海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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12.深夜/ドント・ダイ・オン・ザ・モーターウェイ(1)

 バシーンッ

 

「ぎゃああああッ!」

「最後の夜よ、鼻血出したくらいじゃ休ませてあげないからね!」

 

 ヨシをとりあえず叩いてから、ルリコが元気に叫んだ。

 

「かっ……会長さんよお! 最近俺のコト、なんとなくで叩いていいと思ってなーい!?」

「結果的に叩いて正解だったでしょ。こンのエロ坊主」

 

 食堂の机に隠れる位置で、ヨシの膝の上に雑誌が開いてある。最終日ラストスパートということもあり、かなり気合の入ったエロ本だ。

 

「さあ。さあさあ。アンタら、ここから先はノンストップで行くわよ。朝日が見えるまで机に向かってもらいます!」

「そんなことしたら本番中のコンディションが……」

「三十分くらい寝れば大丈夫よ。 ホームルームなんてどうせキリちゃんがくだ巻いてるだけなんだから、足りない睡眠はその時摂りなさい」

「む、むちゃくちゃだ!」

「ムチャクチャ馬鹿なアンタらのために、この私が最後の追い込み掛けてやろうってんのよ。感謝なさい!」

 

 一時はどうなることかと思われた彼女だったが、夜の帳が下りた頃にムックリ起き上がるなり、彼女は絶好調でフルスロットルだった。

 微熱とめまいは未だに続いているらしい。が、それが逆にヤケクソ気味な元気を彼女から搾り出していた。

 

「気合入れるわよ、アンタら! えい、えい、お──」

 

 バッツン。

 

 いまだかつてないハイテンションのルリコがこぶしを突き上げた瞬間にパ、と電気が消えて、合宿所は一気に暗闇に包まれた。

 

「あぁ!? この私の出鼻くじいてんじゃねえわよ、ボケが!」

 

 暗い──を通り越して、墨で黒塗りしたような、重苦しい闇があたりに垂れた。

 相変わらず飛ばしまくってるルリコの怒声がその中に響く。

 

「最近、会長さんって人がだんだん分かってきましたよね」

「あの見た目でけっこう荒っぽいよねえ。ルリコちゃん」

「ザワちん、ブレーカー! ほら、さっさとなさい!」

 

 慌てて立ち上がったザワちんが、非常用ランプの明かりを頼りにブレーカーを探す。

 手探りでレバーをガチョガチョと上げ下げするが──反応がない。明かりは戻らず、食堂はのっぺりとした暗闇に閉ざされたままだ。

 

「ダメです。完全に死んでます」

「なんですってぇ!?」

 

 そうして全員が固まっていると中で懐中電灯の明かりが一つだけ点ろうものなら、みんなの視線は自然そこに集まった。

 ルリコである。

 彼女の顔に表情はない。まるで人形のように整った顔立ちを、人形のように無機質に染め上げながら、彼女はおもむろに語り始める。

 

「じゃあ、せっかくだし……明かりが戻るまで面白い話します……」

 

 絶対にそんなフザけたことをしないルリコが率先してヘンになり始めたのを見て、つかの間みんなが黙った。

 

「この合宿所にはいわくがあって……」

「やめてよお、怪談話苦手なんだからさあ!」

「そもそも去年会長が建て直したばっかだろ!」

 

 飲んだ風邪薬がヘンな効き方をしてパキパキにキマったルリコは、血走った目を邪悪に細めて「うへへ」と笑った。

 不平と野次と悲鳴をものともせず、彼女は語りだす。

 

「昔、ここの屋上で二人のバカ男子が決闘したの。結果は相打ち。今でも夜になると、決着つけられなかった無念からか、丸坊主のバカの幽霊が……」

「そのバカってヨシくんとレイジさんじゃねっスか」

「俺、お岩さんみてーなツラになってるけど、生きてっから。バケモン度合いなら──こっちのレイジのがよっぽどだろ!」

「む」

 

 それまでヨシの隣でおとなしく古典の活用法を勉強していたレイジが不満の声を上げた。

 

「俺はバケモノじゃない。にんげんになろうとしてる。カナタがそうしてくれるって」

「あ、アタシ巻き込むのか!?」

「ビミョーに茶化しづらいコトに触れるんじゃねえよ、ただの軽口だよ!」

 

 ゴンッ──

 

 すっかり馴染んだレイジたちのやり取りがクラスの中に笑いを広げ始めた時、くぐもった足音が窓のすぐ外から聞こえてきた。

 

 ゴンッ──ゴンッ──

 

 外階段だ。

 重たいブーツの底が鉄製のステップを踏みしめ、2-Aの詰め込まれた食堂に上がってくる。

 ──いったい何者が? どうしてこんなタイミングで? 

