《マジか。本当にキメちまった……》
瓦礫の山にキリエの体が埋まっていた。
パワードスーツの男が望遠機能を全開にして、彼女の様子を確認する。彼女の上半身は見えない。ハミ出た足だけがVの字で地面から突き立っている。
男が度肝を抜かれるのも当然。キリエがブチのめされるのを見るなんて、初めての経験だ。
「あー……すると、ですよ」
彼の足元にいた女性兵士が、レイジを指差す。
キリエの推定死骸と向き合うようにして、その位置はターミナルの反対側。彼は膝をつき、荒い呼吸を繰り返している様子だ。
「あのコ、うちの隊長よりつえーってコトになりますよね」
《なりますねえ》
「損耗、抑えろってあのアル中から言われてますよねえ」
《ますねえ》
「じゃ、まあ──そういうことっすよねえ。残された俺らじゃ太刀打ちできませんから……いい感じにして、町から出てってもらいましょ」
スーツの男はそれには答えず、改めてレイジたちを見つめた。
数十分間に渡る死闘を繰り広げ、レイジは朦朧としていた。殺人ナノマシンを注入され、人格消失の危機の中にありながらキリエと戦い、見事に倒してのけた。
うつろな目をキリエに向け続ける彼の隣に少女が跪いて、その頬をぺちぺち叩く。彼はゆっくりと彼女のほうを向き──そして、笑いかける。
地味で決して見栄えがいいわけじゃない。だがコンクリートの隙間に宿った小さな花弁のような、命を感じる鮮やかな笑みだった。
《……誰と一緒か、だよな。映画も、夏もさ》
男が彼らと初めて顔を合わせたのは、ホームセンターだった。
花を育てて安らぎたいとかワケの分からないことを言ってきたうすらデカい男子学生と、その隣で我関せずを決め込むようだった白髪のおネーちゃん。
妙な取り合わせだなァ、と思いながらスプリンクラーの工事を売りつけたのを覚えている。
次は映画館。お次は郊外で銃を向けることになり、そのまた次は病院──そこで話をしたルリコというお嬢ちゃんも面白いヤツだったが──その後も祭りで、町中で。思えば奇妙な縁で、彼らの行く先々に男は関わった。
彼らはどんどんボロボロになっていった。
「トメさん」
また、さっきの兵士が彼に言葉を投げかける。大柄で重厚な装甲を軋ませて、パワードスーツが屈む。
これは旧式で、あまり集音性能がよくない。ないしょ話には、不向きだ。
《ん。なんですかね》
「あの子ら、傷だらけっすねえ」
《だねえ》
「よく勝てたもんだ。最強無敵の問題児。サイボーグ忍者、樋口キリエさまに」
レイジとカナタは傷だらけで、笑いあっている。
スーツの男は──トメさんは──ケロイド男は──頬をかく。彼はあらゆる傷を肯定する。現に、顔に一生刻まれた巨大な火傷跡を、彼は恥じたことがない。
真夏の草むらを、歩くのと一緒だ。生きて歩いていけば、きっと無数の切り傷ができる。それはキチンとした『にんげん』らしさの証だと彼は考える。
何かと向き合うことはダサくて恥ずかしくて、自分に傷を刻んでいくことだ。最初まっさらな白紙のようだったカナタが傷だらけなのは、そういうことだ。
《……大事にしろよ、坊ちゃん》
もう歩くのも精一杯のレイジが、カナタに支えられて歩いてくる。
ケロイド男は彼に一抹の微笑と祝福を送る。傷だらけで死に掛けのでくの坊よ、そして包帯まみれのお嬢ちゃん。諸君に幸アレだ──
その思いも表情も、冷たいパワードスーツの外殻に閉じ込められ、彼らの元には届かない。
彼らには関係ない。
周りが祝福しようが呪詛を振りかけようが、彼らは勝手に歩いていって、自分の力で海にたどり着く。
彼らは、もうオトナだ。
《前歯欠けてんだぜ。そんな嬢ちゃんが、思いっきり笑いかけてくれるんだ……》
レイジの、低く響く笑いが響く。
カナタがなにか、ジョークを吹き込んだようだ。彼らが指差す先にはキリエの足がニョッキリ生えているわけで──おそらく、犬神家関連のなにかだろう。
彼らは映画館で心を通じ合わせた。同じ世界を共有して、同じ温度で笑い合える。
