俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど   作:イリノイ州の陰キャ

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 拙作を読んでいただきありがとうございます。誤字報告、感想、評価、お気に入りなども大変励みになっています。




37、ちょっとした気まぐれのIFFT

 

「ライムー、起きろー」

「ピィー……」

 

 宿のふかふかなベッドがお気に召したライムは、その中心で丸くなって動かなくなってしまった。頭を手で抱えて尻尾を畳んでいる。

 

「ライムー」

「ピィー、カー……」

 

 低い鳴き声でうぞうぞと体をねじると、ライムはその小さな手にシーツを巻き込んでうつ伏せになった。

 相当おねむみたいだ。顔を埋めながらずっとピーピー文句を言っている。こうなるともう、ちょっとやそっと呼びかける程度では起きてくれない。どうしようかな。

 

「ま、いいか……」

 

 無理やりボールに戻してしまってもいいが、出発は昼だ。朝の散策に全ての荷物を持って行くつもりはないし、また戻ってくるまでは寝かせておこう。

 

「じゃ、ポリさんと一緒に留守番頼むぞ」

 

 ライムは鳴き声を出すのも億劫なようで、尻尾を一瞬だけ立ててそれを返答とした。すごく眠そうだ。

 その横でポリさんが呆れた表情を浮かべている。昨日のジム戦を一人で突破したのだから、むしろ疲れているのはポリさんだろうに、いつも朝が早い。

 

「悪いね。任せるよ」

 

 ポリさんは(どこからが胸か分からないが)胸を張って、任せろ、という風にキメ顔を作った。食べものに関係しない時なら、こいつも頼りがいがあるんだけどな。

 さて、さっさとあの子にボールを返しに行くか。昨日は結局会えなかったし……。

 

 

 

 そんな訳で公園に来た訳だが、あの女の子の姿は見えなかった。

 

「いないな……」

 

 見覚えのある子供達が、相変わらずサッカーに興じていたのを除いて、公園の雰囲気はまたおとといとは別物だった。

 子連れの家族がボール遊びをしている少年達を遠巻きにして、草地にブルーシートを張ってお弁当を食べていた。以前より賑やかで雑然としている。

 

「土曜日、だっけ……?」

 

 夏休みも始まったばかりという時分から、曜日感覚に狂いが生じ始めている己の鈍さには、流石に危機感を覚えるところだ。

 

 人混みというほどでもない公園の嬌声の中に、あの少女の姿はなかった。

 遊具なんてない単なる自然区に境界を設けただけの場所だ。見晴らしを阻むものはなく、一望すれば大体周囲を確認できる。

 

「探すか……」

 

 公園にいなくとも、近くを歩けばどこかにいるかもしれない。どうせ昼にはおさらばだと開き直るのもいいが、決まりが悪いままでは次の日の快眠に支障が出る。

 どうせ返すだけだ。さっさと見つけて済ませよう。

 

 

 

 果たしてその少女は、公園の外周の横断歩道の向こうにいた。こちらに向かってくる最中だったようだ。

 

「おとといはごめんな。はい、これ」

「う、うん……」

 

 ゴム鞠を返したというのに、女の子はまだ浮かない表情を浮かべていた。まるで、もうそんなものは問題じゃないという風な、他のことが気になっている顔。

 

「どうした? 何かあったか?」

「え、う…………」

 

 尋ねてみるが、俺の目を一瞬見上げたのち、顔を伏せて言い淀んだ。

 胸の下で指をいじって口をつぐむ様子は、大人に叱り付けられたような心許なさがある。

 

 ぽんっ!

