海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.ディープ・ディープ・ブルー(3)

 暴風と潮水の雨の中で、レイジは空をにらみ続けた。

 あくまで少女が呼ぶところの名前だが──『ニッシーくん』が黒い雲海を出たり入ったりするたびに、気流の向きが変わる。

 それが、まるで大陸のような巨体を翻して、とうとう空の彼方に消えていくまで、レイジはポカンと口を開けて見送ってしまった。

 

「あれが、海にいるのか」

「いる。七年前──じゃないね。何億年も、ひょっとすると、何兆年も前から。これが()()()なのか、私にも分からない」

 

 黒い波で洗われた浜辺を、再び少女は歩き出した。

 彼女は七歳の体つきなので、歩幅は当然狭い。レイジが我に返って追いかけると、すぐに彼女の横に並んだ。

 

「いいなあ。オトナってデカくて。私もしたいよ……成長」

「きみはまだ子供だ。これからだろ」

「うーん。私って生まれたとき……じゃないな。誕生日ってのがないんだけどさ。えと……気がついたときから、ずっとこの姿だった、みたいな?」

 

 レイジは、押し黙る。

 彼女は自分を『生まれていない命』だと言った。

 彼の手のひらを擦る無数のフジツボは、彼女に寄生しているわけではない。バラバラの人体のパーツでしかない彼女の体に根を張り、繋ぎとめていてくれる。

 虹彩が砕けているのも当然だ。彼女は砕けた姿で、この世に放り出された。()()()()()()()の視線で、世界を見れないのだ。

 

「この状態、終わりにしたいけど……あの怪物が海にいる限り、私は身動きできない。だからレイジに殺してほしい」

「あれを、か……」

「そう。しっかり、二度とあれが、人を殺すことがないように」

 

 レイジは振り返る。

 黒く湿った浜に転々と残された彼の足跡は、フチが白く輝く黒炎を立ち上らせている。万物を終わりに導く力。すなわち『終結因子』。

 たとえここが少女の作り出した夢のような空間であっても、きらめく反物質は彼にすがり付いてくる。

 俺を忘れるな。俺を使え。使って壊して終焉を運べ──そう、言われている気がした。

 

「さっき、きみは俺に殺してほしいといったな」

 

 暴風にもてあそばれる少女の髪が、ピタリと動きを止める。

 レイジの一言がトリガーとなったよう、空間の動きが死ぬ。風、波、雲のめぐり。雨粒でさえ空中に固定され、ぎこちなく振り返る少女の、儚げな笑みを万華鏡のように反射する。

 

「……あー。言っちゃったね」

「怪物を殺してほしい。きみを殺してほしい。つまり、それは──」

 

()()()()()()()()()()レイジが最後まで問う前に、少女は弱々しく頷いた。

 

「そう。私の魂、みたいなものが、アレと一体になってる。ホントやだけどね。フミオの体に埋め込まれるより」

「フミオに?」

 

 そこで、レイジは思い出した。今はピンチだ。現実では彼の頭が吹き飛び、脳みそが飛び散った部屋の中でカナタとルリコがフミオと睨み合っているはずだ。

 しかも、彼の手には死の銃弾をおさめたリボルバーが握られている。

 

「きみ」

「分かってる。ここからが大事。これからレイジに残ってる全部の再生力を使って、きみの体を治してあげる」

「そんなことが?」

「できるよ。ただしこれは無茶に無茶を重ねてその上ズルを噛ませて、命を担保に三十分だけ寿命を延ばすものだと思って」

 

 つまり、世界最強のムチャクチャ、というわけだ。

 秘密兵器の発表のように胸を張って話す少女も、笑みが引きつっている。これは、彼女にとっても大きな賭けなのだ。

 

「まともに活動できるのは、多く見積もって三十分。その間に、レイジは……」

「フミオを倒す。『中和剤』を手に入れてナノマシンを克服する」

「そう。それだけがきみと、私が生き残る道」

 

 ──私が『生きる』なんておかしな言い方だったかな。

 そんな皮肉を言って肩をすくめようとする少女の頭に、レイジの手が乗る。彼は砂浜の上に跪き、彼女の瞳を覗き込んだ。

 