歯を見せて笑いあう二人の唇は触れ合いそうなほど近い。
『もうキスしちゃえよ』という言葉をグっとこらえて、ケロイド男は、言いかけた台詞の続きを告ぐ。
《そんな風に心許してもらえるなんて。お前さん、マジの幸せモン────》
「ぐ……あああああッ!」
彼の言葉は、結局最後まで形にならなかった。
積みあがった瓦礫の山が弾け飛ぶ。内側で巨大な爆弾が爆発したようだった。
炎はなく、衝撃もない。その代わりに残骸の合間から溢れ出てターミナル中を埋め尽くしたのは途方も無い殺気だ。
《マジかよ》
いつも飄々、ニュートラル運転がモットーのケロイド男ですら、表情が引きつる。
激戦の余波でターミナルにぶちまけられた瓦礫が飛び散り、舞い上がり──嵐のような様相を呈する光景の中に、サイボーグの姿が現れる。
あまりの大復活に言葉も呼吸も忘れて脂汗を流す面々の前に、それは亡霊騎士のようなヨロついた足取りで歩いてやってくる。
彼女の右手には、吹き飛ばされたはずのブレードがしっかり握られている。
左手は心臓の位置。かたくかたく握り締められたその未練──スキットルが、薄暗いターミナルの中に銀色の輝きをこぼす。
《往生際、悪すぎでしょ……姉御》
「キレーに終わらせてエヘヘオホホ、かァーッ!?」
サイボーグ忍者の──キリエはブレードを振りかぶり、力任せに振り下ろす。
一瞬でその刀身が何百倍にも伸びたように見え、直後に閃光がすべてを埋め尽くした。衝撃。熱。破壊……あらゆる死の概念をもたらす刃が、ターミナルの端から端までを引き裂く。
金属板に刃を突っ込んで無理やり切り開くような、強引で、暴力的な一撃がナノマシン刀に悲鳴を上げさせる。
ピシッ──刃にヒビが走る異音が、離れたレイジとカナタの元にまで届いた。
かつてレイジの前で屋敷を一刀両断したように、キリエの斬撃は伸びる。
その正体はナノマシン、Nullifier404の共食いだ。
液体金属とともに彼女のブレード表面に散布されたナノマシンは、彼女の抜刀が引き起こす猛烈な大気摩擦で揮発し、空気中に帯を作る。
何もかも食い荒らすナノマシンは、空気の中で十分な『エサ』を見つけられない。そのため急激に自己を消費して燃焼する。これが何億、何兆という規模で同時多発的に引き起こされることにより、局所的な爆熱を発生させるのだ。
……そんな力任せのバグ技が、彼女の必殺技の正体だった。
「くうっ」
カナタはレイジの腕に匿われていたが、それでも高温の熱が押し寄せる。
地獄のような一秒間が過ぎ去り、彼女が目蓋を持ち上げたとき、ターミナルには巨大な渓谷が現れていた。
無機質で冷たい感触を与える白い床はナノマシンの作用でグズグズに溶解し、とろけたチーズのように谷底めがけて流れ落ちていく。
その谷底はすべての終着点だ。赤熱化し、あらゆる生物の存在を許さない。キリエの執念と執着が、この場に地獄の門を呼び寄せたようだった。
「……行くなよ」
それほど甚大な破壊をもたらしたサイボーグの姿が、どこか頼りない。
赤く熾った光の中で黒々と浮き出た姿は、まるで棒切れを手に遊び相手を探す子供のようだった。
「……キミらが出て行っちゃったら、私に何が残るんだよう」
その子供の顔が、一瞬で悲しみから虚無に移り変わる。
「ああ、そっか……」
クルリと向きを変えた彼女が見つめる先にあるものは、町の出口だ。
途方も無く広大なターミナルの先は、途方も無く長大なトンネルへと通じている。何本ものレールを跨いで走る大型の貨物車が、その入り口にデンと鎮座していた。
この地獄絵図を前に、まるで「俺、ただの風景なんで」とでも言いたげな佇まいを見ているうちに、キリエの口元に、徐々に疲れた笑みが浮かんできた。
「レイジくんは止められない。私にカナタさんは殺せない……でも、これ、壊しちゃったら町を出て行けないじゃんね……?」
《はァ!? いくらなんでも姉御、そりゃ町の生命線──ぐあっ!》
