海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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4.雨に唄えば(4)

 黒い雨が降りしきる中で、西高の校舎は静寂に包まれていた。

 防衛局の戦力を足止めするため『銀合羽』が解き放った棘皮人間の群れは、ここにも及んでいる。

 2メートルの怪物たちはテスト後も学校に残っていた生徒たちを、あらかた食い尽くした。

 “つくり笑い”や“うそ泣き”のような指揮をする固体がいないため、彼らはボーっと立ち尽くしている。

 静寂だ。

 破壊と死の後にやってくる静けさに、ただ降りしきるタールだけが音を落とす。

 中庭。彼らの足元の水溜り。

 とある生徒会長が投げ捨てていったケータイもまた、完全なる沈黙を保っていた。

 

 ■

 

「ダメだ! ルリコのやつ、電話に出やしねえ!」

「『電話にでんわ』ってヤツだねえ!」

 

 ボタ子のダジャレに何か言ってやろうとしたカナタの頭上を、鋭いカギ爪が過ぎっていった。

「うひゃ!」ますます強さを増して降り始めた雨の中に、彼女の悲鳴が轟く。

 マリコとの別れを経て、三人は建物を抜け、市民プールの屋外大プールへ。そこは最悪だ。プール全体に溜まった黒いタールはごうごうと音を立てて渦巻き、細胞増殖するかのように刻一刻と体積を増し、あふれていく。

 シャフトを、そして町の外を目指す彼女たちを阻むかのように、絶えず棘皮人間が生まれ出し、襲ってきた。

 

『フラッシュまで、残り三〇──』

 

 西町全体をまるごと漂白するリセットが迫っている。

 こんな状況でみんなが我を忘れてボーっとするようなことになればどれほどの被害が出るのか。

 カナタには想像もつかない。

 

「レイジちゃん、そっちのヤツ、やれそう!?」

「────ああ」

 

 プールベンチを軽々と振り回して棘皮人間たちを薙ぎ倒すボタ子の背後で、レイジがカナタをかばって立つ。

『銀合羽』だけでなく、棘皮人間たちの狙いも彼だ。

 怪物にその理由を問い質すことはできないが──彼の頭めがけて振り下ろされるカギ爪を見れば分かる。彼らもまた、必死だ。

 

 ザキュッ

 

 プールサイドを流れる黒いタールの上に、レイジの血潮が飛ぶ。

 血を舐めて味わうようにうごめく水面に彼が映る。掲げた左腕で怪物の爪を受けた彼は、続いて振りかぶられた反対側の腕をすばやく掴み取る。

 そして──炸裂。

 

 肉の入った袋をトラックで踏み潰したような音を立て、怪物の体が正中線から真っ二つに裂ける。

 二分割された怪物の体を両手からぶら下げたレイジは、しばらく立ち尽くしていた。

 それが、崩れ落ちる。

 

「ハアッ……ハアッー……くそ……」

「たっ、立てるか。いたいか……?」

 

 心配顔のカナタに支えられつつ、彼はダラリと垂れた自分の両手を見る。

 

「問題……ない……」

 

 どう見ても問題だらけだ。

 今のムチャな攻撃で、両手首を骨折した。治りが遅いだけじゃない。体の構造そのものがモロくなっている。

 不死殺しのナノマシンは容赦がない。今の彼はスポンジのようにスカスカだ。

 

「早いとこ『中和剤』を見つけないと……ねッ!」

 

 一方でボタ子は無尽のスタミナとパワーで暴れ続ける。

 彼女よりも先にメゲたのはベンチだ。座面が完全に壊れてベコベコのパイプだけになったそれを見て、彼女は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 そして振りかぶり、投げる。

 

 ポンチョの裾を翼のようにハネ上げて、彼女の手からパイプ、もしくは槍が放たれる。

 残忍な投げ槍は屋外プールに溢れ出た棘皮人間をまとめて貫く。

 彼らの頑丈さこそが弱点になる。彼らは繋がったまま手足をバタつかせるだけで動けない。

 