「わ。なんだなんだ」

「ありがとう。それだけあれば、十分だ」

「……たぶん。経過時間でいったら私のほうがおねえさんだぞ。七歳児のくせに」

 

 彼女は唇を尖らせたが、レイジの手を、振り払うことはない。

 思えば彼は変わった。七年間、死んだ魚の目をして鉄骨を殴り続けていた男が、やわらかく笑って、ジョークまで言えるようになった。

 人を、好きになれるようになった。

 彼がこれからも変わっていく姿を──カナタと幸せになれるところを、少女は見守り続けたい。

 

「海の底はもうたくさん。ここで終わりなんて、イヤだよ」

「ああ。俺もだ。最後まで旅をしたい」

 

 少女はそっと、彼の手を握る。接続がなされる。()()()()()()()()慣れ親しんできたものだ。

 どこをどうすればオーバークロックできるか、完全に理解している。

 

「アタマの急再生の反動で、記憶が少しあいまいになるかもしれない」

 

 ひそかに恐れていたことを、少女は口にする。

 

「カナタちゃんの顔を忘れて、また、あのときみたいに襲い掛かってしまうかもしれない」

「そうはならない。俺は、カナタを傷つけないと誓う」

「うん……」

 

 そう呟く少女の顔は、あまり晴れ晴れしくない。

 レイジは、その理由を探っている余裕が無い。彼女に握られた手を介して、自分の持つ再生力の仕組みが書き換えられていくのを感じる。

 そのひとつひとつを、遠く離れた場所で倒れている自分の死体に適応させていく。

 感触で分かる。新しい彼の再生は、まさに花火だ。爆発するように再生して、燃え尽きるように命をくべる。

 その途方も無い仕様に目を白黒させていると、意識が、もとの体の方に引っ張られるのを感じる。目覚めの時は近い。

 

「あのね、レイジ。私がきみにあげたものは『憤怒』じゃないの。ほんとうは──」

 

 それは、最後まで聞き取れなかった。

 レイジの視界は白く染まり、やがて、失っていた五感が、激しい揺れとホコリの臭い、そしてA-6500シャフト最下層のどうしようもない湿気を感じ始める。

 イスルギレイジは、再起する。

 

 ■

 

「私、アンタをフッてなんかいない」

 

 遠雷にも似たとどろきを上げ、シャフトが振動する。

 フミオの心は、もっと激しく揺れていた。一年前の苦々しい記憶。フミオが、ルリコの幸せを願うようになったきっかけ。

 決して触れてはならぬと──無言のうちに二人が決めた、タブー。

 

「アンタさ、私の家のこと知ったあと、逃げたじゃん」

 

 人間とはこんな顔ができるものなのかと、カナタは驚く。

 ルリコは無だった。切れ長の目にウェーブした黒髪。ミニアチュールを思わせる、端整で、浮き立つような美貌。

 それだけ持ち合わせた美人から、今は何も感じることができない。

 イラ立ちも怒りも悲しみも、不幸を嘆く気持ちすらない。彼女は『アグリルリコ』という皮を被った虚無そのものだ。

 封じられた過去を語る彼女の心には、小波ひとつ立ってはいない。

 

「救世主気取りで私と付き合って。でもビビって、尻尾巻いた」

「ち──」

「何も言わずに関係消滅。次にクラスで会った時、どうして私、普通に声かけたのか自分でも分からない」

「──がう」

「アンタ、全部そんな感じ。選択じゃない。保留して停滞して、流れ着いた場所を『結果』って言い張ってるだけ」

「違う!」

「違わねえわよッ!」

 

 絹の幕を引き裂いて刃先が突き出すように、ルリコが虚無で覆い隠した怒りが、一瞬だけ姿を現した。

 彼女の怒声で金属製の棺のフタがビリビリ震え、上階から響いてきた振動でさえ、つかの間、ピタリと止んだ。

 イラ立ってあたりちらしていたのは、この熱の副産物にすぎない。

 今、ルリコは真の怒りを開放したのだ。

 

「町のため、友達のため、私のため──アンタいろいろ言ってるけれど、一歩も踏み出してない。クレフミオ、いつまで自分の夢に不実でいるワケ!?」

「俺は──があッ?!」

 

