フミオは今、宿敵レイジを怪物の元に送って、王手まで一歩の場所にいる。だというのに、これ異常なく孤独なムードだった。
《俺は……やった……》
そうだろ? ──自問の声に答えるものはない。
脱落寸前の焼け爛れた車両の上でフミオとサマナはホバリングを続けていた。聞こえるのは四発のエンジンがうなる音と、レイジに破壊された装甲が風を切る音だけ。
……────フォーン……
の、はずだった。
背後から迫りつつある異音にフミオが気づけたのは、サマナの音響センサーが優秀だったワケではない。
先の車両から聞こえる音を、彼は知っていたからだ。
モーター起動時の回転が発する、低いうなり。チカチカと音を立てて点灯するディスプレイと、そこに表示される、見慣れた挨拶──〈Hello world〉
フミオはサマナのコックピットの中で、自分が片足と一緒に手放してしまった日常を思い出していた。
いい音だ。真夏の空の下で焼けたハンドルを握ったときの気持ちを思い出す。密閉された空間に、オイルの香りまで漂ってくる気がして────
《こッ──こんなッ!》
そこでフミオは自分を揺り戻す。
《馬鹿なッ!? こんな場所に、
すでに、モーターの音はすぐそこまで迫っていた。
あわてて全武装を展開しつつ、サマナが車両を振り返る。その視界が、眩い閃光で埋め尽くされた。
カッ──
カメラは白く焼け付き、フミオは混乱して機体を振り回しながら、股下を、何か速く、鋭いものが通り抜けていったのを知覚する。
何か、では無い。
バイクだ。
「悪いなッ! オマエのドラテク、盗ませてもらったぞ!」
機能を回復したカメラがまず映し出したものは、猛風と遊んで踊る白髪だった。
とっさにサマナが振り回した腕の下を掻い潜って、それは行く。
閃光のように速く、眩しい。
疾風とともに駆け抜けるバイク。ドライバーがふと振り返り、その両手がハンドルから離れる。
「ハッ──ゴチャゴチャ後ろからウルセー奴にはコレ、だったよな」
そして天高々と突き立てられた二本の中指。
ダブル中指スペシャルだ。
カナタのブチかます最高最強のフィーンガーサインを伝授した本人は、それを目にした瞬間血液が沸騰した。
《カァナアタアアアアアッ! てめえ、無免許だろうがあああッ!!!!》
「バイク見せびらかしすぎなんだよっ、ブァ~~~~ッカ!」
彼女はケラケラ笑いながらハンドルを握りなおし、鋼鉄の猛獣に拍車を掛ける。
ロールアウトしたばかりのバイクは絶好調にエンジンをうならせ、焼け付く鋼板の上を駆け抜ける。
カナタの背中から、ジャージが焼け落ちる。引き裂かれたシャツの背中にフミオが見るのは、自分のブーツの足跡の形にえぐれた肉と、脊髄だ。
かつて、フミオが踏みしめた場所。
しかしもうそこに、彼の足は届かない。遥か先を目指す彼女は迷うことなくアクセル全開し、貨物車の上からバイクを飛ばす。
「うっ──ひょお!」
離れ業だ。
トップスピードで着地したバイクは、カナタにロデオを挑む。
前輪はたわみ、後部タイヤはブレ、大きく左右に触れる。レールとフレームが激しく、ぶつかり合うさなか、彼女の顔は笑み一色だ。
ファーストライドは大成功。迫り来る怪物と、遥か後方で彼女を待つ相棒の下を目指し、ハンドルを全力で握り締める。
《があああッ! ミンチにしてやるぜッ、ウロコ女!》
サマナはすでにロックオンを完了している。
フミオの怒号とともにトリガーが惹かれると、長大な銃身を持つ対戦車ライフルが凶悪な銃声を轟かせる。
が、赤子の頭ほどもある砲弾は、サマナの足元に撃ち込まれるだけだった。
《あぁ!?》
舌打ちしながらフミオがスーツの右腕を見やる。もはやライフルを握るというよりは指先に引っ掛けたような状態で、アームが硬直していた。
絡まったままの腱に押しつぶされた配線が迸らせるスパークと同じものが、フミオの沸騰した頭の中で舞い散る。
《クソ……レイジの野郎。スーツをオシャカにしやがって……!》
だがサマナの武装はいくらでもおかわりがある。
遠ざかりゆくカナタの後姿をロックしたまま、空中のサマナ/フミオが姿勢を切り替える。彼女の銀髪が、真っ黒な脳漿にまみれて飛び散るのを思い浮かべながら、彼らが取り出したものは榴弾砲だ。
今度は躊躇しない。フミオはトリガーを引く。
「ヒュウっ!」
背後で殺気が爆発した瞬間、カナタはバイクのハンドルを切る。
車体が進行方向に対して真横を向き、彼女とバイクはほとんど横転スレスレでスライディングする。
レールの熱を頬に感じながら口笛吹いたカナタの頭上を、ゴウと音を立てて砲弾が飛び過ぎていく。
