5日目、危機と救助隊
5日目の朝。
彼女たちは変わらず密着しながら眠っていた。
肌に伝わる柔らかな体温、かすかに震える長い睫毛——。
もう、この状況が“日常”になりつつある。
最初は逃げることばかり考えていた。
だが、今では彼女の抱擁の中で目覚めることが当たり前になっている。
「……っ」
受け入れつつある自分に焦りを覚えた俺は、なんとか抜け出そうと体を僅かにずらす。
すると、彼女の腕と脚が反射的に俺を引き寄せた。
「キュ……」
半分眠ったままの声が喉の奥から漏れる。
彼女の息が俺の首筋にかかり、細い指が俺の腕を撫でた。
「…。」
彼女達に囚われてから、俺の中の何かが変わり始めている気がした。
あまりにも非日常の連続で、考えがおぼつかなくなる。
しかし、人間は非日常が続いても慣れるようにできているのか、それとも自分が鈍感なのか…俺は今まで気にしていなかったが、改めて彼女達の服装…いや身体にどうしても意識が向いてしまう。
そう、ハーピーは一切の衣服を身につけていないのだ。
彼女達にとっては、それが当たり前なのかもしれないが——
俺にとっては未だに慣れない光景だった。
特に、毎晩こうして密着されていると、その意識が無理やり麻痺してしまいそうになる。
一糸まとわず、当然のように俺の体に寄り添い、肌を押し付けてくる彼女たち。
今、俺の胸に顔を埋める大型個体が、俺の思考をさらに狂わせる。
「……」
彼女の胸が服越しに押し付けられ、肌の温もりがじかに伝わる錯覚を覚える。
「……っ」
これ以上の雑念を生み出さない為に、そっと腕を動かそうとした。
だが、その瞬間。
彼女の指が、俺の手を握る。
「キュル……」
寝ぼけた声が響く。
細く長い指が、俺の手を撫でるように絡みついた。
その仕草が、あまりにも自然で——
俺は、抗うことを一瞬忘れてしまった。
「……おい」
そう呟きながらも、俺の手は動かなかった。
いや、違う。俺自身が動かさなかったんだ。
——そのまま、彼女は俺の腕を自分の胸へと導き、そっと押し当てた。
「キュゥ……」
彼女の喉が甘く鳴る。
まるでそれが当たり前のように、心地よさそうに目を細めた。
柔らかさと彼女が発した声に混乱する。
俺は——何をしている?
彼女達と馴れ合う暇はないだろう。
今こうしてる間にも救助隊が必死の捜索をしているはずだ。
慌てて手を引こうとした。
だが、その前に彼女の手が俺の腹へと触れる。
指が軽く滑り、服越しに俺の腹を撫でた。
今までにない動きに、俺の心臓は跳ねた。
「キュ……」
彼女が額を俺の胸に押し付ける。
それはまるで、親愛を示す仕草のようだった。
思い返せば、彼女たちは「客」としては迎え入れなかったが、最初から敵意を持っていなかった。
俺は、捕らえられ、囲い込まれた。
しかし、それは「客」や「敵」としてではなく——
そう思い詰めてる間にも彼女の腰が、胸が、全身が俺に密着する。
まるで逃げられないようにするかのように。
「…なあ」
思わず声を上げた。
だが、自分でもわかる。辞めさせようとした声にはあまりにも弱々しかった。
「キュ……」
彼女がじっと俺を見つめる。
黄金色の瞳が揺れる。
その瞳に吸い込まれそうになった。
頭が回らない。
5日間もこんな生活をしていたら、何が正常で何が異常なのか、境界が曖昧になってくる。
ハーピーたちは、獣人のようでありながら、異様なほど女性的だった。
それに、俺の周りにいるのは全て雌(雌の様な雄もいるが)
——俺を囲い込むように、寄り添い、甘えるように、または激しく接してくる。
……俺の理性が、本当に試されている気がする。
————
彼女の指が俺の腹に触れたまま、しばらく動かない。
だが、それは決して静けさを意味するものではなかった。
むしろ、その時間こそが、俺の心をかき乱す。
