「もう大丈夫」
ルリコの黙とうは二十秒で終わった。彼女はハンドルからゆっくり顔を上げて、三人に告げる。
「大丈夫だから。私に泣いたり叫んだりを期待したんなら、ゴメンね」
彼女はレイジの手を離すと、何事もなかったかのようにアクセルを踏み、古びたバンに拍車をかける。
後部座席の三人は、さび付いたサスと一緒にうめいただけだった。
妹が死んだ。マリコが、いなくなってしまった。それだけの傷が『大丈夫』になることなんて、一生訪れはしないのだ。
「後回し。するわ」
ルリコは続ける。
その時、棘皮人間が民家から飛び出してきた。ルリコは構わずそれを跳ねる。くるくる錐もみ回転して後方にスッ飛ぶ怪物に、彼女は目もくれない。
「全部後回しにしましょ。海に着いたら、マリコを想ってびいびい泣くかもしれないけれど──それは今するべきことじゃない」
銃撃で割れたフロントガラスのヒビが、ゆっくりゆっくり広がっていく。
今はテープのお陰でごまかされているが、それはいずれ、粉々に割れていくのだろう。
今のルリコと同じだ。クラスメート全滅。妹がいってしまったこと。受け止めきれないこと全部、銀に輝く海のきらめきの下にそっと置いて、今はひとまず、ごきげんよう、だ。
「……冷静になったわ。ホント。マジで。これ以上ないくらい」
彼女は、ルームミラーを覗く。
後部座席の三人が、ルリコのために言葉を探している。
「アンタらも。大変だったわね」
彼女たちもシッカリと被害者なのである。
特にレイジだ。彼は胸を対物ライフルで狙撃されて、今でも心臓と肺の大半がオシャカのままなのに。そんな男が神妙な顔で自分を気遣っているのを見ていると、ルリコはふっと笑えた。
■
「前にキリちゃんが答え合わせしてくれたけど──」
『この町は地上近くのプラントから資材を運び込んでいる。いいですか。これ、超重要などうでもいい世間話ですからね。何べんでも言いますが、地表近くのプラントとこの町は直通です。あとは──』
「—―あとは、出口へのルートを確定しないとね」
「シャフトだよ」
リアガラスに張り付きながら、ボタ子が返した。
戦士としての経験がそうさせるのか、彼女は後方を常に警戒している。カナタが彼女の視線を追っても、そこには地下の闇と黒い雨が垂れ込めているだけ。
あるいは、ボタ子にしか見えない何かが、追ってきているのか。
「地下に降りたら、レールを辿っていくんだ。そうすれば、ターミナルに着く」
「詳しいわね」
感心しているような言い方だが、実際は違う。
ルリコはボタ子という、いきなり敵方を裏切ってこちらについた少女のことを、ハナから疑ってかかっていた。
「ひとつ、聞いてもいいかしら」
「なんでも」
ボタ子は、ガラスの外に目を向けたままだ。
「アンタがレイジにやったっていう『中和剤』。どうして都合よく、アンタが持ってたワケ? 他の合羽マンも同じの支給されてるの?」
「いや……あたいだけ。『代理』の部屋から、コッソリ持ち出してきた」
「へえ。その『代理』ってヤツが部屋に通すほど、信頼されてるのね。アンタは他の連中と違うの? ヨシやザワちんとも? ──何か、ヒミツのミッションってやつ、そこで任されてたりして?」
「……どうだろうね」
「ルリコ。クチ挟んでいいか」
気付くとバンはいつしか、同じ場所をぐるぐる回っていた。
抉って探るような様子のルリコと、無表情のボタ子。レイジのケツに火がついている。こんなところで足踏みしてられないカナタは、運転席のシートを軽く小突いた。
「ボタ子はなあ、レイジ好きなんだよ」
「なっ」
彼女の一言で、ボタ子の顔が一気に崩れた。
「こいつ裏切りモンだけど、マリコに怒鳴られてハラ決めたんだ。『レイジちゃんが好き。レイジちゃんと行く』ってな。そうだろ? な? な?」
本人はフォローのつもりだろうが、まったく容赦がない。
「あ、あれはいや、そういうのでは……そういうのなんだけど。今、持ち出すハナシかい……!?」
耳の先まで真っ赤に染まったボタ子が、弁解するように両手を振る。しかし何を弁解すれば? あの衆人環境のド真ん中で告白からの裏切りをカマしたのは彼女だ。
しかもその後大見得切ってから派手なアクションまで演じている。
