以下はハーピーの接触報告その1の音声記録である
特地調査部隊(STF-3) 音声記録
記録日時:令和XX年X月X日
記録者:STF-3 隊長 喜久田 俊一
状況:旧日本海沿岸・北海道地域調査任務
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【記録開始】
草を撫でる風が、音もなく一帯を撫でていた。旧日本海沿岸地域──現在の北海道地域とされる広域調査ポイントにて、特地調査部隊・第三班(STF-3)は慎重な展開を進めていた。
一帯には広葉樹と針葉樹の混交林が広がり、地表には落葉と雑草がまだらに残る。隊員たちの装備が擦れる音、遠くで水の流れるせせらぎが音を鳴らす。
風は緩やかで、葉を揺らすほどでもなく、ただ草の匂いと水の香りだけが地表近くに漂っている。空は曇天、だが厚い雲ではない。小鳥たちが囀りを続けるなかで、不自然なほど――大型の獣の気配は皆無だった。
調査隊の一行は、低く声を交わしながら警戒態勢を取っていた。銃を肩に掛けたまま、左右へと視線を巡らせる。林の縁で隊長・喜久田俊一が小声で命じる。
「全員、接触地点に到着した。各自、周囲の状況を確認しろ。」
隊長は周囲を見渡し、全員の位置を確認すると、低い声で指示を出した。
「了解。開けた地形です……東側は針葉樹林が続いてます。南は小川。視界は良好です。」
隊員が双眼鏡を持ち上げ、奥の樹間を探る。背の高い木々が重なり合い、午後の陽光が地面まで届かない。草の揺れひとつにも神経がとがらせられる空間だった。
「…ん?…少し地面を確認してみます」
別の隊員が屈み込み、手袋をした指先で草をかき分けた。
「……これは……足跡ですね。鳥類のようですが、異様に大きい。爪痕が深く食い込んでます」
隊員の指す先には、ありありと泥に残った三本爪の痕跡。幅は十センチを超え、鋭い爪先が地中を抉っている。
「……それは…人間の靴と比較するとどれくらいのサイズだ?」
「……25センチ以上はありそうです。成人男性の靴と同程度。けどこれは、鳥の足としては異常ですね…爪の湾曲が深い……鷲みたいな爪ですね」
そう呟いた隊員の言葉に、科学調査員がすぐさま反応し、しゃがみ込むようにしてその痕跡に目を凝らした。手袋越しの指先で、そっと爪の跡をなぞる。
「……この地域に、こんな大型の猛禽類は生息していません。つまり、恐らく——」
間を置いて、はっきりと断言するように言葉を続ける。
「ハーピーたちのもの、でしょうね。」
喜久田は何も言わず、足元の痕跡を見つめていた。
その沈黙は思索によるものか、それとも内心の警戒によるものか。
ただ、彼の眼差しに浮かぶわずかな硬さが、ここに「捕食者」がいたという現実を物語っていた。
隊員の一人が地面に膝をつき、指先を這わせるようにして周囲を探り始める。
落ち葉の下、湿った苔の裏、小石の位置や傾きにさえ注意を向けるその姿には、緊張というよりも、もはや本能的な警戒が滲んでいた。
かさり、と葉をめくる音が続く中。
背後から、科学調査員の静かな声が、まるで霧のように滲むように届いた。
「…今のところ、確認できる痕跡はこの足跡だけのようです。羽毛でも落ちていれば手がかりになるのですが……残念ながら見当たりません」
少し間を置き、彼は視線を森へと向けた。
「……それと、森林内の動物の気配が薄いように感じます。こういう場所なら、もっと動きがあってもいいはずですが……静かすぎますね」
その言葉に、周囲の隊員たちもあらためて耳を澄ます。風が木々を揺らす音はする。だが、枝を跳ねる音も、草を踏む音も、ない。
音はあって、気配がない。
それが、かえって不気味だった。
「……痕跡の近くを重点的に捜索する。全員、警戒は怠るな」
学者の意見を聞いた喜久田は声は低く声を発した。命令というより、抑えた警告に近い響きだった。
その瞬間、空気が一段冷えたように感じられた。隊員たちは頷き、それぞれの持ち場へと足を向けた。銃口の向きが、ほんのわずかに上がる。
