ミレイとヤードは魔導図書館と貴族の寄宿学校を中心に栄える地方都市の友達同士。
酒場の娘から見た、司書の青年の仲違いの一幕。

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酒場の一幕

で、どうしたかというと、私にとっては都合のいいことに、あの件はうやむやになったのであった。

「じゃあ、引き取るって話は、なしかあ」

よかったね、という表情をしていいものか、悩んでいる様子のヤードにはっきりと応える。

「そのとおり。私は酒場の娘のままってわけね」

ちょっと嬉しそうにしているヤードには悪いけど、私は少しこのことにがっかりしている。

実は親類がすごく偉い人で、その人にもらわれていくなんて、空想としては結構魅力的ではないだろうか。

「でも、イブン公爵の街でしょう? ずいぶん遠かったし、とりあえず僕はレイと離れ離れにならなくてほっとしたよ」

本当に安堵したような表情に噓はなく、こういうことをはっきり言えてしまうところがヤードの小さい頃から変わらない美点なのだけど、同時にこういうところが軟弱だと街の男の子たちには疎ましく思われてしまうのだ。それが自分で気づけていなさそうなところが、ヤードの危うくてナイーブなところでもある。

「私はもう、この食堂でやってくものだと思ってたし、いいんだよ。今更そんな話が来ても困るだけだしね」

「いやあ、僕はレイしかこの辺りじゃ友達が居ないから。なんか僕にそんな力もないのに引き留めてしまったような後ろめたさがあったけど」

「だから気にしないでいいよ」

「そうだねえ」

ヤードがぬるくなった水を飲みほす。

「じゃあ、僕もう行くね」

「うん、また」

彼は夕方、食堂が開く直前にときどきこうして店にやってきて、店支度の手伝いを終えた私と雑談して帰る。

父が厨房から私たちの様子をそれとなく見ていることも、ときどきそれを母がたしなめて準備に戻るのも知っている。

わたしは配膳用の食器の準備やホールの清掃、テーブルの設置まですれば、あとは下ごしらえを父がするのを時々手伝うくらいで、夕方の開店前には手が空いてしまう。

魔導図書館で司書見習いと実験助手をしているヤードは、夕方になると一度こうして顔を出して、すぐ図書館に戻っていく。食堂の営業時間に来ることはもうない。

 

ヤードが学生を辞めて図書館の見習いになる直前、地方貴族の寄宿生たちとヤードが、ばったり食堂ではちあわせるのに立ち会ったことがあった。

ヤードは寄宿生たちの行う決闘の風習を毛嫌いしていたので、それが原因かはわからないけれど、寄宿生のなかでも血気盛んな青年たちと関係が良くないらしかった。

「ミレイさん、僕らにもお酒をください!」

寄宿生の一人、ガンツとその仲間数人が酒場にやってきた。

この街では18歳からお酒を飲めるが、記憶ではガンツは街に来た15歳のころから酒を飲んでいた気がする。

「あのガキ、また飲んできてやがるな」

父がぼそっとつぶやく。酒が入った状態で店に来る客は要注意。母にも口酸っぱく言われていることだった。

「大丈夫。ガンツとは知り合いだし。節度はわきまえる奴だよ」

母も厨房から手を拭きながら出てきて言う。

「気をつけなね。取り巻きの子らもいるから。人数が多いと気が大きくなることもある。何かあったらすぐ呼ぶんだよ」

「うん、わかった」

 

「ミレイさん、ここのお酒で一番美味くて濃いやつをください!」

「はいはい。まずは席に案内しますね」

「おいガンツ! 俺たちにもふるまってくれるんだろ?」

「もちろん! 今日は俺のおごりだ! 好きなだけ飲んでくれ!」

宴会とは聞いていないし、普通にほかの客も来る日だ。それを決めるのは彼らではないのだが、あえて口は挟まず、注文をとる。

「ミレイさん、今日はね! このガンツが寄宿校の決闘でとうとう5連勝をかざった日なのですよ。それも並みいる上級生を押さえてね! 今や僕以上に勇気ある貴族はこの街に居ないでしょう!」

