「起きましたか、伊織」
階段を下りると、そう言って紅茶を用意する女性がいた。あぁ、と今更ながらに得心する。水瀬伊織は昨日、サーヴァントを召喚したのだ。思わず立ち止まっているとアーチャーは首を傾げる。
「伊織、紅茶が冷めてしまいます。こちらに」
「え? ああ、うん」
促されるままに着席、差し出された紅茶を含む。
「おいしい」
「良かった」
にっこりと微笑む銀髪の女性に久しく忘れていた母性を感じ、伊織は頬を赤らめて紅茶に集中する。
一月十六日、魔力すっからかんの水瀬伊織はサーヴァントの奇妙な特技に舌鼓を打った。
「ごちそうさま、それにしても片付いているわね」
「故意ではないとはいえ、散らかしたのはわたくしですから当然です」
「かぐや姫って片付けできたのね」
知っている知識を掘り起こせば、かぐや姫は帝その他諸々の求婚を破棄するためにそれはもう無茶な要望をかましていたという印象しかない。目の前のサーヴァントにはその高貴さこそ感じるものの、そのような無体なまねはしそうになかった。
というより、今更ながらに違和感。
「ねぇ、あなたの髪って自前よね」
「――なるほど。寝起きは良いのですね、魔力切れを起こしているはずなのに」
「説明、してくれる?」
こくりと頷く。伊織はアーチャーを改めて眺める。黒のドレスは彼女のボディラインを隠さず、色気を十分に醸し出す。銀の髪と赤い瞳は魔性、なるほど男をたぶらかすには十分のものだ。
だが、かぐや姫の物語である竹取物語は日本の遥か昔――奈良時代の話。彼女の衣装は時代に合わず、また、かぐや姫は黒髪だったはずなのだ。彼女の姿が信仰に引き寄せられているのならばいざ知らず、彼女の姿はあまりにも『かぐや姫』にそぐわなかった。
「わたくしがかぐやであるのは確かなことです。月の都の王族であることも確かです。ですが、此度の聖杯戦争におけるわたくしの真名は異なっています」
「真名が、異なる?」
「えぇ。ですからわたくしの姿はかぐや姫のそれではなく、この真名の姿なのです。我が真名は『四条貴音』、恐れ多いことですが、銀色の女王と呼ばれておりました」
四条貴音、明らかなる日本名だ。だが伊織には心当たりはない。日本の伝説上にそんな存在がいたのだろうか。そんな思考を予想してか、アーチャーは首を振った。
「先ほども言いましたが、わたくしはかぐやです。ですがこの姿は四条貴音、かぐや信仰は受け付けませんし、宝具も異なっています」
「……そうだ。貴女の宝具って何なの?」
思い出したように尋ねる伊織。宝具――それは英雄の象徴であり、人間の幻想で編まれた切り札だ。強力な必殺技だといえば簡単なのだろうか。基本的に真名を隠して戦う聖杯戦争において、宝具は一撃必殺でなければならない。宝具が露呈することで正体がばれ、対策を練られてしまうからである。
「わたくしの宝具は『雪』です」
「雪? 雪って、あの自然現象の?」
「はい。ですがこれ以上の説明は控えさせていただきます」
「は、なんでよ?」
アーチャーは口元で指を立てた。斜に構え、流し目で告げる。
「とっぷしーくれっと、です」
「…………あのね」
伊織の目に意志が宿る。立ち上がり、右手を掲げた。寝巻き越しに輝く腕は肩口から手首ほどまでの巨大な魔術回路と、聖痕。
「そんな説明で、知ることのできる情報を私が黙認するとでも思っているの?」
「いいえ、ですがわたくしは話しません。わたくしの意志を曲げるのならば令呪の一画を頂きます」
「……」
令呪――それはサーヴァントを御する絶対命令権。マスターに刻まれるそれで命令すればサーヴァントは抗うことができない。また、マスターとサーヴァントの魔力で可能ならば、単体では無理な行動も可能になるというブースターでもある。具体的な指令ならばより強大に、広義的なものならばより脆弱になる為に、サーヴァントによっては令呪の命にも抗うことができる場合はある。
