俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど   作:イリノイ州の陰キャ

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48、冷えたメカニズム

 

「…………」

 

 もはや口も聞けなくなった黒服達を見下ろしながら、ため息が唇を突いて出るのを止められなかった。

 

 メガヤンマの破壊痕甚だしく、むこう一年は修理の目処が立たなそうな廊下だったが、さらにシロミの追撃によって、もはや元に戻すことは不可能な惨状と化していた。

 

「何だったんだよ……」

 

 倒れ伏す黒服達を見ていると、ゾロアークに化かされたような気分になる。一体俺は何に付き合わされていたのか。

 

 結局奴らの〝ぜったいれいど〟は一度もシロミに当たらなかった。ことは簡単で、それ以上打たせなかったから。

 ただ暴れさせるのではなく、今度は明確に指示を出して〝アクアテール〟を奴らに放った。その一撃はメガヤンマが空けた風穴に引っかかり、壁の穴を広げるようにして、黒服達のポケモンを全員廊下の突き当たりまで叩き飛ばした。

 これまでとは威力が違うシロミの本気を見て、流石に連中も戦意を喪失し、白旗を上げたのだが……俺は許したとしても、やはり一度暴れ始めたシロミは、どうすることも……。

 

「哀れな……」

 

 古傷が痒そうに体をひねるシロミの胴を撫でながら、黒服達に使われているポケモン達に内心で謝った。

 過度に痛めつけるつもりはなかったと言い訳をしようにも、結果的にそうなってしまったこと自体は俺に非がある。彼らを操っていた人間は別として。

 

「そうだ、ロトム!」

 

 こんな薄ら寒いコント集団に気を揉んでいる場合ではない。まだ取り返すべき仲間が残っている。

 

「行くぞシロミ!」

 

 多少疲労感を滲ませながら、満足げに休憩していたシロミをボールに回収して、俺は闘技場のほうへと急いだ。

 

 

 

「くそッ……! 無駄に広いんだよ……!」

 

 エルレイドに肩を借りながら、俺は完全にきた道を見失って迷い、見た目に代わり映えのしない通路をさまよっていた

 バックルームやそれを連絡する通路は、全て同じような色の壁や扉だけで構成されており、目印らしい目印もない。いや、扉には黒字で小さく何らかの用途を示す字が書かれているのだが、達筆すぎて読めないし、そもそも最初に来た控室からして確認していない。

 

「あっ、ぶね……悪い、エルレイド」

 

 体力も限界に近いところまできたようで、何もないところで勝手に足がもつれた。思わず倒れそうになったところを、エルレイドに支えられ、何とか持ち直す。

 

「あ……? ああ……心配するな。こんなとこさっさと抜け出して、帰って飯食って寝よう」

 

 今日は散々な1日だった。あの女が絡むと、いつも純粋なバトル以外の問題を持ち出される。

 当初の予定なら、カンゼキとユリオ達の試合を見届け、最初の試合に出てもらう予定のポリさんとハイネの調整をしている頃だ。それが、こんな訳の分からない場所を歩かされている。

 

「この辺り、見覚えあるぞ……」

 

 何度廊下の突き当たりまで歩いては、曲がり角で左右に迷ったかも分からなくなった頃、ようやく記憶に薄らと残っている場所に出た。

 

「ありがと、ここからは自分で歩くよ」

 

 道中の案内板によると、上階に行くには、必ずあの会場まで出て、エレベーターを使わなければならないらしい。となれば、シャグマが待ち構えている可能性も十分あり得る。

 

「帰ったら……ユリオ達に謝らないとな。応援できなかったこと。それから――――」

 

 

 ギギギギッ!!!