「あ、あわわわわちょっと待って、待っておくれったら」
「ボタ子は」
胸元を吐血で真っ赤にしたレイジが、ゆらりと顔を上げた。
彼は焦点を失いかけた目で、必死にボタ子の姿を見つめる。彼の眉間には、今もマリコが別れの際に刻んだ『おまじない』が残っている。
マリコもまた、彼を通してボタ子に問いただしてくる。
「ボタ子はどうして、俺を好きになってくれたんだ……?」
レイジはただ、不思議だった。
クラスと折り合い付かなかった頃も、何かと気にかけてくれた。話しかけてくれた。しかし、レイジが彼女に何かをしたかといえば──その覚えが、まったくない。
「私、分かるわよ」
それまで尋問官に徹していたルリコが、少し毒気を抜かれた調子でハンドルを切った。
バンはループすることをやめ、別の道に入る。
「それ、は……?」
防衛局との小競り合いに敗れ、倒れていた棘皮人間に、バンが乗り上げた。車体がバウンドし、かろうじて座席の上で留まっていたレイジを、衝撃が突き飛ばす。
彼をとっさに抱き留めたのは、カナタではない。ボタ子だった。
「ヒミツ。アンタが思い出さなきゃ、意味ないと思うから」
床とアクセルの隙間に転がり込んでいこうとする、潰れたチューハイ缶。
それを蹴って追い出しながら、ルリコは一年生のときの大掃除に思いを馳せる。あの時も校舎の外階段はこういうどうしようもないゴミであふれてて、小便の香りがして。
階段の下から何か話し声がした。覗き込もうとした。そのとき、後ろでレイジがバケツを持って立っていて──
「レイジちゃん」
ぼんやりハンドルを握るルリコの後ろで、ボタ子が囁く。
レイジの血で袖が汚れるのをものともしないボタ子の姿から、カナタは、目を逸らしてしまう。レイジはトモダチで……大事で大事で大事な、トモダチで、家族でしかないわけで……そう、何度自分に言い聞かせても、
……モヤモヤする。
窓枠にもたれて、カナタは頬杖をつく。
「……アタシが言いたいのは。レイジのコト好きになるヤツは、信頼できるんじゃねってコト……」
彼女が言葉にすることを避けた気持ちを切り取ったようなくもりが、ため息によって窓ガラスに浮かび上がる。
ボタ子は気まずそうにもじもじしていた。だが、やがて、そっとレイジの体を離す。
「あたいはどうしようもないヤツだけど……レイジちゃんが好きなんだ。これだけは、ホントだから。ね……」
「毒気抜かれるわね、マジで」
ルリコはため息をついて、ハンドルを切った。尋問の時間は終わりだ。
バンは堂々巡りを抜け出して、また、このどうしようもない状況からの打開策を探して町をうろつき始める。
「アンタがそうやって、気持ちをチャンと言えるとこ、尊敬する」
どこに向かえばいいのかわからない。中心街は完全に戦場と化していて、クルマで乗り入れるのにはムリがある。あそこに西町の脱出路があるはずなのに。
何か、冴えたやり方を考えなくてはならない。
■
「アタシの元バイト先──暮酒店に向かってくれ」
状況打開のアイデアを出してきたのは、カナタだった。
「下町の酒屋に何の用? 景気づけにビールでも持ち出す?」
「アタシ、センセーみたいなアル中じゃねえから!」
ルリコはバンの方向を転換する。
カナタの意図はつかめないが、全面的に信頼している。
「酒屋の地下に、入り口がある」
相変わらずの荒っぽい運転に振り回されながら、カナタが続けた。
「あらまあ。中年オヤジの隠し部屋ってコト? 悪趣味ね。オエッ」
「はは。アタシも見つけた時は同じコト思ってた」
コンクリートの壁に、巧妙に偽装されたパネル。
その奥から現れた金庫扉とキーパッドと同じものを、カナタは病院で見た。おそらくそれが繋がる先も同じ。西町の地下に張り巡らされた巨大輸送網が広がっている。
バイトを始めたときに「これ」と言ってブンタが守秘義務契約の紙をペロンと持ってきたような気がするが、この際だ。カナタはトボけることにする。
「シャフトに着いたら、レイジを治せる」
頭上を過ぎ去る商店街の看板を見上げながら、カナタは青い瞳を輝かせる。
「レイジが元気なったら──みんなで海だ!」
「そうもいかないみたいよ」
二つの火球が──ジェットを噴き上げる機体が、夜空を切り裂いて飛んでくる。
