海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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9.スタンド・バイ・ミー(1)

 分厚い鉄の隔壁が降りてきて、すべてを世界の外に追いやってくれた。

 無数にひしめく棘皮人間と黒い波。ガラスの騎士に変貌した“つくり笑い”と──彼が手にかけたルリコの『さよなら』も。すべて。

 レイジとカナタは隔壁の前でしばらく立ち尽くし……何も言わず、鉄道輸送網とその先に待ち構えるターミナルを目指して歩き始めた。

 広大な通路には闇が満ち溢れ、蛍光じみた緑色の淡い光を放つライトが彼らを奥へと導いた。

 黄泉の国に通じるような暗いトンネルを歩く間、二人の手は固く繋がれていた。

 

 ルリコが死んだ。

 

 もはや疑いようのない事実なのに、言葉に出してしまうことが、ひどく怖い。

 やがて湿ったコンクリートの臭いは二人の前から消えうせ、強化ガラスが壁にはめ込まれた連絡通路にたどり着く。

 通路から下方を見下ろすと、何本ものレールが通されており、停電の影響で、貨物を満載した車両が停止している。

 もうすぐ町の出口だというのに、感動が無い。何もかもがちゃちに感じられ、列車は子供が遊び終わったあと、片付けられず放り出されたままのミニチュアにしか見えなかった。

 

「手、かしてくれ。ガラスが鋭い」

「ん」

 

 割れた強化ガラスから、二人はコンテナの上に飛び降りる。

 尖ったガラスのフチはヘドロで黒く汚れていた。その持ち主である棘皮人間は、コンテナの上で胸を貫かれて死んでいた。

 カナタがヘドロで足を滑らせそうになるのを抱き留め、レイジはレールの上に降り立つ。

 

「えーと、あーと……どっちだあ?」

「あっち。じゃないか?」

 

 どっちが輸送網の『下流』で『上流』か分からなくなったカナタが考え込む前に、レイジが一方を指差した。

 カナタが見つめたその先は、非常灯すらない。ベルベットのような質感の濡れた暗闇が幕となって垂れ込めている。

 

「マジ? ここでマイゴになるとシャレんならねーぞ」

 

 カナタが眉根を寄せる。

 

「俺の直感がそう言ってる……たぶん。間違いない」

「たぶん間違いないって何パーセントくらいのカクシンだ?」

「あー……ななじゅう、ご……」

「80パーセントくらいって言っとけよ、そこは」

「すまない……実はバリバリにカンで答えた」

 

 カナタの言うとおりだ、とレイジはしょんぼり肩を落とす。

 行き当たりばったりで突っ走ってると、取り返しのつかないことになる。レイジという人格の寿命は残り十分ほど。『やっぱあっちだったか』は致命的な結果を引き起こす。

 

 カナタは闇の向こうをじっと見つめたあと──

 

「ま。アタシはレイジを信じるけどさ」

 

  When the night has come.(いつの間にか夜が来て)

 

 彼の手を再び握って、歩き出す。

 

  And the land is dark.(あたりはすっかり暗い)

 

「レイジのそのカンが、アタシを引き揚げてくれた。息もできない、深い深い、海の底から」

 

  And the moon is the only light we see.(月明かりが僕らを照らしている)

 

 方向を指し示したレイジが、なぜかカナタに導かれて歩く形だ。カナタのサンダルがぺたぺた音を立て、レイジのコンバースがくたびれた摺り足を響かせる。

 

  No,I won't be afraid.(怖いと思ったりはしない)

(おもて)行ったら、レイジ何してえ?」

「とりあえずシャワーが浴びたい。熱いシャワーを浴びて……一週間くらい眠ってから、今日のことで、少し泣くかな」

「ははっ──オマエがシャワー浴びて昼寝して、そんでベソかくって?」

 

  Oh,I won't be afraid.(恐れることなんて何も無いんだ)

 

 カナタは笑って、レイジの手を離す。レールの上に飛び乗って、バランスを取る。ピンと両手を真横に伸ばして、彼女は危うげに振れる。

 だが決して倒れることはない。

 何度も体制を崩してフラついて──しかしレイジはもう、その背中に手を添えたりはしない。

 彼女はどれだけ傷ついても、どこまでも一人で歩いていける。

 そしていつか、その足で『海』に辿り着くのだ。

 