そして、サーヴァントがマスターに従える理由でもある。令呪があればサーヴァントを制御できる、しかしそれは逆に、令呪を失えばサーヴァントは自由であるということなのだ。令呪は三画、実質上二回までなら命令ができる。
「……っ」
伊織は静かに状況を見定めた。はっきり言って宝具の情報は大切だ。知略を重んじる彼女にとって、手札が見えないのであれば戦略も立てようがない。それを補うのはアーチャーへの信頼だが、まだ出会って一日も経っていない人外に対し、魔術師として気を許すことはない。
無論、好ましい存在だということはわかっている。だがしかし、あらゆる望みを叶えるという万能の釜――聖杯を手に入れるためならば、どんなことをしても、されても不思議ではない。
「ますたぁ」
「何よ」
「このような些事で令呪を使うのは愚の骨頂だと思いますが」
「そんなのわかってるわよっ」
ふぅ、とアーチャーは息を吐き、申し訳ありません、と謝罪した。
「少々からかい過ぎたようですね。伊織、確かにわたくしは不実であると思いますが、そこは考慮いただきたい。別に伊織に話すのが嫌、というわけではありません」
「じゃあなんで話さないのよ」
アーチャーは背を向け、振り向いた。何その仕草、と思うが黙る。
「伊織を驚かせたいですし、その方が雅でありましょう?」
あ、こいつめんどくさい。伊織は説得を諦めた。
目覚めた時点で学校は始まっている。よって伊織は学校を諦め、アーチャーを従えて街の散策に向かった。アーチャーは霊体、普通の人には見えない。
さまざまなところを回りつつ、公園にたどり着く。屋台が細々と営業しているのを確認した瞬間、アーチャーは実体化した。
「ちょ、あんた何!?」
「伊織、あれはほっとどっぐです」
「はぁ? 知ってるけど」
「ほっとどっぐ、何とも美味な香りです」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「――はぁ」
そんなやりとりが三度ほど続いたところで伊織はアーチャーを理解する。令呪がなくとも食事で従えることが可能だ、この大喰らいは。
昼食も何故か実体化したアーチャーは貪り、伊織は財布が軽くなる。本当に遠慮はなかった。しかし頻繁に実体化するのはいただけない。
アーチャーはかぐや姫、その美貌は折り紙つきだ。道行く人は老若男女振り返り惚けてしまう。伊織も伊織で普通に美少女だったが、流石に完成された美の隣では霞んでしまう。時々犯罪的な息遣いを自身に感じたが記憶から葬った。
夕方、巨大なビルの屋上で二人は夜景を眺める。足はそれなりに疲れていた。
「どう? ここからなら町が見渡せるでしょう?」
「ええ。最初からここに来ていれば目的は達成されたでしょうが、とても有意義な散策でした」
ホクホク顔のアーチャーに不満顔の伊織。さぞ現代は楽しめたことだろう。
「実際に見て回らないと環境なんてわからないでしょうに」
「いえ、わたくしは弓兵ですから目は良いのです。地上から月の都が見えるほどには」
「嘘!?」
「嘘です」
「おいこら」
「ふふ、ですが目が良いのは事実です。ここから見れば大体のことはわかりますよ」
アーチャーの目が鷹になる。その変化に伊織は英雄を知り、ごくりと喉を鳴らした。風に棚引く銀の髪、それは星空のように輝いている。
「――アーチャー。あなたの願い事って何なの?」
「…………」
トップシークレット。そう返ってくると思いつつ、伊織は問うた。
凡そ考えうる限り、かぐや姫という存在は恵まれていたはず。わざわざ戦の場にまで召喚されて叶えたいほどの願いとは何なのだろうか。アーチャーは鷹の目で見据え、やがて優しく少女を見つめた。慈愛の聖母、その原型。
「爺やと婆やと別れた際、思ったのです。こんなに辛く、苦しいことはこの世に二つとない、と。それが理由であり、わたくしの叶えたい願いの根幹です」
「……それはどういう」
