異界にて、雄は資源と化す    作:Henon

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プロローグ② 特地調査隊

半月後

 

日本が『異世界に転移した』と認めざるを得なくなったのは、転移から約数日後のことだった。

だが、『それ』をようやく骨の髄まで理解しはじめたのは、転移から約半月が経過した、この時だった。

 

その不安は漠然とした影の形を取り、静かに政府中枢へと染み込んでいた。

 

日本は、確実に世界から断絶された。

それは、外交的な孤立ではない。

物理的に、地理的に、そして世界に――地球という星から外されたという事実そのものだった。

 

そして政府と国民の心を最も深く抉った事実は、異形の怪物でも、未知の種族でもなかった。

 

それは、『資源の限界』という、静かで冷ややかな現実だった。

 

霞ヶ関では、各省庁の長が顔をそろえ、緊急調査と対策会議が連日繰り返されていた。

早急に命じられたのは、「物資の確認」であった。

すなわち、国家が『どれほどの孤立に耐えられるか』という、国家としての体力測定である。

 

石油備蓄260日分。

数字だけを見れば、それは確かに「余裕」があるように思える。

 

だが現実には、それは戦後型平和国家の限界を表すものだった。

この数字はあくまで、国際供給が一時的に止まった場合の『時間稼ぎ』を目的に設計されたもの。

そして何より――この世界において、国際供給という概念そのものが消え失せていた。

 

海運も、港湾業務も、相手が存在しない。

 

あるはずだった未来は、すでに死んでいたのだ。

それに代わる何かは、まだ生まれていなかった。

 

各地域では発電は続いていた。

全国の送電網は生きており、コンビニにもまだ明かりが灯っていた。

スマートフォンの充電ができ、信号機も動き、水道も蛇口から出た。

だがそれは、あくまで『惰性』に過ぎなかった。

 

いつ切れるかわからない電気。

それは、音もなく、だが確実に、国民と政府を追い詰めていった。

 

⸻

 

そして特に問題だったのは――食糧だった。

 

電気よりも、通信よりも、法の支配よりも、

人間が生きるために最も根源的で、最も現実的なもの。

それは、水と食料だった。

 

水はまだ出ていた。浄水場も動き、山々の湧水もまだ枯れてはいない。

だが食料は――輸入されないという、ただその一点が、すべてを破壊した。

 

日本の食料自給率は、カロリーベースでわずか約38%

すなわち、「国民全体が一日三食を食べる」という前提は――この国の中だけでは、最初から成立していなかった。

 

麦も、大豆も、飼料も、油脂も。

パンの香りも、ラーメンのスープも、弁当の中身も――

そのほとんどが、「外から来る」ことを当然として組み込まれている。

 

その“当たり前”が崩れ落ちたとき、静かに、確実に、「飢え」という言葉が意味を持ちはじめた。

 

全国の農業地帯では、既に種子と肥料の配給計画が始まっていた。

だが、即座に結果が出るわけではない。

農業には「季節」がある。

播種の時期、収穫の時期、それらは自然の時間に縛られている。

 

今、何を植えられるのか。

今、何をどこまで育てられるのか。

そして、それを誰に食わせるのか。

 

かつて「飽食の時代」とまで言われた日本が、突如として、『配給の時代』の足音を聞きはじめた。

 

これらの危機的な状況の中で、政府はもはや動かざるを得ないという段階を超えていた。

迅速に、苛烈に、あらゆる手段を講じることが――国家の存続条件となったのだ。

 

まずなされたのは、情報の統制だった。

「不安を煽らないため」という名目で、各種統計の公開は遅延され、備蓄や食料輸入の停止に関する報道は次第に影を潜めていった。

 

民意の動揺を抑えるための措置だった。

 

そして第二に決定されたのは、外への進出である。

転移以来、海岸線の彼方には、異様な地形と、見慣れぬ動植物が姿を見せていた。

 

航空自衛隊の偵察により、日本列島の東の方向には、かつてのユーラシア大陸に置き換わるように大規模な大陸――すなわち新大陸の存在が確認されていた。

 

「探索」ではなく、「進出」。

「外交」ではなく、「確保」。

 

それは、世界規模の孤立という現実に追い詰められた政府が、ようやく絞り出した『生き残るための答え』だった。

 

