海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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11.最高時列化(1)

「考え直せなんてもう言わねえよ」

 

 ライフルを構えた赤い機体がトンネルの中を飛んでいく。

 

「俺はただ、ケジメをつけるためにここにいる。それだけだ。西町も防衛局も関係ない。これは、俺のための戦争だ」

《フミオ……俺は……》

 

 スピーカーから迸ったレイジの押し殺した声は、四基のエンジンから伝わる振動で掻き消されそうだった。

 実証試験機・狭真魚(サマナ)。一見洗練された見た目から、とんでもないジャジャ馬だ。あまりのパワーで進路の微調整すら覚束ない。

 

《俺はお前と戦いたくない》

「ムリしてウソ言うなよ」

 

 サマナと列車までの距離、300。だというのに、フミオは目の前にレイジがいるようにしてほくそ笑んだ。

 見慣れた彼の困り顔が、目に浮かぶようだった。

 早く、彼の元に着きたい。フミオが出力を上げると、サマナはグンと加速する。凶悪極まりない風切りの音を立てて、機体がカッ飛んでいく。

 

 ■

 

 レイジとカナタは車両後方を見つめたままだった。赤い光が爆発するように輝いた直後、そこから放たれる莫大な熱が更に上がったのを感じる。

 ジェットだ──トンネルの壁面を真っ白に染め上げて向かってくるものがパワードスーツだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

《俺はカナタから輝きを奪い、ルリコを死なせた》

 

 バキュッ

 

 手すりを握るレイジの手から破砕音が響き、カナタは驚く。彼の十本の指がてんでバラバラ、別方向に折れ曲がっているのが見える。

 

「俺は……それでも……」

《俺らダチだったろ。そのくらいは分かる。ケリ、つけてえんだろ》

 

 血まみれになったレイジの手を引き剥がし、カナタがそっと自分の腕を握らせる。『殺すな』見上げてくる、深淵のブルーが語りかける。

 受話器の放つ赤。カナタの瞳の青。

 分岐点にいる。レイジは強く認識する。すべてを許し、忘れるか。それとも血まみれでスタートを切るか。

 

《俺もこのまま逃げ切りゲームセットは自分が許せねえ》

 

 ■

 

 ゴギギッ──ウイングが壁面をかすった音で、フミオはハッとなる。

 話に集中して、危うくクラッシュするところだ。サマナは我を取り戻すようにブルブル頭を振り、ライフルを構えなおす。

 

「俺は本当にひどえことをした」

 

 だが謝る気は無い。謝ってしまえば、レイジはそこで終わりにせざるを得ないからだ。

 フミオは今でも彼の友達のつもりだった。

 終わりに向かいつつある二人の関係を、キッチリケジメつけておきたい。レイジは報復心。フミオは意地。戦う理由はいくらでもある。

 フミオは胸に手を当て、ポーチにしまった『中和剤』に触れる。更にその奥。少女の脊髄が絡みついた心臓を流れる血のこと。

 レイジが思っている以上に、フミオとの間は因縁がある。

 なにせ、彼の、実父の名は──

 

「だからお前に俺を殴るチャンスをやる。俺を殺して、力ずくで『中和剤』を手に入れるチャンスを」

《戦わずに、終わる、道は──》

「くどいぞレイジ。ホントはもう、話してるだけでもツレぇんだろ」

 

 スピーカーの向こうで息をのむ音が聞こえた。

 レイジは自分でも気づいてなかったのだろう。彼の声は、ずっと地獄の底から響く槌の音のように低く、熱と憎悪で潰れていた。

 レイジは、()りたいのだ。フミオと。フミオを。

 

「ほら、な。お前のことはよく分かってんだよ」

 

 サマナの膝がレールとこすれて火花を散らす。

 列車の輪郭がよく見えてきた。ボヤけた映像しかよこさない望遠モードからカメラを切り替えると、フミオの目に、二人の男女の姿が映る。

 レイジは焼け焦げたボロ雑巾で、カナタはさっき掘り起こしたミイラ女だった。

 対するフミオは清潔なスラックスと背中の開いた手術着一枚。血が出ている部分なんてさっき掘り返した背骨くらいで──

 

「まったく。なんて強そうなツラ構えだよ、お前ら」

 