 がぶり。

 フミオが悲鳴を上げて、飛び上がる。

 彼の右手に、カナタがぶら下がっている。それも口の力でだ。彼女はどんなピンチでも、隙あらばタマに噛み付いてくるような女だ。

 フミオの意識と銃口がそれた瞬間、サメのような歯を彼の手に突き立てたのだった。

 

「が、ああ、あああああ! テメエ、クソッ、今はこんな──」

 

 フミオは左手を振り上げ──それでカナタを打ちのめすという決断ができない。彼に選択なんて、何もできない。

 ブンブン振り回すカナタの口の中から、パキパキ音がする。脆くなった歯が砕けて、折れているのだ。

 殴られること。撃たれること。二度と生えない歯がグズグズに砕けること。カナタは全部覚悟の上だ。

 その決断の重さと大きさ──目の前で彼女が、数メートルの壁をヒョイと飛び越えていったようだった。フミオは立ちすくむ。

 

ひゃっひはへ、ふひほ!(やっちまえ、ルリコ)

「オッ──ケェーッ!」

「あああああああっ!」

 

 駆け寄ってくるルリコを見た瞬間、フミオの中で何かが爆発した。

 彼が乱暴に振り払うと、ボキュっと音を立てて、カナタの体が飛んだ。フミオの手の甲に突き刺さった数本の白い牙と、赤いよだれ。

 今の彼にあるのは焦りだけだ。

 来る。ルリコが。彼が向き合いたくなかった過去を引っさげて、拳骨ひとつ振りかぶって襲ってくる。こちとら拳銃持ってるってのによ──

 

「ルリコぉ!」

「しゃらくさいのよ!」

 

 フミオが狙いを定める。銀のバレルの先で、ルリコの姿が残像になる。

 

「あ?」

 

 彼女の気配が、フっと消えた。

 目の前にいる。しかし、目で捉えることができない。あたりに転がった残骸の中を影のように駆け抜けてやってくる彼女を、フミオの脳が像として処理できない。

 

「な──お前、なんなんだよ!」

「なにかしらね」

 

 薄い軽蔑を孕んだセリフがフミオの耳をくすぐった。

 

 背後──? 

 

 銃を手に振り向くフミオの右腕──その肘をルリコが捕らえて、両手でひねる。ぐしゃっ。恐ろしい音がして、つんざくような悲鳴が部屋を駆け抜けた。

 仰向けに倒れていたカナタは、恐る恐る、顔を上げる。

 

「が……あ……!?」

 

 フミオの右腕が、肘の辺りから曲がってはいけない方向に曲がっている。

 彼はわからない。ただ麻酔を貫通して神経を引きちぎるような激痛がそこにあって、それを投げつけてくるルリコという女が目の前にいて……なにも、決められない。

 

 何も選べない。

 

「おま──!」

「言ったはずよ。西高の生徒会長は最強で無敵。だって」

 

 たたらを踏んで下がろうとするフミオだが、ルリコは彼が一歩下がる間に二歩詰めてくる。離れられない。彼はこの湿った部屋で、永久に彼女と踊らなくてはならない。

 フミオの口から、空気の塊が吐き出される。

 ルリコの肘が彼の胸板に突き刺さっていた。

 

(銃──)

 

 フミオは思考する。オヤジからもらった銃。あれがあれば──いや、もうダメだ。彼の右腕が破壊された瞬間、取り落とした。

 今ルリコの足の間に頭を突っ込んで銃を拾い上げる度胸なんて、この世のどんな男にも持てるはずが無い。

 よって後退。

 ブザマなまでの後退。

 影のように張り付いていたルリコの足が、ピタリと止まる。これ幸いと距離を離しつつ、フミオは残った左手で腰から下げた鞘を探る。

 

 ズッ──フミオが、大振りなナイフを取り出した。

 

 そのナイフでもって、即座に反撃。

 

「くっ!?」

 

 だが、ルリコのスピードの前では何もできない。

 彼がナイフを振りかぶるより早く、素早く前進したルリコが懐に入り込んでいた。

 フミオの手の中から、ナイフのグリップが消える。まるで手品だ。彼が『あ』と思った時にはルリコの手の中で銀色の刃先が翻り、彼を向く。

 

「あぎっ」

 

 またもや麻酔でごまかしきれない痛みが、右肩に走る。

 