また閃光がほとばしり、そして新たな地獄谷がもうひとつ。
数百メートルにも及ぶ残撃が傍を駆け抜け、ケロイド男と、彼の元に終結した兵士たちが悲鳴を上げた。
「……るさいな。いいんだよ、私強いもん。文句あんのかよ。力ずくで止めてみろよ……」
《なんなんだよ、この人……》
キリエの目には、もはや誰の姿も映らない。部下も、カナタも、そしてレイジですら。
折れかけたブレードをクルクル回しながら「ちょっとコンビニでも」というような軽い足取りで貨物車とそれを牽引する先頭車に向かっていく。
最悪だった。
いろんなものをいっぺんに失ってしまった悲しみで、樋口キリエは最悪の二十八歳児に成り果てていた。
「なんで最初からそうしなかったんだっけ……あ、出口も壊そ。もう誰も出て行けないなら、もう誰も、私を置いていくヤツも現れない」
ウンウンと支離滅裂な自論にセルフ同意しながら、彼女の腰が落ちていく。
樋口キリエは戦闘マシーンだ。頭脳こそオトナコドモが操っているが、そこからの動きに一切のムダがない。
鞘にブレードを納め、トンネル上部の補強に狙いを定める。距離は特に測らない。一キロ圏内は彼女のリーチだ。
彼女の手の中で、ブレードのグリップが軋む。
「さらば、西町。私のロマンのために埋もれ────ぎゃああああっ、いてててて!?」
ほんじゃ斬っていきます、と彼女のブレードが鞘走る寸前、その足元が沸騰した。
間断なく、容赦なく叩き込まれる大口径弾が彼女と、ブレードと、その周囲に雨あられと降り注ぐ。
ブ厚い装甲すらヘコませる銃弾にえぐられながら、それでもキリエのリアクションは「いてて」止まりだ。
スキットルを気にして反撃しなかった彼女は、銃撃が止むと、殺気に塗れた視線をギロリと向けて寄越した。
「なんだァ……ジャマすんのかあ……?」
《姉御ォ……》
マシンガンの銃口から煙が立ち上っている。パワードスーツのセンサーが、冷ややかに光り輝いている。
ケロイド男の足元には兵士たちが勢ぞろいだ。
睨み付けてくるキリエという制御不能の猛獣を前に銃を震えさせ、歯をカチカチ鳴らし、ひきつった笑みを浮かべながらも、彼らは意思を表明する。
三十八門の銃口が、彼女に向けられている。
「味方撃つのかよ。こちとら最強だぞ、ああん?」
《分かるでしょ、姉御。あんたちょっと、なんつーか──》
「分かるワケ……ねェーッだろがァー!」
キリエは自分の部下たちめがけて、疾走を開始する。
ブレードを投げ捨て、髪を振り乱し、口の端からゲロと泡を吹きながら。悲しい獣は、もはや自分で自分を止められない。
「お前らは私のこと分かンのかっつーの!」
キリエは地面を掻いて疾駆する。金属の爪が床との間で火花を散らし、自分で作り出した渓谷を飛び越える動きは血に飢えた獣のようで、まったく理性を感じられない。
「私のクラスのガキが何人死んだと思ってんだッ! ええッ!?」
ああ──酒、ほしい。
妙に冷静なキリエが、脳の片隅でボヤき続けている。
「先生ってのはなあ、ガキの先行きにまでついていけねえんだよ! 足りねーんだよ、何もかも!」
今の私は、なんて恥ずかしいオトナなんだろう。こんな気持ちをブチまけないようにアルコールで膜張ってごまかしてたのに。
「笑ってクラス出てったヤツが、町の片隅でゴミみてーに死んでんの見たことあんのか!?」
オトナになった、つもりだったのに。
「私の悲しみを! 寂しさを! 分かろうともしねえお前らのコトなんて、なーんにも──!」
「師匠」
聴覚素子が震えた。ありもしない光を、視覚素子が捉えた。
キリエの全てが、オーバーフローする。
血走った彼女の瞳だけが、ギョロリと真横をむいて彼の姿を捉えた。
『彼』がそこにいる。その姿は今のキリエの目にあまりに大きく、途方も無いほど『おとな』に見えた。
どうしてこの瞬間まで、そこにいることに気づかなかったんだろう──と思うほど。
「
あ、とキリエが息を吐くような声を発した瞬間、砲弾のようなレイジの右ストレートが彼女の頬に突き刺さった。
