海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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4.雨に唄えば(1)

 ボタ子は大交差点のド真ん中に歩み出た。

 横に立つマリコは恐れおののいて、小さく縮んでしまっている。彼女の黒髪をくしゃくしゃと撫でながら、ボタ子は迫りくる敵を見据えた。

『銀合羽』は同士討ちを防ぐため、横一列に展開している。

 銀のポンチョに地下2500メートルの闇と、空に映し出されたメッセージの毒々しい赤色を帯び、彼らはまるで、煮えたぎる鉄の壁のようだ。

 得物はSMG(サブマシンガン)。その銃弾は、当たればあのレイジが内臓を吐いて七転八倒するような代物だ。

 

「前から思ってたけど──オメーの冗談な。笑えねえんだよ」

 

 ヨシの声が低く響く。

 乗り捨てられた車の列から染み出るように、ボタ子の元に銀の集団が向かってくる。

 

「おんやあ。ヨシちゃんにあたいのオモシロジョークなんて披露したっけねえ」

 

 マリコは、ボタ子の腕が腰に回るのを感じた。

 そのあまりの力強さに、彼女はひそかに驚く。まるでタンカーを係留するロープでも巻きついてきたようだ。

 

「やってんだろ今。考え直してこっちに戻れ。俺はこんなん、さっさと終わりにしたいんだ」

「あたいもこんなクソ茶番ヤだよお。いやあ困ったねえ。お互いこりゃ譲れないカンジで──」

「やれ」

 

 ヨシがハンドサインを出した瞬間、マリコの世界から地面が消えた。

 

「あわっ!?」

「ちょいとい揺れるよん」

 

 風切り音。無数の銃弾が車列を鉄筋のように鳴らす音。

 マリコは──空飛ぶ馬にあこがれた少女は、奇しくも浪漫飛行を楽しむハメになった。

 

「あわわわわわわわぁ──!?」

 

 ボタ子に抱えられて、彼女は垂直に十メートルも飛び上がっていた。

 視界はぐるぐる回って、空の赤と黒が螺旋を描いている。

 マリコもろともボタ子を銃撃した『銀合羽』たちは、彼女の人間離れした跳躍を目で追えない。

 銃弾は彼女がたった数秒前まで立っていた場所を通過するだけだ。車の列を弾丸が穿ち、いくつもの火花が咲き乱れる。

 その中で一人だけ、銃口を向けてくるものがいる。

 

「ボタ子ーッ!」

 

 ヨシだ。

 統率の取れた動きをする『銀合羽』たちだが、彼の動きはさらに鋭い。空中のボタ子にピタリと照準を合わせる。

 

「うわーッ、しぬッスー!!!」

「だいじょぶだいじょぶ。ヨシちゃん、ドヘタだから」

 

 ガァンッ──ヨシの指がトリガーを絞るより早く、甲高い打撃音が響いた。

 

「ふぎゃっ」

 

 急制動のせいで、マリコは首を痛めそうになる。

 空中で電灯の支柱を蹴りつけて、ボタ子が真横に飛んだのだ。ブッ壊れた右足を、いつも苦笑いでさすっている少女とは思えない。

 力強く、人間離れした跳躍だった。

 

「ちいいッ!」

 

 おかげでヨシは、マガジンの弾の半分を虚空に叩き込むハメになる。

 

「ぎょえええええーっ!?」

 

 この暗闇では、ボタ子に引きずり回されるマリコの悲鳴だけが位置を特定する頼りだ。ヨシはNVG(暗視ゴーグル)がないことを心の底から恨む。

 ボタ子は、マリコを抱えたままのポーズで車の列の中に転がり込む。バレーで無双を誇った彼女の巨体は、あっという間に廃車と闇の中に紛れてしまう。

 

「じゃ、みんなといっしょにいて。頭低くしててねえん」

「う、ウス……」

 

