海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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9.スタンド・バイ・ミー(2)

 タイムリミットだ──

 

 レイジは口元をぬぐう。もう体は限界だ。

 キリエの攻撃の威力は常軌を逸していた。彼は激突の勢いでコンクリート壁を三メートルほど掘り進んで、ようやく止まった。

 

「げっ……ほ、げほっ、げほっ……」

 

 吐いた血が沸騰している。

 ナノマシンの作用だろう。不死殺しのNullifier404は彼の肉体を材料に自己複製し、骨を、肉を分解して煮え立つスープを作る。

 目を閉じて耳を澄ませば、何億というナノマシンが頭蓋骨をギシギシ鳴らしながら中に食い込んでくる音が聞こえそうだ。

 その中には彼の人格が格納されている。

 あと数分──それともとっくの昔に時間切れを迎えた体が、気合で動いているだけなのか。彼にはもう、わからない。

 それでもレイジは立ち上がる。カナタのため、自分のため。進むには立って戦い続けるしかないのだ。

 

「……格の違いっつーのを分かりやすく教えてやったつもりなんですがねェ」

「復習、ですね。今更言うことでもない」

 

 レイジの言葉が壁の穴の奥からキリエに降りかかった。

 脱ぎ捨てられたコンバースが彼女の前まで転がってきて、剥がれた靴底を舌のようにベロリと伸ばして見せる。

 戦闘続行。レイジの意思に、衰えも減退も見えない。

 

「俺は先生には勝てない。七年あれば、さすがに分かる」

「ならどーして向かって来るんですかね。早いトコ白旗上げて中和剤ブチ込まないと、マジで死にますよ」

「はー……話が長いな」

 

 姿を現したレイジがもう片方のスニーカーを脱ぎ捨てながら、ため息を吐きかけてきた。

 キリエの片眉がピクリと動く。見え透いたレイジの挑発を捨て置けない。戦略。挑発。そんな概念と一ヶ月前まで彼が無縁の木偶だと知っているからこそ、彼女は反応してしまうのだ。

 

「先生。俺は時間が惜しい。さっきから肺がうまく動かないし心臓が壊れて爪先が冷たい。いいから早くおっぱじめましょう」

「……このっ!」

 

 キリエの姿が消え、突風が吹き荒れる。床の上を雷光が走る。全力全開でカッ飛部彼女は人間の目で追えない。

 加速のために床を蹴る瞬間、わずかにボヤけた残像が現れるだけだ。

 

「ああ──先生のコトなら、よっく知ってます。だって、家族でしょ」

 

 レイジは頑強な不死者だが、肉体の性能は鍛えた一般人と大差ない。それでも彼はこのショーの主演として最適だ。

 彼の人生は七年しかない。

 血と怒り、そして虚無に支配された七年のなかで、繰り返してきたものがある──何千回にも及ぶ、キリエとの手合わせだ。

 

 ズッ──

 

 レイジの左拳に、深々とブレードが食い込んだ。ナノマシンに塗れた刃は彼の肘近くまで突き刺さり、そして固定される。

 ガツン。キリエが切り込むタイミングを合わせてあえて拳で受けたレイジは、その額を彼女の鼻面に叩き付ける。

 そんなことでキリエはひるまない。

 二人はただゼロ距離で、火花が散るほど鋭い視線を交わす。

 

「強すぎるんです。あんたは」

「は──強くて何が悪いんです、かッ!」

 

 キリエの膝蹴りがレイジの腹を貫く。

 普通なら下腹がつぶれた肉まんのように弾けて絶命する威力を、レイジの腹筋が全力を賭して受け止める。

 頼む。レイジは念ずる。七年彼のムチャを受け止めてきた肉体に、もう少しだけ耐えてくれと懇願する。

 

 ──もう少しでこの人に届くかもしれない。

 

 蹴りで二人の距離が開く。キリエはブレードを構え、レイジはファイティングポーズでそれを迎え撃つ。

 

 

 

 そして膠着。

 

 