「伊織。逆に尋ねますが、我がますたぁは聖杯に何を望むのですか」
アーチャーは静かにそう尋ね、伊織は押し黙る。別に言いづらいわけではない、ただ唐突過ぎて、また遅すぎるくらいで、頭が混乱してしまっただけだ。
ただ風に吹かれるだけの伊織を、月下で見つめるかぐや姫。やはて伊織は毅然と、強い意志を宿して言霊を放った。
「願いなんてない、ただ勝つことが目的よ……なんて言えれば格好も付いたけれどね。――――私はね、水瀬の出来損ないなのよ」
眼下の街を見下ろして、少女は呟く。その背中はとても小さく、アーチャーはもどかしい気持ちで見つめた。
「魔術の道は一子相伝が基本だけれど、生憎水瀬はそんな定番には納まらなくてね、望めば魔術の道に行けた。兄と姉、そして私。三人ともがそう望んで、結果を見ればこの通り」
「……あなたは才媛であると思います」
「そうよ。自負もある。でも二人はもっと上で、そして水瀬の術に特化していた。一番才能がなく、一番どうでもよかったのが私なのよ」
兄も姉も水瀬の家名に相応しい水の使い手だ。しかし伊織は五大元素使い、水に特化することもなく、水瀬では使い道がなかった。かといって子どもに甘い彼女の両親は伊織の希望を受諾し、こうして少女は一人暮らしをしている。その才能を潰すのはもったいない、というのが一番の理由なのは魔術師として然りだ。
「私は聖杯戦争の勝者として水瀬を認めさせる。私の価値は私が決める。お兄様やお姉さまと肩を並べる存在であると証明するの」
その言葉は何より正しく、それがアーチャーの心を決めた。やはり自身のマスターは少女に相違ない。そう確信した。確信したが――
「ちょっと、何?」
「いえ、ただこうしたかっただけです」
少女の頭を優しく撫でると顔が赤くなった。魔術師とはいえまだ子ども、それだけでアーチャーにとっては守る存在になりうる。
かぐや姫は、四条貴音は――ただ放っておけなかっただけなのだ。
刹那――アーチャーは感じ取る。ここより遥か先、魔力の波動。
「伊織」
「どうしたのよ」
「戦いが終わりました」
いきなりの言葉。伊織が目を瞬かせる中、彼方を見つめるアーチャーは端的に告げた。
「サーヴァントが一騎、墜ちたようです。聖杯戦争は始まりました、我が主」
聖杯戦争の始まり――アーチャーの言葉で明確化したそれにより伊織の意識が切り替わる。既に七騎のサーヴァントが召喚されたということか、それともフライングだろうか。どちらにしてももうこの場はサバイバル。生き残らなければ万能を勝ち取れない世界に完全に足を踏み入れた。
その日、アーチャーの目を以ってしても他サーヴァントを見つけられなかった伊織は自宅に戻り、今後の行動を思案する。
「アーチャーの性能は大当たりと言ってもいいけれど、遠距離戦が主体となると戦闘環境を入念にチェックしないといけないわね」
アーチャー・四条貴音のステータスはセイバーを名乗ってもおかしくないレベルだ。これでかぐや姫の補正がないというのだから、生前はどのような人生を辿ったのか興味は尽きない。とはいえここは聖杯戦争、相対するは同等の存在。マスターである魔術師もまだ一人として発見できていない以上、どんなに考えを巡らせてもし過ぎることはない。
「伊織、お茶が入りました」
「ありがと」
紅茶で喉を潤し、伊織はアーチャーを見る。黒のドレス。
「まさかその格好で戦うわけじゃないわよね?」
「お望みならば」
「それこそまさか、よ」
「そうですか」
少々残念そうなアーチャーに苦笑しつつ、伊織は紙に情報を綴る。相手はアーチャーを除く六騎。セイバー、ランサー、ライダー、キャスター、バーサーカー、アサシン。一番気をつけなければならないのはアサシンだろうか。基礎能力ではアーチャーが圧勝だろうが、気配遮断で自分が狙われれば一環の終わりだ。
「うちに攻めてきてくれないかな……」
「そのような受身な考えはいただけません」
