蒼人が稽古場に戻っている頃、あかねは野島と稽古していた。
他にも何人か残っていたのだが、2人だけになってしまった。
今は休憩中で、あかねは座り込んでいた。
お手洗いから戻ってきた野島が、あかねに近づきながら声をかけた。
「あかねちゃん、どうしたの?
全然、気持ち乗ってないよ?」
「え!?あ、す、すみません...」
あかねは、ずっと蒼人のことを考えていた。
聞き出そうとして、追い込んだ。
逆に、蒼人を追い詰めてしまった。
助けたかった、支えたかった。
しかし、やり方を間違えた。
『ひーくん...』
あかねは、蒼人から貰ったクマを優しく撫でていた。
大切で、会いたくて。
ずっと待っていた人。
その人の笑顔が見たくて、また一緒に舞台に立ちたくて、
何年も待ち続けた。
「...ねぇ、君はそんなに彼が好きなの?」
「え?あ、その...」
あかねは戸惑っていた。
好きか嫌いか問われれば、間違いなく好きと答える。
しかし、それは友達としてなのか。
恋愛としてなのか、まだ自分でもわからなかった。
「...あんな奴のどこがいいの?」
「え?」
野島の言葉に、あかねは反応した。
何を言われたのか、言われるのかすぐに理解した。
「...それ、どういうことですか?」
あかねは、クマを置いてゆっくり立ち上がり、野島の元へ向かった。
「あんな奴って、どういうことですか?
誰のことですか?」
「八神君だよ」
あかねの中に、黒いものが蠢いていた。
それは今まで感じたことのない、新しい感情だった。
「彼、演技そんなに上手くないし、顔だって別にいい方じゃない。
何で、あんな奴がララライに入れたんだか」
「...彼のこと悪く言うのやめてください」
「何で?彼氏でもないわけでしょ?
それなのに、何で庇うわけ?」
あかねは、怒りに満ちていた。
何も知らない男に、大切な人を侮辱された。
そして、彼の努力を否定された。
それが、彼女の中で大きなものになった。
「...彼は、私の大切な人です!
だから、誰であっても、彼を悪く言う人は絶対許しません!!」
「...わかんねぇな、何であいつなの?
俺の方がいいに決まってんじゃん」
「彼は、誰よりも優しいんです。
優しいから、周りに気を遣って、自分を追い込んで、苦しめて...
野島さんみたいに、誰かの悪口言ったりしません!」
「...どこがいいのか、わかんねぇけどさ」
野島はあかねの手を強引に取った。
「な、何するんですか?」
「絶対、俺がいいって。
顔も演技も、俺のが上じゃん。
あんなガキ、絶対やめといた方がいいって」
野島はあかねの手を取ると、空いている手で強引に引き寄せた。
「...俺だったら、気持ちよくできるのに。
ねぇ、あんな奴忘れて、俺にしなよ」
「は、離してください!」
「つれないこと言うなよ、なぁ...あかね」
「いや、いや!!」
野島はゆっくり、顔を近づけた。
その手は力強く、抵抗しても離れられなかった。
不快感しか感じない、ただただ、不快だった。
他の男が、自分に触れるのが。
そして、最も触れていたい、触れてほしいのは...
『...ひーくん』
「失礼します!」
「え?」
稽古場に少年の声が響いた。
誰よりも会いたかった、誰よりも傍にいたかった。
本当は、ずっと...
「ひ、蒼人君?」
蒼人は、2人の姿を見てすぐに察した。
だから、何をすべきかわかっていた。
「...あかねさん、ララライから呼び出し。
行こう」
蒼人は、野島からあかねの手を取って、そのまま連れて行こうとした。
「...君、困るな〜僕達稽古中なんだけど?」
しかし、肩を掴まれ止められてしまった。
だが、手を払いのけ向き合った。
その間、あかねの肩に手を回し、間に立ち続けていた。
絶対に離さない、何があっても守る。
そう言っているようにさえ思えた。
そして、あかねは密着し過ぎて、ドキドキしていた。
だが、安らぎと安心があった。
「すみません。
代表からの呼び出しですので」
「それ、別日じゃダメなの?
今いいとこなんだけど」
「演出の機嫌損ねて、干されたいなら止めませんよ?」
野島の顔は、笑顔ではあった。
しかし、相手を見下しているのがすぐにわかる程冷たく、
ただ邪魔であるという意志が伝わってきた。
『...こいつ、あかねさんのことただの性処理道具としか思ってねぇ。
だから、ずっと嫌がってたんだ』
だが、蒼人は意に返してさえいなかった。
何故、あかねがこいつを嫌がったのか。
何故、目の前の男との演技がやりづらそうだったのか、すぐに理解した。
「新人が随分言うじゃん、アンサンブルごときが」
「否定しませんよ。
ただ、演者傷つけるのが
メインキャストだって言うなら、俺はアンサンブルで構わない」
「傷つける?