 お互い、動かない。張り詰めた緊迫が、地下空間の空気を歪ませていく。

 キリエは超一流の戦士だ。相手が明らかに格下のレイジであれ、安直に仕掛けることはしない。

 

「ねえ~、レイジくうん」

 

 そこでキリエはぐっと顔を近づけてくる。オトナで、強いから。

 だから、余裕のあるトコを見せないと、いけない。

 

「私が強くて何が悪いんでちゅかあ~~?」

「強くなるには理由が要る。ですよね」

 

 潰れてうっすら血を滲ませる腹をさすりながら、レイジがほくそ笑む。無謀なチャレンジャーにふさわしい、不敵で、挑発的な表情だ。

 

「前に先生が俺のこと──あの時は忍者の格好してましたけど。内臓吐くまでボコボコにしてくれたこと、ありましたっけ」

「……それがあ?」

「あの時の言葉、思い出しました。努力と研鑽で、素っ裸から這い上がったって」

 

 数トンの握力を誇るキリエの義手に握り締められた柄がうめくように軋んだ。彼女は笑って、ズラリと並んだ人工歯の列を見せる。

 目の周りがヒクついている。ビンゴだ。レイジは確信する。この話はキリエに効く。

 

「だ・か・ら?」

「先生は、誰を亡くしたんですか」

 

 ズアッ──真顔になったキリエが横一文字にブレードを振るう。狙いはレイジの両目。綺麗に切り裂いて光を奪う一撃だ。

 レイジの左手首が飛ぶ。ガードが間に合った。彼の太い骨の断面でブレードが滑り、狙った場所には届かない。

 

「誰を亡くしたせいでそうなったんですか。それとも、それだけ強くて何もできなかったせいで、七年も酒に逃げてんですか」

「……クソ……!」

「もしかして────俺の姉さんですか?」

「がああああッ!!」

 

 来た。レイジは顔面めがけて突き出された切っ先を見つめる。

 最強のブレードを最強の戦士が操っている。これはきっと、戦艦の甲板だって貫くような一撃だ。

 怒りによってキリエの全身全霊の一撃を引き出したレイジは──

 

 何もせず、諸手を広げた。

 

「ッ!」

 

 すべての音が烈風に掻き消される寸前、キリエが息を呑む声が聞こえた。

 とてつもない衝撃がレイジの全身に叩き付けた。それは空気ではなく、音速で衝突する巨大な壁。

 身に着けたシャツのボタンが弾け、皮膚は裂け、鼻が潰れて瞼が剥がれる。それだけのダメージを受けながら、レイジは顔のすぐ横を見る。

 小刻みに震えるブレードの切っ先は、彼ではなく虚空を貫いていた。

 

「はっ……はあっ……くそ、くそ……!」

 

 空気は止まり、照明が揺れ、レイジの血が一滴だけ地面に落ちる。

 

「先生」

 

 脂汗ダラダラで荒く息をつくキリエを前に、レイジは静かに語りかける。

 

「俺は俺の姉さんじゃない。イスルギレイジだ。重ねないでください」

「知って……ますよ!」

 

 どん。レイジは蹴られて、たたらを踏む。さっきの膝蹴りと比べると威力は無いようなものだ。

 瓦礫で足裏を切り裂きながら、彼は立ち止まって、息を落ち着ける。キリエの背後の様子がよく見えた。彼女の部下たちが横倒しになった列車やタンクの影から、様子を伺っている。

 マシンガンを抱えたパワードスーツがダルそうにしている。

 その足元で、うんしょよいしょヨッコラセ、と細長いものを持ち上げるカナタが見える。

 

「なあに余裕ぶってんですか」

 

 ブレードを構えなおしたキリエは、まだまだ続ける気のようだ。

 

「私の弱点見つけて鼻高々ってカンジですが──お忘れなく。キミじゃ絶対、絶対、ずぇーったい。何があっても私には勝てない」

「そうですね。俺だけじゃあムリでしょう」

 

 レイジの目はすでにキリエを捉えていない。視線は、キリエの肩越し──その遥か後方で、不自然に光る一点を捉えていた。

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「ちいっ!?」

 

