海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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12.深夜/ドント・ダイ・オン・ザ・モーターウェイ(3)

「すげえなルリコ。花火キックじゃん」

 

 カナタの瞳に映って揺らぐ火球は、漁火によく似ていた。

 

「自分でもビックリよ。火事場の馬鹿力ってやつかしらねえ」

 

 レイジの見事なタックルが、キリエから一本奪った頃だ。

 闇に包まれた合宿所前でひっそり行われた通過儀礼(イニシエーション)など知らず、すっかり仲良しになった六人が平和にバケツを囲んでいる。

 さっきボタ子が自爆特攻かまして大掛かりな花火が全部吹き飛んだので、彼らが握るのは、糸のように細い線香花火ばかりだった。

 

「不思議ですねえ。どんなクソ度胸でも、ふつうはちびり上がるモンですよ」

 

 目元涼しげな美男子──ザワちんが言う。彼はなんだか焦げ臭い。

 

「なんの訓練も受けていない素人が、炸裂寸前の爆弾に突っ込んでいくなんて──生徒会長さん、どこかで軍事教練でも?」

「言い方がわざとらしい」

 

 もともと白かった彼のシャツは、無残な焦げ跡でいっぱいだ。さっきボタ子とヨシが突っ込んできて、爆発に巻き込まれたからだ。

 かなり強いクセのある彼のショートボブに、焼け残った花火が挟まっていた。

 

「ねえ……」

 

 ルリコは彼の袖をチョイと引っ張って、バケツをはさんで向かいのカナタには聞こえないように囁く。

 

「今は……」

「ええ。分かってます。この空気、台無しにしたくありませんから」

「アリガト。アンタらの秘密はあとでしっかり、ね」

 

 煙に咳き込むザワちんの背中をそっと撫でつつ、ルリコの目つきは鋭い。

 レイジとヨシのガチンコファイトを見ていて、彼女は三人組の違和感に気付かされた。

 彼らは軍事的に訓練されており──防衛局とは違う何かの目的を持って、ルリコたちの日常に侵入している。

 だけど今の彼らは気のいいクラスメートだ。彼らが「まだ」と言ってくれる間は、ルリコも無用な警戒はしない。

 

「にしても、もう少しで2-Aまるごと爆死じゃない。マジであのおじさん、とっちめてやんなきゃ……」

「それが怖いってんでサッサと帰りましたよ」

「あーあ、これだから小悪党ってのは。逃げ足ばっか速いのよねえ」

 

 ルリコは、あたりに漂う煙のスクリーンの中に妹の姿を探す。

 マリコはすぐ見つかった。少し離れた場所のバケツの傍で、ボタ子と一緒にヨシの手元を見ている。

 三人とも口は半開きで目がうつろ。かなり異様なものがある。

 

「いくぞいくぞ。ほら、くるぞ。今だホレ」

 

 ヨシは握っている線香花火をバケツの上に持っていく。

 火花を散らす橙色の火球が、己の終わりを悟ったように小刻みに震えている。

 まるで催眠術の振り子だ。

 ボタ子、そしてマリコは取り付かれたような様子で、火球が落ちる瞬間を心待ちにする。

 やがて、前触れなく、ぷつりと落ちた火の玉が──

 

 じゅうっ。

 

 音を聞いたヨシたちがいっせいに肩を縮めて身震いした。

 

「おお……コレたまんねッスねえ……」

「いやー、やっぱデカい玉だといい音すんねえ」

「だろお? ヨシくん天才だから。線香花火育てんの」

「よーっし。じゃあ今度はウチがやらしてもらいます……」

「この道厳しいかんね。俺、ダメだと怒るよ。こころしてゆけ」

 

 ヨシが燃えさしをバケツの中に放り込む。

 あれほど燃え盛った火の玉はバケツの中に溜まった水と闇に飲み込まれ、その一部になってしまったようだった。

 

「なによあのバカども」

「いいんですか。マリコちゃん、一年からバカの近くに置いとくと、来年の今頃には完全なバカタレに仕上がりますよ」

「つってもこの空間、右見ても左見ても、バカバカアホまみれでしょ。ほら──」

 

