俺のピカチュウだけでんき技使えないんだけど   作:イリノイ州の陰キャ

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54、kneel and kiss up to me, hopeless fugly's

 

「今日、なんか人多くないか」

 

 控え室からも分かる観客席の盛況具合だ。他の試合の客席の充填率は精々7割だが、今日はここに入る前、立ち見の生徒や教師の姿すら見えた。

 

「あなたとミヤコさんの試合目当てでしょ」

 

 今日の初戦を戦うアコニが、ボールの手入れをしながら答えた。傷だらけの俺のボールと比べて非常に綺麗だ。

 

「有名になったもんだね……」

「何その言い方。嫌なの?」

「そうじゃないけど」

 

 俺は、ジムトレーナーの目を除けば無観客だったカントーでのジム戦を思い出していた。

 興行の気を感じさせないシビアな空気感が好きだったが、バトルの音以外には空調の音がするだけのストイックな世界が、生半可な人間を突き飛ばす壁になっていたのかもしれない。

 

「じゃあ私、もう行くわ」

 

 Aは今日で最終日程のはずだ。カンゼキもかろうじてここまで勝ち残っており、二人が最終に出られるかは今日の2戦で決まる。

 

「見てるよ」

「私こそ見てるから……負けないでね」

 

 負けはしない。この大舞台で、俺は彼女に最後の()()を課すことにしている。

 そのためにわざわざ研究会まで除名してもらったのだ。中途半端なところで負けるものか。

 

 

 

 アコニの試合がまだ途中の正午、Bの押され気味な日程を進めるため、安全距離のために空いていた隣のコートで、俺の試合が始められることになった。

 

 コートは不気味な緊張感に包まれていた。先ほどまでアコニの試合を見ながら騒然としていた観客席が、おそろしいまでに静まり返っている。

 彼女の、ミヤコの散乱するような殺気にあてられているのだろうか。

 

「Bの4戦目か。ちょっと当たるの早かったね」

 

 刃物のように鋭いミヤコの視線が、こちらを睨み付けたまま目を離さない。

 血気にあてられた彼女のボールホルダーが六つとも揺れていた。2対2のバトル。必然的に4体の出番はないが、全てのボールが自分を出せと主張していた。

 

「君とは決勝トーナメントで当たるかな、と思ってたんだけど」

「…………」

「だから、かいちょーに負けるなよーとか念じてたけど、無意味だったね」

 

 ミヤコは普段通りの平静を演出しているのか、それとも言葉数多めにいたほうが精神が安定するのか、トレーナーボックスの中で手振り多めに話しかけ続けてきた。

 

「今日は、手抜いたらブッ殺すから」

 

 ミヤコは、もう繰り出すポケモンを決めたようであった。最初から手をかけていた、比較的大人しい雰囲気の1体と、特に派手にボールを揺らしていた1体。

 最初から手にかけていたボールの主は少し予想できる。戦力としては1番のブリジュラスか、彼女が全幅の信頼を置くガマゲロゲか。

 

「ねえシラン、さっきから全然喋んないけど。もしかして緊張してるの? 観客多くてビビっちゃった?」

「分かるか?」

「…………」

 

 こちらも1体は決まっている。2体目に繰り出すべきは……ミヤコに手のうちを見られているライムと、決勝までは出さないと決めたエルレイド以外。

 決勝を見据えると、他のポケモン達もなるべくは手を隠しておきたい。あの子にするべきか……。

 

「……あんまりウチのことナメてると、潰しちゃうから。観客の前で大恥かかせてやる」

 

 ミヤコを見ていると、エルレイドのボールが少しうずく。レブンのことで確信が持てたが、こいつはやはり俺に対する害意に反応しているらしい。

 過保護なヤツ。ただ、悪い気はしない。ポケモンに嫌われているよりはずっといい。

 

 しかし、今日のところは別のやつに花を持たせてやってくれないか。お前の出番は後にあるから。

 

「それでは、ミヤコ選手対シラン選手のバトルを始めます」

 

 少し高い台に立つ審判が、キレよく左右に手旗を振った。先発を出せ、の合図だ。

 

「行けッ!!」

 

 同時にボールが投げられる。

 

 どす、と、重量感のある着地音が砂地のコートで同時に鳴り響いた。

 

「ガマゲロゲか……」

 

 ミヤコが最初に出してきたのは、やはりというべきか、俺の予想通り、ガマゲロゲだった。

 見るのは二度目だが、以前とは少なからず雰囲気が違う。練度が高まったか、あるいは単純に型を変えたからなのか。

 

「……ふーん。ニドクインだ」

 

 こちらは、予選は全てニドクインで突破することに決めている。

 

「やっぱナメてるでしょ。そいつ、ここまで何度も見てるんだけど」

 

