異界にて、雄は資源と化す    作:Henon

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接触記録その2 録画記録

以下当時の接触記録の会話記録である

 

特地調査部隊 第一分隊(STF-1)隊長 佐藤 啓介

 

【記録開始】

 

カチリ。

 

録画端末の小さな作動音が、霧の深い森林の静寂を割った。

それは誰の声よりも先に響き、この任務が正式な記録に刻まれたことを告げる合図だった。

 

林床を這う霧は、時間が止まったかのように濃く、重たく沈み込んでいた。

その静寂は不自然だった。風も音もなく、まるで森全体が呼吸を止めているかのような、生き物の気配すら拒む沈黙。葉擦れの音ひとつ聞こえない。動物の姿はおろか、昆虫すら感じ取れなかった。

 

STF-1はその沈黙の中を進んでいた。

 

小隊の進行は慎重だったが、どこかぎこちなかった。誰もが無言のまま、目線だけを動かしていた。銃口は地面へ向けられてはいるが、隊員たちの指はすでにセーフティの上にかかっていた。

 

その時だった。隊列の先頭、隊長・佐藤啓介が立ち止まる。

靄の中、輪郭だけが浮かぶ彼の姿が、右手をゆっくりと挙げた。

 

全員がぴたりと動きを止める。整然とした静止。

だが、その場の空気は、確実に一段階、冷えた。

 

佐藤はゆっくりと霧の奥を見据え、しばし無言のまま立っていた。

その目の奥にあるのは確信だった。「近い」――隊長はすでに、その空気を肌で感じ取っていた。

 

そして、低く、重く、命じた。

 

「……全員。装備を再度、チェックしろ。――ここは、前回の接触地点に近い」

 

その声音には、指揮官としての平静と、経験者としての覚悟が滲んでいた。

決して大きくない声だった。だが、言葉のひとつひとつが、地面に杭を打ち込むように深く、隊員たちの胸に落ちていく。

 

誰も冗談を言わない。誰も口を開かない。

無言のまま、全員が念入りに装備を確かめていく。

 

――そして、その沈黙の中。

ほんのわずかな違和感が生じた。

 

柳田隊員が、わずかに顔を上げた。

目線が霧の奥を射抜くように凝ったまま、動かない。

 

「……?」

 

その変化に、周囲の隊員が気づく間もなく、柳田は低く、そして鋭く叫んだ。

 

「ッ――あれはッ」

 

声が霧を裂いた瞬間、全員の視線が即座に同じ一点へと集中する。

 

「――止まれ」

 

その刹那――佐藤啓介は右拳を高く上げた。

その合図は、訓練によって叩き込まれた即時行動を誘発する。

森の音も、風の気配も、なにもかもが凍りついたような一瞬。

 

霧がわずかに蠢いた。

 

白濁した帳が、まるで内側から押し広げられるように膨らみ、そして静かに引き裂かれる。

その隙間から、影が、姿を現した。

 

はじめは曖昧な輪郭だった。輪郭の曖昧な、背丈の高い人影のようなもの。

だが、距離を詰めるにつれ、その輪郭は徐々に明確さを増していく。脚の付き方が違う。肩幅が広すぎる。皮膚の色が、土や樹皮の色とは異なる艶を帯びている。

 

ドラゴニュート。

前回と同様、いやそれ以上に人数がいる。目視できるだけでも15体前後。

 

反射だった。――隊員たちは、無意識のうちに銃を肩に当てていた。

金属の擦れる音。安全装置が外れる、乾いた音。

誰かが、息を呑む。

 

その瞬間、霧の静寂を引き裂くように、怒声が響いた。

 

「――全員、銃を下せッ!」

 

佐藤隊長の声だった。

 

瞬間、隊員たちの指が引き金から離れ、銃口が次々と下げられる。

その動きは誰よりも早く、そして従順だった。

 

森に、再び静寂が戻る。

だがそれは、先ほどまでの「自然の静けさ」ではない。

今そこにあるのは、いつでも火がつきかねない、抑圧された爆心地の静けさだった。

 

前方に立ち尽くす異形の群れは、そんな人間たちの緊張など意に介さぬ様子で、ただ静かに見つめ返していた。

その瞳には、敵意はなかった。だが、それ以上に深く、不穏な興味が宿っていた。

 

「……数は15前後か。前回と同程度か、それよりも若干、多いかもしれません」

 

隊員の報告が、隊列の緊張をわずかに引き締める。

霧の向こう――無言で佇む異形たち。彼女たちが、「意図して」ここに現れたという事実が、全員の背筋を冷たく撫でた。

 

「そのようだな……全員、刺激するな」

 

低い、しかし命令としての力を帯びた声だった。

そしてほんの一拍おいてから、少しだけ声を和らげる。

 

「朝比奈博士――頼めますか?」

 

朝比奈は、佐藤と、そして霧の向こうに列を成すドラゴニュートたちを交互に見た。

肩がわずかに震えている。

彼女は今、自分に課された役割と危険の天秤の上で、必死に均衡を保っていた。

 

無理もない。

 

一見すれば――確かに彼女たちは「女」の形をしていた。

丸みを帯びた腰の曲線、たわわな胸部、ゆるやかに膨らんだ尻。

艶のある鱗がわずかに光を反射し、湿り気を帯びた皮膚感が妖艶な印象すら残す。

 