 彼らは目の前のバケツに目をやる。

 正確にはそこで線香花火を手に、「あへ」の形にカパっと開いた口を閉じることも忘れて火に見入るカナタを。

 ヨシたちのバケツからこっちのバケツに、感染性のバカが飛んできたようだった。

 

「──もう終わりよ。見なさいこの顔。無いわよ。この子の頭の中に、三角関数も知性も」

 

 線香花火のキケンな魅力にやられてしまったカナタを捨て置いて、二人はもう一度、マリコを見やる。

 彼女はヨシが差し出したローソクで花火に火を点ける。

 その頭を穏やかな顔つきのボタ子がゆっくり撫でている。

 上級生の不良たちに囲まれてたった一人なんて、ほとんどの一年はごめんこうむるところだろうが──花火を水の上にかざすマリコは幸せそうだった。

 

「おかしな光景です。ね、ン、コホっ」

「そうねえ。ちょうど同じこと考えてたわあ」

 

 しみじみとザワちんが言って、ルリコが同意する。

 風向きが変わったせいなのか、薬が切れたせいなのか。咳き込み始めた彼の背を、ルリコの手がさすっている。

 

「うっ、かたじけない──会長さんの妹とヨシが話してんのもヘンですが、なにより我々です」

「そうかもね……私、あんまりとっつきやすいタイプじゃないでしょ」

「なーに言ってんですか。俺ですよ、俺。あんま学校こねーし。きたねー咳ばかりしてるし性格も終わってる。友達、なんっ、──うっ、げほっ、げほおっ」

 

 咳の激しさに磨きを掛けながら、彼はそれでも、花火を続けようとする。

 

「げほっ、げほっ、ぺっ……くそ。俺の体のくせに邪魔しやがって……」

「ザワちん。アタシ、心配だ」

 

 激しい咳に気づいてはっとなったカナタが、ザワちんの腕を取る。

 

「ちょっと離れよう。アタシ肩貸すから、ほら」

「いえ。問題ありませんよ。それより、ゲホッ、俺も、花火、もらって、いいですか……」

 

 心配顔のカナタから花火を受け取って、彼は火をつける。

 うっすら立ち上るローソクの煙でさえ、彼の弱って細った呼吸系には大問題を引き起こす。彼の主治医がこの場にいれば、彼を見た瞬間怒鳴り散らして引きずっていくだろう。

 仮にそうだとしても、断固としてザワちんはやめそうにない。

 彼は震える手で着火して、火花を見つめる。

 砂の上に散らばっていく自分の血よりも、刻々と零れ落ちていくこの時間をどこまでも愛しく、そして惜しんでいるように見えた。

 

「……最後に、花火ができてよかった」

「え。最後?」

 

 カナタは思わず声を上げてしまう。

 ザワちんの手元で鮮烈なグリーンの火花が吹き上がり、あたり一面をその色に染め上げていく。火薬の煙を吸って、彼はまた、咳き込んだ。

 グラウンドに血が落ちる。粘りのある、ひとかたまりの血痰だ。

 

「出席日数、そろそろガチヤバってことかしら?」

 

 照り映える血の塊は当然ルリコの目にも映る。ザワちんの言う『最後』の意味を、彼女はすでになんとなく悟っている。

 

終末期医療(ターミナルケア)ってやつです」

「たあみなる?」

 

 ────なんだそれ。カナタはそのまま繰り返して、ザワちんの次の言葉を待った。

 

 彼女が勉強した英語の範囲にはなかった言葉だ。

 とてつもなく難しくて、あまりいい気のしない響きがあった。

 

「俺の病気です。うつらないんで安心してください。避けられると、傷ついちゃいます」

 

 カナタに意味ありげな微笑みを投げかけると、ザワちんは燃え尽きた花火をバケツの中に放り投げた。

 鮮やかだった火花が、消える瞬間の音だけを残してバケツの中に沈んでいく。

 

「ま、どうにもね──胸が。胸っていうか、爆心地は胸だったっていうか」

 