ガンツは顔を赤くしながら大きな声で喋る。

周りの取り巻きたちも「よ! 英雄!」だの「しびれたぜ本当に!」などと囃している。周りの人間が酔っていない様子を見て、どうやらのぼせ上っているのは王様だけらしいと気づく。

母に目配せし、いつも通り酔いの回っていない客に先に酒を回す。

私はいったんこの男を落ち着かせるべく、話に乗ることにした。

「結局顔に傷は作らないで済んだみたいね」

声をかけるとガンツはさらに気を良くしたのか、大きな声でまた喋りだす。

「そうなんですよ! 彼らの顔を見てください。頬や額に切り傷の跡があるでしょう。全部名誉の負傷ですが、僕はしかしこうして無傷で勝利してきましたよ。まあ、私の技と義勇のなせることです」

「個人的な決闘に義勇があるんですか?」

私の疑問に、ふと冷静になったような表情のガンツだったが、気を取り直したようにわざとらしく咳ばらいをし、さらに芝居がかった調子で話し出す。

「まあ、淑女にはご理解いただけないかもしれないですがね! しかしですよ、我々寄宿学校の貴族の子弟はいずれ王都で騎士団に一度は招集されます。もし戦があれば駆り出されもするでしょう。そしてそこで名を挙げねば、私を送り出した父上にも母上にも、我がガブリエル家の名誉にも背くことになります。すべて決闘もまた、来る戦で武功と名声を我が家に持ち帰るための価値ある重大な一歩なのです!」

 

「戦なんて起こらない。それに決闘はくだらない示威行為であってそこに義勇などない。家の名を持ち出そうが名分にはならない」

 

ぎょっとして振り返ると、食堂の奥、厨房に面したカウンターに、いつのまにか来て一人で掛けていたヤードがこちらへ背中を向けて座っている。

 

ガンツの目が冷たく据わり、彼の背中を凝視している。

「おやおや、これはこれは。臆病者のヤード・エリクセンではないですか」

ガンツとその取り巻きは急に静かになり、白けたような空気でヤードをからかうように仲間同士で笑っている。

「ミレイさん、実は寄宿学校には不名誉なことに、決闘を好まない軟弱者も多くいましてね」

ガンツは演説するような調子を変えずに、ヤードの方へ歩いていく。

「私は否定しません。決闘で命を落とす者も居ないわけではない。それを恐れる気持ちはわかる。しかしですよ。いずれ戦で死ぬかもしれない者が、わが身可愛さで戦場から逃げるなら、それほど恥ずべきことはないでしょう。彼はあろうことか、学校ではそれをまるで正しいことのように吹聴しているのですよ」

「違う。お前らがやっているのは単なる力の誇示であって、それと戦は何の関係もない」

「ああ、ヤード」

ガンツはもったいぶって天を仰ぎ、目を覆って見せる。

「エリクセン卿があなたのような軟弱者のために命を落としたのかと思うと、僕は亡くなられた卿が気の毒で仕方ない」

「祖父は関係ないだろう」

「あなたの父上も卿に逆らって逃げてしまいましたね。名門の名折れです。まあ、私のように新しい世代が新しい貴族の範を作っていくだけですが」

「父は逃げてなどいない。無謀な作戦に反対していただけだ」

「反対していただけならまだしも、彼は仲間の戦線への兵站を組織的に妨害までしていましたよね? 意見信条は自由です。でも、それを押し付けて他者の命を危険に晒しまでするとは、いったい、あなたやあなたの父はどういう了見で人に指図するのでしょう?」