だが、それだけでは終わらない。

 

身長が明らかに大きすぎるのだ。

最も小柄な個体でも一九〇センチは下らず、大半が二メートル近い。

 

曲線は確かに美しい。だが、大きすぎる。過剰だ。

あらゆる部位が、「人間の尺度」を逸脱している。

 

――もし彼女たちがその気になれば、私は……

 

心の奥で、そんな声が囁いた。

 

朝比奈は、自分がこれまでいくつもの異文化と対話し、幾度となく通訳の橋を架けてきたことを思い出そうとした。

だが――その経験は、目の前の存在を前にして、あまりにも脆かった。

 

この相手には、『言葉』が通じないかもしれない。

 

見つめ返せば返すほど、身体の奥に冷たい何かが降りてくる。

彼女たちがその気になれば、喉を裂かれ、四肢をへし折られ、地面に叩きつけられる未来が一瞬で見える。

 

異文化間の摩擦というレベルではない。

彼女たちは、力そのものを具現化した存在だ。

 

それでも――彼女は、口を開いた。

 

わずかに唇を震わせながら。

声が、喉の奥で引っかかるのを自覚しながら。

 

「……あの……私、一人で……ですか?」

 

その声には、責任感と恐怖が綯い交ぜになっていた。

任務を果たそうとする意志はある。だが、恐怖が消えたわけではない。

それを理解するように、佐藤は一瞬だけ目線を彼女に向けた。

そして、短く、静かに答えた。

 

「――無論、護衛はつけます」

 

言葉に余計な感情はなく、ただ事実を告げる口調だった。

それが逆に、朝比奈にとっての“安心”となる。

佐藤という男は、絶対に軽口を叩かない。だからこそ――その言葉は重く、確かだった。

 

佐藤はすぐに、右手で短く合図を出す。後方の隊員たちが静かに動き、朝比奈の左右に護衛をつける配置に切り替わる。

 

突発的な事態に備えて、動線は開けたままだ。

この場の緊張が、いつ「暴力」へと転がり出すか分からない。その意識は全員の顔に刻まれていた。

 

前方のドラゴニュートたちは動かない。

ただ、こちらをじっと――観察するように、物言わぬ視線を送り続けていた。

その瞳に映るのが、交渉者か、それとも「献上物」か、まだ判断はつかない。

 

そして朝比奈博士を挟むように、左右に護衛の隊員を従えて、三人はゆっくりと前に出た。

靴が霧に濡れた下草を踏みしめる音が、ひどく大きく感じられた。

 

距離は二十メートル弱。だが、歩を進めるごとに、空気が確実に濃く、重くなっていく。

 

そのときだった。

 

霧の向こう、無言で立ち尽くしていたドラゴニュートの一団から、ふたりの個体が前に出た。

ぬう、と滑るような足取りで。

それは一歩一歩、こちらの動きに合わせるかのように、奇妙な呼吸を刻んでいた。

 

「ッ……」

 

思わず、朝比奈博士が小さく息を呑む。

近づいてくる二体は、やはり雌型だ。人間の女性に酷似した容貌。だが、その体格はまるで別種の生き物。

胸部と腰は豊かに張り出しているのに、全体的に重量感があり、何より、その雰囲気が「捕食者の静けさ」を纏っていた。

 

その隣で、護衛の隊員が、そっと声を落とした。

 

「大丈夫ですよ、朝比奈博士。本気で戦う気なら、奴らは全員で突っ込んできます。……数で押し潰すのが、最も合理的ですから。」

 

彼は、正面から迫るドラゴニュートを見つめながら、微動だにせずに言った。

 

「少なくとも話す意思はある。そうでなければ、少数の個体だけで前に出てきませんよ」

 

その言葉に、朝比奈はほんのわずか、喉を上下させる。

恐怖が消えたわけではない。だが、わずかに「知的生命体としての対話の可能性」が視界に差し込んだのだった。

 

両者の距離が、視線を交わせる間合いにまで詰まった。

 

朝比奈博士と護衛の隊員たちは立ち止まり、霧の中に静かに対峙する。

前に出てきたドラゴニュートの二体――そのうちの一人が、無言のまま動いた。

 

すらり、と背に背負っていた長槍を抜き、そしてそのまま――土に突き立てた。

 

ザッ、と乾いた音が響いた。

 

刃先はこちらを向いていない。柄の根元が、まっすぐ地面に沈んでいる。

威嚇でも、攻撃の構えでもない。――対話を望む意思表示だ。

 

それがわかった瞬間、朝比奈は思わず小さく息を吐いた。

肩の力が、ごくわずかに抜ける。

やっと、ここから始められる。言葉が、交わせる――

 

そう思い一歩踏み出した、その時だった。

 

ドラゴニュートの一体が、音もなく歩み寄ってくる。

視線はまっすぐに――朝比奈ではなく、その隣に立つ男性隊員へと向けられていた。

どこか熱を帯びた眼差し。頬がほんのりと染まり、呼吸が浅くなるのが見て取れる。

それは羞恥か、発情か――あるいは、両方だった。

 

「……ッ」

 