 血と硝煙のくゆる中、完全にターゲットを見失った『銀合羽』たちのフラッシュライトが戸惑うように振り回される。

 イヤな静けさの中でヨシは冷や汗をかき始めていた。

 彼はまだ半分残っているマガジンを外し、フル装填のものと交換する。

 規格外なのは知っていたが──まだ実力を隠していたとは。ボタ子を始末するには、全力全開で行かなければならない。

 ホンキで戦って勝てる相手なら、ヨシもここまで背筋を冷やさず済むのだが……

 

「ザワちん、バックアップ──」

 

 カナタを組み敷いたままの相棒に声を掛けたときだ。

 さっきのボタ子とのやり取りで急にやる気をなくしたザワちんが肩をすぼめるより早く、ぶおん、と乱暴な風切りを立てて重量物が飛んできた。

 

「なっ……!?」

 

 ぐるぐる回って飛んで来た銀の塊が、とっさに体をひねったヨシの真横でビダンと音を立てる。

 乗り捨てられた市バスの車体に、『銀合羽』の群れをなすうちの一人がめりこんでいた。

 引き裂かれたフードの下から現れたのは、年端もいかない少女の顔だった。彼女は力任せのラスト・フライトの恐怖を顔に染み付けたまま、目半開きで気絶している。

 彼女がゆっくりとバスから剥がれる。クルマの外装は、彼女の形に陥没していた。

 

「ギャグじゃねえんだぞ……」

 

 フッ──銃を再装填(リロード)するヨシの見つめる先で、フラッシュライトがひとつ消える。

 そしてひとつの悲鳴。ひとつの打撃音。ひとつの体がヨシのもとまで飛んできて──そして激突。失神。

 

「うっわァ……」

 

 その様子を見ていたザワちんとカナタが、ほとんど同時に声を漏らした。

 

「ヤバいですね」

「ヤバいな」

 

『銀合羽』の兵士が倒れ、銃が落ちる。とっさに空を照らしたフラッシュライトの光の中に、ボタ子の姿が一瞬映る。

 いつも通りの、すがすがしい微笑を浮かべていた。

 子供、老人、主婦にサラリーマン──西町に潜伏していた、歳も身分もバラバラなムナカタの兵士たち。それを次々戦闘不能にしながら、彼女はこれといって表情を崩さない。

 それがボタ子の怪物性だった。

 

「あんたは最後にしといてあげる。大事な大事な家族で、友達だからねえ」

 

 背筋を、氷の指がなぞる。

 

「ッ!」

 

 耳元でささやかれ、ヨシはそちらに銃を向ける。

 いない──そこにはボタ子のまとう日焼け止めが魔女の香のように漂っているだけだ。

 この間に積みあがった『銀合羽』たちの体は十にも上る。

 遠くに待機していたものたちも異常を見て取ってぞくぞく向かってるが、片っ端からボタ子に葬られていく。

 どんなバレーボーラーにも不可能なモンスタースパイクが、兵士の頭を直撃する。

 雷鳴のような音と共に、兵士の体はタクシーのボンネットに叩きつけられ、ワンバウンドして地面に落ちる。

 

「ウチ……もしかして、トンデモない人を目覚めさせちゃったスかねえ……」

 

 べしゃっと音を立てて背後に落ちた体を見ながら、マリコはあわわと口を抑えた。

 

 ■

 

「ボタ子の冗談は笑えねえけどよ──」

 

『銀合羽』たちは、横断歩道の上にきれいに並んで倒れて動かない。

 彼らの手足は奇妙な方向にねじくれ──銃にいたっては一発も放たないまま、地面に放り出されている。

 

「お前そのものは超オモシれえよ。悔しいけどな」

 

 ヨシは笑う。ハッキリと虚勢だ。

 

「は。そう思うんなら、ヨシちゃんもコッチ来たらどうだい。自由な空気ってヤツ吸って、ケラケラ笑ってすごそうじゃないかい」

 

 ボタ子が二人の『銀合羽』を抱え、それぞれの頭をココナッツのように打ち付ける。終わりだ。数年は立てまい。

 

「いんや。俺はここで十分さ」

 