 

「キュ、キュ……」

 

 突然出てきたハイネが、まるで俺に「こうすればいい」と教えるようにして、首を低く下ろして女の子の手の下に潜り込ませた。

 

「あ、へへ……かわいいね。初めて見た。クエスパトラ」

 

 自分が気難しいヤツなだけあって、人の感情を察知するのも得意なのか、ハイネは一度の触れ合いで女の子の笑顔を引き出してしまった。

 俺もハイネに倣って姿勢を低くして、女の子と視線を合わせた。

 

「大丈夫。秘密にしてほしいなら誰にも言わない。困ったことがあるなら、俺にも何か手伝えるかもしれない」

 

 女の子が横に目を逸らすと、ハイネが頭を擦り付けた。羽毛に包まれた特有の体温に安心したのか、もじもじと足の側面を地面に付けたり戻したりしながら、ハイネの羽を撫でた。

 ようやく話す気になってくれたのか、女の子はうんうん唸りながら何を喋ればいいのかを整理し始めた。ハイネの生来の優しさが通じたようだ。

 

「あのね、あの、お、お兄ちゃんが……! お兄ちゃんが変な人達に連れてかれちゃって……!」

「変な人……?」

 

 険しくなりかけた俺の表情を察して、ハイネが高い鼻でこめかみをつついてきた。いけない。少女に威圧的に見えていなければいいが。

 

「うん。あの、声がおっきくて怖い人達が、向こうから……」

 

 女の子が指差したのは、この辺でも特に悪名高い居住区、グラシーズ・ゲットー。

 一般人に立ち入り制限はないが、内部の人間は居住区からの脱出に許可が必要。そういう治安の場所だ。

 

「うぅ……っんぐ、どうしよう……」

 

 女の子は一通り話し終えたことで、我慢していた気持ちがあふれ出したのか、泣き始めてしまった。

 すかさずハイネが足を降り畳んで座り込み、包むようにして慰める。羽毛が乱れるのが大嫌いなクセに、女の子にしがみつかれても、鳴き声一つ発しなかった。

 

「拉致っつーか、略取……?」

 

 あの男が連れ去られたことに対して、同情はない。警察に顔を覚えられるような性格だ。どうせ相手の顔も見ずに適当な喧嘩を吹っかけて、恨みを買ったのだろう。

 しかし、放置してこの子がグラシーズ・ゲットーに一人飛び込んでしまう危険を考えたら、見て見ぬフリはできない。

 

「心配するな。俺が君のボンクラ兄ちゃん、連れ帰ってくるよ」

「え、で、でも、あそこ……!」

「大丈夫。そうは見えないかもしれないけど、俺結構強いんだ。だから、君は公園で待ってな」

 

 むしろこういうのは、俺の畑だ。法治の下では強さなんて持て余してばかりだが、何かの役に立てるなら使ったほうがいい。

 

「アコニにチャット送っといて」

 

 ポケットから飛び出したスマホロトムは、やれやれ、と電子の肩を竦めた。

 遅くなったら帰っていい、と音声入力をして、あとは適当にロトムが修正したチャットが彼女の携帯に送られる。その14秒後くらいに電話が鳴り出したが、イタズラっぽい笑顔を浮かべたロトムが自らの通知を切った。

 

 

 

 グラスタウン北北東、海洋に突き出した半島の周辺は、強制居住区となっている。いわゆる広義におけるゲットーというものだ。

 特に名前は定まっていないが、俗称をグラシーズ・ゲットーという。

 

「……おい、見ろよ」

「余所モンだな……観光客か……?」

 

 ハドリアが一地方として成立する直前の話だ。戦後まもなくのハドリアには、闇市取引を発端としたギャングが公然と群体の名を旗に掲げて闊歩しており、ハドリアが参加表明していたリーグ連盟は、その治安を危険視して返答を渋っていた。

 そこで、ギャングに対する様々な対策法が制定され、構成員達は資金繰りのみならず、電力、水道の契約、口座開設すら制限されるようになった。

 ギャング達は銃器のみならず、ポケモンの力すら利用して抵抗したが、それも10年程度で沈静化。現在の構成員達はハドリアが設置した公営住宅群へと〝強制移動〟の処分となったそうだ。