隊員がわずかに足を引きかけた、その瞬間だった。

ぬるりと伸びた手が、彼の肩に触れた。

 

巨躯の女――いや、ドラゴニュートの手は、ゆっくりと、だが確実に隊員の肩を這うようにして留まった。

その指先は人間の女と変わらぬ柔らかさを備えながらも、どこか異様な湿気と圧を帯びていた。

 

「……前回同様、男に異様な執着があるな……」

 

隊員は静かに呟くと、腰のサイドアームにそっと指を添えた。

抜く気はない。だが、いつでも抜ける。そういう位置。

その慎重な姿勢が、現場の空気に新たな緊張を孕ませた。

 

「……あ、あの……!」

 

朝比奈博士が思わず声を上げた。

恐怖ではない。状況を理解しきれない焦燥と、止めねばという義務感。

だが、声を発した瞬間、自分の立ち位置に背筋が凍る。

 

「博士、下がって」

 

もう一人の隊員が、一歩前に出て朝比奈を庇う。

手はすでに銃のグリップにかかっていた。視線はドラゴニュートの手元に張り付いている。

 

「……まただ。前と同じだ。こいつら……また、男にしか…」

 

そう呟いた声には、明確な警戒心が滲んでいた。

 

「……あの……これは……」

 

朝比奈博士は言葉を探した。

手の震えを隠せない。けれど、ここで何か言わなければ、崩れる。交渉も、秩序も――最悪の場合、命さえ。

 

「……以前の接触時には、男性の語学学者が随行していたんですが…」

 

もう一人の隊員がかすれるような声で呟いた。

その視線は、なおも男性隊員の肩に手を置いたままのドラゴニュートに向けられていた。

 

「……じゃあ以前は男性だったから――ジェスチャーを模倣してきた、だけ……なのでしょうか?」

 

朝比奈が、自分に言い聞かせるように、あるいは答えを探すように呟いた。

その問いに応えようとした隊員だったが――

 

「……なんとも言えな、いッ――」

 

パンッ。

 

空気が張り詰めた膜のように破れ、肉の弾ける乾いた音が場を裂いた。

ドラゴニュートの手が、無造作に、だが妙に正確な軌道で、男性隊員の尻をはたきつけたのだ。

 

「……ッ?!」

 

隊員の身体が跳ねる。反射的に右足が一歩下がり、バランスを崩しかける。

だが、彼女は――止まらなかった。

 

ぐっと腰を落とすと、まるで獣のようにしゃがみ込み、男性隊員の股間へと顔を突っ込んだ。

 

「――え……っ?えっ……!?」

 

朝比奈博士の口から、掠れた声が漏れる。

それは驚きではない。理解不能への、拒絶に近い悲鳴だった。

 

ドラゴニュートは顔を近づけ、深く吸い込むように鼻を鳴らした。

その鼻息が、隊員の戦闘服をわずかに膨らませる。

唇の端が、ゆっくりと吊り上がっていく――それは、笑っているのか、興奮しているのか、判別できなかった。

 

「おいッ!」

 

もう一人の護衛隊員が怒声を上げた。

瞬時に前へ詰め寄り、銃口をわずかに下げたままドラゴニュートと対峙する。

その手はすでに、引き金にかかりそうなほどに強く握り込まれていた。

 

「大丈夫だッ! まだ撃つなッ!」

 

隊員の怒声が場を割るように響いた。

その瞬間、霧の奥から鋭い足音が近づいてくる。

 

「何があった――大丈夫かッ! 状況を報告しろ!」

 

声と同時に現れたのは佐藤隊長だった。迷いのない足取りで前線に踏み込み、即座に現場を掌握する。

 

「隊長ッ!」

 

護衛の一人が振り向き、声を上げる。

 

「こいつがいきなり近藤に身体を擦りつけて……!」

 

護衛の一人が声を荒げる。すぐ目の前では、なおもドラゴニュートの一体が、尻を叩いた男性隊員・近藤の身体に頬を寄せ、発情した獣のような呼吸を繰り返していた。

その様子は、異様でありながらもどこか官能的ですらあり、見る者の理性をわずかにかき乱す。

 

「……敵対的ではなさそうだ。だが、引き離してやれ」

 

佐藤が短く命じた。

 

「了解」

 

護衛が即座に応じ、慎重にドラゴニュートの肩に手をかける。

だがその肩は、思っていた以上に力強く、そして熱い。

単に大きいというだけでない、確かな“肉の重み”と“筋肉の厚み”がそこにあった。

 

その間、佐藤はちらと後方を振り返る。

朝比奈博士の表情が、困惑したまま固まっている。

 

「博士。」

 

その一言に、朝比奈がビクリと肩を揺らした。

 

「……はい」

 

「向こうにいる、もう一体のドラゴニュート――あれと、対話できますか?」

 

彼女の視線が、そこに佇むもう一体のドラゴニュートに向けられる。

その個体はじっとこちらを見ているが、先ほどのような接触行動はとっていない。

どこか控えめな距離。けれど、視線だけは、鋭く――それでいて、どこか湿ったものを湛えていた。

 

「……は、はい。やってみます」

 

朝比奈の声はわずかに震えていたが、それでも前を向いた。

口元を結び、深く息を吸う。

その顔は、決して戦闘職ではない学者のものだったが、その場に立つ責任を理解する表情だった。

 