「でも魔術師にとってホームグラウンドのアドバンテージって大きいのよ。ここなら侵入者に対する手はたくさんあるし」
「魔術師の工房、ですか。伊織は確か宝石魔術を扱うと聞きましたが」
「えぇ、宝石に魔力を込めて使うの。だからバリエーションは豊富だけど、一回一回が使い捨てだからね。結局この戦いはサーヴァント同士が戦うわけだから、私は補助に務めるわ。とはいってもさっきじゃないけど、後手に回る気はない」
「ふふ、では期待させていただきましょう。ところでますたぁ――」
少々小腹が空きました。
サーヴァントは食べなくても良かったはずなのに。
その時、お気に入りの曲が流れてきたことに気づく。一時中断し携帯を眺め、ぞんざいに応えた。
「何よ小鳥」
「開口一番それなんて、愛を感じるわ」
音無小鳥ですか、とアーチャー。
「召喚に成功したんでしょう、一度私に会いに来てくれないの?」
「嫌よ、こっちは忙しいの」
「一応私は聖杯戦争の監督役として教会から派遣されているんだれど、それでもダメ?」
「切るわよ」
いざ切ろうとすると慌てた声が聞こえたので、仕方なく会話を再開する。途端に眠くなってきたのは時間の経過のせいなのか、音無小鳥のせいなのか。
「じゃあ代わりに一つ頼まれてくれない? 私の事務所のアイドルが忘れ物をしてね。天海春香って子なんだけど知ってる?」
天海春香。確か伊織の二つ上の先輩で近くの高校に通っていたはずだ。有名だったので伊織も知っている。
「なんで私がその天海春香に届け物をしなくちゃいけないのよ」
「お願いよ、伊織ちゃん。来週分のオレンジジュース、送ってあげないわよ?」
「ぐ……」
何を隠そうオレンジジュースが好物な水瀬伊織。こだわりも激しく、最近では小鳥がどこぞから入手した物しか受け付けていなかったりする。
「不思議よね。春香ちゃんはよく転ぶけど別にドジっ子じゃないから忘れ物なんて珍しいわ」
「……そんなのいいから。取りに行けばいいの?」
「実はもうポストに入れてたりして」
「…………」
伊織はもう寝ることにした。
* * *
「しっかしこれって何なのよ」
翌日、ポストに入っていたのはごみに等しいものだった。破れたゴムの塊とでも言おうか、膨らませれば球体になりそうだ。しかしやはりごみである、嫌がらせかと思った。
大切に持っていたのを見たのでしょう、とはアーチャーの言。彼女に言わせれば、相当に念の篭った物なのだとか。
天海春香の通う那武高校は、伊織の通う武戸中学校と同じ区域にある。高い希望がなければそこに自然と行くことになるのだが、伊織はおそらく別の高校になるだろう。やよいとも別れることになる。
普段どおり学校に行くことは咎められると思ったが、むしろアーチャーには説教されていたりする。子どもは勉学が資本なんだとか。
既に暗くなりつつある街の中、伊織は那武高校にたどり着き、
「……っ」
そして、ここが既に巻き込まれていることを知った。
「小鳥のせいよ、もう」
「偶然、にしては聊かできすぎていますね」
高校の敷地内は既に魔境と化していた。明らかな魔術式の存在、そしてそれを隠そうともしていない挑発性。結界は完成間近だった。
そんな杜撰な管理が伊織の心に火をつける。アーチャーは頷き、しかし天海春香が先だと促した。この結界、まだ発動前にして残酷性が窺える。天海春香他多くの生徒が残っているのならば、その避難も優先すべき事柄だ。
・ ・ ・
夜の帳は下り、伊織は屋上にいた。手には届け物のゴムの塊、天海春香には会えなかった。
音無小鳥の性格上、彼女が学校にいるというのなら、確実に天海春香は学校にいたはずなのだ。なのに会えないのは運が悪かったのか。おそらくはもう帰っているのだろう。
「あのクソ鳥、許さないわっ」
「ですが僥倖でもあります。伊織、ここが結界の基点です」