 ──果たして自分に、そこまでの傷を負う覚悟があるのかと、彼は考えてしまう。

 

 ■

 

「フミオ」

 

 火の玉を見つめるレイジは、落ち着いた声音だった。

 

「……ありがとう。俺が言えなかったことを、言ってくれて」

「レイジッ!?」

 

 驚いてカナタが叫ぶ。

 彼女に触れるレイジの手はおおむね骨折が修復され、その力はとことん優しい。カナタの体をガラス細工のように扱いながら、彼の目は一時たりとも彼女に向かない。

 黒い、巨大な穴のような。

 底知れぬからっぽな虚無が、迫りくる一機のパワードスーツに向けられている。

 

《ダチだろ。俺ら》

「ああ……そして、ここで終わりだな」

 

 パチッ──レイジの頭の近くで空気が弾けた。彼が放つ微量の反物質が、空気中の粒子と対消滅を引き起こしたのだ。

 カナタと繋いだ彼の右手も黒い炎を吹き上げ始めた。

 うっすらと漂う銀色の粒子をラメのようにきらめかせながら、彼の破壊の炎はカナタを侵さない。

 その優しさと分別が、カナタは怖い。

 彼の憎悪は今一点に研ぎ澄まされ、解放のときを待っていた。

 

「……もう、語ることは無いな。お互い」

「最後にこうして話ができて良かったぜ」

「……ああ」

「ほんじゃあ──」

 

 レイジとフミオの視線が、列車と赤い機体の距離を測るように交錯する。

 火花が散った。サマナのジェットが唸り、列車の車輪が鋭く鳴く。

 

「──ショウダウンだ」

 

 ついに列車の後部に食いついた彗星が、ひねりを加えてエアブレーキを展開する。

 

 ゴ、バァッ──爆風にも似た気流がレイジたちを襲う。

 吹かれて倒れそうになるカナタを抱き留めながら、レイジは自分の敵を睨む。

 

「なんだこいつ……アクマ、か?」

 

 目を開けたカナタのつぶやきに、レイジが小さく頷き返す。

 これまで見てきたあらゆるパワードスーツとも違った。彼らを睥睨してホバリングする洋紅(カーマイン)の機体は、触れたら切れそうなほど鋭角的な装甲が施されている。

 その一枚一枚が周囲の気流、温度──あらゆる化学物質を感じ取り、独立した生き物のように絶えず蠢いている。

 四本のジェットの火炎が、胎動のようなリズムで揺らめいている。

 火照りに輝くバイザーの奥でカメラを静かに光らせるさまは、まさに黙示録の世界から飛んで現れた、地獄の悪魔そのものだった。

 

 ■

 

 ゴキョッ

 

 サマナの胸部が開き、白い弾頭が見えた瞬間──レイジはカナタを抱いて飛び退いた。

 

「うあっ」

「まずい! アレは!」

 

 レイジの跳躍と、フミオが放った初手の炸裂は同時に起こった。

 最後尾の車両からレイジの足が離れた瞬間、カナタは体のすぐ下で太陽が爆発するのを感じた。

 ゴウ。爆炎と熱風が世界を真っ白に染め上げる。

 その中で、カナタは自分の腕を覆う包帯が焼け始めたのを見た。それに気づいたレイジが空中で彼女を抱きしめた瞬間、更なる熱風が二人を襲う。

 

「がッ……」

 

 いかなる苦痛に対しても無表情だったレイジが、苦悶の声をひり出した。

 彼の分厚い筋肉で守られてゴロゴロと三両目に着地しながら、カナタは怖くなる。彼の胸の中の暗闇に漂ってくる、お肉の焼けるにおい。

 彼の体が炙られ、沸騰し、焼けている。

 

「レ──むぐっ」

 

 とっさに呼びかけようとしたカナタの口を、レイジが手で覆った。

 わけがわからないまま、カナタは激しく咳き込む。そして、熱いカレーをウッカリ冷まさず味見したときのことを思い出す。

 口の中が爛れて、歯が白熱して軋んでいる。

 

《梅雨ごろ、ガソリンが急に値上がりしたろ。ただでさえ高ェってのに》

 

