海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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3.大きな大きな、ひとつのお別れ(2)

「ふむ。いいところに当てますね(ナイスショット)

 

『カナタの顔をした女』は、近くでライフルを構えていた少年の頭を撫でた。彼はくすぐったそうに目を細め、数秒の愛撫に身を任せる。

 すべてが赤黒い闇に閉ざされた世界で、彼女はゆっくりと立ち上がった。

 この暑いのに黒いドレスをまとった彼女は、その上から白衣まで羽織っている。そのポケットから取り出したのは──ポケベルだ。

 

「行くんですか、『代理』」

 

 倒れた『イスルギレイジ』に狙いをつけたまま、少年は聞いた。

 ドコモ製の青いポケベルに目を落としていた女──『代理』は軽くうなずく。

 

「はい。これからちょっと、見たい場所があります」

「ハイ」

「最後に、みんなに伝えておいてください」

「ハイ。なんでしょう」

「作戦後の段取りは取り決めどおり。各々のやり方で終わらせてください、と」

「ハイ。わかりました──では、お先に失礼します」

「ええお疲れ様でした」

 

 少年はポーチから端末を取り出す。

 それはこの西町のものとは違う技術で作られた、薄型の前面液晶ケータイだ。『代理』が作って与えたものだが、彼女の趣味ではない。

 彼女はたいてい、連絡役を引き連れて移動する。目の前にいる『狙撃手』は長らく活躍したが、今日限りでお役ゴメンだ。

 彼はライフルのストックに顎をのせてポチポチと操作するかたわら、彼の親指は黒い楕円球を弄んでいる。

 球の上部に取り付けられたピンを触る手つきに、これといった感情はない。ただの手持ち無沙汰で、彼は自分の死と戯れている。

 屋上を去る女の顔にも、これといった変化はなかった。

 電力が落ちて真っ暗になった鉄筋ビルの中を、ゴシック趣味のドレスとブーツに身を包んだ女が歩いていく。

 

『大規模消去まで残り六〇〇秒──』

 

 エレベーターすら動かないので階段でビルを降りる。

 どこにでもある古びた雑居ビルの中なのに、彼女はドレスのすそをつまんで、ヴェルサイユ宮殿の階段でも下りるような優雅さだ。

 無機質なアナウンスと一緒に、くぐもった轟音がビルを揺らした。

 場所は上階から。彼女の指示通り、あの少年は自分が存在したというう証拠を完全に抹消した。

 古びたビルの天井からパラリと落ちる塵にも、小さな命の死にも拘泥せず、『代理』は進み続ける。

 二十四歳のカナタの面影を持つ女──紫色の口紅が乗った唇を酷薄に歪める存在の足取りが揺らぐことはない。

 彼女が欲するものはイスルギレイジの肉体だけ。

 ムナカタゼンイチローの意思を継いだ瞬間から、彼女は人ではない。

 

 ■

 

 ドオン──

 

 近くのビルの屋上で、爆発が起こった。

 悲鳴が上がる。

 空が黒くなっても、そこを赤い文字が埋め尽くしても。一発の銃声が一人の男を地面に打ち倒しても……町に出ていた人々は反応できなかった。

 夢かもしれない。

 何かの冗談かもしれない。

 人間とは、そういうものだ。実際に自分の日常が脅かされても、それをすぐには信じられない。

 基本的に、人間は他者の痛みに鈍感だ。

 

 ドシャッ……ア……

 

 しかし、爆発音と、その後降ってきた死体の一部──吹き飛んだ腕か脚か──は、効果絶大だった。

 びたびたと降りしきる血しぶきの中に、銀の合羽に身を包んだ、血まみれの少年が転がっている。

 ライフルを抱えた彼は、笑ったまま死んでいた。

 

 これまで静観していた通行人の間から、ニワトリの首をしめたような悲鳴が上がった。

 

「逃げろ」

 

 誰かがそう叫んだ。

 

 逃げろ? でも、どこに? 

