「おいおいおいおい、なんで撃たれてんだ!?」
レイジは無言でカナタを強く抱えた。降りかかる瓦礫の雨を、かわりに受け止める。
夜空から降り注ぐ銃弾の勢いは一向に衰えない。大口径の掃射でクレーターの表面が沸騰したように掘り返されていく。
空を見上げてぼうっと立ち尽くす棘皮人間たち。
そのうちの一体の足元が大きくえぐれ、衝撃が巨体を空中に投げ出す。あまりに激しい銃火が、空中でその体を八つ裂きにしてしまう。
巨大な怪物でも、空まで手が届くはずがない。
レイジの指先に、ほんの一瞬暗い光が宿るが—―腕の中から見上げるカナタに気づいて、彼はそれを、そっとしまった。
「逃げよう」
そして駆け出す。
止まらぬ銃撃の嵐は無差別だ。レイジたちも狙われている。
怪物たちがブチ撒けた体液でぬめる地面を必死に掻いて、彼はクレーターの斜面を駆け上った。
棘皮の怪物たちを縫って逃げる間、近くでは瞬きのたび爆風が巻き起こり、黒い体液と泥が宙を舞った。
立ち込める砂塵のカーテンは濃厚だが、レイジの味方はしてくれない。駆けずる彼らの姿は頭上からは丸見えで、格好の標的だ。
レイジの手が、クレーターのヘリにかかる。
直後、ゴバ、と音を立ててアスファルトは砕け散った。ついでに数本の指が根元から吹き飛ぶ。
「レイ、ぶわっ!」
「頭を出してはだめだ。俺を盾にして、なるべく体を縮めて」
やや乱暴に、カナタを胸の中に抑え込んで”それ”を見せないようにした。
血を流す肉の塊になり果てた手首は、鉄の嵐が吹き荒れるクレーターから転げるように抜け出した時には完全に再生を遂げていた。
足を止めるわけにはいかない。遥か天空でゴウゴウと音を立てて旋回する噴射炎のいくつかが、彼らに気づいて編隊を組み直すのが見える。
ギュボッ
彼の耳元を熱が通り過ぎ、目の前の木造家屋が紙細工のように引き裂かれた。
「やっべえ……」
「ン……」
より強くカナタを抱いて、今まさに内側に向かってしなだれるように倒壊する建物にレイジは飛び込んだ。盾にはならないが、目隠しとしては使える。
何度聞いても、肝冷えする着弾音だった。
彼の体は筋肉の鎧に覆われているが、岩をも砕く銃弾を受けてはひとたまりも無い。
彼に自分の命を惜しむ気持ちはないが──今はカナタと文字通りの一蓮托生だ。諸共に撃ち抜かれ、胸の中でトマトソースのように彼女が弾けるところなど、想像もしたくない。
明かりが落ち、闇に巻かれた民家の中は小迷宮のようだった。
屋根越しに何発も対物ライフルの狙撃を受けながら、レイジは古い作りの居間を通りかかる。
「町は誰かの思い出……」
それが、元人間であると知っているのはレイジだけだ。
「あ?」
今まさに粉々に消し飛ばされようとしている家の住人であった彼らに、してやれることは余りに少ない。
床に垂れ、ぶくぶくと泡を吹く黒い汚泥から目を逸らして、レイジは
待ち構えていたような集中砲火に晒されるが、かろうじて、彼は倒壊したビルと火災の中に転がり込んだ。
すっかり日が落ち夜の帳に落ちた廃墟の中で、二人の周りに存在する光は、あちこちで上がる火の手だけだ。赤々と照らし出されたレイジの顔は、いつの間に泥と、おびただしい血にまみれていた。
「それ、痛くないのかよ……」
跳ねた弾でぞっくり頬を削られて、骨が見えるほどの傷がそこにある。
「俺は……大丈夫だ」
「そればっか。かしてみ」
瞬きのうちに、その傷は塞がっていた。
彼にとっても未体験の修復速度だ。彼の目覚めた肉体は、怪物じみた速度ですべての傷を閉じる。