 列車に激震が走る。

 爆熱の中でカナタが薄目を開けると、炎に包まれた最後部の列車が脱落していくところだった。

 焼け焦げ、ねじれ、悲鳴のような音を立てる金属の塊が、遠ざかっていく。

 

《防衛局が新型のナパーム作ってたんだよ。1,500度で燃える。見ろ。こいつの炎なら、コンクリだって水飴だ》

 

 爆炎を引き裂いて赤い影が浮かび上がる。地獄の獣がやってくる。

 スピーカーから放たれるフミオの声に、外気の暑さを感じている様子は無い。サマナの蠢く鱗──八万五千層のインテリジェント装甲は、いかなる環境変化にも対応する。

 

《息吸うとヤケドするぜ、気をつけな》

「フミ、オぉ……」

 

 ブチブチと音を立て、熱で癒着したレイジの唇が剥がれる。

 焼け焦げたシャツと爛れた皮膚がくっついてマフラーのようになったものを引きずりながら、レイジが立ち上がる。

 彼の目は熱で白濁している。それが、倒れたままのカナタの前でギョロリと裏返り──憎悪に燃える黒眼が、そこに彼という『にんげん』の影を刻む。

 

 ゾッ──と音なき音を立て、レイジの全身から黒炎が上がる。彼はヤル気だ。その炎の下で彼にもウロコが生え始めていた。

 炭酸カルシウムのフジツボ装甲だ。衝撃で簡単に砕け、そして熱にめっぽう弱い。気休め、というやつだ。

 

 サマナはすぐ、仕掛けてこない。

 反物質を纏う獣に、軽い気持ちで手出しはできない。コックピット内部のフミオは武器選択ホイールをぐるぐる回しながら、無数に搭載された武装を眺めていた。

 雑多すぎる。この機体は選べないのだ。フミオと同じく。

 

 旅行先にいらん荷物まで持ち込むヤツのようだ──フミオは静かに頭を抱える。

 

「カナタ、離れていてくれ。向こうの車両……いちばん、前に」

 

 喉を押さえていたカナタが、何か言おうとして咳き込む。

 彼女の焼けた喉から滴る透明なよだれが、熱された鉄板の上に広がっていく。痛々しい姿にレイジの顔が歪む。

 が、それはすぐ、鋭い剣幕に取って替わられる。

 

「早くッ! ここにいたら死んでしまう!」

「いい、か。レイジ……やくそく、だ」

 

 それをものともせず、カナタが囁いた。

 ガーゼと包帯まみれの膝が、地面を離れる。徐々に冷え行く空気の中、強風にあおられて立つ彼女は、どこまでも力強い。

 

「殺すな。憎むな。それが、どれだけ、たいへんでも」

「ッ……急げ!」

 

 カナタが足を引きずりながら次の車両に向かっていくのを、レイジは見送れなかった。

 殺すな──自分の背中をほじくって、トラウマ掘り返して、おまけに今、声を潰した相手のことを。

『イカれてるよな』レイジの憎悪が語りかけてくる。

 

「黙れ」

 

 お前にカナタの何が分かる。レイジは自分を叱り付ける。

 カナタは前に進みたいだけなのだ。だから、うるさい過去もしがらみも、どんどん捨てて、身軽になることができる。

 レイジは己が憎い。カナタと同じ高さで飛びたいのに、過去と憎悪に縛り付けられたこの心では、地面をはいずるのが精いっぱいだ。

 

《これで俺とお前。俺とお前だけだ、ここには》

 

 じっと見守っていたサマナが動き出す。噴射炎を斜めに散らし、Gで機体を軋ませながら、車両側面へと滑る。

 とっくにクツが焼け落ち素足となったレイジは、その場の床に焼けてへばりついた足裏の皮膚を残しながら、跳ぶ。

 

《じゃ。せっかくだ。デカい銃でもブチかましてみるか》

 

 トンネルの壁面に激しく火花が散る。

 サマナがジェットパックを削りながらライフルを構えているのが見えた。レイジがコンテナの陰に身を隠すと同時に、90ミリが火を噴く。

 

《クソ……! 衝撃でけーし、飛びながらじゃ照準ブレんな……》

 