 下っ端どもが時間を稼ぐ間に、ヨシは装備の最終確認をする。それほど余地はない。あの女はすぐに片付けて、やってくる。

 それでも会話を耐えさせないのは、彼の『ともだち』としての意地であり──

 

「身動きできねえ俺は、ここでお前を羨ましがってるだけで、十分なんだ」

 

 ──切ないほどの、本音だ。

 

 そこがあたいのポジションだよ。とでも言うかのように、彼女は交差点の中央に戻っていた。

 ヨシが歩いてくる。

 彼の表情はかたい。なにせ目の前の女は、レイジとはまた別種の怪物だ。

 

『大規模消去まで、残り三六〇秒です』

 

 死んだ町の中に、冷たいアナウンスが轟く。四分経過。

 思う存分打って、叩いて、折り曲げまくってきたボタ子は、拳の調子を確かめていた。テーピングだらけの手は絶好調。

 ボタ子の顔に疲れは見えない。

 

「ボタ子ォ」

「おお。なんさ」

「お前の望みってなんだ。レイジか?」

「そだよ。そんだけさ」

 

 激突前のにらみ合いを続けながら、ヨシは彼女とのことを思い出す。

『施設』で仕込まれた技術を裏山の林の中で磨き続ける間、彼女の実力は十二分に目にしてきた。

 何かがまかり間違ってこの場にモンスター教師・キリエが登場するようなことがあれば、ボタ子をぶつけて相殺する。

 

 ──いいですか、ボタ子。お前はカイブツです。

 ──あいわかったよ。先生食っちゃっていいんだねえ。

 

 バケモンにはバケモンを。ザワちんが冗談めかして言ったときは三人して笑ったが、今はもう違う。笑えねえ。

 真価を発揮した彼女は掛け値なし、ホンモノの化け物だった。

 その怪物は今、軽く髪を掻いて、己のシャンプーの香りを嗅いでいた。

 

「レイジちゃんを取り戻したら……カナちゃん連れて防衛局にでも駆け込むかね。そうすりゃ『ムナカタおじさん』でも手出しできない」

「『代理』ちゃんはキレるだろうな」

 

 言いながら、ヨシは皮肉な笑みを浮かべていた。

 

「ホントにそう思うのかあい?」

「はは。いんや──」

 

 彼もわかってる。あれは怒ったりしない。

 感情というものが、あれは磨耗しきっているように見える。

 レイジがすべてを失った故の無感覚だとすれば、ヨシがあれに覚えた不感症っぷりは、逆にすべてを得た果てに来たもののように感じた。

 ママゴト、だ。

『代理』はいつでも心の中に最高のパーティーを描いている。

 だから、目の前で何が起こっても、膜一枚向こうの世界から見ているようにつまらなそうな顔をしている。

 彼女にとってすべてがママゴトだ。それでも会場(せかい)に残り続けるのは──最後に打ちあがる花火のためだ。

『代理』はその花火を見届けるために、レイジの肉体を必要としている。

 そのために、ヨシは大津波から救い上げられた。

 

「ムナカタおじさんは俺たちを外の地獄から拾って、育ててくれた」

「そして都合のいい兵士に仕上げた。ですよね」

 

 もがくカナタの頭上に、ザワちんの声が降ってきた。

 

「この町が勝手にやってる養子縁組でクソみてえな家に回されたが──俺はそれでも、すべてに感謝してる。西町にも、そして『ムナカタおじさん』にも」

「だから恩を返すのかい」

「そうだ……よ!」

 

 ボタ子の顔面めがけ、ヨシは迷いなくトリガーを引いた。

 一瞬で彼女のスピードが弾速を超える。弾頭が貫くのは彼女の残像だけだ。

 

「友達裏切って! あたいの想い人傷つけて!」

「そうだよ! 好きなだけ軽蔑しとけばいいだろ、バカが!」

 

 ぐっと上体を屈めた彼女は、跳ねるように影から影へと飛び移る。ヨシは手元で火を噴くSMGの発射レートが急激にガタ落ちしたような錯覚を覚える。

 

「なあにが『あたいはちゃんとやる』だっつの!」

 