過熱した砲弾はトンネルの壁面に突き刺さり──間髪いれず爆発。
砲弾の破片が飛んできて、カナタの腕を引き裂いた。
包帯が舞い、黒い血がしぶく。ほとんど骨だけでつながっているような腕を振りかざしながら、彼女は止まらない。
今、この瞬間──死ぬかも知れないってのに、死ぬほど楽しいのだ。
バイクのフレームが炎を受けてきらめく。
強引に車体を立て直しながら、カナタは自分の背中の肉がボロボロと乾いた粘土のように剥がれ始めていることに気づかない。
細かい白銀の繊維が彼女の肉の中を走り、壊れた肉と、砕けた骨を優しく包み込んでいく。
地獄の中で、彼女は何か、別のものに生まれ変わろうとしてる。
しかし彼女の関心は変化じゃない。レイジだ。その姿は200m先。貨物車の上で、体半分フジツボに覆われた全裸筋肉男が、ポカンとこちらを見ている。
榴弾とコンクリートの雨を突っ切って疾走するカナタは、彼のドギモを抜くには十分すぎだ。
だが、レイジはそのポカン顔のまま、誘われたように手を差し伸べてくる。
カナタの笑みが、きらめきを増す。
《カナタァ!》
着弾。さっきより近い。
バイクの車体が大きく煽られた。が、それでも止まらない。
カナタは顔の包帯に手を伸ばし、一気にむしり取る。自分の瞳が秘める究極のブルーが、まるで誘導灯のように、レイジを導けるように。
新たなウロコに覆われつつある腕を、彼女は伸ばす。
「迎えにきたぜ! でくのぼう!」
「カ──」
「ら ら ら」
レイジの背後で、すでに「マリコ」は脱落車両にかじりついていた。巨重が前足を乗せて車体を停めにかかり、火花の雨とともに地面ごとレイジの体が傾く。
それでも彼の目は、一時も見逃すまいとカナタに注がれている。
「──カナタ!」
カナタは加速し、距離を詰める。彼女の運命は、もう目と鼻の先だ。
「飛べ!」
『マリコ』がトドメに足を振り下ろすのと、レイジの跳躍は息を合わせたように同じタイミングで行われた。
怪物に踏みしめられた車両が、飛ぶ。くるくる回って横転する車体から、レイジが飛び上がる。
炎のトンネルの中、天井スレスレまで舞い上がったその体からフジツボが剥がれ落ち、彼は空中で、完全なる裸体を晒す。
迫りくる筋肉の塊めがけ、カナタは迷い無く両手を広げた。
ズンッ。
その指先を一瞬レイジが引いた直後、彼は空中で体をひねり、バイクの後部へ飛ぶ。まるでサーカスの曲芸だ。
軋みをあげてサスが沈んだ。
カナタが慌ててバランスを立て直すその手に、ごつごつとした手が重ねられる。
「どうして……こんな危ないマネを……」
レイジの声が背後からかかって、カナタは微笑む。
「言ったろ。アタシとレイジは一心同体だ。クライマックスでバラバラなんて、ありえねーって」
一緒になってバランスを立て直しながら、カナタは怪物の体を観察する。
タールの血液を垂らしながら車両の残骸を踏み潰していた怪物は、そこに目当てのレイジがいないことに、気づいたようだった。
『マリコ』が首をかしげ、西町方向に引き返していくバイクを見る。そして──笑った。
「ら」
ごりごりと体をトンネル壁面に擦り付け、それは転回を図る。
「さーて。どうすっかね」
溶けた頬をぽりぽりかきながら、カナタがボヤいた。
「つかセンセー、何やってんだよ。バケモンの群れにヤラれちまったか?」
「ゲロ吐いてる隙に、素通りされた、とか……」
レイジの珍しい、軽口。
それからいくばくかの間を置いてから、二人は、揺れるシートの上で顔を見合せる。
「「ありえる……」」
怪物は、傷だらけだった。
ありとあらゆる銃弾を撃ち込まれ、ありとあらゆるキリエの技を受けた形跡がある。背中からライフルの銃身が針山のように突き立ち、今も煙を噴き上げるナノマシンの焼け跡が、受けた斬撃の激しさを物語る。
そして、黒汁を滴らせる腹からは──
「よし。アレでイッパツ、やってやろう」
黒いブレードが半分突き刺さったままだ。
レイジたちを見つめるように光るグリップが『ぶちかましたれ』と言わんばかりだ。
カナタはブレーキをかけ、バイクを方向転換する。踏みしめられ、砕けた地面に黒々とタイヤを刻印しながら、怪物と二人はにらみ合う。
「全開でいく。あと、まかした」
「ああ。俺たちで引導を渡そう」
カナタがアクセル全開にした瞬間、バイクは軽くウィリーしながら前方に突撃する。
それに合わせたように、怪物も突進する。
怪物に向かって猛進する二人からは、その巨体の向こうから迫る無数の光が見えている。粉塵の中に滲む光は、フミオの放った榴弾・銃弾・ミサイルの雨だ。