 ザワちんはバケツの中を覗き込む。

 無数の夏の屍がそこにあった。彼が黒く燃え尽きた燃えさしを見ているのか、それとも水面に映る自分の影を見ているのか、カナタには分からない。

 

「ポンプの近くに病巣があったせいであちこち転移しやがって。今はほとんど全身ですよ。まったく。注射も点滴もクソくらえだ」

 

 ジャリッ──それまでしゃがんでいたルリコが、地面に体育座りした音だ。彼女は指の股に花火を挟んだまま、火をつけずに弄んでいる。

 

「そっか。気ィ遣えなくてゴメンね。アンタのこと、なんでも知ってるつもりだった」

「やめてくださいよ──それより、あのウワサ本当ですか。会長が全校生徒の裏事情集めた閻魔帳作ってるっていうのは」

「生徒だけじゃなくて教師どもの弱みもしっかり握ってるわよ……やっと世間話する仲になったのに寂しくなるわね。見舞いは?」

「おそらく最初の数ヶ月はハッキリしてるんで大丈夫です。俺、みかんが好きなんで、覚えてたら」

「私のお小遣いなら一個くらい持って行けるかな。クスリとか大丈夫だっけ、そういうの」

「病院がどれだけ厳しいかですよねえ。ま、なんとか盗み食いしてやりますよ。デキモノに振り回されてこれ以上人生ダメに(スポイル)するとか、クソですからね」

「……ご、ごめん。何かハナシが進んでるけど、なんだよそれ、胸って、ケアって……できものって」

 

 カナタが控えめに手を挙げていた。

 その手が、わずかに震えている。

 完全に置いてけぼりを食らっていたが、確かなことが二つある。ザワちんは来年から学校に来れない。そしてそれは、彼の持病のせい。

 

 ──どうするの? ルリコが目でザワちんに伺ってるのが分かる。

 

 彼ら二人にはもう分かっていて、カナタは理解が追いつかない。もどかしいほど一歩遅れの仲間はずれ。

 それは彼女をノケ者にしたいんじゃないと分かる。

 配慮だ。

 気を使われてるからこその孤独。弱々しく笑ったザワちんの優しさが、カナタの心をズシっと沈ませる。

 

「なんというか……死にます、俺。近いうち」

 

 気が遠くなるような微笑と沈黙を経て、ザワちんは自分の左胸に手を置いた。

 

「し……」

 

 あまりに彼が穏やかだったせいで脳が意味を受け取るまで、たっぷり一分はかかった。

 その間ザワちんも、そしてルリコも何も言わず、熱で身をよじりながら最後の光を放つ線香花火を見つめていた。

 その火が砂の上に落ちて末期の息のように白煙を上げた後も、ザワちんは千切れた線香花火をずっと持っている。

 

「死ぬ?」

「はい」

「で、でも、こんな元気じゃん……か」

「はい」

「笑ってるし」

「はい。楽しいので」

 

 でも苦しんで死ぬよ。砂に吸われて崩れゆく血痰が呟く。

 

「なお、せる?」

「いいえ」

 

 フリーズしたカナタの前で、ザワちんは微笑んだまま、花火に火を点ける。

 

「ザワちん。私にも。火、ちょうだい」

 

 ルリコが持っていた花火を差し出してきた。花火同士で火のシェアしましょ、というしぐさだ。

 

「マジですか。それやると、すぐ燃え尽きるからイヤなんですよね……」

「いいでしょー。花火なんていくらでもあるじゃない」

「俺は緑が好きなの。緑の花火は残り少ないんですーっ! けほっ、けほ!」

 

 二つの花火が緑とピンクのスパークで砂の上を彩ると、時間が動き出す。

 カナタがどれだけ戸惑っても、悲しくなっても。流れは止まらない。この一ヶ月が常に激動の連続だったように、ザワちんの時間は決して止まらない。

 彼の人生は、この瞬間も流れ、燃え、そして消えゆく。

 

「なんで、だよ」

 

 カナタの驚きが怒りに変わってきた。

 ザワちんは流れてきた煙に目を細める。

 

