蛙をテーマにした短編小説です

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蛙の鳴く夜

### **蛙の鳴く夜**

 

田舎の祖母の家は、周囲を深い森と田んぼに囲まれていた。夜になると、どこからともなく無数の蛙の鳴き声が響き渡る。その音は、まるで何かを訴えかけるように、不気味なリズムを刻んでいた。

 

今年の夏、僕は久しぶりに祖母の家を訪れた。幼いころは毎年のように遊びに来ていたが、大人になるにつれて足が遠のいていた。しかし、祖母が体調を崩したと聞き、久しぶりに顔を見せることにしたのだ。

 

「おばあちゃん、久しぶり」

 

玄関をくぐると、祖母が台所で座っていた。以前よりも少しやつれたように見えたが、笑顔は変わらない。

 

「よう来たねぇ。今夜は泊まるんやろ?」

 

「うん、明日には帰るけどね」

 

「そうかい。夜は戸締まり、しっかりせんとあかんよ」

 

祖母はそう言って、ふと窓の外を見た。田んぼの向こうには森が広がり、月明かりに照らされた水面に蛙が浮かんでいるのが見えた。

 

「相変わらず蛙の声がすごいね」

 

「……あぁ、今年は特に多いんや」

 

祖母はそれ以上何も言わなかったが、なぜか視線を窓から離そうとしなかった。

 

---

 

夜が更けると、蛙の鳴き声が一層大きくなった。まるで家の周りを取り囲むかのように、四方八方から聞こえてくる。

 

僕は布団の中で目を閉じたが、その声が耳について眠れなかった。

 

「ゲコ、ゲコ、ゲコ……」

 

不意に、耳元で鳴き声が聞こえた気がして飛び起きる。暗闇の中、窓の外を覗くと、田んぼには無数の蛙がうごめいていた。しかし、その動きが妙だった。普通の蛙ならぴょんぴょんと跳ねるはずなのに、まるで何かを這いずるように、のそのそと動いている。

 

さらに目を凝らすと、田んぼの奥に人の姿が見えた。

 

---

 

それは、白い着物を着た女だった。長い黒髪が月光に照らされている。女はじっとこちらを見ていた。

 

心臓が早鐘のように打ち始める。

 

「誰……?」

 

僕が声を発する前に、女はスッと消えた。いや、消えたのではない。蛙の群れの中に、ズルズルと沈み込んでいったのだ。

 

足がすくんで動けない。気づくと、蛙の鳴き声が変わっていた。

 

「ゲ、ゲ、ゲコ……コロ、コロ、コロ……」

 

何かを訴えるような声。まるで言葉のようにも聞こえる。そのとき、背後から祖母の声がした。

 

「見たんか」

 

驚いて振り向くと、祖母が暗闇の中に立っていた。

 

「おばあちゃん、今、田んぼに……」

 

「あれはな、蛙になった人や」

 

「え?」

 

祖母は低くため息をついた。

 

「この村にはな、昔から蛙になった人がおるんや」

 

祖母が語るには、昔この村では「水神様」の信仰があったという。豊作を願うため、毎年生贄を捧げていた。選ばれるのは、村の若い娘だった。娘たちは田んぼの真ん中に連れて行かれ、生贄として沈められた。

 

「でもな、その娘らは死んだんやない」

 

祖母の声が震えた。

 

「蛙になったんや」

 

背筋が凍る。

 

「見たんやろ? 田んぼの中に立っとったやろ? あれは、昔生贄にされた娘や」

 

僕は何も言えなかった。ただ、窓の外の蛙たちが、こちらをじっと見つめているような気がした。

 

「今もな、この村の田んぼには、昔の娘たちが眠っとるんや。そして、時々夜になると、こうして姿を見せる」

 

「じゃあ、僕が見たのは……」

 

「次の生贄を探しとるんや」

 

その言葉を聞いた瞬間、外の蛙の鳴き声がピタリと止まった。

 

静寂。

 

僕は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 

「戸締まり、しっかりせんとあかんよ」

 

祖母はもう一度そう言った。

 

その夜、僕は一睡もできなかった。

 

---

 

翌朝、祖母に別れを告げ、僕は急いで村を出た。

 

車の中から田んぼを見たとき、一匹の蛙と目が合った気がした。

 

それは、まるで人の目のように、僕を見つめていた。

 

---

 

###

 

都会に戻ってからも、あの夜の出来事が頭から離れなかった。

 

蛙の鳴き声を聞くたびに、あの田んぼの光景が脳裏によみがえる。白い着物の女、無数の蛙、そして祖母の言葉——「次の生贄を探しとるんや」。

 

最初は気のせいだと思っていた。しかし、ある夜、自分の部屋の窓の外から、小さな鳴き声が聞こえてきた。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……」

 

心臓が跳ね上がる。田舎を離れたはずなのに、なぜ?