瓦礫の隙間を縫って走りながら、カナタはタイミングを計る。
タイミング──すべてはタイミングだ。怪物の四足はあまりに早く動き、すべてを粉砕する足元に、このままでは付け入る隙が無い。
このまま突っ込めばバラバラだ。だが、カナタはアクセルを緩めない。彼女の決意に揺らぎは無く、バイクは決断的トップスピードを保ったまま疾走する。
「……託せよ、アタシにッ!」
カナタの声を掻き消すほどの大音響がトンネルの空気をつんざく。
「あ ぎゃ う」
『マリコ』の背中で大爆発が巻き起こる。
さすがの怪物も歌うのをやめて崩れ落ちる。当然足取りは弱り──カナタの真横から伸びたレイジの手が、怪物の腹に埋まったブレードのグリップを力強く握り締める。
「カナタ、全開でいってくれ!」
「おう!」
力任せに振り回された怪物の足が一瞬、空を切った。そこだ。カナタの目が機をとらえる。
加速。
バイクの勢いを利用して単分子の刃がギギギジュジュジュジュゾババと音を立て、怪物の腹を切開していく。
断面から血と内臓が二人の上に降り注ぎ、バイクのヘッドライトがそれを赤々と染める。
怪物は悲鳴を上げ、巨体を激しく悶えさせた。
──パキュッ
バイクと怪物がすれ違った刹那に甲高い音を立ててブレードが根元から破断する。キリエの酷使で既にボロボロだった剣は、これにてお役ごめんとなる。
怪物の体が痙攣し、巨大な足が力を失って崩れ落ちる。地下道全体に響くほどの地響きを起こして、怪物は倒れていった。
「しんだ、か?」
「どうかな……」
四足の怪物はクタリと崩れて、動かない。胴体からブラ下がったマリコも同じだ。だが、ナノマシン刀で引き裂かれた断面が、ヒクヒク蠢いている。
そこに確かな復活の兆候を感じつつも──とりあえず、カナタはバイクを停め、ハンドルに顔を埋めた。
「は────…………よく生きてんな、アタシ」
深呼吸するカナタと、アイドリングするバイク。
後部に座っていたレイジは、どうしても彼女に当たってしまう股間を申し訳なさそうに位置調整しつつ──彼女の背中に、目を奪われる。
腐った肉の奥で何か、生え始めていた。
乾いた骨とは違う。まるで荒地に芽吹いた一本の草木を見るようなみずみずしい白さだ。それを見ていると、潮の香りがさっと鼻を突く。
「……ンだよ」
いつの間にか、居心地悪そうにカナタが振り返って見てきていた。
その視線が、やや下に下がる。
「ちんこ当ててんじゃねえよ……」
「これは、その。どうしても、当たるというか……すまない」
モゾ……と彼がむき出しの尻を動かす。
何かないかとレイジはあたりを見回し、バイクの後輪に引っかかっていた緑のシートを腰に巻きつける。
まるで野人だが仕方ない。さすがにレイジと言えど、フルチンで最終決戦はごめんこうむる。
「オマエ、そのグリーンジャイアントでここから先に……いや。しゃあねえか……」
何か言いたげだったカナタは、やめる。
かわりに、トンネルの先を睨んだ。あれほど激しかったフミオの銃撃は今はなりをひそめ、燃える後部車両の光がさらに奥へ──地上へと向かっていくのが見える。
フミオは追ってくるようなことはしない。
レイジとカナタなら、引き返したり尻尾巻いたりしないと、信じているのだ。
それは逆説的に彼との決着なしで外に出られないことを物語っている。
「
腕の傷口をハンカチで縛り、カナタが、エンジンに蹴りを入れる。
車体を切り返し、回転するタイヤが凶悪な音を立てて地面を削る。焦げ臭さと白煙がトンネル内に立ち込め、それを切り裂くヘッドライトは、遥か前方を見据えていた。
「作戦、あるか?」
「ねえよ。全速全開でブッ飛ばしてフミオに追いつく。その後は、やることをやるだけだ」
「ああ……俺たちは前に突き進む。それだけだ」
「後ろは見ない」
「ああ。その通りだ」
レイジが手を握ると、カナタはその手に力を込めて応えた。
「よし。おっぱじめっか!」
電動バイクのエンジンが独特な駆動音を立てて、鋼鉄の車体が滑るように加速を始める。向かう場所は、たった一つだ。列車、レール、そして、トンネルの先に広がる世界。
接近してくるバイクを確認して、サマナが胸の前で両拳を激しく打ち付けて構えた。
《こいよ、まとめて消し炭だッ!》
無数の兵器、ありあまるパワー。
じゃじゃうまサマナとの対話を通して、フミオはヘタな手を打つことをやめたようだ。彼のチョイスはシンプルなライフル。
サマナはジェットを噴射すると陽炎をマントのようにはためかせ、列車から飛び立つ。