 停電で真っ暗な部屋の中に緊迫が張り詰める。

 不快な暑さと湿気。まさにテスト前で精神が追い詰められている時。

 おまけに直前、おかしなテンションになったルリコがふざけて語った怪談話が、単調なリズムで向かってくる足音に物語を与えてしまった。

 

「マ、マジで、幽霊──?」

 

 誰かの呟きが、しじまに響く。

 曇りガラスの窓のすぐ外で、非常灯に照らされた影がヌルウと動くのが見えた。

 

 大きい。人間とは思えない。背が、まるで電柱のようにヒョロ長い。

 

「ひいっ」とマリコの押し殺した悲鳴が上がり、生徒たちはガタガタと席を立って食堂の隅に集まる。

 まるで冬眠中のテントウムシのように固まった彼らに、退路はない。窓の外には得体の知れない電柱の怪物。

 そして出口の扉の先には、外よりももっと深い闇が潜んでいる。

 

 彼らは逃げられない。動けない。

 

 やがてシルエットが、食堂と外階段を繋ぐドアの前で立ち止まり──

 

「「「うわー! でたーッ!!」」」

「先生です」

 

 ガラっと音を立てて引き戸が開くなり、ハロゲン灯の強烈な明かりが室内を照らした。

 

「あ……あ……キリエ先生?」

 

 恐怖におののくあまり、片足を浮かせ両手をピンと張り詰めさせた『シェーのポーズ』で固まっていた生徒たちを見て、キリエは首をかしげた。

 長身の、ぼうっとした教師がおっくそうに屈んで食堂に入ってくる。

 彼女は掲げたランタンで一人一人の顔を照らし出すように確認してから、軽く肩をすくめて見せた。

 

「ここで非合法な勉強合宿が行われていると聞いたので。ていうか単純に面白そうだったので。冷やかしに来ちゃいました」

「許可はとってますけどね」

 

 レイジが、カナタが、他のみんなまで阿鼻叫喚のポーズのままフリーズする中、ルリコの動作だけが正常だった。

 腕組みする彼女の前で、キリエは薄型端末を操作する。

 

「わっ。センセイなんですか、それ」

「いいでしょー。これがナウなヤングにバカウケのハイテクですよ」

 

 光に集まった生徒たちが、物珍しげに液晶を覗き込む。それは防衛局の技術で、おそらく中身は機密の塊なのだろうが、キリエは面白そうに笑ってるだけで、隠そうともしない。

 

「発電所がダメになったぽいですね。当面の復旧は──絶望的でしょう」

 

 キリエの持ち込んだライトで、みんなの顔は下から幽霊のように照らされている。その顔を見合わせることしかできない。

 

「どうします? 蛍雪の功って言葉ありますけど。今からホタル連れてきて、その明かりで勉強します?」

「会長……いいんですか。だって俺ら、朝までって……」

「こういう時にジタバタしたってしゃあないわ。それにアンタら、七日間しっかり勉強して、こんな夜中まで頑張って見せたじゃない」

 

 彼女は近くのイスを引いて、ドッカリと座り込む。

 パイプイスの軋みを、闇が何倍にも増幅した。

 

「あー、疲れたわ。私もよくやったもんね」

 

 イスの上にふんぞり返ったルリコは一人、やりきった様子で自分の頭を撫でている。

 

「え……か、会長さん。いいんですか、そんなで!」

「俺たちまだ全然バカのまんまだぞ!?」

「安心なさい。今日はもともと予備日のつもりだったし。アンタら捨てたもんじゃないわよ」

 

 ルリコはみんなの顔を見渡した。

 

「私、ハンパな仕事はしないから。あとは自信もって、本番おいきなさい」

 