 振り向いたキリエがあわててブレードを振った。

 黒い刃の前面で、いくつものスパークの花が咲く。神がかり的な防御を見せながらも、彼女はわずかにうめく。

 微細な針を備えた電極が彼女のスーツの脇腹に突き刺さり、その体内に容赦なく電撃を流し込んだのだ。

 

「ぐ……んだ、これ。クソ……」

 

 ああ、いてえ。酒がほしい──久方ぶりの激痛に片膝をつきながら、キリエは頭の片隅で思考する。

 彼女にとって、銃弾を叩き落すなんて朝飯前の晩御飯だ。それが死角からの攻撃でも、話は変わらない。

 ただ、今の一撃には殺気がなかった。

 直撃の瞬間に感じたのは撃つぞー、という気合だけだ。まるでお祭りの射的に興じるように、ゲーム感覚で彼女に銃をブっ放したイカレポンチが、この場にいる。

 

「うおっしゃーっ!」

 

 誰かなんて、言うまでもない。こんな場でガッツポーズ決めて、飛び跳ねているヤツがいる。

 

「見たかキリちゃん、うあー、いったそ。超イタそ~」

《いいねえ。お嬢ちゃん、防衛局で働いてみない?》

 

 あがが……キリエの口からかすれた声が漏れる。

 恩師に向かって容赦なく引き金を引いたのはカナタだった。彼女が構えた銃の大部分をなす箱型の銃身は、弾の機能も兼ねている。

 発砲すると破けて大量の電極をバラ撒く非殺傷兵器──試験作のテーザー狙撃銃だ。

 

「おい……トメエエエッ!」

 

 隙を逃さずズンズン向かって来るレイジから必死に距離をとりながら、キリエが叫ぶ。

 

「お前私の副官だろうがッ! ぬぁにガキに銃握らせてんだッ!!!」

 

 白色のパワードスーツは緑色のセンサーを光らせてキリエを見た後、足元のカナタと顔を見合わせる。

 そのままスッとキリエを指差しながら──カナタと同時に肩をすくめた。

 腹の立つ、動きだった。

 

《俺さいしょに言いましたよ。「やめてね」って》

「アタシもそれ聞いた。やめなかったダケ」

《ね》

「うん」

「この、クソ──」

「キリエ先生、これで分かりましたね」

 

 今にもカナタたちの方に飛び掛からんばかりの剣幕を見せるキリエを、大きな影が包み込んだ。

 太い指が並んだ素足が、彼女のすぐ前に並んでいる。

 

「あんたが戦ってる相手は俺一人じゃない」

「はっ!?」

 

 キリエが気づいたときには、すでにレイジが目の前にいた。キリエがとっさに身を退く前に彼の右足が霞み──悪魔の左腕を蹴り上げる。

 

 カァンッ──

 

 弾かれた黒いブレードは彼女の手を離れ、弧を描きながら飛んでいくと、積み重なったスクラップの隙間に消えていった。

 

「カナタと一緒に俺は歩いていく……この意味を考えさせてくれたのは先生、他でもない、あんただ」

 

 教え子の前で跪いたポーズで、キリエは奥歯を噛み締める。

 もとからうすらデカい男が、今日はことさらデカく見える。空に彷徨うようだった左手をギリッと握って、彼女は地面に打ち付ける。

 ドムッ。音を立てて、床が陥没する。

 それですら身じろぎしないレイジの前で、キリエはずっと、床を睨んでいた。バイタルが異常値を示している。

 怒りと苛立ちと、んでもって寂しさで、心臓が──爆発しそうだ。

 

「認めるか……認められるか……よ」

 

 何も無かった男が、新しい友を得て、家族を得て、喪失の痛みすら乗り越えて──とうとう彼女の元を羽ばたいていこうとしている。

 彼は変化し、成長した。

 

 それを祝福していたキリエはもういない。だってそうだろ。みんな死んだんだ。

 クラス全員がぐちゃぐちゃの泥になって、生き残ったレイジとカナタも町を出て行こうとしている。それを許してしまえば、キリエは、彼女は、私の元には、なにも──

 