「俺もついていきます」

 

佐藤が短く言うと、護衛に再び合図を送る。

 

「引き離したら、お前たちもついてこい。もし、無理そうなら後ろの隊員を無線で呼べ。」

 

「了解」

 

 

朝比奈博士と隊長がもう一人のドラゴニュートと対話を行おうとしている頃、近藤の股間にドラゴニュートが、まるで発情期の獣のように顔を埋めていた。

喉の奥で湿った音を立て、鼻を深く差し入れるようにして、何度も大きく匂いを吸い込む。

 

「……ッくそ……」

 

近藤はドラゴニュートの腕を引き剥がそうとするが、動かせない。

尻に絡みついた腕が、鉄のような力で腰を固定していた。

 

「ったく……近藤、てめぇ、女相手になにやってんだよ」

 

後方からの隊員の声に、近藤が苛立ったように顔だけで振り向く。

 

「……うるせえッ!こいつマジで力強ぇんだよ!」

 

笑いではなく、本気の怒気が滲んでいた。

目の前では、なおもドラゴニュートが顔を股間に押しつけたまま、鼻孔を広げ、まるでその匂いを記憶に焼きつけるかのように嗅ぎ続けている。

 

「ったく……しゃーねぇな、引き剥がしてやるよ」

 

苛立ちを押し殺すように、隊員が前に出た。

 

「気をつけろ。マジで力強ぇぞ。」

 

「はいはい、わかったって――」

 

隊員がそう言った、その瞬間だった。

 

ドラゴニュートの腕が、近藤の腰から腹部へと滑り、装備の隙間を探るように、なまめかしい動きで手を這わせた。

まるで防具の下に『何か』を求めているかのような執着。金属の隙間、繊維の縫い目を確かめるように、冷静に、だがいやらしく指を潜らせてくる。

 

「……お、おいッ……!」

 

近藤の声が上擦る。

 

ーーーベロリ。

 

乾いた音がした。

ドラゴニュートの舌が――異様に長く、肉厚な舌が、戦闘服の隙間を通り、隠されていた太腿を、ねっとりと舐め上げたのだ。

 

「――ッうっ……!」

 

反射的に身体が震えた。

 

「クソッ…マジで力強ぇッ!」

 

引き剥がそうとした隊員が呻くように言った。

 

その間も、ドラゴニュートは近藤を離そうとしない。

まるで所有を主張するように、肉体ごと押しつけ、鼻と舌で匂いと味を刻み込む。

 

「む、無線で後方のやつらを呼んでくれッ……!」

 

近藤が震える声で言う。

 

「……ああ、わかった」

 

隊員が無線に手を伸ばすが、その間にも、ドラゴニュートの舌は執拗に動きを止めなかった。

 

ぴちゃ、ぴちゃ。

 

肉の湿った音が、緊張した場に不気味なリズムで鳴り響く。

舌が、近藤の太ももをねっとりと舐め上げ、ついには下着の縁にまで舌先が差しかかる。

下着の布をなぞるように、探るように、じわじわと――

 

「ッ、くそっ……やめろって……!」

 

近藤が歯を食いしばり、頭を押し返すように両手で掴む。

だが、その頭部は兜のように硬く、重い。まるで獣の首を押し戻すような、異様な手応え。

 

「離れろっ……っつーの……!」

 

近藤の声には、明らかな苛立ちと羞恥心が滲んでいた。

 

直後──

 

「ンフぅ……」

 

柔らかく、だが確かな圧力をもって、太ももの内側に甘噛みが走る。

ぞくりとした感覚が背骨を駆け上がり、反射的に脚に力が入る。

 

「ゔっ?!」

 

そのまま、噛んだ箇所を舌先でベロベロと啜りあげるように舐め、顔を上げる。

その眼が、潤んだように光る──媚びるような上目遣い。

しかし、そこにあるのは“愛らしさ”ではない。“所有の悦び”だ。

手はすでに尻へと回り込み、揉みほぐすように、執拗に指を沈めてくる。

 

「はぁっ……なんでケツ揉んでんだよ…」

 

呻く近藤の声と裏腹に、尾が床を激しく叩く音が響く。

バン、バン──と欲情を隠さぬ求愛の音が鳴り響く。

 

今だに無線で語りかける隊員を一瞥しながら、近藤が問う。

 

「……呼んでくれたか」

 

低く、喉奥で引っかかるような声だった。

苦しさ、照れ、苛立ち、頼りたくなさ、助けてほしさ。全てが滲む、どうしようもない声。

 

隊員は一度だけ軽く顎を引き、簡潔に答える。

 

「今呼んだから、待っとけ」

 

その声は乾いていた。

感情は乗っていない。ただ、事実として言葉を返した。

 

「つってもッ……」

 

またひと舐め、太ももの根元へ。

舌の付け根が、下着の縁にぬるりと入り込もうとするのであった。

 

 

朝比奈博士と佐藤隊長は、すぐ後から聞こえてくる声に耳を傾けていた。

聞こえてくるのは、短く荒げた声、無線の起動音、そして――場にそぐわぬ、ぬめった音。

その音に、佐藤は眉をしかめる。

 