屋上中心、足元には暗闇を恐れぬ巨大な魔法陣。蛇がぬたくったような紋様は伊織にはわからない代物だ。悔しいことに解呪は難しい。霊体のアーチャーも難しい顔で見つめていた。跪き、よく観察する。
「……やっぱり無理、これは私のレベルを完全に超えているわ」
「伊織を超える魔術師というのは想像できませんね。それにこの気配、サーヴァントです」
「ってなるとキャスターか……魂喰いでもする気かな、胸糞悪い」
「えぇ、これは迅速に対処せねばなりません。ですがその前に――」
アーチャーが現界する。その異様な空気に察した伊織が月光降り注ぐ中空を見て――
「――――へぇ、かなり強そうなの」
――その、一騎の人外を確認した。
転落防止の高いフェンス、その上に一人の少女が座っている。金色の髪、緑の瞳。そして獰猛な笑顔。伊織の存在を射止め、アーチャーの姿を捉えて離さない。
赤いバンダナを額に巻き、首下には迷彩のスカーフ。黒のトップスに、カーキ色のズボン。黒の指なし手袋には、巨大な黒槍が握られていた。
「ランサーの、サーヴァント……」
「当たり。ならそっちはセイバーかな?」
「え?」
ランサーの言葉に伊織は思わずアーチャーを見る。すると徒手空拳だったはずのアーチャーは、一振りの刀を握っていた。身に纏う衣装もドレスではなく淡い赤の着物になっている。
「…………」
「いい気迫なの。じゃ、始めよっか!」
少女――ランサーは跳躍、一気に間合いを詰めた。伊織は瞬時に状況把握、屋上では狭すぎる。
「ッ!」
同時、伊織を抱き上げたアーチャーが跳ぶ。後方、ランサーとの距離を開けるように一気に屋上を過去にする。風圧の中縮こまる伊織は、しかしアーチャー以上の速度で迫るランサーを視認した。
槍兵のサーヴァントは最速の英霊が選ばれる。近距離ではアーチャーには勝ち目はない。だが、なら何故彼女は刀など持っているのだろう。
「は!」
『重力制御、減退――!』
着陸前にアーチャーは刀を一閃、ランサーの刺突をなぎ払う。膂力は互角、だが重力を加味したランサーの一撃はアーチャーを地面に叩き付けた。が、直前の伊織の魔術によってほぼ衝撃はない。
その反動を利用してアーチャーは更に距離を離し、伊織を放した。
闇夜の校庭、相対する金と銀。その異常の衝突を、魔術師の少女はただ見つめる。そしてランサーは、驚いたように目を丸くしていた。
「あれ、それひん曲がってない? 手応えすっごく悪かったけど」
「当然です。玩具ですから」
折れ曲がった日本刀を放り投げ、アーチャーは再び空手になった。手を広げ、指先は外を向いている。ランサーは槍を肩に担ぎ、んー、と考え込む。
「ってことはセイバーじゃないの? 後二人会ってないから、そのどっちかがセイバーなのかな」
「ほう。あなたはもう多くの英霊と会っているのですね」
「まぁね、縛られちゃってるから仕方ないの」
「…………」
二人の会話を聞きながら伊織は考える。このランサー、案外と口が軽そうだ。もしかしたら有益な情報がもらえるかもしれない。アーチャーに念話で告げると彼女は頷いた。
「あなたは、どこの英雄なのです?」
「っ!?」
伊織が転びそうになる。あまりにも直球過ぎて笑えない。そんな問いに、正体を隠すべきサーヴァントが答えるわけがない。
「美希? 美希はマスターにしゃべるなって言われてるから言えないよ」
「なるほど、美希というのですか」
「あ、しまったの」
「………………」
伊織が頭を抱える。彼女の中にあった英霊のイメージが崩れ落ちた瞬間だった。
が、やはり間違ってはならない。彼女らは人間を超えた存在なのだから。
「うーん、ばれちゃったんなら消すしかないかな」
ぞわりと。ランサーの放つ魔力に総毛だった。ありえないほどの高純度の魔力、スペックを見るにアーチャーに全く劣っていない。流石は三騎士の一角、一瞬の判断が即死を促す。
そんな中、アーチャーはただ立っていた。何もする気配がない。その背中を不思議に見つめ、やがて待っているのだと気づいた。アーチャー、と念話で告げる。