 ミヤコは、もはや見飽きたとでも言いたげに片手を振り、不満げに鼻を鳴らした。

 

「見てないよ」

「は……? 何言ってんの? あのガラルの強化生を瞬殺したのもそいつじゃん! 人のことバカにするのも大概にしろよッ!」

「君は見てない」

 

 ここにいる誰にも、まだニドクインの本気を見せてなどいない。

 

「……何考えてんの?」

 

 きっとミヤコには、ニドクインが野生ポケモンのように見えているだろう。

 

 人に心を許していない、人の世界の道理を知らないポケモン。彼らには特有の雰囲気がある。一度でも人に懐いたポケモンには出せない冷感。

 あるいは、ポケモンを御し切れていないと評価する者もいるかもしれない。

 

 俺なら、同じ雰囲気を纏ったポケモンが現れたなら、最大限の警戒を以て挑む。

 

 その恐ろしさを知っているから。

 

「お二人とも、準備はよろしいか」

 

 審判の確認に、片手を上げて返答した。ミヤコも渋々頷いて了承し、それ以上の問責を引っ込めた。

 それでいい。疑問も怒りも、全ては戦えば分かることだ。そもそもトレーナーが言葉で理解し合おうなどと、滑稽だとは思わないか。

 

「始めッ!!」

 

 

 

 闘争心の不規則な突出が突き刺さる緊張感に反して、立ち上がりは静かに始まった。

 

「〝あまごい〟!」

 

 先手を打ったのはミヤコだった。

 

 ガマゲロゲが振り上げた腕に誘われて、青空から雲を介さない不自然な雨が降り始める。

 この技を使っている間は、かなり大きな隙が生まれる。雨を呼ぶのは一瞬では済まない。

 十分な雨量と降水時間を確保するためには、技を一発喰らうほどの間、無防備を晒さなくてはならない。

 

 しかしまだだ。仕かけるのはここではない。

 

 ニドクインは動かない。動かさない。

 

「…………何で見てるだけなの? 動かないの?」

「ハンデ」

 

 なぜか効きそうな雰囲気を感じ取ったので、試しに(見え見えの)挑発を言ってみせると、ものの見事にミヤコのこめかみに青筋が浮かんだ。挑発に弱すぎないか。

 

「あっそう!! じゃあそのまま余裕ぶって何もしないで負けろッ!!」

 

 ミヤコの怒りに合わせて、ガマゲロゲの体が鞭のように伸びた。

 不自然な接近かニドクインに素早く打撃を加えると、一撃離脱でそのままボールへと戻っていく。

 

 今のは〝とんぼがえり〟?

 

 ボールに戻る瞬間、ガマゲロゲの顔が狐のように歪みながら笑みに変わった。

 

 今のでようやく得心がいった。ゾロアークだ。

 

「行って。()()()()()

 

 そっちが本物か。ニドクインに対する役割が薄いと見て、削りだけ入れて脱出したのだろう。

 

「ニドクイン。変えよう」

 

 追撃の構えを取っていたニドクインは、ガードを多少下げることで、迎撃の構えに移行した。

 手応えを確認するために、最初の攻撃は深追いしてでも当てておきたかったが、こうなると話が変わってくる。

 

「あれから、ガマゲロゲは猛特訓した。もうお前のギャラドスにも、エルレイドにも負けない」

 

 お返しとばかりに啖呵を切ると、呼応するようにガマゲロゲの手が上がり、指をくいくいと動かしてニドクインを挑発してきた。

 

「…………」

 

 能書き染みた挑発につられるほど、ニドクインに人の世の道理は分からない。

 彼女の頭の中にあるのは、生きること。寝ることや食べること。そして、己の身を脅かすものを退けるための防衛本能。

 

 それだけ。

 

「いつまでも余裕ぶってろ! ガマゲロゲ! 〝アクアブレイク〟!」

 

 打っても響かないニドクインの様子に気分を害したらしいミヤコが、声を荒げてガマゲロゲに指示を出した。

 

 雨の中で急激に速度を増したガマゲロゲが、半円を描くようにカーブの軌道で接近しながら、大きく腕を振り上げる。

 

「ニドクイン」

 

 名前を呼ぶだけの短い指示を受けたニドクインは、最低限の動作で〝アクアブレイク〟の直撃を避ける。

 避け切れず、腹を掠った水の塊がニドクインの体を押し、一歩後退させた。

 

 やはりこの子は遅い。鈍重だ。攻撃の余波に怯むその動きすら、ニドクインは鈍重だった。

 速度に限定するならば、調子の悪い時のアコニのワルビルにも劣る。というか、同種の別個体と比較しても、この子は遅い。

 

「避けないなら、そのまま潰せッ!!」

 