ゆっくりと銃口がロックし、フミオの殺気を全身ひしひしと感じながら──カナタはおかしなものを見た。
彼女とバイク、そしてレイジの周囲で景色が歪み始めている。
うっすらと虹色の微光をまといつつ膨らむ空間異常は、まるでシャボンの中を走っているような錯覚を彼女に覚えさせた。
「──ま、いいや」
何かよく分からんが、カナタはフルスロットルでバイクを飛ばす。害がなければそれでいい。今は、この瞬間を全力で生きることに集中したい。
いいバイクだった。
カナタが望めば望むだけ加速して、望むところへ連れて行ってくれる。
この先で待ち構えるフミオが機械いじりに夢中になった理由が、よくわかる。
「レイジ……アタシ楽しかったんだ!」
海が見せる全ての青を内包した瞳を輝かせ、カナタは叫ぶ。
「生きててよかったって、アタシの中でオモトカナタが叫んでる! オマエと一緒にいた夏は本当に――でもぜんぜん、これっぽちも満足できねえ!」
カナタの首筋から、朽ちたウロコが剥がれ落ちていく。花吹雪のように舞い始めた彼女の『過去』は、周囲にシャボンのように張り巡らされた反物質膜と触れて、対消滅する。
そこに、破壊の不穏さは無い。
まるで耳元で炭酸がはじける様な、やわらかく、心地のいいパチパチという音が二人を包み込む。
「これからだッ! アタシはもっと最高になる! レイジ、オマエと一緒に、どこまでも!」
薄れ行くカナタの首のアザを見ながら、レイジが力強く頷いた。
「ああ。俺もだ。信じて、付き合ってくれるか、カナタ──俺の、
「ったりまえだ。アタシはお前の運命なんだろ!」
《っ、チャ、ついてんじゃ、ねえぞッ!》
タイブツライフルの照準が合わせられると、カナタはチリチリとした殺意を眉間に感じる。
それは間違いなく殺意だが、恐怖はない。
もはやこの旅路に回り道や迂回はありえない。後ろにレイジが乗っている。彼が信じろというのだ。あとは突っ切ることだけ考える。
ドッ──ゴン
地獄の扉に杭を打ちつけたような音を響かせ、ライフルが吼える。二人が纏う反物質のヴェールが、よりいっそう激しくうねった。
サマナの巨体をよろめかせるほどの反動を生み出す90mm砲弾は、バイクの上面を掠めるコースで飛んでくる。
ゲームオーバー確定ルートだ。
たとえ直撃せずとも、その衝撃波はバイクの金属をひしゃげさせ、カナタの肉体など紙くずのように引きちぎってしまう。
はず、だが。
バチッ
空中に白い花が咲いた。
秒速600メートルの速度で飛来した砲弾は、バイクの数メートル手前で粉々に粉砕する。楕円の砲弾は先端からめり込むように消滅。
四散した破片すら、パラパラ音を立てて、半透明の膜の上で弾け飛ぶ。
《な、にィ!?》
ハチドリのようにせわしなく宙を舞うサマナのスピーカーから、フミオの驚愕の声が迸った。
それから確かめるように二射、三射──すべてが無に帰す。
必殺の銃弾が、まるでポップコーンだ。目の前で繰り広げられる途方も無いミラクルを見て呆気にとられるレイジの手中で、黒い炎が揺らめく。
それは、渦を巻き、踊り……今までみたことが無いような動きをしている。
どことなく、楽しそうだ。
「レイジ、想像してみろよ!」
舞い散る火花が、炎が、カナタの白髪を銀色に輝かせる。
「海ってのは、でっかいおっぱいだって」
「おっぱ……え?」
「そうだ! 海は世界一のでかぱいだ!」
面食らいつつ、レイジは映画館でのことを思い出していた。周囲に撒き散らされた燃料の炎ではない熱さが、彼の頬に宿ってくる。
「そこに思いっきり飛び込んでみろ! すげえぞ!」
爆音と、閃光と、音速と、カナタの笑い声。
すべてが加速し、伸びて、ひとつになっていく。いつしかバイクは体の延長のように感じられ、二人の体の間にある壁のようなものを、感じなくなっていく。
まるで一体の生き物になって風を切っているような感覚を、二人は覚えた。
「レイジの怒りも憎しみも、今度こそ薄まって、消えちまう! そしてオマエは、自由な『にんげん』になれるんだ!」
あっはっは。アタシ、何いってんだか──自分自身に呆れたように付け足して、カナタは、ひときわ大きな声で笑う。レイジも笑う。
「バカみてーなハナシだけどさ……いいだろ、海」
「……だが、カナタほどやわらかくないし、いい匂いはしないんじゃないか」
バイクが大きな瓦礫に乗り上げ、ゴットンと音を立てて跳ねた。
「俺はカナタの方がいい。ずっと……好きだ」