 

恐る恐るカーテンを開けると、そこには——

 

蛙がいた。

 

ベランダの手すりの上に、一匹だけちょこんと座っていた。月明かりに照らされたその体は異様に黒ずんでおり、目は人間のもののようにギラギラと輝いていた。

 

僕は息をのんだ。

 

いや、こんな都会のど真ん中に蛙がいること自体がおかしい。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

その声はまるで、僕に語りかけているようだった。

 

その瞬間、脳裏に田んぼの光景がフラッシュバックした。

 

——白い着物の女が、田んぼの中に沈んでいく。

 

その顔が、ゆっくりとこちらを向く。

 

**その女の顔は——僕のものだった。**

 

「ッ!」

 

飛び起きた。

 

汗がびっしょりだった。

 

——夢、か?

 

荒い息を整えながら、恐る恐る窓の外を確認する。

 

ベランダには、何もいなかった。

 

安堵の息をつく。しかし、どこかおかしい。

 

部屋の空気が、妙に湿っている。

 

窓ガラスに目をやると——そこに、無数の小さな水滴がついていた。

 

まるで、何かが這いずるような跡を残して。

 

**終わりではない。**

 

そう、確信した。

 

そして次の夜も——

 

蛙の鳴き声が、聞こえた。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

###

 

あれ以来、毎晩のように蛙の鳴き声が聞こえるようになった。

 

家の外、ベランダ、果ては枕元からも。

 

それはまるで、僕をどこかへ誘うようだった。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

次第に、体の調子が悪くなってきた。

 

何を食べても味がしない。肌は乾燥し、やたらと喉が渇く。

 

そして何より、足が……

 

——妙に湿っている。

 

目覚めるたび、布団の中で足がじっとりと濡れているのだ。

 

原因はわからない。

 

だが、日に日にそれはひどくなっていった。

 

まるで、田んぼの泥に足を取られているかのように。

 

——もう、耐えられない。

 

ある夜、僕は決意した。

 

「もう一度、祖母の家に行こう」

 

あの田んぼに行けば、何かわかるかもしれない。

 

あるいは、**すべてを終わらせる方法が**。

 

---

 

深夜、車を走らせ、田舎の村へ向かう。

 

田んぼが近づくにつれ、身体が重くなる。

 

まるで、何かに引き戻されるように。

 

祖母の家に着いたのは午前二時過ぎだった。

 

しかし、家の灯りはついていなかった。

 

「おばあちゃん?」

 

呼びかけるが、応答はない。

 

仕方なく、裏の田んぼへと足を向ける。

 

すると——

 

そこには、祖母が立っていた。

 

白い着物をまとい、月明かりの下でじっと田んぼを見つめていた。

 

「おばあちゃん……?」

 

祖母はゆっくりとこちらを振り向いた。

 

その顔は……

 

どこか、蛙に似ていた。

 

皮膚は湿り気を帯び、目は大きくギラついていた。

 

「お前も、来たんか……」

 

祖母の声は、低く、かすれていた。

 

「やっぱり……あの蛙は……」

 

「もう、逃げられんのや」

 

祖母が指を差す。

 

田んぼの中、そこには無数の影が蠢いていた。

 

人間の形をした何かが、泥の中から這い出ようとしていた。

 

**白い着物の女たち** が、こちらをじっと見つめている。

 

「水神様は、決して許さん……」

 

祖母の言葉とともに、足元が沈む感覚がした。

 

見ると、自分の足が田んぼの泥に埋まりかけていた。

 

引きずり込まれる——!

