俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど 作:イリノイ州の陰キャ
アンケートのご協力ありがとうございました。想定していたより票が集まったことに大変驚いております。
結果として過半数以上がキャラクターのリストが必要ということでしたので、活動報告欄に作成しようと思います。拙作の話数のリストには掲載されないことをご承知おきください。
『じゃあさっさと帰れよ』
あいつがジム巡りをやめると言い出した時、俺は感情的になって、お前にバトルは向いてなかったとか、才能ないから諦めろとか、思い付いた端から散々罵倒語を浴びせかけた。
俺の失望とあいつの絶望の、どちらがより巨大であったかとか言って、互いの体に付いた傷の程度で競い合うように、俺達は口を聞かなくなった。
七つ目のバッジを前に彼はいなくなった。去っていく背中を見つめながら、もうバトルの世界に戻ってくることはないだろうと、無自覚にそう確信する内心に相槌を打っていた。
メガヤンマの赤い目に怯むハイネの背を押して、俺自身は一歩その場を引いた。
速度勝負となれば、2体のポケモンをどちらも、常に視界に収められる場所にいたい。動体視力が十全に機能する範疇で、こちらの準備が終了することを祈るばかりだ。
「悪いけど、一発は覚悟してくれ」
ハイネは返事をしなかったが、己の役割は心得ているようであった。
「メガヤンマ! 〝むしのさざめき〟!」
「〝めいそう〟」
飛来する不快な音波から逃げたくなる気持ちを押さえて、ハイネはその場で〝めいそう〟を始めた。
ヒットした音波が全身を揺らし、平衡感覚に強烈な干渉が発生する。見ているだけの俺すら目眩を覚えるほどだ。ハイネの感じる苦痛は計り知れない。
「キュ……!」
それでもハイネは、及び腰であった姿勢を改め、交戦の意思を前面に表出した。
「ごめんな。いつも通り頼むぞ」
ここからこちらの〝かそく〟も同時に始まる。今更追い付くことはできないが、ライムにつなげれば、あるいは……。
「追撃しろ! 〝むしのさざめき〟だ!」
「走れ! 〝めいそう〟!」
トレーナーとして、己を血も涙もない残酷な司令者であると感じる瞬間がある。今がそうだ。
苦しみに耐えるポケモンに、さらに任務遂行を命じる時は、心が痛む。心痛を感じながらも勝利の選択肢を選ぶ、矛盾だらけの俺達トレーナーを、バトルを知らないどっかの誰かは大たわけと笑うか?
ハイネは二度の〝むしのさざめき〟を何とか耐えながら、キッと目端を上げて走り始めた。
この広さだ。逃げるための直線距離にも方向にも困らない。あと一分でいい。時間を捻出してくれ……。
「逃すなメガヤンマ! 〝エアスラッシュ〟だ!」
メガヤンマは一致技を放棄し、先ほどポリさんを沈めた〝エアスラッシュ〟を使い始めた。
制御が困難なレベルの発射速度から、〝エアスラッシュ〟は一般には当てるのが難しい技として認知されている。しかし、逃げる相手に当てやすいのは、むしろその発射スピードが高いものと考えたようだ。
ハイネの疾走と、それを追うメガヤンマの技によって、花畑が無秩序に蹂躙される。舞い上がるポリマーの花が、走りながら〝めいそう〟を重ねるハイネの姿に何度も重なった。
「メガヤンマ! 視線に惑わされるな! 走る方向だけを狙え!」
メガヤンマの〝エアスラッシュ〟は、何度も花ごと地面を抉り、吹き飛ばした。そこにあるハイネの影を追って。
「ぬぅ、逃げ足の早い……!」
臆病な性格のハイネは、逃げるという一点においては相当なテクニックがある。というのは、相手側にボールがある時のドッジボールのようなものだ。
単純な足捌きによるフェイント、逃げる方向を誤認させる首振り、わざと敵と目を合わせることにより、相手に技の方向を考えさせる余裕をなくす駆け引き。
そう簡単には捕まらない。攻撃技が使えないハイネの力を引き出すための暗中模索の日々が、その健脚に〝欺き〟の技を与えていた。
「メガヤンマ! 目を瞑れ! 指示があるまでは〝エアスラッシュ〟を乱射しろ!」
回数にして四度ほどの狙い澄ました〝エアスラッシュ〟を避けられたことに、ヘリクスは業を煮やしたようだった。
彼は不可解な指示を飛ばすと、メガヤンマがそれに困惑せず、絶対に従ってくれると確信した様子で、己は別のことに集中し始めた。別のことというのは、逃げるハイネだ。
「何だ……?」
ハイネはうまく逃げ切れている。無作為な乱射に切り替わり、着弾点の予測が難しくなったとはいえ、狙いを定めない〝エアスラッシュ〟は7割がた見当違いの方向に飛んでいっている。避けるのは容易い。
