俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど   作:イリノイ州の陰キャ

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50、二量化演戯

 

「ビークインッ!! 〝こうげきしれい〟!!」

 

 小虫の群れのような淡色の光がビークインの下部からあふれ、ライムに向かって殺到する。

 

「〝かげぶんしん〟」

 

 直線的な波動攻撃に付き合ってやる必要は全くない。ビークインの〝こうげきしれい〟は〝かげぶんしん〟で分たれた4つのライムの似姿の隙間を抜け、背後で炸裂した。

 

「猪口才な……! 手を緩めるなッ! ボサっとしてんじゃないよ!! 〝こうげきしれい〟を続けろ!!」

 

 ビークインはもう一度〝こうげきしれい〟を発動し、ライムに狙いを済ませているが、それぞれが意思を持っているように動く分身に騙され、撃ち出しあぐねている。

 

「何やってんだィ!! さっさと当てろ!!」

 

 こういう時、本体を探し出すのはトレーナーの役割だ。

 ポケモンより後方で俯瞰的に場を把握できる人間が、動きや状況から本物を見極めなければならない。

 

「ライム。いいぞ。距離を詰めろ」

「クソッ、クソ!! ビークイン!! お前ずっと何をボヤボヤしてんだい!! 早く撃て!!」

 

 〝かげぶんしん〟は、基本的に本体の動きに追従、あるいは同時に同じ動作をおこなう。そのため、本体を探すには、まず先導する一つ目の姿を狙うのがセオリーだ。

 先導が見極められず、同じ動きをしている場合には、相手がどの方向から攻撃をしたがっているのか、そこに注目する。

 つまり、わざと一方向に隙を見せ、そこに攻撃をつり出すのだ。

 

 では、〝かげぶんしん〟を使う側としては、どのように相手を惑わせるのか?

 

「何だッ……この、気色の悪いッ……!」

 

 おそらく今、シャグマとビークインの目には、ライムの分身がまるで「全て自由に動いている」ように見えているはずだ。

 冷静に観察すれば、それは誤りだということに気が付くことができるのだが……。

 

「ライム、逃すな! 近付いて追い込め!」

 

 使い慣れた技だけあって、ライムは感覚的に〝かげぶんしん〟の動かし方を理解している。

 

 全ての分身は同じタイミングで走り、同じタイミングで曲がり、同じタイミングで止まっている。全て同じ動きをしている。

 ただ、その動きは線対象でも点対象でもない。ベクトルが全く違う。だから目が追いきれず、自由に動いているものと錯覚する。

 

「来るなッ! そいつを近付かせるなァ!! ビークイン!! 撃て!! アタシの言うことが聞けないのかッ!!」

 

 分身を看破すべき主人があの有様では、ポケモンは困惑するだろう。

 ビークインは一か八かという表情で、本体含め4つほどあるライムの似姿の一つを狙い定めた。

 

「ピカ!!」

 

 そして、その瞬間がこちらの狙い目だ。

 

「囲めッ!」

 

 4体の影が、突如として、全ての影がビークインを基準点とした「点対象の動き」をし始める。

 

「このッ!! 〝こうげきしれい〟!!」

 

 ビークインを取り囲むようにして回りながら、ライムの4つの姿が同時に飛び上がった。

 ビークインは、最初に狙いを定めた右の1匹を狙い、〝こうげきしれい〟を放つ。

 

「〝くさわけ〟ッ!!」

 

 ビークインの〝こうげきしれい〟が、分身をかき消して後方で爆発するのと、ライムがその体躯ほどある尾を振り上げるのは同時だった。

 

 ガツッ、と、立てた鉄板で殴られたような音がビークインの頭から響き、浮遊していた体が頼りなさげによろめく。

 

「馬鹿がッ……! 間違えてんじゃないよ!! 次こそ当てろ! 〝こうげきしれい〟!」

 

 直前に頭部に打撃を受けたビークインの照準が合わさるはずもなかった。

 揺れる意識に鞭打って力なく放たれた〝こうげきしれい〟は、本体は当然として、残る分身にすら当たることなくあらぬ方向で爆発した。

 

「ライム! 畳みかけろ!!」

 

 体を回して振り上げたライムの尾が、空を切って一気に硬質化する。

 覚えたばかりであるはずの〝かわらわり〟の予備動作は、一打ごとに短くなっている。ライムはこの気の進まない戦いの中ですら、何らかの感覚を掴み始めていた。

 