対物オートライフルを携えた、巨大なヒトガタ。西町防衛の要であるパワードスーツだ。
轟音を響かせて、一機がバンを飛び越える。もう一機はバンのすぐ前に降り立つ。
ズムッ
路面が陥没する。
バンの車体が軽く浮き上がった。
《石動レイジ、イスルギカナタ両名の身柄を明け渡してほしい》
丁寧で落ち着いた男の声で、一つ目の鉄巨人が語り掛けてくる。
しかしその腕はタールの雨の中でライフルを構え、目を焼くようなスポットライトで車内を照らし出す。後背に回った一機も同じだ。
展開したジェットパックから白煙が立ち上る。余熱でタールが焼け付く。その姿は守護者というより、地獄の硫黄を漂わせる悪鬼に近いものがある。
《静かに降車して、我々の用意したシェルターに来てもらおう。残りの二名もこちらで保護する》
銃口は揺らがず、運転席のルリコに向けられている。
彼らの言葉は『お願い』ではない。頭にミュートされた『ぶち殺されたくなかったら』がついている、最後通告だ。
《キミたちの担任──樋口キリエの指示だ。手荒に扱うことはない。安心してくれ》
しかし剣呑なパワードスーツたちのふるまいよりも、そこから転がり出た名前が、彼女たちを憤慨させた。
「はァ!? なにしてくれてんのよあのアル中!?」
「どーいう風の吹き回しだっつーの!」
ルリコが拳を振り上げ、後部座席から身をノリ出したカナタがガラ悪くスーツを睨みつける。聞こえているのかいないのか、相手が答えてくることはない。
西町の出口をほのめかし、数時間前に『外、見て来てきちゃいなよ』とルリコに提案してきた相手だ。
なぜ、ここにきて急に町に繋ぎとめようとするのか。
《『最悪の場合』というものについても指示されている。こちらに従うのが賢明だ》
扁平な頭部に宿る緑色のセンサー光が動き、クルマの後方についた僚機に目くばせした。
「マズいねえ……」
ボタ子が呟いた。
彼らはマジで『やる』人間たちだ。撃つだろう。彼らが訓練されているのは一目瞭然だ。たとえ心が拒絶していても、子供を殺すという選択ができる。
そんな相手が運悪く二人も。パワードスーツに加え、一瞬でバンをスクラップに変えられるライフルを構えて立っている。
ルリコの手が、静かにハンドルを離れる。
「私、思ったんだけど」
彼女はシートにどっかりと体を預け、疲れたように息をついた。
「ここでいったんコイツらに捕まっておく。ってのもテよ」
気絶したように目をつぶっていたレイジが、わずかに体をもたげる。
ルリコはダッシュボードを開け、中を覗く。大量のゴミが押し込まれている。ファストフードの包み紙とレシートの中に手を突っ込むと、乾いた紙が擦れる音がした。
ビダビダビダビダ。
錆びついた商店街の看板から絶え間なく垂れる水が、後部のパワードスーツの装甲を打つのが聞こえる。
「夏は来年また来る。そして海は逃げない。ここで抵抗するなんて自殺行為よ。意地張って命かけて。なんの意味があるワケ?」
「ルリコちゃん、それは──」
「アタシもそう思う」
ボタ子の言葉を、カナタが遮った。
「認めちゃうんだ。アンタがそれを」
「ああ。アタシばかだけど、ばかやる前に必ずアタシの声で聞こえてくんだよ、『マジでやんの?』って」
カナタがぐっと乗り出して、ルリコの横に並ぶ。
彼女の顔を追って、銃口がわずかに動いた。ターゲットの優先度で言うと彼女が上。もしもの場合はしっかり始末しろと、パワードスーツのパイロットたちは言われているのだろう。
二人は、バレルを覗き込む。らせんのようなライフリングの続く先は死の門だ。彼女たちはそれと静かに向き合う。
「今日はどう?」
「バッチリ。『準備してないだのお日柄が悪いだのイイワケして、防衛局に守られとけ』ってさ」
「ハハ。アンタの心の声にしちゃ、トンデモなくマトモ」
《我々にも時間がない。投降しろ。危害は加えない。そちらで苦しんでいるイスルギレイジを処置する体制も用意している》
パワードスーツが、一歩進み出る。
大木が落ちてきたような衝撃がバンを揺らす。
カナタの心もかき乱される。これだけ苦しんで、血を吐いているレイジを無視して突っ走ることが、本当に正解なのか?