 

 

 突然壁の角が甲高い音を立て、まるで液体が蒸発するかのようにボコボコと泡を立てて腐食し始めた。

 

「何だッ……!?」

 

 腐食した壁は、その裏にいる何者かの腕が伸びてきたことにより、無惨にも破壊された。硬い拳の音が響いて、破片が俺やエルレイドの足下にまで飛び散ってくる。

 半壊した壁に続けて衝撃が襲い、まるでその角の分を曲がることすら嫌がるかのように、壁があった場所を斜めに歩いてくる影があった。

 

「キョジオーン……!」

 

 極めて最近に見覚えのあるポケモンだ。その巨体には特有の威圧感がある。背の高い異国人を見る時のような、得体の知れない危機感が背中をよぎった。

 

「行かせないよ」

 

 同時に曲がり角から出てきたのは、アコニを除けば学園に来てから一番親交の長い人物。

 

「レブン……」

 

 彼はボールを構えていた。丁寧に磨かれたハイパーボール。彼の几帳面な性格を示すそのボールは開いていた。

 

「キョジオーン! 〝しおづけ〟!!」

 

 躊躇なしにポケモンではなく俺を狙ってきた。超反応を見せたエルレイドが俺の首根っこを掴んで一緒に後退しなければ、俺の体はあのコンクリ壁のように、無惨なことになっていただろう。

 

「本気かよ……!」

 

 俺を庇うようにして前に立つエルレイドの後ろから、何とかして奴の前髪に隠れた目の奥を探ろうとしたが、無足だった。そこに立ちはだかるキョジオーンに邪魔されて、考えていることがまるで読めない。

 

「追撃しろ! 〝ストーンエッジ〟!!」

「エルレイド!!」

 

 床が隆起し、四方から飛び出してきた岩塊の刃を、エルレイドは〝せいなるつるぎ〟で全て一刀両断にして、回し蹴りでキョジオーンに送り返した。

 キョジオーンは咄嗟に腕を交差して、背後のレブンを守るようにして瓦礫を受ける。そして無傷をアピールするかのように腕を振って解放した。

 

「まだだよ!! キョジオーン! もう一度〝ストーンエッジ〟だ!!」

「エルレイド! こっちは平気だ! 加減しなくていい!」

 

 俺を守るために距離を保っていたエルレイドだったが、指示をした途端、先に発動し、完全に決定打のタイミングであったキョジオーンの〝ストーンエッジ〟に自ら突っ込んでいくと、引き絞った右腕を思い切り振り下ろした。

 

「なっ……!!」

 

 相手の技に寸分の遅れもなく合わせた〝せいなるつるぎ〟は、折り重なった石刃を全て両断するにとどまらず、その上からキョジオーンまでもを一気に切り伏せた。

 

「キョジオーン!!」

 

 片膝を突いたキョジオーンの姿に驚愕したのも束の間、その巨体が彼の真横を過ぎて、壁に激突した。

 エルレイドの前蹴りで吹っ飛ばされ、背中を強く壁に叩きつけられたキョジオーンは、小刻みに震えながら両手を床に突いた。

 

「くっ……! 無茶苦茶な……!」

 

 追撃にかかるエルレイドを制止して、俺は感情のままにレブンの胸ぐらを掴んだ。

 

「お前、なんであの女に従ってる!」

 

 本当のところを言えば、少なからずショックを受けていた。裏切られたと思った。友人のような顔をして近付き、本心ではどうとも思っていなかったのだろうかと、あの埃だらけの部屋でずっと考えていた。

 

「脅されてるのか!!」

「違うよ……僕は僕の意志でシャグマに付いている。僕自身がそうしたいからね……」

「じゃあ、なんで……!」

 

 なぜあんな女に。そう言わなくても、レブンには意図が伝わったのか、乾いた笑い声を響かせた。

 

「はははは……」

 

 嫌な緊張感を醸しながら、レブンはこめかみに血管を浮かせながら叫んだ。

 

「キョジオーン!!」

 

 立ち上がったキョジオーンが、背後から器用に俺だけを狙って手拳を突き出してきた。

 すかさずエルレイドが割って入り、キョジオーンの拳をかち上げる。その混乱の間にレブンは俺の手を振り払って、突き飛ばしてきた。

 

「……命の恩人なんだよ。あの人は」

「だからって、犯罪紛いのことにまで手を貸すのか!?」

「……………」

 

 そんなに簡単な理由か? 命の恩人というのは、今後の経歴に縦並びのペケが付いても構わないほど重いものか?

 脅されているのではなく、本心から、従っているものが、これほどの犯罪行為に継続的に加担して、良心の呵責に耐えられるのか?

