海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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10.深夜/ア・ラック・オブ・オキシジェン(1)

 

「なんだよォ!」

 

 フミオの絶叫が、夜の闇に落ちた通学路に響いた。

 

「何が『裏切りモノにはもってこいの仕事』だよッ! 酒屋の雑用じゃねえかッ!!」

 

 大山のような量のビールケースをあらかた軽トラックに積み込み終わって、フミオは軍手を地面に叩き付けた。

 

「家業はれっきとした仕事だろうが!」

 

 息子に任せっきりでビールを飲んでいたブンタが怒鳴り返した。

 語気は強いが、今日の彼はいつになく上機嫌だ。ほろ酔いの彼は足元に積み重なった空き缶を蹴飛ばして、歌まで歌っている。

 日中()()()()()()()()で深く切って、絆創膏を貼った額を掻きながら奏でられるのはモーニング娘。の『LOVEマシーン』。

 キリエがゲロ吐いて暴れて忘年会禁止になるまで、防衛局わくわくカラオケ大会でのブンタのオハコだ。

 世紀末を代表する不朽のアイドルソングが、世界の終わりを過ぎ越した地下都市の夜に響き渡る。

 

「にーっぽんの未来はッ!」

 

 ブンタはその後の『ウォウウォウ~』のリズムに合わせて、脂ぎったハゲ頭をパンパン叩く。

 

「せーかいがうらやむっ!」

 

 自前の打楽器を叩きながら、彼はいつになくご満悦である。

 

「うるっせえ! いい歳こいて、パンパンパンパンやってんじゃねえ! でもって、酒屋のオヤジが缶ゴミ散らしてんじゃねえよ!」

「どうせ片付けるんだから構やしねだろ!」

「俺なんだよ! 二日間ずーっと居酒屋だの旅館だのに配達しながらアンタが飲み散らかしたゴミ、ずぇーんぶ俺が拾って歩いてンだよ!

 

 ポッキリ折れてるこの足でよ! ──と、フミオは右足を覆うサポーターを叩く。

 

 軍手に隠されていた手は、イカれた重労働のせいでボロボロだ。

 その手を擦り合わせながらやってきたフミオは、あれだけ言い合っていたブンタのすぐ横にドッカリ腰を下ろす。

 西高前でブンタに連れ出されてから48時間、ほとんど寝る間以外、ケースの回収やら配達やらで馬車馬のように走らされた。

 

「オラ」

 

 ブンタが差し出してきたビールをフミオが受け取る。

 

「おん」

 

 そのまま二人、用水路沿いの道端で、夜空を見上げて思いっきり缶ビールをあおる。

 水分補給すらままならなかった体で、おまけに腹の底が裏返りそうなほどの空腹。決していい飲み方ではない。

 だが至福だ。フミオは、渇きに任せ息継ぎさえも忘れて、貪るように飲み干していく。

 そうすると彼の体はスポンジのように水分とアルコールを吸い込んで、チラつく外灯の光がボヤけて見えてくる。

 

「「くあ~っ!」」

 

 飲み終わって声を上げて、口元を拭って缶を潰してトラックの荷台に放り込む。

 ここまでの動作が、完璧に親子でシンクロしていた。

 

「マネすんじゃねえよ、マセガキ!」

「アンタがマネしてんだろが!」

 

 二人の声が夜道に響き、しばしの沈黙が訪れた。ふと目が合い、なんとなく気まずくなって、二人はやはり同時に目を背けた。

 

『わかんねーなー、親子って』

 

 顔を背けたままの親子の間には、今日も少女の幻覚がいる。

 彼女の体はメトロノームのように左右に振れ、顔立ちで言えば似たところのまったくない二人の間を行き来する。

 これはレイジを裏切った日、彼から感染した呪縛だ。フミオにずっとへばりついている。

 

『フミオ……ええと……なんというか、私って胸張って人の子って言えない、からさあ。親子って、どんなん?』

 

 ねえ。ねえねえねえねえったら──それが彼の神経を逆撫ですると知ってしきりに話しかけてくる彼女のことを、フミオは無視し続ける。

 こういう、落ち着きたいときには何をするか? 