さっきまでのバカ笑いがウソのように静かになって、カナタはうつむいている。まさか、この防御をすり抜けた破片でケガを? ──彼が不安になった瞬間、カナタが勢いよく頭を振り上げた。
「キんめえ!」
「ぐおっ!」
それは、顔を覗き込もうとしたレイジの、顎先にクリーンヒットする。
「…………それ、ゼッタイほかの女に言うなよ」
カナタは前を睨んで、アクセルを握り締める。レイジから、彼女の顔は見えない。彼女の声は低くドス効いていたが──バイクの加速と、頬に感じる風は、ゴキゲンそのものだ。
「ゼッタイゼッタイ……アタシ以外に言うな。マジで。やくそく、しろ。ゆびきり……」
ハンドルを離れたカナタの拳から、小指が伸びる。
フミオの放つ銃弾と爆風の真っ只中で、レイジはそこに己の指を絡めた。
永遠にも近い一瞬、二人の肉体はひとつに結ばれていた。
やがてカナタは無言のままに手をハンドルに戻し、アクセルを握る。
バイクは猛獣のごとく咆哮し、肉を裂き魂を焦がす炎の中を突き進んでいく。ここから先に待ち構えるのは最後のストレートだ。
彼らのゴールが待っている。
全ての終わりは、目の前だ。
■
「俺はこの先を見たい。この目で、海を見たいんだ」
レイジは虚空で右拳を握る。
彼の炎は極度に圧縮され、指の隙間からあふれ出す光が一気に輝きを増す。光すら硬質化させる彼の手の平の中で産声をあげるのは、小型の太陽だ。
そのきらめきが指を伝い、彼の五本の爪が光の胎動を刻む。
「俺を選んでくれた、カナタと一緒にッ!」
この世のどんなものより高い熱量を秘めたレイジの爪が、空間そのものに突き立てられる。
風切り音を立てていた指が──何かをつかんだように曲がる。そこには何もない。しかし、レイジは感じる。
そこには、確かにある。
ルールという名の壁が。彼がタガを外された何かになることを阻んでいる。
分厚いゴムに似た強い弾力は、この世界からの抵抗だ。
『終結因子』は禁断の力。レイジが取り出そうとしているものは、宇宙の根幹を揺るがしかねない爆弾だ。
それは握ってしまえば、それを振るってしまえば、全てを焼き尽くし破壊するものがこの世に存在することを証明してしまう。
指先を『現実性』の抵抗力でグズグズに押しつぶされつつ、レイジの顔に浮かぶものは――
「ケチなこと言わないでくれ。クライマックスだ。そうだろ?」
青空を突き抜ける飛行機雲にも似た清々しさの笑みだった。
夏。
十七歳。
バカの極みで、どこまでも行けると信じる。疑いは、そこにない。恐れも、後悔も。見据えるのは青く澄み切った、むせかえるほどの透明感。
それは、はるか海。
常識が道を阻むのなら仕方ない。ロマンのために打ち砕く。
カナタの運転するバイク。彼女の速度、彼女の巻き起こす風。その熱さと儚さがあれば、レイジはどこまでも進化する。
「俺はロマンと一緒に進む」
パキンッ
レイジの右手の先で、空間がガラスのように砕けた。
その先に広がる混沌の中にレイジの腕が突っ込まれ、異様な物体を引きずり出す。
彼の手の中で反物質の奔流がねじれ、ひとすじの光線となって収束する。黒い光の槍が産声を上げる。まるで宇宙の影を削り取ったかのように。
あの日、カナタを海の底から連れ出したその瞬間、彼が振るった光の帯──海を、空をも引き裂いたものの正体は、五メートルを越す光の長槍だったのだ。
それを軽々振るって、レイジは構える。
「おいおい。レイジ――」
それだけで空気が震える。
「最後の最後でとんでもねーモン持ち出しやがったな! はははッ!」
槍の先端が立てる風音に負けないほど大きな声で、カナタが笑う。
「キリちゃんが言ってた『ロマンの力』──ってヤツか!」
「いいな、それ」
レイジは槍をつかむ手に力をこめる。
「ロマンチックは止まらない。止めや、しない!」
彼の力はもはや『終結させるための因子』などではない。好きな女の子と、好きなところに行って、好きなように生きるための能力だ。
『にんげん』とは『浪漫』を追う生き物。だとすればこれは、彼の『にんげん』の証明なのだろう。
「アタシも──負けて、られねえ!」
べろり。むき出しになったカナタの背から、また大きな破片がはがれる
レイジの顔に張り付くと思われた皮膚の塊は、その前に無数のウロコとなって散らばる。
光が糸のように絡まり、裂けた皮膚を編み直す。
白い繊維は筋肉を、骨を、包み込んで純白の鎧を形作った。
目の前を圧倒するほどの真珠色の光にレイジは圧倒され──再び目を開けたとき、カナタの変異は完了していた。
「いいじゃんいいじゃん……こうでなくっちゃあな!」