「返す」

 

 ナイフは彼の肩に、根元まで埋まっていた。

 彼は瓦礫に踵をとられそうになりながら、フラフラと退がっていく。

 視界が激しく揺れ足元がおぼつかない──彼の血が床に染み広がる。さっきまであった“オレならやれる”という根拠のない自信が、そこに混ざって消えていく。

 

「入学式のこと、覚えてる?」

 

 アグリルリコ、一年越しの三行半。

 彼女は元カレを刺すのに使った左手を、じっと見つめる。薬指の根元にある半月型の縫い跡は、開放骨折を治療したときのものだ。

 懐かしく、もう、戻れない時間の思い出。

 

「私は素手で、アンタとレイジをブチのめした──ホントにマジで今まで、私に勝てると思ってたの? 銃とナイフだけで?」

 

 口の端からよだれをたらし、右腕を押さえて立っていることしかできないフミオに、彼女は語りかける。

 終わりだ。ゴングは必要ない。明確に、フミオは彼女に勝てない。

 前歯の欠けたカナタは床にへたりこんだまま、名実ともに西高最強無敵となった生徒会長の姿を見上げることしかできない。

 彼女の膝元で倒れたままのレイジの指先が、カリ、と床を引っかいた。

 

 ■

 

 ルリコはリボルバーを拾い上げる。テープで封印された弾が、まだいくつか入ったままだ。

 壁際まで退いていったフミオの荒い息遣いを聞きながら、彼女はこの兵器のおぞましさに戦慄する。

 不死者を殺す銃弾。そして、それを作り出したムナカタという男の想念に思いを馳せれば馳せるほど、自分と、そこに染み付いた技術に寒気を覚える。

 

 同じだ。ルリコは心の中で呟いた。

 ヨシやザワちん、なによりボタ子の駆使する格闘術と同じものを、彼女も焼き付けられている。

 

「やべえ……」

 

 呆然と見上げてくるカナタの言葉が、そのままルリコの感想だ。

 ヤバい。そして、気色悪い。あの三人がムナカタと『代理』の尖兵であるのなら、ルリコもやはり、どこかであの男と繋がりがあるのだろう。

 部屋がガタゴト揺れ、アンバランスに棺に乗っていたフタが、ガランと音を立てて転がる。ここに長居はできない。

 ルリコはリボルバーを分解し、シリンダーを開放する。

 

「フミオ、逃げていいわよ」

 

 黒い銃弾が床を打つ。

 これで終わりだ。ルリコはからっぽになった銃を、フミオのもとに放った。カッ、カッ、カーッ……ステンレス製のボディに新しい傷を刻みながら、リボルバーが滑っていく。

 足元にきた銃に手を伸ばすフミオの動きは、老人のように弱々しく、緩慢だった。

 

「おっかけて足蹴にしたりしない。私、アンタと違うから」

 

 フミオの返事は、ない。床に両膝ついたまま、魂が抜けたような顔で血だまりを見つめている。

 そんな彼を前にルリコはもう言葉をかけない。

 最後まで何も選び取れないヤツだった。哀れだが──今は、もっと別のことに意識を裂きたい。

 

「カナタ、ナイスバイト」

よはっはは(よかったなあ)

「ぶっ」

 

 振り向いたカナタを見て、思わずルリコは吹き出してしまう。止血のために丸めて口に突っ込んでいたジャージの袖を吐いた彼女は、見事な歯ッ欠け(はっかけ)だ。

 元の顔が怜悧で鋭い印象を与える分、前歯が三本無くなった姿は、ギャップが大爆発している。

 笑っちゃいけないが──ノーリアクションはルリコの流儀ではない。

 

「ぶっ……ははは、あはははははッ! なあによ、アンタ、バカな小学生みたいな顔してー!」

「うっせえなあ、アタシ死ぬ気で……うっ、口閉じてても舌がスースーして最悪なキブン……」

「あはははは!」

 

 暗く冷たいシャフトの底に、弾けるような笑い声が満ちていく。

 その中に、一本のナイフが抜け落ち、床を打つ音が混じった。

 

「あっきれた。まだやるの?」

 