新たな資源、新たな土地、新たな接触先。

たとえそこに未知の脅威があろうとも、日本にはもう、選べる道など残されてはいなかった。

 

こうして、異世界進出計画は正式に発足した。

陸海空の各自衛隊から選抜された精鋭から各分野の研究者、外交官、文化人類学者、生態系の専門家、医官まで――

あらゆる未知に挑むための総力が静かに揃えられていた。

 

そして一つの組織が静かに立ち上がることになる。

 

その名は――

特地調査隊(Special Territory Force)

 

略して、STF。

 

まだその存在を知る者は限られていたが、やがてこの部隊は、日本という国家の未来そのものを担うことになる。

 

「進出」は、「侵入」と呼ばれるかもしれない。

「調査」は、「侵略」と解釈されるかもしれない。

 

だが、日本にとっては、それが最後の希望だった。

 

⸻

 

東方洋上、某海域。

 

灰色の海を割って進むのは、かつての第4護衛隊群を中核とした特設艦隊であった。

 

中心に位置するのは、多機能運用護衛艦〈かが〉。

かつては「いずも型」として知られた空母型艦艇であり、現在はV-22オスプレイとSH-60K哨戒ヘリを複数搭載し、陸上自衛隊の先遣部隊とともに異世界への展開を担う航空母艦として機能している。

 

「かが」の周囲には、複数の護衛艦が防衛陣を形成していた。

その周囲を固めるのは、イージス艦〈まや〉〈はぐろ〉。

長距離対空・対艦ミサイルを備え、艦隊全体の防空・統制を司る艦である。

衛星リンクを喪失した今、イージス・システムの能力は限定されている。

だが、それでも彼らは「最前線の目」として洋上の警戒を続けていた。

 

さらに、汎用護衛艦〈あさひ〉〈さみだれ〉〈むらさめ〉。

ソナーを駆使して潜航目標を監視し、対潜戦闘の主役として運用されていた。

 

補給艦〈ましゅう〉は艦隊からやや離れ、定点維持に努める。

重油、真水、そして最後の航空燃料――どれも一滴が生命線であった。

 

この艦隊は、既に制空権も、制海権も「自ら確保せねばならない世界」に足を踏み入れている。

それでも身を乗り出し、外へと足を進めなければならない。

日本という国家の生存圏を広げるために。

 

 

艦橋からは、連絡士官の声が一斉に飛び交っていた。

 

「03番エレベーター上昇完了、V-22第2機、甲板移送開始」

 

「海象安定、風速8ノット、甲板運用条件クリア」

 

その全ての報告が交錯する中、V-22オスプレイが、甲板上でうなりを上げていた。

垂直離着陸を可能とするチルトローター機のローターが、深く重い風を起こし、甲板の整備員たちのNBCスーツをはためかせる。

 

風の中、誘導員がオレンジのスティックを高く掲げ、離艦を指示した。

 

「01、クリア。ローンチ可――」

 

低く、重い唸り音と共に、オスプレイがゆっくりと甲板を離れた。

 

護衛艦「かが」の飛行甲板を、鋼鉄の機体がわずか数秒で浮き上がる。

その下で、艦体全体がかすかに軋んだようにさえ感じられた。

 

先遣部隊を乗せたオスプレイは、異世界上空へ向けて静かに上昇を始めた。

 

続いて、02機、03機がそれぞれの格納庫から昇降し、順次ローターを始動させてゆく。

 

艦橋では、航空運用士が静かに呟く。

 

「……帰ってこいよ。全機、無事に」

 

洋上に広がる曇天。

そこに向かって、一機、また一機と、日本の鋼鉄の意志が羽ばたいていった。

 

 

『こちら〈かが〉CIAT。STF-1、航法・気象クリア。誘導完了。離陸を許可する』

 

コクピット内では、パイロットがヘルメット越しに通信を受けていた。

艦橋の航空管制とのやり取りが、電子音とともに始まる。

 

「〈かが〉CIAT、こちらSTF-1。離陸する」

 

『STF-1、こちら〈かが〉CIAT。全条件クリア。新大陸座標、ベクター033を指示。出発後はステータス報告を三〇分間隔で行え』

 

「こちらSTF-1、了解」

 

パイロットがスロットルを押し出す。

メインローターが高音をうねらせながら可変し、機体がゆっくりと浮上する。

艦の甲板が遠ざかり、洋上の風とローターの風が混ざって吹き上がる。

 