彼女は振り返り、レイジを見つめる。
彼を見つめ返してくる。
「カナタ……俺が、この夏で……げっ、うえっ……学んだ、数少ないことがある」
レイジは血の塊を口の中で転がす。
地獄の苦しみだ。『中和剤』の効果が明らかに薄れてきている。あと数分と持たずに再び肺は破れ、心臓は潰れ、そして喉は焼けていくだろう。
その前にどうしても、これだけはカナタに伝えておかなければならない。
「忘れることは、優しいことだ。それをみんなに……強制、する防衛局も、きっと優しい人たちの集まり……っなんだと、思う」
彼が力なく持ち上げた手が落ちる前に、ボタ子が掴み取った。それをカナタのところに導いてくれる。包帯だらけのタールの腕と、傷だらけの不死者の腕。
ふたつがしっかりと結ばれたのを見届けて、ボタ子はそっと離れる。
「お礼ならけっこうだよォ」
いたずらっぽく笑う彼女に向かって、二人は困ったように笑みで返した。
「ここなら……用意してもらった家族と、用意してもらった人生と、作られた
レイジの手に、力強さが蘇った。
「──そんなのクソッタレだ」
「ああ、そうだな。アタシらはなつかしさの中になんていたくない」
カナタの心は決まった。
「確かに夏は、なんべんもくる。アタシが生きてる間も、アタシが死んだ後も。だけどアタシの『今』はこの瞬間にしかない。ココで永遠の足踏みなんてもうゴメンだね」
「決まりね。アンタらがタイクツな決断しなくて、私、うれしいわ」
ルリコはダッシュボードの中から『それ』を取り出した。
キリエが託してくれた拳銃だ。彼女の思いやりで託された秘密兵器を、他でもない彼女の命令で襲ってきたパワードスーツに向ける。
おかしなハナシになったが──おかしなことならもう、この一か月で腐るほど見て、巻き込まれてきた。
「私たちの夏は終わらせないわよ、キリちゃん」
今度こそ、彼女が『めちゃくちゃ』を仕掛けてやる番だ。
■
バキンッ
既に狙いはつけていた。
ルリコは後部座席を向き、引き金を引いた。
パワードスーツを狙った銃撃ではない。銃弾はレイジの右耳をかすめ、ルーフを貫通する。その先にあるものは、長い年月の間にサビ付き、タールの雨がトドメとなって崩壊寸前の、商店街の大看板だ。
初めて撃つはずの銃だが、硝煙のにおいも衝撃も、不思議なほど彼女の体になじみがあった。
しかし首をひねる時間はない。ここからはすべてが激動だ。
雨と闇の中に火花が散る。
彼女の放った銃弾は見事に看板を支えるボルトの一つを直撃し、粉砕した。
ゴアッ
続いていくつも爆ぜた火花は、看板の重みに負けて次々と破断するボルトと千切れゆく電飾の配線だ。
軽自動車ほどもある巨大な看板が、退路を阻むパワードスーツの頭上に落下する。
衝撃──クリーンヒットだ。
それは軍用パワードスーツにとって、取るに足らないダメージだ。
例えるならベニヤの板切れが落ちてきたようなものだが、それを駆るのは人間だ。頭の上に重量物が降ってきて狼狽えない人物など、そうそういない。
そのパイロットもまた、例に漏れずだ。
特殊装甲にブチ当たった看板は中央からへし折れ、壊れる。細かな破片があたりにまき散らされ、地面を覆うタール沼にいくつもの波紋を描く。
《うおッ!?》
スーツの外部スピーカーから音声が漏れ出る。
それは心の底からの驚愕によるものだ。ルリコは決断する。ギアをバックへ。モーターは全開。急速後退、ゴーゴー。
バンの車内は打ち上げ直後のアポロ11号だ。爆発的な加速によって全員の体が前に引っ張られる。
「これから揺れるわ……よっ!」
タイヤをロック。ハンドルを大回転。ギューン。
バンはナイフのように鋭く回転し、方向を転換する。
「もう揺れてる揺れてる! ぐちゃぐちゃだよお!」
ボタ子が珍しく泣き言を口にする。
彼女たちを説得しようとしていたほうの機体は、抵抗の様子を見て取るなりすぐさまプランBに移った。コマのようにくるくる回るバン目掛け、40mmのライフルを躊躇なくブッ放す。
ボンッ──一発の弾が命中。エンジンがめくれ上がった。