  Just as long as you stand.(きみがいるから)

 

「ヘン、だろうか」

「──いいじゃん。変わったな、レイジ」

 

  stand by me.(僕は歩いていけるんだ)

 

 クルっと振り返った彼女の貌は、闇に縁取られて見えない。

 闇は彼女の腐った体を優しく包んで補ってくれる。レイジに見えるのはただ、燃えるような青い瞳だけだ。

 それが、細められている。彼女が笑っているのが分かる。

 

  So darlin',darlin',stand by me,oh stand by me.(大好きなきみに、傍を離れてほしくない)

 

「カナタは何がしたい?」

「アタシは……アタシは歯医者だな」

 

  Oh stand,stand by me.(ただ傍にいてほしい)

 

 スーッ、ハーッ。カナタがあちこち欠けた前歯を通して息をする音がマヌケに響く。彼女が「やっぱ舌スースーするう」と呟く。

 レイジは遠慮なく噴き出すことにした。

 

  stand by me.(僕の傍に。隣に)

 

「はは……はははははっ、すまん、あははははは!」

「ンだよお。へへっ、オマエにも見せてやりたかったぞ。噛み付いたときのフミオの顔!」

「そりゃあ──ケッサクだったろうな」

「ぜってーアイツちびってたぞ。おかげでアタシは入れ歯確定だけどな!」

 

  If the sky that we look upon(たとえこの空が)

 

 野太い笑い声を響かせるレイジの元にやってきて、カナタが彼の胸に触れる。レイジは戸惑ったが、ここは闇の中だ。

 彼の鼓動を確かめるようなカナタに何か言ったりせず、歩く。

 

  should tumble and fall.(砕けて降りかかってきたとしても)

 

 カナタもそのままついてくる。

 ためらうような、少し恐れるような吐息が、カナタの口から漏れた。

 

  Or the mountains should crumble to the sea.(山が砕けて、海に飲みこまれたとしても)

 

「レイジは歯がない女、いや?」

「言ったろ。俺はどんなカナタでも好きだ」

 

  I won't cry, I won't cry. no,I won't shed a tea.(泣いたりしない。怖くない。何も恐れない)

 

 今度はレイジが、カナタの手を取る。

 自分の持てた『好き』がどんなものなのか、彼はまだよく分からない。でもおそらく──好きなのだ。

 彼女の前で好きと何気なく口にするだけで、レイジは背中が熱くなって、言葉が詰まる。これはナノマシンなんかより、ずっと彼にとってたいへんな問題だ。

 

  Just as long as you stand, stand by me.(きみがいれば、どこまでも進んでいけるんだ)

 

「……ん。アタシもレイジのことが好きだ。この好きってのは──」

 

  And darlin',darlin',stand by me, oh stand by me.(愛するきみに、離れてほしくない)

 

 カナタが口ごもる。その沈黙が漂うと一気に闇の中が居心地悪くなる気がして──レイジは隣のレールに勢いよく飛び乗った。

 いきなりのことに、カナタがバランスを崩しかける。

 

  Oh stand now,stand by me,stand by me.(一緒にいよう。いつまでも、どこまでも)

 

「おわっ、とお!?」

平行(パラレル)だ。カナタ、このまま歩けるか?」

「ばっかにすんなよォ。見てろ、オマエよりも早いかんな、アタシ!」

 

  And darlin',darlin',stand by me,oh.stand by me.(僕が望むのは、きみが隣にいることだけ)

 

 とは言うが、手を繋いだままで早いもクソもない。結局のところ二人の足取りは仲良しで、同じところに、同じスピードで向かっていく。

 トンネルの先がほのかに明るい。

 この穏やかな闇はあと少しだけ。うっすらとした腐臭と、血の香りが鼻に届く。それは風に乗ってやってくる、遠い潮の匂いにどこか似ていた。

 まだ言い足りないことがあった気がして──カナタは考え、そして、それはすぐに言葉となった。

 