 ミヤコは追撃を選択したようであった。雨下の滑るような動きに、ニドクインの体は全く付いて行けていない。

 

 しかし、目の動きを見れば分かる。あの子には確かに見えている。

 

「今だ」

 

 肉薄してくるガマゲロゲのタイミングに図ったように合わせ、突然ニドクインの腕が影のように伸びた。

 

「〝どくづき〟ッ!!」

 

 ガマゲロゲとニドクインの拳が拮抗したのは1秒以下の一瞬だった。

 対面から撃たれた弾丸が掠れて互いを素通りするように、ニドクインは〝アクアブレイク〟を身に受けながらも、ガマゲロゲの腹に深く毒手を突き刺し、跳ね飛ばした。

 

「そんなッ…………」

 

 ニドクインは正面からみず技を受け、その胴から少量の出血をしていたものの、立ち姿には一切の揺れ動きもなかった。

 

「ガマゲロゲが力負けした……?」

 

 白い泥の中から立ち上がったガマゲロゲは、多少の痺れを感じさせる動きで、手を開閉させて手応えを確かめていた。

 

「どんなカラクリが……本当はスピードを抑えているのか……? それとも何か……」

「教えない」

 

 独り言を繰り返すミヤコに、少し意地悪を言ってみた。彼女は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、すぐに憎々しげにこちらを睨み付けた。

 

「スピードじゃ……こっちが圧勝してる。慌てなくていいんだ……」

 

 彼女の言う通りだ。バトルにおける最重要の要素と言ってもいいスピードで、ニドクインは負けている。

 

「行くよ……走って、追い詰めて!!」

 

 ガマゲロゲは不規則なスラロームを抜けるかのように、左右に大きく揺れながらニドクインに接近した。

 

「待て」

 

 それに反応するニドクインを止める。

 

 今のはフェイントだ。その証拠に、ガマゲロゲは直前で急停止し、右回りでニドクインの背後を取ろうとした。

 

「まだだよ!! 〝れいとうパンチ〟で足下の地面を殴れッ!!」

 

 ニドクインの振り向き様、ガマゲロゲは凍る拳で足下を殴り付け、水を多分に含んだ泥を急速に凍らせた。

 今のでニドクインの足下までもが凍りつく。これでは咄嗟の回避には期待できない。

 

「今だよッ!! 〝アクアブレイク〟ッ!」

 

 しかし、元より回避などする意味はない。

 

「〝どくづき〟だッ!」

 

 足下を奪い、完全に優位を作ったガマゲロゲの斜め横からの〝アクアブレイク〟。

 対してニドクインは、足を固められ、迎撃しにくい向きに無理やり腕だけを向けた、不利タイプの攻撃。

 

 強烈な水飛沫が上がる。ガマゲロゲは後塵の代わりに大量の水を跳ね上げながら、拳を振り上げて霧を作り出した。

 

 光と泥はねが晴れた時、やはり膝を突いていたのは、ガマゲロゲであった。

 

「嘘……!」

 

 目論見を外されたミヤコは、苛立ち混じりにコート上の泥を蹴り飛ばした。

 

「今のは〝あり得ない〟ッ……!」

 

 彼女の感覚は正しい。あり得ない。今のは全くあり得ない結果だ。

 

 雨の影響で速度を増し、さらにみずタイプの技の威力も増している。速度はエネルギー量だ。早ければ早いほど衝突した時の衝撃は大きくなる。

 さらに雨によって水量を増した攻撃は、足を氷結に取られた無理な姿勢からの〝どくづき〟程度では到底止め切れない。

 

 止め切れないはずだ。普通ならば。

 

「〝ちからずく〟か……そのニドクイン」

 

 そして彼女はすぐに勘付いたらしい。カラクリを見抜くまでの速さは驚嘆に値するところだ。

 イッシュ地方にニドランは生息していない。ここハドリアにもだ。おそらくは初めて戦うであろう相手の〝とくせい〟を、よく理解していたと褒めるべきか。

 

「それにしても、あの体勢からじゃ……」

「雨が止むぞ」

「…………うっさいッ!!」

 

 雨は長くは続かない。以前の戦闘ぶりからも考えて、ミヤコは〝あまごい〟を絶対の主軸に置いている。長い勝負を好まないはずだ。

 特に、彼女はニドクインを先手に出て場を整える補助要員だと思っていたフシがある。彼女が想像するような仕事を、ニドクインにさせたくはないだろう。

 

「行くよガマゲロゲ……! 走って!」

 

 ニドクインからしても、ガマゲロゲはやりにくい相手だ。〝どくづき〟含め、今使える技のうち三つは、奴に半減される。

 