 

必死にもがくが、身体は動かない。

 

「やめろ……! 助けて……!」

 

だが、祖母はただじっとこちらを見つめていた。

 

そして、微かに笑った。

 

「……これで、ワシは解放される」

 

次の瞬間、祖母の身体は、何かに引き込まれるように田んぼの中へと沈んでいった。

 

代わりに、僕の足は完全に泥に埋まった。

 

水の冷たさが、骨の髄まで染み渡る。

 

目の前には、無数の蛙たち。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

それは、**僕を迎える儀式の声だった。**

 

**僕は、蛙になるのだ。**

 

やがて視界が暗くなり——

 

意識が、沈んでいった。

 

---

 

翌朝、村の人々が祖母の家を訪れた。

 

しかし、そこには誰もいなかった。

 

ただ、田んぼの中に、見たことのない蛙が一匹。

 

じっと村人を見つめていたという——。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

###

 

田んぼの中にいた、一匹の蛙。

 

それは、何かを訴えるようにじっと村人を見つめていた。

 

村人は不思議に思いながらも、その蛙を気味悪がってすぐに立ち去った。

 

しかし、その日を境に村では妙な噂が流れ始めた。

 

**「夜になると、人の声がする」**

 

**「田んぼの中から、誰かが這い出ようとしている」**

 

**「蛙の鳴き声が、まるで名前を呼んでいるようだ」**

 

---

 

一方、僕——いや、「蛙になった僕」は、田んぼの中で意識を保っていた。

 

人間だった頃の記憶はまだはっきりと残っている。

 

だが、身体はもう以前のものではない。

 

皮膚は湿り、四肢は短く、喉が鳴るたびに自然と「ゲコ……」という声が漏れる。

 

それでも、僕はまだ「僕」であり続けていた。

 

いや、そう思いたかった。

 

**しかし、時間が経つにつれ、何かが変わり始めていた。**

 

感情が薄れていく。

 

言葉が浮かばない。

 

思考が、単純になっていく。

 

僕は何者だった?

 

僕はなぜ、ここにいる?

 

……いや、どうでもいい。

 

ただ、月が綺麗だ。

 

ただ、冷たい水が心地よい。

 

ただ、鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

**仲間たちと、共に。**

 

---

 

そして、ある夜。

 

僕は見た。

 

**次の「生贄」が、この田んぼを訪れるのを。**

 

それは、都会からやってきた若い男だった。

 

僕と同じように、不安そうな顔で田んぼを見つめていた。

 

彼はまだ知らない。

 

この場所に足を踏み入れた者は、決して逃れられないことを。

 

僕は、仲間たちと一緒に声をあげた。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

「コロ……コロ……」

 

次は、お前の番だ。

 

お前も、蛙になるのだ。

 

そう、僕たちはずっと——

 

**「生贄」を待っている。**

 

---

 

###

 

僕たちは、待っている。

 

次の生贄が、この田んぼに足を踏み入れるのを。

 

夜が来るたび、月の下で静かに鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

それは、呼び声。

 

僕がそうだったように、次の者もここへ引きずり込むための。

 

---

 

### **都会の男**

 

その夜、一台の車が村へ入ってきた。

 

車から降りたのは、都会の男だった。

 

スマホを手に、辺りをきょろきょろと見渡している。

 

「……ここか」

 

男は、田んぼを見つめながら呟いた。

 

どうやら、僕の行方を探しに来たらしい。

 

——それもそのはずだ。

 

僕が行方不明になったあと、村には何度も警察が入った。

 

けれど、誰も僕を見つけられなかった。

 

当然だ。

 

僕はもう、**人間ではないのだから。**

 

男は、田んぼの畔に立つ。

 

風が吹く。

 

水面が揺れる。

 

僕は、じっと彼を見つめる。

 

僕だけじゃない。

 

田んぼにいる無数の蛙たちも、彼に視線を向けている。

 

**仲間を増やすために。**

 

「……なんだ?」

 

男が顔をしかめる。

 

こちらを見ていることに気づいたのかもしれない。

 

気のせいだと思おうとしている。

 

でも、もう遅い。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

声をあげる。

 

仲間たちと共に。

 

男の顔が強ばる。

 

「なんだよ……」

 

彼は一歩、田んぼに近づいた。

 

その瞬間——

 

僕たちは、跳んだ。

 