  Oh.stand now,stand by me,stand by me.(それ以外は何もいらないんだ)

 

「レイジ」

「うん」

「フミオを殺すな」

「……なぜ」

「難しいと思うけど。アタシだって、いろいろ考えちゃうけど。でも、血まみれでスタート切ったら、きっと絶対に幸せにはなれないと思う」

 

  Wheneber your're in trouble won't you stand by me.(きみがいれば、どんな夜でも乗り越えられる)

 

 カナタの顔から、闇が剥がれ落ちていく。

 薄明かりの中、包帯ぐるぐる巻きで片目は塞がり、頬は裂け、前歯があちこち欠けた少女は──この世のどんな花より美しく、彼に笑いかけた。

 

  Oh,stand by me.(離れないでくれ)

 

「そんなことより、たっくさん楽しいこと考えよう。クスリでオマエのビョーキ治して、海行って……アタシの水着、見せてやっから」

「それは、楽しみだ……」

「アタシ、おっぱいでかいし。ぜったい見ごたえあるぞお」

「知ってるよ。触ったし、顔も埋めた。こんな暗いところで」

「はっ」

 

  Oh,stand now.(ずっと一緒だ)

 

 えろがきが。カナタがぐいっと手を引っ張ってきたので、レイジはレールを踏み外しそうになる。

 口で笑いを奏でながら、レイジの心境は複雑だ。

 カナタを好きという気持ちが本気(マジ)なのと同じくらい、フミオを殺したい気持ちも真剣(ガチ)なのだ。

 ルリコからすべてを奪った。どんな事情があろうが、彼の憎悪はそれで燃える。

 

  Oh,stand.(ただ傍に)

 

「フミオをどうするかは、考えておく」

「ああ。しっかり考えろ。オマエの人生だ」

 

 

 

 

 

  ──stand by me.(だから、どうか──)

 

 

 

 

 

 

 二人はどちらからともなく、手を離した。

 目の前でさっと闇が拓け、あたりは焼け付くほどの白い照明に照らされていた。

 光に順応し切れなかった目をしばらく覆って──彼らは、言葉を失った。

 その空間の、あまりの広がりと、なにもなさに愕然とする。無数のレールが地面を血管のように這う。

 西町にやってくるもの、西町から去るもの。すべてがこの場に集まる。

 冷凍されたブタ肉がカーテンのように揺れる貨物車のそばをぬけて二人が歩いていくと、やがて、レールの『源流』にたどり着く。

 

 直径百メートルはくだらないトンネルがポッカリと口を開け、すべてのレールの端を飲み込んでいる。その先はゆるやかな上り坂が、果てしなく続いている。

 その前で停車した、巨大な貨物車を見て二人は確信する。

 ここが西町の真の中央──ターミナルなのだ。

 

 ■

 

「遅かったですねェ」

 

 茹だってとろけたような声だった。

 レイジとカナタは、その出所探すのに苦労しなかった。貨物車の前だ。『彼女』の周りには棘皮人間の死体が山と積み上げられている。

 

 カランッ──

 

 そして、ウイスキーの空き瓶も。

 グレーの外骨格で全身を覆ったサイボーグが、反吐と汚泥で彩られた口元をぬぐって立つ。その手の指は、いつも被っている髑髏型のヘルメットの眼窩を引っ掛け、持ち上げている。

『彼女』はそれを、ボウリングのようなフォームでレイジのほうへと転がす。

 ヘロヘロとした手つきで投げられたヘルメットは、あちこちに転がる棘皮人間の惨殺体にぶつかりながら、奇跡的にレイジたちの爪先までやってきた。

 目から光の失せた髑髏は、何も語らない。

 

「あんた……いや。あなただったんですか」

 

 緊張の面持ちのカナタとともに、レイジは顔を上げる。素顔を晒したサイボーグ忍者が、そこにいる。

 

「──キリエ先生」

 

 その名を呼んだ瞬間、レイジの脳裏に幾つもの映像がフラッシュバックした。

 教壇。酒瓶を抱えて目を細める笑顔。白木のカウンター。そして今、目の前で魔物の真っ黒な体液にまみれたサイボーグ。

 

