海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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11.7月21日/キラー・カーズ(2)

 

 封筒がある。中身はしめて二十万。

 廊下に中身を広げたレイジとマリコは、腕組みしてその場に座り込んでいる。前回の反省を活かして窓を閉め切ったはいいが、おかげで熱気がひどい。

 

「み、みんなでバーベキュー、とか」

 

 マリコの額が汗で光る。

 

「無理だろう」

 

 レイジの返事でマリコがうなった。ヘタすると彼は実の妹よりも、ルリコと過ごした時間が長い。ルリコという人間の面倒くささを知りすぎるほど知っている。

 

「なんスか。自信満々に言い切るスね……」

 

 マリコがジト目を向けてくる。

 

「前に一皿二百円の激安焼肉をルリコにご馳走するのに、俺とフミオで一時間半粘った。それに──バーベキュー大会じゃなくて、笑わせたいんだろ?」

「おねえを、笑わせる……」

 

 マリコのうなり声がどんどん大きくなる。ヘタをすれば、テスト以上の難問だ。

 ルリコを笑わせる。それだけならまだしも、彼女が求めているのは、驚天動地の抱腹絶倒、歴史に残る大爆笑だ。

 

 立ち上がったレイジが窓辺に寄る。

 茜空を、一筋の飛行機雲が西から東へと流れていく。

 毎日同じ時間に同じ場所を走る飛行機は、ドームの空の映像だ。この明るい夏の日差しも温度もすべて作り物。

 この空に『ほんもの』なんて、ただのひとつも浮かんでいない。

 

(ああ……そういえば、アレはすごかったな……)

 

 そこに真っ白な光の花が咲いたのを見たことがあった。

 彼が自らの手で起こした、あまりに壮大でささやかな奇跡だった。真っ暗な闇夜にパチパチはじけて消えていく、白い光。

 

 それは間違いなく『ほんもの』だった。

 

 プールでサメと戦ったときのことだ。

 

 サメが潜んでいる──そもそもの第一発見者はルリコだった。

 夏のはじまりに仕込まれた時限爆弾が、こんなタイミングで爆発するなんて。

 

(話したら、笑うだろうか……)

 

 ばかばかしかった。

 窓枠に手を突いたレイジがほくそ笑んでいるのを、マリコが不思議そうに見上げている。

 サメを片手で持ち上げ、そのままロケットパンチでドーム都市の天井まで打ち上げてやった。

 防衛局に睨まれることを無視すれば、今後一生、レイジはバカ話のネタに困らないだろう。

 サメの怪物──“うそ泣き”が破裂して白い星のように輝いたとき、暗澹としていた心が少しだけ晴れたことを覚えている。

 

 そう。あれは、まるで、祭りの終わりにカナタと見上げた──

 

「花火だ」

「え?」

 

 レイジが何かに気づいたように、床に並べられた万札に目を落とす。目の大きなマリコが、その目をことさら大きく見開いて、彼を見つめ返してきた。

 

 ■

 

「アタシが……脱走した時に話したんだ」

 

 食堂に、静かな熱気が渦巻いていた。

 

「祭りの時、花火が見られなかったって。ルリコのやつ、すっげー残念そうだった」

 

 みんなの見つめる先にホワイトボードが運び込まれ、ルリコが落としていった竹刀を持ったカナタが仁王立ちを決め込んでいる。

 

「サプライズしよう。今晩、ルリコのためにドデカい花火をブチ上げるんだ!」

 

 そう言ったカナタの背後で、ザワちんが動く。

 赤いマーカーを握りしめた彼がが、激しく咳き込みながらホワイトボードに文字を書き付ける。

 デカデカと、しかしひどく震えた筆跡で「はなび」と記される。

 

「いいねえ……盛り上がるし……すげー馬鹿馬鹿しくて、俺好みだ!」

 

 ヨシが力強く頷くとと、カナタが「それ!」と大声で叫んだ。

 

「ルリコはぜってえ、カネやモノを受け取んねえ。だからハナビだ。あのガンコ者でも、さすがに光と音、それに愛情の返品はできねーだろ」

「考えたねえ。何よりあたいらも楽しめる」

「それも大事だよなァ!」

 

 なんだカンダで仲のいいヨシとボタ子がテンションを上げているが、ここでバランスを取ってやるのがザワちんの仕事だ。

 ひときわ大きく響いた彼の咳が、その場の全員の注意を惹いた。

 