 

「レブン!!」

「――――妹だ」

 

 辛抱きかずに大声で彼の名前を呼んだ瞬間、彼の口から絞り出すように、その短い言葉が出てきた。

 

「僕も助けられたさ。でも、僕だけじゃない。あの時、妹も一緒にいたんだ……」

「妹……? お前の……?」

 

 思えばこいつは、一度も俺に家族の話なんてしなかった。いや、最初から敵として近付いた相手に、自分の周辺環境を話す訳もないのだが、それにしても、今日まで徹底して生活感を取り払っていた。

 

「君、グラスタウンのバッジ取ってきたんだってね。だったら見ただろ。あの町、ちょっと治安悪いでしょ」

 

 レブンは俺の質問を無視して、今度は突然笑顔になると、不気味なほどに明るい口調で両手を開いて話し始めた。

 

「家族で小旅行に行った時さ。僕と妹は、当時問題になっていた盗難車カルテルに拉致されて……監禁された」

 

 ジリ、と、キョジオーンの塩の拳から音がした。俺はその瞬間初めて、まるで感情など分からなかったこのポケモンに、何かおそらく精神活動らしきトランスポーターの往来があることを知った。

 エルレイドの時に感じたことと同じだ。この子達は、俺達が思うよりずっと賢い。共感性が、ひいては社会性が高く、そのために余計に傷付きやすい。

 

「思い出したくもないけどね。食肉加工に使われてたとかいう廃工場に連れて行かれてさ、僕も妹も、ポケモン達も散々殴られた」

 

 俺はそこで、イマイチ頼りにならない己の記憶の中から、この男が過度に食肉を避けていることを思い出した。

 そうだ。彼が学食で昼食に頼むのはいつも天ぷらうどんで、ハドリア出身のくせに渋い趣味だな、とその度に首を傾げていた。

 

「肉が食えないってのは……」

「そうさ……吊るされたままの腐った肉の匂いがこびりついて、まだどこかに残ってる」

 

 先ほどからレブンの口から溢れ出るようにして響いていた嘘っぽい笑い声が途端に止まり、彼の体が震え始めた。

 

「あの血合の色を見ると、どうしても頭に浮かぶんだ。浮浪者みたいに小汚い見張りの男に殴られて、泣き叫ぶ妹の顔が……!」

「お前……」

「家族のいない君には分からないだろ……殺意とか、大袈裟な言葉に聞こえるだろ?」

 

 俺はただ、馬鹿みたいに口を開けて、彼の次の言葉を待つしかなかった。

 ずっとこんな気持ちで生きてきたのか? その後の人生がまるっきり歪むほどの心的外傷を隠して、どうして静かに笑っていられたのだろう。

 

「何日経ったかもよく分からなくなってきた時だ……とうとう見張りの男が気をやって、妹の服を無理やり破った。そのまま覆い被さって、妹の首を絞めながら、その下着にまで手をかけ始めた……!」

 

 レブンの震えはどんどん強くなっていく。彼は、この夏の工合にはあまりにも奇妙な紫の唇を震わせ、己の身を両腕で締め付けるようにして抱いた。

 

「僕は何もできなかった……手足を縛られて、口にも布を噛まされて、暴れても動かないんだ。パイプに繋がれた体が、全然ッ……!!」

 

 ここで俺は一生の不覚にも、己のどこかにレブンに対しての昏い共感を覚えた。

 

 無力……。

 

 無力とは、どれほどの渇きか。どのような形にしろ、より強大な力を前に膝を突き、更なる力にかつえるあの瞬間は、どれほどの屈辱か。

 

「妹が乱暴されそうになってすぐだよ。加工場の壁が吹き飛んで、光が漏れた」

 

 レブンは突然、震えから解放され、彼にしか見えない光を目で追い始めた。彼の中にのみ存在する天啓の記憶を追体験し始めた。

 

「気が付いたら、僕らを殴ってた男達や、妹に変な気を起こした見張りの男もみんな……突然現れたオノノクスに半殺しにされてた」

「それが、シャグマの……」

「あの人にとってみれば、単に利害の合わない組織を潰した〝ついで〟だったんだろうさ。あるいは、周辺の漁港や闇市にビジネスの匂いを嗅ぎつけたのかもしれないけど……」

 

 しかし、レブン少年にとって、それは問題ではなかった。その人の素性やこれまでの悪行、性格なんてものは一切考慮の外だった。

 