だからこそ、ヘリクスの次の一手が恐ろしかった。行動のどこまでが、何の布石なのか分からない。
「今だッ! 〝むしのさざめき〟!」
「〝まもる〟ッ!」
俺はテクニックや駆け引きとは何も関係ない、甚だ理論とはかけ離れた主観的な判断から、確信なくハイネに〝まもる〟の指示を出した。
結果的にそれは正解だった。
ハイネの前に展開された青い皮膜の前で、音波による攻撃が弾け、その膨大なエネルギーが発散していく瞬間を視覚的に捉えた。
今の〝まもる〟が間に合っていなければ、ハイネの働きが全て無駄になっていたところだった。
「いい反応だッ……! それでこそ、踏み潰し甲斐があるというものッ!」
直感とは何だろうか。実際に第六感なるオカルトめいた感覚器官があるとは思っていない。
これまでの経験知(実体験により得た言語化の難しい知識)や、五感のいずれかが受け取った僅かな違和感を総括して、無意識による危険信号の表面化だと、勝手ながらそう考えている。
ならば、俺がさっきからひしひしと感じている、この強烈な危機感も、その第六感とかいう奴の警告と思っていいものか。
「メガヤンマ! いいぞ! もう一度だ! 90度左に回転して〝エアスラッシュ〟!」
「――――ハイネッ!! 止まっ……!?」
ここにきてヘリクスは、初見であるはずのハイネの動きを完全に見切った。
その慧眼でランダムなハイネの疾走方向を予測し、二歩も先を読んだ〝エアスラッシュ〟は、一寸の狂いもなく命中した。まるでハイネのほうから当たりに行ったかのように。
横っ面に〝エアスラッシュ〟を当てられたハイネは転倒し、花弁や土に塗れながら、怒りの表情で立ち上がった。
「ハイネ、無事か!!」
ハイネは片膝を突き、その細い脚を震わせながらも、凛として表情に苦悶の色を見せず、正面から確とメガヤンマを睨み付けた。
「怖がりなくせに……ありがとう」
いつも花形でもないのに大変な仕事を任せているハイネには、全く頭が下がるばかりだ。
複数回の〝めいそう〟があったとはいえ、あの波状攻撃を耐えきった精神力には感服の念以外にない。おかげで首の皮一枚つながった。
「〝バトンタッチ〟」
互いにスピードの上昇は頭打ち。いくら未だ謎の多い〝とくせい〟による効果とはいえ、その生体に耐えられない限界以上の運動性能を付加することはできない。
つまりこの状態ならば、元来のダイナミクスで勝るライムのほうが早い……はずだ。
「ピィッ……!」
ハイネがボールに戻るのと同タイミングで、ライムが血気を飛ばしながら勢いよくフィールドに現れた。
「地べたを這い回る子虫がまた一匹……」
「ピカッ……!?」
「ライム、挑発に乗るな」
気合いがあるのはいいが、相手のペースに乗せられてはならない。
ライムは負けん気の強すぎるところがある。仲間への侮辱や害意に一番反応するのもこの子だ。それは嬉しいが、頭に血が昇って覚醒するなんてのは、漫画の世界の話だけ。競技においては冷静な奴が強い。
「〝かげぶんしん〟」
ライムが横並びに三匹増えた。ブラー処理がかかったように姿の端が掠れている。
像を直接操作することはできない。位置は慣れればある程度動かせるが、大体は本体の動きと同じタイミングで、かつ同じ種類の動作をさせることしかできない。
それでも、どの像が本物か判別しにくい動き方というものがある。
「薙ぎ払え! 〝げんしのちから〟だ!」
「跳べ!」
四つの像が全て同時に跳躍し、その足下をメガヤンマのエネルギー線によって焼き払われた。
「〝なげつける〟!」
扇状に広がった全てのライムの像が、懐に手を入れる仕草をする。
投げる動作は一瞬だ。ギリギリまで相手に見えないように、投擲の練習は欠かしていない。
「メガヤンマ! 右だ!!」
ヘリクスから右、俺から見て左端のライムから繰り出された〝でんきだま〟に、メガヤンマは対応しきれなかった。
ハイネの〝かそく〟が活きている。速度を積まずにライムを続けさせても、技の〝出〟の速さで奴を捉えきれなかっただろう。
「見えたぞ! 今のピカチュウを狙え!」
「ライム! 潜り込め!」
メガヤンマが反撃の〝げんしのちから〟を放つのと同時に、四匹のライムが一斉にメガヤンマの足下へと殺到し、直線方向に交差する。
その瞬間に方向を急激に転換し、メガヤンマの影の周りを軽く回ると、また影同士が中心で重なり合いながら、位置を交差した。
「猪口才な……!」
この速度で、かつ何度も影が重なる動作を、視覚で完全に把握しきるのは難しい。
よしんばトレーナーには捕捉できたとしても、〝でんきだま〟を食らって体が痺れているメガヤンマに、下を向いて今のライムの位置を確認する余裕はあったか?