あのな、俺はいい作品を作りたいんだよ。
だから、仲良くなりたいの。
わかる?新人君」
「嫌がってますよ?」
「あぁ、さっきは少し力入った。
ごめんね、あかねちゃん」
野島は、あかねに触れようとした。
しかし、蒼人に腕を掴まれた。
「...あかねに、気安く触んな」
その瞳には、普段の優しげな輝きはなかった。
そこにあるのは、憎悪と怒り。
蒼人にとって、最も嫌いな感情だった。
「言うねぇ〜何?
少し仲良いから、彼氏面?
独占欲強い男はモテないよ?」
「そうじゃねぇよ、嫌がってんだから、やめろって言ってんだ」
「君、頭悪い?
俺達は恋人役なの。
だから、これぐらいコミュニケーションだよ」
しかし、尚も手を伸ばそうとしていた。
だが、その手は止められた。
いや、止まらざるを得なかった
「...髪の一本でも触れてみろ、
テメェの顔面ズタズタにして、役立たずにしてやる」
「はぁ!?」
蒼人の眼は、憎悪に満ちていた。
この男ならやりかねない。
そう思わせる程に黒く、深く、あまりにも強いものだった。
野島は、あまりの雰囲気の違いに、たじろいだ。
その瞳は、人を殺すことを躊躇しない。
本当に殺されるとすら思える眼をしていた。
ほんの少ししか見えなかったあかねも、本当に蒼人なのか疑う程だった。
「...行くよ、あかねさん」
「え、蒼人君?」
野島に向けたものとは違い、
優しげな雰囲気に戻ったものの、
幾分かの苛立ちを残していた。
蒼人は、あかねを引っ張ると途中で
あかねの荷物と自分の荷物を持ち、そのまま立ち去った。
その間、野島は呆然としていた。
そして、あかねの手を引いてしばらく
歩いていた。
その後も蒼人は、あかねを引っ張って駅までの道を歩き続けた。
しかし、その間2人に会話は無かった。
だが、痺れを切らしたあかねが口を開いた。
「ねぇ、蒼人君。
もういいから、離してくれない?
嫌なんでしょ?
ほっといて欲しいんでしょ?
もう、離して「あかねさん」何?」
蒼人は手を離すと、
ゆっくり向き直り勢いよく頭を下げた。
「...昼間は、ごめんなさい!!」
「え?」
突然のことで目を丸くした。
しかし、蒼人はそのまま話し続けた。
「ごめん、酷いことした。
あかねさんは、心配してくれてたのに。
俺、傷つけた...本当にごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと。
顔上げて?」
勢いよく下げたこともあったが、
人通りも少ないとはいえ、蒼人にこれ以上頭を下げさせたくなかった。
だから、顔を上げて欲しかった。
「...あかねさん」
「な、何?」
「俺は、大丈夫。
もう、大丈夫だよ」
今度は嘘じゃない。
もう、大丈夫だと。
心から笑った。
失った輝きを取り戻した笑顔を見て、あかねは安心した。
「そっか、ならよかった」
「ごめんね、心配かけて」
「ううん、いいの。
ただ、ひーくんが苦しむのが嫌で。
だから、助けたかったの。
ひーくんが辛い思いしてるの、嫌だから」
改めて、あかねの想いを知った。
知ることができた。
それが嬉しくて、自分にとってもそれは
「...俺も同じ」
「え?」
蒼人は、ゆっくりと自分の胸中を語り出した。
あかねに伝える様に、伝わる様に。
「...俺も、あかねさんの苦しむ姿を
見たくない。
あかねさんには、笑顔でいて欲しい。」
「ひーくん...」
「だけど、傷つけた。
本当に、ごめんね」
「ううん。
もういいの、蒼人君が笑顔なら。
ただ...寂しかった」
「え?」
「...私に、話してくれないことが。
1人で抱えてるのが、寂しかった」
自分にとって大切な人。
自分が大切だと思った人。
だからこそ、助けたかった。
負担を減らしたかった。
だから、ただ真っ直ぐだった。
「...その、俺の問題だけど。
俺だけの問題じゃなかったから」
「それでも、話して欲しかった。
ひーくんは、私の為に出てくれたのに。
私は何も返せてない。
だから、せめて力になりたかった」
「ごめん。
そんなに考えてくれてたのに、突き放した。
あかねさんの気持ち、考えられてなかった」
「ううん。
私がもっと言い方や
状況考えるべきだったの。」
「いや、でも。
結局俺が...なんか水掛け論になりそう」
「そうだね。