ひしゃげたボンネットが空を飛ぶ。しかし、バンは止まらない。鋼鉄の臓器をむき出しにしたまま、黒煙を吹きながらパワードスーツの足元をかすめる。
絡みつく看板を振り払う機体の影に入った瞬間、砲火が止んだ。
緑のセンサーでオートライフルを見つめたパワードスーツは、移動を開始する。射線がバンまで通るように。間に僚機を挟んでは、
「ハイテクも考え物よねえ!」
ぐるんぐるんと凄まじい勢いでハンドルを切りながら、ルリコが叫んだ。
満身創痍のバンはタールをかき分け、あちこちにハイビームの光を投射する。ルリコの巧みな運転で、バンは射撃を許さない位置取りを続ける。
スピーカーからイラ立った舌打ちを響かせて、スーツがライフルを乱暴に投げ捨てる。
その腕が手首から真っ二つに割れる。中から現れたのは三枚の刃を並列に配した対戦車チェーンソーだ。凶悪なエンジンのうなりを響かせながら、擦れあう刃が火花を迸らせる。
「おっと──工事現場で見たわね、それ!」
さんざんルリコが弾避けに使ってやった方のパワードスーツも、うなりをあげるチェーンソーを展開する。当たればこんなオンボロ自動車を一瞬で粉みじんにするようなシロモノだ。
万事休す──しかし、ルリコの顔から笑みが消えることはない。生まれてはじめて、思いっきり暴れて暴れて暴れまくることを許されたのだ。
「首、ひっこめて!」
そして、彼女がクルマのヘッドライトを向けた先は──すぐ横の、シャッターの下りた呉服屋。
「え、ちょ、ルリ──おああッ!?」
カナタの悲鳴を尾のように引いて、バンが建物に突っ込んでいく。
《逃がさん!》
そこに振り下ろされるチェーンソー。
「うひゃあっ!」
リアパネルをチェーンソーがかすめた。
ボタ子は、いままで背中を預けていた座席が丸ごと剥ぎ取られて灰色の塊になるのを見てしまった。金属を引き裂く刃の響きが、車内に満ち溢れる。
「はは──あははっ────あはははは!」
レイジでさえ冷や汗を流している状況で、ルリコだけが笑っている。
旧型らしくパワーだけはいっちょまえのじゃじゃうまバンは、パワードスーツに尻を叩かれて勢いがついたように見えた。そのまま呉服屋に突撃する。
クルマはシャッターを薄紙のようにくしゃくしゃに踏みつぶし、ベージュ色の台風となって店内でクルリとスピンする。ありとあらゆる布地がルリコの作り出した暴風の中で舞い散る。
そして、暴れ狂ったバンがピタリと止まった先。
「おい、ウソだろ……」
呆然とするカナタのつぶやきが、ルリコ以外全員の内なる声を代弁する。
壁だ。
そこにはただ、壁がある。となりの店に通じているであろう、一枚の壁が。
「カナタあ」
モーターを空ぶかししながら、ルリコが鋭い歯を剥いた。
「アンタの心の声、今なんつってる?」
「『頼むからマジでやめてくれ』」
「なるほど。じゃ、やってみましょ」
ルリコの声が妙に静かで落ち着いていた。
それが、かえってあわれな同乗者たちの恐怖を刺激する。
もうダメだ。コイツを止めることなんてできやしないんだ──カナタの手はこの後に待ち受ける修羅場を悟り、シートを鷲掴みにしていた。
今の状況をジェットコースターに例えるなら、まさに一番高く上り詰めた場所。
あとは、最高の落下を味わうだけだ。
ガチョッ。踏み潰すようにルリコがアクセルを踏んだ。
「うあああ、かんがえなおせえええッ!」
カナタの悲鳴に一ミリの関心も示さないまま、バンは無慈悲に加速し、壁に激突する。
ゴッ──ウン。全員の首がガックンと揺れる。砕け散る壁。舞い踊るコンクリ。そこはもう呉服屋ではない。そのお隣、とっくの昔に閉店した雑貨屋の店内だ。
からっぽの陳列棚をなぎ倒しながら、バンはむしろ加速する。
さっきエンジンを撃たれた拍子に勝手に動き始めたカーステが、一つの局を探り出す。深い波音を思わせるノイズは、少女たちの悲鳴に煽り立てられるように、徐々に鮮明な像を結び始める。
そして、流れ始めたものは、
『THEE MICHELLE GUN ELEPHANT/GT400』
