俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど 作:イリノイ州の陰キャ
・
マイナン島北部にある史跡。円状の石畳が敷かれた、おそらく当時のポケモンバトル用コート。
チャンピオン及び四天王の戴冠式等、ハドリア内ではリーグ関係者の式典にこの場所が使われている。
ピネアの軽快な足取りに招かれ、俺はピジョットがいるであろう方角ではなく、そこから西に大きく逸れた森の中へと進んでいた。
「感謝しなさい。あなた、今すごく貴重な体験をしているのよ。観光客が上陸できるのは、南東の管理区だけなんだから」
「はぁ…………」
「腑抜けた返事ね。本当に分かってる?」
と、言われてもね……これは例えるなら、野球なんてルールも知らない人に「今お前が握手してもらったのはすごいプロ野球選手なんだぞ」と説明するようなものだ。
興味がないというよりは、興味を抱くためには最低限備わっていなければならない知識が欠けている。
「ま、こんな変わり映えのしない森の中をありがたがれって言われても、分からないのは確かね」
森の中には、生き物の息遣いを確かに感じる。それなのに、未だにポケモンと遭遇していない。
観光雑誌には、多様な動植物が面積の狭い島のそこら中で縄張り争いを繰り広げているとあった。しかし、縄張りを悠々と横切るひ弱な人間の姿に、牙を立てようという野生ポケモンはまだいない。
「それと、言っておくけど、この島は全域、写真撮影は禁止だから」
「は……?」
「この先見る景色がいくら綺麗でも、撮っちゃダメよ」
やがて薄い闇を作る木々の間から光が漏れ始め、視界にも段階的に明るさが戻ってくる。少なくなっていく木立の間隔は、回転のぞき絵のフレームのようであった。
開けた場所に出ると、俺は確かに彼女の忠告は確かに必要であったことを思い知らされた。
「いいでしょう? 私のお気に入りの場所なのよ」
一面に広がる花畑に風が吹き、風に吹かれた花弁が俺とピネアの間を通り抜けていった。
まるでその場所にだけは誰も手を出さないでいようという、草木の間にのみ共通する暗黙の了解が、ここにはたらているかのようであった。
「広い……」
バトルコート2面分はあるかという巨大な花畑だった。上空から島を見れば、ここだけ不自然に開けて見えるだろう。
その一面に何色あるのか数えたくもないような、多様な色味の花が群れていた。
「さ、来なさい。あなたに見せたいものはこれじゃないわ」
そう言うと、彼女は一面の色とりどりの花畑を何の躊躇いもなくヒールで踏み付け、奥へ進もうとし始めた。
「ちょっ……あんた! 花……!」
「え? あぁ、いいのよ。この花は特別なの」
そう言って彼女は足をどかすと、自分で踏みつけた花を手で軽く撫でた。
すると、踏みつけられた花は何事もなかったかのように立ち上がった。細胞壁のある植物には、当然ながらあり得ない振るまいだ。
「花は全て、特殊な形状記憶ポリマーでできた偽物よ」
「偽物……?」
俺は思わずその場に屈んで、花を自らの手で触ってみた。確かに植物とは思えないほどに摩擦の少ない手触りがする。茎も、花弁も。
そういえばこんなに近付いているのに、花の匂いもしなかった。この規模の花畑、普通なら森の中にいる時点でその甘い芳芬に気が付くはずだ。通りで野生のポケモンが全く集まっていないと思った。
それに、何だ……? 触れるとほのかに温かいような……。
「恒温状態だから、簡単に変形するし、放っておけば元に戻るわ」
「恒温……? どうやって……」
「さあね? 知らないわ。私は学者さんでも技術屋さんでもないから」
どうやって熱源を確保しているのだろうか。地熱がこんな地表部に自然に届いているのは不自然だし、特殊なポリマーであるという花々は、細い上に変形する。電線を通してもすぐに断線してしまうのではないか。
それにしても、これが全て造りものだと聞いてしまってからは、美しく見えた花弁のスプラッシュトーンが、途端に不気味な光景に思えてきた。誰が、何のためにこんな場所を?