自分の両手をしげしげ眺めたカナタは、振り返って、きれいに生えそろった前歯をレイジに見せ付ける。肉体が再生している。
潮と花の香りが漂い、レイジは思わず涙ぐむ。
彼女の全身に圧し掛かっていた死の実感は、あたらしい居場所の獲得と共に剥がれ落ちて行った。死の絶望の下からしたたかに芽吹いた新たな衣装は────ライダースーツだ。
純白の新コスチュームに身を包んだカナタは、少し髪が短くなって、少し背が伸びたようにレイジには見える。
大人びた顔つきで髪をかきあげると、最後に残った一枚のウロコが舞い、後方の闇へと飛んでいく。
「ありがとう。ここからはアタシが、オマエの最新で最高になるよ」
この言葉は過去との別れで、『オモトカナタ』へのはなむけだった。
「さあ行こう。海に!」
襟元から這い出した一枚のヒレが、青いスカーフを織り成し、風にはためく。
カナタの肉体は、想いを反映して変異する。
彼女はどこまでもどこまでも行きたい。天と地の果てを見届けたい。このスーツは、彼女が生きて、前進する意志そのものなのだ。
■
「ンだよそれ、ズルじゃねえか!」
思わず、トリガーを握る力を緩めてフミオは叫んだ。
最強の二人を乗せたバイクは弾丸のように加速して、列車を追撃する。後ろを行く彼らに後塵撒き散らしてぜんそくにしてやるほどの勢いで圧倒していたはずが、気付けば追い詰められていた。
カチッ、カチッ……急に、トリガーが軽い。
「ちいっ──」
弾切れ──過負荷でぐるぐるになった脳に鞭打って、サマナを動かす。鼻の裏で鉄の味を感じる。神経が焼け、ただれていくのが分かる。
純白の光が咲いた後、バイクがグンと加速したのが見えた。
彼らとの距離は、もう百メートルまでに迫っている。最後のマガジンを取り替えながら、フミオはふと、自分の体を包むコックピットの冷たい壁に触れた。
撃てば衝撃で倒れ、飛べば吹かれる。万能であったがゆえに、可能性を選べなかった機体。
勝手な感傷と思いつつ、フミオはこの機体に感情移入してしまう。
これは魔人でも悪魔でもない。勝手に失望され、己に失望し、倉庫の片隅でホコリを被っていた、見捨てられた赤ん坊だ。
全身の鎧を剥ぎ取られて、片腕も使い物にならなくなって──このまま負けていくなんて、あまりにも、かわいそうだ。
フミオはこいつを、輝かせてやりたかった。
視点を、サマナの外部カメラに切り替える。カーマインの機体は、ひび割れたバイザーの下に光を灯らせる。
頼りなく飛行を続けるこの機体を見て、足元で揺れる列車を見て、彼らはふと考える。
思えば、選ぶばっかりだった。
あまたの武装を選択し、遠近自在に立ち回る。空中戦と地上戦を瞬時に切り替えるのもお手の物だ。
この機体は、選べないんじゃない。降り立てないのだ。イフの可能性が無数に準備されているせいで、常にどっちつかずだった。
彼は深呼吸する。瞼の下で、目がはれぼったい。家に帰ってひっくりかえって、コークハイが飲みたい。
オヤジの作ったコークハイを飲んで、昼間から、カウンターの上で居眠りして……
「もう戻らねえ。だろ、俺」
考えて──決断した。
「悪ィ、サマナ。『捨て』よう」
■
「む」
レイジが声を上げた。
これまでの爆弾とも瓦礫とも違う重量物が、前方から転がってくる。その数──四。彼は瞬時に槍を振るい、反物質の膜でそれらを消し飛ばす。
閃光。
「うあっ、なんだァ!?」
爆炎。黒煙。鼻を刺す焦げた燃料の臭い。
パワードスーツ用のエンジンか、ジェットポッドか。すさまじい量の燃料を詰め込んでいたタンクの爆発が、彼らのバリアーの中にまで熱を届ける。
その間もバイクはひるまず、黒々とした煙を裂いて走る。
そして、煙幕の向こうで待ち構えていたものは──
《決着をつけよう、レイジ》
先頭車両で仁王立ちするパワードスーツが、その膝を床につく。
大腿部に三つずつ装備されたアンカーポッドが火花を上げ、フックワイヤーを地面に打ち付ける。固定完了。
背中のウエポンベイから長大なライフルを引き出しつつあるスーツが、さっきまでとは比べ物にならないほどスリムに見える。
「さっきの、でっけータンク……」
「ああ」
二人は瞬時に理解する。
さっき転がって爆発したのは、サマナの特徴である四基の大型エンジンだ。つまりもう、フミオ/サマナは飛べない。いや、飛ばない。
その代わり、撃つことにすべてを賭けたのだ。
これが彼らの選択だ。
《気合入れろサマナ! 全部撃ちつくすまで倒れんなよ!》
「負けてられっか、いくぞレイジ!」
「ああ!」
ガインッ!