 フミオの舌打ちがスピーカーから迸る。サマナは大口径の射撃の度にバランスを崩し、壁面に体を打ち付ける。彼の首はもう、グラグラだ。

 だが、人間相手ならそれでも十分脅威だ。

 コンテナが引き裂かれ、鋭い破片と衝撃がレイジの体を切り裂く。

 戦車の主砲にも匹敵するライフルが放たれる度、車両がジャンプした。連結部が悲鳴を上げ、脱線した車輪が激しく火花を散らす。

 ストロボのように散るスパークの中、遮蔽物から身をあらわしたレイジがサマナの眼に映る──好機。

 

 ボッ──! レイジの視界が橙に反転。原因が脳に届く前に、爆圧だけが遅れて胸郭を押し潰した。

 

 貨物車の上で火球が弾けた。

 

 ナパーム。二射目だ。

 

 炎が皮膚を食い破り、レイジは車両の上に叩きつけられる。

 ゴロゴロ転がるたび、焼けた鉄板が皮膚を剥ぎ、煮えた肉片が散る。

 サマナは気密性が高いのでフミオは気にならないが、もしそうで無ければ、人間の焼けるすさまじい臭いが彼の鼻を刺したはずだ。

 彼はただ、焼肉の網の上で身をよじる肉を思い出すだけだった。

 

《昔こうやってよく火遊びしたモンだよなあ》

 

 気の抜けた昔話を語りながら、彼は容赦をしない。

 頭皮すら剥がれ落ち、ガイコツのようになったレイジの眼窩に瞳が再生し、フミオとサマナの姿を睨みつける。

 それを認めた瞬間、更に特殊ナパームをブチまける。

 爆裂。鉄すら溶ける温度の中で、コンテナが折れ曲がってとろけていく。耐熱性能が高いパワードスーツ装甲の山は鉄でくっついて一塊になり、車両そのものがエビ反りになっていく。

 その中に転がるレイジの体は、もはや、ただの白骨だった。

 

 ズシッ──機体に対してアンバランスなほど細いサマナの足が、煮え立つ列車の上に降り立った。

 その姿は、まさに異様としか例えようが無い。

 何もかも融けてひとつになる坩堝のような環境で、カーマインの悪魔は飄然と構え、ライフルからマガジンを排出する。

 機体の後部から大きな箱が脱落する。こちらはナパームの弾倉だ。対不死者、対レイジの切り札は、撃ちつくした。

 効果は絶大だ。

 

「あ……ぐう……」

 

 再生した筋繊維すらすぐに沸騰して使い物にならなくなる。

 そんな環境でもナノマシンは彼の骨の髄に宿り、着実にレイジの肉体と生命力を消費する。肺は焼け焦げ、脳は灰色の固まりになる。記憶が風化し、人格が焼失する。

 再生すれば再生するだけ、彼の中でナノマシンが占める割合が大きくなっていく。

 勝てない──魂すら焦がす熱の中で、じわじわと、絶望の影がレイジの脳髄を冷やしていく。

 

《おいおい。心臓、止まりかけてねえか?》

 

 露出した臓器を見つめて、サマナが眼を光らせた。

 

《……そんなモンじゃねえだろ。お前は。俺ァお前がデカいバケモン倒すトコ、見てんだぜ》

 

 ■

 

《だったらブレイクタイムと行こう。休憩は大事だ》

 

 ぐぐぐ、と力んで再起を試みる肉と骨の人形の前に、サマナが膝を折る。

 コックピットのボルトが排出され、ハッチがゆっくりと開いていく。

 

「……うお。あっち!?」

 

 レイジは再生させたばかりの目蓋を見開いた。無防備に体を晒して手術着の袖をはためかせるフミオは、血まみれだった。

 ずっと、エアコンの効いたコックピットで。コーラ片手にコントローラーでも握っているのかと思っていた。

 しかし違う。サマナの急加速と急発進による莫大なGと、度重なる壁面への衝突。オペしたばかりの胸と背骨は縫合が外れてぐちゃぐちゃだ。

 過負荷の引き起こす障害が脳にまで及んでいるのか、彼の鼻からつうっと血が流れ出てくる。それをペロリと舐めて、フミオは羨ましそうに笑った。彼の見つめる先には、レイジがいる。

 