「――貴女の力、ここで見せてちょうだい!」
「――――御意に」
瞬間、アーチャーが渦に包まれた。可視化するほどの魔力の奔流、間違いなく最強の証明。
その奔流は流星のように、アーチャーの傍で静止した。小さな光の粒は無数、無限。雪だ、と伊織は思った。
「キャスター? ううん、アーチャーだね! 楽しそう!」
ランサーは不敵に笑う。命がけの戦いに興奮する戦士と、心静かに微笑む女王。戦いは光のように、瞬く間に始まった。
ランサーの槍術は実に明快だ。ただ速く、ひたすらに速く。戦術性など欠片もなく、ただただ瀑布のような刺突で構成されている。恐ろしいまでの突進力で間合いに侵入し風穴を空ける。単純明快、故に破りにくい。
一方でアーチャーは距離を取る。指先はタクト、奏でる度に雪の飛礫が降り注ぐ。最初こそ素直に受けたランサーだが、接触した箇所が凍ったと見るや否や、回避するか風圧で潰すかのどちらかに方法を絞る。通常ならば間に合わないその対処、しかしランサーには可能だった。
ランサーの足が大地を踏みしめ、急転換の急加速で迫る。それは今までになかった動き、一瞬虚を突かれたアーチャーはしかし雪を凝固させた剣で受け止めた。空中に浮き上がりながらもランサーの槍が凍り始める。
「せやぁ!」
が、それを構わずランサーは更に薙ぎ、アーチャーを吹き飛ばした。氷の剣は砕け、霧散する。土煙を上げて吹き飛ぶアーチャーはしかし視線をランサーから外していない。剣を構成していた雪、霧散したそれが再び意志を持ってランサーを狙い迫る。
「くっ」
細かい故に防ぎきれない、ランサーはバックステップ。余裕で回避。
だが、距離は開いた。それに気づいたランサーは、目の前に迫った鋭い氷塊をぎりぎりで受け流す。服が裂け、血が舞った。
「やりづらいの……っ」
「それはこちらの台詞です」
吹き飛ばされた先からアーチャーが姿を現す。雪で作られたもう一矢が彼女の指先で踊っている。
「そして重ねて言うのなら、それはあなた自身の問題でしょう、ランサー」
ランサーの瞳が瞬いて、細められた。獲物を狙う猛禽の瞳だ。
「――へえ、気づいたんだ。すごいね」
「気づきもするでしょう。あなたのそれは槍術ではない、ただの長物の扱い方です」
どういうこと、と伊織は念話で尋ねる。秘密にする必要はないと思ったのか、アーチャーは首を振り、口を開いた。
「彼女の武器は槍ではありません。アレは――」
「その辺にしてほしいな、アーチャー」
「……っ!?」
今度こそ、殺されると思った。それほどの高い魔力、先ほどまでのものが児戯であると言う様に猛々しく、ランサーの魔力は得物に集まっていた。
「宝具っ!」
英雄のシンボル、幻想で編まれた兵器が解き放たれる。やばいなんてものじゃない、あれは小手調べでもなんでもなく、間違いなく殺りに来る一撃だ。祈るように眼前に掲げた槍は天を突くように高く、魔力の穂先が鋭くなる。
「ねぇアーチャー、美希は聖杯が欲しいの。だから消えてくれるかな?」
「聖杯を得たいのは至上の欲求、仕方がありません。ですがわたくしとて、ここで果てるわけにはいきません」
アーチャーの衣装が変わる。着物ではなく漆黒のドレス、普段のものと僅かに違うのは、要所に白が混じっているからか。アーチャーも宝具を放つつもりだ。
喉が鳴る。水瀬伊織の最初の戦闘、ここで果てるか望みを繋ぐか――全てはこの一撃で決まる。
果たして互いの魔力は高まり、然るべき機をけん制し――
「誰っ!?」
――そして、恐ろしい静寂は壊された。伊織が忘我から戻った時にはアーチャーは既に構えを解き、ランサーは消えてしまっている。
「ど、どういうこと!?」
「おそらくは目撃者でしょう。ランサーが向かっています」
「む、向かっていますってあんた、何ぼけっとしてるのよっ!」
「失礼しました。追います」