「……たかが一人、引き剥がすだけだろうが。何を手間取っている……」

 

その声は呟きというには低く、唸るように唇の裏で転がった。

だが、それは苛立ちというより、この状況全体に対する異様さへの警鐘でもあった。

 

朝比奈博士は、不安げに横目で隊長を見る。

 

「……あの、話しかけても……いいんでしょうか……?」

 

彼女の声は慎重だった。決して臆病ではないが、生理的な拒絶と、倫理的な線引きの間で揺れる声だった。

しかし、佐藤が応えようとするよりも先に――

 

視線の端で、もう一体のドラゴニュートが動いた。

 

動いた――といっても、足は動かしていない。

その場に立ったまま、腰を固く強張らせ、赤面し、視線を釘づけにしているのだ。

 

佐藤隊長を、まるで獲物を見る猛禽のように。

 

肌は硬質の鱗に覆われているはずなのに、頬には確かに、赤みが差している。

瞳は潤み、わずかに膝が内側に寄っていた。

その仕草は人間の女性にも似ていたが――しかし、それを補って余りある巨体が、威圧感を感じさせた。

 

「……博士、頼めるか?」

 

佐藤隊長の声が背後から投げかけられた。

その一言に、彼女は一度だけ深く息を吸い、わずかに震える手を胸元で押さえてから、ゆっくりと頷いた。

 

朝比奈博士は、おそるおそる一歩を踏み出した。

その動作一つひとつに硬さが滲む。手のひらはやや上げ、非武装の意思を示す。喉が乾く。だが彼女は、勇気を振り絞って口を開いた。

 

「……こんにちは。私たちは、あなたたちと――えっと……交渉を……したくて……」

 

最初の言葉は、日本語だった。続けて、いくつかの地球の主要言語、古典語体系、発音辞書から抽出した定型文が口をついて出る。

だが、返ってきたのは沈黙――あるいは、沈黙にも似た「理解できない」という反応。

 

目の前のドラゴニュートは、首をわずかに傾げ、細く息を吸った。

長く伸びた睫毛が、翳るように目元を覆う。その視線は朝比奈の肩口で止まり、やがて――その向こう、佐藤隊長の立つ方向へとすっと滑った。

 

「……あの……私に、伝えたいことが……?」

 

朝比奈の声は、明らかに上擦っていた。

だが、ドラゴニュートは返事をしなかった。代わりに、ちら、ちら、と視線を佐藤に送り続けていた。

 

まるで、発情期の獣のような熱を含んだ眼差し。

 

「…やはり、ダメか」

 

佐藤が静かに言ったときには、すでに手遅れだった。

 

ドラゴニュートが、動いた。

 

その動きは、俊敏というよりも――我慢の限界を超えた者が、本能に突き動かされたような、不器用で粗雑な接近だった。

 

長い脚が地を踏みしめる音。

朝比奈の前をすり抜けるようにして、巨躯がまっすぐに佐藤へと向かう。

そして、まるで人間の恋人に触れるような、ぎこちなくも率直な動きで、その腕を摘み取ろうとした。

 

佐藤はすぐさま反応した。

身体の軸を崩さぬまま、冷静に右手を伸ばし、その巨体の肩口を押さえ込み、明確な「拒絶」の意思だけは伝える。

 

「博士。一応ジェスチャーが通じるか、試してくれ」

 

声色は静かだが、明らかに緊張を帯びていた。

呼びかけられた朝比奈は一瞬戸惑いながらも、すぐに頷き、霧の向こうにそびえる異形の女獣へと身を向ける。

 

「……了解しました。まずは、簡単な動作から……」

 

手袋をはめたままの指を開き、朝比奈はゆっくりと右手を掲げる。

敵意はないという意図を示す、最も基本的な開示動作――それから、静かに手首を振った。

やさしく、威圧的にならぬように。まるで、人間と人間の距離をつなぐ細い糸を織るように。

 

ドラゴニュートの個体は、その動きに反応した。

一度、ちらりと佐藤の顔を見た後――朝比奈に向き直る。

そして、彼女の手のひらの動きを、興味深げに、じっと見つめはじめた。

ドラゴニュートは、朝比奈の手の動きをじっと見つめたまま、数秒間静止していた。

 

――そして、ふいに口元を綻ばせる。

その笑みは、どこか「思いついた」とでも言いたげな、人間特有のひらめきを宿していた。

 

朝比奈は、瞬間、安堵の息を漏らしそうになった。

 

「……通じた……?」

 

希望。

しかし、それはあまりに脆い予感だった。

 

次の瞬間、ドラゴニュートは唐突に佐藤の手を取ると、そのまま顔を近づけ――

舌を這わせた。

 

「……ッ!」

 

ぬるり、と音を立てて、手袋の隙間から覗く佐藤の手首を舐め回す。

その舌先は、獣のように肉を嗅ぎ取るのではなく、まるでそこに刻まれた何かを味わうかのように粘ついていた。

 

佐藤は一瞬だけ目を細めたが、反応を見せなかった。冷静というより、動けないだけだった。

 

「……っ、な……」

 

朝比奈が声を失ったそのとき、ドラゴニュートは、ぬらりと視線だけを彼女に送る。口端をわずかに吊り上げ、露骨な優越の色を浮かべた笑みだった。

 