無数の蛙が、一斉に彼の足元に飛びかかる。

 

「うわっ!? なんだ、なんだ!?」

 

男は慌てて蛙を振り払おうとする。

 

けれど、もう逃げられない。

 

彼の足は、泥の中に沈み始めていた。

 

「えっ……? 足が……!?」

 

田んぼが、男を飲み込もうとしている。

 

「助けて……! 誰か……!!」

 

悲鳴が響く。

 

けれど、誰も助けには来ない。

 

ここはもう、**水神様の領域** なのだから。

 

僕は、静かに彼を見つめる。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

彼の肌が、少しずつ湿り始める。

 

目が充血し、喉が震え、やがて……

 

彼は、鳴いた。

 

「ゲ……ゲコ……」

 

……また、一匹、仲間が増えた。

 

僕たちは、今日も鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

次の、生贄を呼ぶために。

 

###

 

新しい仲間が増えた。

 

都会の男はもう人間ではない。

 

泥に沈み、皮膚は湿り、喉からは自然と「ゲコ……」という声が漏れる。

 

最初は抵抗していた。

 

自分が蛙になったことを認められず、じたばたと足をばたつかせていた。

 

だが、時間が経つにつれ、それも無意味だと悟る。

 

僕がそうだったように。

 

僕たちは、ただ鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

月明かりの下、仲間たちと共に。

 

**次の生贄を待ちながら。**

 

---

 

### **都会の女**

 

それからしばらくして、一人の女が村を訪れた。

 

都会の男の婚約者だったらしい。

 

スマホを片手に、焦ったような表情で村の人々に聞き込みをしていた。

 

「彼は……この村に来たんですよね?」

 

「でも、帰ってこないんです」

 

村人たちは口をつぐんだ。

 

彼女を哀れむような目で見つめながら。

 

「やめときなはれ」

 

ある老婆が言った。

 

「ここに長くおったら……あんたも帰れんようになるで」

 

しかし、彼女は諦めなかった。

 

「彼を探さなきゃ……!」

 

そして、**夜になった。**

 

僕たちは、じっと田んぼの水の中から彼女を見ていた。

 

彼女は懐中電灯を片手に、畦道を歩いていた。

 

「○○くん……? いるの?」

 

僕はそっと近づいた。

 

いや、新しく蛙になった「彼」も、一緒にいた。

 

彼女は気づかない。

 

足元で、無数の目が光っていることに。

 

「ねえ、いるなら返事して……!」

 

僕たちは、答えた。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

彼女は息をのんだ。

 

**聞き覚えのある声だったのだろう。**

 

「○○くん……? どこ?」

 

懐中電灯が、僕たちを照らす。

 

水面に映る無数の蛙。

 

その中の一匹が、ゆっくりと前へ出た。

 

それは、**彼女の婚約者だった蛙。**

 

彼女は目を見開いた。

 

「……え?」

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

彼は何かを訴えたかったのかもしれない。

 

でも、もう言葉にはならない。

 

「……いや……嘘……」

 

彼女は震える足で後ずさる。

 

しかし、足元がぬかるみ、バランスを崩した。

 

「きゃっ……!」

 

彼女が転んだ瞬間——

 

僕たちは、跳んだ。

 

無数の蛙が、一斉に彼女に飛びかかる。

 

「やめて……! やめてぇぇぇぇ!」

 

必死に振り払う。

 

だが、彼女の足はすでに泥に埋まり始めていた。

 

「いやだ……助けて……助けて……!」

 

**誰も助けに来ない。**

 

田んぼの水が、彼女の口元まで迫る。

 

「……いや、いやぁ……!!!」

 

——水が、彼女を飲み込んだ。

 

そして。

 

静寂の中に、微かな声が響く。

 

「ゲ……ゲコ……」

 

**また、一匹、仲間が増えた。**

 

---

 

僕たちは、今夜も鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

次の生贄を呼ぶために。

 

**あなたを、呼ぶために。**

 

###

 

田んぼは静かだった。

 

ただ、月の光だけが水面を照らし、無数の蛙がじっと息を潜めていた。

 

その中に、新しく加わった二匹がいる。

 

都会の男だった蛙。

 

そして、その婚約者だった蛙。

 

**二人はもう、人ではない。**

 