アーチャーが消える。思わず怒鳴り散らしてしまったが、冷静になった伊織は自分を叱咤し、魔術を行使して自身も急いだ。
「あぁもう、なんてザマよっ!」
自己嫌悪。アーチャーは呆けていた自分の警護のために動かなかった。マスターを守ることが最優先なのだから当然だ。
そして、涼しい顔をしていた彼女は、汗を掻いていた。ランサーの宝具の脅威度が窺えるし、おそらくはタダではすまなかっただろう。その緊張が確かにアーチャーを疲弊させていた。他を鑑みる余裕はそう生まれない。
嫌になる。初めての戦闘とはいえ失態を重ねるなんて、これでは水瀬を認めさせられない。
「こんのっ!」
階段を駆け上がり曲がり角を越える。アーチャーが見えた。
「アーチャー!」
「……」
――そして、血だまりに眠る少女も見えた。
「あ……」
「ますたぁ、ランサーはいません。追いますか?」
アーチャーの言葉が遠く感じる。正直、何を言ったのかはわからない。しかし結果的にアーチャーは消え、伊織はゆっくりとそれに向かった。
足音が廊下に響く。一音一音、頭を殴りつけてくるみたいだ。
目撃者は消す、それが当然の行い。でも、それでも伊織は、そんなことはしたくなかった。だって自分のためだ、他人を巻き込んでいいはずがない。
あの時、やよいが言葉を遮ったのもそれが理由だったのかな、と現実逃避に似た考えが浮かんだ。
「これは私の責任よ、伊織」
跪く。血で汚れるのも構わない。責任と言うのなら、そんなことを厭ってはいられない。
「なんだ、こんなところにいたんだ……」
まだ息はあった。ランサーは心臓を貫いていない。きっと今すぐ処置すれば助かるだろう。記憶の消去は後で行えばいい。
「―――Anfang」
夜の学校、人気のないはずの一角で暖かな光が洩れ出ていた。
それはごく僅かな時間だったが、世界がそんな光に満たされていることを願わずにはいられないような、そんな優しさのようだった。
***
結局、ランサーを再び発見することはできなかった。自宅に戻りソファに身体を埋める伊織にそう報告したアーチャーだが、成果が伴わなかったにも関わらず嬉しそうである。半分だけ顔を上げ、伊織は篭った声で言う。
「あによ、随分嬉しそうじゃない」
「当然です。我が主様は初陣を乗り越え、そして救うべき命を救った。とても素晴らしいことです」
ホクホク顔である。その評価に安堵しつつ若干赤くなった伊織は、さてと、と体を起こした。まだやるべきことは残っている。
「まだ記憶消去していないのよね。そろそろ家に戻ったはずだし、行こうかな」
「彼女のところですか。ですが伊織、あの者の家を知っているのですか?」
「え……?」
「…………」
「…………」
「ますたぁ、前言を撤回しましょうか?」
音無小鳥は久しぶりに可愛がっている少女から連絡を受ける。もちろん喜んで伝えた。
夜の上空をランデブー、と言えば聞こえは良いが、実際はスリル満点の危険走行である。走行である。
「全く、伊織にしては大きいミスです」
「うるっさいわね、わかってるわよ!」
アーチャーの大きな膨らみに嫉妬しつつ、伊織は拗ねていた。ちなみに、ランサーが再び襲うかもしれないという懸念も当然抱いている。どちらかといえば記憶の確認程度で済ませて欲しいものだが、あのランサーにそれを望むのは酷というものだろう。
「見えました」
中心都市から少しばかり離れたマンション、そこが彼女の家である。その屋上に降り立った二人はしかし、すぐに異変に気づいて視線を交えた。見つめる先は少し離れた小さな公園。
「あそこよっ!」
「いましたか、ランサー!」
やはりランサーは来ていた。再び口止めする気なのだろう。アーチャーを置き去りに飛び降りた伊織、しかし一瞬遅れてアーチャーは叫んだ。
「伊織! もう一騎います!」
降下する伊織は急速に流れる視界の中、二つの影を見つめていた。一つはランサー、そして――――
蒼く美しく、気高き最後のサーヴァント――――。