 

 銀合羽の集団はそこら中にいる。彼らの狙いはレイジ一人なのだが──彼らは銃を手に、物言わず立ち尽くすだけだ。

 彼らの包囲の中で人々は羊の群れのように逃げ惑い、いたずらに混乱だけが広がる。

 

「あ──あ──ああっ!」

 

 遠巻きに見ていた2-Aの生徒の一人が限界を迎えた。

 胸に大穴を空けて倒れたクラスメート。おかしな合羽集団。そこに、頭上から降ってきた死体がトドメだ。

 走り出した彼を止めるものなど誰もいない。

 一人逃げ出すと、一人、また一人と狂乱した群集の流れに身を投じていく。しかし彼らに逃げ場などない。

『銀合羽』に恐れをなし、結局大交差点に戻ってくるハメになる。

 

(まずい、な)

 

 レイジは歯噛みする。動けない。

 ヨシ、ザワちん、ボタ子──ライトを手に彼らが向かってくる。

 彼は倒れたままだ。胸には子供の頭がはまりそうなほど大きな穴が口をあけ、色とりどりの内臓が丸見えだ。

 

(これじゃまた、みんなに気持ち悪いと思われてしまう……)

 

 と、ズレたことを考えつつ──彼は異常に気づき始めた。

 

 治りが遅い。

 

 体と意識が鈍い。

 

 肺の大半、そして心臓の一部──不死者といえど無視できない部位を破壊されてしまった。

 

「か、なは……」

 

 残り少ない酸素を総動員して、カナタに声をかける。

 彼女は彼の言葉に振り向きもしない。形の崩れた白いスニーカーを履いた足が、レイジの顔の前に立つ。

 丸腰のカナタは、銃を手に歩いてくる三人からレイジを守るつもりのようだ。

 

(やめ、てくれ……)

 

 レイジは叫びたい。しかしできない。

 彼はカナタの相棒にして、最強の守護神だ。いつもだったらとっくの昔に傷を再生してケロリと全回復。

 やってくれやがった銀合羽全員を相手に千切っては投げ千切っては投げ、そこにアクセントで反物質の大活躍──を、しているはずだった。

 

 だが実際レイジができたのは、地面の上で唸りながら丸くなることだけだ。

 

 真っ暗な空を真っ赤な文字列が埋め尽くしているのが見える。彼の頭の中も同じだ。

 エラー・エラー・エラー・エラー……体を治すたび、そこからひどく壊れていく。治せば治すほど傷は深くなり、痛みが増す。

 彼を七年支え続けた肉体が、彼に全力で噛み付いてくる。

 レイジは血を吐き、這い蹲る。よっく勉強したからよく分かる。生物の分野で覚えた彼のあらゆる臓器が、潰れてしおれていく。

 

「げぇっ、えほっ、ぐうっ……」

 

 喉に砂を詰め込んだような声で彼が肺のかけらを吐き出すと、目の前に並んだカナタのくるぶしがピクリと動いた。

 

「レイジ……だいじょぶだからな。ぜんぶアタシに任せろ。たまには」

 

 レイジは──信じられないことだが──死に瀕していた。

 彼が受けた弾はなんだったのだろうか。ともかく、今まで受け入れてきたいかなる破壊とも異質なものだ。

 まるで死を煮詰めて固めたものを心臓に叩き込まれたような、魂にまで浸透してくるダメージだ。

 

 ジャッ……ギュ……

 

 アスファルトの上に、十本の血のラインが描かれる。

 指先が擦り潰れるほどの力をこめて、レイジは立とうとした。が、いつまで経ってもそれは叶わない。

 今では、破壊を免れたはずの右肺までもが燃え上がっている。

 レイジの肝臓は破れた血袋のようだ。過剰な再生力で新たな血液を搾り出すそばから、意味もなく全てが流れ出ていく。

 地面に宿った夏の残熱で、彼の血が沸騰する。

 

「が……あ……」

 

 突っ張っていたレイジの腕が崩れた。

 倒れた彼を、全身の神経に鋸刃をかけるような痛みが襲う。彼は転げ周り、悶絶する。

 掻き毟った胸から吹き出る血がドス黒い。

 