「ピィッ……!!」

 

 弓のように反って絞られた尾の付け根が、形状を留めようという筋肉の反発によって強烈な負のベクトルを得て、一息に開放される。

 

「避けろッ!! ビークイン、避け……!?」

 

 今度の〝かわらわり〟は直撃だった。

 

 焦りで多量に汗を流すシャグマは、黒目が真円に見えるほど大きく目を見開いた。

 彼女は指示の途中で中途半端に開いた口を塞ぐこともできずに、ぐらりとよろめくビークインの後ろ姿を眺めていた。

 

「な、何だい、それ……」

 

 ライムは狙ってビークインの防御面に攻撃を当てた。ダメージではなく、より衝撃が大きく響く角度で、〝かわらわり〟を側頭部に叩き込んだ。

 普通なら首の可動距離が少ない方向からの打撃にもかかわらず、ビークインは姿勢を維持できないほどの脳震盪に襲われていた。

 てこの原理を用いて揺らすのではなく、直接打撃を加えることによる衝撃が、結果として揺れを引き起こしていた。

 

「な、何だ、今の……そ、そんなの、おかしいじゃないか……!」

 

 あまりダメージを負わないうちから、意識障害でノックアウトとなったビークインに、ライムはもはや興味を示していなかった。

 シャグマは、人殺しか何かを見るかのような目でライムを見下ろし、後退っていた。

 

「お、おかしいだろう!! なぜ、そんなことができる……!! キサマは……!」

 

 大した威力でもない今の打撃で、ビークインが地に胴を付く異常性に、シャグマも気付いている様子であった。

 防御の方法というものがある。真正面からではなく、ある程度角度を付け、その角度によって衝撃を散らさなければ、こういうことになる。ライムはそれを狙っただけ。

 

「何……? 急に、何を……」

 

 それは、ポケモンやトレーナーの卓越した技量によるテク……というほどでもない。器用貧乏なトレーナーにありがちな小手先の小細工だ。

 確かに才能は必要だが、さしたる才能ではない。その程度の一芸に過ぎない。

 分かっていればガードのタイミングであえて腕を突き出して弾くなり、受け流す方向に変えればいいだけの、単なる小技。

 

 今のは不可解な動揺だ。

 

「シャグマ、お前……」

「く、くそっ……! まだだ!! アタシはまだ、負けちゃいないよ……! オノノクスッ!!」

 

 彼女は半錯乱でボールホルダーに手をかけ、二つ目のボールを投げた。

 

 

 

 本日全ての競技日程が終わり、スタジアムには明日を待てない暴徒の気炎が渦巻いていた。

 

「…………会長。シランをご覧になりませんでしたか」

「いや、今日は見ていない。どうかしたか?」

 

 私は2戦を勝利で終えることができて、多少の機嫌の落ち着きを自覚し始めたので、今なら冷静に話せるかと思い、シランを待っていた。

 

「そうですか」

「やはり彼が気になるか、アコニ」

「いえ…………」

 

 今日の分の試合を終えたあと、控え室で休憩している時だった。携帯に、シランがチームを組んでいるという、ユリオさんからの連絡が入っていた。

 

『シランさんをお見かけしておりませんか?』

 

 私の集中力を削がないように、本日予定の試合組みが終わるまで連絡を慎んでいたらしいというのが窺える。

 というのも、私の今日の日程が終わって丁度5分後に来ていたチャットだったから。

 

「流石にヤツがキサマの試合を見ていないとは考えにくい。一時的に携帯の電源を切らざるを得ない場所にいるだけだろう」

 

 トリトマ会長は私と話しながらも、頻りに時計を気にしていた。この後に予定を立ててあるのだろうか。

 

「心配なら、僕もあの男に連絡を送ってみよう」

「そこまでは……」

「気にするな。個人的に用もあるんだ」

 

 トリトマの提案を断ったのは、トリトマに遠慮していたからという訳ではない。

 私もスマホロトムでの連絡を試みたが、チャットは未読。電話も呼び出し音すら鳴らずに案内音声が流れてきた。どうやら電源を切っているようだ。

 

「つながらないか」

 