「お前、やっぱすげえわ」

 

 お前がそれを言うのか。レイジはくっついた唇の中で、その言葉を転がす。

 

「……いいか。お前がヤル気出すようなイイコト教えてやる」

 

 ハッチに片足を掛けるとき、フミオの動きが明らかにおかしい。

 バイク事故の後遺症だ。アレだけひどく折れた脚を切って繋いで、ボルトを埋めた。そこをまた痛めて──もう、助けなしではまっすぐ立つことも、歩く事さえ、フミオには難しい。

 それでいて、本人はそれを気にする様子がない。

 レイジがどんな負傷も気にせず突っ込めるのは、彼が無限の再生を可能とする不死者だからだ。

 だがフミオは違う。手足を失ったら、そこでおしまいだ。彼はそれだけの覚悟を背負って、この決戦に臨んでいたのだ。

 地面を掻きながら、レイジは己を恥じる。

 

(覚悟が足りないのは、俺のほうだったのかもしれない……)

 

「俺のマジの父親。血の繋がりがある男はな。お前の頭をいじくって記憶を飛ばした宗像善一郎(ムナカタゼンイチロー)だ」

 

 レイジの心に宿った確かな畏敬の念。それを吹き消す言葉が、フミオの口から放たれた。

 

「……なに?」

「俺が養子だって話をしたな。俺はムナカタの子。元の名前は宗像康彦(ムナカタヤスヒコ)

『あ……言っちゃった……』

 

 耳の裏で感嘆したような少女の声がして、フミオはくっと笑う。

 シャフトの底で決別したとき、レイジに伝えられなかったこと。彼がずっとずっと言いたかった、意気地なさをここで払拭する。

 キチンと向き合って、キチンと憎まれたい。

 

「お前の苦しみの根底には俺がいる。俺だ。俺だけを見ていてくれ。この瞬間だけ、俺はムナカタヤスヒコであってやる。だから全力で来い。お前にはその権利と義務がある。復讐しろ」

 

 無意識にスラックスのポケットをまさぐって、フミオは肩を落とした。コックピットは全面禁煙だ。タバコと──ライターはあたりの炎があるからいいとして、格納庫のシャツの中だ。

 

 自分がムナカタの子供と認めるなんて、正直言えばまっぴらだ。

 

 タバコがあると、彼は自分がオヤジの息子だと思える。オヤジと同じ仕草で吸って、同じ味を感じていると、ブンタの子であると。

 レイジが静かに立ち上がる。

 彼の着衣は高温で燃焼し、全裸だ。引き絞られた鋼線のような筋肉の束が、炎の中で輝いている。

 一瞬後、おびただしいフジツボが松かさのように隆起し、彼の姿は悪鬼へと変貌した。それは憎悪の形そのものだ。

 トゲのような歯が生え揃う口が、ゆるやかに開いていく。

 

「……わかった。また、殺しあう理由が増えたな」

「そうだ。いいぞ」

 

 フミオが体を躍らせ、サマナに再搭乗する。

 彼の肉体は瞬く間に装甲の向こうに覆い隠され、カメラアイに光が宿る。彼が発するのは血の通った肉声ではなく、スピーカー越しの電子音じみたささやき声だ。

 

《お前の激怒(レイジ)を見せてみろ》

 

 巨神が立ち上がり、深海の魔物と睨み合う。二人の男。二人の鬼。彼らにもはや別の道はない。存分に殺し合い、命を削り取るだけだ。

 

 ■

 

《ボーイミーツガール……ハッ》

 

 サマナはコンテナの側面に機体をこすりつけながら、強引に飛び回る。

 

《男と女が出会うとき、何かが起こる。そうだな。そのとおりだ》

 

 バチッ──コンテナの陰からフジツボの怪物が飛び出した瞬間、機体前面にスパークが散った。

 空気中に散布した燃料に着火し、一瞬にしてレイジの体が炎に包まれる。

 近接戦でのカウンターを想定したフラッシュファイアと名づけられた兵器だ。燃え上がる地獄と化した車両は線路に炎の痕跡を残しながら爆走を続ける。

 そして燃え上がる足跡を刻みながら、レイジの動きも止まらない。1,500の猛火を三度潜り抜けたのだ。今更眉の先が焦げたところで、ひるみはしない。

 彼は火の玉となって、そのままサマナに取り付く。

 

