海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.ディープ・ディープ・ブルー(2)

 雲がうなっていた。

 灰色の空を透かして、光の筋がいくつも差し込んできている。その下でたゆたう海は黒い絹のように、音も無く波打っている。

 見渡す限り、海と、浜しかない。

 ひどく、さびしい場所だった。

 

「カナタ?」

 

 レイジは気づくと、ビーチで、一本の杭のように立ち尽くしていた。

 

「ルリコ?」

 

 きょろきょろ見渡すが、友人たちの姿は見えない。そもそも、どうやって地下数千メートルからこんな場所に移動したのか。

 とにかくここは『自分のいるべき場所ではない』──レイジが一歩踏み出すと、

 

「やみくもに歩き回ると、まいごになっちゃうよー」

 

 背後からの声に、彼は振り返る。

 

「きみは……」

 

 砂浜に錆びたベンチがある。いきなり出現したようなベンチに、少女が腰掛けている。

 悪夢の登場人物。レイジを導き、この瞬間に連れてきた、張本人。

 灰色の空、灰色の海、灰色の風に──灰色のワンピース。ぼろを纏い、体の半分以上フジツボに覆われた少女は、深海で腐食した一体のマネキンのようだった。

 

「やっほ。落ち着いて話せるのって、なんだかとっても久しぶり」

 

 少女がベンチの隣を叩いて座るよう促すが、レイジは凍りついたように動けない。彼女は、困ったように笑った。

 

「とうとう死んじゃったね、レイジ」

「そうか。俺は……」

 

 不死者が死ぬ。

 とんでもないことが自分の身に起きたのは理解しているが、明確な死の瞬間の記憶はあいまいだ。

 肺がとろけ心臓は硬化し、無呼吸で脳細胞がプチプチ音を立てて潰れていくのを、超再生力でゴリ押しして動き続けていた。

 もうろうとして、辛くて苦しくて──でもさびしくは無かった。常にカナタの存在を近くに感じていたからだ。

 

 ザザァ……

 

 たった一度、波の音が聞こえた。海が『ここにいるよ』と、語りかけてきたようだった。

 ここは穏やかだった。だからこそレイジは焦る。彼が身を置き続けると決意したのは、地獄の苦しみの中だ。カナタたちを助けなければ。

 

「あそこに戻りたい。死んでる場合じゃないんだ」

「うん…………そうだよね……だけど」

 

 少女は前に屈んで、頬杖をついただけだった。

 

「……レイジの頭が、全部なくなっちゃった」

「それがどうした。今だってこうして──」

 

 そこでふと、レイジは不思議に()()。思考するためのパーツをナノマシンで焼灼された自分が、どうして普通に話し、思い悩むことができるのか。

 

「レイジは体全てでレイジなんだよ。私が大事に守ってるから、そう簡単にキミの『にんげん』が無くなることはない。だけど、それも限界がある」

「限界……」

「ね、レイジ。さっき町中でクラスのみんなが死んでから、ずっと思ってた。こんなのフェアじゃないって」

 

 少女はベンチから立ち上がった。

 次の瞬間、錆ついたベンチはボロボロに腐食し、その場に崩れ落ちる。灰色の板切れの塊には目もくれず、彼女は手を伸ばす。

 レイジが触れた彼女の手は、濡れていて、ふやけている。

 

「私の目的。話さないとだ。それは──正しく生まれること」

 

 彼女はまさしく水死体なのだ。レイジはそう直感した。

 少女のほうも、彼の驚いた顔を見て、考えていることを悟ったようだ。自分がここにいてレイジと話していること自体に気後れしているような表情を浮かべた後、ふっと笑って手を引く。

 

「正しく生まれるためには、まずは正しく死ななければいけない」

 

 濡れた砂に、二人の足跡が刻まれる。次の瞬間には波に洗われて消える痕跡を懸命に刻印しながら、彼女たちは無限に続く浜辺を、当て所も無く歩き始めた。

 

「私はレイジに殺してほしかった。きみに、産んでほしかったんだ」

 

 彼らの真横で静かにたたずんでいた海が、急に荒れ始める。空は黒く染まり、いくつもの稲妻が空気をつんざいて、海面を穿つ。

 黒曜石の山脈のような黒々とした高波を割って『それ』が現れる。

 

 でかい──一目見た瞬間、その言葉だけで思考が埋め尽くされる。

 

『それ』が顔を出した分だけ、海の水が減ったような錯覚を覚えるほど。海という壮大で莫大なスケールの前でちっとも霞まない、その大迫力。

 

「あれが『水神様』だよ」

 

 少女が指差す先で、怪獣が浮遊しはじめる。

 そのシルエットは巨大なクジラ──というには異様過ぎる。放射状のヒレと、長大な体。そして不釣合いなほど小さな頭部。

 空を覆う大きさというを除けば、アオミノウミウシに酷似していた。

 落雷が、体表にいくつも直撃する。怪物にとってはどうでもいいのだろう。海水の雨を降らせながら、二人の頭上を悠々と飛び去っていく。

 

「もしくは──『ニッシーくん』と呼んだほうが、レイジには馴染みがあるかな」

 

 ■

 

「レイジっ……寝てるんじゃねえっ、さっさと起き──」

「カナタ!」

 

 バアンッ──

 

 ルリコが近くの棺桶の陰にカナタを突き飛ばすと同時に、一発の銃声がシャフトの空気を引き裂いた。

 

「ちいっ……」

 

 フミオは、苦々しい顔をしていた。

 彼が握った大型拳銃は、天井へと向けられている。致死ナノマシン弾に貫かれた化粧板は、紙が焼けるように、フチの方から赤く焼けて灰になっていく。

 彼はそれで、友人を撃った。

 