「〝どろぼう〟!」
四方から飛び上がり、メガヤンマを囲むライムの像。咄嗟にどれが本物かを見分ける余裕など、メガヤンマにはなかった。
技を撃ち分けていることから、こだわり系の〝もちもの〟でないことは自明。ハイネほどではないとはいえ、ライムも技を封じられるとかなりマズいことになるが、その心配はない。
「メガヤンマ!」
耐久にそこまで厚くないメガヤンマが、ポリさんの〝10まんボルト〟を受けきったことは賞賛に値する。
しかし、防御に強く育てていようとも、ライムの2回の攻撃までを耐えることはできず、〝もちもの〟を奪われたメガヤンマはよろよろと地面に落下した。
「…………いい働きだった」
ヘリクスはメガヤンマを労いながら帰還させ、一つ目のボールをポケットに収めた。
「取ったのは、〝いのちのたま〟か……」
持ち主の運動能力を向上させる効果のある不思議な物体。それは同時に、想定以上の運動性を引き出されることに等しい。その分だけ、ポケモンは消耗する。
「行け。シュバルゴ」
俺がスマホロトムの図鑑機能からライムの〝もちもの〟を確認しているうちに、ヘリクスは三体目を繰り出していた。
「美しいポケモンだとは思わないか? 均衡の取れた形状には、神の作為すら感じる……」
自ら繰り出したシュバルゴの姿を見て、ヘリクスは恍惚とした不快な撫で声を垂れた。
シュバルゴの見た目が素晴らしいことには同意するが、バトル中とは思えないマイペースぶりだな。
「キツいな……」
シュバルゴは〝かそく〟の恩恵など不要なほどには鈍重だが、見た目通りそれなりに堅い。しかも、攻撃力もトレーナーから見て満足いくものがある。
特殊攻撃のできるメガヤンマを重く見て、早々に〝でんきだま〟を手放したのは悪手だった。その恩恵に預かれない今のライムの攻撃力で、返しの攻撃を命中させられる前に討ち取れるだろうか……。
「ライム! 〝どろぼう〟!」
とにかく当たってみるしかない。ライムは像と合わせて渦を巻くようにしてシュバルゴの周りを走り、距離が近付くとともに、道具を掠め取る要領で尻尾を叩きつけた。
「効くものかッ!! 〝メガホーン〟!」
ライムはすぐさまシュバルゴの近くを離れたものの、像の二つがギリギリで〝メガホーン〟に掠められた。
残す分身は一つ。次の攻撃が通じなければ、もう一度分身を積んで一撃離脱を繰り返すしかない。
「回れ!」
なるべく受け身を取られないように、シュバルゴの周りを走らせる。旋回力のないポケモンだ。何度も目の前を通るライムのどの像が本物か、自らの体を回して姿を目で追いかけることはできない。
「〝なげつける〟!」
雀の涙の威力だが、確実に〝いのちのたま〟はシュバルゴにヒットした。
接近すると〝メガホーン〟で捕捉される。威力には劣るが、中距離を保てる〝なげつける〟が円いはずだ。
「〝メタルバースト〟!」
シュバルゴの周辺から何十という光の線が撃ち上がり、ライムに追従していた像に当てられた。
これも〝かげぶんしん〟だ。ライム自体にダメージはない。それに〝メタルバースト〟の威力は直前に受けた攻撃の威力に依存する。もし受けていたとしても、倒されはしなかったはずだ。
「外したか。しかし、今ので厄介な偽物は打ち止めだろう」
それでも、耳の横を通る汗を無視できなかった。接近が必要な技以外を想定していなかったのは、俺の判断ミス。
「何度でもやるさ。ライム、もう一度――――」
「シュバルゴ! 〝ちょうはつ〟だ!」
ライムが〝かげぶんしん〟をするその手前で、シュバルゴが片目をつり上げながら槍の手で手招きをした。
「……嫌な技持ってるね」
「技に好悪などあるものか。お前の考慮が甘いだけのこと」