一方機内は、ローターの唸りと金属が震えるような低音に包まれていた。

V-22オスプレイの内部――無骨なアルミ合金の壁に隊員たちが並び、ヘルメットとガスマスクを装着しながら黙々と装備の最終確認を進めている。

カラビナがぶつかる金属音、マガジンを指で弾く音、無言のうなずき。

誰もが黙っていた。ただ、呼吸だけが、機械のように繰り返されていた。

 

自衛官、研究者、技術者、医者――

各分野の現場から緊急招集された精鋭たち。

だがその『精鋭』という肩書が、今はかえって彼らを静かに追い詰めていた。

 

ある者は祈っていた。

軍手越しの指先を固く組み、唇を閉じ、それが神仏なのか、家族なのか、あるいは「帰ってこれますように」という本能的な願いなのかすら、自分でもわからないまま。

 

ある者は考えていた。

可能性として存在する感染症。未知生物との接触手順。通信手段の喪失。

出発前に机上で叩き込まれたリスクは多すぎた。

そしてそのどれにも、「実例」が存在しないという絶望的な事実が、彼の額に冷や汗をにじませていた。

 

そして、何より多かったのは――不安になる者たちだった。

 

隣の席に座る若い陸自の三等陸曹は、携帯食糧のパッケージを手のひらで弄びながら、何度も、意味もなく成分表を眺めていた。

炭水化物、タンパク質、保存期限。

それらが、今の自分に何をもたらすのかは分かっていない。

ただ、目を落とす何かが欲しかった。

 

誰もが似たような仕草をしていた。

 

手元の装備をいじり、銃のストックを撫で、メモ帳の端を折り返す。

それが情報でなくとも、『確認』という行為が、不安を押し込める唯一の手段だった。

 

「異世界」――

 

その言葉だけが、滑走路のアスファルトを離れる前から独り歩きしていた。

現地の情報を完全に把握しきれぬまま、彼らは今、密閉された機内に座っている。

 

それはまるで、目隠しをされて深海に沈められるような移動だった。

 

⸻

 

窓の外――

斜めに傾いた視界の中、護衛艦の甲板がゆっくりと遠ざかっていく。

艦橋、レーダードーム、整列するCIWSとミサイルランチャー。艦番号のペイント。

灰色の鋼鉄が、薄曇りの空と海の狭間に沈んでいく。

 

その艦隊は、日本が誇る最後の防衛線――

巨大な鋼鉄の艦列が、無言のままに海を見送る。

 

その光景を、ただじっと見つめている男がいた。

 

誰にも気づかれぬように、背を少しだけ丸め、じっと眼下を見つめるその瞳には、今や触れることのできない「当たり前の生活」が淡く焼きついていた。

 

その背に、低く声がかかった。

 

「……小田。大丈夫か?」

 

機内の暗い照明の中、その言葉は耳元で静かに落ちた。

隣に座るのは、年配の二等陸曹――川原だった。

幾度もの海外派遣と災害派遣、救援任務をくぐってきた歴戦の男。

言葉数は少ないが、無言のまなざしには訓練された鋭さと、人としての温度が宿っていた。

 

小田は、声の主を見ずに少しだけ頷いた。

けれどその仕草は、「大丈夫だ」と言い切るようなものではなかった。

 

川原はそれ以上、何も問わなかった。

あえてそうしたのだ。

気休めや激励が、いまは無意味であることを、この男は誰よりも知っていたからだ。

 

小田は視線を窓の外に戻した。

だが、自衛隊の艦隊の灯はどこにもなかった。

雲の層がすべてを呑み込み、いま見えるのは灰色の虚空だけだった。

 

「大丈夫ですよ……」

 

小田はようやく、川原に応えるように小さく言った。

けれどその声は、かすれていた。

口元は笑っているようで、しかし目だけは笑っていなかった。

 

それを見て、川原はそっと目を伏せた。

彼もまた、答えを返さなかった。

 

そして誰もが、その沈黙こそが今のすべてだと理解していた。

 

V-22の機体がさらに上昇する。

雲の層を抜けたその先にあるのは、既知の世界の外縁。

そこには地図も、常識も、味方も存在しない。

 

ただひとつあるのは、国家の命令だけだった。

 

その命令に、希望があるのか、あるいは死があるのか――

誰にも分からなかった。

 

⸻

 