 タバコだ。

 フミオはポロシャツの胸ポケットから取り出した両切りタバコをくわえ、おもむろにライターで点火する。

 

「酒屋の仕事って、思ってたよりヤベんだな」

 

 安いライター。安いタバコ。酒と煙が潤滑剤になって、普段口にできない言葉が、スルリと抜け出てくる。

 

「俺、今度からチャンと手伝うよ。大変そうだし……」

「あ、いや、普段はこんな忙しくない。俺サマがアチコチのお得意さんにムリ言って忙しくして貰ったんだわ」

「あぁ!? 嫌がらせか!?」

「折角せがれがやる気出してくれたしよォ。仕事に慣れてほしくってさァ!」

 

 膝を叩いて笑うブンタの隣で、フミオは背中を丸めて新しいビールをすすった。疲労のせいもあるのか、酒の回りが早い。

 

「でもよォ、少しは気が紛れたろ?」

 

 ブンタの言う通りだ。フミオはそう思う。

 

「少しは、な」

 

 少しどころでなく、養父の助け舟はありがたかった。

 レイジと決別してから、何をしていいか分からなくなっていた。

 あのシャフトの存在を教えてくれた『カナタの顔の女』とも、あれから会っていない。ヒーローの武器──そう言われた怪しげな背骨は、血管と神経のカスがへばりついた、グロテスクな遺品でしかない。

 彼に力を与えてくれることはないし、語りかけてくることもない。

 とりあえず、背骨は容器ごとフミオの部屋の冷蔵庫で眠っている。

 防衛局のリーダーであるはずのブンタは、息子がトップシークレットを雑に扱うことについて、何も言ってこない。

 心底どうでもよさそうに、毎夜酒のビンをあおるだけだ。

 

「な。オヤジ──」

「んだよ、バカ息子」

 

 二日間という時間は、フミオを僅かに変えた。それが、ブンタの呼び方だ。

 はじめのころはその名を出すたび気恥ずかしさを感じていたが、だんだんと慣れてきた。それでもまだ、養父の顔を見て言うことはできない。

 

「どうして九〇年代で、西町の時間を止めちまってんだ?」

 

 軽トラの車体に体を預けるフミオの隣で、ブンタが缶をくわえたまま端末を操作している。

 全面が液晶の端末は薄く、ボタンが無い。すべての操作をタッチパネルで行う、ハイ・テクノロジーの産物だ。

 こうした技術をいくつも持っているのに、防衛局は世紀末に留まりたがる。

 角ばったコーラの自販機、フィルム上映の映画館。ブラウン管にトタンのバス停──途方も無い労力を払って、彼らは地下2000メートルに(フル)い日常を捏造した。

 七年前からずっと、泥濘(ヌカルミ)のような過去で足踏み。

 フミオには、到底理解できないセンスだ。

 

「んー、そうねえ……」

 

 質問にブンタはすぐ答えず、腕組みして唸った。

 騒々しいクソオヤジが黙り込むと、あたりはウソのように静かになる。遠くに見える駄菓子屋の日焼けした白看板がライトアップされて闇に浮き上がっている。

 チョロチョロと音を立てて流れる川の音に耳を傾けていると、まるで波のように疲労がフミオに打ち寄せてきた。

 

「ノスタルジー……」

 

 このまま朝が来るまで眠っちまうのも悪くないな。フミオがそう思って目を閉じようとした時、黙ったときと同じくらい唐突にブンタが口を開いた。

 

「ノスタルジー?」

「うん。懐かしくてキュンとくるやつな」

「こんな所で聞くとは思わなかった」

 

 ブンタがタバコを咥えたので、フミオはライターで火を点けてやった。ただ、いつも自分がしているから、養父にも無意識にそうしてやっただけ。

 

「ハハ……」それだけのタバコを、ブンタは実に旨そうに吸う。

 