 それがこの合宿の解散宣言だった。

 複雑な表情でクラスメートたちが見返してくる。

 この合宿を一番引っ掻き回してくれたレイジとカナタ。

 ひそかに彼らを支えたマリコ、それにヨシ。体調不良をおしてついてきてくれたザワちん。

 ちょっと底が知れないが、たぶん悪いヤツじゃないボタ子。

 そのほかにも沢山。沢山沢山。

 

 ドラマがあったのは、決してレイジとその周りだけじゃない。

 

「あらまあルリコさん。たそがれてますねえ」

「茶々入れないでよ()()()()()

 

 ルリコの後ろに立ったキリエが、セクハラ中間管理職のような手つきで肩を揉んでくる。こそばゆさに身をよじりながら、ルリコは手を振り払おうとしない。

 この合宿は、そもそも模試を見た彼女の悲鳴から始まった。

 その次に覚えているのは、泥だらけになって泣いている姿。

 どこかの誰かのようにみっともなく泣いて、弱いところをこれでもかと見せ付けながら──彼女は少しだけ大人の顔になった。

 

「レイジと一緒ね、アンタ」

「師匠が、俺と?」

「ゲー。かんべんしてくれませんか。それにキミは破門済みです。お忘れなきよう」

 

 それまでやり取りを静かに見守っていた生徒たちの間に、ゆっくりと安堵のような、寂しさのような空気が広がっていった。

 唐突だったが、これで終わりだ。

 彼らは日の出とともに各々の地獄に帰って、現実と対面しなければならない。

 それでも、今の彼らが達成感を味わうのを邪魔することはできない。

 重苦しい静けさから一転。食堂の中に、わっと歓声が満ち溢れた。

 

「ありがとうルリコさん。ほんとうに、ありがとう」

 

 その騒ぎの中で、参考書を胸に抱えた女子生徒が、ポツリと言った。

 

「よかった。アンタ一番成績伸びるかもね。勉強続けなさいよ」

「会長」

 

 他の男子が呟くように言って、ルリコはコクリと頷いて返す。

 

「辛かったけど、来て良かった……ハルマサと、フミオもココにいたらな」

「そうね。ホントにそう。ままならないことっばっかり、ね」

 

 口々に「ありがとう」を告げてくる生徒たちにルリコが返事をしていると、その輪の中からマリコが進み出てきた。

 ルリコの前にしゃがんだ彼女が、そっと手を取る。

 

「おねえ。おつかれさま」

「うん────アンタちょっとは楽しめた?」

 

 返事は最高の笑顔でなされた。湿度80パーセント、気温32度の暗闇でも輝くほどの笑顔が眩しくて、ルリコはつい、眩しそうに目を細めてしまう。

 絶望的なほど大きなガーゼを両方の頬に貼って現れたマリコは、今ではそこに、数枚の絆創膏を残すのみとなった。

 傷跡は一生残るが、少しずつ癒える。少なくとも表面的には。

 

(これからどうなるかしら、ね)

 

 マリコの絆創膏にプリントされた市のマスコット、クジラの『ニッシーくん』が愛想笑いを向けてくる。

(甘いこと、考えてない?)彼はイーっと剥いた白い歯を見せ語りかけてくる。

(アンタに言われるまでもないわよ)と、ルリコは密かに鼻を鳴らして答える。

 

「ルリコ」

 

 目を逸らした先に、カナタがいた。

 

「アンタも……こんなコトしか言ってやれないけど、マジで、よくやったわね」

 

 足を引きずってやってくる彼女の後ろに控えていたレイジが、何も言わずにイスを引く。

 

「い、いいって。カホゴだな、オマエ……」

 

 カナタの体を割れ物のように優しく抱いて座らせる間、彼女は困ったようにぽかぽかと彼の胸を叩いていた。

 ルリコはその手首を見て、少し考える。

 折れて取れそうなほど細った手首に巻いてあるものは、包帯だけだ。青いブレスレットの姿は、そこにない。

 その視線の意味に気づいたレイジが、小さくかぶりをふった。まだちゃんと向き合って話せていない。そういうことなのだろう。

 

「んしょ……魔法のヘアピン、すげー効き目だったな」

 

 彼らのアイコンタクトに気づかず、腰を落ち着けたカナタが明るく笑った。

 

「でしょう? おかげで私は睡眠不足。肌アレ爆発のバケモンよ!」

「へっへ。バケモンならおそろいだな!」

 