 フミオだった。彼はもう、丸腰だ。

 折れ曲がった右腕で『中和剤』の入ったバッグを抱え、もう片方の手で見せかけばっかりのボクシングスタイルで構える。

 彼の強化服は、肩の切れ込みから大きく裂けていた。

 

「──ンだよ、そりゃ」

 

 むき出しの胸元から脇腹に沿って走るラインを見て、カナタが眉間にしわを寄せた。

 

「手術。した」

 

 言葉少なく答えて、フミオもまた、自分の体を見る。それは大蛇が皮膚の中を這い回ったような、奇妙な跡だった。

 縫い目の下で、時々何かが動く。細長い、節くれだったもの。まるで背骨のような──カナタは、はっとして、部屋の中央を見る。

 そこには空っぽの支柱が、焼け焦げて傾いている。

 かつてそこには、とある子供の脊髄が納められていた。そして、それはフミオの裏切りと共に持ち出され──

 

「まさか、オマエ……」

 

 気味の悪い妄想だと、カナタは思いたかった。

 口に出すのもおぞましい。というか、そんなコトしちゃって大丈夫なワケ? なんか……エーセー面とか……リンリとか……いろいろな考えが、一瞬でごちゃごちゃとカナタの脳裏を駆け巡る。

 彼女の口からはどれひとつとして、問いが発せられることは無い。

 ただ、不気味だ。フミオが別の生き物になってしまったようだった。

 

「そうだ。オヤジに聞いた。これが、武器の使い方だと」

 

 フミオは頷くだけだ。彼の拍動に合わせて、また、手術跡の下でモゾリと何かが蠢く。

 

『使う、ねえ。こんなコドモのことを。へえ。ふうん』

 

 彼の傍の棺に、いつしか少女が腰掛けていた。

 今度はカナタにも、その姿が見える。フミオとカナタだけが表情を険しくするのを見て、ルリコが首をひねっている。

 

「なあに、それ」

「こいつがレイジと同じ力──『終結因子』を無理やり目覚めさせるんだとよ。オヤジがお守りにって」

「ウチもヒトサマのこと言えないけど……イカれてるわね、アンタの家」

『そうなんだよね。コイツ、イカれてるよ』

 

 血みどろになってるフミオの横で、少女はあくびをかく。

 棺の端から垂れてブラブラ揺れている白い足が、なんともけだるげだ。張り詰めてぐちゃぐちゃになって、すべてがひっくり返っている部屋の中で、彼女だけがノー天気。

 

「オマエ、どっちのミカタだよ」

 

 思わずカナタは口走る。

 

『そりゃもう、レイジとカナタちゃんだよ』

「あ?」

 

 次いで眉をひそめたのはフミオだった。

 

「ただの背骨が、裏切る気か? 引きずりだしてやってもいいんだぜ」

『口ばっかいっちょまえだね。そんな決断できやしないくせに』

 

 ほら──と、少女が床を差した。二人につられてそこを見たルリコが「あ」と声を上げる。

 レイジの体が、動いていた。

 むき出しになった首の断面が盛り上がり、力強いリズムで組織を修復していく。拍動だ。ナノマシンに焼かれた心臓までもが、活動を再開している。

 フミオの顔が真っ青になる。起きる。かつての親友、そして今の死神が再起しようとしている。

 

『ほら。レイジが立つよ、フミオ。ガバって。お前なんかひとひねりだ』

「レイジぃ……ふえっ」

 

 カナタが鼻をすする。

 細まった瞼の向こうで、青い瞳が潤んでいる。彼なら戻ってくると信じていた。そでも、家族だ。相手が不死だろうが無敵だろうが、心配だった。

 

「困ったわねえ、フミオ。で、次の手は?」

 

 腰に手を当てたルリコが、半笑いで顎をしゃくる。そんなものあるはずが無い。

 父親が託した『生きてる死体』。終結因子のトリガーであるはずの少女は、足をパタパタ口元はニヤニヤ。

 

「おま、背骨ヤロー、てめえッ」

『ははん』

 

 謀ったな、このやろう──ドクン、ドクン。フミオが顔を引きつらせる前で、真っ白な頭蓋骨が再生する。

 彼の手足に力がみなぎり、その手が、床を掴む。

 まだ五感のほとんどが壊れたままにもかかわらず、彼は立ち上がろうとしている。そのとき、自分はどんな目に遭わされるのか。フミオは足がすくみそうだ。

 