「なんだよ、ニヤニヤ笑っちまって、気持ち悪ィな」

「そりゃ笑うだろ。お前さんが俺サマのタバコに火をつけてくれたンだぞ?」

「防衛局のトップサマなら、タバコどころか昼飯のパシリだろうがトイレ掃除だろうがやってもらえるだろ。それこそ、誰にでも」

「そうじゃねえんだよなァ……まだ分からねえかなあ、お前さんには」

 

 ブンタの吹き上げた紫煙が一瞬ハゲ頭の上で渦を巻き、すぐに夜風に吹かれて消えていく。

 

「いい時間ってのはな、ずっと取っておきたくなるだろ。

 それが理不尽に奪われ、壊されたとあっちゃ尚更だ。楽しかった九〇年代。踏みにじられた俺たちの世界。グダグダと、ゴネにゴネて作り上げた公私混同の理想郷(りそうきょう)……」

理想郷(ユートピア)、か」

 

 フミオはビール缶を潰して、肩越しに背後のトラックに向かって放る。

 ノーコンだ。酔いのせいか、もともと入れる気が薄かったのか、ひしゃげた缶は荷台を囲うついたてに弾かれ、乾いた音を立てて路上に転がった。

 

「あーあ、後でちゃんと拾っとけよな……」

「俺はこの町が理想郷だなんて思わない」

 

 ろれつの回らないブンタに向かって、フミオはキッパリ言い放った。

 

「俺を振った元カノは、拷問部屋のような家でのた打ち回ってた。誰も手を差し伸べてやらねえアル中に、延々と自分の体を潰してなきゃ狂っちまうマッチョに……俺が地獄の苦しみを思い出させたカナタも、あんたの作った理想郷の住人だった。そうだろ」

 

 そんな反論を食らっても、ブンタは顔色ひとつ変えない。

 

「どんな町にも、どんな学校にも、どんな家庭にも地獄は潜んでいる」

 

 とうにカラになった缶を口に運ぶ。

 

「そんなモンだろ。カンペキなんて、ありゃしねえ」

「だからさ。理想郷なんてアンタが軽々しく口にすると……俺はどうしても、首を傾げちまうぜ」

「言ったろ。公私混同なんだ。俺サマは人類の先行きなんてどうでもいい。ただ居心地のいい世界で生きて、楽しいことやって死んでいきてえ。儲からねえ酒屋のオッサンとかな」

 

 軽蔑するべきか、同情を示すべきか、フミオは決めかねた。

 目の前にいるのは防衛局のトップではなく、商店街で唯一の酒屋の店主でもなく、ただの、酔っ払った、心が弱った中年男でしかなかった。

 

「俺もかつては英雄(ヒーロー)を夢見た。ウルトラマンみてえにクソ怪獣から人類を救うんだって息巻いていた。バカみてえだが、あの頃は本気でイケると思ってたんだ」

「ヒーロー、だ?」

「ああ……スーパーマン、ウルヴァリン、ジョン・マクレーン、そして、ネオ……」

 

 タバコの灯で闇夜にラインを描きながら、ブンタはシャツの袖をまくった。

 

「だが、海からやってきたアレは、すべてがイカれてた」

 

 太く、筋肉質な腕に『辰』の凡字タトゥーが描かれている。そして、そのハデな図柄が覆い隠すものは、ひどく皮膚の引きつりだった。

 ロクに目を向けてこなかったフミオは、養父の体に残された壮絶な傷を見て、言葉を失う。

 まるで一匹の大蛇が皮を食い破って、そこでのたうったように見える。

 

『私を使った時の傷、消さないでくれたんだ。懐かしい』

 

 少女が小さな唇で囁きかけたが、ブンタは頭をこすっただけだった。

 その、場違いなほど子気味いいキュッキュ音も、絶望的な状況で生存を試みる人類が投げかける光も、地下2000メートルの暗闇は吸い込んで、虚無に還してしまう。

 沈黙に耐え切れずにフミオが見上げた星空は、いつもより窮屈に見えた。目を凝らせば、スクリーンを支持する鋼鉄の骨組みが見えてきそうだった。

 