 屈託のない笑みを浮かべたまま、カナタは包帯がほどけかけた首筋を指差して見せる。抜け落ち、色あせ、松カサのようにささくれ立ったウロコが、見ていて痛々しい。

 

「アンタねえ。微妙に笑えないこと言ってんじゃないわよ……」

「落ち込んだってどうにもならねーし。笑いに変えてくよ、アタシ」

「笑う、か」

 

 洗いざらしで、襟ぐりがビロビロに伸びきったシャツの胸元へと、キリエの手が這い寄ってくる。

 それを思い切りブッ叩いて退散させながら、ルリコはカナタの顔をじっと見た。

 あれほど目を惹いた青い瞳は灰色に淀んだままだ。右頬の肉はゴッソリ剥がれ落ち、黒い薄皮越しに歯列が透けて見える。

 それでも彼女は、また笑えるようになったのだ。

 

「──あんだけ頑張った数テ、落としたらキレるからね」

「ははっ。中卒の底力、本番で見せてやるからな。ナメんなよ!」

「ガキどもの話が一段落したところで──そろそろ入ってきていいですよ」

 

 彼女たちの間に満足げな沈黙が満ちたのを見て取って、それまでセクハラに徹していたキリエがパンパンと手を叩いて注意を惹いた。

 

「校内に部外者のオッサンがウロついてたんですが。呼んだの、誰ですか」

「お。いつかの髪がきれいなお嬢ちゃん。奇遇だね」

 

 入り口からヒョイと、中年男が顔を覗かせる。暗くて見辛いが、彼の頬には大きな火傷の跡があり、その形は爪で引き裂いた形に似ていた。

 

「あ。祭りとか病院とかでやたらと会うヘンなおじさん」

「だから俺はオッサンじゃなくて三十五歳。まだまだピチピチ、絶賛恋人募集中の──あだあだあだだだだいだだだだだ」

 

 土足で踏み込んできてルリコに迫るケロイド男の頭を、無言でキリエが掴む。

 そのまま鉄パイプをもネジ切るような握力でアイアンクローをかまされ、彼は情けない悲鳴を上げながらも、ここに来た用件を語り始める。

 

「あ、いででででで! いでいで! 例のブツの準備できたって教えにきただけだから! すぐ帰りますって!」

 

 ■

 

 瞼の裏の暗闇のような、星一つ見えない漆黒の夜空だった。

 西町全体がエイリアンの血を思い起こさせるような緑色の非常灯にライトアップされている。

 校門の外に広がる町も住宅街も緑色の暗い光に沈んで、息を潜めている。静かな静かな非常事態だ。

 

「地下の原発三基が浸水でオシャカ。そろそろ本格的にヤベーなって感じです」

 

 グラウンドの外周の土手。刈り込まれた芝生を撫でながら、天気の話でもするような口調でキリエが語った。

 

「原発ゥ? この町に原発なんてモンがあったワケ?」

 

 ホントロクでもない町ね。と続けて、ルリコが芝の上に横になった。芝生は手入れされたばかりで、青い、いい匂いがする。

 ほのかに暖かく、眠りを誘う。

 彼女は寝不足でボンヤリした頭で、グラウンドで何かしているクラスメートと、ケロイド男を見やる。

 

(もう合宿は終わったのに、あいつら何するつもりなのかしら……)

 

「温度管理、人工太陽、そしてプラント──ここに資材を運び込む()()()()()、いいですか、()()()()()()()()()プラントを動かすには、原発がいくつも要るんです」

「地上地上って。念押しするみたいに言うわねー」

「学生は思ってるよりバカだから、大事なことは何度も言っとけ。教師やってて学んだコトです」

「バカってアタシらのことか?」

 

 カナタが聞いて、レイジが肩をすくめる。

 防衛局の職員がどうしてここまで肩入れしてくれるのか──それは謎のままだが、キリエの言葉は、ルリコが語った『考察』の裏づけだ。

 さりげないコトこの上ないやり方で西町の最重要機密を漏洩してのけたキリエは、何食わぬ顔のまま漆黒の空を指差した。

 

「『海』がすぐそこまで来てます」

 

 その言葉の意味を探るように、レイジは聞き返していた。

 

「海が、来る?」

「実際に行って確かめてみなさい。その目で世界を見て、知って、広げなさい。勉強ってな、そういうモンですから」

「教師らしいこと言っちゃってェ」

「教師だもん」

 