「なんで教えてくれなかったんだよッ! アタシらトモダチだろ!?」

「カナタ」

 

 つい大声を上げてしまった彼女を、たしなめるようにルリコがつついた。

 今まで線香花火パーティーに魂をささげていた三人が、顔を上げてこちらを見ている。

 

「なんだか盛り上がってんねェ。俺も混ぜて混ぜて」

 

 ルリコが手を振って「いいから」と伝えたが、ヨシがザリザリと砂利を鳴らしながらやってきてしまった。

 彼と目が合ったザワちんが、はっきりと顔を曇らせた。

 

「おん? おたくらなーんか真面目なツラしちゃって。どったの?」

「ヨシちゃん。ザワちんが──!」

「おっほん」

 

 カナタが彼の病気について話そうとした瞬間、わざとらしい咳払いが彼女をさえぎった。

 ザワちんだ。

 立ち上がる拍子に砂を蹴散らして血の塊を隠すと、彼はヨシに歩み寄って、彼のシャツをつまむ。

 静かで、しかし有無を言わせぬ圧に、丸ボウズが驚きの声を上げた。

 

「お? おお?」

「俺ねえ。きれいなお嬢さん方と集めてイイハナシしてたんです」

「いやだから知ってるってば。ザワちんと俺、マブダチだし。聞かせてよ教えてよ。胸がドキドキ高鳴るハナシってやつ──」

「そう。俺の胸がどうにもドキドキ。大変なんですよ。もういっそ、止まるんじゃないかって。マジで」

 

 まるで汚いものをいじるように無造作な手つきで回れ右させながら、ヨシを見つめるザワちんの目は優しい。

 彼の目の前には、汗で光るたくましいヨシのうなじがある。

 ザワちんはそれをつかの間見つめて──己を恥じるように、目を伏せた。

 

「お前なんてお呼びじゃないんです。お前もそっちで、カワイイ女の子たちと楽しくお喋りして、俺のことなんて忘れてください」

 

 不思議そうな顔でやってきたマリコが、ルリコに目配せする。

 姉はかすかにうなずき、妹もうなずきで返す。彼女たちの間はそれで大体伝わる。パッ、と笑みを作ったマリコが、ヨシの腕を引く。

 

「ほれほれ、非モテの丸刈りマンはお呼びじゃないそうスよ」

「ンだよ、俺がモテねえのと素敵なヘアスタイルは関係ねーでしょが……」

「ここはウチが相手してあげるスから」

「ヨシちゃあん。あたいもしっかりお話聞くからねえ」

 

 ボヤきながら戻っていく彼を、悪い笑顔で待ち構える美女がもう一人。

 煙混じりの夜風の中でベリーショートに指を通す彼女を見た瞬間、思わずヨシの足が止まる。

 

「なんだったら、あたいらとコイバナでもするかい?」

「いや。やめとく……マリコちゃんはカワイイけどバックにいる会長がすごくコワい。ボタ子、お前はシンプルに全部おっかない」

「あんだってえ!?」

 

 マリコとボタ子から背中に強めのパンチを食らいつつ、ヨシがトボトボと戻っていく。

 

「ほんじゃお見せします。腹いせに禁断奥義、十本まとめて大玉」

 

 線香花火をこよりにして集めた明らかな危険物をこさえはじめた彼は、もうザワちんたちの姿が目に入ってない。

 バカな男がいつものようにバカ始めたのを見て、ザワちんがそっと、胸をなでおろした。

 

「スイマセン。ヨシには言わないって決めてるので」

「なんだよ、なんだよオマエ。なんでそんな笑ってられんだよ……!」

「俺が最後まで澄まし顔でエンジョイしてたって後から知ったら、アイツ最高に悔しい思いするじゃないですか。それが楽しみなんですよ」

「悔しいって……」

「ああなんで俺は。もっと話しておけば。もっと親切にしときゃ……ウチの神社の祭囃子が聞こえるたび──ヨシに俺を思い出してほしい。この時間に残って笑う俺を(おも)ってほしいんです。