「俺サマが用意したすべての作戦、すべての兵器──それこそ原子力空母ですら、ヤツのドテッ腹に穴を開けることはできなかった」

 

 パチンッ──ブンタが頭をスラップすると、いい効果音が鳴り響いた。音でハっとなったフミオが、夜空からブンタへと、目を戻す。

 

「クソったれ防衛局のクソったれリーダーの跡取りに質問するぜ──手も足も出ねェ怪獣が大暴れして、今にもすべてを水の底に沈めると脅してきやがる。

 フミオ……ここで最終手段(ラストリゾート)の出番だ。お前さんだったら、どんなカードを切る?」

 

 フミオは少し考えて、言った。

 

「核だな。どんな時でも核ミサイルは最強だろ。それで勝てないならどうにもならねー」

「ハ──ハハハ……はあ」

 

 乾いた笑いを漏らしていたブンタはガックリとうなだれた。

 

「マジで最近のガキっておっかねえのな。俺サマは、目の前にスイッチ持ってこられるまで、そんなこと夢にも思わなかったてのに」

 

 キーコード入力を要求する黒いブリーフケースを思い出して、ブンタの表情に苦味が走る。

 七年前に下した選択が九死に一生を得る一手だったのか。

 はたまた人類を穴倉に放り込んで絶滅に瀕させている真犯人が自分なのか、彼は毎日鏡の前で薄い髪を剃るたび自問してきた。

 

 そこにスイッチがある。かつてスイッチがあった。

 

 スイッチは自分ひとりで起爆できない。誰かが押す必要がある。

 押した先でどんな()()()()なことが起ころうと、降りかかってくるクソすべてを頭から被るヤツが要る。

 

「核を撃てば、人類はこんな惨めなことにならなかった、かもしれん。だが何人ものダチが前線で踏ん張ってた」

 

 そしてブンタは、決断を保留した。

 

「どうせ俺が撃っても撃たなくても死んじまうのに、俺様はただ自分の手を汚したくなくて、逃げたんだよ。お前さんが吹ッ飛ばしてくれたバイクにまたがって、小便チビりながらな」

 

 ブンタはジャケットの内側を探りながら、身振りでフミオに手を出すように促した。

 

「持っとけ」

 

 フミオの掌にズシリと重いものが載せられる。

 異様に長いバレル──三十センチはあるかという銀色の筒が、フミオの目を捕らえて離さない。

 純粋で、混じりけの無い殺意の塊。ステンレス製のリボルバーだった。

 フミオが固唾を呑んで見つめる間にも、銃身に宿っていたブンタの体温が少しずつ薄れていく。

 自分の知らない養父の人生が、叶えられなかった野望が、選択の重みが、熱と一緒に体に流れ込んでくるような錯覚があった。

 

「モデルガンじゃねえかんな。気ィつけろよ」

 

 夜気をかき混ぜるように、ブンタが肩をぐるぐる回している。長年吊ってきた重しがなくなって、せいせいしたようだった。

 

「ああ……そりゃ、分かるさ」

「どう使うかはお前さんに任せる。俺サマにゃもう、必要ねえ」

 

 あ、だからって見せびらかすんじゃねえぞ──ブンタは慌てたように付け足した。

 

「お前さん、その見せびらかしグセ直せよ。後でイタイ目見ても知らんからな」

『あと人をナメるトコもね。気をつけてねー、フミオちゃーん』

 

 すかさず、軽トラの荷台に腰掛けた少女が追撃してくる。

 

「見せびらかすかよ。ナメねえよ。なんだそれ」

 

 タバコをふかす養父の横で、フミオはしげしげと拳銃を観察した。

 古びているが、メンテナンスは万全に見える。特徴的なロングバレルをなぞったフミオの指が、シリンダーに行き着く。そこに装填された薬きょうの色はボディと同じ鈍い銀だ。

 