ハイネを相手に出してこなかったのは、あの鈍足で〝まもる〟の隙を突くのは難しいと考えたからだろうか。
どうすべきか。ここからは〝かげぶんしん〟は頼れない。一発受け切れるか。話はそれからと言ってもいいほどだ。
スピードや技の範囲で処理してくるメガヤンマこそ〝かげぶんしん〟の一番の弊害だと考えていたが、あの足の遅さで〝ちょうはつ〟を使わせるとはね……。
「やるぞ。合図があるまで攻撃するなよ」
「ピ」
騙くらかしが得意とは自負していないが、必要な場合があることも分かっている。こういうのはアコニとの実戦で、少し慣れてるんだ。
「ライム、走れ!」
先ほどと同じように、シュバルゴの周りを走る。しかし今度はぐるぐると囲うようになぞるのではなく、進退を繰り返し、しかけるようでしかけないバックステップを見せつけた。
「そのような安直な動きに、シュバルゴが騙されるものか」
だろうね。我慢強い性格のポケモンでなくとも、こんな見え見えの動きに引っ掛けられはしない。平時なら。
「今だッ! 地面を叩け!!」
ポケモンの筋力は、こんなかわいらしい見た目のピカチュウでも人間を大幅に凌駕する。人が地面を道具で叩いたのでは、同じことはできなかっただろう。
ハイネの疾走を追うメガヤンマの技によって、散々掘り起こされていた土が、ライムの尻尾の叩きつけによって吹き飛ばされ、砂塵となって周辺の視界をうやむやにした。
「何ッ……」
「〝どろぼう〟!」
アコニのワルビルが得意な砂地で練習を重ねたおかげで、少し視界の悪い程度の状況なら、ライムは動くことができる。
ただ、相手も次期四天王に名が挙がる実力者。至近距離における技の速度は、さっきから見通しの甘い俺の想定を超えていた。
「見くびるな!! 〝メガホーン〟!!」
土埃の間をシュバルゴの〝メガホーン〟が貫いた。視界を阻む土埃を払い、その槍がライムの胴をも掠める。
直撃ではないとはいえかなりの威力がある技だ。命中したライムの体はその余波に弾かれ、地面を何度も転がった。
「ライム!」
「ピカ……」
戻ってきたライムの表情には、まだ血色が残っていた。だが、掠めただけでここまで飛ばされる威力だ。二発目は受けられない。
不幸中の幸いと言うべきか、ライムは確かに〝どろぼう〟を命中させていた。今度奪い取ってきたのは〝オッカのみ〟。
なるほど、唯一苦手とするほのおタイプの技は、こうやって対策するつもりだった訳か。
「悪くない。いい狙いだぞ、シュバルゴ」
さっきは似ているところがあると思ったが、同時に全く似ていないものもある。
この人と俺との違いは単純明白。ポケモンを信じているかどうか。
「虫ケラなりに考えたようだが、所詮は猿知恵だったな」
「虫なのか猿なのかはっきりしろよ……」
「虫ケラらしく細かいことを気にする奴だ」
ヘリクスの目は、無条件でポケモンが己に従うと信じている者のそれだった。
多分に自分本位なスタンスとはいえ、ポケモンへの信頼それのみで考えれば、おそらくはそんじょそこらのトレーナーより結び付きは強い。
「侮ってたよ。強いな」
「考え改めるのはよい傾向だ。どれだけ手の施しようがない愚か者とて、改悛の機会は平等だからな」
「ほざいてろ……」
どんな人格破綻者だとしても、ポケモンを信頼し、またポケモンの信頼を得る実力があれば、強さが伴うのはある種必然とすら言える。
俺にはそれがない。どちらも。だからポケモン達の力を恐れて、その実力を全て引き出すことができていないし、またポケモン達のほうも、そんな俺の心情を見透かして全力を出せないでいる。
「まだやるかね? 勝負を辞すつもりなら、拙はそれを止めないぞ。今なら帰りの足でも用意してやろう」