機内無線が短く軋んだあと、操縦席から冷静な通達が入る。

 

『全隊員に告ぐ――新大陸到着まで、残り10分』

 

わずかに身じろぎする者、無言で拳を握る者。

それぞれが、それぞれのやり方で覚悟をかき集めていた。

 

だが、その中で――

 

「――全員、聞けッ!!」

 

機内の騒音を突き破るように、隊長の怒声が炸裂した。

鋼のような怒鳴りではなく、それは統制だった。

心を掴み、命を縛り上げるような、現場指揮官の絶対の響き。

 

「新大陸接地まで、あと数分だッ!目の前に広がるのは、人類史上、誰も足を踏み入れたことのねぇ『未知』だッ!」

 

全員が、無意識に背筋を正す。

頭上のランプが黄色に点滅し、降下までのカウントダウンが始まっていた。

 

「フィルター密閉、弁作動、破損の有無――必ず確認しろッ!一人のミスが隊全体を道連れにするッ!」

 

隊員たちが一斉にガスマスクのストラップを握り、顎紐を引き締める。

重い空気が、酸素の残量とは別の意味で胸を圧迫する。

 

「第一小隊は着地後は扇状に警戒展開!敵影がなくとも気を抜くなッ!我々が相手にするのは、エイリアンでも人間でもねぇ――未知そのものだッ!」

 

機内の照明が一瞬、警告のように赤く染まった。

地表が近づいている。機体の振動がさらに強くなる。

 

「……非戦闘員は俺の指示があるまで“絶対に”動くな!」

 

機内に、着地警報のアラートが点灯する。

そして、隊長は最後に、ただ一言を絞り出した。

 

「――いいか、全員生きて帰るぞ」

 

無慈悲なローターの音が、その言葉を押し流していく。

だが、誰もがその声を、胸の奥に焼きつけていた。

 

ランプが赤から黄色へ――そして、緑へ。

そして、最後の指示が飛んだ。

 

「――STF-1、前進ッ!」

 

重い機体のハッチが、ゆっくりと開いていく。

そこには、もう地球ではない――『新たな大地』が広がっていた。

 

⸻

 

乾いた風が、静かに草の丘をなでていた。

曇天の空の下、湿り気を帯びた空気が、低くうなるように流れていた。

 

その丘の上、割れた岩陰に身を伏せるようにして、複数の影が静止していた。

 

鱗。長く分厚い尻尾。重い胸郭。

ドラゴニュートの雌たち。

まるで彫像のように動かぬその姿は、獲物の出現を待つ捕食者のものだった。

 

「……クルゥ……」

 

一体が、わずかに鼻面を持ち上げ、前方の空を指差すように爪を動かす。

風に混じって、遠く回転音が響いてきていた。

 

――来る。鉄の風が。

 

やがて、曇天を裂くようにして現れた異形の飛行体。

V-22オスプレイが、うねるような音と共に低空を滑るように飛来し、ゆっくりと速度を落としていく。

 

「グル……ルル……」

 

最も年若い個体が、小さく唸り声を漏らす。尾が無意識に左右に揺れている。

その目が何かに吸い寄せられるように見開かれていた。

 

鋼鉄の腹が開き、灰緑色の何かを身につけた一団が次々と地上へと吐き出された。

 

その動きは鋭く、無駄がない。全身に硬質な外殻のような装備を纏いながらも、その中に確かな「意志」と「秩序」を感じさせる動きだった。

ドラゴニュートたちは一瞬、まるでそれが別種の獣かのように目を細め、身を低くした。

 

「クルゥ……?」

 

年若い個体が、喉の奥を震わせた。

だが次の瞬間、全員が同時に身体を強張らせる。

 

――匂いだ。

 

遠い距離を隔てているにも関わらず、風に乗って漂ってきたその“匂い”は、彼女たちの鼻孔を容赦なく刺激した。

甘く、濃く、渇きを誘う。

 

隊長格の雌が、無言のまま、ゆっくりと目を見開いた。

 

「……クル……ル……」

 

まさか、と思った。

だが、確かにそこにいる。しかも、一体や二体ではない。

 

あの鉄の箱――飛行体から降りてきた者たちのうち、全員が『雄』だったのだ。

 

その匂いは、明らかに異質だった。

この世界のどの雄とも違う、濃密で、暴力的ですらある香り。

フェロモンの塊のような存在が、群れを成して接近してくる。

 