(逃げて……くれ……カナタ……たのむ…………)

 

 思考が白濁する。

 これが限界の限界──そう思った矢先、

 

 

 ズグッ

 

 

 更なる激痛がレイジの脳を貫いた。

 これまで蓋して心の中に封印してきたすべての苦痛が襲い掛かってきたようだ。彼の体は電流を流されたように跳ね、あまりの痛みで彼は嘔吐し、小便でズボンを汚す。

 イスルギレイジという全存在が、音を立てて壊れていく。

 

 ■

 

 ばたばたと響く音は、のた打つレイジがデタラメに手足を振り回すものだ。

 

「……カナタちゃんのことは、命令にない」

 

 背後の様子を確かめることもままならず、カナタはギっと銃口を睨み続ける。更にはその向こうにいる相手、二階堂ヨシの姿を。

 

「俺たちは絶対にカナタちゃんを傷つけたりしない。レイジが要る。そいつの体をほしがってる人に、渡さなきゃいけない」

「ユーカイを指くわえて見てろって? オコトワリだ」

 

 こんな闇の中でも、カナタの瞳の青さは褪せない。

 真正面から死の口を見据える彼女には、躊躇などない。

 ヨシは直感する。この世に存在するどんな口径の銃でも、彼女の意思を曲げることは不可能だ。

 

「レイジをつれてく前に、アタシの相手をしてもらう」

 

 SMGの弾は予備含めて90発。それが三人分。まるでハリケーンのような暴力を携えた彼らを見据えて、カナタは不敵に手招きまでしてみせる。

 見てられない、という風にザワちんが呟く。

 

「算数、覚えたばっかでしょ……ムリですよ、俺たち三人相手に」

「おいおい知らねえのかよザワちん! ソインスーブンカイしたら、なんでも小さくなるんだぞ?」

 

 三はこれ以上割れない。どんな理屈をこねたところで、カナタの絶対的なピンチは変わらない。

 だが、彼女は乗り越えてきた。乗り越えて、知ったのだ。どんな絶望的な状況も、レイジと一緒ならだいじょうぶ。

 彼女は鼻の下をこすり、見よう見まねのファイティングポーズをとる。

 イスルギカナタ。炎のように一途で、哀れなほど頑固だ。

 フードで隠れたヨシの口元に一瞬苦しげな色が浮かんだが──それはスイッチを切り替えたように、瞬時に消える。

 

「ザワちん膝撃て。普通の弾使えよ」

「…………ホントに、やるんですか」

「何今更言ってんだよ」

 

 レイジの吐く血の臭いが濃い。

 

「やめましょうよ、もう」

 

 口を開いていると、煙のように漂う彼の血を呼吸しているような気分になる。ヨシは舌打ちする。俺だって、早くこの胸糞悪いのを終わりにしたい。

 

「ちっ。とんだ足手まといだな」

 

 命令を聞かないザワちん。背後に控えたまま、不気味な沈黙を保つボタ子。これではまるで、彼だけが聞かん坊の悪人だ。

 バカのようにマガジンを取替え、()()()の通常弾を装てんする。

 

 ジャキッ──体に染み付いた動作で、ヨシはスライドを引く。触れているだけで不快になるSMGは()()()()のようにチャンバーをさらけ出す。

 問題なし。いつでも最悪になれる。

 

「お前らは見てろ。俺が手を汚してやる。

 

 ヨシの銃口が下がると、カナタの表情に緊張が走る。

 どれほど覚悟が決まっていても、撃たれるのはそりゃ怖い。

 その恐怖はヨシの骨身に染み付いている。ボディーアーマーを着て、ザワちんやボタ子と交互に撃ち合うよう命令されたことがある。

 カナタに、そんな経験があるはずがない──だというのに、彼女は一歩もその場を動かなかった。

 白いフラッシュライトの光の中で、彼女はどれほど訓練された軍人でも竦むような恐怖に立ち向かう。

 ヨシは、まるで胸を締め付けられるような気持ちになり────

 

「ゴメンな」

 

 迷うことなく引き金を引いた。

 

 