 会長のほうの電話も、やはりシランのスマホロトムには通じなかったようだ。トリトマは呼び出し音が鳴ったとは思えない速さで、耳から携帯を離した。

 

「父に続いて、彼の電話までもが通じないのはもしや、いや、考え過ぎか……?」

「会長? 何かご懸念ですか?」

「ああ、すまない。気にしないでくれ。最近どうも独り言が増えてね」

「はぁ……そうですか」

 

 シランばかりではなく会長まで、何か私にこそこそ隠れて考え事をしているのだろうか? 気に入らない。堂々と教えてくれてもいいだろうに。

 

 

 

 オノノクス→シャグマという、シンプレックスの極めて単純な指揮系統には、思わず眉間に力がこもるような激しい違和感があった。

 

「オノノクスッ!! 〝アイアンヘッド〟!」

 

 足下を付かず離れずで走り回るライムに、オノノクスはイラつきながら尾を振った。

 

「ライム! 飛べ!」

 

 シャグマの指示通りにするならば、オノノクスは何とか頭を地面に叩き付けようとするはずだ。

 しかし、今の技はどう見ても頭突きの類いではない。〝ワイドブレイカー〟……。

 

「オノノクス!! 立て続けに攻撃しろ!」

 

 今度は彼女の言うことに従い、オノノクスはライムの着地を狙って〝ワイドブレイカー〟を繰り出した。

 跳躍を繰り返す動きで、最も注意しなければならない瞬間が着地だ。その対策を怠るはずもない。

 

「弾かれろ! 〝かわらわり〟!」

 

 オノノクスの〝ワイドブレイカー〟に拮抗させるようにして、硬質化したライムの尻尾がぶつかり、金属音をあげた。

 その反動に逆らわないことで、着地位置を大幅に変え、相手の追撃の届かない場所で体勢を整える。

 

「いいぞ……」

 

 手持ちの中でも新参のライムには、あとは技術を極め続けるしかないエルレイドとは違って、明確に伸び代がある。

 

 おそらくは、あのオノノクスのほうがライムより経験豊富だ。

 そして、トレーナーの存在を排した、正真正銘一対一のバトルなら、ライムではオノノクスに及ばない。

 

「まだだ!! 当たるまで振れ!」

 

 しかし、トレーナーとポケモンという連体関係を一つとして見た時、俺とライム、シャグマとオノノクスでは、大幅にこちらに分がある。

 

 オノノクスは一度攻撃の手を休め、尾に付着した砂埃を払いながら、じりじりと左回りでライムから後退し始めた。

 

「ちッ……ちょこまかと……!!」

 

 オノノクスがシャグマの命令を無視している。

 

 あえて〝アイアンヘッド〟ではなく〝ワイドブレイカー〟を選択したこともそうだが、先ほどから攻撃一辺倒の彼女の指示に対して、オノノクスは様子見を軽視していない。

 

「いきな、オノノクスッ!! 今度こそしくじるんじゃないよッ!!」

 

 これは、オノノクスがシャグマに対して反抗的であるということを意味しない。むしろその意図を最大限汲んで、なるべくそのようにしようという努力を感じる。

 そしてシャグマも、多少命令に忠実ではないオノノクスに不義理を感じているようではなかった。

 

 これは何だ? 

 

「〝アイアンヘッド〟!!」

 

 今度は、シャグマの命令を守り、頭を突き出して突進してきた。

 

「〝かげぶんしん〟」

 

 一度ライムの様子を見てしまったことで、こちらとしては攻撃が到達するまでの間に猶予ができた。

 ライムの似姿が三つ横揃いに現れ、突進してくるオノノクスめがけて収束するように、同じ一点へと走り出した。

 

「まとめて潰しちまいなッ!!」

 

 ライムはこのタイミングでの〝かげぶんしん〟の意図をはっきりと読み取っている。

 

 シャグマからすれば、おそらくはオノノクスの姿が影となって、ライムも、その分身の全容も見えてはいないだろう。

 本当に卓越したトレーナーなら、ライムを見れば気がつくはずだ。完全に重なって見える全ての分身、その中で、本体のみが数ミリだけわずかに下がっていることに。

 

「今だよッ!! 叩き潰せッ!!」

「ライムッ!!」

 