お互い譲らないもん...」
2人はおかしくて笑った。
お互い謝り合った。
しかし、それは思いやっていたから。
互いに引かないことが、2人には不思議とおかしかった。
一頻り笑い合った後で、あかねが口を開いた。
自分の疑問を口にした。
「...ねぇ、ひーくん」
「何?」
「...何があったか、聞いてもいい?」
少し考え、蒼人は答え出した。
その答えを伝えることが、負担にならないか不安になった。
しかし、黙っていることこそ、相手は傷つくと理解した。
だから、話し出した。
ゆっくりと、自分の思いと過去を。
「...自分が嫌になった。
過去の思い出が、本当は誰かの犠牲で成り立ってた。
奪ったって事実が、俺は許せなかった。
だから、自分が信じられなくなった」
そう語る表情は悲痛なものだった。
楽しかった思い出を壊された、無くした。
だからこそ、あかねは伝えるべきだと思った。
自分に見えている少年が、どういう存在なのか。
「...犠牲なんて考えないで」
「え?」
「何があったかわからないけど、あなたが犠牲にしたんじゃない。
あなたが奪ったんじゃない。
あなたは選ばれたの。
あなたがいい。
あなたじゃなきゃいけないって。
ひーくんが選ばれたの」
「あかねさん...」
「それに、あなたは奪う様な人じゃない」
「けど、結局他の人に
「なら、こう考えない?」え?」
あかねは蒼人の手を握り、真っ直ぐ眼を見て話し出した。
優しく、真剣に。
そして、愛を持って。
「選ばれなかった人の想いも守る。
それは、とても重いかもしれない。
だけど、ひーくんの力になると思う」
「選ばれなかった人の思い...」
「うん。選ばれなかった人達も
関わる人達全部。
皆んなを笑顔にするの。
きっと、それはあなたの力になる」
自分しか見えていなかった。
一度失ったことで、何も見えなくなっていた。
しかし、少しだけ思い出した。
大切な人が何を考えていたか。
自分を選んでくれた人が、
自分に何を望んでいたのか。
そして、目の前にいる少女が自分に何を望んでいるのか。
少年は、少しだけ踏み込んだ。
「...ありがとう、あかねさん」
「ううん、いいの。
ただ...その」
「ん?どうしたの?」
「さ、寂しかったから。
う、埋め合わせが欲しいな」
「埋め合わせ?
いいけど、なにがいいの?」
あかねは、顔を真っ赤にし、蒼人にお願いをした。
そのお願いは恥ずかしいものだった。
しかし、それは何よりも自分が望んでいた。
だからこそ、少女は踏み込んだ。
「...ギュッて、して欲しい」
「え!?」
まさかのお願いだった為、蒼人は驚いていた。
しかし、俯いていたこと、お願いを切り出して、
いっぱいいっぱいになっていたあかねは、立て続けに話し出した。
「だ、だって、ひーくん、全然相手してくれなかったし、
それに...野島さんの一件、少し怖かったし。
だから、ひーくんに慰めて欲しいなって...だ、だめ?」
あかねは、見上げる様に蒼人に頼んだ。
その仕草が可愛くて、愛しくて、
何よりあかねが望んでくれたことが嬉しかった。
「えっと...あかねさんが望むなら」
「うん、お願い」
蒼人は優しくあかねを抱きしめた。
抱きしめられたあかねは、かつてないほどドキドキしていた。
だが、望んでいた温もり。
欲していた、匂い。
それが、あかねを落ち着かせた。
『あったかい、落ち着く...
ひーくんとこうしてると、嫌なことが全部消えていく。
...そっか、私は』
「あかねさん...ありがとう」
「...私も、ありがとう」
2人が伝えた『ありがとう』が、
何を示していたのかは2人にしかわからない。
蒼人は自信を取り戻した。
あかねからの思いやりと優しさで。
あかねは安らぎを手に入れた。
蒼人からの優しさとあたたかさで。
そして、彼女はもう一つ...
その後、蒼人に邪魔された鬱憤を晴らす為、
野島はバーで飲んでいた。
そこでファンを名乗る女性と出会い、関係を持ってしまった。
だが、女性は週刊誌の記者であった為、
野島の女性問題が、週刊誌により取り上げられた。
これは、各メディアにも取り上げられ、
これにより、座組は1つの決断を強いられていた。
「全員いるな」
稽古前に、金田一が全員を集めた。
そして、発表した。
Scene11『大丈夫』end