人だった記憶は残っているかもしれない。

 

でも、時間が経てば、それも霞んでいく。

 

言葉は失われ、感情は薄れ、ただ水の中で生きるだけの存在になる。

 

やがて、僕と同じように。

 

やがて——**「待つ者」になる。**

 

**次の生贄を。**

 

**次の仲間を。**

 

---

 

### **異変**

 

それから数日後。

 

村の中で異変が起きた。

 

夜になると、村人の誰かがふらりと田んぼへ向かうようになったのだ。

 

それはまるで、何かに呼ばれるように。

 

「○○さん、どこ行くんや?」

 

家族が呼びかけても、ふらふらと歩き続ける。

 

そして、田んぼに足を踏み入れる。

 

翌朝、その人の姿はなかった。

 

代わりに、**新しい蛙が一匹、田んぼに増えていた。**

 

最初は一人だった。

 

しかし、次の夜も、また次の夜も——

 

村の人間が、一人、また一人と田んぼに消えていく。

 

蛙が、増えていく。

 

やがて村の人々は気づいた。

 

**田んぼの蛙の鳴き声が、人の声のように聞こえることに。**

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

「タス……ケテ……」

 

「コロ……コロ……」

 

それは、何かを訴えるような、不気味な旋律だった。

 

---

 

### **最後の村人**

 

そして、村に最後の一人が残った。

 

それは、かつて都会の男に「やめときなはれ」と忠告した老婆だった。

 

老婆は震える手で祈るように呟いた。

 

「……水神様、どうか……もう、これ以上……」

 

だが、祈りは届かない。

 

村の人間は、もう誰もいない。

 

田んぼにいるのは、ただ無数の蛙だけ。

 

老婆は、そっと田んぼを見下ろす。

 

そこには——

 

**人だった頃の顔を持つ蛙たちが、じっとこちらを見上げていた。**

 

「……許してくれ……」

 

老婆の目から涙がこぼれる。

 

それでも、蛙たちは鳴き続ける。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

「オマエ……モ……」

 

「コロ……コロ……」

 

月が雲に隠れた瞬間。

 

老婆の足は、泥の中に沈んでいった。

 

そして——

 

村は、完全に蛙だけのものになった。

 

---

 

### **その後**

 

数年後。

 

その村を訪れた者はいなかった。

 

廃村となり、地図からも消された。

 

だが——

 

その近くの田んぼでは、今も変わらず、無数の蛙が鳴いているという。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

まるで、誰かを呼んでいるかのように。

 

###

 

村が消えてから数十年が経った。

 

人々はその土地の存在を忘れ、地図にも載らなくなった。

 

だが、その田んぼはまだそこにある。

 

静かに、ひっそりと、待っている。

 

そして、今夜も蛙たちは鳴く。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

まるで、誰かを呼ぶように。

 

---

 

### **探索者たち**

 

「おい、本当にこんなところに村があったのか?」

 

男が地図を片手に呟く。

 

彼の名は田中。都市伝説を追うフリーライターだ。

 

隣には、カメラを持った後輩の西村がいる。

 

「でも、確かにこの辺りって昔、村があったらしいっすよ」

 

西村はスマホの画面を見ながら言った。

 

「けど、いつの間にか誰もいなくなって、今は廃墟すら残ってないって」

 

「ふーん……。ま、せっかく来たんだ。少し歩いてみるか」

 

二人は森を抜け、奥へと進む。

 

やがて、視界が開けた。

 

そこには——

 

**田んぼが広がっていた。**

 

「……うわ、マジであったのか」

 

驚きながらも、田中はカメラを構える。

 

どこか異様な雰囲気が漂っているが、それがまた彼の好奇心をくすぐる。

 

「なあ、西村、ちょっと動画撮ってくれ」

 

「はいっす」

 

西村がカメラを回し始めたそのとき——

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

「……?」

 

二人は顔を見合わせた。

 

辺りに蛙がいるのは不思議ではない。

 

だが、妙に規則的な鳴き方だった。

 

「なんか、変なリズムじゃね?」

 

「コロ……コロ……」

 

「……なあ、これ……」

 

田中が口を開いた瞬間だった。

 

——グチャッ

 

「うわっ!?」

 

西村が足元を見て叫ぶ。

 