 

「おう、ガキ、ここがどこか分かってんのか?」

「死にたくなきゃ金とボール、置いてけよ」

 

 つまり、ここに住んでいる者は8割が元ギャングの直系。残り2割はその配偶者や近年の出生者。だからこの辺は死ぬほど治安が悪い。

 

「…………」

 

 問答無用でないだけ、まだ優しいほうか。入り口近くはまだマシなようだ。ただ、奥の奥、沿岸に近くなるにつれて、立ち上る煙が白色を濃くしている。

 粗製の乾燥大麻(ガンジャ)の匂いが薄らと立ち込めていることに、ここに住み慣れた者達は気付きもしないのだろう。

 

「おい、クソガキッ! 耳付いてンのかッ!?」

 

 懐かしい気分だ。ここまでとはいかないが、俺が昔住んでいたトキワの一地区には、まだ何某とかいうマフィアの残党の息が根付いており、住民はみな、痩せてあばらの浮いた野良ヘルガーのような目をしていた。

 

「……ちッ。行け! オトスパス!」

「こっちもだ! マニューラ!」

 

 こうなるのは承知で、入り口から入ってきた。あるいは騒ぎになれば、聞きつけたチンピラや治安維持官を介して情報を辿れるものと見て、少し無茶をしている。

 とはいえ、想像していた刀を抜くのが早いな。暴力が常態化しているのだろう。

 

「はぁ……行け、ライ……あ」

 

 ポケットに入れた手の感覚がいつもと違うことで思い出した。ボールが三つしかない。ライムとポリさんは宿だ……。

 

「エルレイド」

 

 競技ですら攻撃を嫌がるほど暴力が嫌いなハイネでは意味がないし、シロミは歩く病院送りだ。

 本当は相手が初見で侮ってくれるライムが頼りにしやすいが、力加減の上手さで言えばエルレイドに軍配が上がる。

 

「へっ。ヒョロいポケモン出しやがって」

 

 精々そう思っていてくれ。俺に負けるまででいい。

 

 

 

 最初に喧嘩を売ってきた2人以降、半グレ達は手を出しては来ず、集合住宅の2階以上から無言で俺を眺めていた。

 あの気の早い2人を試金石にして、エルレイドの力を図ったのだろう。そして分が悪いと見るや、見物に回ったらしい。

 

「…………」

 

 不自然な位置にあるゴミ山、路地裏の直前にはめられた外付けの鉄格子、タバコか別の草かを焼いた紙だらけの道で、むしろそれが少ない路地。

 何もかも、郷愁とは相反する嫌悪感を思い出させる。つまり、トキワのあの汚い裏路地を……。

 

「エルレイド」

 

 路地を四度左右に抜け、意図して方向感覚を揺さぶろうとしている道を歩き通したところで、エルレイドを止めた。

 

「そろそろだろ」

 

 途端に風の抜けが良くなった。集合住宅の棟をつなげる渡り廊下が屋根の役割をも果たしている暗がりを過ぎて、ひび割れたモルタルの壁に手をつきながら、横殴りの熱射に半分照らされた、広いピロティに出た。

 

 ドカッ! ドン!

 

 ここに辿り着く前から薄ら聞こえていた音の正体は、やはりと言うべきか、暴力の音だった。

 

「や、め…………」

「やめてほしいか! 痛そうだな! 止めるかバァーカッ!! テメェがくだらねぇ難癖付けてきたのが悪ぃんだろォがッ!」

 

 全く予想していた通り、そうであってほしくはなかったが、そこにはあのナゲツケサルとトレーナーがいた。

 数人の男に囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けている。その傍らで、ナゲツケサルは傷だらけのまま倒れていた。

 

「あ?」

 

 囲んでリンチしていた男の一人が、前に伸びる俺の影に気が付いて、こちらに振り向いた。

 

「おい、見ろよ、ガキだ」

 