「問題はどうやって資金を調達するか、ですね……」

 

 食堂に集まった全員が顔を見合わせる。そして、その手をポケットに──

 

「待て待て待て待て。それフミオのカンパの時にやって、あたり一面セミの抜け殻だらけになったじゃねえか」

 

 慌ててカナタが彼らを止めた。

 

「ルリコの差し入れ、セミってのも面白くはあるけどな」

 

 このクラスの人間は基本貧乏で、ロクでもないものしかポケットに入ってない。

 じゃあどうすれば……というざわめきが広がり始めた食堂に、カナタが竹刀の先で床を突く音が響いた。

 

「安心しろったら。カネはある。こんだけありゃ、多分足りるだろ?」

「カナ、ちゃん……それ」

 

 輪ゴムでまとめられた給料袋の束を見て、ボタ子が苦しげにうめいた。

 忘れもしない昨日、クラス全員が西町のあちこちに散って稼いできた給料。それはもともとカナタの貯金で、それを返すために集めたものだ。

 夏の旅行のための資金。彼女と──そしてレイジに使われなくてはいけない。

 みんなはそれをよく知っている。重々しい沈黙が、その証明だ。

 

「そうすっと、やっぱ夏にバイトしてのんびり返済ってコトになっちまうが……旅行で遊ぶカネなくなっちゃうぞ。いいのかい?」

 

 ヨシが全員の気持ちを代弁した。

 

「コレはアタシのカネだ。そしてアタシがルリコのために使うって決めた。だからもう、返さなくていい」

 

 腰に手を当てたカナタが、白い歯を見せて笑う。

 包帯の隙間から見えるその右頬は、火に焼かれて爛れたようだったが──その笑顔はかつての彼女のものだ。

 夏の始まりに颯爽と現れ、2-Aのみんなをひとつにまとめていった時の、懐かしい表情だった。

 

「それにアタシ? レイジと一緒なら、潮風吸ってるだけで楽しいぞ」

「おお……(ツエ)ェ……」

 

 もしかしてトンでもないノロケを聞かされているのか──とクラス一同の間にみょうな緊張が走る。思い切ったことを言い放ったのに気づかないのはカナタ本人だけだ。

 

「けほっ。水を差したくありませんが。それで足りますかね」

 

 冷静に、静粛を取り戻そうとするかのように、ザワちんが言い放った。

 黒い消し残しだらけのホワイトボードを、彼はじっと見つめていた。

 そこにデカデカと書かれた「はなび」の三文字。その文字から実際に重みを感じているかのように、彼の眼差しには厳しいものがある。

 テーピングが目立つボタ子の手のひらが、夕日に照らされたみんなの頭の上でヒラっと踊った。

 

「ねーえ。カワイイ神社の息子ちゃん」

「なんですか。なんでもお答えしましょう、神社の息子ですからね」

「花火って、実際どんくらいするんだい?」

「いい質問ですね……ウチは毎年融通してもらってんで、大体二十万。それ以上は確実に要ります」

「ここにある分で一発くらい、イケっかな?」

 

 札束をまとめながら、カナタが首をかしげた。

 

「残念ながら。二十万はお得意様料金だし──なによりシーズン真っ只中ですから。倍は要るでしょう」

「もう二十万だァ!? そんなポンと出すカネモチ、どこに居るっつーんだよ!」

 

 ザワちんはじめ、誰も答えない。ここは貧乏人の見本市だ。

 カネが要る。とにかくカネが、という時に限ってないのはお約束だが、あまりに残酷で、容赦のないタイミングだった。

 

「悪いけど、ルリコちゃんには手持ち花火とかヘビ花火でガマンしてもらうってのは、どうだい?」

「そこまでいくと主旨ブレブレでしょ、もう」

「よしんば、都合よく数十万寄越す物好きがいて──そもそも、こんなガキどもに花火売ってくれるヤツがいるのか? それも、あと数時間以内にだぞ?」

「そいつは問題ない。コネがある」

 

 ジャージのポケットを探ったカナタが、くしゃくしゃになったメモを取り出した。

 市のマスコットニッシーくんの顔をデカデカとあしらったデザインは、彼女から漏れ出た体液ですっかり黒く染まっていた。

 しかし、乱雑に書き付けられた電話番号をかろうじて読み取ることができる。

 