「さ。アンタ逃げるなら今の──」

 

 ズムッ

 

 勝ち誇ったルリコの声を打ち消して、天井が一メートルほど降下した。

 傾いていた支柱はストローの袋のようにくしゃっと潰れ、四人の頭上に剥がれ落ちたパネルと、ケーブルの束が降り注ぐ。

 

『お、おわっと』

「カナタ!」

 

 棺がグラつき少女が手足をバタつかせてバランスを取るのを尻目に、ルリコはカナタを抱きかかえて、跳ぶ。

 破裂。

 一瞬の間をおいて、天井が完全に崩壊した。

 

「レイジっ!」

 

 コンクリートと土砂、そしてシャフト内の机やイス、あらゆる機材が、数秒前までカナタが立っていた場所に降り注ぐ。

 何百トンという瓦礫の中に、レイジの体は飲み込まれて見えなくなる。それを見たカナタが叫んだが、ルリコにはどうすることもできない。

 

「うおおッ!?」

 

 もうもうと白く舞い上がる粉塵の中に、フミオの姿も消える。

 それでも元気な叫び声だけは聞こえるので、ルリコは内心で胸をなでおろす。彼は不死身の無敵マンではない。ただの、心折れて体もボロボロの、敗北者だ。

 ラストが瓦礫の下で圧死なんて、あまりに救いが無さ過ぎる。

 ルリコとカナタが床に伏せた後も、瓦礫の濁流は止まなかった。軽自動車ほどもあるコンクリートが転がってきて、二人の真横を掠める。

 分厚いホコリのカーテンの中で、彼女たちはただ、一刻も早くこの異常事態が収まることを祈る。

 

「ら ら ら」

 

 ぴくり。顔を砂埃で真っ白にしたルリコが反応する。

 徐々に勢いがなくなっていく瓦礫の流れの向こう──シャフトを貫く穴の上方から、歌うような声が聞こえた。

 少女の声だ。甲高く、そして、どこかうつろ。

 カナタは、自分を抱きかかえたままのルリコの体が、ひどく汗ばんできたことに気づく。

 

「ら、 ら ら ら ら」

 

 声はなおも聞こえてくる。

 どうしてルリコが脂汗をにじませているのか、その体がひどく震えているのか──今ではカナタにも分かる。この声を、彼女は知っている。

 瓦礫の落下が止んだ。

 パラリ……フチから小さな破片を落とす穴の向こうから、光が差している。まるで、雨上がりに差す太陽のような、柔らかな輝きだった。

 それが、ふっとかげる。

 巨大な影が穴の中に姿を躍らせ、彼女たちのいる最下層に落ちてくる。ルリコの喉が、ゴクリと音を立てた。

 

「ら、ら」

 

 答えが舞い降りた。

 見上げるほど巨大だった。果てしない重量を支える四本足が瓦礫を激しく舞い上げたが、不思議と、音はしなかった。

 コンクリートを発泡スチロールのように踏み砕きながらやってくるその足には、蹄がある。ドロリと真っ黒な液体に覆われた体をうならせて『それ』が室内を見渡す。

 

 頭は、無い。

 その代わりに、おおむね楕円を描く胴体から奇妙なものが生えている。人だ。それも少女の腰から上が、何百人という人間の手足が絡み合った肉の塊から突き出ている。

 それは小麦色の肌をしていた。

 豊満な胸を覆うものは何も無い。そこに刻まれた、弾痕のような火傷跡の群れがハッキリと見える。

 黒髪はよく整えられたウルフカットだ。彼女は彼女で、髪に独特のこだわりがある。最近よく話すようになったことで、姉はそのことを知った。

 髪の隙間から、うつろな瞳が覗く。

 琥珀色だったその色は、狂気じみた黄金色を秘めて、光り輝いている。

 

「────マリコ?」

 

 語りかけるルリコの声が、かすれていた。

 

「ら ら ら ら ら ら ら ら」

 

 おおむねウマの姿をした『それ』は溺れるような音で歌い、そしてむせび泣く。地獄の門に降り立った天使は、どこまでも高らかに、その歌声を響かせた。

 

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