「いや白々しいですね、今更!」

 

 ブオエ、とゲップをかまして、キリエはブレードの刃先で床を突く。そこに転がるのは硬質なガラス装甲で身を固めた一体の棘皮人間だ。

 さっき隔壁に閉じ込めた“作り笑い”かとも思ったが、違う。

 ロングヘアーのように長いヴェールが頭部から垂れ、だらしなく広がっている。こちらは“うそ泣き”だろう。

 よく見るとターミナルのあちこちにあるタールの水溜りに、その触手がつながっている。

 町の出口を守るキリエ相手に奮戦したようだが──結果はごらんのとおりだ。

 

「あのねえ。先生の正体、めちゃくちゃヒント出してましたからね。ほんとにギリギリのヒントばっかり」

「すんません。分かりませんでした……カナタ、どうだった?」

「アタシもわかんね。せんせ、ヒントヘタクソかよ」

「ズコーッwwwwww」

 

 コッテコテのリアクションを取りながら、キリエは常に無表情だった。生徒を、ドン底から立ち直りつつある若い芽を、目の前で摘み取られたのだ。

 彼女のセンサーはとうにオーバーフローし、今ではただの機械に成り下がっている。

 イスルギレイジ、そしてカナタの町脱出を阻止する、最強のサイボーグ兵士だ。

 同じ空間にいるだけで薄皮をカミソリで撫でられるような殺気をものともせず、カナタが前に進み出る。

 

「アタシらは町の外に行きたい。レイジのクスリよこせ」

「ダメです。海諦めるならあげますけど」

「俺は海を見たい。カナタに海を見せてやりたい」

「ダメでーす。キケンすぎまーす」

 

 彼女は平行線を引く。ハナシは終わりだ。

 

「……じゃ、始めましょ」

 

 キリエは無表情のまま、ブレードの刃先をレイジに向ける。彼がとっさにカナタを背後に庇っても、今の彼女にほほえましさを感じる機能は無い。

 刈る草が、風に揺れているだけだ。

 

「マジか、キリちゃん。こんな風になっちまうのかよ」

「はい。なんかもう全部面倒だし。レイジくんのオツムリセットも時間ギリギリでヤバいでしょ。世の中なんでもファスト化ですかんね」

 

 無数の殺気が、彼らに注がれていた。

 キリエが合図したのか、白い防護服に身を包んだ兵士たちが貨物車の影から続々と現れる。数が多い。二十──それ以上。

 その上アル中のクセに戦士としての素養に満ち溢れたキリエの直属だ。普段西町の住人としてニコニコ生活している彼らだが、銃を持つと昆虫になる。

 相手は高校生の男女ということを十分承知の上で、彼らの銃口は決して下がることが無い。そのマガジンに満載されたナノマシン弾が放つ異様な気配を、レイジは察知している。

 

《手ェ貸しますか、姉御ォ》

 

 ノッソリと姿を現した巨大な白いパワードスーツが、気だるそうにマシンガンを担いでいる。

 パイロットのクセがそのまま動きに出ているのか、皿のように扁平な頭をポリポリと指で掻くしぐさに、カナタは見覚えがあるような気がした。

 

「いらないよ。私の教え子だ。私がケリつける」

《そうすか──ヤすねえ。ガキの家出にマジになる大人って》

「殺すぞ」

 

 ぞわっ。首筋にイヤなものを感じたカナタがレイジを見上げる。

 彼はキリエから目を離さず、静かにうなずいて返した。彼の腕には脂汗が浮き、天井の照明の照り映えが、ビッシリ浮かんだ鳥肌を象っている。

 

「…………余計は言わないんだろ。なあ、トメさん」

《俺は副官として。つーかオトナとして、あんたのブレーキしてるだけすよ》

 

 パワードスーツのパイロットは飄々と構えているように見えるが、実のところは分からない。

 レイジには分かる。あのキリエが、全開で殺気をむき出しにした。今あのブレードが振るわれなかったのは奇跡のようなものだ。

 肩をすぼめたパワードスーツが頭の上で指をくるくる回すと、空間に、かすかな衣擦れの音が響く。

 兵士たちが銃を納めたのだ。ここから先手出し無用──それは、キリエとの激突の時が目の前まで近づいたことを意味している。

 レイジが深呼吸する。ケジメだ。始める前に、やっておかなければ。

 