 俺の声に合わせて、全ての分身がオノノクスの寸前で急停止する。

 そして、オノノクスが大きく頭を振り上げた予備動作の下で、先ほどまで姿を重ねていたライムの分身が、順番に飛び上がった。

 

「何の意味がある!! そのまま振り下ろせッ!!」

 

 オノノクスはやはりこの命令には忠実に従い、真下のライムにめがけて〝アイアンヘッド〟を叩き付けた。

 すぐさま消滅する一番高く飛び上がったライム。その後ろを追従するように飛んだライムと、そして、その下で今にも飛び上がりそうだったライムの姿までもが叩き消された。

 

「待てッ……! オノノクス!! 横だッ!!」

 

 そう。これは本来、オノノクスではなくシャグマが気付くべきことだ。そして、この瞬間に気付いたのではもう遅い。

 

「〝かわらわり〟ッ!!」

 

 他の分身と全く同じ動作で、本体のライムがオノノクスの顔の位置まで飛び上がっていた。

 違いはその場所。オノノクスの顎の真下ではなく、シャグマから見て右に飛び上がっていた。

 

 オノノクスには、今の動きの妙に気が付くことはできない。なぜなら、〝アイアンヘッド〟で潰そうとしていたライムの分身達が自らの顔に重なって、視界を妨げられるからだ。

 だからこそ、こういう時は特にトレーナーが必要となる。フィールドで戦うポケモン達のもう一つの視座として。

 

「オノノクス、避けっ……!」

 

 間に合わない。オノノクスが首を左右に振ってようやくライムの姿を見つけた時、既にその頭にはライムの硬質化した尾が叩きつけた瞬間であった。

 

「オノノクスッ!!?」

 

 ビークインの時と同じように、オノノクスは不安げによろめいた。

 まだその膝は土に汚れてはいないが、側頭部から力技で直接脳を揺らされた痛みと不快感は、このあとの展開を決定付けるものになる。

 

「…………もういいだろ」

 

 俺は、これ以上自分よりも遥かに弱いと分かっている相手を痛め付けたくはなかった。

 

「バトルで勝てなくても、お前には付いてきてくれるポケモンが――――」

黙れッ!!!

 

 声を震わせ、肩で息をするシャグマの姿は、その呆れ返るような金銭力を毛ほども感じさせないほどに頼りなく、また哀れだった。

 

「知った風な口を聞きやがって……!」

 

 シャグマの目には、狂気というには弱々しい錯乱した怒気が、恐怖に埋もれようとしながらも必死に渦巻いていた。

 

一意性(ユニーク)なんてのは王道(マス)で勝てないヤツの逃げ口上だろッ!!」

 

 金切り声をあげて頭を振り乱す彼女の怒髪に呼応するかのように、意識を朦朧とさせていたオノノクスの膝に力が入った。

 

「アタシは勝つんだよッ!! 勝たなきゃいけないんだッ!!」

 

 何かに似ていると思っていた。そうだ。彼女はいつかの俺に似ている。俺以外の多くのトレーナーにも似ている。

 

「勝利……」

 

 ヘリクスが不自然なまでにこの人に無関心だった理由も分かってきた。俺だってカントーで同じものを何度も見てきた。

 俺より一回り年上で、四天王候補に名前が上がるほどこの世界に長くいる彼なら、それこそ飽きるほど目にしてきたはずだ。

 

「勝利……そうさ、勝利だよッ……! アタシがいくら弱くても、勝てば、それがッ……!」

 

 分かってしまった。彼女のマキャベリズムの源泉、勝利という外形までの道程を選ばない理由が。

 

 ビークインも、オノノクスも、決して弱いポケモンではなかった。

 オノノクスに関してはむしろ、シャグマ本人による育成を疑うほどの、所謂〝競技ポケモン〟としての整い方を見た。

 あとは指示が伴っていれば、そんな風にもったいなく思えるほどに。

 

 ならばこれは……。

 

「誰しもがキサマらのように、才能に恵まれて生まれてくる訳じゃない……!!」

 

 そうだ。彼女は、自分が非才の身であることをよく心得ている。

 だからオノノクスに過剰とも思える自由裁量を許していたのか。そのほうが、自分で指示を出すよりも強いから。

 

「お前、あなたは…………」

 

 ただ、才能の違いだ。彼女には戦局を追うだけの目がない。

 単なる動体視力ではなく、思考が無意識に根付くレベルでの反復を怠っているのではなく、単に、もうこれ以上がない。

 