「人は正しいと思ったことをすべきだ」

「正しい! ああ、その言葉が聞きたかった! ヤード。君はいつも僕らの決闘の邪魔ばかりしているね。決闘を望んでいる者にさえ。あれも君の言う正しさですか」

「リソンは決闘などすべきではなかった。ガンツ。貴様と剣を交えれば貧弱なリソンが怪我だけでは済まないことを知っていてけしかけただろう!」

「リソンは望んでいましたよ! 失礼、私の言葉に配慮がなかったせいで、あらぬ誤解が生まれてしまい、それを理由にリソンは確かに私を恨んでいました。しかし、それで決闘を申し込んだのはリソンですよ? 私はただ、彼の男としての矜持に敬意を示したかった。誤解を解き、話し合いで平和に解決するのが君好みのやり方だったでしょう。でもそれを撥ねのけたのはリソンです! であるならば、騎士の卵なりに、彼の意気を買って決闘に応えるのが、男と男のやり方ではないですか? それともヤード。あなたはリソンの勇気に泥を塗るつもりで?」

「違う! お前はそうなるように」

「……あなたはリソンをまるで小さな子どものように扱いたがりますね。リソンが決闘の申し込みをしてきたときに言っていましたよ。ヤードがこの決闘を邪魔するかもしれないと」

「なに?」

「ヤード。他でもないリソンが言っていたことですよ。それも決闘相手であるはずの私にね。『ヤードは僕が決闘することを認めない。ヤードは僕を守るためだと言っているけど、違う。ヤードは僕を男だとも対等だとも思っていない。ヤードは僕を都合のいい』」

「やめろ!!」

「おやどうしました? 嘘ではないですよ。この先はあなたも知っていることのはず『ヤードは僕を女のように扱いたいだけなんだ。都合のいい慰みとして』」

ヤードがガンツへ殴りかかるが、手首を掴まれ、ヤードはカウンターへ頭から叩きつけられる。

「うぐっ」

「ヤード。いけませんよ。騎士の卵ともあろうものが、軟弱にも男一人を自らの慰みとするなんてね」

「僕はそんなことはしていない!」

「リソンは愛とは思っていなかったようですね。決闘で私の剣を受けた直後、息を引き取る前に彼が何と言っていたと?」

「もう黙れ!」

「『ヤードに奪われた身体を、取り戻してくれて本当にありがとう』」

 

バシャリ。

 

樽から水をかけた父が鬼のような形相で彼らをにらむ。

「帰れ。貴様らに用意する酒はない」

 

 

ガンツは気の抜けた表情で呆然とし、我に返ると仲間たちを振り返って肩をすくめて見せた。取り巻きたちも、途中からガンツについていけなくなっていた様子だったが、彼が「行くぞ」と一言とともに店を出れば、ぞろぞろとついて出て行った。

私は心臓の音を大きく感じながら、騒然とした店内で様子を伺っていた他の客たちに気づき、給仕をしなければと慌てると母が肩をたたいた。

「ミレイ、あんたあの子連れて帰んな」

「え、でも」

「今日はもういい。私がやるから、あの子ついていてあげたほうがいいよ」

ヤードは濡れたままカウンターそばで肩を抑えてうなだれている。

「もしかしたら怪我もしてるかもしれないからね。ほら」

背中をたたかれた私はヤードの元へ歩いていく。

私に気づいたヤードはばつが悪そうにまたうなだれてしまう。

「ほら、立てる?」

「……痛っ」

「あいつ、本当にひねりやがったのね」

腕を後ろ手に回されてカウンターに組み伏せられたヤードは肩を痛めてしまったようだった。

「ゆっくりでいいから。今日はもう帰ろう。家まで送る」

「……いいよ。一人で帰れる」

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」

私は二階の兄の部屋から、古い使われなくなったシャツを持ってきてヤードによこした。

「着替えてきなよ。お父さんに水ぶっかけられてびしょびしょでしょ。寒いのにあんな遠くまで歩いたら風邪ひくよ」

「いいよそんなの」

「いいから! ほら着替えて」

 