帰りの足ってどうせアレだろ。集合体恐怖症とかいう、ちょっと前から流行ってるヤツの人が見たら悲鳴を上げそうな、さっきのヤンヤンマが沢山いるアレ。
「ご結構。自分用に取っとけよ」
ヘリクスの手持ちは、フィールドに出ているのも含めてまだ3体。
対して、俺の出せる手持ちは残り2体。ハイネは既に虫の息(ヘリクスのが伝染った)。戦える状態ではない。
それに一匹は、すでに出しているライムで固定だ。
シュバルゴはほんの少し息を乱してはいるものの、まだ大いに余裕を残している。
後続には体力半減とはいえ、高火力の物理技を打ち分けられるグソクムシャが控えているし、最後の一匹はまだ見えてすらいない。
「ではなぜ止まっている? 怖気付いたか?」
「誰が」
俺は内心の焦りを隠しながら、笑顔を浮かべてみせた。
「ライム!」
シュバルゴの槍は、あの見た目で意外と横にも可動域があるようだ。完全に背後を取りたいところだが、懐では足の速さはそこまで関係ない。どちらかといえば技の速度で後先が決まる。
その点では、あのシュバルゴは抜群だ。反復運動によって鍛え抜かれた速筋が、不動にして類稀なる瞬発力を生み出している。
「迎撃しろ! 〝メガホーン〟!」
流石に、これは避けられる。ライムはその小さい体をさらに低く這わせながら疾走し、見た目通りのリーチと突破力を有するシュバルゴの槍を下から抜けた。
突きそれ自体の速度がどれだけ凄まじいものであろうと、予備動作が見え見えだ。ほとんど最初の位置から動かない、というか動けない鈍重な身では、そのモーションを誤魔化す小細工もままならない。
「ライム! 〝きしかいせい〟!」
「迎え撃て! 〝アイアンヘッド〟だ!」
互いの技がぶつかり合い、一瞬の熱エネルギーの乱高下のうちに、硬質化したライムの尻尾とシュバルゴの金属組成の赤いたてがみとで火花が散った。
拮抗は一秒にも及ばず、弾き飛ばされたのはライムだった。〝アイアンヘッド〟のダメージを受け、足がふらついている。
「悪くない力だ。だが、お前の指示がまずかったな」
「…………」
シュバルゴのたてがみには、ライムの尾の形に合わせ、切れ込みのようなへこみが生まれていた。あれが元の形に戻るには日数がいるだろう。
確かにライムはよくやってくれた。シュバルゴは少なからず元の位置から後退させられている。〝アイアンヘッド〟をうまく捌き、防備の薄くなった胴に攻撃を当てられていたら、ダメージを与えられていたかもしれない。
「あるいは〝ボルテッカー〟ならば、話は違ったかもしれんがな」
ヘリクスは皮肉げに片目をつり上げた。
「でんき技を切るのは奇策のつもりだったのだろうが、そのような小手先の一発芸が、プロの世界で通じると思うなよ」
「ご忠告どうも」
悪いのは俺だ。素の攻撃力で劣っているのは仕方ないものとして、相手の懐を取ったことに安心して技を雑に振らせたのは拙かった。相手の堅さに動揺し、勝負を焦った。
「ライム、戻れ」
「ピィ、ピカッ……!」
抗議するライムを無言でボールに戻す。ボールに戻ったあとも激しく継戦を主張してくるが、そうはいかない。
アドレナリンが出ている時の自己申告は信用ならない。さっきの〝アイアンヘッド〟は直撃だった。無理に戦わせれば後遺症が危ぶまれる。
「残すところ1体。お前の死期を知らせるカウントダウンにしては、刻みが早かったか」
残り、俺に出せるのはシロミか……いや、シロミだけか。
うまくシュバルゴを突破できたとして、ダメージを負った状態でグソクムシャと、さらに後続のまだ見ぬポケモンを捌き切れるだろうか。二年前ならまだしも、今の俺に……?
