海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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4.雨に唄えば(2)

 □

 

 ウチのことをお話しするっスね。

 名前はマリコ。アグリマリコ。西高一年生。

 身長は155センチで、スリーサイズは──にゃはは。まあ、見てのとおりス。いいでしょ、こういうの。

 おかげで……生きてくことだけはできたんで。

 ダメ女に見えるかもしれねースね。じっさい、ウチ、ダメ女スから。

 

 いっぱい遊んで、いっぱい傷つけて。

 そんで、おねえのことも、グダグダに傷つけて。

 

 そんなウチだけど、ちょっとだけマシになれると思ったんス。

 ウチ、こんなだから自分のクラスだとバカにされて友達いないけど。

 

 ステキなセンパイたちと友達に──

 

 □

 

「この黒い水は、人類に対する特効毒です」

 

 暗闇の中に雨が降り続ける。

 バタタと地面を叩く黒い液体は、死の水だ。七区住人1200人がこの水で全滅した。

 それが今や町全体に降り注いでいる。

 

「この町の水は徐々に汚染されていきました。関東平野の水脈は、今や80パーセントが真っ黒。西町はいくつもの貯水施設を破棄しなければいけなかった」

 

 フードを目深に被って、ザワちんは空を見上げる。フードの先端から垂れたヘドロが、黒いつららを作っている。

 空の文字、そして飛び交うジェットの火球が、彼の輪郭を赤く照らし出していた。

 

「俺たちはスイッチひとつ押しただけです。降雨システムの給水ルートを一ヶ月まえのものに変えるだけのスイッチを」

 

 誰も彼も、全身に死の色がくっきりとへばりついている。

 

「あああぎゅっ」

 

 レイジの手を握ってじっとしていたカナタは、悲鳴のほうに目を向けた。

 

「ああ……ンだよ……そんなのアリかよお……!」

 

 カナタの、押し殺した悲鳴が静かに響く。

 死の雨の中で、ガードレールにもたれていた一人の女子生徒が──元保健委員で、いつも救急箱を手放さないのだ──内側から破裂した。

 手足はでたらめにねじくれ、最後まで苦痛を映した目玉がポンと飛び出る。いびつに変形した彼女は、黒いサナギとなってその場に倒れた。

 

「うあっ」「やああっ」

 

 それを皮切りに、あちこちで黒い花が咲く。

 この水は、ただの人間には劇毒だ。浴びた人間を裏返して、まったく別の何かに変えてしまう。

 それは不可逆だ。

 

「やめろ!」

 

 カナタは、反射的に叫んでいた。

 

「あいつらトモダ……ッ、どうしてだ。どうして、ここまでやるんだ」

「そうだな……俺たちは、くそったれだ」

 

 折れた右腕を抱えて、ヨシが呟く。

 始まった以上『やめる』なんて、彼らにはできないのだ。雨は止まない。すべてを押し流すまで、降り続けるだけだ。

 彼は、冷たい銃口を頭に押し付けるボタ子を見上げる。

 

「お前もだ。ボタ子」

「うん。そだね。きっとあたいら──幸せになれないだろうね」

 

 また一人。彼らの見ている前で少女が泣きながら爆発した。

 カナタが出会ったトモダチが。レイジに居場所をくれたクラスメートたちが、次々にねじれて、終わっていく。

 一人の男子生徒が、狂ったように駆けていった。全身に黒い水ぶくれを作って水玉模様になった彼は、親の名前を呼びながら物陰を目指して駆けていく。

 が、その途中で変異が起こった。

 彼のシャツがはちきれた。黒々と血管を浮かせた上半身が倍ほどの大きさに膨らんだかと思うと、彼は白目を剥いてどうろに倒れこむ。

 走っていた勢いのまま、彼がワゴンに激突したときには、すでに変異は終わっていた。

 黒いサナギは、キュキュキュ……と音を立てながら車体に黒い筋を描き、転がる。

 

 彼は──最終日のキッチンで、レイジに声をかけてくれた少年だった。

 レイジは彼の人生の終焉を、五分に及ぶ窒息の苦痛すら忘れて見届けた。彼には何もできない。

 彼の不死は死んだ。

 指を咥えて見守ることすら許されない。今の彼は、意識があるだけの死体だった。

 

『ああ。ひどいよ……』

 

 懐かしい声がレイジの耳をくすぐった。

 彼は目だけ動かして、その姿を見つける。十数メートル離れた路上に、黒髪の少女が立っている。

 その顔は半分以上フジツボに蝕まれていた。

 彼女はなんとか開いている方の目から涙を流している。ただの幻覚に過ぎない彼女は、この場で失われゆく命を(おも)って、静かに泣いているのだった。

 