カナタはそれを、火照りと闇夜の生み出した錯覚と受け取ったようだ。
疾駆するレイジの懐からそっと伸ばされた手が彼の頬に触れるが、そこにあるものは乾いた血の塊と、テラリと光る傷跡でしかない。
「な。オマエの体──」
バタバタバタッ
「あ?」
意識の外側から這い寄ってくるような足音が彼女の言葉を遮った。
「あっ、あのやろう……ッ!!?」
レイジの肩越しに顔を出したカナタが素っ頓狂な声を上げた。
バタバタバタタと扁平な足で音を立てて、迫ってくる”つくり笑い”。
いったいあの銃撃の中をどう切り抜けたのか、大柄な棘皮人間の左腕は、肩のあたりで千切れていた。
折り重なった陸橋や電柱の残骸の間をヒョイヒョイと
汚泥の黒で町並みを汚しながら、彼は着実に距離を詰めてきていた。
激しい銃火は、その動きを捉えきれない。
そして”つくり笑い”が歪んだスマイルを向ける相手は、レイジとカナタだ。文字通り満面の笑みをたたえた口だけの怪物は、その激しい息遣いにいっぱいの獣欲をみなぎらせる。
「がんじょうなヤツだ」
走りながら、割れ砕けて倒れたカーブミラーの端にその影を認めて、レイジが口走った。
「オマエがそれ言うのってなんか──んぎっ」
もっともなツッコミだったが、冴える前にカナタが舌を噛んだ。
彼女を運ぶレイジが急カーブを切って近くの小道に逃げ込んだからだ。
空の”星”のひとつが業を煮やしたように、いくつもの小さな光を解き放つ。二人の頭上を掠めていった火の矢の正体は
数十メートル先の雑居ビルに小さな明かりが灯る。
直後、あたり一面が真昼のように輝くと、つんざくような爆音とともにカナタの頬を衝撃波が張った。
地響きと共にビルが倒れこむ。
「カナタ、少しだけ息を止めてくれ」
炎の柱と化したビルの下を、レイジは潜り抜ける。
息が詰まるのほどの爆熱の中、胸元のカナタが苦しげに咳をするのを聞きながら、レイジは夜空を見上げた。
ビルの大火に照らされて、そこを飛び回る先鋭的な形状の機体の姿がよく見える。
ネイビー・ブルーに塗装された装甲版を噴射炎にきらめかせ、星空を駆け巡る姿はまるで流星だ。それでいて、時折慣性を無視して急停止し、あるいは直角に曲がる。
「飛んでいる。あのスピードで狙撃してくる。ヘリでも飛行機でもない。なんだ、あれは!」
「アタシが知るかよ!」
カナタは息を荒げて叫び返した。
頭上からは絶え間ない銃撃、背後からは”つくり笑い”。同時に相手するには、あまりに分が悪い──と、破壊されつくした町の中に目を走らせたレイジが見つけたのは公民館だった。
黒い波となって闊歩する怪物たちと、雨のような銃火。七区は壊滅状態だったが、それでも鉄筋コンクリートの公民館はなんとか原型を保っている。
「あそこに逃げ込もう」
カナタの返事を待たず、レイジはスピードを上げた。
廃墟に渦巻く混沌の中で、彼は相当目立ったのだろう。雨のように周囲を打つ弾の勢いが増し、砕かれて弾け飛んでくる壁やアスファルトの破片を、カナタは全身の皮膚で感じる。
「大丈夫」
薄い笑みを浮かべてレイジは呟いた。
「大丈夫さ。俺たちなら、どこまでもいける。海にだって、きっと」
彼自身、カナタに言っているのか、自分に言い聞かせているのか分からない。
その言葉に後押しされるように廃墟を駆け抜け────見える。目の前に、ガラス張りの正面玄関。
行儀よくドアを開けて入るなんて考えは、地獄の豪雨に追われているレイジの頭にハナから無い。
察したカナタがぎゅっと固く目蓋を閉じるのと同時に、彼の巨体が正面のガラス戸を粉砕した。