 ただ、自分と妹を助けてくれたという事実だけが重要だった。ということか。

 

 その話を今ここで聞かせるのは、卑怯ではなかったか? 俺はもう、彼に本気の怒りをぶつけることはできない。僅かにでも感じてしまったレブンに対する同情心がそれを否む。

 

「レブン、約束する。必要以上の報復はしない。ロトムを返してくれたら、シャグマには手を出さずに帰る」

 

 究極、あの女が俺やトリトマの周囲から手を引き、無事に研究会大会に参加させてくれるというなら、もうこれ以上を求めるつもりはない。

 それが、曲がりなりにも本心を打ち明けてくれたかつての友人への、最大限の譲歩だ。

 

「…………君が言うなら、本気でそのつもりなんだろうさ」

 

 レブンは、俺のよく知る表情を浮かべた。人を小馬鹿にした笑顔。しかし、単に誰かを見下す時に特有の卑屈な表情ではなく、親愛を感じさせる、見知った顔。

 しかし、彼はそこで突然、千枚通しで後ろから頭を突かれたかのように、強烈に表情を歪めた。

 

「だが……! 僕は、あの人を裏切ることはだけは、できないッ……」

 

 人格と現実の内外に軋轢が生まれ、激しく苦しむレブンを、キョジオーンは跪いて介抱しようとした。彼はそれを腕で拒絶すると、今なお微塵も衰えない敵意を目の表面に映し、俺とエルレイドを睨み付けた。

 

「確かにあの性格だし、やってることも最悪だけどね……でも、救ってもらった恩義は消えない……!」

 

 これはもう矜持の問題だ。俺や他の誰かには理解できなくとも、彼にしか解き明かせない強い啓示が、そこにはあるのだろう。

 

「はは……僕のこと、見損なったか……?」

 

 レブンは自虐っぽい歪んだ笑い声を漏らした。

 

「いや…………」

 

 誰しも、何か譲れないものを持つべきだ。それによってとんでもない不利益を被ることになろうとも、くだらないプライドだと嘲笑されても、何か貫き通してみた時にこそ、自分が何者であるのかを理解できる。

 

 そういう意味では、確かにこいつは少なくとも、その辺に倒れているラベリングもできないような群小とは違う〝何者か〟であった。シャグマへの恩義を貫き通すという〝何者か〟ではある人間だった。

 

「君には悪いけど、僕はもう後には引けない。やるしかないんだ」

「分かってたよ。時間稼ぎで自分のこと話し始めた辺りから」

「はは……これ、時間稼ぎってバレてた?」

 

 あのトンチキな集団が俺の前に現れた瞬間から、何となく感じていたことだ。

 シャグマは、ヘリクスの出現によって、もはや俺を傀儡にする計画については諦め気味だったのだろう。だから、少しでもシャグマ本人から気を逸らし、時間を稼ぐために、持って来ずともどこかに隠しておけばよかった俺のボールを、わざわざ俺の前で見せびらかした。

 

「行かせる訳にはいかないんだ……せめて、少しでもここに押し留められたら、あるいは……!」

 

 だとするなら、俺は余計に急がなくてはならない。何か、時間さえあればこの状況をさらにひっくり返す何かが、彼女にあるのだとしたら……。

 

「さっさと終わらせよう」

 

 微動だにせず話を聞いていたエルレイドが、左右に腕を振ってコンクリ壁の砂汚れを払った。

 

「だから……そうはさせないって、言ってるだろッ!!」

 

 レブンが力強く突き出した腕に合わせ、キョジオーンが思いきり飛び上がりながら接近してきた。

 

「〝キョジオーン〟!! 〝ボディプレス〟!!」

 

 エルレイドは極めて冷静だった。〝つじぎり〟で捲き上げた砂埃が、丁度キョジオーンの目に入るように調整しながら、自らは位置を入れ替わるようにして背後へ滑り込む。

 

「まだだ!! 〝ストーンエッジ〟!!」

「取り合うな!! 〝サイコカッター〟!」

 

 距離を詰めようとしたエルレイドだったが、俺の声に反応し、自分に届きそうだった岩刃の一本だけを〝サイコカッター〟で対処し、残りはそのままにした。

 

「〝しおづけ〟!!」

 