ヤードを無理やり休憩室へ連れていき、肩を痛がりながらもなんとか兄のシャツに着替えてもらった。サイズが合わず若干大きいが、しかたない。

「肩も先生に診てもらった方がいいね」

「うん……」

ヤードは憔悴した様子で、それは肩の痛みだけのせいでもなさそうだった。

ヤードが特別に懇意にしていた下級生の少年のことは私も知っていた。

時々この酒場にも彼のことを連れてくるヤードを見たことがあり、彼と密会のようにこそこそと、でも楽しそうに話しているヤードの表情が印象的だった。

そういうときのヤードは、どこか他人行儀で、私に話しかけられたくなさそうな様子だった。まるで見知らぬ店員のように注文だけ伝えて、すぐに目をそらして少年との会話に戻っていく。すこし寂しい気持になったものだったけれど、ここしばらくヤードと一緒にいるところを見たことがなかった。

さっきのガンツの言っていた通りなら、彼はもう……。

 

ヤードと連れだって夜の街を図書館の方へ歩く。

ヤードは学校に通う傍ら、最近図書館に住み込みで働きはじめたのだった。

「こんなふうに二人で夜歩くのって、久しぶりじゃない?」

「……」

「あれ、なんだっけ、ほら、魔導図書館の最初の司書聖だった人」

「……」

「最近食堂もさ、新しいメニューを考えてんの、知ってた? お父さんとお母さんで、お酒なしでも美味しい料理をもっと増やしたいって」

「レイ」

「……なに?」

「今日は本当にごめん」

ヤードが頭を下げる。私は面食らって彼をまっすぐ立たせる。

「謝んないでよ! あんなのガンツの酔っ払いが全部悪いに決まってんじゃん」

「いやでも」

「ね、この話はおしまい。肩治してまた来てよ。うちの店若い奴ってあんまり来ないし、ヤード来なきゃつまんないよ」

「……でも僕は出禁だよ」

「あんなの勢いで言っただけだって! なんとかお父さんに相談してみるから」

 

それから図書館の敷地内の下宿棟に戻っていくヤードに手を振って別れた。

ヤードは痛めていないほうの手で弱々しく手を振り、扉の向こうへ消えた。

 

ほっと息をついた私は、図書館から酒場へと続く坂道を下りていく。

ヤードが寄宿校の生徒たちとうまくいっていないことはなんとなく察していたけれど、思っていたよりもその禍根は根深そうだった。

私に介入できるものでもないし、どうしたって彼ら同士の問題なんだけども、ヤードを小さい頃から知っている身としては心配になってしまう。

酒場へ帰った私は怒り心頭の父をなんとか説得し、ことの経緯からどちらかというとガンツがふっかけた喧嘩であるし、その内容も一方的に突っかかっていくものだったから、ヤードについては温情を引き出せないかと画策した。

でも父は「あいつが絡まなきゃ、ガンツも興奮しなかったろ」と言われ、ぐぬぬ、という感じだ。

ガンツは地方貴族の子息で、兄弟も戦争で亡くしている。私の兄が戦場で一緒に戦ったのも、ガンツの兄たちだったらしい。兄と戦場に居た、ということは、全員帰らなかったということだ。あの戦争で英雄だったエリクソン卿も、その戦場を攪乱したヤードの父も、ガンツにとってはそれぞれに穏やかでいられない対象なのだ。

まして、ヤードはあのように、決闘も戦も毛嫌い、というより軽蔑している。

それもまた彼なりの、彼の御祖父さんや父上のことがあってのことなんだろうけど、それも私がどうこう言えることではない。

 

とりあえず、ヤードは酒をまだ飲んでいなかった、という一点で――ある意味素面で喧嘩してたほうが人としては危険、という考え方もあるがともかく――ヤードだけは客の居ない営業時間前なら、酒なしを条件に立ち寄ってもいいということになった。

このようにして、ヤードは私以外にこの街に友人の居ない、寂しい司書見習いとなったのだ(学校もやめてしまった)。

私が結局王都に召喚され、兄の代役に無理やり仕立て上げられるのはまた別の話となる。


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