衝撃。
ダメ押しに打ち込まれたロケット砲の一発が、彼らのすぐ背後で炸裂した。
撒き散らされたガラスが嵐となって吹き荒れる中、ごろごろと転げたレイジの腕から、カナタがすっぽ抜ける。
「カナタッ!」
爆風に打ちのめされるレイジの視界で、彼女の体の上に、金属製の下駄箱が折り重なるように倒れていくのが見えた。
■
「アタシは……無事。って言えるのか、これ」
くしくも、それが破片と熱風からカナタを守ることに繋がった。
塗装が黒く焼けた棚と棚の間から、白い手が振られている。うまい具合に隙間にハマり込んだ彼女のことを引っ張り出すレイジの背中はシャツが破れ、焦げていた。
「オマエ、なんで無事なの?」
「なんでだろうな……」
彼女が浮かべた訝りのまなざしは──すぐに、迫りくる脅威へと向けられた。
「あのバケモン、どうなった!?」
そうだ。
その言葉にレイジが勢いよく振り向く。
ひょろながい姿が駐車場の柵を乗り越えた。赤く染まった七区の空を背景に、ごちゃごちゃに積みあがった自動車の上にそのシルエットが現れる。
ぺた──ぺた──バタバタバタバタッ
”つくり笑い”はすぐさま走り出した。
獲物はすぐそこ。しかも、足を止めている。
グングン速度を上げてくる棘皮の怪物との激突は、避けられない。
カナタを背後に押しやって、レイジが構える。”つくり笑い”がカギ爪を振り上げる。この怪物の姿を見て取って、射撃が始まる。
しかし、ぬめるように体を翻して、”つくり笑い”は弾を避ける。
ヒュルルル、と、場違いに気の抜けた音が響いたのは、まさにあと数歩で”つくり笑い”が正面入り口に突っ込んでくる瞬間だった。
未知の危険を察知して、怪物が飛び退がる。
その判断に間違いは無い。事実、彼に狙いを定めた砲弾はヒレのついた足をかすめて、地面に深々と突き刺さった。
問題は、それがこれから引き起こす破壊の種類だ。
ロケット──いや、違う。あまりに寸胴。そして、そのデザインが放つ気配が、あまりに剣呑。
「まずい!」
ドパッ
カナタを抱きかかえて、レイジが棚の影に飛び込んだ。
彼の背後で黄色い炎の花が咲く瞬間が、カナタにはハッキリ見て取れた。
「ぐ」
二人はひとつの塊のようになって、床の上でバウンドした。あれほどに揺るがなかった男が苦悶の声を漏らす。じゅう、と、化学繊維と何かが一緒になって焼けた嫌なにおいが鼻をつく。
「ぶ、無事か」
「そっちこそ大怪我じゃねえかよっ! アタシかばって死なれたら、寝覚めが」
「いいから。俺は大丈夫だ。何があっても」
その言葉通り、彼の皮膚には白い火傷跡が残るだけだ。
このレイジという大男の得体が、カナタには知れない。派手に衣服が破れたり焼けたりするのに、ケガというものをしない。
しないというより──ないことになる、とでも言えばいいのか。気づけば、あれほど酷く切り裂かれたはずの肩口も、今や残骸同然のシャツに血の染みを残して綺麗になっている。
「それよりも、アレ──」
レイジに促され、彼女は公民館の外に目を馳せる。世界が”つくり笑い”ごと、火の海に変わっていた。
「ア…………?」
ナパーム。
時は平成。レイジでも知る常識だが、化石燃料は九十年代に一滴残らず採り尽くされた。
そんなガソリンを惜しみなく使った油脂焼夷弾。火の海に取り残された”つくり笑い”は、ひしゃげた口から汚泥の塊と共に困惑の声をひりだした。
さすがの怪物も、焼かれるのはゴメンなのか、慌しく体を叩いて火を消そうとする。だが、それは決して消えない炎だ。