 しかし、今の打ち合いを()()()()()()()()ことで〝ちからずく〟の印象を強められたのは大きい。

 こうなれば、ミヤコは必ず……

 

「水を蓄えるよ……! あっちはスピードに付いてこれないんだから……!」

 

 正面からの打撃勝負を嫌って距離を取る。

 

 多少威力を犠牲にしても、水を利用した速度での一撃離脱に切り替え、ニドクインの捨て身攻撃が間に合わない動きに切り替えるはずだ。

 

 こうなれば話は早い。相手から距離を取ってくれるのであれば、あの技が使いやすくなる。

 

「ニドクイン、〝じしん〟だ」

 

 相手が距離を取るというのなら、遠距離に届く技を使う。非常に単純な理路の着地だ。

 

 ニドクインは俺の意図を察して、ガマゲロゲにわざと背中を見せるような体勢になり、その太い尾を思いきり振り上げた。

 

「そんな鈍い攻撃、当たる訳ないでしょ! ガマゲロゲ!! 跳べッ!!」

 

 尻尾が叩き付けられた瞬間、ガマゲロゲが跳躍する。目算の甘い見立てでも3メートルは跳んでいる。あの滞空時間なら、確かに跳躍で避けることができるだろう。

 〝じしん〟や〝じならし〟のような地面を利用する技は強力だが、地面に設置している身体に振動を送るという性質上、地面にいなければ当然効果はない。

 

「ガマゲロゲ! 着地したら――――」

 

 ミヤコの指示が途中で詰まる。

 

「何、でッ…………!?」

 

 ガマゲロゲは着地と共に、突然支えを失って両手を地面についた。

 

「まさか今の〝じしん〟……!? 避けたはずの技が、なんで……!?」

 

 俺は観客席に小さく見えるアコニを横目で確認した。彼女には今のタネを見抜いていてもらわないと困る。

 

「尻尾の叩き付けの時に、いや、そうか……」

 

 流石と言うべきか、ミヤコもすぐに気が付いたようであった。

 この子の〝とくせい〟といい、よくも一度見た程度で看破できるものだ。

 

「叩き付けはブラフ……! ガマゲロゲが跳ぶことを予期して、技の発生を遅らせた……! そうなんでしょッ!!」

 

 彼女の言う通り。単なるフェイントだ。

 

 足の遅いポケモンにとっては、技を当てるということ自体が課題になる。

 身のこなしの遅さは、そのまま技の発生の遅さにもつながる。次に出す技がバレバレの状態で、普通に技を繰り出して当てられるはずがない。

 

 欺きの術が必要だ。技の発生が遅くて見抜かれるのなら、タイミングを隠して騙す。

 

「スピードを完全に捨てても、技を喰らわせる()()があった訳……」

 

 雨下のガマゲロゲには、ほぼ2倍以上の速度差で水を開けられている。

 足捌きでは絶対にガマゲロゲには敵わないし、他のポケモン達にも、隔絶と言っていいまでの差を付けられる。

 

「大体読めたよ。そのニドクインは……」

 

 カウンター。完全に一点狙いの迎撃戦闘。

 

 速度を捨て、地蔵のように同じ位置に立ち止まることで、カウンター攻撃に集中力の全てを総合させている。

 

 それがニドクインの……このニドランの生存戦略だった。

 

 俺はただ、この子が元から野生で生き延びために身に付けていた発想や狡猾性を、バトルの形に焼き直しているだけ。

 

「でもそれって結局、速度じゃガマゲロゲに敵わないってことでしょッ!!」

 

 ガマゲロゲは苦悶の表情を浮かべながら、気丈にも勢いよく立ち上がった。

 

「ガマゲロゲッ! 〝れいとうパンチ〟!」

 

 先ほどのように地面に殴り付けられた凍結の波紋が、未だ氷を抜け出せていなかったニドクインの足をさらに凍らせる。

 

「行くよガマゲロゲッ!!」

「来るぞ! 〝じしん〟だ!」

 

 足下の氷を砕かせ、さらに遠距離への牽制として放った〝じしん〟だが、氷こそ衝撃に砕くことに成功したが、ガマゲロゲはさらに力強く飛び、滞空時間を増やす力技で抜け出してきた。

 

「〝どくづき〟!」

「〝ドレインパンチ〟!!」

 

 両者の腕が当たることなく交差する。ガマゲロゲはニドクインの捨て身戦法に真っ向から対峙し、あえて〝どくづき〟の迎撃を捨てて懐に入ってきた。

 お互いの腹に鈍い音がぶつかり合う。三度目になる毒手を受けつつも、ガマゲロゲはまだ体を毒に侵されていない。

 

「押し切れガマゲロゲッ!!」

「何ッ……」

 