「そういう訳だから、花を枯らしちゃうかも! なんて心配は無用よ。何なら、ここで暴れ回って全部にダメにしたっていいわ」
ここで初めて、俺はピネアという女性の感情を垣間見たような気がした。
「むしろ、そうしてくれたほうが嬉しいかもしれないわね。なんて……」
その内没的な横顔にチラつく悲嘆の色が、今の俺には鬱陶しくてたまらなかった。
意識の階梯を上下するかのように、現実と向き合う精神活動がせめぎ合っている姿には、他人事とは思えない見覚えがあった。
「…………そうですか」
彼女が歩いた道の花が倒れ、一本の半直線が人工の花畑に現れる。生糸のようにか細い道筋は、その背後に誰も続かせない孤高性を、安易な視覚的効果に頼っているかのようであった。
これを形相的と見るべきか、あるいは、頼んでもいないのにわざわざ何らかのシグナルを伝達してくる、過学習気味のアイロニーが為す妄想と見るべきか……。
ヒールとは思えないほどに足早な彼女の足取りを追って、俺は島の反対側に来ていた。島に隠されていた裏側の湖には、ハドリアの低い草木に覆われた丘陵地が広がっていた。
「ここよ。あなたを連れて来たかったのは」
「本当にここですか?」
別に、何の変哲もない場所だ。何ならさっきの人工花畑のほうが面白みはあった。
「慌てないの。あと一分もすれば分かるわよ」
彼女は頻りに手首を返して、脈を隠すように円盤を内側にした時計を気にしていた。
時間が関係ある現象がここで起きるのか、それとも、何かを待っているのだろうか。ポケモンか、あるいは人か。
「来たわ。あれを見なさい」
ピネアは突然明後日のほうを睨み付けながら、尊大にも片足に体重を預けて腕を組んだ。明らかに苛立っている。
彼女が見ているほうを俺も確認してみるものの、あるのは境界知らずの青空だけで、おかしなものは何も…………。
何だ、豆粒のように見えた黒い点が、次第に大きくなっていく。てっきり目の中にゴミでも入っていたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
ブゥ――――ンン――ン――ンンンッ!!
頭を抱えたくなるような風切り音が聞こえ始めた。それも一つや二つではない。大量に。
黒い点はやがてV字の輪郭を広げ、それが何かに左右からつられている人影だと言うことも、じわじわと判明していく。
「ヤンヤンマ…………!?」
左右に十匹ずつ以上のヤンヤンマが、糸をつって真ん中の板材を浮かしていた。そして、ブランコに立つようにして、その板材に一人の男が乗っていた。
「彼よ。あなたに会わせたかったのは」
「あの人が…………?」
先ほどまでピネアにうっすらと感じていた敵対心や、チャンピオンと行動をともにしているという高揚感などは全て忘れ、俺は一気に勢力を増してきた不安感に精神のリソースの大半を割くハメになった。
何だよあれ。ヤミカラスにつられて空を飛び、髪の毛やらスニーカーやらを飛ばして戦う主人公のアニメは知ってるけど、こっちはヤンヤンマ?
「ホントにあの人……?」
「…………言いたいことはよく分かるわ。でも全部あとにして。本当だから」
ピネアもピネアで、言いたいことがあるような、むしろ何も言いたくないかのような表情で、冷や汗まで浮かべていた。
一体どんな人物なのだろうか。全く想像が付かない。近付いてくる夕立のような羽ばたきの音が耳障りだった。
「拙の名はヘリクス。この美しきハドリアの四脚門を守護する身命の壁」
ヘリクスは、流木のように細く、左右に線の曲がった不健康そうな男だった。
彼が降り立った瞬間に、その体を支えていたヤンヤンマ達は一斉に散り散りとなる。どうやってあの量のヤンヤンマに同じ命令を遂行させていたのだろうか。
「四天王を任される……予定だ。いずれはな」
ヘリクスと名乗った男の近くに、上空から飛来したメガヤンマが着地した。
その羽ばたきの音すらも聞かせてくれなかったのに、姿を現した途端、湖が底から凍り付いてしまわないかと思わせる寒気がよぎった。
四天王がどうとか言っていたが、実力者であることは間違いない。ポケモンに現れる力量としては、ミヤコのブリジュラスよりもさらに威圧感がある。
「ヘリクス。事前に教えたでしょう? 彼があなたに紹介したかったトレーナー。ナイロン学園の〝強化生〟よ」
ヘリクスは縫い目のほつれた小汚い外套の襟を頻りに気にしながら、その合間に俺の姿を盗み見るように確認した。
「強化生……」
「えぇ。彼は――――」
ピネアの言葉を遮って、ヘリクスは片手を上げた。その目には少なからず侮蔑の色が滲んでいる。
「くだらんな。ハドリアの美しき草花にたかる外来の虫ケラめ」
「あなたね……はぁ、まぁいいわ。とにかく、事前に話した通りよ」
侮蔑を通り越して、敵意が滲み始めた。その怒りに呼応するようにして、彼の側に侍るメガヤンマの羽が騒ぎ出す。
ボールの中でライムとエルレイドも、同じように騒ぎ始めた。やめろ。いいから。