そして。

そのまま、佐藤隊長の背中に手を回すと、鷲掴みにしたのは――臀部だった。

 

「……っ……」

 

湿った音を立てながら、尻肉を包むように握り込む手。

明らかに、それは礼節でも模倣でもなかった。ただの発情、ただの「奪い取り」だ。

 

朝比奈は言葉を失ったまま、その光景を見ていた。

 

そのときだった。

 

佐藤の声が、湿気を孕んだ空気を割くように静かに響いた。

 

「……言語も通じず、ジェスチャーにも反応しない。現状、彼女たちの行動の意図が判明しない以上、これ以上の接触はリスクが高い。全員、撤退の準備をしろ。」

 

静かながらも断固たる声で、佐藤は無線機に命じた。

その間にも、彼の腕には依然としてドラゴニュートの巨体が絡みついていた。

 

――舌を這わせる。指を這わせる。

その動きに明確な敵意はない。だが、欲望だけが露骨に滲み出ていた。

 

佐藤は眉根を寄せ、息を一つ吐くと、肩に添えたままの手を静かに、だが力強く押し返す。

巨体がわずかにたじろぎ、尻に喰らいついていた手が、名残惜しそうに外れた。

 

「……朝比奈博士、回収ポイントに向かいましょう。今回は――失敗です。」

 

押し出すように告げたその言葉に、朝比奈はうつむき、震える声で答えた。

 

「……わ、わかりました……」

 

その時だった。無線がノイズ混じりに割り込む。

 

『――隊長。前方のドラゴニュート集団が、こちらに接近しています』

 

「……わかった」

 

佐藤の目が鋭く細くなる。咄嗟に振り返ると、霧の奥から迫る複数の人影が浮かんでいた。

前方からくぐもった足音。

 

佐藤は近藤隊員と揉み合っていた ドラゴニュートの場所へと戻った。

そこには近藤と、複数人の隊員に制止されたドラゴニュートがいた。

 

「近藤、大丈夫だったか?」

 

「はいッ!なんとか引き離しましたッ!」

 

近藤の声はわずかに震えていた。

荒く、乱れた息。顔色は赤く、首筋から額にかけて汗が滲んでいる。

 

横のドラゴニュートは動かなくなっていた。

暴れるわけでも、吠えるわけでもない。

 

鱗に覆われた両手は、自身の股間に添えられている。

まるでそこに残った熱を、名残惜しむかのように。

あるいは、発情の余韻に晒された自身の身体を、そっと慰めるように。

 

肩はわずかに上下し、息はまだ荒い。

けれど、さきほどまでの獣のような衝動は感じられない。

落ち着いたのか──それとも、ただ単に気力を使い果たしただけなのか、判然としない。

 

しかし、彼女の視線は逸れていなかった。

 

顔だけをわずかに上げ、潤んだ瞳で、じっと近藤を見つめていた。

 

肉体は静まっても、欲望だけは燃え残っている。

燃え尽きたのではない。

ただ、次の機会を――再び貪る時を待っているような、そんな顔だった。

 

だが次の瞬間、場の均衡を断ち切るように、佐藤が声を発した。

 

「…よし。全員、撤退だ。速やかに回収ポイントに向かうぞ」

 

ヘルメットに軽く手を当て、視線だけで周囲を掃く。

 

隊員たちは頷き、それぞれの装備を確認しながら撤退を始める。

霧の中、ドラゴニュートはなおもじっとその場に残り、濡れた瞳だけを――離れていく背中に、絡みつかせていた。

 

 

「全員、速やかに回収地点へ向うぞ!」

 

佐藤の声が、冷気を孕んだ霧の中に低く鋭く響いた。

命令を受けた隊員たちは即座に反応し、訓練された動きで林床を後退し始める。誰一人として声を発することはなく、靴音だけが、静かな森に擦れたように響いていた。

 

しかし、その背後に、ぬめるような気配がついてきていた。

霧の奥、背後に残してきたはずの気配が――離れない。

 

「……まずいな、着いてきやがるぞ。」

 

後方確認を行っていた隊員が、歯を食いしばりながら低く呟いた。

 

振り返れば、ドラゴニュートたちの長身の影が、ぼんやりと霧の中に揺れている。

 

「前回にも追跡は受けたようだが……今回は様子が違うのか?」

 

追い立てるような動きはしない。ただ、一定の距離を維持しながら、確実に詰めてくる。

 

まるで――逃げる“獲物”との距離感を絶えず調整し続ける捕食者のようだった。

その瞳は熱を帯び、息づかいは異様に湿っている。

細く開いた唇の隙間から、小さく鳴き声すら聞こえてきた。

 

朝比奈博士は、その気配に肩をすくめ、小さく震えながら佐藤の後ろに足を進める。

 

「……だ、大丈夫なんでしょうか……」

 

朝比奈博士が、不安を押し殺しきれない声で問いかける。

その声には、冷たい霧よりも冷たい恐怖が滲んでいた。

 

佐藤は、背後を一瞥もせず、低く命じた。

 

「全員ペースを上げろ。回収地点まで、あと少しだ。」

 