 三度目は、〝どくづき〟に突き飛ばされずに持ち堪えた。

 接触時間が長くなった〝ドレインパンチ〟が、体力を吸っていく。毒の痺れに耐え切れなくなるまで、ガマゲロゲは離れなかった。

 

 やはり、まだ立て直してくるか……。

 

「ニドクイン」

 

 ニドクインは軽く尾を振って返事をした。流石にこの戦法を始めた張本人だけあって、頼り甲斐のある打たれ強さだ。

 

「ガマゲロゲ、畳みかけるよ」

 

 お互いガードを降ろしきった諸刃のインファイトを仕掛けてくるつもりか。

 

 望むところだ。

 

「ガマゲロゲ! 水を打ち上げて!」

 

 水かきのついた手で水を持ち上げ、ガマゲロゲは思いきり水飛沫をあげた。

 

「〝れいとうパンチ〟!」

 

 水飛沫に向けて繰り出された〝れいとうパンチ〟が、小さな氷の粒をいくつも作り出し、殴り付けられた勢いのままニドクインへと襲いかかった。

 

「ニドクイン! 〝ほのおのパンチ〟だ!」

 

 ニドクインの燃える腕が遅い来る氷の粒を一瞬にして水に戻し、蒸発させる。

 今のは目眩し。だからこそ、この布石は無視できない。迎撃を主体とする以上、一瞬でもニドクインに目を瞑らせる訳にはいかないのだ。

 

「隙だらけだよッ!! 〝アクアブレイク〟!」

「〝どくづき〟!」

 

 ガマゲロゲは正面から受けた。水と毒が一瞬だけ掠れ合い、火花が散るような音を鳴らす。

 

「押し込めッ!!」

 

 ニドクインの〝どくづき〟が腹に突き刺さっているにもかかわらず、ガマゲロゲは決して腕を引っ込めなかった。

 

「〝じしん〟!!」

 

 あまり懐にいさせるのはまずい。俺はいち早く技を変更させ、ガマゲロゲに回避行動を取らせて遠ざけた。

 迎撃はタイミングを合わせたカウンターで相手の攻撃を潰すことを前提とした戦法だ。お互いに傷を厭わない殴り合いでは、遅い分手数が減り、結果としてニドクインが不利になる。

 

 それにしても、遅いポケモンに二度も出し抜かれたら、大抵のトレーナーは精神を激しく揺さぶられる。

 苛立ちか、落ち込みかのどちらかで、指示が散漫になるものだ。

 

「まだ余裕だよね、ガマゲロゲッ……!」

 

 これだから油断ならない。

 

 だが、一杯食わされた程度で諦めるような手合いでないというのは、こちらも同じだ。

 

「ニドクイン。行こう」

 

 ニドクインは片方の腕はだらりと下げたまま、もう片方の腕だけを上げた。

 

「何……? 何する気なの?」

「俺の十八番」

「は……?」

 

 野生のポケモンがよく使ってくる手だ。あるいは砂や雪を使って……。

 

「〝ほのおのパンチ〟!!」

 

 〝あまごい〟による甚雨も溜まり、足が薄ら水に浸かるほどになった地面に向かって、ニドクインは赤熱する腕を叩きつけた。

 

「うわっ……!」

 

 一瞬にして雨が蒸発した水煙と、叩き付けた腕が引き起こした衝撃による水飛沫が、ガマゲロゲのほうをめがけて襲いかかった。

 この激しい雨の中でも目を開けていられるミヤコとガマゲロゲとはいえ、ここまで熱された水を当てられては、顔を庇わずにはいられないはすだ。

 

「くっ、小癪なっ……!!」

「〝じしん〟だッ!!」

 

 一方で、こちらからは相手の姿が何となく見えている。単なる水飛沫にいくら包まれていようと、白い翳りの中にそのシルエットが現れる。

 

「ガマゲロゲッ……!! くっ……熱いっ……とにかく走って! その中を……抜けて!!」

 

 いくら雨下の速度に自信があろうと、視界が利かなければ意味がない。となれば、ガマゲロゲは熱霧の中を抜けてこようとする。

 

 そのシルエットはどうしても隠せない。出てくる場所が分かっているのなら、足の遅いニドクインでも先回りができる。

 

「そこだッ!! 〝どくづき〟ッ!!」

 

 交差した腕で顔を隠しながら飛び出してきたところに、ニドクインの毒手が突き刺さる。

 ガマゲロゲは顔を庇っているせいで、ロクな防御もできなかった。腹を深く貫かれ、内臓にまで届く鋭い打撃が、その青い顔を苦々しげに歪ませた。

 

「ガマゲロゲッ!! ガマゲロゲ!? どうなったの!?」

 

 毒手を掴みながら静止したガマゲロゲの姿が見えないミヤコは、いきなり水を叩く足音が消え、視界がアテにならない水飛沫の奥で声を張り上げていた。

 