『どんどんひどくなって、どんどん死んでいく……』

「ごほっ、ごほっ」

 

 しゃべろうとして、レイジは咳をした。

 口からほとばしった彼の血が、アスファルトに放射線を描く。彼の手を握るカナタの力が、いっそう強くなる。

 彼女に少女の姿は見えていない。

 そしてレイジの目に映る少女もまた、チューニングがズレたテレビの映像のように、不鮮明だった。

 

『この人たちは、こんなふうに死ぬべきじゃないのに』

 

 時折体の像を大きく崩しながら、少女は続ける。

 まだ生まれていない。人ですらないと自嘲をもらす存在は、目の前で無為に奪われていく人の命を、心の底から惜しんでいた。

 

『アレが全部殺してしまう。私がレイジを呼んだのは、アレを止めてもらうためなの』

 

 アレ? ──レイジの目に映る困惑を読み取ったように、少女は頷いた。

 そして細い肩をすくめ、笑う。

 心の底からムリをしているような、寂しい笑い方だった。

 

『ね。海に来て。そして私を殺して』

 

 ドシャアッ

 

 空から降り立った鋼鉄の二本足が、少女の幻を踏み潰した。

 降着の衝撃でアスファルトはひび割れ、散らばった破片がレイジの目の前まで飛んでくる。

 それは巨大なパワードスーツだ。角ばった特殊装甲に身を包んだ三メートルの機動兵器は、ブウゥンと低い音を立てて緑色のセンサーを光らせる。

 その輝きから、装着者の感情を読み取ることはできない。

 手に持った巨大な機関砲を、静かに持ち上げる。装弾数八千発のオートライフルの前では、すべてが平等だ。

 彼らにとって、この場で動くすべては、排除の対象でしかない。

 

「さ。出発の時間です。行ってください」

 

 ザワちんに軽く肩を叩かれ、カナタは、はっとする。

 パワードスーツが瓦礫を踏みしめる音に混じって、粘ついたぐちゃぐちゃという音が聞こえてきていた。

 黒いサナギたちはタールのような液体を分泌し続けている。それはヒビ割れたアスファルトに染み込み、水面を作る。

 

 ポコッ……

 

 ひとつの泡とともに、地面の亀裂に指がかかる。

 カギ爪のある三本指。棘皮人間の出現が始まったのだ。

 

 ドババッ

 

 それを見て取ったパワードスーツが、素早く銃撃した。地面は沸騰したようにめくり返り、そこから生まれようとした棘皮人間を粉砕する。

 ピピッと黒い飛沫を装甲に飛ばしたスーツが、センサーを光らせる。彼らは動くものすべてを攻撃する。

 

「じき、ここは戦場になります。巻き込まれますから。ボタ子──」

 

 彼の喉仏が、ごくりと揺れた。

 

「頼めますね」

「あいよ。この子らはあたいに任せて。カナちゃん、ちょいとごめんね」

「うあ」

 

 それまでヨシの眉間に向けていた拳銃を放って、ボタ子がレイジを担ぎ上げた。小脇にはカナタを、まるでボールのように挟んで持つ。

 ギロっと睨まれたが、ボタ子は笑ってごまかす。

 

「おォい、ザワちん、てめえ──!」

 

 ヨロヨロ立ち上がったヨシの言葉は黙殺される。

 次々と地響きを上げて交差点に降り立つパワードスーツたちが、包囲の輪を狭めてくる。これ以上の長居は許されない。

 ザワちんは短い円筒がいくつか連なったベルトを、ボタ子に向かって放り投げた。

 

「あら、こりゃ…………準備のいい男はスキだよ」

「お前の裏切りは想定してましたから。ただ──」

 

 一塊の黒いヘドロとなって積み重なったクラスメートたちを見て、ザワちんは苦しそうだった。

 ここまでする必要があったのだろうか、と。

 あまりにも残酷で、あまりにも無慈悲なタイミングで、始まってしまった。

 

「ヨシちゃんどうすんだい?」

 

 電柱に手をついてはあはあ息を荒げる彼のことを、ボタ子が顎で示した。

 

「俺らはもう役目を果たしました。ここを適当に切り抜けたら、防衛局のお縄にかかるとしますよ」

「そうかい。寂しく──」

「勝手言ってんじゃねえぞッ!」

 

 パワードスーツの駆動音すらかき消す声で、ヨシが叫んだ。

 