 プシュシュ、という軽い破裂音が響く。

 七年眠り続けた消音銃は問題なくその役目を果たした。

 消音効果は抜群だ。着弾の瞬間、世界すら無音になった。

 

「ひっ」

 

 押し殺したカナタの悲鳴。

 肉がはじけ、血が撒き散らされる音。

 スポットライトじみた白い光の輪に、生々しく血の飛沫が軌跡を描く。声にならないうめきを上げ、その場にうずくまるのは──

 

「あ────レイジッ!?」

 

 カナタの『運命』の姿があった。

 ヨシが引き金を引いた瞬間、死体同然の体で飛んで、彼女に覆いかぶさったのだ。

 もはや肺は酸素を取り込まず、五感は麻痺して、意識はほとんど雲の上だ。それでも彼は背中に八発分の穴を空けられながら──カナタを守り通した。

 

「あ……」

 

 見えない手に頭を引かれるように、レイジの首がガクンと天を仰いだ。

 ただのなまりだまですら、今の彼には致死的だ。

 壁のように立ちはだかった彼の体が、ぐにゃりと崩れた。カナタが悲鳴を上げる。

 

「レイジ──おいっ。いやだ!」

「ああ…………なんだい……」

 

 硝煙をくゆらす銃口を見下ろしていたヨシは、背後からの押し殺した嘆息を聞く。震える息を小刻みに吐くのは、ボタ子だ。

 

「おいボタ子ォ」

 

 彼女の心を揺らすように、ヨシが声を放った。

 

「カナタちゃん押さえて。でもって遠くにつれてけ。またこの筋肉ゴリラに動かれたら、かなわん」

「は、はァ~? あたいがやんの? だって言ったよね、レイジちゃんやるのはあたいって……」

「お前は信頼できん」

「……そうかいそうかい。ヒドいね……」

 

 ピンポンパンポーン──

 

『大規模消去まで、残り五四〇秒となりました。市街の全職員は、所定の位置にて待機。フラッシュ後の消去ガス散布に備えてください』

 

 間の抜けたチャイム。間の抜けた合成音声と、のっぴきならないタイムリミット。

 ボタ子は交差点に立ち尽くす。

 怯え、逃げ惑う人々。『銀合羽』の群れ。腰を抜かしたクラスメートたち。

 彼女はヨシに睨まれながら飄々と笑い──心の中で叫ぶ。あたい、そんなに強い人間じゃないのに。

 この場の誰とも触れ合えない。

 誰も、彼女を受け入れてくれない。

 ボタ子は、自分が世界いちばんのあほうになったような気分だった。

 レイジちゃんを襲って、殺して、奪う──相手がレイジだったからこそ、キチンとできるし、やらなきゃと思っていた。

 だが違う。

 現実は、コートでボールを叩くようには行かない。

 ボタ子は取り繕った笑みを浮かべながら、アスファルトに突き立った自分の影法師を見下ろす。みなよ、これが世界で一番間抜けな女の……

 

「パイセぇン」

 

 彼女は、はっとなった。

 暗転。銃声。鮮血。この三つで大恐慌をきたした町の中で、その声はしっかり彼女の元に届いた。

 振り向かずとも、暗闇から見つめる二つの瞳がボタ子の脳裏に浮かぶ。

 まるで猫のように目が大きな少女が、この異常事態で逃げもせず、自分の背中を静かに見据えている。

 

「ヤメてくれねースか。そうゆうダセーの」

 

 バコッ……特徴的な厚底ブーツの足音が、彼女のすぐ後ろまでやってくる。

 

「マリコちゃん。ここ、危ないんだ。早く逃げな。あたいの仲間は、手出ししないから……」

「危険ってわかって、ワザワザ来てるんスよ。だって、見てらんねスもん」

 

 ボンッ……

 

 空が暗転した際に衝突した玉突き事故の列から、発火した。

 リチウムバッテリーが燃えるときの音は、さざなみが浜に押し寄せる音によく似ている。

 ざざざというさざなみの隙間で、ボタ子は背後からの声に耳をそばだてる。

 橙色の炎が、あたりを夕暮れのように照らし出していた。

 