 その口元が、笑っている。

 

《ちいッ!?》

 

 レイジの腕の下から現れた、黒い刃。

 反物質ではない。実体を伴ったブレードがサマナの腕関節めがけて一閃した瞬間、彼は己の生身の肉体に、チリっとした痛みを感じた。

 フミオの全身で産毛が逆立ち、血が逆流する。

 機体が、爆発するように動いた。

 

《は──な──れ──ろッ!》

 

 コンテナ、トンネル、車体……あらゆるものに機体を叩きつけながら、しがみついたレイジを叩き落そうとやっきになる。

 チリチリとした痛みは増していく。生暖かいものが、流れ出しているのが分かる。コックピットの中に外気の熱と、フミオ自身の血なまぐささが広がる。

 

 ガキョッ──火花が散り、砕けた黒いかけらが舞い上がる。

 

 腕ごと車体に何度もレイジをぶつけ、ようやくその腕がサマナから引っこ抜ける。

 ブースターを吹かして急速に遠ざかるサマナの前で、レイジがヨロ……と立ち上がった。

 砕けた頭部の装甲から、暗く、感情のない瞳がフミオを見据えてくる。

 フジツボの隙間から、ガラスの芽が芽吹くように成長していく。黒い刃が次々と重なり、光を反射して虹色に揺らめく。

 彼の両腕を覆うフジツボ、つまり炭酸カルシウムは、度重なる超高温への暴露で焼け、ツララのように垂れ下がっている。

 そしてトンネルの壁面はコンクリート。同じく爆熱で溶け出した大量のシリカが、彼の装甲と反応──硬質のソーダ石灰ガラスの刃として、その両腕に出現したのだ。

 

 その硬度は炭酸カルシウム甲殻の比ではない。モース硬度は歯のエナメル質に匹敵する6.5。レイジを守る盾であり、文字通り、獣と化した彼の牙だ。

 

(火責めにしたのが裏目に出たか……)

 

 物言わぬ珪素怪獣は顔面装甲を修復し、また無貌に戻る。すっと腕を持ち上げ、サマナに向けられたガラス剣の切っ先から、赤い血が滴る。

 それを見つめるフミオの喉が、ゴクリと鳴った。

 

(あいつのバカ(ぢから)で関節にネジ込まれつづけるとヤベぇな)

 

 薄皮が切れただけ。彼の右腕は軽傷で済んだ。

 スーツの穴も、すぐに密閉機構が作動して泡状の金属で蓋される。

 もはや熱風が吹き込む隙間も無いというのに、フミオの背筋は汗ばんだままだった。この業火の中でレイジの殺意と憎悪は鍛え上げられ、研ぎ澄まされる。

 そろそろ決着をつけなければ、レイジの牙はいずれフミオの心臓に届く。

 

《勝ち誇るなよ。勝負はまだこれからだ!》

 

 フミオは速やかに武装を選択する。

 サマナは右腕から剥離してブラ下がる装甲をカチカチ鳴らしながら、ライフルを構える。その瞬間レイジの体が横っ飛びし、融け崩れたコンテナの隙間にまぎれる。

 お構いなしにフミオはトリガーを引いた。

 戦車砲の前でフジツボもガラス装甲も意味を成さない。全部紙切れだ。残骸と一緒に空中に投げ出されて舞うレイジに狙いを定める。

 が、しかし。

 

《あ!?》

 

 ガクン。サマナの機体を衝撃がゆすった瞬間、レイジが空中で軌道を変えた。フミオの放った砲弾は彼の脇腹をこそげ、トンネルの天井を粉砕する。

 無数の瓦礫が車両に降り注ぎ、煙幕を広げる。

 土とシリカの雨の中、からっぽな虚無の眼光が瞬き、サマナを見据え──

 

《うっ、くそッ!》

 

 煙幕が切り裂かれた瞬間、烈風が機体をかすめ、数枚の装甲が剥がれ落ちた。それが空中でグズグズに侵食し、地面に落ちる前に粉になる。

 

(反物質!)