 神社の息子が言っていいセリフじゃないですが、呪いでもいい。ヨシの心に居座りたい」

 

 そこまで言って、ザワちんは手で口を覆った。

 咳はもう出なかった。花火と夜風にあおられて、語りすぎてしまった──困ったような笑みで歪められた目元が、そう物語っている。

 

「それでも……トモダチかよ。教えてやれよ」

「いい友達だからです」

 

 カナタはザワちんと出会ってまだ一ヶ月だ。

 この色白で、低く澄んだ声さえ聞かなければ美少女と間違いそうな男のことが、急によく分からなくなってしまった。

 彼は重病人で、火のついた導火線だ。

 たった数か月分(20センチ)の導火線。その先につながった大筒の中には避けようのない死がパンパンに詰まっている。

 アタシだったら耐えられない──カナタは口元に力が篭るのを感じる。

 無二のトモダチに病気のことを何も伝えず、笑って去るなんて。

 

「向き合うことは立派なことです。でも俺にとっては、そうしないことが勇気なんです」

 

 砂利を鳴らして、カナタが立ち上がった。

 見上げてくるザワちんに向けて何か言いたそうに口元を歪めたが、フイッと顔を逸らして、合宿上の方に走り去ってしまう。

 ヨタついた、何かを振り切って逃げるような、そんな走り方だった。

 

「体ボロボロなのに、よくやるわ」

 

 呆れたようにルリコが言った。

 

「そりゃ俺のことですか。カナタさんのことですか」

「どっちもよ。どっちの言い分もよく分かる。そしてどっちも救いようの無いバカ」

「はは」

 

 カナタが放り出していった花火は、今も地面の上で青白い火花を散らしていた。

 ザワちんはそれを拾い上げて不思議そうに見つめる。彼の『緑色』とは違って、こちらはよく燃え、そしてなかなか消えない。

 まるでカナタさんのしたたかさが乗り移ったみたいだ──と考えながら、ザワちんは微かに笑った。

 それから、闇の中に走り去るカナタの背に目をやる。

 

「こんな俺にアダ名くれて、ありがとう」

 

 学校のイモジャーの袖を揺らし包帯の端を躍らせ、銀の残光を引いて、彼女は遠ざかっていく。彼女の姿が闇に紛れた後も、目を瞑ると彼女の光が瞼の裏で走り続けた。

 

「うれしかったんです。俺、本当に本当に。何を言っても、感謝しきれないほど」

 

 アイザワレイジ──ザワちんは深々と頭を下げた。

 再び顔を上げたとき、彼はとてもすがすがしい表情を浮かべていた。かつて倦んでねじくれるばかりだったイヤミ製造機とは別モノだ。

 彼も確かに成長したのだ。見ているルリコが、つかの間目を奪われるほどに。

 

「私だったらムリよ。死ぬかもーってなったら、自分のことで精一杯」

「俺だってそうですよ。まだまだ覚悟が甘いし、たまに夜中に目が覚めて、吐くこともある」

「辛いわね」

「夏なんて最高ですよ。汗だくで便器に顔突っ込んでると、自分が何してるか分からなくなってきますからね」

 

 まだ消えないカナタの花火を持って、ザワちんは困ったような顔をルリコに向ける。

 

「……でもね、大好きな人のためにカッコつけようって思うと、案外やれるモンなんですよ」

「ふうん。好きなんだ。ヨシのこと」

「ええまあ。これはマジで墓場までもっていく秘密です……ヘンですかね。俺、男なのに」

「いいだの悪いだの、他人の私に言う権利ないわよ。私……分からないもの。人、好きになったこと今までなかったから」

「おや!? なかっ『た』?」

 

 思わず食いついてから、ザワちんは「しまった」と口をつぐんだ。

 ほんの一瞬、深々としたシワが、ルリコの眉間に刻まれたのが見えたからだ。

 

「忘れなさい。言葉のアヤよ。殺すわよ」──(七五調)

 

 ただでさえ短い寿命をこれ以上縮められてはかなわんと、ザワちんは目を伏せる。

 カナタが残していった花火は、いつの間にか燃え尽きていた。彼はそれからもしばらく、その燃えさしを大事そうに握り締めていた。

 