 男達は俺を見るなり半笑いでボールを取り出して、余裕ぶって手の上で転がし始めた。

 

「お、ま……!」

 

 難癖付けてきた例の男は、すぐに俺と目が合って、僅かに目蓋を見開いた。昨日おとといのことだ。ちゃんと俺の顔を覚えていたらしい。

 

「テメェは黙ってろ……よッ!!」

「ぼっ……は……」

 

 女の子の兄は散々踏み付けられた腹を蹴り上げられ、血混じりの反吐を吐き出しながら壁に叩き付けられた。

 あとはもう、うめき声が続くだけだった。涙や鼻水でどろどろになった顔は見ていられなかった。

 

「道に迷ったかお坊ちゃん?」

「あーあ、かわいそうに。もう帰れないよ」

 

 ニヤニヤと歯を見せて笑う3人組の男達は、上に投げてはまた掴むのを繰り返していたボールを、突然雑に目の前に転がして、中のポケモンを解放した。

 

「行け。キリキザン」

 

 出てきたのは三匹ともキリキザンだった。どの個体も腹部の刃が薄く錆びている。

 こういう手合いにありがちな、攻撃の主体となる腕部の刃さえ切れ味を保っておけばいいという発想は、バトルにおいては致命的な穴となる。

 腹部に重なって輪のように生えるキリキザンの二つの刃は、外骨格ともまた違うが、急所である身体の中心位置を防御する役割がある。

 

「ビビって泣いてもいいぞ。助けてぇって言ってみろよ! ごめんなさいぃってよぉ」

「へへへ。バカガキが。一人でノコノコ入ってくるからこんなことになるんだぜ」

 

 キリキザンの様子を見れば分かる。こいつらは単なるゴロツキ……拳が固まっているのは、単に己よりも弱い相手に暴力を振るってきたからというだけ。

 

「エルレイド」

 

 3体のキリキザンの姿に、一瞬だけストライクの影を見た。

 酷い自意識の暴走だ。そもそもストライクとは刃の向きがまるで正反対だ。キリキザン達はその立ち姿を見れば一目瞭然の、ぎこちない構えだった。いつまで経ってもあの人に見せられた圧倒的な力の差が、目蓋から離れない。

 

 ……いや、それだけでもないか。

 

「キリキザン!! 〝つじぎり〟ッ!!」

 

 キリキザン達は一人の男の命令に、一斉に反応した。三匹もいるのに並んで攻撃してくるのは、今までそうやって数を並べていれば、一通りの相手はなんとかなってきたからだろう。

 

「エルレイド」

 

 俺からエルレイドに対して、特に指示はない。するまでもないと言うべきか。

 同時に襲いかかってくる横薙ぎの斬撃に対して、エルレイドが選択したのは〝せいなるつるぎ〟だった。順当な対応だ。相性有利だし。

 地面から45度の角度で、半円を描くように振るわれた肘の刃が、さらに小回りの早い腕の位置にあるキリキザン達の刃を、容易に弾き飛ばした。

 

「あぁッ……?」

「おい! キリキザンッ!! テメェら一匹相手に何してやがるッ!」

 

 男達は一瞬だけ驚いた表情をしたのち、3人の中でリーダー格らしき男が激昂した。

 

 怒りたいのはこっちも同じだ。

 

「エルレイド……」

 

 ヘリクスのストライクを勝る膂力を発揮できるお前が、今の〝せいなるつるぎ〟でキリキザンを倒しきれないはずがない。

 それどころか、ダメージを与えないように手加減すらしていた。それを見逃せないほど鈍ってないぞ。

 

「お前、一体――――」

「このっ、ウスノロの、バカ共がッ!!」

 

 エルレイドに近付こうとした瞬間、金属が衝撃を受けたような音が男達のほうから響いて、俺は思わず言おうとしていた言葉を忘れてしまった。

 