 霧が晴れたと同時に、ミヤコは半ば予期していたかのように、悔しげに唇を噛み締めた。

 

「ガマゲロゲ……ごめん、ありがと……」

 

 度重なるニドクインの剛腕を受け続け、ここまでよく持ち堪えた。

 ボールに戻っていくガマゲロゲを嘲笑う者も、賞賛する者もいなかった。会場はただ固唾を呑む観客達の無言の気配だけが占め、誰もその顛末に何らかの言説を残す無粋を許さなかった。

 

 

 

 ミヤコとのバトルを快勝で終えた俺は、濡れた体を乾かすために控え室へと戻っていた。

 

 ガマゲロゲを突破した後は、思っていたより呆気ない勝負になった。

 ミヤコは戦意を捨てることだけはしなかったが、ゾロアークの戦いぶりにはガマゲロゲほどの気迫はなかった。

 

「けど、ニドクインは持っていかれた……」

 

 完全に俺の油断だ。ガマゲロゲとのバトルの時点で、もっと慎重な立ち回りをさせていれば、2体目を引きずり出されることにはならなかった。

 

「はぁ……」

 

 まだ改善の余地がありそうだ。自己反省で悪い点が出てくるうちは、詰められたものとは言えない。

 

 もっと鍛えないと……。

 

「あの……シラン、いる?」

 

 ソファに寝そべり、天井を眺めながら先ほどのバトルの反省をしていたところ、普段に比べてしおらしい雰囲気のミヤコが訪ねてきた。

 

「ミヤコ」

 

 雨を乾かした髪はいつもよりボリュームを失っており、レインコートを脱いだ姿には、学園で畏怖を余儀なくされる〝甚雨〟の威迫は感じられなかった。

 

「さっきはごめんね」

 

 彼女は俺の姿を確認するなり、聞いたこともないようなか細い声で、おそるおそるといった様子で謝罪を述べた。

 

「ごめんって、別に何もされてないぞ」

「違くて。ウチ、バトルの時、口悪くなるでしょ」

「ああ……」

 

 そんなヤツはごまんといるので、最初からあまり気にもしていなかった。

 とはいえ俺が気にしていなくとも、彼女がそれを気にしているのであれば、軽い感じで流すのもよくないか。

 

「……………」

 

 立ち尽くす彼女の沈黙が痛い。何と言えばいいのか分からず、俺は中途半端に体を起こした体勢のまま、どことも付かない場所に視線を逃して固まっていた。

 

 腹ペコで癇癪を起こしたポリさんが、リュックの中の菓子箱を漁る音だけか部屋に響く。

 頼むから空気読んでくれないか。菓子ならあとでいくらでもニビこんぺいとうがあるから、少し静かにしてくれ。

 

「…………あのね、夜の住宅街ってさ、窓から中の光が見えるでしょ」

「え?」

 

 ミヤコは突然、おそらく脈絡が前後している何らかの思い出話を始めた。

 彼女は俺の顔に浮き出た疑問符を感じ取ったのだろう。過失に驚いたような表情をして、最初から話し始めた。

 

「あ……ウチね、トレーナーのおじいちゃんに育てられたの。おじいちゃんね……アデクっていう人に負けてから、私をトレーナーにするって決めたんだって……」

 

 イッシュ前チャンピオンのことならよく知っている。今時は現チャンピオンであるアイリスの強さばかりが語られるが、全盛期のアデクはあの天才児に劣らぬ実力だった。

 ウルガモスの鬼神の如き活躍は遠いカントーにまで鳴り響いていた。アデク自身の苛烈な性格も相まって、俺が物心付く前は、多くのトレーナーに恐れられていた。

 

 しかし、突然「強さ以外のものを探しに行く」とだけ言い残して、目的ない放浪を始めてから、あの人は変わった。強さも、性格も、何もかもが。

 

 すっかり人格者の好々爺という評価に落ち着いたアデク。確かに、単なる強者であった頃よりも彼を支持する者の数は増えている。

 それでも俺はずっと疑問だった。凋落したとまで言われるあの男と、よりにもよってグリーンさんが同じことを言っていたことが。

 

『いつまでも変わんねーものはねぇぞ』

 

 それがずっと解せない。

 

「それで……毎日、夜までバトル詰め。いつも夜の住宅街を眺めながら帰ってた」

 

 ミヤコは空になったミックスオレの缶を何度も持ち上げては、中身がないことに気が付いて降ろすという動作を繰り返した。

 心ここに在らずという不確かな眼差しで、少なくともここではないどこかを見ていた。

 

