俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど 作:イリノイ州の陰キャ
※今回はアコニの一人称です! その点にご留意ください。
私はこの顔のタトゥーが好きだ。お母さんとお揃いだから。
「行ってきます」
遺影に写るお母さんの顔には、頬から首筋にかけて、私と同じ葉付きの黒いツタのタトゥーがある。お父さ……理事長の顔にも似た形のタトゥーが彫られているが、私とお母さんのそれとは、少し違う。ツタに葉が付いていないところとか。
「ガ」
「分かってる。ありがとね、ワルビル」
今日は理事長室に呼ばれている。用事が何かは大体見当が付いているが、それでも足が重くて仕方なかった。
「ランクにお前の名前はなかったな」
「……はい」
理事長は普段通りの無表情で、私に一目もくれず、机上のパソコンに向かってキーボードを叩いて鳴らしていた。
広い理事長室には、学内クラブが過去に受賞した賞状やトロフィーが所狭しと並べられている。声楽コンクール優勝、テニス全国大会準優勝、クイズ選手権新人王……。
しかしどこにも、ポケモンバトルに関するクラブのトロフィーはない。
「お前は他ならぬ私の娘だ。将来を心配してはいない」
これが私の能力を信頼しているのではなく、理事長の威光によって大体の職業にコネで捩じ込める、ということを意味しているのは分かっている。バトルを除いた通常の成績は学年3位。バトルでは50位の中にもない。
カロスの大学を主席卒業した理事長は、首位を取れない私の能力に失望しているのだろう。
「しかし、バトルをやりたいと言っていたにもかかわらず、まだバッジの一つも取っていない現状は、看過できんな」
「申し訳ありません……」
理事長はふっ、と肩を沈めると、キーボードばかり打っていたパソコンの操作を取りやめ、別の窓を開いたようであった。
理事長の目には、今、何が映っているのだろう。生徒の名簿でも見ているのだろうか。目の前にいる私のことも、名簿の中にある文字列の一つと同じように考えているのだろうか。
理事長はパソコンを閉じると、机の下の引き出しから、別個の強化生名簿を取り出した。靡いた紙の端には、確かに「シラン」と書かれていた。
「担当強化生を変更してもいい。あのシランという強化生では、お前の指導に足りないのかもしれん」
私は耳を疑った。そして実感した。
この人は本当に、微塵も私に期待をしていない。だからこういう時、私ではなく私の周囲の人間を批判する。私の非力を解消するための装置であると、そうとしか思っていないのだろう。
「そ、それは違います!」
思わず反論してしまった。理事長に向かって「はい」とか「申し訳ありません」以外で返事をするのは久しぶりだった。
勢いで言ってしまったので、二の句は思い付いていない。でも、言ってしまったからには後には引けない。なぜなら、理事長は問責の眼差しで私を睨んでいる。
「なぜそう思う?」
「だって、彼は現に一年でランク入りまで……!」
「確かにランク入りしているようだがな。それは自分の研鑚ばかりで、お前の指導をなおざりにしているからではないのか?」
「そんな言い方……!」
本当に生徒を記号だと思っているのかもしれない。お父様はその実績や結果を見ようとはしても、人となりには何らの興味も示さない。
私が何の結果も残せていないという〝結果〟は事実だ。しかし、彼が本気で、私が強くなれると信じてくれていることは、知らない。
「お父様! 私は――――!」
「理事長だ。学内ではそう呼びなさいと、何度も言わせるつもりかね」
「…………はい、理事長」
「まぁ、いい……三年次まで、まだ十ヶ月ある。この一年、励むように」
理事長はため息を吐くと、名簿を机の中に戻し、コーヒーの匂いが染み付いた絨毯の上で一度つま先を鳴らした。
この人にとって、結局生徒とは何者であるというのか。娘とは。金を産むための機械? それとも学校の実績や名声になるかもしれないか細い金脈?