 バトル上の情報を追って伝達する目と頭との神経のやり取りが遅い。

 

 情報の取捨が遅い。

 

 情報の理解が遅い。

 

 定型的な予測しかできない。

 

 むしろその教科書をなぞったような展開予測と構築が彼女の努力の証であるものの、そこからの発展がない。

 

 流動的かつ不安定な局面に細かく対応できるほどの応用もない。

 

 ひいてはバトルの根幹と言ってもいい指示出しが遅くなる。

 

 一つ遅いだけならば、いくらでも鍛錬の機会も補う方法もある。

 二つ遅いだけならば、持てる技術を総動員すれば、如何様にもその不足分を補完できるだろう。

 三つなら、四つなら。しかし、彼女は……。

 

「…………」

 

 知覚する世界観が上から下まで全てポリノミアルに理解できたら……毎日そう思って目を覚ましては、非線形な景色に落胆しているんじゃないか?

 それを自分で分かっている相手に、戦力外通告を言い渡すことが、偶然にして才能を持って生まれた我々の役目だろうか?

 

 彼女には全て欠けている。彼女にはどうしようもない生得的な才能が全て。努力では絶対に上達しない根本の部分が、全て。

 他人の人生に責任を持たなくていい世間の偉い人達は、努力や才能に限界はないと美辞麗句を喧伝しがちだが、その実、彼らが一番よく分かっているはずだ。

 

 いや、だからこそ、究極的には才能が全てなどとは、口が裂けても言えない。何らの落胆も挫折も知らないかつての自分達を相手に、そんなことは……。

 

 そうして彼女は一人で井戸の筐を上げ続けてきたのだろうか。あまりの渇きに盗泉を引くほどに、追い詰められていたというのか。

 

「やれぇ!! オノノクス!!」

 

 シャグマの剣幕に押され、同じように雄叫びをあげたオノノクスが繰り出したのは、〝げきりん〟だった。

 

「ライム……」

 

 過去に置いてきたものを見せられるのはうんざりだった。

 彼女は、カントーで俺が降してきたトレーナー達そのものだ。そして、あの赤い帽子の男に無惨な大敗を喫した俺そのものだった。

 

 オノノクスの〝げきりん〟は空振りに終わり、その勢いのまま地面を大きく切り裂いた。

 

「〝かわらわり〟」

 

 足下をくぐって真後ろで飛び上がったライムの姿が、シャグマにはよく見えているはずだ。

 彼女からの指示や注意は何もなかった。もはやどうあっても倒されるオノノクスの運命を見つめるだけだった。

 

 挫折した人間の、虚脱感と惨めな安堵感に埋もれたコンプレックスの倒錯だけが、彼女の表情の全てだった。

 

「ピ…………」

 

 すっきりしない表情で足下にすり寄ってきたライムを抱き上げ、頭を撫でて労った。

 

 これは全て、彼女自身の悪徳と歪みが招いた破滅であり、挫折だ。ライムや俺が感傷を刺激される謂れはない。

 これまでの所業を考えれば、到底許しておくことはできない。卑怯な女だ。

 

「トリトマ会長には、何も言わないでおきます」

 

 告発するまでもなく、ここまでの大騒ぎならばすぐに嗅ぎ付けられる。今日にでもだ。

 それでも、この女に何か嫌味を言ってみるか、あるいは誰も見ていないこの場なら、痛め付けてやる権利くらいはあるのかもしれない。

 

 しかし、ここで罵倒や体罰を与えたとして、彼女が今まで背負ってきた忸怩たる思いを超えるほどの痛烈な罰を与えられるだろうか?

 

「アタシを……そんな目で、見るなぁっ……!!」

 

 俺にできることはなかった。彼女は、最も侮り、才能を否定していた〝でんき技も使えないピカチュウ〟に負けた。

 

 それが彼女にとっては全てを意味するだろう。もはやその手からバトルコートにボールが投げ込まれる日は来ない。

 

「アタシを、あ、私は……」

 

 敗北に安堵するシャグマの俯いた表情に、少しだけトリトマの面影を見た。過度に己を卑しめる自虐的な顔を、これ以上見ていられなくなった俺は、踵を返して動くかどうか分からないエレベーターを試しに向かった。

 

 

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