「ああいう人達ってさ、言ってみれば、バトルを〝選ばなかった〟人じゃん」

「選ばなかったって……」

「いや、別にバカにしてる訳じゃないよ。バトルしてる人が偉いなんてことないのは分かってる。その人達には、バトル以外の大変な人生が待ってる訳だしね……」

 

 彼女の声音に多少なりともノスタルジーにも似た悲哀を感じた瞬間、ハイネのボールが揺れた。

 

「雨でも雪でもバトルして、晴れてても雨降らしてバトルして、誰とも喋らないまま、誰もいない部屋に、寝るために帰る……」

 

 何か相槌を打つべきかとも思ったが、気の利いた言葉は何一つ思い付かなかった。

 

「時々さ、子供を叱る母親の声とか、友達とゲームする声とかが聞こえてくるんだ。洗濯物の匂いとか、換気扇から漏れるお風呂の湯気とか……」

 

 いい加減中身がないことを確認する作業に嫌気が差したみたいに、彼女はミックスオレの空き缶をゴミ箱に放り投げて、だらりとその腕を投げ出した。

 

「ああいうの見てるとさ、たまに、ホントにたまにだよ? 一人で強くなって、何の意味があるのかな、って…………」

 

 彼女も、俺と同じ悩みを抱えていたのか。

 

 結局、職業バトル競技者には逃れ得ない苦難であるということなのだろうか。

 何せあのアデクすら、かつて同じ疑問に突き当たり、向かうところ敵なしだった破格の強さを失ったほどだ。

 

 あの人は強さの代わりに何を得たのだろう。

 

「あ、いや……ごめん。変な話して。ウチもう戻るから――――」

「〝強さと命は不変ではない〟か……」

 

 言うつもりのなかった言葉が、無意識にも口を突いて出てきた。

 

「それっ……!?」

 

 ミヤコはすぐに気が付いたようだった。イッシュでは誰もが聞き慣れたフレーズなのだろう。

 

「優劣を競う世界で戦ってる人間が、弱くてもいいなんてそんなのは……詭弁だ」

 

 いくつかのスペクトルに同型な、比較的簡単な形状の環の中で、あなたは競うようにして標数を求めている。

 あなたの世界はコリオリ効果によって停滞気味なので、もしかすると一見にはそう見えないかもしれないが、昨日の局所化は明日にはもう積閉集合(クローズド)の中にはない。

 

「でも多分合ってる……その、君の疑問は」

 

 つまり、強さという概念そのものに疑問を見出したその感覚は、おそらく間違ってはいない。

 

「どれだけ強くなっても……」

 

 俺はシロガネ山の頂に今もいるであろうあの青年のことを思い出していた。

 

 あの白い無間の中で、己より強い人間を待ち続けているのだろうかと思うと、身の毛がよだつ。

 ついに彼の前まで辿り着き、戦いを挑み、そして無惨な敗北を刻まれたあの日……。

 あの瞬間、彼がどんな顔をしていたかなど、今までは思い出そうともしなかった。思い出したくなかったから。

 

 あれは孤独の苦痛ではなかったか?

 

「どうすればいいのかな、ウチ……」

 

 何とも答えられない。なぜなら俺も、その疑問の下敷きにされて止まない日々だ。

 

 ただ、この地に来て、普通の学生みたく過ごした日々の中で思い至ったものとしては……。

 

「…………いいよ。今のままで」

「え?」

 

 ミヤコは全く慮外の回答を聞かされた、という風に目を見開いた。

 

「強くなろうとしてるから、ここにいるんだろ」

 

 強さを求める過程の中で、しかし本当に得られたものは〝強さ〟それのみであったか?

 

「でもそれじゃ、今までと同じでしょ……!?」

「それだけじゃない」

 

 放浪は手段に過ぎない。アデクにとって強さ以外のものを得るために必要だったから、彼は強さを一旦箱にしまっておいた。

 

 でも俺達はいいじゃないか。だってどう考えてもあの人より人生権限が足りない。何もかも足りないのだから、欲張って、何でも欲しがって。

 

「君や、みんなに会えたから……」

 

 アコニや、カンゼキや、研究会のみんなに会えたのは、むしろ俺が強さを捨てなかったからだ。

 ハドリアに来てから色々あったけど、総合したらやっぱり、来てよかった。そう思える。

 

「ウチも……?」

「え?」

 

 こんな青くさい回答に、ミヤコは愕然とし続けていた。

 

「君にとって、それは、ウチも……?」

「そんなの、そうだろ」

 

 この出会いも、強さを求めた恩恵だ。自分以外の強者として反目し、戦い、実力を認め合った。

 それは強さによって得られたものだ。強くなろうとしたから、俺達はこうしている。

 

「ウチにも、会えてよかった?」

「だからそうだって。つーか、あんまり聞き直さないでくれよ……」

 