 

 フミオは理解する。

 あのガラス剣の表面をうっすら覆う炎の膜が、交錯の瞬間確かに見えた。

 徐々に能力のコントロールが上手くなることもだが──サマナと一緒に煙幕の中敵の姿を探すフミオの心は、あの不可思議な空中起動への疑問でいっぱいだ。

 生身の人間が。ありえない。まだ見ぬ『終結因子』の力か?

 更なる汗と血でシートを濡らすフミオだったが、すぐさまレイジの手首から伸びるものに気づく。

 

 腱。

 

 あの不死者は自らの腱を引きちぎり、ロープのように細長くして引っ掛けているのだ。そして、その繋がる先は──

 

《俺、かあ!?》

 

 ブチブチと肉が裂ける音がした。

 物陰から飛び出したレイジの手首から白く光る腱が伸び、蜘蛛の糸のように、サマナの腕と繋がっている。

 さっき切り込んだ瞬間、彼はその肉体の一部を、パワードスーツに結び付けていた。

 

《キモいんだっつーの! お前の戦い方!》

 

 背筋を氷で撫でられたような悪寒が走り、フミオは咄嗟にスラスターを全開にする。

 

 ガッ──クン。

 

 しかし、後退は上手くいかない。衝撃と共にサマナは空中でよろけ、強く引かれた右腕が軋みを上げる。

 鋼板に穴を穿つ大音にフミオが目を向けると、焼けて杭のように尖った手すりを、レイジが自らの足の甲に突き刺したところだった。

 これで、列車とレイジは一体となった。その総重量は、腱の先にいるサマナよりはるかに重い。

 

《ふざけんな、俺を引っ張る気か!? パワードスーツを、人間の力で!?》

「……俺は、鍛えている」

 

 サマナと列車の張力は並のものではない。

 両方に引っ張られる腱には相当なテンションがかかっている。繊維を解くように、白い腱は炎の中で少しずつほつれていく。

 ビッ……ブチ……しかし、それがある一点で止まる。

 

《お──おおおおおッ!?》

 

 サマナが、徐々にレイジの方に惹かれ始めた。

 フジツボ装甲を内側から砕きながら、彼の両腕の筋肉が隆起する。血の滴る腱をたぐり、握り締める。ゆっくり、ゆっくりと。

 彼の腱がクモの巣なら、本人は巣の中央で待ち構える捕食者だ。

 ブースターの過負荷で機体はけたたましく警報を鳴らし、腱に締め上げられ、サマナの腕がメキメキ破砕音を奏でる。

 フミオは迷う。悩む。

 彼の焦りと逡巡を反映し、機体があわただしく武装を展開する。機関砲やフラッシュ、やがては消火器のノズルまで覗かせる。

 

 もう少し。レイジは分厚い仮面の下で牙を剥く。もう少しで、切り刻める。

 体中の腱が搾り出される痛みも。ジェットエンジンを引っ張る筋肉が圧壊する感触も、彼にとっては甘美な前菜でしかない。

 暮──いや、宗像ヤスヒコ。もう少しでレイジは、自分の因果に終止符を打てる。もはやサマナは目と鼻の先。先端に反物質を集中させたブレードを振りかぶり、

 

「殺すな、憎むな」

 

 懐かしい声が聞こえた気がした。

 

「はっ!?」

 

 レイジはブレードを一閃する。フミオにではない。二人を殺し合いの中に縛り付けるようだった、自らの腱に向かって。

 ブヅッ……

 

《うおおおおッ!?》

 

 そしてフミオと、彼の駆るサマナは自由を手にする。

 全開で吹かしたブースターの勢いで激しく機体を壁にこすり、火花を上げながらあたりの景色を粉砕する。

 マシンは簡単に止まれない。コックピットの中はしっちゃかめっちゃかだろう。

 よろめきながら空中でバランスを取り戻す動きに、元のキレはない。磨きぬかれた装甲はあちこち剥げて黒と赤のモザイク状になり、ライフルを持つ右腕は、腱の切れ端をブラ下げたままだらしなく垂れている。

 

「あぶない……ところ、だった……」

 

 レイジは呟く。

 自分が何のためにここにいるか、危うく忘れるところだった。フミオとの戦いで頭真っ白になって、殺し合いに興じていた。

 