「ふざける、なよ。どいつも、こいつも……!」

 

 ■

 

「バイクとは勝手が違うな」

「ええそらそうでしょ。脊髄に電極ブッ挿して(チョク)でやってますんで」

 

 フミオの折れた右腕は固定されたままだが、今の彼にはもっと巨大で力強い腕がある。

 ぎこちなく持ち上がるギプスまみれの腕の向こうでカーマインの装甲を纏ったマニピュレーターが動く。

 背中に接続されたケーブルをいとわしく思いながら、フミオは不思議な気分だった。機体の外にいるというのに、巨大な着ぐるみに包まれている感覚だ。

 

「……こりゃひでえ突貫工事ですかんね。すぐガタくるでしょうけど、文句はいいっこなしで。こっちゃベスト尽くしてんで」

「そうかあ?」

 

 格納庫の冷えた空気の中で、上裸のフミオは『サマナ』を見上げる。

 怒り狂う鬼のような容貌を冷たいバイザーの奥に隠したパワードスーツも、彼を見ていた。

 今の彼はサマナと視覚を共有している。青味がかった視界の端に、覚えきれないほどの量の武装と、満載された燃料が示されてた。

 

「実証試験機……、だっけか? ライフルにナパームに……いんてりじぇんと……装甲? みんなシッカリしてるだろ」

「じゃなくて、オタクの体の方。特に脊髄は……」

 

 メカニックは手術用手袋を汚物入れにブチ込んだ。

 しわを畳んだような手を振りかぶり、フミオの背を打つ。パチィンと湿った音を格納庫中に広げる彼の背中は、銀色の光をまとっていた。

 外骨格が。

 彼の皮膚を貫き自前の脊髄を抱きしめ、貫き、愛撫するような金属製の背骨が取り付けられている。

 肩甲骨の中ほどには大きなソケットがあり、今はパワードスーツ『サマナ』と情報交換を行う太い灰色のケーブルを咥え込んでいた。

 緊急オペ、どころかDIYノリで切り開かれた彼の皮膚は消毒液の茶色に染まっている。保護のために貼り付けられたオレンジのセロファンが、手術の痛々しさを物語っている。

 

「あの量の麻酔でよく耐えたモンですがね。こっちも最速・最善でした。おかげで坊ちゃんの背中、それネットに流したらそこそこ有名になりますよ。グロ画像で」

 

 実際に彼の背中を開いて切って縫った本人が言うのだから、間違いないのだろう。

 ギリギリ限界だからこそ吐き出されるジョークを聞き流しながら、フミオはもう一度サマナと視線を交わす。

 同じものを感覚して、同じものを見ているはずなのに、まるで別の星の生き物と見詰め合っている気分になる。

 勝手に見限られて倉庫の片隅にしばらく投げ捨てられて、すっかり疑心暗鬼の──宇宙人だ。

 

「んでえ?」

 

 メカニックの声で、フミオはハッとなった。機械と接続していると、自分の中身まで機械に置き換えられていくような気がする。

 サマナが、「おいで」と呼んだのかもしれない。

 

「もっかい最後の確認すけどお。ホンマに局長はオタクの処置にオッケーしたん?」

「ハ……なワケあるかよ」

 

 フミオはサマナに肩をすくめさせてみた。うまくいかず、装甲が擦れあって暗闇に異音と火花が飛んだ。なかなか難しい。

 

「自分のガキにこんなんさせるの、親じゃねっつーの。俺がウソついた」

「でしょうね。恨まれるのはいつも現場の人間だ。せいぜい、しっかりやんなさい」

「なんだあんた。分かっててやったの?」

「似てるから。でしょかねえ」

 

 年かさの整備員はツナギの袖をまくった。フミオはぎょっとする。

 彼女の両手は光り輝いている。それはおぞましいケロイドだった。化学薬品を被って全身ズル剥けになった跡のようなものが、彼女の全身に刻まれている。

 彼女は近くの手すりに掛けてあったフミオのシャツから、ライターを拝借する。

 