弾けるようなギターの旋律が、暴走するバンの車内に満ち溢れる。がむしゃらで、どこかなげやりさを感じるような男性ボーカルが、彼女たちに語り掛けてくる。
──I want the motorcycle
こんな状況でのんきに動いているワイパーを、真横から走ったオレンジ色の光が消し飛ばす。外の通りから、パワードスーツが銃撃を始めたのだ。
──青っぽい夜明け近く
──そいつまたがるんだ ガソリンはのこりわずか
「撃たれてるぞお!」
「わあってるわよ! 仕方ないでしょ、こっち逃亡犯なんだから!」
二人のお嬢様が優雅に怒鳴り合う間も、バンは激走する。軒を連ねる店たちの壁をどんどん突き破り、一直線だ。
左右から必死のボタ子とカナタに捕まれてガクガク揺すぶられ、半死人のレイジの頭がボブルヘッドのようにシェイクされる。
ルリコが大きく口を開け、歌に追従する。
──400の黒いヤツで
「いいわね、クルマって」
「暴走しないヤツはな!」
──トンネルは続くのさ
──どっかいっちまえばいい
刻みつけるようなギター、こそげる銃弾。みんなの悲鳴。レイジの呻き。そしてルリコがハンドルを叩いてリズムを取る音。バンは文字通り一直線に、フミオの家、そして町からの脱出経路である『暮酒店』に向かっていく。
「ほらレイジ、アンタも歌いなさいよ! 私達カラオケいけなかったんだから!」
何もかもを粉砕して突っ切る怪獣ルリゴンが、振り向いてレイジに手招きした。
破砕と粉砕の破壊の連続の中に、彼女のハミングが聞こえてくる。
──Oh, yeah
──Ah-huh-huh-huh
──Oh, yeah
アルティメット危険運転の真っ最中に彼女の片手がハンドルを離れたのを見て、ボタ子のノドがひゅっと音を立てた。
──サボテンの毒バリで おれは死ぬのさ
「さぼてんの……どくが……」
喉の奥に錆の味が広がり、肺が悲鳴を上げていた。まさに今ナノマシンの影響で全身引っ掻き回されているレイジは自問する。俺は新型のギャグに巻き込まれているのか。
しかしルリコはバンバンとハンドルを叩きながら、アクセルを全開する。
バンは応える。どんな壁も、今の彼女たちを阻むことはできない。
──I want the motorcycle
「まったくもう!」
──青っぽい夜明け近く
「こんな時にマリコがいたら、もっともーっと楽しかったのに!」
──そいつまたがるんだ ガソリンはのこりわずか
「『んぎゃーっ! 死ぬッスー』とか言っちゃってさあ!」
銃撃は止まない。黒い雨と鉛の二重奏のただなかを走り抜ける彼女たちを、疾走感に満ち溢れたギターが祝福する。
ルリコは妹の顔を思い描く。ネコのように目の大きな少女が、からっぽの助手席の上で体を丸め、ルリコにくっついてくるのが見えるようだった。
「あいつが騒いでたら、『ばかねえ。アンタの命、私が背負ってんのよ。そう簡単に殺してやるワケないでしょ』って私も返してちゃってさ!」
パン屋から八百屋。家電量販店からコンビニ。あらゆる店の内臓をひっくり返して走る間、パワードスーツの姿が視界の端に常にあった。
窓の外の黒い雨の中を、ジェットの炎を吹かして死神がついてくる。
しかし、彼らの鎌は──40mmの死の口づけは、一発として彼らを捉えることができない。いたずらに町を打ち抜いて、焦がして、壊すだけ。
不可思議なほどのすばしっこさを見せるバンを前に、次第に、パワードスーツの動きにも戸惑いが見えてくる。
「…………アイ・ウォント・ザ・モーターサイクル!」
いつしか、ルリコは大声で歌い始めていた。
その声が、時折震える。
「アイ・ウォント・ザ・モーターサイクル!」
泣けないルリコの苦しみを、泣けなかったレイジはよく理解できる。
海までおあずけ。そう言ってしまったから、ルリコは泣けない。叫べない。だから歌うしかないのだ。泣くように、叫ぶように、今はもういない、マリコのことを想いながら。
「どっか……行っちまえばいい……!」
絶え間ない銃声の中で、彼女の声は不思議とよく通った。