「テメェら、こんな仕事もできなきゃ、ただのゴミだろぉがッ!! ゴミを置いとく、つもりは、ねぇぞッ!!」

 

 跪いて蹲り、許しを乞うキリキザンを、男は散々蹴り付け、罵倒を浴びせかけた。

 普段からそういう扱いを受けているのだろう。キリキザン達は反抗する気力もない様子であった。

 

「…………」

 

 直視に耐えない醜い光景を前にしても、エルレイドの表情に変わりはなかった。腕を下げ、隙だらけの棒立ちで彼等を眺めている。

 

 アコニには悪いが、彼女が言うように俺とエルレイドが似ているとは思えない。残念ながら、俺にここまでの冷静さはない。

 ただ、全く似ているところがないとまでは言わない。例えばこういう悪癖だ。つまり、向上心に欠ける者に対して、過度に興味を持てないところとか。

 

「いいなッ!! 次はねぇぞ! 分かったらさっさとあのエルレイドを畳んでこい!」

 

 背中を蹴られて構えを直したキリキザン達の表情は、文字通り死に物狂いだった。明日の飯のタネがかかっているとか、そういうレベルの迫真さで、俺は思わず感心か哀れみかからくる感嘆の声を漏らしてしまった。

 

「やれッ!! 〝つじぎり〟だッ!」

「エルレイド」

 

 今度は警告のつもりで名前を呼んだ。情けのつもりなのか、それとも遊んでいるのかは知らないが、中途半端なことはするな。

 確かにキリキザン達には同情を禁じ得ないが、俺達にできることはない。警察を呼んだところで、ちょっとやそっとではポケモンの所持権が移乗されることはなく、服役程度では極貧生活を送る半グレの溜まり場の代替にもならないだろう。

 

「〝せいなるつるぎ〟」

 

 3体のキリキザンから繰り出される見え見えの攻撃に対して。エルレイドは不意を突くタイミングで突如体勢を極端に低くした。

 そして居合のように繰り出された〝せいなるつるぎ〟が、ガキィ、と、摩擦の多い金属音をあげ、真ん中と右のキリキザンを斬り飛ばした。

 

「なにッ……」

 

 その一撃で2体のキリキザンは目を回して気を失った。エルレイドはあえて刃のある腹部を狙ったらしい。その刃殻が錆びて、むしろ弱点となっているのを、俺同様に見抜いていたのだろう。

 その証拠に、2体の刃殻は取り返しの付かない刀疵によって二分されている。エルレイドは全く本気を出していないのに、たった一撃でこの有様だ。

 

「おい、キリキ――――!」

 

 エルレイドの無造作な回し蹴りがキリキザンの胸を突き、リーダー格の男のところまで突き飛ばした。

 

「ごっ……!」

 

 キリキザンは男にのしかかる様相となり、一人と一体は背中から強かに体を石畳に打ちつけた。

 

「はぁっ、は、はっ、あぅ……!」

 

 男は背中を打ったことで、横隔膜が麻痺してしまい、呼吸ができなくなっていた。吐いても吐いても吸うことができず、涙を流しながら短い呼吸音を繰り返している。

 これで終わりだ。全く不愉快な時間だった。口が裂けても今の諍いをバトルとは言いたくない。単なる暴力だ。これ以上の追撃は、奴らが先ほどまでやっていたおこないにも等しくなる。

 

「行けよ」

「く、くそッ……!」

 

 2人の取り巻きと思わしき半グレ共は、顔を見合わせて走って行った。そこに自分達の仲間やらポケモンが転がっているというのに、ボールに戻す気も助け起こす気もないようだ。

 

「ほら、起きろ。自分で歩けよ」

「…………」

 

 いつの間にか体を起こし、壁にもたれて座っていたあの子の兄は、信じられないものを見るかのような目で俺を見ていた。

 

 

 

「……なんで助けた」

 