 闇空の下、キリエとルリコが笑い合う。

 カナタがシャツのすそを強く掴む力を感じながら、レイジは返事できなかった。

 彼女の手を握り返してやりたいのに、彼の拳は、ポケットの中でブレスレットを握り締めたままだ。

 

 まだ、カナタと話し合えていない──

 

「大事なことは、誰と一緒に行くか、よね。ねー、カナタあ?」

「まァな」

 

 ルリコが振り向いてささやきかけると、カナタは照れたように顔を逸らした。

 居心地悪そうに手を離した彼女を、レイジは不思議に思って見下ろす。その時、視界の片隅──グラウンドの中央で大きなオレンジ色の光が灯った。

 

「あ……?」

 

 怪訝そうに身をもたげたルリコが、目を凝らす。

 ごうごうと燃え盛る松明を手にしたケロイド男とクラスメート、そして妹のマリコが元気に手を振りながら、彼女の名前を呼んでいた。

 

 ■

 

「じゃあはい、よく会うそこの子、こっちきて」

「え。なんで」

 

 ケロイド男に手招きされて、ルリコがきょとんとした。

 

「さ。会長さん、準備はできてます」

「おねえ。ハイ、これ。たいまつ」

 

 みんなが輪になって遠巻きにルリコを囲む中、代表してマリコが進み出る。

 ぜんぜんちっとも状況が飲み込めないルリコに、かなり危ない勢いで燃え盛る松明を手渡す。

 これで今日の主役が誰か、一目瞭然だ。

 

「は?」

 

 眉毛が焦げそうなほど燃え盛る松明に顔をしかめながら、ルリコは立ち尽くす。

 そんな彼女の周りに集まっていた生徒とケロイド男が、ザーっと波のように引いていく。

 ぽつねんと立つ彼女を中心に、半径十メートルの円を描くように白線が引かれている。

 これまたご丁寧に、サークルの内側にハザードストライプまで記されている。つまり今彼女がいる場所は、バリバリの危険地帯だ。

 

「え?」

「会長、がんばってくださーい!! みんなの代表として。げほ、おえっ!」

「おーい、もういい? そっちに大筒あるから、着火して。お兄さん早く火が見たいのよ。大爆発が」

「ん?」

 

 遠巻きにするみんなが見つめる場所を追っていって──ルリコは自分の背後に巨大な筒を見つける。

 太い塩ビ管を無造作に切断し、そこらへんから集めてきた石を根元に積み上げて空を向かせている。

 風が吹いただけで揺らぐ管の底から、チョロっとハミ出た荒縄に、イヤでもルリコの目が吸い寄せられる。

 

 そして、彼女の手には松明。

 その顔色が、急激に悪くなっていく。

 

「ええ~~っ、なんで私!?」

「名誉! 名誉ある役目ですよ!」

「貧乏クジのこと名誉って言うのやめてくれる!?」

 

 これまでにないほど楽しそうに囃し立ててくるザワちんに怒鳴り返しつつ、ルリコは観念する。

 逃げられない。

 ここで逃げては2-Aの劣等児どものムチャクチャ相手に尻尾を巻いたことになる。

 ──このやろう、せっかく合宿で面倒見てやったのに、オチがこれか。

 ルリコは燃え盛る松明を手に、おっかなびっくり、大筒に近づいていく。

 

「というか──」

 

 じわりと額に浮かぶ汗を感じながら、彼女はターゲットの位置を再確認する。

 

「──なんでこんなに近づかなきゃいけないのよッ、もおおおお!」

 

 着火をわくわくと待ち侘びる導火線は僅か二十センチほどしかない。そのせいで、ルリコはいらぬ緊張(エンターテイメント)を味わうハメになっている。

 

「おねえゴメーン! 導火線の分は別料金だったみたーい!」

「いや違う」

 

 ケロイド男がそっと呟いて、みんなが彼に振り向いた。

 

「代金はキチンともらった。でも俺、ハラハラしないとさ、キミらが楽しめないと思って」

 

 彼は火薬で黒く染まった指先をもみながら、まるで独り言のような調子で言ってくる。

 暗闇の加減がそう見せるのか、彼の指の本数が、爆発か何かで吹き飛んだように足りないようだった。

 

「ついでに、あのルリコって子に首やられたことあってさ。俗にいう、仕返し……みたいな?」

 