「ひとつだけ、いいですか」

「はい。手短に」

「ルリコは生きてて──あのあと、勇敢に死にました」

 

 ブレードをもてあそぶキリエの手が、ピタリと止まる。

 

《嬢ちゃん……なんだよ。あんないい顔しといて、結局死んでんじゃねえか》

 

 外部スピーカーを切り忘れていたのだろう。思わず漏れ出た呟きがブツっという音とともに途切れると、パワードスーツは沈黙する。

 黙祷のような静寂を引き連れて……キリエはゆっくりと天を仰ぐ。

 シャフトの下部で再会したとき、彼女の心臓は確かに止まっていた。キリエに埋め込まれたセンサーが告げた、あまりに正確で、残酷な事実だ。

 そこから彼女が息を吹き返したのだというなら、それは紛れもなく彼女の強い責任感がなした奇跡なのだろう。

 

「そうか……なんて、子だ……」

 

 無表情。無感情ではない。

 

『……ゲームをしましょ。私と先生、どっちが長生きできるか』

 

 祭りの夜に、彼女と交わした約束を思い出していた。

 透析サボって自殺しようとしていたキリエを喧騒の中で助け出したルリコは、とある約束を持ちかけてきた。

 約束はいい。終わるまで、つながっていられるから。

 

『勝ったやつが、先に死んだやつのことをボロクソこき下ろす。全力で。周りがドン引きするくらいに』

「は。はは……こんな時にか」

 

 アルコールと悲しみと怒りでなにがなんだか分からなくなって混沌とした脳みその中は鉄カゴのようだった。

 キリエはのけぞってのけぞって、それをぐしゃぐしゃと両手でかき乱す。

 死んだと思ったルリコは生きていて──そのあと、もう一度死んだ。勇敢に。自分の意思で死を選択した。

 最高の教え子だった。向こうはどう思っているか分からないが、キリエの誇りだった。

 

「約束、ですからね……」

 

 キリエはあたりを見まわす。まったく、彼女(ルリコさん)は最後まで段取りがうまい。絶好のタイミングじゃないですか。

 

「────やれやれ。落ちこぼれのヘナチョコが。おかげで全部ムダ足じゃねーか」

「「……は?」」

 

 天井を仰いだまま、アッハハと大声上げて笑いだしたキリエに、冷や水のようなレイジとカナタの声がぶっかけられる。

 実際のところ、冷水を浴びせかけられた気分だったのは彼らのほうだったろう。このダメ教師は、教え子の死を悼むどころか──

 

「まったく。ああいう育ち悪いのはやっぱダメだわ。死ぬな生きろと大口叩いておいて、いい死に場が見つかったらテメーからさっさと気持ちよく死んじめーやんの!」

 

 超硬質セラミック製のインプラントが砕けそうだった。

 キリエは歯を食いしばって、必死にバカにした笑顔をつくろい続ける。本心と真逆のことを吐けば吐くほど、ルリコとの思い出が蘇ってくる。

 

「ハゲに下げたくねー頭下げて……親権剥ぎ取って……やっと自由になれるって時に、何してんだ、あのバカ娘……」

「キリちゃ……てめえッ!」

「なんですかあ。そっちもどうせ一ヶ月の付き合いでしょ」

 

 ブレードの先が、円を描く。

 丸書いてチョン。最後のチョン、でカナタの喉笛を指す。

 

「イヤなトコ見えるヒマもなかったからねえ。いいですよねえ。美しいうちに全部終わって」

「先生」

 

 レイジの右腕が、燃え上がる。反物質の炎が彼の瞳に反射し、揺らぐ。彼の憎悪は即発性だ。

 

「相手してやるから、そのクソみたいな挑発をやめてくれますか」

「てめーのクソ憎悪を煽るにはいいハナシだったろ」

 