いや、これが幼い反抗心であることは、私自身も自覚している。お父様が特別金や名誉に執着しているのではないということも、生徒に対して期待も下卑た見下しもないことも。
ただ、仕事だから。お父様はただそれだけなのでしょう?
「理事長、その……」
「何だ」
私は半ば諦めきっていた話を伝えることにした。理事長に一分もの慈悲があれば、そう思っていたこともある。
私がお父様にとって期待外れの娘であるように、私にとっても、理事長は単なる理事長だ。偶々、私と血のつながりがあるというだけの……。
「お母様の命日には、墓参に……」
「その日は先約がある。お前も、無理に行かなくてもいい。それよりもバトルの練習をするか、勉強でもしていなさい」
「………………はい」
お母さんの墓前に、この人が立たなくなって何年経つだろう。墓掃除も業者に任せ、この十年間、花を手向けることすらしていない。
日々を増すと、怒りも不信も諦めへと変わる。お母さんを愛していなかったのではないかとか、幼い頃はそんな気持ちの中で悩んだことが何度もあるが、歳を重ねる度に希薄になった。
今になってはもはや、どちらでもいいことだ。私の気持ちに変わりはないのだから。
「失礼します」
理事長は返事もしなかった。理事長室の重厚な扉が閉まりきるまでその顔を覗いていたが、一度机に向かって下がった視線が、私のほうに向くことはなかった。
「……分からないでしょう。貨殖に品を作るばかりのお父様には」
それでもいい。私には、私の見る世界がある。あなたが大切にしているものと、私が大切にしているものは、別のものだから。
あんまり自分で言いたくはないけれど、友達は少ない。数人だ。かろうじて片手の指では数え切れないくらい。そうなれば6人か7人とアタリを付けられるだろうが、つまりはそういうこと。
少人数教室では、特に目立つ。窓際の一番前に座る私の周囲三席を空白にして、他の生徒達はその向こうに座っていた。
「流石は理事長のご息女でいらっしゃる!」
教師は一つ問題を解く度にこれだ。私の覚えがよければ、ひいては理事長の覚えもよくなるとでも思っているのだろう。
そして生徒達はさらに私を遠巻きにする。これも昔からだ。
別に、今更そんなことで泣き言を言うつもりはない。私のことを利用したがる教師も、教師に気に入られているように見える私が気に入らない生徒達も、好きにすればいい。その自由こそが大多数の人間に許された基本的な権利だ。感情までを操作する術は、誰にもない。
「ねぇ、あのアコニって子さ、あれどうなの? あのタトゥーさ……」
「なんかね、確か理事長の――――」
「何が理事長の娘だよ。お高くとまりやがって……」
「それ聞いたことある! あいつ、年上の金持ちをとっかえひっかえ――――」
私の後ろの席では、時折隠し切れていない内緒話が聞こえてくる。その全てが私の噂をしているものとは思わない。そうでないと思いたいだけかもしれないけれど。
嫌いなのは結構だが、放っておいてくれればいいのに。私があなた達に何か嫌がらせをしたことが一度でもあった?