 無表情のまま、起伏のないイントネーションで言ってのける男から、みんながいっせいに顔をそらした。

 外野は外野でいらぬ緊張感に浸っているが、そのころグラウンドの中央ではルリコがヒーヒー言いながら導火線ににじりよっていく。

 

「やるわよ!」

 

 寝不足と恐怖と謎の使命感に突き動かされ、彼女は笑顔を引きつらせている。

 

「やるわよ! いいわね! やっちゃうからね!」

「早くしてくんねーかな」

 

 ケロイド男が冷酷に突き放すのを聞きながら、おっかなびっくり近づいていったルリコが松明を構え──着火。

 

 ジジジジュ……と音を立てて火のついた導火線がパイプの中に引っ込んでいくのを、彼女は逃げもせずその場で見守った。

 

 ボムッ

 

 DIY感満載の大筒花火は、当たり前のように様子がおかしくなった。

 それまでウンともスンとも言わなかった大砲の口からスッと一筋煙が登ったかと思うと、中からボン、ボン、と何かが小爆発する音が聞こえ始める。

 

「あ、やべえわこれ」

 

 我に返ったルリコが踵をかえすと同時に、ドムッ、と爆音を立てて筒の中から強烈な閃光が放たれる。その衝撃で固定用の石山が崩れ、大筒が軽くジャンプした。

 

「あわ、わわわわ、何なのよ、コレ!」

 

 筒は着地に失敗。

 横倒しになったままクルーリと回転していく。こういうとき、次に何が起こるかは大体分かるものであるが──当然のように、銃口がクラスメートたちの方に向く。

 

「うわあッ! 爆発すんじゃねえか!」

 

 ボン、ボンッ

 

 迸る悲鳴を楽しむように、大筒は何度も跳ねた。

 そのたびに火を噴いて発射寸前の筒先がブレ、グルグル回る。

 やはり怪しい男から怪しいモノを買うべきではない──そんな教訓を胸に抱いた少年少女が、恐慌して走り出す。

 蜘蛛の子を散らすように、四方八方に。つまり大砲がどこにブッ放されようが……誰かに当たる。

 

「ヤッバいねえ……」

 

 いつの間にかレイジの隣にいたボタ子が顔をしかめた。

 

「ヨシ、ザワちんのこと頼む……」

「イスルギお前、その名前で「おう。みんな、こっちだぞ!」

 

 レイジに応えて、ヨシがザワちんを背後にかばった。

 

「壁、やるよ。あたいも」

「ボタ子は女の子だ。俺の後ろに」

「でもあたい、花火くらいじゃビクともしないよお」

 

 うれしいけどね──そう言って彼女とレイジが並んで立つと、カナタとマリコ。そして、それに気付いた数人の生徒たちが背後に隠れる。

 しかし大多数の生徒は混乱をきたし、グラウンド中に散らばってしまった。

 その間も大筒は小爆発を続けながら回転する。

 

「ちょ、ちょっとアンタたち、バラバラに逃げると……」

「お前、あとでお説教。一時間コース」

 

 隣のケロイド男を睨みつけて、キリエが腰を浮かした。

 間に合うか。

 

「ルリコさん、すぐに離れ──」

 

 キリエの言葉でルリコが我を取り戻した。

 冷たい汗を流してその場に釘付けになっていた彼女は、砲の中に明かりが点った瞬間、火がついたように動いた。

 グラウンドに敷き詰められた砂利を蹴散らし、その体が駆け出す。逃げるのではない。彼女は大筒に向かって走る。

 今まさに大大大惨事を引き起こそうとする、災厄の爆心地へと。

 

「ぬあああああっ!」

「あらまあ」

 

 全力で筒先を蹴り上げるルリコが気合を迸らせ、そこに、のほほんとしたケロイド男の声が重なった。

 

 ドシュッ。

 

 タイミングは間一髪。とうとう巨大な砲弾が大筒から放たれて、ルリコの前髪をかすめる。

 

「ぎゃあっ!」

 

 さすがのルリコといえど、これには大ビビリだった。恐怖の叫びを上げてひっくり返った彼女をよそに、放たれた花火は甲高い音を立て、夜空を駆け上がっていく。

 今の超人的な反射の反動のように、ルリコは魂が抜けたようになって、その場に座り込んでいた。

 