 ヨシは叫んだ。

 弾が遅く見えるのは錯覚だ。まるで水鉄砲を懸命に撃ってる気分だ──ボタ子が早すぎるせいで、ほかの全部がスローに見えているだけだ。

 

「テメーッ! やっぱり裏切りやがったじゃねえかッ!」

「あはははっ! いやあ、レイセイに考えなって。ムリだよお。あたいにこんな仕事ぉ」

 

 弾に叩き割られたショーウインドーがシャワーのように降り注ぐ中に、ボタ子が飛び上がる。

 彼女は一滴の汗だって流さない。

 黒く見下ろしてくるビルの前に連れ出された踊り子のごとく、ガラスを浴びて弾と踊る。

 光とガラスのシャワー。イカしたショーガールとなって、彼女はとことん艶っぽく、この世界に彩られる。

 たった一本の足で、彼女はどこまでも飛び上がれる。

 銃火も殺意も、彼女を彩るスパイスだ。

 

「『レイジちゃんはあたいがやりたい』つってたよなあ!? やれよなあ、ちゃんとさあ!」

「ごっめんねえ。マリちゃんと恋バナしてたら独り占めも悪くないかなー。ってさ」

 

 車から車の影へ。闇を裂くように走った彼女の姿が、何度もヨシの視線と、銃口から逃れる。

 ヨシは必死にSMGの狙いをつける。

 スルスルボタ子は避けて、踊る。

 翻弄されてるが、ヨシだって熟練の兵士だ。ボタ子がどうやって避けてるか、ネタは割れてる──アドリブと、読みだ。

 

「ヨシちゃん、それだよォ!」

 

 視線と身振りで弾道を読みながら、ボタ子は声を弾ませる。

 

「いつものそういう感じ。それでいこ。飾らないアンタが最高だってば!」

「るせえ。お前に俺の何が分かるんだよ!」

 

 それまで両手でSMGの銃身を保持していたヨシだが、不意に銃口下のグリップから手を離す。

『奥の手』というヤツだ。

 彼の手はすみやかに背後へ。ベルトに挟んで隠していた大型拳銃を取り出し、SMGの射線を避けて突っ込んできた彼女が自ら当たりにくるように、弾を『置く』。

 

 ガアンッ──こちらは通常弾だが、生身の人間相手にはじゅうぶんだ。

 ヨシは顔にハネ飛んできた薬きょうから目をかばう。どうだ、ボタ子。いくらお前だって、人の子だろうが。

 

「ははっ」

 

 しかし、ボタ子は軽く顔を逸らして期待を裏切る。

 外れた。

 彼女の黒髪を舞い上げた銃弾は、遥か後方でベンチの金具をこそげてオレンジ色の火花を散らした。

 本来のターゲットは、わざわざ一度立ち止まって、肩をすぼめて笑う。豊満なおっぱいが寄せて潰れて、ヨシの目に皮肉なほどに焼き付けられる。

 

「ヨシちゃん、だいぶガチってんねえ!」

「るせえ、ブス!」

「ははは……手加減、やめちゃおうね」

 

 再び残像と化したボタ子が、剥いた犬歯をヨシに見せ付ける。

 この無限の黒と赤の世界で、彼女の体は生きた影のように動き回る。車列を縫い、気象操作マシーンが停止した影響で固まった空気の中に一陣の風を起こす。

 ヨシは必死で狙いをつけ、トリガーを絞る。

 それでできることは、ボタ子が繰り広げるショウに、無駄に火花を散らすことだけだ。

 

「そんなスっトロい弾には当たってやりませーん!」

「ああああ、ムッカつくなあ、お前!」

 

 マガジンを交換しながら──待てあのデカ女、三十発全部しのいだのか──ヨシは神経の先が焦げそうだ。

 傍らのザワちんに目をやる。

 

「ザワ──」

「いやあ。俺、忙しいんで。自分でナントカしてください。ね?」

 

 そう言ってザワちんがカナタを見やる。

 

「ん。そだな」

 

 彼女は不服そうな顔のまま、うなずいた。

 