「どうした?」

 

「踏んだ……! なんか踏んだ!」

 

西村が慌てて足をどかすと、そこには潰れた蛙がいた。

 

だが——

 

「……嘘だろ」

 

田中は息をのんだ。

 

潰れた蛙の体から、**人間の目玉が覗いていた。**

 

「な、なんだよこれ……!」

 

西村が後ずさる。

 

しかし、そのとき。

 

田んぼの水がざわめいた。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

水面に、無数の蛙が顔を出していた。

 

だが、それらは——

 

**すべて、人間の顔をしていた。**

 

**ぎょろりとした目が、二人をじっと見つめている。**

 

「う、嘘だろ……」

 

田中は後ずさる。

 

そのとき——

 

水面から、**何かが立ち上がった。**

 

白い着物を着た女。

 

髪が長く、顔は蛙のようにどろりと濡れていた。

 

そして、その口が、ゆっくりと動いた。

 

「タスケ……テ……」

 

次の瞬間、女の手が伸びた。

 

「うわあああああ!!」

 

田中と西村は必死に逃げ出した。

 

背後で、蛙たちが鳴き続ける。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

「コロ……コロ……」

 

まるで、彼らを追いかけるように。

 

---

 

### **帰還**

 

二人はなんとか車まで戻り、そのまま山を下った。

 

「な、なんだったんだよ、あれ……!」

 

「わ、わかんねえ……!」

 

都会に戻った二人は、すぐに映像を確認した。

 

しかし、**田んぼのシーンはすべて真っ黒だった。**

 

蛙の鳴き声だけが、はっきりと録音されていた。

 

「……もう、あそこには行かない」

 

二人はそれ以上、何も語らなかった。

 

---

 

### **その後**

 

それから数日後。

 

田中は、自宅で妙な違和感を覚えた。

 

夜になると、窓の外から小さな鳴き声が聞こえるのだ。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

都会のど真ん中で、蛙の声なんておかしい。

 

だが、それだけではなかった。

 

**朝、目が覚めると、布団の中が湿っているのだ。**

 

ある夜、ついに耐えきれず、田中は窓を開けた。

 

そこには——

 

ベランダの手すりの上に、一匹の蛙がいた。

 

小さく、黒ずんだ体。

 

その目は、どこか人間のようにギラついていた。

 

そして、その蛙は——

 

**田中の名前を呼んだ。**

 

「ゲコ……タ……ナ……カ……ゲコ……」

 

田中は絶叫した。

 

だが、それが終わりの始まりだった。

 

次の日から、田中の体は徐々に変化し始めた。

 

皮膚が湿り、手足が短くなり、喉が鳴るたびに「ゲコ……」という声が漏れるようになった。

 

**やがて彼は、姿を消した。**

 

彼の家には、ただ一匹の蛙が残されていた。

 

そして、その蛙は、今日も鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

まるで、新たな仲間を呼ぶように——。

 

---

 

###

 

田中が消えた後、西村は必死に彼を探した。

 

しかし、警察に捜索願を出しても、田中の行方は杳(よう)として知れなかった。

 

田中の家を訪ねると、そこには誰もいなかった。

 

ただ、一匹の蛙がポツンとベランダに座っていた。

 

「……田中さん?」

 

そんなはずはないと、自分でも思った。

 

けれど、蛙の目を見た瞬間、背筋が凍った。

 

それは、まるで人間のような眼差しだった。

 

そして、次の瞬間。

 

**「ゲコ……ゲコ……ニ……シ……ムラ……」**

 

西村はその場で悲鳴を上げ、逃げ出した。

 

---

 

### **恐怖の記録**

 

西村はすぐに、田中との取材で撮ったデータを確認した。

 

しかし、映像はすべてノイズまみれで、蛙の鳴き声しか聞こえなかった。

 

それでも、何か証拠を見つけようと、音声を解析してみると——

 

ノイズの奥から、微かに人間の声が聞こえた。

 

**「タスケテ……」**

 

**「ニシムラ……オマエ……モ……」**

 

**「コロ……コロ……」**

 

西村は青ざめた。

 

それ以来、彼の周りでも奇妙なことが起こり始めた。

 

夜になると、どこからともなく蛙の鳴き声が聞こえる。

 