「俺は最後まで戦ってやる。白旗なら、てめえらで勝手に上げろ!」

 

 ギュッ──彼は引き裂いたシャツの切れ端で、砕けた手首を固定する。彼は『ムナカタおじさん』と『代理』の期待に応えなければいけない。

 

「まだだ。まだ終わってない!」

「俺らは終わりですよ。現実見て」

 

 市街に展開した『銀合羽』は百を超える。総結集すれば、まだまだ勝ちを拾いに行ける。

 

「行ってください」

 

 意地でライフルを構え続けるヨシを尻目に、ザワちんは繰り返した。

 

「あいつは俺が止めます。大丈夫、あんなヘッポコ、俺なら腕一本でやっつけてやりますから」

 

 刺すようなサーチライトが地面を滑り、彼らの姿を捉える。

 見つかった。

 パワードスーツの動きが変わった。暗闇そのものが塔になったような巨大なスーツの群れが、眼光を光らせて彼らのもとに行進してくる。

 ボタ子はザワちんに渡された円筒のピンを抜き──房になって繋がれたスモークグレネード(煙幕弾)をスーツの足元に向かってブン投げる。

 細い煙の筋を引きながら飛んだグレネードは、ゴンッと音を立てて装甲に当たる。

 

 ブシュ────ッ

 

 円筒の端から勢いよく煙が噴いた。

 脇の下でボタ子の汗のにおいをかぎながら、カナタはヒヤリとしたものを首筋に感じる。

 あれは、彼女が映画で見てきた煙幕とは違う。冷却エアゾルを撒くことで温度センサーをも騙す効果を持ったものだ。

 熱も、光も、すべて液体窒素の幕で覆い隠される。

 焦げたように真っ黒になった彼女たちのクラスメート。夏の断片ですら、冷たいスクリーンの向こうの闇に飲まれ、二度と取り戻せない。

 彼女たちにできるのは、振り切って、走ることだけだ。

 

「みんな……」

 

 カナタが呟くと、ボタ子が小さくうめいた。

 

「いこうか」

 

 ズシッ──レイジの巨重を軽々支えて、ボタ子は踏み出した。

 ケガのある足で、当然痛みもある。彼女は跳べるが、走るのはニガテだ。一歩ごとに骨をつんざくような痛みを覚えながら、彼女は声に出さない。

 2-A、総勢24名中18人の子供が死亡。もしくは殺害。

 その罪の重さとくらべたら、この痛みは罰にすら匹敵しない。

 

 ■

 

「ふん。なんだ。やっぱり走れますね、あいつ」

 

 薄れ始めた煙の中で、ザワちんがくすくす笑った。

 

「おい……」

 

 彼の横顔に、ライフルが向けられる。

 銃口は右に左に、落ち着きなくブレ続けている。ヨシは訓練された戦士だ。しかし壊れた利き手を気遣っては、銃をうまく構えることはできない。

 

「お前はまだやるんですか」

 

 ザワちんは涼しい顔だ。

 

「そう、だ……」

 

 ゴッ……ウン……

 

 煙幕の中に入ってきたパワードスーツが、彼らのすぐ横を通り抜けていった。見えていないのだ。

 しかし魔法の霧は、もうすぐ晴れる。彼らには二つの道しかない。今のうちに消えるか、ここで立ち話を続けて、棘皮人間といっしょに蜂の巣にされるかだ。

 

「諦めましょう」

 

 煙幕の外でうごめく黒い群れの気配を感じながら、ザワちんは諭すように言う。

 

「どうせ向こうにゃボタ子がいる。ついでに、最強にあきらめの悪いカナタさんも。俺らが何万人いても、イスルギの体は手に入りませんよ」

 

 ポツポツと彼らのポンチョを打ち鳴らしていた雨が、ふと止んだ。

 彼らのすぐ傍で、パワードスーツが敵の姿を探している。寺の柱のように太い機関銃のバレルが、彼らに落ちる雨を遮っていた。

 

「俺がほしいのはレイジじゃない。事実だ」

「事実。ですか」

「『ムナカタおじさん』のために命張ったっつー事実な」

 

 彼の手は、今でもトリガーにかかっている。一発でも音が漏れれば、その瞬間、パワードスーツの足が二人を蹴り砕くだろう。

 鋼鉄の巨人の足元で、二人は蟻だ。無力な虫けらでしかない。

 

「俺はヨシに死んでほしくないです」

「俺もだよ」

 

 ヨシは頭上の死神を見上げた。

 煙の晴れ間と機関砲の隙間から、空を覆う赤いアラートが見える。フラッシュで町全体の記憶がリセットされるまで、残り三分。

 