「カナちゃん。聞くけどさあ、コネってどんなだい?」

 

 訝りを顔に浮かべて、ボタ子が聞いてくる。

 

「アタシもなんでか知らねーけど、いつの間にか死の商人のオジンと知り合いでさ。このご時勢にナパーム売り込んでくるくらいだし、花火の一発くらい、在庫あんだろ」

 

 ナンバーを指でなぞりながら、彼女は特徴的なケロイド顔を思い出していた。

 

 ■

 

「は……はァ? 今、ミサイルって言わなかったスか?」

「ナパームだ。ガソリンとかを使った爆弾で、摂氏1,000度くらいで燃える」

 

 映画で知った知識を語りながらズンズン廊下を進んでいくレイジを、小走りにマリコが追いかけてくる。

 

「で、それを売ってくれるヤベー密売人がいるっス?」

「正確にはホームセンターの店員で、映画館の受付で、祭りの御用聞きでもあるが──このガソリン高騰の時世にナパームをやたらと売りつけてくるから、火薬をもてあましているはずだ」

「レイジさんの知り合い、ヘンなのバッカ!」

「否定しづらい」

 

 マリコはマリコで極め付けの変人ということを自覚しているのかいないのか。

 ともあれ、決断的な足取りで肩で風を切って進んでいく彼は頼もしい。どこに向かっているかよく分からないが、なんとかなりそうな気がした。

 

「はっ……ひいっ……それ、でっ、ドコ行くんス……?」

「あ」

「ふぎゃっ!」

 

 思い出したようにレイジが足を止め、マリコは彼の背中に鼻から衝突した。

 

「なんスか、きゅうに止まらないでほしいっスね……」

 

 鼻を押さえた彼女が、涙目で睨んでくる。

 レイジは申し訳なさそうにする。なんとなく事態が動き始めたのを感じたので、自分も動いてみただけだ。

 彼自身、どこへ向かっているのかサッパリ分かっていない。基本的に回遊魚のような男なのだ、レイジは。

 

「俺たちはどこに行けばいいのか……」

「ウチが聞きてーっつーの!」

 

 姉ゆずりの大音量ツッコミをかまして、マリコはあたりを見渡した。

 ここは食堂近くの廊下だ。分厚い金属扉で隔てられた空間に窓はなく、遠くに輝く非常灯が緑色の光でリノリウムを濡らしている。

 蒸し暑く、隔絶した暗闇だった。

 

「そ、それで、そのミサイル屋さんに、連絡つきゃいいんスよね!? それならハイ、どーぞっ!」

 

 ズッシリとした二つ折りケータイを、マリコがレイジの手に載せた。

 見たこともないマスコットキャラや、もはや目に焼きついたニッシーくんまで。とにかくジャラジャラとやかましいストラップの束を押しのけながら画面を開いたところで、レイジは固まる。

 

「どしたんスか」

「……番号が、ない……」

「レイジさあん。メアドの交換はギャルの基本っスよぉ……!」

 

 マリコがガックリ、肩を落とした。

 夏祭りでケロイド男から渡されたメモはカナタのもとにある。レイジはぐっと唇を噛んで、考え込む。

 向き合うべき時というものが、思ったより早く来てしまった。

 

「……マリコ、頼みがある」

 

 巨体を重そうに傾げたレイジが見下ろしてきたとき、マリコはその瞳に見入る。

 暗闇の中でしか分からないほどかすかに、そして確かな輝きが、彼の目の中で燃えている。

 黒く、そして白い炎。あの夜空で開いた花の輝きだ。

 

「……うす。ヤラシーことじゃなきゃ。どんとこい」

「カネ、貸してくれ」

 

 マリコがハデにズッコケた。

 

「なんで──なんでそうなる!?」

 

 コテコテのリアクションを披露したまま、マリコが聞いた。

 

「いま預けてくれるだけでいい。マリコと、そしてルリコのために使うと約束する」

「レイジさんのコトは信じてるスけど、口約束は信用ならねース」

「ふむ……」

 

 二日前に町で絡まれて、金玉まで蹴り上げられたばかりだ。

 有り金はサイフごとどこかに消えてしまって、貯金はほぼゼロ。今の彼がマリコに差し出せるものと言えば──

 