 ■

 

「うるる」

 

 屋上は黒い海だった。

 イボつきの皮に小さな単眼を持つ怪物がひしめいている。

 次々とヘドロの中から現れる棘皮人間たちには目もくれず、“つくり笑い”は合宿所の上から生徒たちを見下ろしていた。

 彼の傾いた頭はヒステリックに震え、口の端からダラダラと涎が滴る。

 

 カシャ──

 

 フェンスに爪をかけてうなる彼は、見るからに機嫌が悪い。

 しかしそれは、あってはならない感情だ。

 レイジやカナタは彼を不滅の怪物と認識しているが、実際は同一の特徴を持つ別個体だ。

 パワードスーツの踵でミンチにされたら別の“つくり笑い”が。カナタに頭を叩き割られたらまた別の“つくり笑い”が、記憶と経験を引き継いで誕生する。

 ここにいる『彼』もまた、生後三十秒に満たない。

 連続性のないその場限りの個体が、怒りを持つなどあり得ない。だというのに、彼は生まれた瞬間から不機嫌だった。

 

 ────数日前に殺された“うそ泣き”のことか? 

 

 違う。

 

 彼はアレを同類と認識したことがないし、彼の背後に集結し、傅く棘皮人間たちにたいしても、障害物以上の感情を抱くことはない。

 彼らはヒトの形をしている。だがそれは、元がヒトであったから、という以上の意味は無い。

 彼らの本質はアリやハチに近い。

 あくまで”つくり笑い”は集団を統率するために回り続ける歯車に過ぎない。

 しかし、自分はいったいどこの何者のために動いているのか? 

 そんな疑問を抱くこと自体、彼の機能には無い。

 それでも感じる苛立ちに”つくり笑い”は何度も何度も首をフェンスに打ち付ける。その度に彼の体を構成する泥が剥がれ落ちていく。

 

 イラつく。

 

 “つくり笑い”は首を細く長く伸張させて、フェンスの上から覗き込む。

 包帯まみれの女が、壁に両手をついてうなだれていた。

 その姿を見ているだけで“つくり笑い”は股間のあたりがうずく。彼はヒトのモノマネであるから、その股ぐらにツルっとして何もない。

 しかし彼女が傷つき、気落ちしているのをみていると、ありもしない肉の塊がいきり立つのだ。

 

 まるで飼い犬の写真を取り出すように、歴代の“つくり笑いたち”が引き継いできたひとつの情景を思い描く。

 

 部屋の隅で丸くなって震える全裸の少女──『オモトカナタ』の姿を。

 

 あばらが薄く浮いた脇腹に這う痣のひとつひとつと、ボサボサの黒髪の隙間から様子を伺う、怯えて媚びるような目を思い出すたび、彼は興奮する。

 息を荒げ、いつしか前のめりになってフェンスに突き刺さっていた彼は、ふと醒めたように、体を起こす。

 

 だが、今のカナタ。あれはダメだ。

 最低最悪の絶望から立ち上がり、色鮮やかに立ち直ってしまった。

 

 すでに『オモトカナタ』ではない。

 

 もう少しで完熟する果実を目の前で横取りされてしまったような──そんな本能的な怒りが、彼を支配する。

 

 ジョキッ

 

 力任せに振るわれた“つくり笑い”のカギ爪が、近くに跪いていた棘皮人間の頭を切り落とした。

 頭を失ってなおバタバタと地面の上でのたうちまわる怪物には目もくれず、“つくり笑い”はフェンスを見つめた。

 日焼けして薄緑になった鉄製フェンスは、鋭く横一線に引き裂かれていた。

 “つくり笑い”は首をかしげる。切れ味が異様だ。

 彼の腕はいまや溶け、指がなくなったことで自慢の三本爪は腱で肘からブラ下がっている。

 カチカチとそれらが擦れる中──“つくり笑い”が己の腕だったものに目を落とす。

 

 刀があった。

 