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STF-3の隊員たちは、警戒態勢を崩さぬまま、先ほど確認された異常な足跡を辿っていた。深い森の中はなおも静かで、遠くに聞こえていたはずの小鳥の声も、いつの間にか途絶え始めていた。
沈黙が、空気を包み始める。
「……隊長、気づきましたか? 鳥の鳴き声が、ほとんど消えました」
前方を歩いていた隊員の一人が、振り返らずに声を落とした。
もう一人が続ける。
「ああ。さっきまでは、かすかに聞こえてたのに……これは、嫌な感じですね。こういう現象って、たしか――大型の捕食者が近くにいるときだ」
誰かが呟くように言ったその言葉が、空気をさらに冷たくした。
喜久田隊長は素早く隊列を見渡し、短く命じた。
「全員、周囲を警戒しろ。環境音の消失は――何かの兆候だ」
隊員たちは足音を殺しながらも、周囲へと意識を張り巡らせた。
乾いた枝を踏む音、背後の気配、葉の擦れる僅かな気流。
それぞれが、自分の五感のすべてを頼りに、気配の変化を探った。
そして――そのときだった。
上空。濡れたような羽音。
木々の隙間をすり抜けて、風を切る「何か」の気配が滑り込む。
それに続く、鋭く甲高い鳴き声。声とも悲鳴ともつかぬ音が、森の天井から降りてきた。
振り仰いだ視界に、影。
大気が渦を巻き、何かが、真上から――落ちてくる。
「……隊長、上空に何かいます」
隊員が、声を押し殺すようにして指を差す。
一斉に視線が空へ向いた。
灰色に沈む雲の隙間から、いくつもの影が滑るように現れた。
影は明らかに通常の鳥類ではない。体躯が大きく、動きが異様だった。
「……あれが、報告にあった飛行生物……?」
誰かが呟く。声には驚きよりも、緊張と戦慄が混じっていた。
その飛行体は、およそ六体。
高度80〜120メートルの範囲を、それぞれがバラバラの軌道で飛行している。
だが、バラつきはあれど、明確な秩序と意思がある動きだった。
旋回、滑空、急降下、急上昇――
それは鳥の動きではない。まるで人間が、滑空術を心得て飛んでいるかのような、不規則かつ意図的な動きだった。
そのうちの一体が、大きく翼を広げながら旋回し、ゆっくりと高度を下げはじめる。
それに呼応するように、他の個体たちも次々と高度を落としてきた。
隊員たちは銃を構えることなく、しかし指先にわずかな力をこめたまま、彼女らの動きを凝視する。
「皆、敵意を示さない限りは、まず観察だ」
喜久田隊長が短く命じた。
影は次第に地表へと近づいてくる。地面から20メートルほどの高度を維持しながら、隊員たちの頭上を旋回し続ける。
こちらを――明確に、観察していた。
「……興味を持っているのは明らかですね。威嚇行動ではなさそうです」
科学調査員が、眼鏡越しに唇を動かす。声は震えていたが、冷静だった。
やがて、一体が翼を縮めるようにして降下した。推定身長160cmほどの個体。
着地の瞬間、その足が土を掴むように折り曲がる。
ほとんど音がしなかった。
続いて、もう一体。やや大柄で、身長は180cm付近。
こちらも地面に降り立ち、ゆっくりと歩みを進め始める。
彼女たちは、明らかに意図を持って動いていた。
獣のような本能ではなく、人間のような――あるいはそれ以上の、目的性と観察力を帯びていた。
「ッ…なんだ……?近づいてくるぞ」
隊員が、銃に手を添えながら呟いた。
そのとき、森に不釣り合いな音が響く。
「キュウ……」
それは声とも鳴き声ともつかない、低く湿った音だった。
発したのは、小柄な個体。最前列の隊員の数メートル手前まで接近し、まるで匂いを嗅ぐように顔を近づけていた。
小型のハーピーは、ひとしきり匂いを嗅ぐと、隊員の膝元にしゃがみこむようにして座りこんだ。
そして――まるで猫のように、頬を彼の脛に擦りつけてきた。