 意外と入り組んでいるゲットーの来た道を、手を出してこないチンピラ達を目で威嚇しながら戻っている最中だった。

 無言を貫いていた彼は、泥の底から捻り出すような苦悶の声で、俺にそう尋ねてきた。

 

「放っておけばよかっただろ……難癖を付けてきた、頭のおかしい男だろ、俺は……!」

「自覚あるならやめろよ」

「お前に分かるかよッ! 俺は、俺はなぁ……!」

「はぁ……」

 

 やめとけばいいものを、あまり役に立った試しのない俺の老婆心は、男の話を聞いてやる気になっていた。

 どうせ、あの女の子の下に帰して、あとはもう二度と顔を合わせない関係だ。聞いたところで益もないだろうが、とはいえ損ということもない。

 

「それで?」

「お前みたいな……お前みたいな才能がある奴には分かる訳ねぇだろ……! 同情のつもりか……!?」

「…………」

「俺はな……これでも町のバトル大会じゃ準優勝の実力はあったんだ……それがいつからか、ジム戦あがりのセミプロみたいな奴らが、俺達の土俵で好き勝手しやがって……!」

 

 唐突な語り口には示すべき情報が足りず、要領を得ない吐露から抜き出したあり合わせの単語から類推するしかないが、要は……。

 

「逆恨みかよ」

「うるせぇッ!!」

 

 またもや掴みかかろうとしてきた男に対して、エルレイドは即座にその手を掴み返して、残る腕で男の首に刃を当てた。

 その目には普段のバトルをしている時と同じような硬質の光が宿っていた。人やポケモンの顔色に鈍い俺でも分かる。本気だ。

 

「はぁ……! あ、ぅ…………」

「エルレイド」

 

 俺の苦言にもエルレイドは反応せず、じっと目を見つめ続けて、ようやく首に当てていた刃だけは下げた。それでも、男を自由にしておくつもりはないらしい。

 頼もしい限りだ。それは是非そうしておいてくれ。俺もこんな奴に首を絞められてまた息を止められるのはごめんだ。

 

「意外と元気そうだな」

 

 無様にボコられてた割には。

 

「くそッ……」

 

 男は悪態と共に血反吐を吐き捨てた。

 

「お前なんか……お前なんか、ポケモンと環境に恵まれただけの、クソガキがッ……!」

「…………」

「見下しやがって……! 勘違いすんなよ!! このエルレイドが強いだけだろォがッ!! お前なんか何の実力もねぇ、カスのガキの分際で……!」

 

 俺は思わずエルレイドのほうを見た。相変わらず微塵も男には興味なさそうな目。ただ、俺に害がありそうだから止めているだけという表情。男の声も耳に入っていなさそうだ。ある意味残酷かもしれない。

 

「同感だね。運がなくて残念だったな」

 

 俺の軽口に、その表情がさらに怒りで歪むのを見た時、いくらかは難癖を付けられた溜飲が下がってくれた。

 

 

 

 公園に帰る頃には、やや西に前傾した日が殺人的な熱光線を散乱させ始めていた。

 

「あの、ありがと……! えっと、えーと、その、ごめんなさい……」

 

 本来礼を言うべき兄貴分の代わりに、その妹が頭を下げてきた。

 その兄貴はと言えば、妹に手のひらの底でバチッ! と頭をぶっ叩かれ、決まり悪そうな表情でさっさと引っ込んだ。

 

「いいよ。君は別に悪くないだろ」

「うん、あの、ごめんなさい……」

 

 だから、いいって……と俺が言っても、この子には響かなそうだ。

 

「キュ」

 

 またもや勝手に出てきたハイネ(俺のボールの安全装置はもう毛ほども機能する気ないのか?)が、身を低くして女の子にすり寄った。

 

「あっ……えへへ。慰めてくれるの?」

 

 ハイネはその羽を慎重に撫でる手に、自ら翼をこすり付け、甲高い鳴き声をあげた。ヤケに上機嫌だな。

 お前もしかして、さっきのも今のも善性からくる優しさとかではなく、単に子供が好きなだけか? いいけどさ。

 