 

 漆黒の空に向かって、一筋の白煙が長く長く伸びている。

 

 

 彼女だけでなく、クラス全員が口をポカンと開けて空を見ていた。

 

 やがて、ヒルル……という飛翔音が聞こえなくなった。

 

 一秒、二秒…………みんなが待ち続ける。

 

 待つ。

 

 ひたすら待つ。

 

 しかし、いくら待ってもその瞬間は訪れない────不発だ。

 

「えい」

「ぐあ」

 

 キリエがケロイド男の脳天をグーで思い切り殴りつけた。その鈍い音が響き渡るほどに、気まずい静けさがあたりに立ち込めている。

 

「あ、っちゃあ」

 

 体を張ってかばったままのレイジの股下から顔をのぞかせて、マリコが吐き出すように言う。ランタンのわずかな明かりの中で見えるその顔は、ひたすら悔しげだ。

 死に物狂いでカネをかき集め、クラスの力も借りて──そして、失敗。

 彼女だけではない。クラス全員の落胆がひと固まりのため息となって、ルリコのもとにまで漂ってくる。

 

「ええと……」

 

 ルリコは松明を拾い上げて、その火照りの下でばつが悪そうに髪をいじった。

 

「みんな無事かしら。とりあえず点呼──」

 

 相変わらず疲れた顔で、彼女が言葉を紡いでる最中だった。

 

 どッ──かあん! 

 

 地響きを立てるほどの大音響が、西町全体を揺すった。

 

「わああっ!」

 

 その大爆音と閃光は、花火と聞いて連想されるものからは程遠い。

 光る絵の具を撒き散らしたような極彩色の爆風が空に吹き荒れる。凄まじい原色に彩られた連鎖爆発の熱と衝撃波が、棒立ちしていたルリコの背中を思い切り突き飛ばした。

 驚いて転げた彼女がほうぼうの体で、爆発を見上げる。

 

「ねえ。ねえったら。オッサン」

「ハイ姉御」

「アレほんとに花火? 私には燃料気化爆弾(FAEB)に見えますが」

「いやあ……お目が高い」

 

 エヘラと笑ったケロイド男の両側頭に、キリエのげんこつが当てられている。それらはぐりぐりと回転しながら、ゆっくりと男の頭蓋骨を抉っていくのであった。

 

「俺、言いましたよね。お役御免になったナパームの処あだだだだだ!」

 

 その悲鳴をどこか遠くに感じながら、ルリコは暗闇に戻った空に光の残滓を見ていた。

 手元で燃え上がる松明の火の粉が鼻先をかすめて飛んでいく。

 グラウンドの土手の方に目をやるとクラスのぼんくらどもが輪を作って笑い声をあげているのが見える。

 命がけで着火マンをしてやったのに、どうやら彼女の働きを忘れている。そろそろ怒鳴って割り込んでやってもいいが──彼女は肩をすくめる。

 不思議と悪い気分じゃなかった。

 松明を乾いた砂の上に放り捨て、彼女はもう一度空を見る。

 ともあれ、花火を見られた。どこのどんなヤツの思し召しかは知らないが、一応、感謝だけはしておくコトにする。

 

「おねー」

 

 爆発の余波で吹き荒れる風に黒髪をそよがせて、隣にマリコがやってくる。

 小麦色の肌の上に貼られた絆創膏をチラリと見てから、ルリコはまた、夜空に視線を戻す。

 

「スゴいの用意したわね……おでこンとこ、ヒュってしたわよ」

「だいぶ予想外スけど」

 

 マリコが何か言いたそうなのは、ルリコも分かっていた。

 だから待つ。彼女が口を開くのを。

 

「あの……今、いいスか」

「いちいち聞くか。お姉ちゃんと妹でしょ、私ら」

 

 もっと気の利いた返事、できなかったのかしら。答えてから、ルリコはきゅっと、下唇を噛んだ。

 

「おねえのために、がんばって稼いだお金が二十万あったんス」

「どうしてこんなときにその話が始まるのか、まったくわかんないけど──いらないわよ」

「ウン。だと思った。だから、なるべくバカな使い方して、せめておねえを笑わせようってなったんスよ」

「へえ。どうやって私を笑わせるのかしら。そうとう大変だと思うけど?」

「ん」

 

 マリコが黙って、空を指差した。

 