徐々に動きが鈍る”つくり笑い”を何発もの銃弾が射抜いた。
赤い焦熱の中に黒い飛沫が飛び散り、怪物が踊る。
四肢がハネ飛ばされ、その場に跪く。
入り口から押し寄せる熱気に耐えながら、レイジとカナタは、怪物の末路を見つめる。
”つくり笑い”はなおも、不自由な体で二人のもとへ這っていこうとした。
近づくエンジン音を追って、その顔がふと空に向く。瞬間、巨大な鋼鉄の足が舞い降りて黒い怪物を踏み潰した。
「なっ!?」
「しっ」
あれほど執拗だった”つくり笑い”は潰れた皮袋のように地面に薄く広がってピクリとも動かない。
熱に炙られ、ねじれ曲がったドア枠に、鈍く輝く指がかかる。
焦げ臭さと共に公民館の中に流れ込んできたのは、重苦しい駆動音だった。シリンダーを伸縮させ、五メートルはある鋼の巨人が身をかがめて中を覗き込んでくる。
重厚な装甲板の隙間で、緑色の一つ目が光る。センサーだ。
何もかも見通すようなレーザー光が屋内に投げかけられ、荒れ果てたホールの様子をスキャンする。
倒れた下駄箱の陰から様子を伺う二人の姿は見えないはずだが、緑色の凝視が一瞬目の前の床で強く輝いた瞬間、カナタの心臓はノド元にまで跳ね上がった。
『ザッ────掃──継続──子供の──追────応援────』
不鮮明な通信音を漏らしながら、巨大なライフルを構えた巨人が地響きを上げ去っていく。
「んだよ、アレ」
「パワードスーツ……」
「あ? ロボットってんじゃねえの、ああいうの?」
安堵に胸を撫で下ろしたカナタの隣で、レイジは公民館の外を指差した。
次々と黒煙をオレンジに染め上げながら機械式のスーツが降り立ってくる。
機体が燃え上がる路地を踏み荒らし、無謀にも素手で殴りかかってくる棘皮人間の群れを無慈悲に射殺していく。
その中の一機が掲げた腕が火花を散らしながら左右に割れ、中から凶悪なうなりが響く。現れたのは巨大なチェーンソーを並列三基組み合わせた、暴力の塊だ。
それが目の前の群れに突撃していくと、何十という怪物を一瞬で黒いジャムに変えた。
「うえ」
舞い飛んだ肉片が公民館の壁を真っ黒に染め上げるのを見て、カナタが顔をしかめた。
「アレが、アタシたちを撃ってたやつらか?」
「動きがスムーズだ。着ぐるみみたいに、中の人間の動きに直接合わせるタイプだろう」
「中身は人間なのか? それロボットと何が違……まあいいや」
廃墟の暗がりで、カナタの瞳が青く光を放ってる。
「オマエ、映画オタクなんだっけ?」
「そこまでたいしたものじゃない」
レイジが、困ったように目を逸らした。
執拗な爆撃の影響でこの区画の送電網はズタズタに引き裂かれ、公民館の奥には濃密な暗闇が渦巻いている。
「ここが西七区の公民館だとすれば、裏手は古い住宅街だ」
複雑に折り重なった廃墟の様子がカナタの脳裏に浮かんだ。
「道は狭いし、物陰も多い。うまくそこに紛れて、逃げ延びるとしよう」
立ち上がったレイジの後を追ってカナタも歩き始める。
明かりひとつない、薄暗い廊下は世界から切り離されたように静かだ。リノリウムの床に反響するのは二人分の足音と、遠い断続的な銃声だけだった。
「なんかさ、戦争って感じ」
薄暗がりに差し込むわずかな光の下で、大柄なレイジの輪郭がうなずいたのが見えた。
「ホント落ち着いてんのな」
「手を」
道を塞ぐロッカーは、腐食した鉄骨に支えられて斜めに倒れ、埃が漂う中で不安定に揺れていた。レイジは微塵も気にする様子もなく、瓦礫に軽やかに飛び乗ると手を差し出してきた。