「ぎっ」
パンチの威力でキリエは真横にブっ飛んだ。
「ぎゃあああああーッ!?」
彼女はきりもみで、どこまでも、いつまでも飛んでいく。
レイジのパンチはどこまでも恐ろしく、どこまでも優しい。彼女の体はコンテナを五両分貫通したが、まだまだ勢いが衰えない。
その長い飛行時間で、彼女にはゆっくりと自分を省みる時間が与えられた。
(見えなかったんじゃなくて、見たくなかったのか……いつの間にか)
石動レイジ、あまりに大きくあまりに眩しく育ちすぎた。
(成長、喜んでいた私が……寂しくなって、必死に引き留めるほど……)
フライトの終点に、ものものしいマークが貼られた黒のタンクが転がっている。
その図案は赤い三角形の中に破裂するかんしゃく玉のようなマーク。そこから染み出した液体の端が、さっきキリエ自身が放った炎で燃え上がっている。
ガソリンであった。
地下世界に引きこもった人類が失った希少資源。
とてつもなく豪華なバスタイムが、キリエを待ち構える。
「どへえーッ!」
強化素材のスーツに包まれた肉体がタンクに突き刺さった直後、キリエの断末魔と大爆発が大気を揺るがした。
「うわー……」
すばやく身を翻したパワードスーツに守られながら、カナタが声を漏らす。
ジメジメ湿ってアルコール浸しになって。生徒の門出で足引っ張ってジャマしようとしてきた女教師に渇を入れてカリカリに揚げなおすような、見事な花火が咲いていた。
橙色の炎が爆ぜて砕け散り、モワンと噴き上がったキノコ雲が、呆然と見上げるカナタたちの前で天井に沿って広がっていく。
この状況で微動だにしないのはレイジだけだ。
キリエを殴り飛ばした瞬間のポーズのまま、彼の姿が逆光の中に雄々しく聳えている。
ついに師匠にホンキの一撃を入れた感動か。
それとも義理の姉の根性叩き直してやった余韻か。
……はたまた、ちょっと殴ったら予想よりも大変なことになっちゃったことに内心焦っているのか。
ともかく、彼も、彼の表情も微動だにしない。
揺らめく炎が生み出す陰影が、その険しい顔つきの上で踊っているだけだ。
「……あれ、さすがに死んだんじゃないですかね」
《アレで死んでくれたらこんな苦労してねえよ。俺ら》
大爆発を起こした隊長という異常事態の中でも部下がノン気に言葉を交わす理由を、スプリンクラーがすぐに暴き出す。
最初に水。そして、天井に埋め込まれていたドローンが飛んできて、タンクの火に消火剤をかける。
やがて火が消え泡まみれのタンクの姿が現れると、そこにキリエが座り込んでいた。
ダメージはほとんどない。少なくとも、肉体的には。
肌はススで真っ黒。焼けてチリチリになった髪の毛に消火剤の泡が乗って、まるで古き良き時代の爆発オチさながらのアフロをかたどっている。
彼女の表情はうつろで──そして、ひどく落ち込んでいた。
「ダサい、か……」
彼女の両手は力なく、体の前に垂らされたままだ。
もはや樋口キリエに、戦う気力は残っていないようだった。
■
「はいコレ。中に泥水入れて振ったら飲み水にできるから。生水はダメだよ。煮てフタなめて。キレイだと思っても。特に川の水はヤバいからね」
「よーし。私のワインもわけちゃおう。外の夜は冷えるからねぇ~」
「やめろやめろ。身の回りにこれ以上アル中増やすな、バカ」
「こっちのは寝袋で、こっちは携帯コンロ。で、ガス。重いから、でかい兄ちゃんに運んでもらいな」
「お、おう……」
アウトドアキットの使い方をレクチャーされながら、カナタは戸惑っていた。
「チョコレート持たせた? 私のコトバ信じて。チョコあるなしだとマジでキャンプって別モンだから」
「あとコーヒーな。ホンモンの星空見上げながら飲んでみろよ。うまいぞお。いいなあ。羨ましいなあ」
キリエの部下たちは隊長に似て、適度にユルいところのあるいい連中だった。
救急キットに携帯食に迷彩テント──瞬く間に大荷物を抱え込んでいくカナタを遠巻きに身ながら、レイジは彼らの雰囲気が、2-Aに似ていることに気づく。