「ふう……あたいの持ち出した量の『中和剤』じゃ進行を抑えるのがせいいっぱいさ。このままだと」

 

 含みのあるボタ子の言い方に、カナタが反応した。

 

「このままだと!? レイジ、死んじゃうのか!?」

「いや──」

 

 ボタ子は次の得物を探しながら、小さく首を振った。

 

「もっとひどい」

「もっと?」

 

 自販機をガタゴト鳴らしながら持ち上げ始めたボタ子から更にカナタが聞き出そうとした時、陽気なメロディが突如として響いた。

 

『郷ひろみ/GOLDFINGER '99』

 

 カナタはぬいぐるみストラップで重さが倍増した二つ折りケータイを取り出す。

 マリコに託されたケータイは『君を泣かせても~それは太陽のさせたことだよ~』のサビ部分のジングルをループしている。

 背面の小窓みたいな液晶には三文字──『キリちゃ』だ。

 

 ■

 

「ンだよキリちゃん、こんな時──おわーッ!?」

 

 黒い水で汚れたケータイをカナタが開いたとき、彼女の頭上を巨大な影がよぎった。

 棘皮人間に殴り倒された、レイジだ。

 彼は弾丸のような勢いでスっ飛んでいって、プールサイドに積み上げられたベンチや廃材の山を薙ぎ倒す。

 

「こっちヤバいんだって!」

 

 レイジの無事を祈るカナタの目の前を、今度は自販機が飛んでいった。

 地面と平行にブン投げられた鉄の塊は不幸な棘皮人間たちを壁との間でプレスし、元のタールに戻す。

 ボタ子がパンパンと手を叩いてホコリを払うのが見える。なんか怖いので、カナタは目を合わせないようにする。

 

「つーかそもそも、どうしてセンセーの電話番号──!」

《あーもう。いきなり電話口でごちゃごちゃうっさいわねえ!》

 

 ケータイはいつの間にか、スピーカー通話になっていた。

 そこから迸った声は酒に焼けたキリエの声ではなく、七日間の合宿で死ぬほどドヤされたキンキン声だ。

 

「ルリコ……」

《なによもう。死人と電話繋がったみたいよ、アンタ》

 

 起き上がりかけのレイジ、今度は監視用のイスを持ち上げたボタ子、そして、カナタ。

 みんな、時が止まったように立ち尽くす。

 

『ゼロ秒。フラッシュ、実行します』

 

 空を埋め尽くす赤表示が消灯した瞬間、完全な暗闇が訪れる。

 が、それは一瞬の暗黒だ。

 

 カッ──空全体が、網膜で熱を感じるほどの白さで輝く。

 脳の奥に触れ、西町の守り続けた九〇年代を脅かすものを消毒するための光。かつてレイジとカナタも、この白さで塗りつぶされたことがある。

 棘皮人間の群れまでも、一時進軍をやめ、忘我したように棒立ちになる。

 

「レイジ……」

「ああ」

 

 輝きの中で、カナタはレイジの手を探る。彼もカナタを求めていた。指を絡めて、握る。

 今の彼らには記憶消去への強い耐性がある。光によるショックくらいで、『海』へと向かう彼らの足取りを止めることはできない。

 包帯ぐる巻きのカナタの掌。タールと傷だらけのレイジの手。どちらもボロボロだが、互いが感じる体温はやけどしそうに熱い。

『銀合羽』たちにシステムを乗っ取られ季節を失ったこの町で、彼らが感じる唯一の熱だ。

 

「さあこれで……あたいらの計画はトリアエズ失敗、ってことになるのかね」

 

 ボタ子たち『銀合羽』も謎めいた存在『代理』から処置を受けているのか、軽い立ちくらみを起こした程度といった様子だ。

 そして──

 

《うわっと、ああハンドル狂った……ビックリするわねえ、もう》

 