「やるしかない……頼むぞ、シロ――――」
俺がシロミのボールをポケットから出そうとした瞬間、木陰に置いていたリュックの中から、エルレイドが勝手に飛び出してきた。
「エルレイド……!?」
出てくるなり、緩慢というべきか、余裕をもった速さで歩いて近付いてくると、俺に背を向け、ヘリクスを挟んで立ち止まった。
「お前、何のつもり……」
出すつもりは毛頭なかったので、ポケットにすら入れていなかったのに。
「それが最後のポケモンか……なるほど確かに、虫ケラではないな」
その目に湛える水分に欠けた光が、折しも黒目の低い場所で鋭く横に伸びた。
ヘリクスはもう、エルレイドが最後のポケモンと認識しているようだ。
「い、いや、違う! こいつは……!」
「何を言う。当人がその気ではないか」
勝手に前に出てきたエルレイドは、俺のほうなど一切振り向かず、両手を胸の前で構えて刃を迫り出した。
やる気だ。バトルにおいてこんなに競技的な闘争心を見せたのは、もう二年前に遡る。というか、俺の言うことを聞かなかったのはこれで2回目。ボールに閉じこもった時と、逆にボールに戻ろうとしないこの瞬間。
「お前……今更何を……!」
この期になって、ようやくその気になったのか? それともただ、俺の言うことなんざ聞く価値もないって?
「…………どうやら身の丈に合わん強者を仲間にしたようだな。全く拍子抜けだ」
そもそもだ。エルレイドの力があったとしても、さっきからずっと俺の指示がちぐはぐなまま。このままでは負ける。なす術なく。
いや、エルレイドが俺のことなど無視して一人で奮戦し、いいところまで持ち込む可能性は多分にある。大分贔屓目が強いと思われるかもしれないが、事実、こいつにはそれだけの能力がある。
それでも勝てない。ヘリクスはポケモンの力を引き出し、異体同心で戦っている。一人の力で戦っても、俺達は、このままでは……。
…………このままでは負ける?
「今更は、俺もか……」
つくづく
「くく…………」
歯の隙間を抜けるようにして、奇妙な笑い声が己の唇を突いて出た。
「奇妙な小僧だとは思っていたが、どうやら正常ではないらしいな。突然にして精神の条理を失ったか?」
ヘリクスの蔑視がエルレイドを過ぎて、俺の目を射抜いてくる。正面向きの敵意が心地よかった。俺はこういう世界にいたんだよ。
忘れていたものが、遠いものから順に甦っていくような感覚がする。
いつの間にか、エルレイドはこちらを向いていた。その表情には、もう二度と戻ることのできない日々を懐かしがるような、スれたノスタルジーの色が浮かんでいた。
「エルレイド……」
本当は気付いている。
ごちゃごちゃ煩わしいペダンティックな迂遠語で、俺がガキの理屈で君を遠ざけていただけなんだ。
いつまでも返答のない家の扉を叩き続けるのはやめて、いい加減ドアノブを回してみろよ。
何を考えているか分からないなんて嘘だ。本当は知らないフリをしていた。沈痛ぶって暗いところで座っていれば、確かに心は落ち着いていられるかもしれない。ならばその姿を誰が見つけてくれる?
「そんなに心配すんなよ」
エルレイドはその小さな手で、俺の手を掴んできた。
ラルトスの時よりはずっと成長したと思っていたが、こんなにかわいい大きさだったのか。
「今度はうまくやるって」
エルレイドは頷いた。ここ数日の錯綜の日々は、意外と無駄じゃなかったな。
そうでなければ俺は、またこいつの信号を受け取り損ねるところだった。明確な身振りがないだけで、最初からずっと伝えようとしていた。
――――助けたい。ってか。生意気なこと考えやがって。
年中、人形みたいに黙って突っ立ってるだけの君が、頑なにエルレイドに進化したがった時のことを思い出す。
あの時はなぜそこまでエルレイドにこだわったのか分からなかった。今でも、やっぱり正直分かってはいない。でも、勝手に想像することにした。
「どうした。いつまでも阿呆のように呆けているつもりか?」
「悪いね。もういいよ」
確かに、俺はまだポケモンを恐れている。あるいは一生涯そうかもしれない。死ぬ前になって後悔しているかもな。
「後悔するなよ」
今度はちゃんとお前に言ってるぞ。ヘリクス。
「のたまったか。小童が」
何かを突っ込んだまま存在も忘れていた左ポケットの中で、プリズムを透過してスペクトルを得た七色の光が、直線を放射状にして回り始めた。