——理性を保て。欲望に身を任せている場合ではない。
そう自分に言い聞かせながらも、心臓は次第に速くなる。
この五日間、俺はずっと彼女の体温を感じ続けてきた。
そして今も変わらず、それはすぐそばにある。
彼女の柔らかな肌が、俺の服越しに押し付けられる。
むき出しの太ももが、俺の腰に絡みつくように密着している。
長くしなやかな翼が、俺の腹を撫でる。
「キュ……」
甘えた声を漏らし、俺の匂いを嗅ぎながら喉を鳴らす。
——このままでは、俺は本当に捕らえられてしまう。
俺は強引に意識を切り替えようとした。
少しでも距離を取るために身じろぎする。
しかし、それを察した彼女の手が、俺の肩を掴んだ。
まるで「逃がさない」と言うかのように。
「……っ」
腕に力が込められ、俺は押し倒される形になった。
黄金色の瞳が、俺を見下ろす。
その瞬間、俺の理性が揺らいだ。
「キュゥ……」
彼女は、求めるように俺の頬に鼻を押し付ける。
長い睫毛が、俺の肌を掠めた。
俺は必死に目を逸らそうとする。
だが、それすら許されない。
彼女の翼が広がり、俺を覆うように包み込む。
柔らかく、しかし絶対的な力を持つその羽。
逃げ場はない。
「……」
俺の身体は緊張で硬直する。
だが、同時に——俺の腕はまだ彼女の胸に触れているままだ。
——俺の意思とは別に。
今なら、まだ振り払えるはずだ。
彼女の翼を押し返し、立ち上がることもできる。
しかし、俺は、俺は…
「……キュゥ」
彼女の指が、俺の胸を撫でた。
次の瞬間、俺の中で何かが弾ける音がした。
「……っ!」
俺は反射的に、彼女の背中を抱いていた。
——違う。
俺は、そんなつもりではなかった。俺はこんなことしたくない。
だが、気づけば俺の手が、彼女の腰を引き寄せていた。
彼女の肌が、俺の服越しに密着する。
胸が俺の肩に押し付けられ、彼女の息遣いが耳元に響く。
「……キュ……」
彼女が小さく喉を鳴らし、俺の首筋に鼻を押し付ける。
深く息を吸い込んだ後——
唇が触れた。
「……っ!」
思わず身体が跳ねる。
それはこれまでの「確認」ではなかった。
ああ…もうダメだ。
ああ、こいつが、こいつらが悪いんだ…
何日も監禁して、好き放題にして、全部こいつらが悪いんだ。
だったら俺も——
「キュッ……?」
溢れ出てくる下劣な獣の思考に任せた行動は早かった。
またがる「女」の腰を更に自身の身体に抱き寄せた。
俺が急に彼女の腰を引き寄せたことで、彼女は小さく鳴き声を上げた。
だが、それは驚きの声というよりも、むしろ期待に満ちた響きを帯びていた。
先程よりも密着する身体、絡みつく指、甘く囁く声。
その全てが俺を追い詰めやがる。
その思いを見透かしたかのようにこのハーピーはこちらを見つめ微笑んだ。
そして俺の口に狙いをつけたのだろう…その口から舌を出し、俺の口内へ入れようとしている。
もう、責任も欲望も全て押し付けてしまおう。
…それでいい。そう思い、俺は受け入れるように口を開いた。
ハーピーの舌が俺の口内に入ってくるその時だったーー
「キュル……?」
最初に気づいたのは、それまで寝ていた小型個体だった。
巣の端にいた彼が違和感を覚え、上空を見上げる。
見上げた先に映ったのは複数の小さな物体が高速で巣に接近している姿だった。
ハーピーたちは、まず戸惑うようにその物体を見つめた。
それは今まで見たことのない、羽も持たぬ異形の飛翔体だった。
「キュルルルッ……!」
他の個体たちも騒ぎ出す。
突然の侵入者に対し、彼女たちは明らかに緊張していた。
「……」
突然の事に先程まで込み上げていた感情は消え、何が起きたのかと巣の外を確認した。
俺にまたがっていた大型個体は先程までの雰囲気を一変させ、未だ上空を飛び交う「何か」を睨みつけた。
——あれは、ドローンだ!