 カナタたちには知る由もないことだが、こうなることを予期したキリエによって注射器ブスリの憂き目をみたルリコも、悲鳴一発で消去を乗り越えた。

 

『引き続き、全職員はガスの散布に備えて──』

 

「よかった。ルリコ、無事だったんだな」

 

 つとめて明るく話そうとするカナタは、市民プールの本館を見つめてしまった。

 黒い雨と、非常灯の中に、ボヤけた緑色の建物が聳えている。

 その中で、マリコが死んでいる。通話口の姉に知られぬまま、ひっそり気高く。たった一人で。

 ケータイのケースがミシリと鳴った。自分たちを送り出してくれたマリコのことを思い出すだけで、カナタはめちゃくちゃになる。

 目頭が熱くなる。たぶん、泣きたいんだと思う。

 それでも泣けないのは、もっとしんどい目に遭いながら、最後まで凛としていたマリコのためだ。

 

《よかないわよ──どうしてアンタがマリコのケータイに出るワケ?》

 

 ガッタン。受話器の向こうで何か大きなモノが揺れる音がした。

 ガラスの容器をいくつも転がすような騒音と《どこで酒飲んでんのよ、あのバカ!》というルリコの罵声が聞こえてくる。

 

「それは……あ……」

 

 言いよどむカナタの元に、じりじりと棘皮人間たちが詰めてくる。

 彼女を守るようにボタ子とレイジが並んで立つ。困ったことになった。三者三様に苦い顔をしていた。目の前の化け物よりも、マリコのことを彼女に伝えればいいのか。

 お前の妹死にました、なんて。どれだけ工夫を凝らしてもフンワリ伝える方法はない。

 

「カナタ、俺から」

《そう……出られない、状態なのね。あの子》

 

 気まずい沈黙を電話越しに感じ取ってか、ルリコが一人で納得してくれた。結局、ショックを先延ばしにしただけだ。

 じわじわと数を増やして押し寄せる棘皮人間を前に、三人の顔は暗い。

 

《アンタら今どこ?》

「アタシらは──」

 

 キキーッ、ゴチョッ……《うわ》

 甲高いブレーキ音。そして気マズそうなルリコのうめき。彼女の周りでいっそう激しく何かがシェイクされ、崩れる物音。

 

《あ……あ、でも……いっか……相手バケモノだし。それにキリちゃんの責任になるでしょ。これ、キリちゃんのクルマだものね》

「ルリコ、今、どこだ?」

《へ? なんでそんなコト聞くの?》

「なんか騒がしいぞ、お前のトコ」

《アンタも人のコト言えないでしょ。つーかキリちゃんちの家電(でんわ)スゴいわよ。これだけ家から離れてまだ繋がってる》

 

 そのとおりだ。カナタの周りで、レイジとボタ子による応戦が始まっていた。

 ボタ子が棘皮人間を束にして担いで、プールにぶち込む音。レイジが自分の体を崩壊させながら懸命に戦う、そのうめき。

 ガチャガチャゴチャゴチャと騒がしいルリコの電話口と、いい勝負だ。

 

「ルリコ頼む。アタシらが行くまで、バカなことすんなよ」

《うあああ、生徒会仕込みのドリフト見せたらァーッ!》

 

 タールでぬめる電話の向こうから聞こえてくるのは、ルリコの絶叫と、アスファルトに切りつけられたタイヤの甲高い悲鳴だ。

 通話越しに感じるほどの慣性でもって、ルリコは振り回されているようだった。

 

《おお、ふう、案外うまくいくものね……あのねえ。いっつもバカやってんのはアンタらでしょ。なんで私のがバカみ……だああ! ここで……ハンドルを右にィー!》

 

 なにやら向こうでよくないことが起こっている気がしてならない。思わずカナタは叫んでいた。

 