「ク、クルゥ……ルルル……ッ」

 

若いドラゴニュートの雌が、反射的に一歩、前に出た。

彼女の瞳は潤み、口元から涎が零れていた。

理性では抗えない何かが、下腹を疼かせ、喉を鳴らさせていた。

指が痙攣し、爪が地面を引き裂く。

尾がぐねぐねと揺れ、思わず前足を踏み出す。

 

だが――

 

バチィッという音を立てて、横合いから尾が振るわれた。

 

「グルルッ!」

 

隊長格の雌が、その若い個体の顔面を勢いよく打ったのだ。

若い雌は呻き声をあげ、尻餅をついて地面に倒れる。

 

視線がぶつかる。

隊長の目は、獣のそれではなかった。意志と規律の塊。

だがその瞳の奥にも、ほんのかすかに――爛れたような欲望の色が、隠し切れず滲んでいた。

 

「……クル……」

 

押し殺した声で、隊長は喉を鳴らした。

「まだだ」と言わんばかりに、顎を引き、尾を地面に打ちつける。

 

群れの中の空気が、震えた。

欲望を飲み込むことでしか保てない静けさだった。

 

風が再び吹き抜ける。

男たちの匂いが、さらに濃く運ばれてくる。

 

そのたびに、彼女たちは無意識に鼻を鳴らし、喉を鳴らし、尾を地に叩きつける。

 

それはまるで――発情した猛獣が、檻の中で足音を刻むような音だった。

 

⸻

 

降着後の展開指示が飛び交う中、砂煙の舞う着陸地点で、一人の隊員が息を潜めるようにして周囲を警戒していた。

 

小銃を肩に据え、銃口の先――光学サイトのレティクル越しに、異世界の大地をなぞる。

視界には、風に揺れる灌木、起伏のある赤土、そして……何か、いた。

 

「……ッ、あれは……っ?!」

 

隊員の声がかすれる。

 

茂みの陰、わずかに開けた空間に――それは立っていた。

 

2メートルに迫る巨体。しなやかで肉感的な肢体を持ち、肌は白く、爬虫類のような質感。

そして、艶やかな人間の女性の顔立ちを持ちながら、瞳は猫のように縦長だった。

 

その個体と、視線が――合った。

 

「……ッ……ッ!」

 

ドラゴニュートの双眸が、射抜くように揺れた。

一瞬、その肉体が微かに震え、尾がゆるりと持ち上がる。

口元が開き、音にならない喉鳴りが、風に溶けた。

 

距離はある。

だが、それでも隊員ははっきりと『見た』

 

――彼女が舌で、自分の唇をベロリと舐めたことを。

 

「あのっ……な、なんだあれ……!」

 

隊員は無線を握りながらも、銃を構える指が汗で滑りかけるのを感じた。

 

その向こうに、さらに複数のドラゴニュートの影が動いた。

巨大な女たちの群れが、こちらをじっと観察している。

 

明らかに『敵意』はない。

だが、『それ以上の何か』が――はっきりとある。

 

奇妙な静寂。

銃口の向こうで、捕食者の瞳が瞬きもせず、こちらを見ている。

 

それは獣ではなかった。だが、人間でもない。

 

その何かが、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 

隊員の頬を、一筋の汗が流れる。

 

そして――緊張が張り詰めたその刹那、隊長の怒号が響いた。

 

「――目を逸らすなッ!撃つなよ、撃つな……敵意はまだ、確認されていないッ!」

 

だが、誰もがわかっていた。

これは、「敵」かどうかという問題ではない。

 

異常であり、異様であり、それでも目を離せない、何か。

 

未知と、情欲と、危険とが、重なっていた。

 

――本能の奥底で、何かが、静かにざわめいた。

 

⸻

 

この日、日本は、彼女たちと接触した。

 

それは友好的なのか敵対的なのか定かではない。

ただ、日本は踏み込んでしまったのだ。

性愛と暴力と差別が、あたりまえのように息づくこの『世界』へと。

 

誰もがまだ、その深さを知らなかった。

この異様な世界で、日本がどう在り、どう抗い、そして、果たして――生き残れるのか。

 

その問いの答えを、知る者はいない。

 

だが、歴史はこの瞬間を記すだろう。

「最初の接触」として。

そして、終わりの始まりとして。

 

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