 静かに前進を開始した彼からカナタが離れる。

 彼の悪意は、その反物質は世界を蝕む。そばにいるだけで、危険だ。リュックを抱えたカナタが貨物車の影に隠れたのを見て、キリエが背後にあごをしゃくる。

 

「ヘイヘーイ、これ、見えてないワケじゃないっしょ?」

 

 四本ものレールをまたいで走る巨大な牽引車と、そこに連結された何両もの荷台がある。

 

「この先のトンネルは町の外殻をぐるぐる回って地上を目指す、五十キロの螺旋階段だ。アシがなけりゃ、突破はムリだよん」

 

 キリエの言葉を受けて、レイジの纏った炎が勢いをなくしていく。うまい位置に立ったものだ。

 今のレイジが反物質を使えばキリエといえ苦戦は必至。しかし彼女はガチだ。兵を退かせたのはあくまでこだわりであって──獲物に手番を渡してやる気はさらさら無い。

 

 ボコッ──シャツに覆われたレイジの左肩が大きく隆起し、そのまま突き破る。

 現れたものは乳白色のウロコが無数に連なったものだ。彼の肉体はフジツボを生やし、装甲となすことができる。

 一つ一つは薄く脆いが、重ねることでかなりの強度を発揮する。

 

「おやおやァ。盾とは悠長ですねえええ」

 

 キリエの体が前に出──

 

「ちっ!?」

 

 その姿は霞み、十数メートルの距離を一瞬で詰めた。

 そこはレイジの懐の中。当然彼女が求めているのはハグではない──血だ! 

 

 レイジの左腕の表面をチリチリとした痛みが走り、頬を刃がスリ抜けていく。

 驚いた彼が斬撃の圏内から飛びのくのを尻目に、キリエは刃をふるって、血を落とす。ブレードの表面に走る銀の液体が血と混合し、焼け付くような音を立てて白煙を上げた。

 

「ナノマシン……」

 

 レイジが脂汗をぬぐう。

 頼みの綱の炭酸カルシウム装甲は一撃で切り開かれ、赤黒い肉が露出している。そこからジワジワ浸透して体を蝕むのは、彼の全身を駆け巡る痛みと同じものだ。

 

「そうだ。キミは、キミという人格はコイツのせいでもうじき排出される。守ってるばかりじゃ勝てないぞ。攻めて殺して奪え、イスルギレイジ」

 

 レイジが、構えなおす。

 

「ま。勝たせるつもりなんてさらさらねーけどな」

「なぜだ、先生」

「なぜ?」

 

 首をかしげるキリエめがけてレイジは突撃する。

 どの道彼女との戦いは超近接戦で決着をつけねばならない。残り少ない命を燃やし、再生力を全開にする。

 戦車装甲にすら穴を穿つレイジのストレートをかわし、キリエは紫電一閃。切り上げる刃が、彼の右腕をハネ飛ばす。

 切り株のような断面から噴き出す鮮血がムチのように宙を舞う。腕は切れてない。血液で接続されている──まだ! 

 

「ははっ」

 

 キリエが鼻で笑う。

 血液と、ポンプの動きでレイジの腕が引き戻される。逆ロケットパンチだ。その爪は反物質を帯び、白く輝いている。

 キリエは、背後から側頭をひっかくように迫った爪を難なくかわす。彼女の前でバチーンと音を立てて、レイジの腕が接合された。

 

「靴ヒモマジック以下だな、がっかりだ」

 

 限界の限界の限界、ギリギリまで命を振り絞った絡め手が、キリエに効かない。

 しかしレイジに失望は無い。無限の再生力はこのためにある。有効打が見つかるまで壊して壊れ続けるだけだ。

 

「なぜ俺たちの邪魔をする」

 

 レイジは右腕に傾斜させたカルシウム装甲を生やし、キリエのブレードを受ける。彼女の刃は装甲の表面を削りながら滑る。浅い。

 

「ガキはすぐ死ぬっつーのをまざまざ見せ付けられてね」

 

 装甲はナノマシン汚染され、端の方から焦げるように腐食する。

 レイジは一瞬の逡巡もなく手刀を構え、前腕ごと切り落とす。大量の殺人ナノマシンを含んだ血袋をつかみ──キリエの顔面めがけて投げつける! 