「お前、どっちの──味方──」

 

 無二の相棒の助太刀には期待できそうにない。

 くゆる硝煙を嗅ぎながら、ヨシはシングルプレイを続ける覚悟を決める。相手はレイジ以上のバケモノだ。

 拳銃を撃ったとき、マズルフラッシュの中に彼女の目つきがしっかり見えた。

 閃光の速度で黒目が動き、銃弾を追い、そして顔を逸らした。

 

「ウソだろ……おい……」

 

 空中の銃弾を目で追って、それから避けているのだ。ボタ子は。

 

 カツッ──空のマガジンがアスファルトを打つ。

 

 交換終了。やる気マンマンの弾がサメの歯のようにズラリと並んだSMGを構えながら、ヨシの心はまったく穏やかにならない。

 たとえこの場に戦闘機の機関砲があったとして、彼女にかすり傷ひとつ負わせられるかどうか。

 フラッシュライトで闇を切り取る。状況を飲み込めていないのか、完全に放心しているのか。立ち尽くすクラスメートと歩行者の中からボタ子を探すのはそれほど骨ではない。

 一番人間離れした動きをしているものを追えばいい。

 

「ほんじゃ。今度はこっちのサービスだね」

 

 白い光の中でボタ子のスカートが大きく舞い上がる。

 蹴ったら桜の大木くらい吹き飛ばせそうな彼女の太腿。そこに残る古い縫い目を見せつけながら、彼女の体が沈む。

 派手な砂埃を上げながら彼女がスライディングした。

 両膝でアスファルトを削りながら、彼女はクライマックスを迎えたロックンローラーのように滑る。必殺の銃火は彼女の頭上を掠めた。かすり傷すら与えられない。

 ヨシが彼女に届けてやれるのは──舌打ちと罵倒だけだ。

 

「てめえボタ子! 足やってんのもウソかよォ!」

「やってるよお!」

 

 巨大な影が車の陰に消えた直後、彼女の体がヨシの頭上に飛び上がった。

 

「だからケンケン!」

 

 片足一本での大跳躍。

 彼女は五メートルほど飛び上がり、背中を翻して優雅に回る。

 気品と破壊力を両立した飛行姿勢をたとえるなら──クジラだ。地べたのマリコが見上げるボタ子は、まさにクジラのジャンプ(ブリーチング)のような迫力があった。

 くだらない過去の事故で彼女の片足は死んだ。選手生命もだ。

 だが、それでも残された左で、彼女は重力をブっちぎる。

 

「ボタ子ォ!」

 

 天を仰いだヨシが彼女目掛けて引き金を引く。

 

 ブシュシュシュシュ……

 

 ビルの黒と空の赤の中に、不死者をも地獄に叩き込む銃がオレンジ色のフラッシュをぶちまける。

 漆黒の銃弾はカミソリのように空気を切り裂く。

 肝心のボタ子の体には一発として当たらない。

 彼女は、空中で大きく体をひねる。真っ白な真っ白な、彼女の荒っぽさなんて感じられないほどお上品な膝が、ヨシの顔面に吸いこまれ──

 

「だあああッ!?」

 

 とっさにヨシは銃身で彼女の膝蹴りを受けた。

 ドン、と。地球の自転を素手で止めたような衝撃が彼の腕を襲う。防いだはずなのに、並みの交通事故を凌駕する威力が骨の芯を貫いた。

 

 ゴギュッ──すり鉢で陶片を砕いたような、いやな音がした。

 

 その出所を確かめる暇もなく、ヨシは吹き飛ばされる。

 ボタ子のパワーは暴風だ。彼はほかの『銀合羽』と同じく、装備を路上にブチまけながら、ゴロゴロ転がっていった。

 

「あーあー、まあた負けてるじゃないですか」

 

 いやに冷静なザワちんの声を聞きながら、ヨシは心の中で中指を立てる。

 そのまま近くに乗り捨てられていたセダンのドアに、彼は背中からぶち当たった。ベコン、と鈍い音を立てて、彼の体はソファに体を沈めるように板金にめり込む。

 ザワちんに軽口のひとつでも叩いて返してやりたいが──できない。

 