「どこ行っても、地獄ってのはあるモンですからね」
彼の腕に『中和剤』の針を突き立てるキリエは、そう置いてから語り始める。
どんな環境、どんなチームの中でも、馴染めないものが必ず現れる。そういう人材を引き抜いて預かってるうちに膨れ上がって出来たのが、彼女の隊だった。
「先生は、みんなの居場所を作れたんですね。すごいな……」
「いいえ……」
あいまいな表情で答えかけたキリエの脳裏にもう二度と聞けない甲高い声が蘇る。
『アル中が調子こいてんじゃないわよ』──ルリコはかつて、そう言った。
そして、どうしようもない先生だからこそ、どうしようもない連中の受け皿になれるのだ、とも。
キリエはやはり、実感が沸かない。
彼女の自己認識はダサい人間で、いつまでもフっ切れないオトナコドモだ。電柱に勝手に巣を作る鳥みたいにみんなが寄ってきて……そして、勝手にいなくなって。
その寂しさから立ち直れない。レイジに鉄拳制裁された後でも、ムリなものはムリだ。
「私は、ただの、しょうもないアル中です」
キリエは、そう返すので精一杯だった。
「カナタさん。こっちこっち」
天井から降り注いでそのままだったコンクリートブロックの上で腰を下ろしていたキリエが、立ち上がり、ちかちか点滅する光を背にカナタへ手招きした。
「おう! すぐいくー」
とはいえ彼女は過保護な大人たちによって巨大なリュックを二個も三個も押し付けられていた。
動く倉庫のようになった彼女は、著しくバランスを崩し、あっちにフラフラこっちにフラフラ。
一向に近づかない姿を見て、レイジが軽く笑う。
「はは。たいへんそうだ」
「なあ~、そう思うなら手伝えよう。これ重くってタイヘンなんだよう」
汗でとろけたようになったカナタが、ヘトリと舌を出した。
だがレイジはそう簡単に手を貸したりしない。彼はあちこち壊れた体を治すので大忙し。さすがに休息は必要だし。それに──
「だが、カナタは強い女の子だ。俺がヘタに手を貸すと、失礼になる」
「あ……お……い、言ったなァ?」
レイジの言葉で気合を入れなおされたカナタが、荷物を背負いなおす。
「よーし見てろ。やってやる。やってやっからなあ!」
「レイジくん」
再びフラつきつつ、力強くカナタのサンダルが床を掴む。
それをじっと見守っていたレイジの背に、キリエの手がかかる。確かな重みを彼が感じるのは、破壊された神経が復活しているからだ。
暑さも寒さも、痛みも悶えも、今のレイジは取り返していた。
ただ、それじゃ不十分だ。
彼はナノマシンの動きを知覚する。彼はまだまだ死体のままだ。新たに投与された『中和剤』の働きで分解が進んでいるが、それだけじゃ足りない。
「申し訳ありませんが、さっきの中和剤では量が足りません。キミはまだ、棺おけに片足突っ込んだ死人のままです」
「──あ。それそれ! もう一本持ってたろ。あれよこせ、あれ、さっさと!」
いつの間にか二人の前までやってきたカナタが、白い手のひらをキリエの眼前でヒラヒラ振った。
しかしキリエは、肩をすくめて見せた。彼女が出せるものは、それだけだ。
「あいにくココにはありません」
「はあ!?」
カナタの胸元から滑り落ちたバッグが、ドチャリと音を立てる。
キリエをじっと見つめるレイジも訝しげだ。シャフトの下部でフミオと再会したとき、たしかに中和剤は二本存在した。
ここにない。つまり、それは──
「とあるパツキンのイケメンにお願いされまして、彼に預けちゃいました」
「おま……キリちゃ、それって……」
「はい。もう一本はフミオくんが持ってます」
アッサリ言い放つキリエを指差して、レイジとカナタは顔を見合わせた。『中和剤』は彼の命綱だ。
「は……バカ……ええええ……」
カナタが大荷物ごとズルズルと、その場にへたり込む。レイジもレイジで、両手で顔を覆って撫でさする。
脱出目前にして、大事なキーの片割れがどこかにいってしまった。