『なんか……ヤな感じする。捨てちゃうとか、どう。オススメだけど』

 

 横からフミオの手元を覗き込んだ幻影が、漆黒の弾頭を見て顔を歪めた。

 フミオには彼女の言う『ヤ』がどういうものか分からない。

 しかし、弾頭を封印するような黄色いテープに刻印されたバーコードとバイオハザードマークを見ると、彼も胸がザワつく。

 

「どんな怪物でもズタズタに引き裂いて殺し続ける、魔法の弾だ」

 

 ビールのプルタブをもぎりながら、ブンタが呟いた。

 

「たいそうなモンくれたのは嬉しいがよ──オッサン、これから戦争すんだろ、終わりってヤツと。これ、どう考えても要るだろが」

「いらね。戦争もしねえ」

 

 あっさり否定して、ブンタは肩をすくめた。

 

「じゃ、あのレールガンは?」

 

 町の外殻に連れ出された日、大木のようなワイヤーで吊られていた砲身を思い出しながら、フミオが聞いた。

 

「もとは政府のおエラ方のご機嫌取りだよ。外の世界を奪還する、なんて息巻いてるうちに七年だ。そうすると、歳食ったのからポックリポックリいきやがって……」

 

 こないだから停電ひでえだろ、と続けて、ブンタは不安定にチラつく外灯を指差す。

 

「元内閣総理大臣、原田誠──ここ一ヶ月の停電で、そいつの生命維持装置がオシャカになった。ヤツはドロドロの肉の塊になって、気付いたら俺様が一番デカいイスに座ってたってわけ」

「え……てことは、今、アンタが総理大臣?」

「まー、そーね。そうなるだろうよ。政治家なんてガラじゃねえのに」

 

 ドームの外に吊られていたレールガンを、フミオは思い出す。宙吊りの立場、宙吊りの夢──どこにも降り立てないその姿は、ブンタ自身の未練そのものだ。

 

「なあ、知ってるかあ、昔は中東らへんでジャブジャブ石油が出てなあ。お前の飲んでるビールよりも安いカネでガソリン駆動のバイク動かせたんだぜえ」

 

 だいぶ酔いが回ったブンタが、完全に現実離れした妄想を語りだしていた。だいぶ体が冷えてきたので、フミオは肩を貸して、彼を立たせてやる。

 

「しょうもねえ父親だな。俺に感謝しやがれよ」

「あいよ、大将……俺サマ、幸せモンだなあ……」

 

 酒で赤みが差した頬を緩める()()()は、体格も背丈もフミオとは比べ物にならないほどたくましいのに、どうしてか縮んで見えた。

 そんな彼を引きずって助手席に詰め込んでやりながら、フミオの気分は決して悪くない。

 

『じーっ』

 

 フミオのスラックスの裾を握って(いるようなそぶりを見せて)いる少女の幻影は、こういうとき、茶々を入れたりしてこない。

 カナタの仇でレイジの敵。

 フミオとは不倶戴天であるはずなのに、どこか穏やかに見守っている。

 

「なあ……オヤジ。ひとつ、バイト代がわりに教えてくれよ」

 

 その沈黙を利用して、フミオは聞いておきたいことがあった。

 

「あー?」

 

 ブンタがふらふらと頭を起こす。

 

「俺が回収した『子供の死体』──あれは、一体誰のもので、何をする武器なんだ」

『おっ、本題ってカンジい?』

「それさあ。俺サマずっと不思議に思ってたんだよな」

 

 酔っていたように見えたブンタの揺れが、ピタリと止まった。

 

「おめえ、誰からその話聞いた? アレが武器ってことも含めて。ウチのモンか? で、ムナカタのゲロボケカス野郎のカードはどっから手に入れた?」

 

 彼は早口にまくし立てる。

 フミオはそれを聞きながら、ぎゅっと目を瞑った。

 まぶたの裏の暗がりに、唇が現れる。紫色のルージュに象られた唇が、生めかしく舌なめずりして、彼に語りかけてくる。

 