その言葉に、隊員たちは歩調を速めた。

装備の金具がかすかに鳴り、押し殺された息が白く吐かれる。

 

だが、それと同時に、後方からの足音も――確実に、速くなった。

 

霧の中を滑るように、ドラゴニュートたちの影が速度を上げたのだ。

 

まるでこちらの緊張に呼応するように。

いや――それ以上に、逃げられることを拒むような、執着の気配があった。

 

「隊長ッ、奴らも……速度を上げました!」

 

振り返った隊員の声が、霧の中に沈む。

 

追ってくる女たちは、重装の体格とは裏腹に音もなく、しかし確実に距離を保ったままついてくる。

一歩踏み出せば、彼女らもまた一歩。

逃げれば逃げるほど、まるで“見えない糸”に引かれているかのように、ぴたりと距離を合わせてくる。

 

その異様な気配に、空気は張り詰め、何人かの隊員の指がトリガーに触れかけていた。

 

「威嚇射撃は不要だ。撃つな。今は回収地点へ急ぐことを最優先しろ。」

 

佐藤の声は冷徹だったが、そこに焦りはなかった。

――だからこそ、隊は崩れなかった。

 

「こちらSTF-1、回収チームへ。至急、離陸準備を――直ちにだ。」

 

数秒の静寂を挟み、無線の向こうからノイズ混じりの応答が返る。

 

『……どういう状況だ? 状況を報告しろ。』

 

その問いには、動揺ではなく、任務を遂行する者同士としての本能的な警戒があった。

佐藤は一瞬だけ後方を確認し、霧の中を並走する異形の影――あの異様なまでの執着心を帯びた群れを視界の隅に捉える。

 

「今現在、 ドラゴニュートの集団からの追跡を受けている。交渉は…失敗した。対象は明確な敵意こそ示していないが、追跡を試みてきており、回収地点までの行動を妨害する恐れがある。」

 

「あと数分で合流する。接地即離陸態勢で待機を頼む。」

 

無線の先で短い沈黙。その後、研ぎ澄まされた声が返ってきた。

 

『……了解した。ローター全系稼働。視認次第、すぐに収容する。』

 

佐藤は通信を切り、短く呟く。

 

「……急げ。隊列を乱すな。全員で帰還する。」

 

通信が切れると同時に、霧の向こう――

重く、ぬめるような足音が、また一歩、こちらへと迫っていた。

 

 

草地に出た。霧の帳がわずかに揺らぎ、視界がわずかに開ける。

遠くで、ローター音が唸りを上げながら近づいてくる。

機体が姿を現すと、吹き荒れる突風とともに、濡れた草を逆なでるような震動が足元を打った。

 

隊員たちは声もなく走る。

疲労と汗にまみれた身体を、揺れる機体の昇降口に投げ込んでいく。

 

だが。

 

霧の中、何かが動いた。

音もなく、滑るように姿を現したのは――ドラゴニュートの影。

 

一体、また一体。

濡れた眼差しを携えた女たちが、無言のままヘリへと歩み寄ってくる。

 

本来、ここで止まるはずだった。

いつもなら、一定の距離で――だが、今回は違った。

 

爪の先が昇降口の縁を掴み、ぐいと身を乗り出す。

ドラゴニュートが異様なまでの力で、機体へと侵入しようとする。

 

「……おい、マジか…っ!」

 

腕が掴まれた。熱く湿った手のひらが、力強く絡みつく。

引こうとしても、抜けない。力が違う。まるで獲物を捉えた猛禽のように、容赦がない。

 

「離せッ……!」

 

引き剥がそうとするたびに、指は食い込み、肉を押し寄せてくる。

 

「追い出せッ…!機内に入れるな……ッ!」

 

怒号が飛ぶ。

だが、金属の昇降口にかけられた爪が、ギリ、ギリ……と鉄を削る音を立てていた。

 

まるで戦車の履帯がフレームに食い込んでいるようだった。

複数の隊員が肩を押し返す。

それでも ドラゴニュートはフレームに爪を立てて侵入しようとする。

ドラゴニュートの巨体は“退く”という概念を持たぬまま、ただ肉欲に突き動かされていた。

 

そのとき、再び機体の床が低く振動を伝えてきた。

ローター音とは異なる、重量の移動による明確な“揺れ”。

 

次の瞬間――

 

影が、機体にのしかかった。

 

「ひっ……!」

 

朝比奈博士の喉から、短くかすれた声が洩れる。

 

視界の端から、濡れた巨躯が昇降口に姿を現した。

ドラゴニュートの個体。

肩を無理にねじ込み、首を捻じ曲げながら昇降口の奥を覗き込む。

荒く熱い鼻息が、機内にまで届く。

 

――まるで、獣が檻を壊して侵入してくる最中のようだった。

 

それは、彼女を見ているわけではなかった。

ただ奥にいる“獲物”を目で追い、その獲物を奪う道筋の邪魔になる壁として博士を見ていた。

 

「っ、来ないで……っ!」

 

博士はヘリの壁に背をつけ、逃げ場を探すように目を彷徨わせる。

 

その目の前を、分厚い爪が掠めていった。

 

突発的な揺れ。

機体が軋み、わずかに傾いた瞬間、ドラゴニュートの腕が反射のように動いた。

 