「お前の体のこと、気づいてないと思ってたのか」

「あ──」

 

 参ったな。ザワちんは思わず苦笑して、頭をかいた。

 そしてそのしぐさは、彼の想い人──目の前の、ヨシからうつったものだ。それに気づいた彼は、笑みに混じる苦々しさをいっそう強める。

 

「『代理』なら、なんとかしてくれると言われた。だから──」

「恩返しだなんて、ウソッパチじゃないですか。俺なんかのために、どうしてそこまで」

(サエギ)ンなよ」

 

 ヨシが、ボウズ頭をかいた。

 

「大事なんだ。お前が」

「そっか……」

 

 降りしきる死の中で、ザワちんは軽くうつむいた。

 その姿がまるで、雨の中で首を垂れる花のように、ヨシの目には映る。高一でカツアゲして失敗。それを咎めたボタ子にボコされて、嫌々の付き合い──

 だったはずが、いつの間にか、彼の心はザワちんでいっぱいだ。

 

 クラスのどんな女よりザワちんのことが、ヨシは……

 

 約束を守る保証なんて一ミクロンも感じさせない『代理』のために命を投げ捨てるほど、だ。

 

「分かったろ。ザワちん、お前は逃げて指示を待て。俺は」

「だったらなおさら行かせられませんね」

 

 パワードスーツの股の下で、ザワちんが顔を上げた。

 彼の右手は、ポンチョの上からもう一方の腕をさすっている。まるで紙細工のように細い彼の腕。頼りない腕の戦歴はというと、プール掃除のモップの重さに負け、台車の重みに負け──

 

「言ったでしょ。お前なんて俺の腕一本で十分だって」

 

 そんな、負け続けの腕で、彼はヨシの決意を曲げるのだと言う。

 彼の指が、ポンチョのすそをつまむ。

 

「ザワちんお前、何──」

 

 バッ

 

 銀色の生地が夜雨のなかに舞い上がった。彼の白い腕がヒヤリとする煙幕の中で怪しく輝き、そして黒い水に打たれる。

 その肌に、無数の斑点が浮きだした。

 彼の死を描いた模様だ。ザワちんは穏やかに笑ったままだ。

 かなり覚悟していたが、痛みはない。

 シンと冷えた無数の指が、肉の中を這い回っているような感覚だけがある。

 

「さ。どうします。俺の方が先に地獄のドア叩いちゃった感じですけど」

「ザワちんッ!」

 

 銃を放り出して駆け寄ったヨシにつかまれ、彼は地面の上を転がった。

 一瞬前に彼の頭があった場所を、パワードスーツの爪先が通過していく。ヨシの反応が遅れたら、今頃腫瘍だらけの脳みそが路上にバラ撒かれていたに違いない。

 残り二分。

 煙幕はもう薄い。地面にわだかまった煙の中に、二人は倒れこんでいる。

 

「ヨシ」

 

 彼の胸の中で、ザワちんが弱々しく微笑んだ。

 

「俺のこと、どう思ってます」

「て、てめえ……!」

「走れますね。分かったら、大事な大事な俺を病院に連れていけ。ちゃんと応えてやりますから」

 

 ヨシは何も言わず、ザワちんを抱えて立ち上がった。とたんに、パワードスーツの群れの視線に晒される。

 あたりが白く染まるほどのスポットライトの下で、ボウズ頭の少年がゆっくり顔を上げる。

 機関砲が向けられる。彼らは相手が何でも、躊躇しない。

 徐々にドス黒い斑紋を腕に広げながら息が弱々しくなるザワちんを胸に、ヨシは静かに前方だけを見据えていた。

 迷いがなくなったわけじゃない。未練がなくなったわけじゃない。

 ただ──そういったものにしがみつかれて、今抱いている大事なものまで、なくしたくない。

 

「揺れるぞ」

 

 黒くなった親指で、ザワちんがサムズアップする。

 

「死ぬほど揺らしていいですよ」

 

 その顔は恋する少女のようだった。

 今なら、命だって惜しくない──そうヨシに思わせる顔だった。

 

 グリーン・ゴー。

 

 ヨシが駆け出すと同時に、40ミリの死が彼の頭を掠めた。

 ガツンと殴られたような衝撃が彼を打ちのめし、何も聞こえなくなったが──止まらない。分速4000発の砲火に晒されながら、彼は廃墟を縫って走る。

 

 行け、二階堂ヨシ。生きろ、相沢レイジ。

 