玄関の前に、小さな湿った足跡が残る。

 

そして——

 

**夢の中に、田中が現れるようになった。**

 

**全身が泥にまみれ、ギラついた瞳でじっとこちらを見つめる田中が。**

 

「西村……早く、おいでよ……」

 

「一緒に、鳴こう……」

 

田中はにたりと笑い、喉を震わせる。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

西村は毎晩うなされ、次第に精神が追い詰められていった。

 

もう、逃げられない。

 

そう悟った西村は、カメラを持ち、**もう一度あの村へ向かうことを決意した。**

 

---

 

### **再び、あの田んぼへ**

 

夜の田んぼ。

 

そこには、やはり無数の蛙たちがいた。

 

「……田中さん、いるんですか?」

 

西村は震える声で呼びかける。

 

「ゲコ……ゲコ……」

 

蛙たちはじっと彼を見つめる。

 

次の瞬間——

 

水面が揺れた。

 

白い着物を纏(まと)った者たちが、泥の中から這い出してきた。

 

それは、蛙になりかけた元・人間たち。

 

田中も、その中にいた。

 

「……西村」

 

田中の唇が、不自然に動く。

 

「お前も……こっちへ……」

 

「やめろ……!」

 

西村は後ずさる。

 

だが、もう遅かった。

 

田んぼの泥が、彼の足を掴んでいた。

 

ずるり……ずるり……と、沈んでいく。

 

「嫌だ……! 俺は……!」

 

必死に抵抗するが、何かが彼の体を引っ張る。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

蛙たちの鳴き声が、鼓膜を震わせる。

 

そして——

 

彼の視界が、泥で覆われた。

 

暗闇の中、最後に聞こえたのは——

 

**自分自身の口から漏れた「ゲコ……」という鳴き声だった。**

 

---

 

### **終わりの始まり**

 

次の日、再び村は静けさを取り戻した。

 

ただ、田んぼには新しい蛙が一匹、増えていた。

 

そしてその夜も——

 

蛙たちは鳴き続ける。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

**次の仲間を待ちながら。**

 

**あなたが、この村を訪れるのを。**

 

それからしばらくして、田中と西村の失踪はひそかにニュースになった。

 

**「都市伝説を追っていたフリーライターとカメラマンが行方不明」**

 

だが、二人の足取りは途中で途絶えていた。

 

警察が捜索に向かったものの、**村の跡地は見つからなかった。**

 

地図にもない。

 

航空写真にも映らない。

 

まるで、最初からそんな場所は存在しなかったかのように——。

 

けれど、**彼らは今もそこにいる。**

 

田んぼの中で、蛙の群れに紛れて。

 

そして今夜も鳴く。

 

「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」

 

誰かが、自分たちの元へやって来るのを待ちながら。

 

---

 

### **消えた村の噂**

 

それから数年後、田中たちの失踪事件はすっかり忘れ去られていた。

 

だが、ごく一部の人々の間では、彼らが最後に向かった「消えた村」の話が都市伝説となって語り継がれていた。

 

そして、興味を持った者たちが、その村を探し始めるようになった。

 

あるインターネット掲示板では、こんな書き込みがあった。

 

**「消えた村に行ったら、変な鳴き声が聞こえた」**

 

**「田んぼの中に、人間の顔をした蛙がいた」**

 

**「夜になると、どこからか自分の名前を呼ぶ声がする」**

 

**「もう遅い……」**

 

その書き込みの後、その投稿者は消息を絶った。

 

---

 

### **君は、信じるか?**

 

もし君がこの話を読んでいるなら、今夜、少し気をつけたほうがいい。

 

夜の静けさの中、ふと蛙の鳴き声が聞こえたら。

 

それは、ただの蛙の声ではないかもしれない。

 

**「ゲコ……ゲコ……コロ……コロ……」**

 

……よく耳を澄ましてみろ。

 

もしかしたら、その鳴き声の中に、かすかにこう聞こえるかもしれない。

 

**「オマエ……モ……」**

 

**「コッチ……ヘ……」**

 

**「ゲコ……ゲコ……」**

 

そのとき、決して外を覗いてはいけない。

 

絶対に、田んぼには近づいてはいけない。

 

さもないと……

 

**次に鳴くのは、お前だ。**


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