「げっ──げほっ、げほっ、がっ、クソ……」

 

 背中を強打したせいで、内臓が悶絶している。息がうまく吸えない。

 とにかく立たなくては。そう思って彼が地面に手をつくなり、強烈な違和感に襲われる。

 まるで絞った雑巾のようになった右手首が、ひしゃげたSMGを人差し指だけでブラ下げている。

 

「うぐっ……あっ……!」

 

 とっさにかばった手がオシャカだ。

 激痛に喉を詰まらせながら、ヨシは考える。これは不幸か、それとも幸いか。あの膝を顔面でモロに受け止めていたら──

 

(あの一発でコレか?)

 

 彼の前まで、ボタ子がゆっくりゆっくり、歩いてきていた。

 

(左は……まだいける。時間は……)

 

『ザザッ──大規模消去まで、残り三〇〇秒。コードXの規模は不明。市民の皆様は、職員の指示に従って退避してください』

 

 アナウンスが頭上から降り注いだ。

 タイミングを読んだようだったが、ヨシは文句を言わず、引きつった笑みを浮かべる。わざわざ捩れた手を持ち上げて、腕時計の確認なんてしたくない。

 

「ヨシちゃああん」

 

 ヒタリ。

 

 ほんの少し前まで彼自身が握っていた拳銃を、額に突きつけられる。

 

「悪いね。あたい、恋に生きることにしたんだ」

「ボタ子ォ……!」

「時間、ですね」

 

 ザワちんが、カナタの上から足をどけた。

 

「ザワち……?」

「カナタさん。イスルギと一緒に、病院の地下に潜ったそうですね。具合が悪くなったりしませんでしたか?」

 

 どうしてさっきまで自分を押さえていた彼が、こうもアッサリ解放してくれるのか。

 不思議で仕方がなかったが、彼女は首を横に振る。

 

「ダイジョブ……ビショヌレになっただけ」

「そうですか。濡れても大丈夫だったんですね。よかった」

 

 近くの物陰では、マリコがゆっくり立ち上がったところだ。

 それまで彼女といっしょにいた2-Aの生徒たちも、おっかなびっくり、遮蔽物から顔を覗かせる。

 黒い銃弾に射抜かれ、腐食した町並みが広がっている。

 クルマは穴だらけ。カンバンは真っ黒。撒き散らされた死体が、そこにむせ返るほどの血のにおいをトッピングしている。

 

「ヨシくん──」

 

 彼はマリコの声で、ようやくあたりにクラスメートたちがいることを思い出したようだった。

 

「ごめんなあ。マリコちゃん。ホント、ごめんなあ」

 

 彼はしおれる。しおれて謝りながら……その目のうちに秘めた暗い炎が絶えることはない。

 親切で丁寧に合宿中遊んでくれたボウズ頭の男は、イカれた軍人みたいになってしまった。

 今、彼はボタ子パイセンにボコボコにされて、鉄くずとなった車のところでゼイゼイ息をしている。

 

 最悪の学級会スね──ぼんやりとしたマリコが緊迫感のないことを考えていると、空からサイレンが響き渡った。

 

 ボタ子は、ふっと空を見て……そして、次にマリコを見据えた。

 泣きそうな顔だ。沈痛、という表現が最も似合うほど。そして、いつも姉御肌で豪快な彼女にはまったく似合わない表情。

 それが自分と、クラスメートに一足先に向けられた哀悼だと気づいて、マリコは戸惑う。

 

 これから、何が起こるんスか──

 

 甲子園を思わせる、ウウウウウウウゥゥゥという叫びのような、赤ん坊の泣き声のような音が、夏の残熱だけを帯びた暗闇に満ちる。

 

『こ──れより。都市、機能、ののの──テステステス、テス。トを、開始、しま、す』

「時間です。作戦開始から五分経過」

 