「昔はよかった……いんや、そんなこたない。とにかくデカくて広くて、ついてけないヤツを振り落として進んでいくような……恐ろしい時代だったんすよ、七年前の世界ってのはね」

 

 どんな過去があれ、彼女は太陽を見上げるようなまぶしい顔で、タバコをふかす。暗い照明、煙の粒子がきらめく中で、彼女は一人の役者のようだった。

 

「そんな中でオタクの父ちゃん──局長はいっちゃんギラついてて、途方も無くクレイジーな御方だった。あたしゃね、本当にあの人が世界焼くんじゃないかっておもったんすわ」

「オヤジが……?」

 

 いつもニコニコ、自分のハゲネタで毎夜酔客の笑いを取ってるのが、フミオの知る『局長』だ。

 世界を焼く男だなんてとても思えない。

 外で待ち受ける『終わり』と戦うためのレールガンの建造も、ポーズに過ぎなかった。彼は戦争を嫌っている。目の前の老婆が語る彼の姿は、まるで別の平行世界での出来事みたいだ。

 

「サマナを見てるときのぼっちゃんの目はね、あのときの局長そっくりだった……」

 

 そのサマナの目を介して、フミオは自分の姿を見つめる。

 伸びてボサボサのプリン頭を抱えた、クラくて近寄りたくない感じの男がいるだけだ。いつの間にやら病的なやせ方をしていた。

 アバラが浮き、鎖骨の影が冷たい。背中から伸びたケーブルが飛び出た直腸か臍帯のように股座から伸びて──サマナと繋がっている。

 

「だから、いいかなと思いやした。きっと何かするだろう。ってね」

 

 そんな、フミオからすれば『サエない』やつの目つきが、恐ろしかったとメカニックは言った。

 ギラつきというものを、彼は感じたことが無い。

 からっぽだからだ。この手で殺した女に、自分の夢に不実だと言われたのがずっと心にのしかかっている。

 彼が思う(ロマン)を追い求める輝きとは──それはレイジの反物質であって、きっとカナタの青い目だ。

 

「ハ……そっか」

 

 そこにフミオは、手を伸ばしてみたい。彼の動きをトレースしたサマナが手を持ち上げ、天井にブチ当たった手の甲が、ゴリ、と音を立てた。

 

「おネエさん……わりいな。手術とサマナの責任は、全部俺が取るからさ」

「ガキの責任なんて一円の価値もないすよ」

 

 あっさり言い放って、メカニックは注射をフミオに打ち込んだ。造血、麻酔、拒絶反応の抑制。すべてを一本で片付ける、魔法のクスリだ。

 名も知らない老人は何度かフミオの肩を叩く。ちょっと揉んで、また眩しそうに笑うと──工具をまとめて立ち上がる。

 

「ま、だから坊ちゃんも……気楽にやんなさい」

 

 ひどい痛みだ。まるで裏側をライターで炙られるような目を動かして、視覚に直接投影されたコンソールを操作する。

『ブレイクウォーター・04狭真魚(サマナ)』。この機体の名称を記したアイコンから、放射状にいくつものメニューが伸びている。

 90年代からいきなりSFの世界に飛び込んだ感覚を味わっていたフミオは、その中から古めかしい黒電話のアイコンを選んだとき、思わず笑い出しそうになった。

 

「あー……もしもし。暮酒店? 店長いる?」

『おかけになった電話は、ただいま────』

 

 長い呼び出しの後に留守電モードに切り替わったとき、フミオは安堵した。いるはずが無い。分かってる。だから、掛けた。

 地獄のような町の中、酒屋のカウンターで独り鳴り響く電話を思い描きながら、話す。

 

「俺。フミオ。ちょっと、オヤジに話しておきたくて……」

 

 ひょっとしたら最後になる電話の出だしがこんなんでいいんだろうか。フミオは気になったが──深く考えるのをやめた。

 迷うだけだ。

 選べない暮フミオを、そろそろ殺さなければいけない。

 