「じゃあ、俺そろそろ帰らないとだから。君も気を付けて帰れよ」

「うん。ありがと。またね……!」

 

 手を振って走って行く少女が、住宅の塀の角に消えるのを見送ると、ハイネはさっさとボールの中へと戻って行った。

 マイペースなヤツめ。と、一瞬思ったが、ライム以外はどいつもこいつも大して変わらないか。

 

「さて……」

 

 時刻は午後3時。運転手の使用人の男性のスケジュールの関係で、出発は正午の予定だった。事前に連絡入れたから、彼等はもう帰っているだろう。

 久々にアーマーガアタクシーを……いや、時間はかかるが電車で帰るか。この時期に空飛ぶタクシーは暑い。

 この分では帰る頃には夕飯時を過ぎていそうだし、この機にどこかで――――

 

 

「何してんの」

「アコニっ……!?」

 

 公園で突っ立って考え事をしていた俺の肩を、突然叩く手があった。

 

「あれ!? チャット送って……る、よな。なんでまだいる?」

 

 咄嗟にスマホロトムにチャットを起動してもらって確認したが、間違いなく送り損ねていない。既読マークも付いている。

 

「なんでって、待ってたから」

「いや……だってほら、あの人は……?」

 

 運転手の都合上、正午出発になると説明したのは彼女だ。さらにその本人も肯首していた。

 

「いいの。帰らせた」

「帰らせたって……それじゃ君はどうやって帰る――――」

「近くを通る予定の、別の使用人を呼んだから。元から方向も同じ。あなたは乗せてあげないなんて、意地悪言わないわ」

 

 別の使用人……しかも、すぐ呼べるアテが簡単に見つかるレベルか。何人いるのだろう。住む世界が違うというのはこういうことだろうか。

 

「それは、ごめん……わざわざそんな」

「だー、かー、ら、いいの。別に」

 

 彼女は片手を腰に当てたまま、右手の人差し指を突きつけてきた。突然伸びてきた指に驚いて思わず黙ってしまうと、彼女はむっすりと口を結んだまま、「それでいい」という風な表情をした。

 

「はぁ……悪い。ありがと」

「恩義に思ってくれていいわ」

 

 アコニは携帯にばかり目をやりながら、素っ気なく片手を返した。

 彼女の携帯から通知音がする。どうやらその呼び出した使用人とやらが到着したようで、彼女は俺が着いてくるのかを確認もせずに歩き始めた。

 

「それより、あなたも大概よね」

「大概……? 何それ」

「何でしょうね。お人好しさん」

 

 何だよ……見てたのか。まさかゲットーの中にまで入ってきていたとも思えないので、あの男を伴って出てくるところを待ち構えていたのか。

 

「あの子に教えてもらったわ。それで待ってたの」

「待っててくれたのは助かるけどさ、帰っていいって言っただろ」

「勝手なこと言って、一人で危険なことしてる格好付けさんの顔が気になったから」

「悪いって」

 

 小言を言うために残っていたのか。結果何ともなかっただろ。

 

「……ねぇ、バトルの強さが全てだと思う? つまり、その、人の価値って、強さなの?」

 

 出し抜けに、アコニはそんなことを聞いてきた。

 

「何言ってる、そんなの……」

 

 そうに決まって……。

 

 いや、違う、だからそう、つまりは。

 

「違うだろ」

「本当にそう思ってる?」

「は……?」

 

 彼女にではなく、自分自身に、不穏な音を立てる疑念が降って湧いてきた。

 

 俺は彼女に何と返答しようとした?

 

「……ごめん。なんでもないわ」

「あ、あぁ……」

 

 何となく、帰りは黙っていた。気まずい雰囲気があったのではない。ライムを撫でる彼女の声は上機嫌だった。

 

 

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