 ゴウッ──ビルのシルエットを飛び越えて、いくつもの炎の軌跡が暗闇の空に交差する。

 防衛局の最大戦力である、人型兵器の群れだ。

 まるで死の天使のように暴力を振りまくパワードスーツたちが頭上を旋回するのを見て、カナタは妙な懐かしさを覚える。

 レイジとはじめて会った日の再現のようだった。

 

「レイジ……」

 

 濡れたアスファルトの上に彼女が手を這わせるのを、ザワちんは止めなかった。

 

「あ……」

 

 小刻みに痙攣するだけのレイジに触れて、彼女の顔に安堵が浮かぶ。

 彼の腕がわずかに動く。心臓、そして両肺の完全停止からもうすぐ五分。

 どんな人間でもマトモではいられない状態だ。にもかかわらず、彼はカナタに応えようとしている。

 彼の痛々しいまでの思いやりが、それを見守るザワちんの心をいっそう曇らせる。

 

「パワードスーツが発進するまでの時間が三〇〇秒。『代理』──俺らのまとめ役がざっくり計算したと言ってましたが、ドンピシャでしたね」

 

 カナタは首をひねって、ザワちんの顔を見る。

 

「残り五分。初動でイスルギの体が手に入らなかった時、延長試合が始まります。俺たちは最悪の手で、時間を稼ぐ」

 

 特殊コーティングされた銀のフードの下で、彼の形のいい唇が淡々と言葉を紡ぐ。その顔は、見たこともないものだった。

 険しく歪んで紙をくしゃくしゃにしたようなシワが眉間に寄っている。

 カナタが自分を取り押さえているのが彼ということを忘れて手を差しべたくなるほど、苦しんで見えた。

 

『想定。6月28日。時刻15時00分。天気は──』

「雨が、降ります……俺ら、オシャレな合羽、着てるでしょ」

 

 ザワちんがフードを引っ張って見せた。

 合羽を見せるというよりは──顔を見てほしくないようだった。

 

「これ、すごいんです。ただのユニフォームじゃないんですよ」

 

 カナタと触れ合うレイジの手に力が篭る。

 ザワちんはすべてを超越した顔で空を睨む。

 ヨシは痛みにむせ、ボタ子は静かに悼んだ。

 何百という歩行者、そしてクラスのみんながおずおずと物陰から顔を出す。

 

 そしてマリコは──

 

 ■

 

 紫色のマニキュアを施した指が、端末を操作し終わった

 液晶に表示されている番号は防衛局に潜伏させていた工作員へとつながっている。

 電話口で銃声が聞こえ、『代理』は通話を切る。さようなら。キミは傑作だった。

 

『スナイパー』も『スイッチ』もいい仕事をし、そして段取りをなぞって、自死という形で痕跡を隠滅した。

 

 壁際に筋トレグッズが寄せられたリビングで、女はソファに体を預けていた。この部屋の主である少年が、居候の少女と一緒に選んで、買ったものだ。

 黒髪を掻き分け、彼女は座面に顔をつけてみた。

 少年の汗のにおい。少女のせっけんの香り。暖かい、生活の香りがする。『代理』にはまったく理解できないが──ここは間違いなく、彼らの安らぎがあったのだろう。

 ソファを離れた彼女は、彼女は流しに突っ込まれたままのフライパンを見つめた。

 今日は確か西高で期末テストがあったはずだ。

 彼らはあわただしく準備をして、片付けもそこそこに飛び出していったのだろう。

 

「『仕方ねえ。あとでやっつけよう』……」

 

 白髪の少女の口癖をマネて、女はフッと息を漏らすように笑った。

 

「なんて言うのかね。『オモトカナタ』だったら」

 

 食器棚に映るドレスの女は少女──カナタにそっくりだ。ただし背は彼女よりもずっと高く、胸元の谷間はより深く、表情はより酷薄だ。

 そしてその言葉は、

 

「どうせだ。空を見よう。他にここには、何もない」

 