ドローンは、巣のすぐ上を低空で飛び回りながら、ハーピーたちの注意を引いている。
そして、彼女たちは完全にそれに気を取られつつあった。
「キュアアッ!!」
数秒の間を置いて、先陣を切ったのは大型個体だった。
彼女は勢いよく翼を広げ、威嚇の声を上げながらドローンへ向かって飛び立つ。
それを合図に、他の個体たちも次々と追撃を開始する。
だが——小型個体だけは、じっと巣の中に留まっていた。
巣にいたハーピーたちは、一斉にドローンを追い始める。
彼女たちは爪を振り上げるが、ドローンはそれを見切り、軽やかに回避する。
「キュッ!?」
狙いを定めた爪が、ほんの数センチ届かない。
それどころか、ドローンはそのまま旋回しながら、巣から遠ざかるように飛行経路を変えた。
「キュアアア!!」
ハーピーたちはさらに加速し、完全にドローンへと意識を向ける。
——今だ。
ハーピー達は、ドローンの撹乱に夢中になっている。巣にいる個体が少なくなれば脱出の可能性は必然的に高くなる。
しかし、問題は…
小型個体だった。
ほとんどの個体はドローンに向かっていったが、小型個体だけは巣に残っている。
「キュル……」
彼女は怯えたように俺にしがみつく。
もしかすると、彼女はここが安全だと信じているのかもしれない。
それとも、俺をここに引き止めようとしているのか……。
「……」
彼女は俺の腕をぎゅっと握りしめたまま、外のドローンの動きをじっと見つめていた。
しかし、その表情は他の個体たちとは違う。
「……なんで、お前だけ行かないんだ?」
俺が問いかけても、彼女は答えない。ただ、震える指先で俺の服を掴むだけだった。
だが、もう迷っている暇はない。
ここにいれば、いずれハーピーたちは戻ってくる。今が唯一の脱出のチャンス——。
しかし、彼女の翼は、微かに震えていた。
それは恐怖なのか、それとも俺を引き止めるためなのか。
「キュ、キュウ……」
彼女はこちら安心させようとしてるのか、無理に微笑んでいる。
…その姿をみて罪悪感を感じた俺は頭を振った。
今は、俺にとっては絶好の機会だ。
巣の外にはもう敵はいない。今すぐ走れば、逃げ出せる可能性が高い。
「……」
俺はゆっくりと彼女の手を振りほどこうとした。
「キュアッ!」
彼女の小さな手が、俺の腕を必死に引き寄せる。
指が震え、爪が食い込むほどに——まるで、俺がここから消えてしまうことを恐れているかのように。
「……っ!」
黄金色の瞳が、不安げに揺れた。
言葉では伝えられないのかもしれない。
だが、その瞳は確かに訴えていた。
——ここにいれば、安全だ、と。
だが、俺にはそんな考えに付き合っている余裕はない。
今が、唯一の脱出のチャンスなのだ。
その時。
外で閃光が弾けた。
眩しさに目を細めた瞬間、周囲から悲鳴のような鳴き声が次々と響く。
———ドローンが閃光弾を発射したのだ。
閃光弾が炸裂した瞬間——
辺りが一瞬、純白に染まった。
直後、鋭い炸裂音とともに、ハーピーたちの悲鳴が響き渡る。
「キュアアアッ!!」
直撃を受けた個体は悲鳴を上げ、翼を閉じながら急降下する。他の個体は衝突し、空中は混乱に陥った。
一方、遠くにいた個体は光の余波に驚きながらも、必死に高度を維持していた。
しかし、全体としての統率は完全に崩れ、空中は混乱に満ちた。
結果としてハーピーたちの動きは鈍くなり、統率が乱れたかのようにバラバラに飛び回り始めた。
——ドローンの撹乱は成功している。
「……!」
ーーー行ける!
俺はすぐさま立ち上がろうとした。
しかし、その瞬間——
ギュッ!!
再び、小型個体が俺の腕を握りしめた。
「……おい!」
今度は、俺の手を引っ張るのではなく
強く抱きしめるように、俺の腕にしがみついた。
「キュル……」
小さな声が震える。
「……っ」
彼の善意であろう感情に心が痛むが、同情している暇はない。
ドローンがハーピーたちを引き離してくれている間に、俺はここを出なければならない。
「……離してくれ」
そう言いながら小型個体の手を振りほどこうとした、その時だった。
———地響きのような振動音が、遠くから迫る。
最初は、ただの風の音かと思った。
しかし、その音は次第に大きくなり、地面を揺らし、空気を震わせる。
「……!」
小型個体も異変を察知したのか、耳を動かし、不安そうに周囲を見回す。
その瞬間——
突如、強烈な突風が巣を襲った。
空気が一変し、轟音が耳を劈く。
反射的に目を細めた俺の視界に映ったのは、低空を旋回する暗緑色の機体
——UH-60JA多用途ヘリコプター。
「……っ、来た!」
回転するローターの風圧が俺の髪を乱し、巣全体を激しく揺らす。
その風圧に驚いたのか、小型個体は身を守るように自身の羽をすぼめる。
それでも、俺は目を離さなかった。
「陸上自衛隊」のマーキング——
一瞬、呼吸を忘れるほどの安堵が胸を満たす。
だが、それ以上に、今ここから離れられるという事実が俺の思考を支配した。
——救助部隊が、ついに迎えに来たのだ。