 黒曜石のような鈍い光沢を宿した直刀が、手首と一体化するように生えている。彼は戸惑うように、もう一方の手で頭をかいた。

 そこから剥がれ落ちた泥の下からも、徐々に生えそろいつつある黒い輝きが──

 

Knock knock.(コンコーン)

 

 不意に聞こえた声に“つくり笑い”がバッと振り返る。

 それより先に周りの棘皮人間が反応した。彼らに迷いはない。異分子が紛れ込んだと見るや、べちゃべちゃと無数の足音を鳴らして方向転換する。

 

 “つくり笑い”は、雲霞のように駆け出し殺到する棘皮人間の群れの先に、別種の『怪物』の姿を見て取る。

 

 一つ目のようなバイザーから緑色の焔を漏らして、一体のサイボーグがそこに立っていた。

 その左腕は不釣合いに巨大な黒い悪魔の手。そしてなぜか、首から下はブラウス&スラックスの、まるで教師のようなパンツルックスタイルだった。

 彼女は空中をノックするように持ち上げていた左手をゆっくりと下げ────そして、黒いブレードの柄を握んだ。

 

 ゾッ────バ

 

 一閃。

 

 怪物たちの動きは止まらない。

 彼らは猛烈な速度で走り続け……その下半身だけがサイボーグの目の前で立ち止まる。

 それらは戸惑ったように一瞬立ち尽くし、膝から崩れる。

 切り落とされたいくつもの上半身が、その後方でむなしく地面を掻いていた。

 サイボーグ忍者の握るブレードは刃渡りが2メートル弱。にもかかわらず、彼女は屋上の入り口から怪物の群れごと、向かいにあるフェンスまで斬り裂いてみせた。

 

 “つくり笑い”が作ったものより遥かに巨大な切り口が、フェンスを赤熱させている。不可思議な機構だ。斬る瞬間、明らかにリーチが伸びている。

 

 しかし、その“つくり笑い”の姿が見えない。

 

 背後から異様な気配を感じたニンジャが振り返った瞬間、汚泥の塊と化した腕が彼女の顔面を直撃した。

 ニンジャの体は揺るがない。しかし、スーツの隙間からヘドロが流れ込む。人間をドロドロに溶かして棘皮人間の母体に変えてしまう劇物だ。

 

 こいつに倒されてきた前の個体たちに思い入れなどないが──とにかく勝った。

 

 “つくり笑い”が勝ち誇る。

 

「言葉が通じるとは思えないが──私の体で『にんげん』なのは15パーセントだ」

 

 ふいに腹部に走った衝撃に、“つくり笑い”は下を向く。

 

「七年前の撤退戦でこの泥を浴びた。それで右腕と右肺、肝臓を機械に置き換えた。左腕はずっと前から。こっちは趣味」

 

 ニンジャの右腕が彼の腹を貫通し、脊椎の一部を握って背中から突き出していた。

 

「私のヘマのせいで弟子が人体実験されることになって。私はその成果をすべて受け入れることにした。消化器の大半。骨格の全置換。目と、そして皮膚。麻酔を受けたことはない……罪の実感が薄れるからな」

 

 貫く右腕を覆うものは一般的な人間の肌に見えるが、実際はシリコンで巧みに偽装された人工皮膚だ。衝突の衝撃で裂けた隙間から、カーボン複合材のフレームが黒く光る。

 

「お前はどうだ、怪物。お前は痛みを感じるのか? それはどのくらい鋭いんだ?」

 

 身動きできない“つくり笑い”の耳元にそっと口を寄せ、サイボーグ忍者は囁いた。

 

「これからそれを試してみよう」

 

 ズギョボッと音を立て、怪物の体から勢いよく右腕が引き抜かれた。いくばくかの内臓と一緒に、太い背骨が容赦なくブチ抜かれる。

 大事な支えを失った“つくり笑い”は折りたたまれるようにくにゃりと倒れ、地面の上で手をバタつかせた。

 断末魔の苦しみを次の個体へのバトンに焼き付けながら──徐々にその動きが鈍っていく。

 

「フン」

 