「だっからドコいんだよ、オマエ!」

《安全安心でバケモンだらけのセーフな場所よ! そっちこそ答えなさいよ! どこ、何してんの!》

「……市民プール。だぞ。クギヅケだ」

 

 カナタは歯噛みする。

 人間離れしたボタ子たち二人の奮闘があっても、棘皮人間の数は増すばかり。これではシャフトどころか、せっかく通話できたルリコとの合流も難しい。

 

「レイジちゃん爆弾とか……もってないかい!?」

 

 雨合羽で守られていても、汚染を避けては思い切り動けない。

 怪物に傷つけられただけで即アウト。飛び回るボタ子の飄々とした微笑にも、いつしかじっとりと冷や汗がまとわりついてくる。

 

「ない。すまん。あったら俺が抱えて突撃してる」

「レイジお前、ジョーダンでもそういうの許さねェからな! ──市民プールでバケモン共にリンチされてる。ヤバいかも」

《それ中? 外?》

 

 怒鳴りつけられたレイジが背中を小さくするのを見ながら、レイジは雨の中に耳を澄ます。

 防衛局と銀合羽、そして棘皮人間の三つ巴で、市街は戦場だ。

 絶え間ない銃火の合間に、元気なタイヤ音が響いてくる。こんな非常事態の中で、車を爆走させている怪人がいるようだ。

 

「外。めっちゃ雨降ってる……」

 

 ドムッ。スピーカーがくぐもった打撃音をカナタに伝える。

 

《カナタ、私……生まれてきて一番生き物たくさん殺してるかも》

 

 闇をつんざくヘッドライトの光がつかの間フェンスの隙間から突き抜けて、カナタは目を細める。

 

《フェンスの近く? 遠いとちょっと、どうしようもないかも!》

「すぐそば。でも……フェンス高すぎて……」

 

 ついにボタ子の体を爪が捉えた。

 

「うあっ、やっば!?」

 

 合羽を切り裂かれたボタ子が、慌てて退く。距離をとって、彼女は秘密道具を取り出す。ビーっと音を立てて、銀色のダクトテープが伸ばされる。

 これでひとまず安全だが、長くはもたない。

 

《フェンスの近くね。何色? 青? 赤? 黄色?》

「なんでイチイチそんな──青だよ。青、青! アタシの目と同じ色!」

《わかった》

 

 電話口が静かになった。

 一瞬後、モーター特有の低くて甲高い唸りが、スピーカーが割れるほどの音量で迸る。

 慌ててカナタがケータイを耳から遠ざけたが、その大音量は相変わらずだ。

 再度、フェンスの向こうからハイビームが差す。

 ただならぬものを感じたレイジとボタ子が、彼女の傍に立つ。

 一台のクルマがゴリゴリガリガリと、車体とバンパーを削りながら段差を上ってくる。古く、あちこちヘコんで、片方のミラーが取れかかった姿がフェンスの隙間から見える。

 

《じゃ、アンタだと思って突っ込むから。うまく避けて》

 

 いっそう大きくモーターがうなり、通話が切れる。

 暴れ狂うイノシシのように段差を上ってきた一台のバンが、フェンスを薙ぎ倒して飛び出した。

 

「は?」

 

 驚きあきれるカナタの頭上を車体が跳び越し、まばゆいヘッドライトの残光が一筋の流れ星を描いた。

 あちこち黒い体液をハネさせたクソみたいなクリーム色のバン──樋口キリエがレンタカー会社から借りパクした自称“愛車”は猛々しく闇夜を引き裂く。

 

「みんなー、おまたせーっ!」

 

 アグリルリコ十七歳、夏。彼女は重力から解放される。

 

 落下。

 

 衝撃。

 

 轢殺。

 

 何十という棘皮人間を薙ぎ倒し、黒海苔のジャムにしたバンはスライドしながら停車する。

 

「乗って! ほら、さっさと!」

 

 雨合羽を着込んだルリコがキリエの家電話片手にドアを蹴り開け、呆然とする三人めがけて手招きした。

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