 

「俺は死なない。カナタも死なせない」

「ガキはウソつきだ! 見ろ、現にキミの『にんげん』は死にかけてるぞ!」

 

 浴びればサイボーグですら危ういナノマシン血液を、キリエはかわしもしない。僅かに体を退いてブレードを鞘に収める。

 かすかなビープ音を聞いた彼女はすばやく抜刀する。

 氷点下に冷却されたブレードが瞬きのうちに何千回と空中を走り──投げつけられたレイジの腕が、真っ白な霧となって消滅する。

 

「ナノマシンの働きは0℃以下で急激に落ちるッ!」

 

 キリエが深く踏み込む。突きがくる。レイジは急速に腕を再生成する。問題ない。間に合う! 

 

「どうだ、キミも瞬間凍結してみるか、イスルギレイジ!」

「やってみろ、ヒグチキリエッ!」

 

 まっすぐ突き出された白刃をレイジは受け入れる。みぞおちに深々とブレードが突き刺し、脊髄の一部をブラ下げながら背中を突き破る。

 だがダメージは少ない。ナノマシンの侵食で彼の胴はすでにスカスカだ。

 キリエが「む」と声を上げ、ブレードを引き戻しにかかるが抜けない。レイジの両腕が広げられ──クワガタのアゴのように勢い良く閉じられる。断頭だ。しかしキリエはアッサリとブレードを手放し、飛びのく。

 

 ゴギュッ──閉じる力のあまりの強さで、レイジの両肩が脱臼する。慣れた痛みだ。二秒あれば治せる。

 キリエ相手の二秒が致命的であることに目をつぶれば、問題ない。

 

「あ、そうだ。カナタさんを殺そう」

 

 キリエの手首から、細いコードが伸びている。つながる先はブレードの柄。手放す寸前、巻きつけられたパラシュートコードを解いて結びつけたのだ。

 

《うわ、アレやべえわ。ものども、下がって下がって》

 

 思わずパワードスーツの男が発した声が響く中で、キリエがグンとコードを引っ張った。

 レイジの筋肉は一級品だ。何をブラ下げたって決して緩むことはなく──今回はそれが、完全にアダとなった。

 

「ぐああっ!?」

 

 ブレードごと、レイジの体が宙を飛ぶ。お祭りのヨーヨーだ。彼の視界の中で天と地が何度も入れ替わり、ターミナルの風景がクリーム色の残像に変わる。

 巨大なコンテナの上に叩きつけられる寸前、その影に潜んでいたカナタと視線が交錯する。

 

(えー、じょうだんだろ……)

(俺もそう思いたいが……)

 

 開いた口が閉じないカナタと、遠心力でアゴが外れたレイジ。甲高い風切り音を立てて彼女の頭上を過ぎったレイジが──落着。

 

「おわあああっ!?」

 

 あまりの衝撃でカナタが宙に投げ出される。

 キリエの全力で振り回されたレイジの落下は小規模なクレーターを生み出した。金属製の床が数メートル陥没し、レールがV字に折れ曲がって穴に飲まれる。

 コンテナが横倒しになる中、二次的な衝撃が空気を劈く。

 

「いいか。キミがふがいないとカナタさんは死ぬッ!」

 

 レイジの体にブレードはまだ突き刺さったまま。キリエもコードを握ったまま。巨体が穴から強引に引っ張り出されると、クレーターは盛り上がって山になる。

 血の塊になったレイジは再び空を飛ぶ。

 

「ぐっちゃぐちゃのデロデロにされて、死んじまうんだぞッ!!」

 

 飛んだら落ちるしかない。

 爆音を立てて床にレイジが突き立ち、車両が、レールが、コンテナが、紙細工のようにあたりに散らばっていく。

 あれほど冷徹に構えていた兵士たちがわらわら逃げ惑って、彼女から離れていく。腹を食い破られた魚のように裂けたコンテナから、大量の鉄骨が流れ出る。

 

「うあっ」

 

 腰を抜かしたカナタの前で烈風が吹きすさび──くぐもった音と、大量の火花が散る。

 