「バ」

 

 口を半開きにしたルリコの中で、すべてが組み立てられていく。あのむやみやたらにハデな花火。マリコの二十万円。集まってコソコソしている劣等児たち。

 落ちた松明がパチリと弾ける。

 カナタを中心に大騒ぎを始めたクラスメートたちを見て──隣で足元の砂利をいじるマリコを見て──そして、たった一発の大爆発が起きた空に目を戻して。

 

「あれ一発……二十万?」

「正確にはクラス全員で稼いだおカネとウチの二十万、合わせて三十八万飛んで二百円」

 

 ルリコは髪を振り乱すようにして空を仰ぐ。

 

「バ、バ、バッカじゃないの!? あ、あは、あはははは!」

 

 そしてとうとう、大口を開いて笑い始めた。

 

「これ、もともとはレイジさんのアイディアで」

「レ、レイジが……!? そこらの石ころよりもユーモアのないレイジが、こんなのを!?」

「で、相談したとき、ウチ、焦ってて大金バラ巻いて風に……」

 

 ルリコが笑いをこらえるしゃっくりと、マリコの背中をバンバンと叩く音。

 当然、クラスの方にも聞こえている。彼らは無言で顔を見合わせ、そして微笑みと共に頷きあった。

 ミッションコンプリート。これにて勉強合宿は真の終わりを迎えたわけだ。

 

「それで? それで、おカネは全部あったのよね?」

「そこで一枚足りなくて、ウチてっきり、レイジさんがパクったんじゃないかって」

 

 ルリコに限界が来た。

 そのまま地面にうずくまって、小刻みに震え始める。顔を覆う手のひらの間から、レイジや、マリコですら聞いたことのないような声が聞こえてくる。

 

「お、おねえ?」

「殺される。妹に笑い殺される……」

「そうなんスか? じゃあ取って置きのハナシがあるんスけど、初日の夜にレイジさんとサメが戦ったことでも──」

「ひいーっ、まだあんの!? やめてったら!!」

 

 面白がってトンでもない話まで語り始めるマリコと、笑いすぎて痛い顎を押さえて必死にギブするルリコ。

 それを静かに見守っていたレイジの隣には、カナタがいた。

 

「あんがと」

「全部カナタと、みんなの手柄だ」

「ケンソンすんなよ」

 

 カナタはレイジの背中をドンと叩いた。

 何気ない、いつもどおりのスキンシップ。レイジはそれに、目を見張った。

 奇妙にこわばったままの手を、彼女はそっと胸元で握り締める。その手は、今でも包帯でぐるぐる巻きで、黒いシミでまだら模様が描かれている。

 

「俺は一円も出していない」

「カネ以上のことをたくさんしてくれた」

 

 二人はグラウンドの中央に目を戻す。そこでは松明の光の下で、ルリコとマリコが肩を組んでいる。

 弾けるような笑い声を聞いているうちに、レイジもいつしか、口元を緩めていた。

 

「これで、全部うまくいくかな」

 

 一台の軍用トラックがグラウンドに乗り入れてくるのが見えた。

 クラクションを鳴らす輸送車にクラスのみんなが集まっていくと、運転席のハッチを開けて、顔をボコボコに腫らしたケロイド男が這い出てくる。

 キリエに何度も背中をつつかれながら彼が後部のドアを開けると、中は大きな箱で満載だ。

 そこに入っていたものを確認したヨシたちがガッツポーズして歓喜の雄たけびをあげる。

 それまで語らっていたルリコたちが、花火セットの袋を掲げて見せてきた。

 平和で、幸せな時間だった。

 でもそれは、この合宿の間だけのものだ。

 

 すべてが終わったあと、彼女たちには地獄が待っている。

 

「スッキリする終わりなんてない。か」

 

 レイジの沈黙がすべてだった。

 快刀乱麻の一撃などこの世界には存在しない。

 どれだけ傷が癒えたとしても、その傷を作った元凶がなくなることはない。

 ヨシがレイジと拳を交えながら言ったように、傷は腐る。

 マリコの顔の傷は一生残る。これからもルリコは悪夢にうなされ、毎朝湿ったシーツを絞るのだろう。

 

「それでも……俺は信じたい。みんな、ちゃんと向き合って、前に進んでる」

「ああ……アタシもおんなじ考えだ」

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