羽の付け根が揺れ、白い髪のような羽毛がふわりと舞う。
彼女の目が上を向いた。
濡れた琥珀の瞳が、じっと見上げてくる。
「……」
声は出なかった。出せなかった。
隊員は凍りついたように立ち尽くしていたが――その内心に、不意に湧いたものがあった。
ーーー可愛い
否応なく思ってしまった。
理解の外にある存在であるはずなのに、その仕草はあまりにも自然で、そんな感情を呼び起こす。
小型個体が行った行為は野生の警戒でも、敵意でもない。むしろそれは、信頼に近い“甘え”だった。
「これは……まるで、猫が人にすり寄るような……?」
科学調査員が、呆けたように呟いた。
その声には、戸惑いと、理屈で理解しようとする努力が混ざっていた。
目の前の光景は――確かに、そんな風に見えた。
小型のハーピーは、隊員尚もにぴったりと身を寄せたまま、喉を鳴らすように声を発していた。
首を傾げ、上目遣いで見つめ、また頬をこすりつけてくる。
そのしぐさはあまりに柔らかく、まるで馴染んだ飼い猫のようでさえあった。
だが、その羽根の質感は鳥のそれではなかった。
柔らかく、温かく、獣のようでもあり――どこか、人肌のように生々しい。
隊員の足元で甘えるその存在を、他の隊員たちは硬直したまま見つめていた。
誰も、手を出せなかった。
どこまでが“安全”で、どこからが“危険”なのか。誰にも判断できなかった。
そして、もう一体。
先ほど着地した大型の個体が、こちらに歩いてきた。
彼女は、音もなく近づくと、別の男性隊員の背後に立ち、首元へと顔を近づけた。
鼻先を押し当て、深く、長く、吸い込むようにして嗅ぐ。
「っ……!」
隊員は身をすくめたが、抵抗しなかった。
反射的に体が凍りついたのだ。
彼女はそのまま別の隊員にも歩み寄り、それぞれの首元に顔を寄せて、同じように嗅ぎ続けた。
鼻息は次第に荒くなり、かすかに湿った呼気が肌を撫でた。
その姿はまるで――熱に浮かされた牝の獣のようだった。
「ちょっ……こいつッ……」
そんな中、不意の接触が続いていた隊員が声を漏らした。
彼の肩に前脚をかけるようにして、小型のハーピーがぴたりと顔を寄せていた。
羽毛に包まれた頬が肌に触れ、鼻先がゆっくりと彼の首筋をなぞる。
「キュウ……」
甘えたような声とともに、ハーピーの口元が彼の皮膚に触れた。
小さく、しかし確かに――甘噛みの感触があった。
隊員は反射的に一歩引いた。
その動きに驚いたのか、ハーピーはわずかに首を傾げた。
金色の瞳がぱちりと瞬き、しかし恐れる様子はなく、むしろ――興味を深めたようだった。
小型のハーピーは、尚も隊員の首筋に顔をうずめたまま、離れようとしなかった。
細くしなやかな腕と羽を彼の背中に回し、微かな音を立てて甘噛みを続けている。
その様子に、見かねた別の隊員が近づき、静かに声をかける。
「どいてもらうぞ……」
彼は慎重に、小型個体の胴を両腕で抱きかかえるように持ち上げた。
その瞬間だった。
「ゥウ……」
低く、くぐもった声が小型ハーピーの喉奥から漏れた。
甘えた声とは違う――名残惜しさと困惑が混ざったような、湿った音だった。
羽が一度だけばたつき、隊員の胸元で身体を捩る。だが、力なく、暴れることはなかった。
ただじっと、引き離されていく男の顔を、金色の瞳で見つめ続けていた。
科学調査員はその反応を凝視していた。
まるで小動物が巣を離されるような、哀しみと執着の交錯を読み取ったのか、小さく呟く。
「……若干の違いはありますが、報告書にあったドラゴニュートと似た行動ですね」
観察と警戒、どちらにも傾かぬ声色だった。
喜久田が訊ねる。
「対話はできそうか?」
「……いえ。どちらも、少し興奮しているように見えます。今は……まだなんとも」
言語学者の答えに、場の緊張は解けなかった。
「……まあ、いずれにしろ、敵対的でないのなら対話を試みる価値はある」
喜久田は静かに呟き、顔を上げた。