十分な量の『中和剤』がなければ外に出られてもレイジの人格が破壊される。ということは、この後も二人は西町でフミオを探して駆けずり回らなければいけないワケで──
「ごめんねえ。でも、私って教え子には平等にしたいの」
《あきらめろ。この人全部ノリで生きてっから》
彼らの頭上で、パワードスーツの目が光る。
少年少女にやたらとなれなれしいケロイド男の駆る旧式スーツは、ずっとマシンガンの銃口をターミナル入り口に向けて構えている。
軽い物言いをする男だが、警戒は怠らない。
《姉御。やはり連中の狙いはこの二人かもな。おかしなデカブツが、こちらに向かってるってよ》
「そっか。別れを惜しむ時間は無い。かあ……」
キリエの指笛が鳴り響き、あたりに散開していた隊員たちの視線が彼女に集まる。
「じゃ、いつもどおり。とにかく死なないで。寝覚め悪いから」
彼らは無言でおのおのの持ち場に向かう。破壊されたレール、めくれ上がったパネル、横転した車両──即席のバリケードに伏せ、ターミナルの入り口に目を光らせる。
「二人とも」
ガックリとうなだれた教え子たちに呆れ笑いを向けつつ、キリエのまなざしは鋭さを失わない。
状況はすでに、動き出している。全てに停滞は起こりえない。変更もありえない。町に留まるという選択肢は、無い。
「このまま外に出なさい」
そう、キリエは言う。
しかしカナタは納得できない。隣でうなだれたままのレイジの腕を、てしてしと叩く。
「でもよお、クスリがないと、レイジは……」
「最後の一本の『中和剤』は、きっとキミたちの元に届きます。何があろうと」
キリエは、鞘からブレードを解き放つ。カーボン複合材の刀身は、さっき彼女があばれはっちゃくと化した時の大立ち回りですっかりヘタれて亀裂まみれだ。
「そして、フミオくんも。彼は立ち直りますよ」
「……フミオ」
レイジの目に、一瞬剣呑な輝きが宿る。ギラつく憎悪だ。
カナタは、リュックの紐を握る手が汗ばむのを感じる。どれだけ口で「わかった」と言っていても、彼の心はすべて憎悪を元に形作られている。
ルリコの死に顔を思い出して、血を吐きそうになる。彼がフミオと再会したら、きっと殺し合いだ。
「その時キミがどうするか……迷ったら、カナタさんを見なさい」
キリエは貨物車のパネルを開き、中からケーブルを引っ張り出す。
彼女の手首のソケットとケーブルが接続される。キリエの瞳が薄いグリーンに発光し、巨大な牽引車が、うなりをあげて起動する。
モーターがチリチリ鳴る音が聞こえた。独特の焦げ臭さがレイジと、カナタを取り巻く。
「
静かな、出発の空気の中にいた彼らの元に、冷徹な声が届く。
レイジとカナタがターミナルにたどり着く際使った入り口から、むわっと生臭さが押し寄せてきた。
バリケードに設置された投光機の明かりに照らされ、いくつもの眼が照らし出される。
白濁した死人の一つ目。口無き黒い死体。棘皮人間の大群が、ゆっくりと彼らの元に行進してくるのが見える。
キリエの目つきが一気に戦士のものへと変わる。
「時間、稼いで。口径は自由になさい。ただし爆薬の使用はなるべく控えて。私の攻撃でここ、だいぶガタきてる」
《アイアイ。
キリエの指示が飛ぶ。
純白のパワードスーツが胴体と一体化した頭を僅かに傾げ、頷かせる。
《ちょいと残念だが……じゃ諸君、始めようか》
ドパッ──勢いよくターミナルに駆け込んできた棘皮人間の頭が弾ける。
パワードスーツが放った機関銃弾が見事な
巨大な黒いヒトガタの群れが、手足をバタつかせて走り寄ってくる。彼らはアリの群れだ。
バリケードの奥にある一番甘くておいしそうなエサめがけ、一目散に向かってくる。
「センセー……」
「もう引き留めたりしませんよ。ダサいって言われたの、超・超・チョ~堪えたんで」
「あう」
あんな数、さばききれるのか? ──不安げに見上げてきたカナタの前にひざまずいて、キリエはきゅっと抱きしめる。
「ほら、キミも。お姉さんのトコにおいで」
