器に囚われた魂という事か」
「えっ!? いや、だから違いますってば!」
少女――アロナは困惑するが、バーンは一切意に介さない。
「クク……まあよい。余の下につくのならば、それが何であろうと使いこなしてやるまでよ」
そう言い放つバーンに、アロナは半ば呆れつつ、苦笑いを浮かべた。
「えっと……よろしくお願いしますね、バーン先生!」
……先生。
そう呼ばれる度、胸に微かな違和感が生じる。
バーンは無言で目を細めた。
「それで、次は認証手続きです!」
明るく声を弾ませるアロナ。
「先生の指を、ここに重ねてください!」
バーンは差し出された小さな手を見下ろす。
躊躇いはしない。
ただ――
(……幼子の手をみるなど何千年ぶりか)
一瞬、ほんの僅かに、バーンの眉が動いた。
すぐに感情を振り払うように、無表情で指を重ねる。
「認証完了。ようこそ、正式ユーザー“バーン先生”」
機械音声が告げる。
「よし、これでタワーの制御にアクセスできます!」
アロナが嬉しそうに頷く。
バーンは再び画面を睨んだ。
「連邦生徒会長……貴様の意図は測りかねるが……」
目的は依然として霧の中。
だが、もう迷うことはない。
「よかろう。ならばこの余が確かめ、見極めるまでよ」
そう、教師として。
導く者として。
「フフ……面白くなってきたではないか」
バーンは静かに笑うのだった。