「どうするんスか。ウチ、けっこうイラついてんスけど」

 

 押し殺したマリコの声が聞こえる。

 どうする──ボタ子は、波打ち際にある。暖かい浜ですべてを忘れるか、それとも冷たい波に全身を浸して、泳ぐか。

 

 ギリッ。

 

 もう二度と跳べない腿を押さえるボタ子の指が、縫い目の中に沈む。

 

「あたいね。ずっと、不自由なんだ」

「うっせースよ。自分語りとか、やる相手も時間も間違ってるス」

 

 トラックがぶつかってきたような衝撃を受け、ボタ子は軽くよろめいた。背中が、小さな小さなげんこつの形に陥没しているような気がする。

 マリコが殴りつけてきたのだ。

 力いっぱい。彼女が、足踏みを繰り返すだけのボタ子に向けた、胸いっぱいの激怒(レイジ)と共に。

 

「でも、あたい、やっぱり……」

「ボタ子。もうすぐ二分経つ」

 

 ボタ子を見つめていたヨシが、回りのビルに向かってあごをしゃくる。

 あたりは『銀合羽』の集団で埋め尽くされていた。ビルのベランダにぎっちり並んだ彼らの姿は、まるで弱った獲物の死を待つハゲタカの集団だ。

 加えて、不幸にもこの場に居合わせてしまったA組の生徒たち。

 

「面白くないよねえ……」

 

 みんなに、マリコに、そして自分自身に聞かせるように声に出す。

 

「大人になれよ、ボタ子」

「お前はオトナなんですか」

 

 ヨシは、ザワちんに答えない。

 ただ黙って、隣に立つザワちんにあごをしゃくった。やれ、ということだ。

 

「カナタさん……失礼します」

 

 SMGの銃口を下ろして、彼はカナタの元に歩いていく。

 

「あ? やんのかザワちん。アタシ、オマエ相手にもよーしゃは──」

 

 ビタァン。音を立てて、カナタは一瞬で地面に倒された。

 舞い散る土ぼこりの中で、彼女の青い瞳がぱちくりする。丁寧で、そして容赦のない見事なジュードーだった。

 

「は?」

 

 間抜けなほどにカナタはついていけない。

 わずか二秒にも満たない時間で、彼女の体はザワちんの膝の下にあった。

 痛みはまったくない。彼らしい手心のかけ方が、二人の間にある圧倒的な戦闘力の差を物語っている。

 

「ザ、ザワちん……もっぺん。もっぺんだけ、チャンスくれね……?」

「ダメです。あなたが大事です……ごめんなさい。そんなカッコさせて」

 

 カナタの体がこれ以上壊れないように、ゆっくりと腕を取って後ろに回す。そうやってから、ザワちんは傍らのボタ子に声を掛けた。

 

「な、ボタ子。俺からの最後の言葉です」

 

 ──そんな立派、言う権利ねえんですが。ね。

 

 彼は結局『ムナカタおじさん』の言いなりだ。

 言われるがまま奪って、壊して、傷つける。何度も咳き込んですっかりガラガラになった声で、彼はボタ子に、静かに語りかける。

 先の短い人生だから、ちょっと達観したことを言っちゃうのだ。

 

「好きにしたらいーじゃねえですか。難しいかもしれませんけど『明日死ぬかも』って思うと。自分に素直になれますよ。少しくらい」

 

 心の揺れを物語るように、ボタ子の大柄な体が確かに揺れる。

 

「おいザワちん、お前まで何言ってんだ?」

 

 近くに待機していた『銀合羽』に手招きしながら、ヨシが鋭く声を放つ。

 路上に飛び散った仲間の自爆体すら踏みにじって、十数名の武装した兵士たちがSMGを手に歩いてくる。

 彼らの狙いは一つ。

 イスルギレイジの不滅の肉体。

 今にも奪われていく彼は、ボタ子にとっては確保対象で、それ以前に大事なクラスメートで。

 

 そして。とても言えないことだけど。彼は────

 

「あ──たい──」

「うだうだ言ってんじゃねースよパイセン!」

 