「ん。サンキュ」
カナタの体が引き上げられる。
まるでバラの茎でも握ったようにチクリと皮膚を突き刺す感じに、彼女は少し驚いた。指、そして甲にまで、全体に隙間無く敷き詰められた古傷の多さに。
「こう見えて、かなり取り乱してる」
「そうは見えねーけどな」
崩れたロッカーの下から、折れ曲がった鉄骨が不気味に突き出している。その隙間を通り抜けるたび、カナタの足元が不安定に揺れた。レイジが再び抱き上げようとするのを「いいよ」と振り払って、カナタは先に立って歩き始める。
瓦礫の上で、ピンと両腕を伸ばしてバランスを取るカナタを、レイジは腰を低くして追いかける。いつでも彼女を支えられるように。
「アタシばっかキイキイ騒いで、なんか、うるせえよな」
「そんなことはない。俺の言葉で気を悪くしたら謝る」
レイジの声のぼんやりした響き。怪物の群れを殺戮しているときの熱っぽさはどこへやら、あれだけの大暴れのあとでも、彼は息ひとつ乱さない。
「なんでオマエが謝るんだよ」
「カナタが嫌がるのは、俺もイヤだ」
「ヒトサマの機嫌がそこまで大事か」
ゴリゴリという奇妙な音が背後から聞こえてきて、カナタはつい振り返った。レイジが具合悪そうに、太い指で頭を掻いている音だった。
「カナタは、俺の運命だ」
「よせったら」
瓦礫の山を渡りきったカナタが勢い良く床に飛び降りた。
「何かカンチガイさせたら悪いけど、アタシ、そんなんじゃねえから」
そして、背後のレイジを鋭く睨み付けてから、廊下を歩き始めた。
「助けることで、助けられた──ってのは、なんとなく、分かるけどさ」
知らない町の、イカれた場所で出会って、そして命を救われた。だけど、しょせん彼女にとって、レイジはさっき出会ったばかりのウスノロでしかない。
そしてカナタ自身も名前以外全部どこかに落っことしてきたポンコツだ。
彼女が互いの間に感じるものは、運命なんかじゃない。通院の必要性という共通点だけだ。
「マジで冗談キツいっての……」
もう一度、釘を刺すように放った言葉はガランとした廊下に反射して、彼女の思いのほか空しい響きを後に残した。
「なんと言おうと──」
「ハイハイ。分かった分かった。とにかく、運命とやらはよそで探しな」
早足に追ってくるレイジの言葉を軽く流して、カナタは廊下の突き当たりにある引き戸に取り付く。
「ふんっ……」
後ろで何かが引っかかっているらしくビクともしない。
彼女がレイジに目配せするより早く、ざらざらとした彼の手が、取っ手に添えられた。
「いいか。いち、にの、さんでいくからな。いち────」
「俺はずっと夢を見てきたんだ。ほんとうに、ひどい夢を」
「ちっ」何度も何度も同じことを繰り返されて、いい加減カナタはうんざりしていた。完全無視して、腕に力をこめるタイミングを見計らう「にい────」
(うざってえ)
彼女はそう、胸の中で切り捨てる。
切り捨てたはずだが──どうにも、彼の口走った”夢”という話が、喉にひっかかった小骨のように妙に気になる。
「で。夢って、どんな」
「さん!」
レイジの気合の声に、カナタの問いかけは完全にかき消された。
「うあ!」
ちょうど完全に気を抜いていた彼女はレイジが乱暴にドアを開け放つ動きにつられて引っ張られ、その勢いでゴロゴロと床を転げた。
「おい、今のタイミングはひでえだろ!」
転がる途中で肘を打ったらしく、カナタが痛みに顔をしかめながらレイジを睨みつける。
「行こう」
「ンだよ。無視か? ふざけやがって──」