 エルレイドは避けなかった。この閉所で放った〝ストーンエッジ〟は、むしろキョジオーンの攻撃を邪魔するものとなり、一番手前の一本が〝しおづけ〟によって急激に溶けていく。

 

「〝サイコカッター〟」

 

 キョジオーンの巨躯には、この閉所はやりにくい場所かもしれない。しかし、エルレイドはそうではない。

 エルレイドの〝サイコカッター〟は天井にあたり、コンクリから剥がれた板材が沈下してきた。

 

「くそっ……!! もう一度〝ストーンエッジ〟だ!!」

 

 レブンはここで〝ストーンエッジ〟の上からさらに〝ストーンエッジ〟を撃つことで、瓦礫を無理やり突破して、エルレイドに攻撃することを選んだ。

 しかし、彼は位置関係を失念している。今、キョジオーンとエルレイドの位置は反転しているのだ。そんな状態で〝ストーンエッジ〟を放てば……。

 

「エルレイド! 〝テレポート〟!!」

「なっ……!!」

 

 レブンとキョジオーンは分断される。

 

「キョジオーン!! おい!! キョジオーン!!」

 

 レブンは自らキョジオーンを見えなくしてしまった。岩刃と壊れた天井によって、向こうからの視界は完全に塞がれ、指示を出そうにも状況が分からない。

 忠誠心が特に高いポケモンにとって、トレーナーの指示が途切れる瞬間は、大きな隙となる。

 そして、エルレイド自身は〝テレポート〟によって岩刃の内側、つまり俺とキョジオーンのいる場所に移動できる。あとはトドメを刺すだけだ。

 

「〝せいなるつるぎ〟!!」

 

 レブンにも、たった今キョジオーンがうつ伏せに倒れた音が聞こえただろうか。完璧な案配で威力を調整したエルレイドの〝せいなるつるぎ〟は、余計な破壊や音を鳴らすことなく、しかし確実にキョジオーンの意識を奪った。

 

「どうなってる!! おい! キョジオーン!!」

「切ってやれ」

 

 エルレイドは必要最低限の動きで岩刃を切り倒し、その向こうにいた壮絶な表情のレブンを露わにした。

 

「…………やっぱり、柄じゃなかったかな。僕がバトルなんて」

「そうかもな」

 

 レブンは〝ストーンエッジ〟の名残りを飛び越えると、気絶したキョジオーンの近くにかがみ込んで、その硬い塩の体を撫でた。

 

「文字通り瞬殺だったね……瞬殺なんて俗な言葉、僕の趣味じゃないけど」

 

 レブンは健闘した己の相棒を労いながら、静かにボールに戻した。彼の腰にはまだ一つ、ジオヅムのボールが残っていたが、これ以上抵抗する気はない様子であった。

 

「携帯、返すよ。大丈夫。何もしてない」

「ああ」

 

 電源を付けて確かめる。すると、画面にぶわっと泣き顔のロトムの顔が大量に表示され、各々が「ごめん」とか「寂しかった」とか吹き出しをつけていた。

 よかった。この感情爆発といった感じ、携帯のクセに自我が強すぎる様子からして、何も細工されていない。俺のロトムだ。

 

「エルレイド、行くぞ」

 

 あとは、ここを脱出するだけ。まだ何らかの妨害があるかもしれない。気を引き締めていかなければ。

 

「待って」

 

 その横を通り過ぎようとした瞬間、レブンは俺の腕を掴んだ。

 

「お前、まだ――――」

「忠告がある」

 

 まだ時間稼ぎをするつもりか、と、言いかけて、レブンはそれに被せてきた。

 俺を裏切った奴の言うことだ。腕を振り払って、無視して言ってしまえばいい。まだ何か魂胆があるかもしれない。感情も理性も、どちらも同じ警句を俺に発してくるのに、彼の顔を見てると、その腕を振り払えなかった。

 

「この先で……闘技場のあった場所にシャグマはいる。上に行くエレベーターはあそこにしかないからね」

「らしいな」

 

 知っている。壊れた廊下を散々迷いまくって、案内看板の注意書きを何度も確認したから。

 

「じゃあこれは知ってる? 彼女はあそこで君を待ち構えてる。逃げずにね」

「何のために?」

「分からない……けど、策があるって言ってた。何か普通じゃないことをやるつもりなんだろう。そのために僕や、他の部下を時間稼ぎに使ったんだ」

 