 その場の全員が振り向くほどの怒号を、マリコが放った。

 叫びまわっていた雑踏が束の間静まったほどだ。彼女の感情はコロコロ変わるが、怒るなんてめったにしない。

 

「あんた、レイジさんのこと好きだって言ったじゃねースか!?」

 

 そんな彼女が青筋立ててキレている。

 

「『見守るだけが幸せ』とかヌかしといて、オトナぶってんじゃねース。好きなんだろ。だったらちゃんと伝えて、しゃぶりつけよ、意気地(イクジ)なし!」

 

 言うことを一気にやりきって、マリコは肩をがっくり落とした。

 

「ウチ、どうしてアンタがレイジさんコト好きとか、知らないスけど……でももったいねース。カナタせんぱいは確かに手ごわいけど、でも……でも!」

 

 はあはあと息をつく彼女の声が聞こえるほど、あたりは静かだった。

 それまで慄き、怯えていたクラスメートの一人が「あ、そなんだ。やっぱ」と呟いた声がした。

 みんなの視線はとんでもないカミングアウトを成し遂げたマリコではなく────空を染め上げる赤よりも、もっと健全な色で頬を染めるボタ子に向いている。

 

「え、ええええ。ふええええ……」

 

 テープだらけの手でその頬を覆って、彼女はうつむく。

『銀合羽』までもがトンデモ展開に歩みを止める中、彼女はどんどん小さくなっていく。

 どんどん。どんどん……小さくなって、消えてしまうほど。

 

 ボタ子は考える。

 

 自分がレイジを好きなこと。笑ってはぐらかしてあきらめて、ずっとその気持ちに向き合う勇気を持てなかったこと。

 彼が自分の名前すら知らないということが確定した夜、元気に後ろ手を振りながら泣いちゃったこと。

 

 全部、彼に伝えられていない。

 あまりにも短い人生の、あまりにも短い夏で。それはバカで暑い季節で、なにもしないまま終わっていくだなんて──

 

「……ん。そうだね。日和ってたなあ。あたい」

 

 しゃがみこむようにしていたボタ子は呟いた。

 スックと背筋を伸ばし、目の前のヨシと──その背後で組み敷かれたカナタ。そして、濁った瞳を向ける、血まみれのレイジに微笑みかける。

 

「ゴメン、あたいヤッパ、ムリだわ。ゴメンゴメン。クソ組織、抜けまーす」

 

 呆然とするヨシの足元で同じくらい呆然としていたカナタは、押し殺した笑い声を聞く。

 

「ボタ子……お前はホント……うらやましいですよ、そういうの」

 

 ザワちんだった。彼はくつくつ喉を鳴らして、心底愉快そうだった。

 周囲の『銀合羽』がいっせいに銃口をボタ子に向ける。

 対毒コーティングのポンチョが翻り、銃口が一斉にボタ子を狙う。その動きは、百羽のカラスが同時に羽ばたくような音を響かせた。

 

 ガッシャ……

 

 彼らが輪をなす中でSMGをほうり捨てたボタ子が、そっとマリコを抱き寄せる。

 マリコの顔色が真っ白になる。サエねーパイセンを叱りつけてやるだけのつもりが、いつの間にか、表舞台のド真ん中に立たされていた。

 ヤッチャッタ、のである。

 

「あ、あ、これ、ヤバいすねウチ……あわわ」

「心配ないさァ」

 

 でっかく構えてなよ。と、彼女はマリコの背を叩いた。

 腿の傷をなぞっていた指で、彼女はショートヘアをかき上げる。その目元は、飢えた獅子の凛々しさを宿している。

 もはや迷いはない。

 ここはコートの中だ。泣くことは許されない。

 コイゴコロを勝手にバラされてどうしよっかなー、という気持ちはあるが、それはとりあえず置いておく。

 

「うあ」

 

 マリコの黒髪を、撫でる。いいにおいがした。

 

「さ──待っててねえ。あたいの大好きな、王子様」

 

 人類最高峰。最強最大のサービスエース。お見せします。

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