「ヘリクス、あなたにに彼の案内を頼みたいの。この島の北方にある、〝ルオータ〟に」
「正気ではないらしいな。神聖なる〝ルオータ〟を、チャンピオンの許可証付きで外様の虫ケラに踏み荒らさせるつもりか?」
ヘリクスはあからさまに難色を示した。渋面に細々としたシワを浮かべ、彼は傷んだ長い黒髪を手で何度もどけながら、俺の姿を二度三度と値踏みするように下から見渡した。
彼等の言う〝ルオータ〟というものが何なのかは知らないが、どうやらハドリアにとって重要な場所、あるいはものがそこにあるらしい。光栄だが、そんな場所に俺を案内して、何の思惑があるというのか。
「やめなさいヘリクス。言ったはずよ。あなたはあくまで何人かの〝四天王候補〟のうちの一人に過ぎない。前任のお爺様が定年で引退されるとはいえ、まだ現役なのだから」
ピネアの脅しも、彼にとってはどこ吹く風であったようだ。涼しい顔で皮肉っぽい笑顔を浮かべると、その光沢のない髪をかき上げた。
「何を言うか。あのような死にかけの虫ケラは、もはや四天王とは言わん。それに、案内がしたくば己で連れて行けばいい」
「あなたの意見には何も価値はないわ。私の一存で、今すぐにでも候補から降ろされることを自覚なさい」
内ゲバも大いに結構だが、俺の知らないところでやってくれないか。
こっちはこれから何が始まるかも理解していないんだ。あんた等の内輪揉めに付き合ってる精神的余裕はない。
「私は大事な予定があるの。いいわね、ヘリクス」
「…………やむなしか。ならば、案内までは引き受けよう。そのあとのことは知らん」
「それでいいわ。あとは彼自身の力だから」
憮然とした表情で閉口するヘリクスに案内されて辿り着いたのは、円状に石畳が埋め込まれた、古代のバトルコートだった。
「ここが〝ルオータ〟?」
史跡として価値はあるのかもしれないが、これを見て突然啓示が降ってくるとか、我が身に強烈な変化が起こるとは思えない。海外旅行に行く度に世界観が変わったとかほざく輩でもなし。
「…………」
質問も受け付けてないらしい。ヘリクスはかつかつと石畳の中心へと歩き、そこに埋め込まれているものに手を翳した。
「見ろ」
手招きされ、彼の隣にきた瞬間、途端に中心点が光を放つ。よく見るとその部分に埋まっているのは、この周辺に広がる石畳とは別の、何らかの球体だった。
「これ……キーストーン……!?」
彩色の光が突出し、辺りに散乱する。その間、ヘリクスは無言で目を瞑っていた。
やがて光が収束すると、合わせてヘリクスも目を開け、複雑な表情を浮かべた。
「これは
しかし、そう言われてもキーストーンにしか見えない。大きさも、形状も、その中に透ける模様も全て、俺の持つこの石や、何かの図鑑で見た資料写真と同じだった。
「触れてみろ。そして、精々己の弱さを嘆いてから立ち去れ」
一歩離れたヘリクスに促されて、俺は恐る恐るその石に近付いてみた。
キーストーンとの違いは、よく分からない。この石がどのような原理でポケモンの形態を変化させるのか、詳細は誰にも知られていない。その力がどのような条件で、どんな風に作用するのか、解き明かせているものは多くない。
何かメガシンカとは別の超常的な現象の契機であり、それが元で信仰を得ているとも考えられる。
「何をしている。早くしろ」
催促され、俺は意を決した。何が何だか分からないけど、これに触れた時、俺の求めている何かがそこにある。そんな予感があった。
オニゴーリが出るかアーボックが出るか。どちらでもいい。
行くぞ…………。
そこに突然、少年の日のシランが立ち上がった。
警察署の霊安室、白い壁と白い床と白い天井に、白い絹布をかけられた父の姿。
親父は目を閉じたまま、ほうれい線のない、無理やり作られた笑顔を浮かべていた。
突然霊安室も親父の姿も立ち消えると、俺は、というか昔の俺は車の中にいた。
足が痛いとだだをこねる俺を抱え、親父がタクシーを出た瞬間、都会にありがちな区画立てられた植え込みの中から、何かが飛び出してきて……。
「あっ……!」
「何だこれ……」
石は熱したガラスのように赤くなっていた。火傷こそしていないが、あと一秒でも触れていようものなら、指の皮膚が石に癒着して皮が剥がれたいたかもしれない。
「やはりか」
ヘリクスは予定通りにことが進んだとばかりにほくそ笑んだ。
「その石は、その者が真にポケモンの使役者に足るものかを示す」
「使役者……?」
俺は突然頭の中に流れてきたイメージから逃れるのに必死で、ロクにヘリクスの話を聞くこともできなかった。
キーストーンの何らかのエネルギーが、触れた者を一種のトランス状態にでもするということなのか、あるいは、本当にこの石は、俺のどこかに根を下ろす、いつか対峙しなければならない恐れを見透かしていたというのか。
「
今から言うことが面白くて仕方がないとでも言いたげに、ヘリクスはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。
「ポケモンの側にいる資格すらないようだな」