 レブンはしみじみと瓦礫を眺めながら、まるで独り言を漏らすかのように、壁に向かってそう言った。

 

「話していいのか?」

 

 何か罠にしかけるつもりというのが、例えばそれが何らかの奇襲だった場合、心の備えがあるかどうかで成功率が大きく変わる。

 しかし、俺は今それを知ってしまった。是が非でも計画(どんな姦計かは知らないが)を成功させたいのならば、言うべきではなかったはずだ。

 

「……いいんだ。もう。最初からこんな気はしてた。最初からってのは、学園で君と出会った頃からさ」

 

 まだ若い記憶の中に、出会った時の彼の姿がある。線が細く、病人のようだと思った。目を離せば消えてなくなってしまうのではないか、とすら。

 

「君は……何というか、病的で、少しでも注意を逸らしたら、そのうちに塵か何かになっていなくなるような気がしてた。実際顔色悪いし」

「顔色の話はやめてくれ……」

 

 レブンは、奇しくも俺に対して同じような感想を抱いていた。敵ながら、いや、いずれ敵になると分かっていたからこそ、共通点を探そうとしていたのだろうか。

 

「その時にはもう思ってた。多分うまくはいかないだろうな、って」

「シャグマを見限るってことか?」

「逆だよ」

 

 レブンの目には微かな光があった。病人など冗談でもない、微かながら確かな光が。

 先ほど、彼が語っていた光とは、おそらくはこんな色をしていたのだろう。俺も同じだ。こんな風に、目に焼きついて離れない光がある。

 

「僕はあの人と一蓮托生だ。あの人がどう思っているかは知らないけどね、僕が勝手にそう決めた」

 

 覚悟がいることだ。俺があの女の謀略を台無しにすれば、部下や手駒は一斉にその泥舟を放棄して姿をくらませるだろう。

 どの程度の数が逃げ仰るものかは定かではないが、少なくとも、多数は一分の確率に賭け、逃げることを選ぶ。

 

 彼にそのつもりがないなら、あるいは、お互いの姿はこれが見納めかもしれない。

 

「そっか」

 

 レブンも俺と同じことを思ったのだろうか。気が付けば、俺達は互いの目を見合って、そこに光るものを確かめ合っていた。

 

「もう行くよ」

「うん。それじゃ」

 

 エルレイドを戻して、俺はレブンが立ち塞がった道のほうへと横切った。

 

「ごめんな、キョジオーン……慣れないことさせて……」

 

 闘技場に続く従業員用通路の扉を閉じる時、背後でそんな声が聞こえてきた。

 

 





閑話 歯医者さん

・シランの場合

「いいですね。磨き残しも少ないですし、奥歯も綺麗ですよ。ライムちゃん、お口の中綺麗でとっても偉いねぇ〜」
「ピッカピ!」
「シラン君、ライムちゃんのお口、よく磨けていますよ。これからも継続してね」
「ありがとうございます。あ、そろそろライム用の歯ブラシの毛先が開いてきてて……」
「それでしたら、こちらの――――」

 所要時間30分

・ミヤコの場合

「あぐあ! あ、あ、あぁ〜〜」
「痛いねぇ。ごめんねミヤコさん。もうちょっと我慢してね」
「あうあぁ〜 うえ〜〜……」(号泣)
「ほら! ほらもう終わり! もう大丈夫よ」
「うう〜〜…………」(涙で顔面ぐしゃぐしゃ)
「それからここは……来週ね。これはもうボロボロで神経も残せないから、抜歯することになるけど、予定大丈夫?」
「ば、抜歯!? ぬ、抜くの!?」
「そうよ。抜いた後は入れ歯か、ブリッジで新しい歯を作るから。これ永久歯でしょ。今度からちゃんと磨かないとダメよ〜」
「い、痛い?」
「麻酔するから大丈夫よ〜。ちょっとだけガリガリされてる感覚があるかもだけど、痛くない痛くない」
「う、ううううう…………」
「もぉ……少しは自分のポケモンを見習いなさいね? ガマゲロゲ君とか」
「ガマゲロゲに歯ないもん……」

 所要時間1時間40分
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