「オヤジが大事に作ってきたこの町、俺たっくさん考えたけど──やっぱクソだわ、ここ」

 

 ■

 

「センセーッ!」

 

 カナタが撃つ。レイジが殴る。

 激しい十字砲火の中で、キリエは耐え抜く。耐えるどころか──銃撃を意にも介していない。ファーストヒットはラッキーヒットだ。彼女はレイジと拳を交わしながら、片手間に弾を素手で払う。

 

「センセーも言ったろ、この町はクソみそだって!」

「はいそうでーっす! 言いましたけどォーッ!?」

 

 キリエの裏拳がレイジの右頬を直撃する。彼はコマのようにくるくる回りながら吹き飛んでいって、壁に突き刺さる。

 すばやく距離をつめて追撃しようとしたキリエが舌打ちし、飛んできた電極を払う。

 豆鉄砲でも足止めくらいにはなる。カナタはあきらめたりしない。

 

「お前らだって、もうわかってんだろ。ここは泣く人間の存在を織り込んだ、名ばかりユートピアだ。そうだろ。そうだともッ!」

「あんたはこの町を嫌ってた。なぜ今更俺たちを引き止めるッ!」

 

 先にカナタを仕留めようとキリエがきびすを返すと、投げつけられたコンクリート片が彼女の顔面で弾ける。

 瓦礫は煙幕状ではなく、円盤状に弾ける。

 キリエは直撃したのではない。着弾の瞬間、鋭く振り上げた脚でもって、即席の弾丸を蹴り払ったのだ。

 彼女の鋭い眼光が不気味な緑の光を落とす砂塵の中に、レイジが突っ込む。

 

「お前らがどうしようもないガキだからだ!」

 

 レイジは右ストレート。それを見たキリエも右の拳で応える。クロスカウンターの瞬間、レイジの顔がハッキリしかめられる。同じ技、同じタイミングで戦えば、キリエに敵うはずが無い。

 寺の鐘を戦車砲で狙撃したような鈍い金属音が響く。

 キリエは真正面からパンチを受けて微動だにせず、レイジは顔の中身を口から吐きながらヨロヨロ下がる。

 ナノマシンに切り刻まれた脳みそが激しくシェイクされた彼と平衡感覚なんて無縁の言葉だ。剥がれて転がったレールにカカトを取られ、仰向けに転ぶ。

 キリエは彼の顔面めがけ、射突式のスパイクが施されたカカトを振り上げ──そのふくらはぎで青白いスパークが散る。

 

「があああ、いっ──ってえええ!」

 

 激痛をごまかすためにキリエは絶叫する。

 頭に血が昇って、カナタのことを忘れていた。その狙撃がどれほど些細なダメージしか与えられないと知っても、彼女は撃つのをやめない。

 カナタとレイジは二人で一体の最強のクソガキ。片割れがトドメを刺されるのを指咥えて見送ったりはしない。

 

「背伸びして、家出して……オトナにメーワクかけてんじゃねえよッ! バカ娘ッ!」

「ガキはキリちゃんだろーが!」

 

 空気を劈くキリエの怒声を、カナタは真っ向から受け止める。

 

「は……この私がガキだ? てめえ……」

「自分が正しいって決め付けやがって。アタシらのコトバには耳もかさねえ。クソみたいなクソガキじゃねえか、なあ、キリちゃん!」

 

 授業中に軽口叩かれるのも酔っ払って潰れてるところにヘンな祭壇を作られるのも、ヘーキでやり過ごしてきた。

 そんなキリエだというのに、今のカナタの一言は効いた。

 この戦いにおける初の有効打だ。キリエの心臓はもだえ、脳みそがトーフのように崩れる。図星を突かれると、こういう情けないオトナはすぐキレる。

 

「言ったよなァ。私は……キリちゃんじゃねえ。『せ・ん・せ・い』だろうが……」

 

 キリエは青筋ビキビキに浮かせて瓦礫を振りかぶる。

 狙いはカナタ。殺しはしない。ちょっと胸か腹を狙って骨と内臓をブチ砕くだけだ。この町の医療技術は優れている。そこでブッ倒れているレイジが、実験台になったおか──

 