手招きされたレイジがおずおず近寄っていくと、彼女の左腕として装着された義手が伸縮し、その体を引き寄せる。
キリエのハグは強烈だった。レイジはカナタといっしょくたになってギュウギュウと締め付けられ、復活したばかりの内臓が全部口から出そうだった。
それでも、跳ね除けたくない。
「し、しょう……!」
喉が詰まる。
万力ハグのせいではない。これが最後かもしれないのだ。あれほどタンカを切ってダサいとまで言い放った相手との別れが、急に辛い。
ダメだと分かっているのに、レイジはいろんなことを思い出してしまう。
彼女が映画を持って、迎えに来てくれた日のこと。
『ご馳走ですよ』といって失敗したカレーを部屋に持ってきて、一緒に食べたこと。
高校の初授業で『毎日父兄参観ですねえ』と言って笑いかけたこと。
毎朝の殴り合いで、いつも渡されたスポーツドリンクのヌルい温度。
気まぐれに、夏祭りに連れて行ってくれて……その帰りに酔いつぶれたキリエを介抱していたら、あやうく補導されそうになったこと。
レイジは雷に打たれたようだった。
ずっと自分には何もないと思っていた。家族も、友人も、ずっと傍にいたのに。
樋口キリエという女性は、間違いなく、彼の──
「俺の七年は……決してからっぽじゃなかった。あなたの、おかげだ……」
謝っていいのか、感謝を伝えていいのか、レイジは分からなくなる。
「やめなさい。こっちだって泣くの必死にガマンしてんだから」
キリエは苦しそうにふっと息を吐いて、レイジの額にキスをした。次いで、カナタにも。
「ヒトのツラ殴っといて今更『離れたくない』なんて。許さないからね」
硝煙とアルコールと血の味がする唇が離れていって……そしていよいよ、彼らは語りつくした。
この場所は、この瞬間は思い出になる。
そして、
「せんせ」
まるで授業のように、カナタは笑って手を挙げる。
「はい。なんでもお答えしますよ」
「いってきます。今まで、ありがと。ございました」
チョコンと頭を下げたカナタを見て、キリエは微笑を浮かべたまま、固まってしまった。
棘皮人間の足音と、それを押し留める銃撃の音だけが彼女たちの間を駆け抜ける。七年教師続けて答えづらい質問はいろいろあったが、これはそのなかでも一級だ。
オモト──いや、イスルギカナタ。一番どうしようもない状態で入ってきて、一番鮮やかに羽ばたいていく、自慢の生徒。
「あの……ね」
ついにキリエの表情が崩れかけ……それを、ぐっと堪える。
もう、ダサいところは見せつくした。かわいい弟にも、新しくできた妹分にも、これ以上幻滅されたくない。
「……行ってらっしゃい。たくさん、キレイなものを見ておいで」
「ん。……うん。もうちょっとだけ……このまま」
「ホラホラしんみりはやめましょ。トラブルメーカーどもが。さっさと町から出てけ出てけ。もうツラも見たくねー」
貨物車はいつでもばんぜんだ。
モーターの響きはレールを通してターミナル全体に響き始め、押し寄せる怪物たちの足音が、彼らの必死さを物語る。
キリエはカナタの脇の下を持ち上げて、先に貨物車に飛び乗っていたレイジに受け渡してやる。
パン、ナイフ、ランプ……詰め込んだかばんを車両めがけて放り投げて、彼女は怪物の群れに目を凝らす。
《姉御! 大物の登場だ!》
ケロイド男の声に応えたように、入り口の群れがわっと崩れる。
「ら ら ら ら」
同族であるはずの棘皮人間を遠慮なく蹴散らして、四足の怪物がその巨体を現す。
ヒヅメの生えた足は大きさも生えた位置も不ぞろいで、不気味にうごめく体を引きずるようにして走ってくる。
その正体は絡み合った十九人の少年少女の死体だ。
そして、レイジにミンチにされ、黒い沼に帰されたにもかかわらず、その体は完全に再生を遂げていた。
その頭として据えられた、褐色の肌の少女も。例外ではなく。
「ら、ら……」
弱々しい歌声を響かせていたマリコが、ぐいっと顔を上げるのが見えた。