「ディレクターズカット版」

「ふえ?」

「俺の部屋にある映画『焼失』のDVD、アルティメットウルトラデラックスカット版を、この夏の間貸し出そう」

「え、え、え、え──!?」

 

 暗闇の中でもハッキリ分かるほどマリコの顔色が変わっていった。

 効果バツグンだ。

 このクソZ級映画に並々ならぬ思い入れがある彼女だからこそ、通じた手だ。

 

「か、カットされた二十分間のバトルシーンが追加収録されてるっていう、あの!?」

「ああ。長尺の無意味な乳絞りまで収録されてる」

「最新技術によって鮮明な映像で超高画質がリマスタリングでハイレゾの!?」

「ああ。ハイがレゾだ」

「オーディオコメンタリーで監督の弱音まで聞けちゃうっていう──」

「内容は自分で確かめてみてくれ」

 

 大金の入った封筒を握り締めたまま、マリコは立ち尽くした。

 わななく口元を見れば、彼女がグラついているのは明らかだ。あと一押し。ここまで取っておいた最後の一手を、レイジは満を持して披露する。

 

「ポスターを持ってる。B1サイズの大きなもので、壁の穴を隠すために使っていたが……これは、涙を呑んでプレゼントしよう」

「ハイ、どぞ。もってって」

 

 マリコの判断は一瞬だった。

 札束を受け取って頷くと、彼はマリコに背を向けた。これからカナタを探し、ケロイド男の連絡先を受け取らなければならない。

 あれほど一緒にすごしてきたのに、たった数日言葉を交わさなかっただけで、最初に何と言っていいか、分からなくなる。

 

 なにより、また彼女が辛い思いをするのではないか──

 

 そう思うだけで、全身がこわばる。

 汗ばんだ彼の背中に、そっとマリコの手が乗った。

 

「カナタさんのトコに、行くんスね」

「ああ……しょうじき、怖い。マリコたちが、あんなに強いところを見せてくれたばかりなのに」

「だったら」

 

 マリコが小さく息を吸う音が聞こえた。

 

「だったら──『押してやろうカ?』」

 

 演技ぶって、そしてどこかふざけた軽い調子で彼女が放った一言が、レイジの心を大きく揺らした。

 

「そのセリフ」

「うん。『焼失』のラストシーン。トリガーが言ってた。あんなオチなんで、テキセツかどーかは知らないスけど」

 

 だって『焼失』スからね──そう言ってからマリコは、少し困った調子でニャハハと笑う。

 レイジは少し考えて、答えた。

 

「『じゃあ、頼む』」

 

 トンっ

 

 添えられたマリコの手に、軽く力が篭る。

 その瞬間レイジは駆け出した。暗闇の中に足音を響かせ、濡れた光の中に大きな影を躍らせて、一直線に通路の出口に向かっていく。

 深い深い闇の中に取り残されたマリコが、優しい笑顔を浮かべて彼を見送った。

 

 ■

 

「────うじうじやってる場合じゃ、ねーもんな」

 

 竹刀を放り出して、カナタはみんなに背を向ける。そこにヨシが声を掛けた。

 

「カナタちゃん……どこ行くんだ?」

「こういうの、クラス全員で話し合わないとだろ」

 

 ここに居ない重要メンバー、それは言うまでもなく、ルリコの付き添いで出て行ったレイジだけだ。

 

「……ムリ、しなくてもいいんだからねえ」

 

 古傷のあるほうの足を引きずるようにして、ボタ子がカナタの元までやってくる。

 彼女の懸念は、カナタにも分かる。

 まだ、少しだけレイジを怖いと思う気持ちが、カナタの中にある。ボタ子はそれを読み取っているのだろう。

 

 キュッ──鋭い音を立てて、ザワちんがボードに書かれた文字を消す。

 

「向き合うには、まず立ち向かわなきゃいけない。大変ですね」

「ハッ……オオゲサだって。みんな!」

 

 仲良し三人組と、食堂に集まったみんなの顔を見渡して、カナタは微笑んで見せた。

 

「なーに心配してんだか。アタシと、レイジだぞ?」

 