「──いっ、だああああッ!?」

 

 バチュ。キリエの全身をすぐさま電極の群れが刺し貫いた。

 骨が透けて見えるほどの大電圧・大電流を食らって、彼女は床から一メートルほど垂直に飛び上がる。このペースでの攻撃なんて予想してなかった。カナタの使うテーザーライフルは、一発撃ったら銃身ごと交換しなければいけない。

 

「ごちゃごちゃうるせえな。ガキ同士、コブシで語り合おうぜ『キリちゃん』」

 

 ま、アタシはコイツ使うけど──カナタはライフルを構える。すでに新しい銃身が装着されている。

 キリエですら不可能なほどの早業だ。

 パッケージを破り、レールに装着し、安全ピンを抜き、射撃。このステップを瞬時に終わらせるには少なくとも数人の助手が──

 

「あ、こっちできました」

「あんがと。すぐ使わせてもらうな!」

「あいあーい」

 

 ──助手が、カナタにいる。あれ? 

 

「おい、お前ら、このォ!!」

「あ、やべ見つかった」

 

 コッソリとカナタにライフルを手渡していた女性兵士が「へへ」と力なく笑った。近くで銃身を換装していた数人が、引きつった表情でキリエを見返す。

 

「お前ら裏切るのかッ! この私を、隊長だぞ、エラいんだぞ!」

《エラいヤツがガキいたぶってエツに入ってんじゃねーですよ》

 

 キリエの腹心の部下、というか腐れ縁の何でも屋が、パワードスーツ越しに頬をかく。

 彼の足元は兵士たちがせっせと働いている。

 キリエのためじゃない。脱走者で裏切り者の、少女と──彼女が心を繋いだ、少年のためだ。

 鬼のアル中上官に見咎められた後も手を止めることなく。処罰どころか現場処分すら覚悟の上で、せっせと。ひたむきに。

 

「すません姉御(クイーン)。地獄から拾ってくれたあんたには世話なったけど……俺ら、あんたのこと急に嫌いになっちゃった」

「ああ?」

 

 キリエがすごんで、その兵士は縮み上がる。

 だがすぐ他の兵士が、彼女の肩をそっと抱いて、先を継いだ。

 

「姉御がガキ傷つくのイヤっつったでしょ。俺らもですよ。見てらんねーんすわ」

「あんたさっきから、言うことムチャクチャ!」

「隊長強いんだから、このくらいハンデあったほうがやりがいあるでしょ」

 

 レイジの胸倉を掴み上げたまま、キリエは口をわななかせる。

 

「どいつも、こいつも……ッ!」

「先生、もういいだろ」

「あ?」

 

 かつてないほど崩れた顔で、キリエはレイジを見やった。アレだけ殴られて蹴られて、彼は血まみれだ。

 その血すら徐々に再生が追いつかなくなるほど衰弱しているというのに──彼の表情に苦痛も焦りも見えない。

 彼に迷いは無い。当たり前のことを当たり前に、キリエに告げているだけだ。

 

「俺とカナタは一緒に戦って、一緒に同じ場所を目指す。一人じゃない。先生が俺たちを大事に思ってくれるのは分かります。だけど──」

「う、る、せえええええええええッ!!」

 

 今日一番の怒号とともにキリエの拳が振るわれ、レイジの体が消えた。

 巨木のようなムチを鳴らしたような破裂音を伴って、音の壁を突破したレイジが飛んでいく。

 彼の体は壁を削り天井を削り、摩擦で燃え上がりながら、火の玉となってカナタたちの近くに着弾する。

 ドカン。派手な音を立ててコンテナがひしゃげた。

 

「うああ、レイジっ!?」

《危ねえぞ、お嬢ちゃんッ!》

「消火器、消火器どこ、燃料に引火する!」

「姉御が来る前にこいつ立たせるぞ!」

 