(そうじゃない海だ。俺は海に行くんだ。カナタと一緒に)

 

 ここがゴールじゃない。

 フミオとの決着は、海に至るための通り道だ。ナノマシン攻撃ですっかり働きの鈍った頭を再起動するため、彼は何度か、拳骨で己を小突く。

 自分は憎悪の走狗なんかじゃない。そう、言い聞かせる。

 

《ンだよ、もう少しだった……あ?》

「ら」

 

 歌うような声が、遥か後方から聞こえてきた。

 二人が同時に目を向ける中、パワードスーツのセンサーが、すでにその姿をフミオの網膜に投影している。

 来る。巨体が、黒い血飛沫を噴水のように散らしてトンネルを汚染しながら向かってくる。

 

「ら ら ら」

 

 貨物車を猛追するのは、醜悪な怪物だ。

 なにせその正体は十八人の同級生と、一人の少女をまぜこぜにして象った、アンバランスな馬の肉団子だ。

 巨体がトンネルを粉砕しながら走ると、馬体にしがみついていた棘皮人間がポロポロと剥がれ落ちていく。

 運悪く足元に落ちたものは蹄で踏みしめられ、地面ごと耕される。馬の怪物に敵味方の区別は無い。ただ走りたい。走りたい。走りたい。それだけだ。

 極め付けに、胴体中央から生えた少女の上半身が、ゆらりと顔を上げる。彼女はタールまみれの顔でフミオに笑いかけてくる。

 彼はゾッとする。あれは、マリコは、シャフトの底でレイジに粉砕されて死んだはずだ。

 

 バコッ──バコッ──バコッ────

 

 淀まぬリズムを刻む蹄が、レールを踏み砕きながら迫る。

 

《バカな……こちとら時速160の超快速特急だぞ……》

 

 馬のような怪物は、明らかにレイジを狙っていた。

 それは融合した友人たちの中に仲間の下に帰ろうという気持ちがまだ残っているのか、はたまたマリコの無念なのか──分からないが、フミオはピンとひらめいた。

 パワードスーツの瞳が動き、足を貫く杭を抜くことすら忘れて『マリコ』に見入るレイジを捉える。

 

《……決めたぜ。やっぱ、バケモン殺すにゃバケモンだよな》

「ッ!」

 

 フミオがライフルを持ち上げた瞬間、レイジが身構える。

 しかし銃口は彼の頭上を素通りし、二両目との境にある連結部に向けられる。そして、一撃。

 

 ブルズアイ。狙い過たず彼の砲弾は連結器を貫いた。

 巨大な薬莢が乾いた音を立ててレールの上を転がっていくと、それを追いかけるように、ひしゃげた車両が滑っていく。その上にはレイジが乗ったままだ。

 彼は杭を掴んで引っ張るが、深く刺しすぎた。赤く染まった棒がズルズルともどかしいほどの速度で抜けていく。

 それに反して、列車は途方も無い速度で後方に流れていく。その先に待ち構えるのは、『マリコ』とクラスの十八人だ。

 レイジはある時点で杭から手を離し、フミオをじっと睨んだ。

 

《ンだよ……いい幕引きだろ、なあ》

 

 豆粒のように小さくなっていく列車を見送りながら、フミオは引きつった笑みを浮かべていた。

 自分はようやく決断したのか? レイジを殺し、カナタをこれから殺す決断を? 

 今も、身動きできないレイジを直接撃てばいいものを、始末を怪物の手に委ねたのに?

 

《俺は……選んだ。なあ、選んだだろ。ちゃんと》

 

 そう呟くフミオに、少女の幻影は返事をしてこない。

 なぜだかすさまじく、責められているような気がしてならない。

 

『最後の最後で、見送っちゃったね』と。

 

《いや──何考えてんだ。俺はやった。選んだ。キッチリ》

 

 彼の見つめる先で、トンネルを塞ぐほど巨大な怪物が前足を振り上げる。アレにやられては、木っ端微塵だ。

 不死者たるレイジはそれでも生き延びるかもしれないが……もはや、カナタを乗せた先頭車両に追いつく手段は無い。フミオの勝ちだ。

 勝ちは、した。

 

 したが……

 

《だから……お前もキッチリ死んでおけよ、レイジ》

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