 成熟、というより老獪さすら漂っている。

 ドレスのすそがすれる音だけが、からっぽの部屋の音だ。

 彼女はリビングから、崩れた壁を通って隣室へ。

 ここに紛れ込んだ棘皮人間とのゴタゴタのさなか、反物質で削り取られた壁はそのままだ。外と繋がっている。

 壁から吹き込む風は、強く湿り気を帯びていた。

 雨が降る。特別な雨が。

 彼女は床に転がったビデオデッキと、プロジェクターに目をやる。ブーツの爪先で軽く小突くと、壊れかけの機材がうなりを上げ、テープを飲み込む。

 

 ジーッ……ガシャコ…………スルスルスルスル……

 

 女が壁の穴に歩いていく。

 赤い文字が並ぶ空を見上げる彼女の背後で、プロジェクターが、壁に傾いた映像を映す。

 土砂降りの雨の中に、スーツの男がカサを差して立っている。

 ドラマチックで、どこか可愛げのある局のイントロが始まる。「ああ、これなら知ってるぞ」と、カナタの顔をした女が呟いた。

 雨を待つ彼女を差し置いて、一足先に雨の中に躍り出た男が笑顔を浮かべる。これから、いいことしか起こらない──そんな、見ているものに希望を感じさせる顔で。

 

「あいむしー、いんざーれーん」

 

 男に合わせた女の歌声が、どこか舌っ足らずに反響する。

 

「ンッ、ンン……じゃすとしーん、いんざれーん」

 

 

──雨に唄えば。

 ──雨の中でただ唄うだけ。

 

 穴から、からっぽの室内にびょうと吹き込んだ風が、女の長い黒髪を舞い上げる。その長さは『オモトカナタ』が辿った年月の積み重ねだ。

 七年という時間をスキップしてこの町に流れ着いた『イスルギカナタ』にはないもの。

 彼女の髪。彼女の人生。

 

「わったごーりあすふぃーりん……だはぴー、あげん……」

 

 

──心は弾んで、幸せを思い出す。

 

 女はいつしか笑っている。

 白いうなじに、醜い傷跡が走っている。大きく開いたドレスの背中を走り、腰──そしておそらく、もっと下のほうまで。

 ジーン・ケリー演じる男がどれだけ雨に打たれても笑顔を絶やさないのと同じく、彼女もまた、これほど巨大な傷を刻んでなお笑い続ける。

 

「あいむらふぃん。あとくらうず……」

 

 ──雲を見て笑うのもいい。笑おう。一面の曇天の下で。

 

 この町で、彼女だけが。

 

 ■

 

 ポツ──

 

 一滴の雨粒がマリコの頬を打つ。

 

「あ、う?」

 

『マトリックス』のような動きをするボタ子パイセンに度肝を抜かれていた彼女だったが、まるで熱した鉄を押し当てられたような感覚に顔をしかめる。

 ジリジリ痛んで、なんだか、いやなにおいがする。

 

「もう、なんなんスか、これ……」

 

 彼女はぶつくさ言いながら頬をこする。

 あたりには銃を構えた銀合羽集団がまだまだウロついている。だが、いつしかマリコは、ゆるーく構え始めていた。

 ボタ子パイセンが強い。というか強すぎる。

 彼女に任せておけばこの世の地獄だって切り抜けられそうだ。

 

 ズルッ──頬がむけた。

 

「……は?」

 

 顔を拭った手に、絆創膏が乗っていた。

 ヤケドの跡にひるまず、レイジがていねいに貼ってくれた大事なものだ。それがグズグズドロドロに黒く溶けた皮膚と一緒に剥がれ落ちてきた。

 

 ぐねり。

 

 ぬるりと黒い塊が、彼女の手の上で身じろぎした。

 それは見る見る間に体積を増やし、彼女の皮膚を食い破って体の中を黒く侵していく。

 

 ──ポツ──ポツ──ポツ、バタタタタタタッ

 

 急に勢いを増した『黒い水』が、機銃掃射のように音を奏でる。

 マリコは呆然としたまま、それを全身で浴び続けた。彼女にできるのは、どんどん黒い水ぶくれにまみれていく掌を見つめることだけだ。

 どこか夢のように遠い場所で、きゃあ、と悲鳴が聞こえたような気がした。

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