視線の先には、大型のハーピー。先ほどまで隊員たちの首筋に顔を埋め、鼻を鳴らしていた個体。
彼女は喜久田が見ていることに気づいたのか、動きを止めた。
一拍の静寂の後、音もなく歩き始める。
足取りは滑らかで、地を滑るような動きだった。
近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてくる。
身長はゆうに180センチを超えており、翼は背中から腕へと繋がる構造で、魅惑的でありながら、肉体的な威圧感があった。だが、その動きに敵意はなく、どこか人間の女性のような所作を見せていた。
そして、彼女はゆっくりと喜久田の正面に立つ。
瞳は黄色味を帯び、細く、猫のように瞳孔を絞っていた。
沈黙のまま、じっと喜久田を見つめている。
まるで観察しているようだった。
喜久田が一歩も動かず視線を返すと、彼女は首をかしげ、そっと顔を近づけた。
鼻先が肩口に触れる。柔らかく、湿った吐息が迷彩服の襟元にかかる。
彼女は、呼吸のリズムに合わせるように、喜久田の首筋に鼻を押し当てた。
「……。」
隊長は無言のまま、動かなかった。
その刹那、ハーピーの口元が僅かに動き、彼の肩に軽い噛み跡を刻む。
歯の縁が皮膚をなぞる。甘噛みと呼ぶには執拗すぎて、傷つけるには足りない力だった。
背後から、やや呆れた声が飛ぶ。
「……本当に身体的接触を好みますね。喜久田隊長、そして新田隊員。接触任務が終わったら、隔離室での検査ですよ」
科学調査員の声はどこか事務的で、しかしその裏に緊張が混じっていた。
喜久田は肩越しに振り向くことなく、静かに答えた。
「……了解だ。だがその前に、こいつらと話ができるかどうか、試してみよう。」
そんなやり取りの中、大型個体のハーピーは、喜久田の匂いをじっと嗅ぎ続けていた。
鼻先は首筋から鎖骨のあたりへと滑り、吐息が襟の隙間に染み入るように感じられる。
その眼差しはどこか恍惚としており、彼の存在そのものを味わうように動作を続けていた。
そして——彼女の指が、彼の制服の合わせ目に触れた。
爪先が迷彩柄のファスナーの縁をなぞる。
喜久田は無言のまま、片腕を上げた。
その手が、ハーピーの手首を静かに、だが確実に掴む。
彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが——
次の瞬間、大型のハーピーは逆に喜久田の身体へと身を預けるように寄り添ってきた。
むにゅんと、豊かな胸部が彼の胸板に押しつけられ、柔らかな圧力が肌越しに伝わってくる。
翼の先端が彼の背をなぞるように這い、羽根の感触が微かに衣服を押し上げながら滑っていく。
そして、頭部が彼の肩へとそっともたれかかり、鼻先は執拗に鎖骨の下を探るように動いた。
その呼吸は次第に荒く湿り気を帯び、吐息が喉元に絡みつくように熱い。
彼女は、喜久田が本気で抵抗しないことを“許容”と受け取ったのだろう。
——まるで、自分に明確な拒絶を示さない『雄』は、「抱かれるもの」として受け入れるべきだと本能が告げているかのように。
……そう、本能に組み込まれた価値観に従うように。
彼女の行動は、あくまで「自然な摂理」として、愛撫を深めていく。
鎖骨に唇を寄せ、ちゅうちゅうと吸い上げるような音が濡れた音色で漏れると、喜久田の肩がわずかに揺れた。
彼は反対の手を静かに腰へ下ろし、サイドアームのグリップに触れる。
指がその冷たい金属に触れた時、科学調査員の手元が一瞬震えた。
彼女は目の前で繰り広げられる、恋人の睦言よりもねっとりと湿度を帯びた異種の接触に、明らかに狼狽した様子を見せた。
録音端末を持つ手をぎこちなく握り直すと、焦ったような声が漏れる。
「……こ、これ以上は……早急に開始しますね。では、まず——」
その瞬間だった。
空気が裂けるような羽音。
地響きのような着地音。
隊員のひとりが「っ、来るぞ!」と叫ぶ間もなく、空中から別のハーピーが急降下してきた。
目標は、まだ匂いを嗅がれていた隊員のひとり。
