とある紳士による奇妙な話。
「よう。」
そう言って私は背中から旧友へ声を掛ける。勿論、そこには悪戯の意図が含まれている。
「びっくりしたな。」
そう言って彼は驚いた様子すら見せず私に振り替える。
一般的な街並みー即ち幾何学的で四角い構造物に取り囲まれる舞台の中で彼らはその空間を温かみをもって上書きしたのであった。
そして、そんな二人が行く場所は限られており、彼らはその中で最も楽しく語り合えることが出来るであろう場所。
即ち酒場に居場所を定めた。酒とは良いもので思考力を削ぎつつもその感動を削ぐことは決してない。
そんな酒に酔って理性を半ば破壊されたとき、私はずっと気になっていた質問を聞くことに決めた。
何故か聞こうと思わなかったのだが。
「なあ、ここ最近、二か月くらいか?見なかったが何かあったのか?随分と心配したんだぜ。」
噺を60°ほど転換させ、聞くことにした。元々話していたことは猫の毛皮についてあり、無意味なことは察していたのだろう。難なく受け入れこういった。
「ちょっと変な用事があってさ。人の世話をしていたんだ。」
随分と変な答えが返ってきたものだと感じざるを得ない。もっとこう、何か言いようは無いのだろうかこの男は。
そんな私の製造する雰囲気を認識してなのかどうかわからないが彼はこう付け加えた。
「変って行ってもわかんないよな。あれは…変というより奇妙な客だったんだよ。説明が難しいんだが、根本的に異質な客だったのさ。」
私は好奇心を刺激され質問をする。
「外国からのお客さんだったのかい?」
「見た目はね。だけど来ている物もどこか変だし、そもそも世話をする事になった経緯ですらも奇妙なんだ。」
「まるで宇宙人を語るようだな。」
私は笑い飛ばすつもりで途中まで語り、彼の真剣な瞳を目の当たりにし、後半の言い方が少し変になってしまった。
「その表現が正しいかもしれない。」
我々はいつの間にか酔いが覚めていたようだ。
そして時計は深夜を迎えたことを示し、酒場の主の態度も変わり始めた。
具体的には眉毛の角度が時間経過で大きくなってきている。純粋な比例関係であり、加速度が0である事のみが救いである。
そうして我々は半ば何か大いなるものから逃げるように私の牙城に逃げ込んだ。
「続き、飲むか?」
私は彼にそう問うた。おそらく左手は震えていたように思われる。
彼は言った。何秒後かどうかについては覚えていない。
「飲もう。」
彼の左手も震えているように思えたのは気のせいだろうか。
こうして話は再開される。
「んで、その客についてもう少し詳しく教えてよ。どんな人だったの?」
私は酔いにより蛮勇を覚え、同じく酔った友に核心を聞いた。聞いてしまった。
彼もついに酔いが限度を超えたからか話し始めた。
「あれは9月中旬ごろ、ウチの会社だと夏と冬だけ忙しいのは知ってるだろ?その間は事実上の休みでその間の給料は払われないからずっと何をしようか考えて街をほっつき歩いてたらさ。
会ったんだよ。彼に。
典型的な胡散臭い男という感じでやくざみたいにスーツを着たヤツに話しかけられたのさ。
彼は言ったのさ。『いい儲け話がある。』と。普通だったら断るべき場面だし、振り返ってみても何故その男の話を素直に聞いたのかも分からない。だが、内容は今振り返ってみても魅力的だった。50日とある人と一緒に暮らし、常識を教えてあげるだけでいいと、それだけで高い報酬―と言っても私の月給3か月分でそこまで非常識な額ではない。-を得られるのだから。
それに仕事は本当に無かったからね、当然受けたさ。それから一週間は何も変わらなかった。
そして一週間後、『彼女』がやってきた。名前は聞く機会を逃したから結局分からないままだったのだが、なんというか本当に非常識な奴だったのさ。」
彼の頬は赤く、本当に困ったやつだという情報を私にジェスチャーまで用いて主張してきている。
「まず、挨拶を交わしてアパートの案内をしたところからおかしかったのさ。冷蔵庫の存在すら知らないなんて一体全体どうなってるのやら。」
「…。」
「まあ、でも複雑な過去がありそうだったし別にそこは後の問題と比べたら重要じゃないのさ。」
「ほかに何か非常識な所があったのか?」
「勿論、例えば…ウチの家族に会いたい会いたいとうるさかったり、ご近所さんの家に干し柿を持って挨拶をしに行ったり、放っておけばいいのに老人の荷物を持ちに行ったりだとか。」
私は少し違和感を抱いた。
「確かに変なところはあるかもしれないが充分いい人じゃないか。」
「そんな事あるものか。」
彼の目は私に多少の不快感を抱いていることを明らかに示していた。心なしかその瞳は黒みというよりかは紫色を発しているような気もする。
「アイツは勝手に冷蔵庫の中の物を食べるし、床に物を落としても平然と拾い上げて食べるし、多分成人してないけど酒を飲むし、食べ終わった茶碗にお茶を入れて飲むし、一回おにぎりを作ってくれた時も素手で握ったんだぞ。」
今度は私も眉を顰めざるを得なかった。
「旅行するとなった時もホテルじゃなくて地元の人に泊めてもらおうとするし、服も平気で3日くらい使うし、米の研ぎ汁で洗濯をしようとするし、衛生観念が崩壊してるんだよ。」
「外国人だろうけど、どこの出身なのかな。」
「さあ、ただ、アジア系ぽかったよ。黒髪だったし。」
重苦しい雰囲気が続くことは避けたかったのでその後を聞いてみることにした。
「で、結局どうなったの?」
「普通に期限が来たら去っていったよ。お金も経費込みで払ってくれたしそれでおしまいさ。」
いつの間にか二人を覆っていた左手の震えは治っていた。
いや、正確に言えば治っていなかった。
私の脳が震えていたのだ。彼の話すことから「彼女」がなんとなく理解できたような気がしたのだ。
恐らくは近代化すらも行われていないド田舎の外国人だろう。それを踏まえて我々日本人と彼女はどちらの方が非常識なのだろうか。多くの人々は「郷に入っては郷に従え」ということわざを用いて日本人の常識を正当化するだろうが、日本人は本当に望ましいことを常識としているのだろうか?
…少なくとも彼女を非常識とすることは何かを崩壊させてしまうような気がしたのだ。
月は今日も輝いている。"我々"はそれを美しいと思った。
文化の相対化を試みて挫折しました。それでも一定の価値を認めるうると思われます。(開き直り)