 言うが早いか、パッとカナタは駆け出した。

 全身ズル剥けで、片足は千切れかかっている。だというのに一度走り始めた彼女は風のようで、その背中に向けてボタ子が伸ばした指は、届かない。

 全身から染み出す腐った液体も腐臭も、今の彼女の足取りを鈍らせることはできない。

 夕日に包まれた食堂には、海風と一輪の花のような、すがすがしい香りだけが残された。

 

「人が立ち直るところを……俺は、初めて見ました」

 

 ガッ、チャン。と、彼女が押し開けていった鉄扉が重い音を立てて閉まるのを見つめたまま、ザワちんが呟いた。

 

「カナタさんに──あのイスルギのばかやろうまで。この俺が、感動するなんて」

「何言ってんだか。ねえ、ヨシちゃん」

「だな。俺にとっての『立ち直り第一号』は何を隠そうお前なんだぞ。ザワちん」

 

 そんな彼の元に歩いてきたヨシとボタ子が、優しく肩を抱いた。

 

「みんなの前で何してくれてんですか。こっぱずかしい」

 

 そう返しながら、ザワちんは顔を背けた。

 ただ、彼らの腕を振り払うようなことは決してない。

 よくない生徒に目をつけられ、文字通り泥をすすって一年前──結果的にとはいえ、底なし沼から救い出してくれたのはヨシであり、そしてボタ子だ。

 薬剤と催眠で封印されていた『任務』を思い出してからも、感謝を忘れたことはない。

 

「レイジちゃんとカナちゃん、うまく行くといいねえ」

「これから俺たちが、二人をめちゃくちゃにしてブチ壊すとしても、ですか?」

「うん!」

 

 能天気な笑顔を浮かべたまま、ボタ子は即答した。

 

「たぶん疑われてるから言うけども。あたい、やるよ。やれるよ。ていうかやりたい」

 

 驚くほど穏やかな茜色の中で、徐々に食堂は騒がしさを取り戻していく。だというのにヨシとザワちんは凍りついたように動けないでいた。

 ボタ子の腕は優しく、そして大蛇の締め付けのように彼らを離さない。

 

「そんでね──レイジちゃんだけど。デカくて太いの、あたいの好物なんだ。手出し無用だよ。いいよね。ね」

 

 ■

 

 沈む夕日が投げかける光の中をカナタが駆け抜けていく。

 こうしていても全身が痛い。暗闇のような色をした液体が肉の隙間から染み出してくるのが分かる。

 ボロ切れになった皮膚をこする風はヤスリのようで、焼け爛れた神経は一歩ごとに火花を散らす。

 だがそんなの、もうだっていい。

 銀色に輝く彼女のクセッ毛が周囲の茜色を掴み、染め上がる。

 今の彼女はどんな光よりも速い。朝一番に差し込んだ光のように、彼女はまっすぐ、レイジのもとを目指す。

 

 と、廊下の先で鉄扉が開くのが見えた。

 カナタは一瞬目を見張り──その、懐かしい眼差しがようやく自分を捕らえたことを、うれしく思う。

 

「レイジ!」

「カナタ!」

 

 向こうもすぐ気づいて、血相を変えた。

 おおかた、彼女が傷だらけボロボロの体で全力疾走をかましているのを見て、心配になったのだろう。

 

「……まったく。相変わら……おあッ!?」

 

 サイズの合わないジャージのスソを踏みつけて、彼女は大きく前にコケた。

 怖くはない。なぜなら彼女は知っている。

 

 目の前にいるのは、レイジだ。

 

「あぶ……ないッ!」

 

 光よりも速いカナタに追いついて、彼はその体をしっかり抱き留めた。

 

「カナタ……!」

「ああ──」

 

 時間にして一瞬。

 彼女はレイジの胸に顔をうずめて、深呼吸した。深い筋肉の渓谷は、とうぜん汗くさい。

 吐き気はない。ただただ、悲しくなるほど懐かしかった。

 どこか海の香りに似たものを感じていると、彼がパッと、体を離した。

 

「すまない。頼みがある」

「キグウだな。アタシもだ」

 

 怖いとか、気まずいとか、そういうものは今の二人にはなかった。

 この合宿をきれいに締めくくるためには。そして、ルリコとマリコを先に進ませるには、お互いの力が必要だ。

 具体的には──

 

「レイジ、カネくれ!」

「カナタ、ナパームだ!」

 

 ──……。

 

「「……お?」」

 

 二人同時に言葉を切って、顔を見合わせた。

 

 

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