開け放たれたドアの先にさっさと進んでいくレイジと、それを追うカナタ。彼の広い背中に向けてぐちぐちと文句をタレ続けていた彼女は、その先に広がる光景を目にして言葉を失った。
そこは体育館だった。のだろう。
一面が温室のようなガラス張りだが、今はそのほとんどが割れ砕け、床の上で細かなかけらが反射している。
カナタの目が吸い寄せられたのは、鳥カゴのように残った窓枠の向こうに広がる風景だった。
赤から青。青から紫へのグラデーション。そして、そこにちりばめられた、銀の炎のような星々。美しい──たとえ地上で虐殺が繰り広げられているさなかでも、そう思う。
だが、それはどこかやりすぎだと感じてもいた。
まるで映画のセットか、精巧に作られたジオラマの背景のようで、あまりの綺麗さに、手を伸ばせば、本当に星空に触れてしまいそうな非現実感がある。
「キレイだな」
作り物みてえだけど。
そんな言葉を秘めた胸の前で、彼女は手を組んだ。
「ああ……そうだな」
レイジが見つめるのは空ではなく、カナタだ。
空の青紫を映し出す鏡は水面だ。
空を見上げる彼女の瞳に映る星々は、夜空そのものよりも鮮やかで、ずっとずっと美しい──というようなことを言ったら確実にヒかれることは承知していた。
なので、彼も言葉を胸に秘め、しばし夜空に見入ることにした。
「でさ」
だが、カナタがその静寂を早々に打ち切った。
「忘れてねえぞ。オマエの見てる夢っての────」
「カナタ!」
カナタの背後にのっそりと黒い大きな影が立ち上った。
それは二メートルを優に超える。全身に割れたガラスを突き刺して床の一部に擬態していた棘皮人間の存在は、レイジにとっても完全に予想の範疇を超えていた。
鋭利な破片にまみれた両腕がカナタの喉笛に向けて伸ばされる。
「やっべ……」
間に合わない。
そうレイジが悟った瞬間、巨大なカラスのような影がレイジの頭上で
駆け抜ける旋風が床に散らされた無数のガラスをかき鳴らし、新鮮な夜風が、臭い立つ汚泥の香りを払拭する。
そして風が止んだ時──レイジもカナタも、そして怪物ですら、時間が止まったように静止していた。
ズシャ。
怪物の首に生まれた切り傷からドロリと黒い血が染み出したかと見えると、その首がゆっくりと斜めに滑り落ちた。
その断面は一切ささくれておらず、あまりにも鋭利だ。
窓の外から文字通り飛ぶようにやってきてそれをなしたものは、体育館の片隅に跪いている。
都合よくピンチに駆けつけるヒーローなど、現実に期待してはいけない。
それが、怪物以上に危険な存在であることは明白だった。
「バケモノ退治に来てみれば」
ゆらり。
男とも、女ともつかぬ、加工された声を迸らせながら、そいつが立ち上がる。
黒い体液に濡れたブレードが暗闇に投げかける光は、どことなく
「ボーイミーツガールと洒落込むガキの子守……」
その切っ先が、二人に向けられる。
「いや、オマエは違うようだ。ヒトか、バケモノの仲間か? なんなんだ?」
正確には、カナタへと。
無数のセンサーと
黒いビニール様の外套を羽織った姿は、外を飛び交うパワードスーツに比べると細身だ。
しかし、その長身を覆う機械式の外骨格から放たれる威圧感は並のものではない。
鋼鉄とカーボンで武装した殺戮者が、己の顔の前でブレードを横一文字に構えて見せた。それは片刃で、湾曲した刃にはソリがある。刀だ。
過冷却された刃に霜が降り、こびりついた黒い体液が剥がれ落ちていく。
「ニンジャ…………」
その立ち姿を見たレイジの口から、言葉がこぼれた。