 血の繋がらない父親が、誇ってくれる息子になりたいんだろう──と。

 

『カナタの顔の女』が纏っていたバニラの香りが鼻元を漂ったような気がして、フミオは慌てて目を開ける。

 助手席のシートに腰を下ろしたまま、『局長』が見上げてきていた。

 彼のたたずまいに、もはや酩酊の気配は微塵も見えない。

 

「オヤジの……部下に、カナタに似た女がいるか?」

「いねえな。あんな目立つ子がいたら、おめえだって気づくだろ」

 

 青い瞳、白い肌、ウロコとヒレ──カナタが人間の体でないことは、わざわざ再確認するまでもない。

 ただあの日、フミオの前に現れた女は、そうじゃなかった。

 

「カナタとは違う。マトモなんだ。人間の……って言うのは、何かよくない言い方をしてる気がするが。髪も肌も目も、ちゃんとしたヒトの色してて……」

「ふうん?」

「なんというか……本物のカナタ。って感じがした」

 

 自分の言葉で、フミオは抱いていた違和感が解けたのを感じた。

 

 あれは、正真正銘の『本物』だった。

 

 オモトカナタが七年かけて()()()()成長すれば、あんな絶世の美女になるような気がする。あの不気味で得体の知れない存在こそ、正規品のカナタなのだ。

 しかし──

 

「お前さんも知ってンだろ。オモトカナタは、とっくの昔に亡くなってる」

 

 げっぷをして、少し考えて、ブンタは目を眇めた。

 ふと見下ろした自分の手に、恐ろしく気色の悪い虫がたかっているのを見つけたような顔だった。

 

「……もともと、『子供の死体』は二人分あった。片方は、世界中のどんな人間とも、顔も名前も照合できない、赤ん坊のもの」

『誰なんでしょうね! 謎だねーっ』

 

 ぶらり。フミオの視界の端で、艶かしさを覚えるほど白い脚が揺れる。

 それは謎かけじゃない。答えだ。とんでも無いところで、とんでもない相手が暴露をかましてきたので、フミオはブンタ以上に奇妙な表情で固まるハメになった。

 

「どした。トラックの上に何かいんのか?」

「いや。続けてくれ……」

 

 どこか得意げにしている少女を意識の外に追いやって、フミオはブンタに促した。

 

「そしてもう片方の死体ってのは──『オモトカナタ』の死体だったんだよ」

「は?!」

 

 思わずフミオが声を裏返したが、一方でブンタは呆れたように眉を寄せた。そこに、能天気に笑う少女の幻聴が重なってくる。

 

「そんな驚くコトか? 俺ら防衛局が、どうやってカナタちゃんのDNA照合したと思ってんだ。死人で生者を照合するなんて、冗談みてえな話だけどな」

 

 ブンタが身を乗り出してくる。

 その荒れた唇の端に、すでに恐ろしい事実の一端が顔を出しているように見えた。

 だが、フミオに中断することは許されない。冷たい夜風が彼のシャツを揺らし、汗で濡れた背筋に張り付く。

 

『死体はもともとふたりぶん。でも、今は背骨だけ。どこかにさんぽに行っちゃったんだね』

「あの死体──『生きた死体』は、当然ムナカタの注意を惹いた。アイツはそれこそ、ノドから手が出るほど欲しがってた。個人的な目的……ってヤツのためにな」

「待ってくれ。死体が生きてるはずがない。オヤジたちは、どうしてそう呼んでんだ」

 

 いつかレイジが自分に投げかけた疑問を、フミオはそのまま口にする。

 

「再生するのさ。いくら切り刻んでも、燃やしても、潰しても次の瞬間にはウソのように元通り──お前さん、そういうものに、心当たりがあるんじゃないか」

 

 念押しされなくても、フミオは既に気づいている。

 両腕がなくなるまで鉄の柱を叩こうが、頭を潰されようが、問題なく立ち上がってくる男とつい最近まで友人だった。

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