 たった二人のクソガキ、それも侵入者で、脱走者。

 本来ならキリエたちはドサクサ紛れで町から脱出しようとするフトドキ者を止めるためにこの場にいるはずなのに──彼らはまるでボクシングのセコンドだ。

 レイジの体に消火器ぶっかけて、頬叩いて、血管潰れてるってんで経口でリンゲル液飲ませて……

 キリエはたった一人だ。誰も背中に手を添えてくれない状態で、ピットインしたF1カーのように手厚くあわただしく介抱されるチャレンジャーを見つめている。

 

「どいつも、こいつも……私を置いていきやがる……うっ」

 

 びしゃびしゃびしゃ。散々飲んだ上に息が切れるほど暴れまわって、急激に酒が回った。固形物がまったく無い、ウイスキーと胃液だけの液体が床に広がっていく。

 

 いいだろう、ブレイクタイムだ──口元をぬぐったキリエが顔を上げると、遥か遠方で仁王立ちを決め込むカナタと目が合った。

 彼女は何も言わない。ただ青い瞳を向けてくるだけだ。もうすでに撃って銃身が弾けた狙撃銃を、彼女は構える。

 スコープでキリエの脳天に狙いをつけ……バーン。手術で超強化されたキリエの聴覚が、彼女がトリガーを引いた音を拾う。

 その気になれば一瞬で目の前に突っ込んできて八つ裂きにしてくる相手めがけ、彼女はまったく恐れていない。

 

 白髪と包帯を風にそよがせるカナタを見ていて、キリエは急に、自分が小さくなったような錯覚を覚える。

 

(いや、そうじゃないのか……)

 

 彼女が、途方もなく大きく成長したのだ。

 

「センセー……アタシらは、もう大丈夫なんだ」

 

 たった二メートルぽっちの小人を手のひらに載せて、巨人が語りかけてくる。いやだ、やめろ、聞きたくない。

 キリエは耳を塞ぎたくなったが、「オトナ」が邪魔をする。

 ここまでトコトンみっともない姿を晒しておいて、ガキの言葉を浴びてイヤイヤする姿を見られることを恐れている。

 

 ──ああなんて、どうしようもない子供なんだ、私は。

 

「だからキリちゃんも、安心していいんだ」

 

 ■

 

「こんな形で言いてえコトだけ抜かして出てくのはホントにダサいと思うけど……ごめんな、オヤジ」

 

 独白めいたフミオの録音が吹き込まれる傍で、サマナは最後の自己診断を始めている。

 ブースターが動くと、それを保護する薄い装甲版の群れがウロコのようにグネグネと有機的に動く。

 フミオの背中に増設された、翼だ。ありもしない器官が蠕動すると、彼の脊髄にゾワゾワとした違和感が走る。

 この機体は、自分の背中に翼があることをどう思っているのだろうか──フミオはふと、そんなことを考えた。

 

「この町はクソだけど……でも、好きなんだ」

 

 コックピットを覆うグレーのパネルを、フミオは指先でリズムを取って叩いている。

 戦闘が始まると頭上からサマナの頭部が下りてきて、この空間は闇に閉ざされる。棺桶だ。外部の風景はすべて、脊髄を介して脳に送り込まれる。

 彼は棺桶の扉が閉まるのを待つ。

 

「それは……俺がオヤジを好きだからだ。オヤジが愛したこの町を、俺は好きになろうと思う」

 

 ムナカタに捨てられ、ブンタに拾われ、フミオはようやく人間になれた。

 朝起きて、洗面所で顔を洗って居間にいくとオヤジが新聞広げて野球を見ていて──この地下世界に野球チームはないので、それは古い時代の記録だ──片手を上げて「よお」と言ってくる。屁の音がそのあとに続く。

 そんなオヤジがまた米を研ぎながらまた屁をこき、炊飯器にブチ込んで。ふりかけでメシを掻きこんだ後、彼は最後の屁をひって店に向かう。

 在庫管理したり陳列したり、それなりに忙しくするブンタの後ろ姿を、フミオは卓袱台に肘をついて見つめるばかりだった。

 

「店……手伝ってやりゃよかったのにな。どうして俺、逃げてばっかだったんだろ」

 

 

 

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