 こんな照れくさいこと、アコニにも一度や二度しか話したことはないのに。

 

「ウチ、も…………」

「ミヤコ?」

 

 突然俯いた彼女の顔を覗き込んでみる。先ほどまでのアンニュイな雰囲気は失せ、緊張しているみたいに口許を険しくしていた。

 

 やっぱり、俺の未熟さ丸出しな答えがお気に召さなかったのであろうか。

 大体何だよ、そのままでいいってのは。変わりたいから聞いてきたであろうものを、全く参考にならないことを言って……。

 

「わ、悪い……変なこと言ったよな、俺」

「ちっ、違くて! 全然、その、変なこととかじゃなくて! あっ、あー、暑いなー! この部屋少し暑くない!? シランは平気!?」

 

 そう言われると確かに暑い。扇風機が回っているとはいえ、全然気が利かなかった。

 こういうところも、俺の成長できていない部分の一つだ。

 

「あー、ごめん……何か飲み物とか、出せばよかったか……」

「い、いやいやいや! ウチが勝手に押しかけてきただけだから! シランが気が利かないとか、そんなことは、全然……」

 

 必要以上にネガティヴ思考に陥る俺に、彼女はすぐにフォローを入れてくれた。

 最近こんなことばっかりだ。アコニにも昔のことで気を遣わせてしまったし、謙虚と後ろ向きは違うということをそろそろ学ばなければならない。

 

「うっ、ウチ帰るね! ごめんね急に押しかけたりして! 今日はその、あ、ありがとっ!!」

「あ、ああ。また……」

 

 ミヤコはこの部屋に来た時よりは元気を取り戻したようで、机に降ろしていた鞄をそそくさと拾い上げると、早足で外扉から出て行ってしまった。

 

「あ、やっぱり、やっぱりね!?」

「うおっ……!」

 

 行ったと思いきやすぐに扉が開いて、壁の裏に体の大半を隠したミヤコが、その位置からこちらを窺ってきた。

 

「ど、どうした?」

「あ、あの、さ……ウチ……」

 

 壁の縁に両手をかけ、何やら足を擦り合わせながら、言いにくそうにしている。

 言いたくなければ無理に言わなくても、と言いかけた時、何かを決意したみたいな表情で、ミヤコが突然顔を上げた。

 

「ウチも、その、シランと……」

「俺?」

「やっぱり何でもないっ!」

 

 乱暴に扉を閉め、色々なものにぶつかる音を立てながら、彼女は去ってしまった。

 

 ミヤコは何を伝えたかったのだろうか。結局怒らせてしまっていたのか?

 今度エルレイドに聞いてみよう。領分でないものは潔く諦めるが吉。

 

「な、何だよポリさん、その呆れ顔は」

 

 お前が食い散らかしたそのお菓子袋を片付けるのは俺なんだぞ。

 

 





おまけ アデクの話


※合宿終了直後くらいの話

「これが現役時代の、アデク……」

 俺達が生まれるより前の、まだ壮年と呼ぶべき頃のアデクの古いバトル映像を見ながら、俺は頬杖を突いてアコニの反応を眺めていた。
 いつかおこなわれた、イッシュ四天王の一角とのエキシビションマッチ。相手はアデクの弟子と噂されるレンブ。

「こんなに……」

 いつからかめっきり見なくなった、異常に体躯の大きなアデクのウルガモスが、よく育てられたかくとうポケモン達を、文字通り〝蹂躙〟する映像。

「意外だったか?」
「意外よ……だって最近の試合では、セッカジムのジム戦用ポケモンを相手に、ほぼ互角くらいの実力だったのに……」

 アデクの時代は終わった……と言っても、中傷にならないほど、全盛期とは程遠い衰えぶりだ。寄る年波には勝てないのか。
 もしアデクが最も強かった時期に、今のアイリスが挑戦したとしたらどうなっていたか。少なくとも、チャンピオン交代戦があれほど一方的な決着になどならなかったはずだ。

「残念だよ……昔のほうがよかった」

 いくら他のものに価値を見出したとして、強さを捨てて何の意味があるというのか。
 でなければトレーナーを志した意味すらも薄れるというものだ。究極的には、俺達はバトルしか能がない人間の集まりなのに。

「そう?」
「そう、って……君も見ただろ。あの強さ」

 怖気を覚えるほどだ。特にその油断も容赦もない戦いぶりには、同じトレーナーとして甚く共感していた。

 だというのに……。

「私は今のほうが好き」
「え?」

 勝利したというのに笑顔すら浮かべないアデクの映像を眺めながら、アコニは半眼で何の気もなしに呟いた。

「その人にとって本当に必要なものが何かなんて、誰にも分からないでしょ」
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