 任務も義務も放り出して、二人はようやく自由を手にした。

 血と硝煙とおぞましい生臭さの立ちこめる市内で、ヨシの感じる風は不思議と涼やかだった。

 それはあの日、殴り合いの後の屋上で月を見上げたときの風によく似ていた。

 

 ■

 

「ああ……あああう……」

 

 遠いところで銃撃が聞こえた。

 マリコは雑居ビルの片隅で丸くなったまま、脚を抑えてうめいていた。

 

「うう……どうし、て……なん、でえ……」

 

 床に撒き散らされたガラスを鳴らして、彼女は嗚咽を漏らす。

 彼女の右腕は中ほどから溶けかけ──黒い水のしぶきをモロに浴びた両足は腿のあたりでほどけるようにもげ、ビルの入り口に転がっていた。

 厚底シューズを履いた脚は、もう二度と駆けることはない。

 彼女がいる物陰まで、ずっと黒い筋が延びている。その体に流れるものは、もう赤い血ではない。彼女は汚染されたのだ。

 首筋に黒く浮き出た血管が、体中に毒をめぐらせている。

 

「どうして。どうしてスかねえ……」

 

 鋭く銃撃が聞こえるたびに、彼女は体をこわばらせる。

 出てくることばは『どうして』だけ。

 

 どうして自分が──違う。きっとバチが当たったんス。

 どうして幸せになれないのかな──ああ。そうだ。これだ。

 

 カナタの言葉は、いつしかマリコの魂を縛る呪縛になっていた。

『幸せになれないやつが、幸せになれないところに生まれた』。きっと自分もそうなのだろうと、あの夜からずっと考えてきた。

 

 そんなウチにもトモダチができました。

 クソのバカみたいなクラスの人たち。ウチも最初は見下してて。

 でも──みんなやっぱ『にんげん』だったスよ。

 みんな必死で、みんなギリギリの中で、紛れ込んだ下級生のウチに優しくしてくれて……へへ。おかしとか、もらっちゃったりして。

 

 この後のカラオケで、レイジさんが歌ってるときに、部屋の片隅で恋バナとかしちゃって。

 キャーとかうわーとか。そういう気持ち、預けてもいいなって、信頼できるヒトいるでしょ。

 このクラスは全部そうなんス。

 んでカラオケ出るとあたりは真っ暗で──今日は終わっちゃうけど。でも、明日からは夏休み。

 仲良くなったセンパイたちとメアド交換して。へへへっ、ギャルのジョーシキすからね。

 んで、明日から、みんなで楽しく……

 

 みんな死にました。

 

 そしてマリコもまた、廃墟の片隅に吹き固まったホコリのように、誰の目にも留まらず死んでいく。

 やっぱり孤独で、ここに幸せなんてない。

 

「ボタ子ぱいせん……」

 

 いない。

 

「カナタせんぱぁい……」

 

 いない。

 

「おねええ……」

 

 いない。やっと仲直りできたのに。ごめんねおねえ。ウチ、おねえにまだお返しぜんぶできてないよ。

 

「レイジ、さん……」

 

 いないんだ。

 

「は。ははは」

 

 マリコは笑ってしまった。本当に『あーあ』ってカンジだ。

 バカみたいなハナシだが、サメ怪人に襲われていた自分を助け出してくれたスーパーマン。

 醜いヤケドを見ても顔をしかめず、ただ絆創膏をくれた一人のトモダチ。

 そして、やたらでかくてしょっぱいスイカをくれた。あれはおいしかった。

 そう呼ばれると本人は困ってしまうだろうが、間違いなく彼は、夏の訪れとともに颯爽と現れたマリコのヒーローだった。

 

 でもヒーローは死んだ。もう来てくれない。

 そう思った瞬間、心の中にビュっと冷たい風が流れ込んだ。風はマリコすら気づいていなかった、心のなかの穴を探り出す。彼女がずっと求めて、手に入れられなかったものを嵌め込むための穴。

 そこが、冷たくて、痛い。

 

「ああウチ……こんなことなら、もっとレイジさんと……」

 

 ジャリッ──

 

 すぐ近くでガラスのすれる音がした。

 マリコは頭を押さえていた手をどけ、ゆっくり顔を上げる。

 入り口から差し込む赤い光に照らされて、一人の大男がそこに立っていた。物言わぬ口。何を考えているか分からない顔。

 彼の胸は吹き飛び、丸見えになった肺と心臓が、弱々しく動いている。

 

 彼はよろめきつつ跪くと、そっと手を彼女に差し出した。

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