それは意図した動作ではなかった。

本能的な平衡の取り直し――それだけのこと。

だが、その“だけ”が、博士の眼前を死神の鎌のように横切ったのだ。

 

爪が、白衣の袖をかすめていく。

あと数センチ――否、あと一瞬判断が遅れていれば、腕ごと裂かれていた。

 

「やめて……お願い、来ないで……!」

 

声が震える。

口先だけの拒絶ではない。

腹の底から引き裂かれるような、本能の悲鳴。

 

ドラゴニュートは彼女の声に反応を見せない。

ただ無関心に、奥の隊員へと手を伸ばし続けている。

まるで朝比奈博士など、そこに「いないもの」として扱っているようだった。

 

ドラゴニュートにとって、彼女は無関心な空間でしかない。

だが、その無関心さが、余計に恐ろしかった。

 

そんな緊迫の中、隣で隊員が怒鳴った。

 

「こっちもマズいぞッ! 下がれッ、撃つぞ!!」

 

鋭い声が、ローター音の中を裂いて響く。

すでに銃口は上がっている。

照準は、昇降口を占拠しかけているドラゴニュートの頭部へと一直線に向けられていた。

 

だが――その巨体は、まるで気にも留めない。

 

『機体のバランスが崩れるッ!早くなんとかしてくれ、もう限界だッ!!』

 

ヘッドセット越しに響いた声は、すでに怒声というより悲鳴だった。

機体が左右に揺れ、昇降口にのしかかる異形の質量が、バランスを狂わせている。

 

振動が床板を這いまわる。

鉄骨が悲鳴を上げ、機体全体が呻くように軋んだ。

 

「押し返せッ!」

 

佐藤が怒鳴った。

その瞬間、数人の隊員が、ほとんど体当たりの勢いで巨体にぶつかっていった。

 

ドラゴニュートの巨体に肩を押しつけ、足を踏ん張り、全身の筋肉を絞るようにして力を込める。

だが、その身体は想像以上に重く、硬く、熱い。

 

「ぐっ……重てぇ…なぁ…ッ!」

 

密着した肉体から、熱と湿気が滲み出ていた。

皮膚は鱗に覆われ、ところどころに細かい棘がある。押すたびに、手のひらが痛む。

 

その時だった――

密着した巨体の喉が、低く唸るように震えた。

 

「……グルルゥゥ…」

 

低い唸り声を上げながら、爪をフレームに引っかけ、足を滑らせながらも食らいついてくる。

 

「くそ……まだ下がらねぇかッ!」

 

ドラゴニュートの胴を抱え込むようにして、機体の外へ押し出そうとする。

その背中に別の隊員が体重を預け、肩を押しつけ、連鎖するように力をかけた。

 

「うおぉぉおッ!!」

 

床が揺れる。

一瞬、ドラゴニュートの爪が滑り、バランスを崩した――

その隙を突いて、隊員たちは全力で肩を叩き込むように押し返す。

 

「下がれッ!」

 

巨体がついに機体の外へ後退する。

 

フレームから爪が外れた音とともに、ドラゴニュートが数歩、地面に後退する。

その瞬間、扉が閉じられる。

 

ガシャン――!!

 

ヘリが軋みながら、ようやく閉鎖された機内を持ち上げるように、ゆっくりと上昇を始める。

 

隊員たちはぜえぜえと息を吐き、汗に濡れた背中を壁に預けた。

そこに残っていたのは、人間の筋力と連携だけで異形を押し戻した、狂気じみた達成感と空虚さだけだった。

 

 

昇降口が閉じると同時に、ヘリの機体はぐらりと揺れながらもようやく安定を取り戻し、地上を離れていった。

 

誰もが無言のまま、肩で荒く息をする。

背中を壁に預け、汗が顎から滴り落ちるのも構わず、皆がただ「生き残った」ことを噛みしめていた。

 

その静寂を破ったのは、パイロットの怒気混じりの無線だった。

 

『……おい…今度から乗り込まれないようにしてくれ。……危うく全員、死にかけたんだぞ』

 

怒気は低く抑えられていたものの、その恨み節は機内の全員に刺さるように響いた。

 

誰も言い返せなかった。

誰よりも死と隣り合わせだったのは、この操縦士だったのだ。

 

佐藤は一言だけ返した。

 

「……すまない。俺の判断ミスだった。」

 

その横で、朝比奈博士はまだ小さく震えていた。

顔色は蒼白で、胸の前で拳を握りしめている。

 

佐藤はそっとその肩に手を置いた。

 

「……朝比奈博士、大丈夫か?」

 

博士はまだ何も答えられず、白衣の袖を掴んだまま、震えていた。

唇はわずかに青く、肩が小刻みに上下している。

 

「……あの……爪が……ほんの……数センチ……っ」

 

誰にも届かないほどの声で、朝比奈は呟いた。

佐藤はしゃがみ込み、ヘルメット越しに彼女を見つめる。

 

「もう大丈夫だ。……もう、終わった」

 

その言葉に、博士はほんのわずかに目を伏せ、頷いた。

 

機体は高度を上げ、霧の森を遠ざける。

だが、窓の外では、地上に残されたあの影たちが、空を――未だ、名残惜しげに見上げていた。

 

【記録終了】

 

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