その黄金色の瞳は、ターミナルの中にレイジを探す。彼を見つけた瞬間、マリコは微笑みかけてきた。
知らない町の交差点で、ふと知り合いと再会したような顔。
そこにかつての彼女が漂わせていた人懐っこさを感じてしまい──レイジは思わず、目を逸らす。
(こんなの、あんまりだ)
「ら ら ら」
地響きを上げ、怪物が、マリコが駆け出す。そこに敵意はまったく感じられなかった。
2-Aの友人たちが、一塊となって彼らのもとに向かってくる。
終末の、怪物として。
「マリコ……もう、やめにしよう」
黒い飛沫を上げながら向かってくるマリコを見つめるカナタも、複雑な顔をしている。
マリコはずっと、ノイズが混じったような声で歌い続けていた。
彼女たちは、何かの夢を見続けているのかもしれない──カナタはふと、そう考える。長い長い夢の中で、彼らは笑って、歌って……
それが醒めることはないのか? 清清しい別れの中にさっと薄墨を流すような絶望を漂わせるカナタの隣で、レイジがマリコを指差す。
「先生。あれは」
「分かってます。報告で。すべて」
キリエは、これから教え子たちと殺しあうことになる。
死体を連結して作られた怪物を睨む彼女の眼が、僅かに揺れる。
だが、それはすぐ落ち着いた。彼らはかわいい生徒だ。命を失った後でも苦しみ続けているというなら、なんとかしてそれを終わりにしてやりたい。
《姉御、マジですまん!》
ゴトリ。撃ちつくしたマシンガンのカートリッジが床を打つ。
ケロイド男が操るパワードスーツは補助腕を展開し、バックパックから次の弾を引っ張り出す。が、遅い。
キリエの部隊は鼻つまみ者の寄せ集めだ。武器の質はあまりよくない。
兵士たちの奮闘で怪物の群れは押しとどめられているが、次第にジワリ、ジワリとバリケードまでの距離が詰まっていく。
なにか、状況をひっくり返す爆弾のような威力がいる。
地形を変えるほどのムチャクチャが、この閉塞した戦場には必要だ。
《本当に本当に、教え子との時間を稼げなくて申し訳ないやら悔しいやらだが──手ェ貸してくれ。俺らにはあんたが必要だ!》
「隊長!」
「頼みますぜ、姉御!」
「おっけ……後で酒おごれよ、バカども」
バン。
手首からケーブルを引っこ抜き、キリエが車体を軽く叩く。
別れの一撃だ。遠隔スタートされた貨物車の下で、車輪が擦れる音がする。レールの上に火花が散り、一軒家より巨大な車両が動き始める。
これが町の外、そして海へと、カナタたちを運んでくれる。
しめっぽいのは終わりだ。ぐちぐち別れを言う時間も過ぎ去った。キリエはすでにブレードを肩に担いで、戦友たちの方へと歩き始めている。
「師匠!」「センセー!」
思わずレイジたちが発した悲痛な叫びが背中に声がかかったとき、彼女の肩が微かに震えた。
「お前ら卒業すんだろ? そんな呼び方しても、振り返ってやらねーよ」
キリエは背を向けたまま、軽く天を仰ぐ。彼女の髪が目元に流れ、二人からは笑った口元だけが見える。
──くくく。
「がんばれよ、ボウズ。その子を守ってやれ!」
「どうしようもなくなったら意地張らず帰るんだよ!」
「ねえ、チョコ本当に持った!?」
拳を突き上げ、キリエの部下たちは口々に別れの言葉をかけてくる。今まさに黒い濁流に呑まれていくという彼らの顔には、絶望も迷いもない。
永遠の停滞にある西町から、若者たちを送り出した。
そして彼らには援軍がある。この町でこの町で最もダサくて最も大人気ない。酒びたりで泣き虫で、最強の戦士が、やってくる。
漆黒のブレードを担う、死神の剣技をその身に宿す、サイボーグが。
「果てぬロマンと共に海を目指せ、素晴らしきクソガキども」
サイボーグ忍者は振り返ったりしない。悪魔の左腕がギチリと音を立てて開き、振られる。世界でもっとも凶悪な形の『ばいばい』だ。
「そして、
彼女の教え子二人を乗せて、貨物車はゆく。
キリエの後ろ姿はどんどん小さくなり、ゆるやかに傾斜したトンネルの向こうに流れ、すぐに見えなくなった。