《近くは危ねえよ。あんまり髪にこだわりがない方のお嬢ちゃんよ》

 

 キック一発で鉄骨の流出を押しとどめたパワードスーツが、急な飛行で焼け付いた背部のブースターをチリチリ鳴らしていた。

 男の声にわずかな震えがある。

 

《ちょっとヤバかったよなあ。今のなあ……》

「あ、あんたどっちの味方だよ!」

《どっちもこっちもねえよ。坊ちゃんは脱走者だし、正義ってんなら完全に今の姉御のモンじゃねえしさあ》

 

 拳をハンパに振り上げたカナタとパワードスーツは、示し合わせたように戦場に目を戻す。

 

「カナタさんを殺しちゃおう! キミがお外に行く理由がなければ──」

 

 キリエとレイジは一本のコードで結ばれ、円盤と化していた。

 際限なく湧き出すレイジの血液で床を血びたしにすることに飽きたキリエは、ハンマー投げの要領で彼をブンブン振り回す。

 レイジの黒、反物質の白、血の赤とコードの青。カラフルな同心円を描く力がピークに達した瞬間、

 

 ブッ

 

 ついにブレードがレイジの腹から引っこ抜けた。

 レイジの巨体は弾丸よりも早く地面と平行にフッ飛び……彼の姿が見えなくなったところで、ターミナルの反対側で白煙が吹き上がった。

 遅れて衝撃波があたりの土ぼこりを舞い上げる。

 破裂音を伴ってやってきた風に髪を煽られたカナタは、パワードスーツの腕に必死につかまってやり過ごす。

 キラリと照明を反射して、ナノマシン刀が跳ね飛んでくる。それをこともなげにキャッチしたキリエは、千切れかかったコードを几帳面に巻いていく。

 

「──キミはもう、傷つかなくて済む。私は子供が傷つくところを見たくないんだ」

「言ってることハチャメチャだろ」

 

 胃もたれするような破壊をまざまざと見せ付けられて、カナタはげんなりしている。

 本気で殺し合ってるくせに、口では子どもを守るって言ってる──たぶんキリエは自分で何してるかよく分かってない。

 

《姉御がマトモな妄言抜かしてる時あったか?》

「ねェな」

《だろ》

 

 そこでカナタは口元を押さえて考える。このままではどうにもならない。キリエは圧倒的で、無敵だ。

 ムチャクチャなオトナが大人気なくキレ回って暴れている。本当にタチが悪い。

 レイジは強いが──この戦いは絶対負ける。

 

「なあ、おっちゃん」

《オニイサン、な》

 

 カナタは横転したコンテナの中を見つめていた。

 運び込まれたものなのか、それともこれから外に輸送される予定だったのか、大量の銃器がケースからハミ出て、転がっている。

 カナタは目の前に広がる超大量の銃器のうちで、一番破壊力がありそうなライフルを手に取って眺める。

 ストックは樹脂製で、予想していたようなヒヤリとした感覚は無い。シンプルな作りで、箱型の、変わった銃身がついていて……とにかく重い。

 カナタはチラっと背後を見た。パワードスーツが腕組みして立っている。ただそれだけで、彼女を止めようとはしない。

 

「……いいのかよ?」

 

 アタシのやること、わかってんだろ。という顔でカナタが男にアゴをしゃくる。

 

《よくねえ。テキに銃渡すのヤバいだろ》

 

 とはいえ、と、間髪いれず男は付け加える。

 

《手出し無用って言われちゃったし……傷心をかさに勝手ばっかやってる姉御はそろそろ、イタイ目見るべきだと思うんだよね》

 

 カナタは銃を構え、遠くに佇む黒衣のサイボーグをスコープで覗いてみる。彼女は自らの巻き起こした業風の中に、黒髪をそよがせている。

 彼女の視線はレイジが飛んでいった方角に固定され、カナタを見つめ返すことは無い。

 見えてないのではなく、見ないのだ。

 殺すと言った教え子を、彼女は直視できない。樋口キリエは根っからの破綻者で、根っからの教師だ。

 ならば、そこに付け入る隙がある。きっとある。

 

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