反物質膜の上で砲弾が弾け、もろともにバリヤーの一部が消滅する。対消滅を免れた破片は後方へと勢いよく撒き散らされ、トンネルの内壁をズタズタに引き裂く。
「ぐっ……」
衝撃波で頭をブン殴られ、カナタのハンドル捌きがわずかにブレた。
「さっきと、タマが違うのか……?」
「それに、狙いが正確だ」
サマナの姿が、肉眼でハッキリ見える。
妙に人間臭い動きで薬きょうを抜き、膝下の展開した弾薬ポッドから次の弾を装填する──まるで熟練の兵士だ。
その動きに焦りは無い。地面と一体化した状態で、反動を気にせず最強の射撃を繰り返すだけでいい。
捨てることもまた、選ぶことだ。
《いい当たりだった。あの膜、120mmならギリ抜けるか……》
血まみれになった手術着を脱ぎ捨てながら、フミオはパワードスーツと対話する。
胸の傷は開ききり、中で、うねる少女の脊髄が丸見えだ。麻酔はとうに切れ、痛みという名の生の実感がフミオのトリガーに熱を宿らせる。
バイクまでの距離50メートル。それが彼らのタイムリミット。
《次は自動補正オフで試してみる。任せろ、射的は得意なんだ》
■
「レイジ。カチ込むぞ」
カナタがアクセルを全開にする。
フミオの放った砲弾が反物質膜の真正面を捉え、もはやこぶしで殴りつけるような衝撃がカナタの顔面を打つ。
着替えたばかりの純白のスーツに鼻血をこぼしつつ、彼女はうめき声ひとつ上げず、冷静に状況を分析している。
「追いついて荷台にジャンプ。そしてフミオと決着ってワケだが――そのためにはバイクを飛ばす必要がある」
「で、どうやって……?」
「決まってんだろ、オマエのパワーでなんとかしろ!」
できるな? とは、もう言わない。
レイジとカナタは一身同体の生物だ。お互いにできることは熟知している。片割れは全身筋肉のパワフルビースト。
まあ──なんとか、してくれるだろう。
「無茶を言ってくれるなあ」
「無茶を言っただけだぞ?」
レイジの口角が、くっと上がる。カナタもこれ以上ないほど挑戦的な笑みで受けて立つ。
カナタの腰に回されたレイジの手に、力がこもった。
「で、どうすんだ……このままウンウン頭抱えて
「いや──」
レイジは、迫りくる第三射を見据えた。
「ハラは決まった。これからは
言うが早いかその肉体がバイクの上から飛び上がった。
「は……え……はァッ!?」
できることは熟知している──が、何やらかすかはまったく予測不能だったカナタが、口をあんぐり開ける。
地下世界のグリーンジャイアント・石動レイジは素足でレールの上に降り立ち、そのまま猛スピードで疾走開始する。
筋肉が躍動し、汗が弾ける。
ボロボロの貨物車をひきずっているとはいえ、車両のスピードは100キロ超だ。しかし、彼のスピードは列車にも、そしてカナタのバイクにも引けをとらない。
60──70──80キロ。まだまだ速くなる。彼のピッチはあまりに早く、ほぼ残像だ。
「ふっ、ふうっ──」
七年間のジョギングはムダじゃない。彼の足はしっかりと大地を捕らえ、肺は、心臓は、ナノマシンに蝕まれた状態でも最適量の酸素を全身に行き届ける。
ホンキ出したレイジは走ってバイクに追いつける──かつてフミオがボヤいたバカ話がマジと知って、カナタは思わず顔をひきつらせる。
《させるかッ!》
スーツの内部で同じように口元をヒクつかせたフミオだったが、攻撃の手は決して休めない。
銃口が、ミリ単位で下がる。狙いは二人の足元。この砲身から放つ砲弾の威力はもはや爆撃だ。
ワンショットワンキルではない。ツーステップ、ツーキル。掘り返し、転ばせる。そこにトドメでフィニッシュ。