「――――ってことらしいよ?」
「えぇ〜!? ヤバすぎじゃん! ってことはあの子って――――」
お母さんと同じ、ツタのタトゥーを撫でてみた。顔の他の場所とは、ほんの僅かに違う感触がする。
ねぇ、お母さん。私は、お母さんのことを信じてる自分が好きだよ。だからお母さんの言うとおりに、自分のやりたいことを諦めないから。
授業が終わってもだらだらと私におべっかを垂れる教師や、残酷な表情で口に手を当てて内緒話をする生徒がいる教室に、長い間留まっている気はしなかった。
成績さえよければ、私の周辺環境について理事長が何か言ってくることはない。そもそも、私の口から出た報告を聞くつもりもないだろう。だから別にいい。教師に気に入られようとか、友達を作って一緒にテストの対策をするとか、私には必要ない。
「遅れちゃった……!」
噴水の前は待ち合わせによく使われている。私も今日みたいに、誰かとの集合場所にすることが多い。
あのあんぽんたん男(補足するまでもないと思うが、シラン)がここで奇行(飲み干したサイコソーダ瓶を積んでタワーを作っていたり、大声でカントーの演歌を歌っていたり、通行者に手当たり次第話しかけてライムのかわいさを自慢したり)を繰り返すので、最近は少し人が減り気味だが、それでも彼がいない時には、こうして盛況になる。
「ごめんなさい。遅くなって」
今日は友人の女生徒と二人で昼食を食べる約束をしていた。
前に誘ってもらった時は、彼女のオススメのお店だったから、今日は私の番ということで。
「う、ううん。大丈夫。アコニさん」
彼女はどこか浮かない表情をしていた。それに、目を合わせようとすると、下を向いてしまった。
「ごめん。私、その……」
遅れたのは私のほうなのに、彼女は出し抜けに謝ってきた。謝るのは私だと言いたいところだったが、彼女はまだ何か話を切り出そうとしていた。
だが、踏ん切りが付かないのか、あと一歩のところで何度も口ごもっている。私は何か彼女の気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
「あの、あのね……!」
ようやく決心したのか、彼女は今日初めて私と目を合わせた。そして私の目を見るなり、また罰が悪そうに目を逸らして、肩を萎ませた。
「アコニさんといると、その、変なこと言われるから……」
それで全てを察した。それ以上を言わせるのは酷だ。あるいは、私自身その先を聞きたくなかっただけ……どちらでもいい。
とにかく、私は何か私の知らない場所からはたらく力学によって、いつものようにつながりを一つ失ってしまった。
「いいの! 私のほうこそごめんなさい。私のせいで、あなたまで嫌な思いをさせて……」
「ごめん……本当にごめんね……」
彼女はそう言って、駆け出して行った。走って行ったその方向には、彼女を心配そうに見ている他の誰かがいた。
よく頑張ったね、怖くなかった? そんな風に彼女を気遣って、まるで犯罪者から懸命に逃げてきた被害者のように、彼女を囲んで引き連れて行った。
ぽん! と、鞄に付けていたボールがひとりでに開いた。いつも私の許可なしには出てこないワルビルだが、今日は違った。
「ガ……」
ワルビル。平気よ。ありがとね。
「あなたは、いつも一緒にいてくれるね……」
私が生まれたばかりの頃、お母さんが連れてきたメグロコ。ちょっとやんちゃな子が多いあくタイプの中では珍しく、心配性で真面目な性格で、いつも私のことを気にかけてくれる。
「大丈夫。大丈夫だよ……」
勉強漬けだった毎日も、何も言ってくれないお父様も、事実無根の噂話をする誰かの視線も、記憶の端につながって垂れるだけの思い出だ。何一つ怖いものはない。
あなたがいてくれるなら、私は一人じゃない。だから……。
図書館でいくつかバトル学の本を借りてきた帰り、これから一度家に帰って、また競技棟に戻って来ようと考えていた道しなだった。
「ピカ!」
「ライム?」
競技棟のほうからライムが走ってきた。後ろのほうには、のんびりと歩いてくるシランの姿があった。
「ふふ……元気そうね」
「ピ!」
元気よく手を上げたライムは、私がその場に屈むと、二本足で立って手を伸ばしてきた。シランに曰く、抱っこして、の合図ということらしい。彼も度々話しているが、元が野生とは思えないほどに甘えん坊だ。
「アコニ、今から帰りか?」