その腕を両脚でしっかりと抱え込み、羽を広げて彼の身体を包み込むように覆いかぶさる。
「はぁ?!……な、何だこいつッ……!」
もがくが、ハーピーの拘束は頑強だった。
目の前で起きた光景に、森の空気がぴんと張り詰めた。
小型のハーピーが、ばさりと翼を大きく広げ、「キュッ!?」と甲高い短鳴きを上げる。驚いたように肩をすくめ、目を見開く。
喜久田に張り付いていた大型個体も、咄嗟に首を縮め、互いの顔を見合った。
迷いと警戒が入り混じるようなわずかな沈黙——
それはほんの数秒だった。
その刹那、頭上で一体のハーピーが鋭く羽ばたく。その音に導かれるかのように、地上にいたハーピーたちも慌てた様子で羽を打ち、掠れるような鳴き声を漏らしながら、急ぎ空へと飛び立った。
その動きは滑らかというよりも、混乱した群れが衝動で飛び立つような、荒々しいものだった。
「群れ全体がついていきやがったッ!」
「まずい……!」
一人の隊員が叫び、咄嗟に銃を構えた。
照準の先には、空高く舞い上がるハーピー——
その脚には、隊員・浅田の体がしっかりと抱えられている。
「くそっ……!」
隊員の手がトリガーにかかる、その瞬間——
「よせッ!!」
喜久田の怒号が森に響いた。
「撃つなッ! 浅田に当たるッ!!」
だが、隊員の指はトリガーから離れない。
照準の先、空高く舞うハーピーの脚には、浅田の身体が抱え込まれている。
「……しかし、あのまま逃がしたら……! 浅田が連れ去られる……!」
「落ち着けッ!!」
喜久田が怒鳴り返す。
その声音には、焦りよりも判断を優先する意志の強さが滲んでいた。
「誤射のリスクが高すぎる。しかも、あの高度じゃ……命中したとしても浅田が危険だ!」
隊員の額に汗がにじむ。
引き金にかけた指が、震えたまま動かない。
「……くそ……!」
銃口が、下がった。
その瞬間、上空ではハーピーたちの羽音が強まり、森の空へと完全に姿を消していった。
銃口はぎりぎりのところで下ろされ、隊員の肩がわずかに揺れる。
その間にも、ハーピーたちは鳴き交わしながら、空の彼方へと消えていった。
木々の隙間から見える、最後の羽音——
浅田隊員の姿は、もう手の届かない距離まで離れていた
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喜久田が怒声を飛ばす。
「空域確保! 攻撃の許可はまだだ、撃つな!」
命令を受け、隊員たちは咄嗟に銃口を上げ、頭上の空を注視する。
高く昇っていく人影と、それを追い立てるように乱れ飛ぶ羽音。
攫われた浅田の姿は、すでに木々の頂を越え、見失いかけていた。
隊員が息を呑みながら呟く。
「…ちくしょう…ダメだ…もう見えなくなった。」
科学調査員が、震える口元を押さえながら言葉を紡ぐ。
「……これは……興味深い。いや、深刻です。あの攫った個体、群れの意思とは別に動いた……その可能性があります……。でも、結果として——群れは、それに従って動いた……」
「だったら、あの一匹が勝手にやったってことか……?」
考察を聞いた隊員が怒気を滲ませた低い声で言う。
そして、特に隊長への接触が強かったあの大型個体も、しばらく上空を見つめてから、一度だけ低く鳴いた。
その瞳には一瞬迷いがあった。
だが、それも束の間のこと。
彼女は大きく翼を広げ、ためらいを振り払うようにして飛び立った。
別の隊員が感情を滲ませながら怒鳴る。
「考察は後だ!今は救出が最優先だッ!」
喜久田の眉間に深い皺が刻まれる。
そして、静かに言った。
「……司令部に報告するぞ。状況は変わった——もはやこれは交流どころじではなくなった。」
誰も反論はしなかった。
誰も、言葉を発せなかった。
風が抜ける。
あれほど静かだった森が、今は隊員たちの息づかいと、木々のざわめきで満ちていた。
焦りと、後悔と、次に来る行動への苛立ちが、誰の顔にも張り付いていた。
【記録終了】