ドッ! ──固定アンカーが悲鳴を上げ、内部のフミオを打ちのめすほどの衝撃が列車を揺らす。
その瞬間、レイジの全身が異様に緊張し、筋肉が鉄のように硬くなった。
砲弾の到着なぞ彼は待たない。その脚はまだまだ加速する。
「おおおおおッ!」
90キロ──そして、100。
レイジはそのまま列車と同速で並走しながら、まるで軽々とした動作でバイクを持ち上げかける。
レールを蹴る彼の足は、もはやタイヤより速い。
「ええ……」
汗臭い脇の下に抱え込まれながら、カナタがゲッソリしている。確かにレイジならできるが──あ、やるんだ、それ──という顔だった。
彼女の喉から、乾いた笑みが漏れる。
ズンッ……
一際力強くレイジの足が地面を刻印した瞬間、すでに彼らの姿はレールの上にない。ワンテンポ遅れて飛んできた砲弾が、床を粉々に破壊する。
途方も無く強烈な風圧がトンネルの壁を震わせる。
鋼鉄のバイクと筋肉の化け物が空中遊泳だ。フミオが思わずトリガーから指を離すほど見事な空中三回ひねりを見せ、レイジの二の腕が天井照明にキラと輝く。
シートを巻きつけた手がバイク後部を掴み、引き寄せ──
「どああっ、オマエッ、マジ、ぐええ」
カナタの悲鳴と共に激しく車体がバウンドし、車両の上で舞う。
ナパーム攻撃で溶けてささくれ立った床に横倒しになるより早く、シート後部に納まったレイジが足を突っ張り、崩れかけた車体を強引に起こす。
彼の足裏から滴る血液と、バイクのタイヤが切り刻まれ溶けた黒。
壮絶な二色の二重螺旋を描いたバイクは体勢を立て直し、火花を散らしながら前進を再開する。
二両先でライフルを構えたパワードスーツがいる。
ゴッ──トン。
巨大な薬莢が列車の床を打ち、パワードスーツは弾を装填する。もはやバイクは目の前。お互いが、お互いを射程圏内に捕らえている。
引いていたはずの汗が、また滝となって流れ落ちるのを、フミオは感覚する。
《そんな風にお前らは立ち直るのかッ! そんな風に、バカげたやり方で、何度も何度もッ!》
フミオが叫ぶ。
《じゃあ俺はなんだ!》
「カナタ、まっすぐだ!」
「おう、直線番長はまかしとけ!」
大地に爪を立てて駆ける肉食獣のように、バイクが疾走する。
パワードスーツは全武装を展開する。こちらも最後の抵抗だ。
フミオから撃ち込まれる攻撃に耐え切れず、貨物車が次々と破壊され、二人の背後で脱落していく。
レイジの槍が、黒い炎で燃え上がる。光を喰らう光が蛇のようにのたうち、獲物の姿を捉えた。フミオは一両先。
ワイヤーを引きちぎりながら、慌てて腰を上げるサマナが見える。
《俺の前で輝くんじゃねえ──イラつくんだよ!》
弾を撃ちつくしたライフルを投げ捨ててフミオが身構える。
パワードスーツの腕を覆う装甲が展開し、折りたたまれていた巨大なブレードが姿を現した。エンジンが駆動し、うなりを上げて高速回転する鋼鉄の刃が、炎を反射してギラギラと輝いた。
「フミオ!」
レイジも槍を構える。
「レイジ!」
レイジの槍とフミオのチェーンソーがぶつかった瞬間、爆発的な火花が散り、眩しい閃光がトンネルを照らし出した。次の瞬間、チェーンソーの刃が粉々に砕け、破片が弾け飛ぶ。ズン、と重いものが彼の右腕を貫いた。
同時に、バイクが衝撃で弾かれ、鉄の床を火花で焦がしながら横滑りした。
バイクを見送りながら立ち上がろうとしたフミオは、激痛にうめく。
《がっ……クソが!!》
光の槍が、胸部装甲を貫いて、スーツ内部にある彼の肩を射抜いていた。
《ムカつくぜ……俺の覚悟じゃあ、足りなかったってのかよ……》