「おい、背骨──」

 

 彼の頼れる頭の同居人は、答えない。ガキンチョらしくどこかへフラフラ遊びに行ってしまったのか。彼女が大事に思うレイジを撃ち殺したことで、愛想をつかしてしまったのか。

 彼は、己の右腿を殴りつける。何度も何度もだ。

 

「くそ、くそ……おい、ルリコ。動くんじゃねえ!」

 

 銃を構えなおそうとしたルリコに向かって、フミオが叫んだ。

 タガの外れた男の持ったリボルバーは、彼女にまっすぐ向けられている。向こうが一秒早かった。

 ルリコはわずかに逡巡し──持った拳銃を、床に滑らせる。

 こうして彼女は丸腰になった。残されたものといえば、わずかに栄養状態が改善されたその身一つ。

 

「話を……しましょうよ」

 

 両手を挙げつつ、今度は彼女が交渉を持ちかける番だった。

 

「ハ。俺の声はもう飽き飽き、だったんじゃねえのか」

「仕方ないでしょ。そっちが銃持ってて、私は銃捨てた。なるべく長生きできるように色々したいのよ」

「へえそうか──カナタ!」

 

 物陰から這い出たカナタがルリコの拳銃に手を伸ばしたのを見て、フミオが鋭く咎めた。

 

「バカ……」

 

 ルリコは目を瞑り、眉間にしわを寄せる。しばらく隠れてりゃいいものを、どうしてこの子ってトモダチ思いなのかしらね。

 

「出てきて、ルリコの隣に並べ。ゆっくりだ。ヘンな素振り見せたら撃つ」

「こんな包帯ぐるぐる巻き相手に、ズイブンけーかいするんだな」

「並べ」

「分かった。その代わりレイジの傍にいさせろ」

 

 フミオはちら、と足元のレイジを見た。

 この不死者はもう死んでいる。真っ赤な頭の断面は再生の兆候を見せず、気分の悪くなるような赤色にまみれている。

 彼は顎をしゃくった。手を頭の後ろで組むよう言われたカナタは、そのとおりにする。レイジの傍に跪くと、彼女のこめかみに銃口が突き付けられた。

 顔の包帯が解けて歯茎がむき出しになった、怪物のような顔で彼女がにらんでくる。

 

「くそったればかフミオのあんぽんたん」

「お前の口の悪さ、こういう時に聞けると安心するぜ」

 

 銃口がねじ込まれる。カナタはうめくが、それはただ痛みのせいだ。恐怖はそこにない。

 

「いたかったか、レイジ」

 

 彼女が恐れるものがあるとすれば──それは、レイジと離れ離れになることだけだ。

 彼女は目の前にあるものを死体だとは思わない。

 ヒーローはいつでも絶望のフチから立ち上がって、戦ってくれる。彼女はただじっとして、それを待つだけだ。

 

「ルリコ」

 

 銃のシリンダーを、フミオは指でなぞる。

 

「なによ」

「こんなときにイカれてると思うかもしれないが……お前は、幸せになれ」

「なんて?」

 

 ルリコの表情がこんがらがる。

 まだ焼け付く火薬の熱さが、彼の指を焦がす。麻酔を貫通して骨まで届くその温度に似たものを、彼は覚えている。

 屋上の手すり。

 事故にあったその日に、レイジと炎天下で語らったことを思い出す。

 

「俺はこれから防衛局でのし上がってみせる。オヤジにできなかったことをドンドンやってのけて、きっとここを、お前のための理想郷(ユートピア)にしてみせる」

 

 ズンッ──揺れた。

 シャフトの中を突き進む何かは、明らかにこの部屋を目指している。そのことにフミオも気づいている。

 だが彼にとって、大事なのは目の前にいるルリコだ。

 ルリコに幸せになってほしい。あの屋上で語ったことは、徹頭徹尾、すべて本心だ。

 

「町に残れ。全部忘れろ。そして、幸せになれ」

「お断りよ。故郷に残っても何も無い。私はノスタルジーに惑わされない。それに──何も決断できないアンタの作る世界なんて、誰も幸せにできないわよ」

「あァ!?」

「いてえん……だけど!?」

 

 カナタは、押し当てられる銃口の重さで顔をしかめる。

 銀髪の中にぐりぐり突っ込まれつんつんされて、これじゃ撃たれるよりも前に銃身が貫通して頭蓋骨に穴が開きそうだ。

 

「やってんだろうが、選択、決断ッ! てめえ、目ついてんのか」

 

 と、フミオは足元のレイジを軽く蹴った。カナタのうなり声に、明確な敵意が混じる。

 

「俺は撃った。レイジを、ダチを撃ったんだ。この上なにを俺に望むっつーんだ。俺はオトナなんだ。恥ずかしい子供は卒業したんだ──」

「せんたくう?」

 

 ルリコの冷たい笑いが、フミオをえぐった。

 友人に銃を突き付けられて、おまけに両手は頭の横。そんな状況で、彼女は小ばかにした笑いすら浮かべている。

 フミオといっしょにカナタまで、あっけにとられていた。

 

「あのね……アンタよく私に『フラれた』って言うでしょ」

 

 銃口を押す力が薄れて、カナタはおずおずとフミオを見上げた。彼はもう、それをとがめたりしない。

 唇が、わなないている。

 彼の『決断』とルリコとの関係にどんなつながりがあるのか謎だが──もっとも触れられたくない場所に、彼女がタッチしたのは明らかだった。

 

「──私、アンタをフッてなんかない」

 

 激震が、彼らの足元に降り積もった塵を浮かび上がらせた。もう、すぐ上にまで来ている。

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