 面白くなさそうに、ニンジャは握っていた脊髄を握り潰した。

 

 “つくり笑い”は最後まで笑顔のままだった。

 崩れてヘドロの塊になっていく死骸の中央で、彼女は泥まみれのヘルメットを脱ぎ捨てる。

 いくら汚泥を寄せ付けない体でも、クサいものはくちゃい。

 むしろ感覚が鋭敏だからこそ、そこに混ざった様々な『原料』を自動分析してしまって──サイボーグ化の思わぬ弊害だ。

 彼女は口の中まで入ってきた泥を吐き捨てながら、髪をほどく。腰まである長い黒髪が、夜風に大きく舞い上がる。

 

「封鎖の必要はなさそうだ。現場一丁、なるべく早く後片付けお願い」

 

 彼女は液晶の割れた携帯端末を取り出し、オペレーターに報告を始める。

 

「────汚染水の潮位が上がったのが原因だろうね。明日は教え子たちの晴れ舞台(テスト)だし、念入れて見回ってく」

 

 これほど壮絶な殺し合いが頭上で行われたとも知らず、グラウンドではノン気に花火の最中だ。

 彼女はその能天気さに、子供たちが幸せそうにしている姿に救われる気がする。

 下でカナタと出会ったのだろうレイジが、彼女を支えて級友たちのところに戻っていく。

 カナタはどういうわけかアイザワと顔を合わせた瞬間深々と頭を下げ──アイザワはあわてた様子でそれを断る。

 

『報告は以上ですか?』

 

 空気を読まず話しかけてくるオペレーターに舌打ちを聞かせてやってから、ニンジャは小さく息を吸った。

 みんなが頑張って変わっていった。成長していった。だから、彼女もいいところを見せなければならない。

 

「ハゲに繋げ。そう、分かってんだろ。そこでふんぞり返ってる局長にだよ」

 

 強化された視覚で、彼女はルリコを見つめる。

 彼女は花火をやめていた。グラウンド端のフェンスを片手でなぜながら、もう一方の手をマリコの背に添えている。

 その気になれば彼女らの会話を拾うこともできた。だが、それはしない。マリコが何か言って、ルリコが空を仰いで笑う。その姿が見られれば十分だった。

 

『ンだよ。こっちは原発の件でぐちゃぐちゃなんだけどー』

 

 ややあって、ブンタと通話がつながった。

 

「知るかよ。こっちは泥まみれで現場作業してんだ。お前忙しいとか言って、どうせ下ッパにまかせっきりでヤニ吸ってたろ」

 

 電話口から豪快な笑い声が聞こえてきたので、ニンジャは端末を遠ざけた。

 

「便宜を図ってくれ。特別なヤツ。私は七年真面目に働いてきた。局長ポイントカードとかあるだろ? ────あ? 『ンなもん無い』だ? じゃあ作れ。今すぐ作れ。作って私が言うとおりにしろ」

 

 数メートルのブレードを軽々と振り回しながら、ニンジャは話を続けた。

 

「──ンまあ都合いいし、これは最悪のエコヒイキだ。だけど仕方ないでしょ。あの子たちのことが好きなんだ。今まで教えてきた出来損ないたちの中で。とっても。いちばん」

 

 サイボーグ忍者、樋口キリエは、鋭いチタン爪を使って髪の先で固まった泥を追い出す。

 彼女が見下ろす西町から、緑色の非常灯が消える。

 最初、中心部の飲み屋街が黄色い電飾に彩られるのが見えた。その次は水族館、映画館。市民プールに病院。

 電力の復旧によって広がる光の輪は、やがて外周にも至る。

 田んぼの中にうっすら光る、灰色のマンションがある。そこはどうしようもない崩れかけの廃墟で──キリエと、そして苦境を乗り越えたレイジとカナタがこれから帰る家だ。

 

「私はもう一度、子供たちのために戦いたくなった」

 

 キリエは最後にもう一度教え子たちの姿を目に焼き付けると、光に背を向けた。

 偽りの空の下で、ささやかな花火大会はまだまだ続きそうだった。

 

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