「えぇ。荷物置いてくるから」
「そっか。ほら、ライム、アコニ一回帰るってよ。離れなさい」
今日も研究会の練習がある。最近、少しずつではあるが、研究会のレベルにも付いていけるようになってきた……気がする。
それもこれもワルビルのおかげだ。ムクバードも進化してからは何だか頼もしくなって、私の言うことをよく聞くようになってくれた。相変わらず遊び回るのが好きみたいだけど。
「こら、ライム。こっち見なさい」
「ピ」
ライムは私の腕の中に顔を埋めて、そっぽを向いた。
こんなことが週に二、三度ある。シランに叱られるのが嫌で、私のところに逃げてくる。いつもかわいい顔で抱っこをねだるので、拒みきれない。
「聞いてくれよ。そいつ、ダメだって言ってんのにさ、ほら。おやつ1袋食べ切りやがって」
「ふふっ。許してあげたら?」
「いーや。今度こそダメだね。このままじゃライムが不良になっちゃう」
シランは教育熱心な母親のようなことを言いながら、渋い顔で眉間に中指の先を当てていた。
彼は私の腕の中にいるライムの頬をつつき、その後頬をもみくちゃにした。嫌がって四肢をバタつかせるのが、腕にくすぐったい。
「それで、そのお菓子は?」
ハドリアでは見たことのないパッケージだった。簡素で、都心よりかは道の駅などで限定販売されているような、色の少ない袋。
「ニビこんぺいとう。砂糖の塊だから、一日で一袋食べたら絶対体に悪い」
彼はこんなことを言っているが、ライムの甘いもの好きは、むしろ彼の嗜好がライムに移ったのでは、と思わなくもない。
いつもサイコソーダを飲んでいるし、たまに音が出る固形ラムネを吹いて遊んでいる。15歳にもなって、往来のある学内でラムネを吹きながら歩く姿は何と言うべきか、それなりにアナーキーだ。
「気になるならやるよ。はい」
「えっ……」
彼は懐から新品の袋を取り出すと、私の手に押し付けた。
「ちょ、ちょっと!」
「遠慮すんなって。結構うまいぞそれ」
甘いものが嫌いな訳ではないが、私は彼とは違って、果物のような自然な甘みのほうが好みだ。あまり嗜好品の類は食べたりしなかったし、ポケモン達のおやつにも、以前シランに紹介された、栄養価の補完になりそうなきのみや果物を食べさせている。
ニビこんぺいとうか……何だか石みたいな形。不格好で、全部茶色で、いかにも不人気商品、という様相だ。
「ほら、ライム、来なさい」
「ピ〜」
私の腕の中で抗議するライムを引き取ると、彼は愛情からくる呆れ顔で、その小さな頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「このイタズラっ子め。すぐアコニに庇ってもらおうとするんだから」
「ピカ!」
「何? 俺が怒るのが悪いって言うのか? 生意気め。こうしてやる」
「ピ! ピッカ!」
お腹をくすぐられ、ライムは嫌がりながら笑っていた。
「悪いアコニ、ライムの歯磨きするから、少し遅れるかも! 今日の練習も屋上コートだってさー!」
ライムを腕に抱えたまま走り去る彼の後ろ姿は、素朴で、嘘の気配もない。その心はいつも見た目通りの、ありのままの形をしている。
シランは気付いていないだろうけど、彼は嘘が下手だ。すぐに本心が顔に出る。好きなものの前では目を輝かせ、嫌なことがあるとすぐに情けない顔をする。
だから、彼がどんな気持ちで私と話しているのかも、何となく分かっている。
「…………ありがとう」
「何か言ったー?」
「何でもない! いいから早くしてよね!」
何でもないわよーだ。べー。
ニビこんぺいとう
味 :★★★☆☆
栄養:なし
他 :★★☆☆☆
総合評価:★★☆☆☆
ニビシティで売られているらしいこんぺいとう。ニビシティ周辺の岩肌を模しているそうで、ツノのないごつごつとした形をしている。舌触りがざらざらとしており、糖蜜とグラニュー糖のみで作られているのに、なぜか砂っぽい。色も全て石をイメージした薄茶色で、見た目にもあまり楽しくはない。
シランがたまに、甘いものが好きなライムに与えている。別に私は何も言っていないのに、見ていたら一袋くれた。値段は不明。貰いものの値段を調べる気にはなれない。
ワルビル評:★★★☆☆
備考
グ、グァ、ガガ……(見た目は石っぽくて好きだけど……ちょっと甘すぎ)
アコニ評:★★★★★
備考
……何? …………別に、他意はないから。