海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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OL-3

 はじまりは、一隻の原油タンカー(V L C C)が東シナ海で転覆したことだった。

 無限に広がる青い海にヌラヌラ光るオイルが撒き散らされ、その風景が放送されるなり、世界各地で石油会社と輸入先の日本に対するデモが巻き起こった。

 中東と日本とを繋ぐオイルロードにはすぐさま大量の資金を投じてオイルフェンスと除染プラントが建造された。

 特殊なフィルターで海域内に閉じ込められ回収される原油のように、燃え上がった環境家たちの注意も、次第にこの問題から逸れていった。

 

 しかし、なぜ? ──洋上も海底も砂漠同然の海域でタンカーが転覆などしたのか?

 

 調査に当たった全員が首を傾げたが、誰も答えを持ち得なかった。

 ただ明らかだったのは、穴の開いたタンカー底部の様子が『蒸発したようにポッカリ消し飛んでいた』という事実だけ。

 

「当時厚木のバーで米兵と冗談言い合って笑ったの覚えてますよ。『ホントに泳ぐ岩礁がいたりしてなァ』なんて具合にね」

 

 遊歩道の真下に乗り捨てられたピックアップ目掛けて、ブンタはタバコの灰を落とす。黒いルーフにきらめく灰の粒子が、まるで星のようだった。

 それまで地べたを這うアリの列を眺めていたヤスヒコ少年が、わずかに興味を惹かれた様子で顔を上げた。

 

「ガンショーって……岩のカタマリのことだろ? 岩が泳ぐはずないじゃん」

「そう! だからオモロいんですよ! 神出鬼没の巨大地形、なんとその正体は……ってやつ!」

 

 ブンタのヤニ臭い太指が、目の前でパッチンと打ち鳴らされる。ヤスヒコはうざったそうに彼の手を払いのけた。

 

「ゴジラ、知りません? タンカーやら漁船やらドンドン沈んで。生き残った漁師が……」

「知るわけないだろ、そんな古い映画」

「かーマジか。俺サマ、小学校の国語で見せられたんですがねェ」

 

 巨大な入道雲を見上げながら、ブンタは怪獣王の威容を今でもありありと思い出す。

 夏の空の下、真っ暗な海から、真っ黒な怪獣が現れる。1954年制の映画らしくモノクロ映像だが、それが怪獣王の威厳を損なうことは決してない。いっそ、画面に立ち込める黒の濃淡と奥行きが、ゴジラの底知れなさをより引き立てるように見えた。

 防衛隊の火砲が、鉄の砲身から冷たいまなざしを投げかける。

 ゴジラもそれを睨み付ける。

 西部劇の真昼の決闘のような、僅かで、しかし永遠にも似た相対の後──炸裂。送電線のスパークを上塗りするように、無数の爆発がゴジラの全身を覆う。

 しかし、怪獣の王は悶えるばかりでダメージを受ける様子がない。相手はなにせ、水爆の炎の中で産声を上げた生物だ。

 

 それを倒す方法など、人間の手の中にはない。

 

「……映画ゴジラの冒頭さながら、謎の沈没事故が起こったのが今年の三月ごろ。お坊ちゃんもニュース聞いたことあるかもしれませんねェ」

「だからお坊ちゃんじゃねえ。俺はヤスヒコだ……です」

 

 手すりにもたれ二人が見上げる空で大きな入道雲はよじれ、ねじれる。そうして形作られたのは、大きな大きなキノコ雲だった。

 遊歩道に張り巡らせたひさしが作る影の下で、ヤスヒコが開け閉めするジッポの金具が、涼やかな音を奏でる。

 

「それがまさか、ホントに怪獣が浮いてくるとはねェ」

 

 湾内で体長1,800メートルの怪獣が急浮上すると何が起こるのか? その答えを欲しているなら、まさにうってつけのケースだった。

 どんなサーファーでも乗りこなせないほどの高波が打ちつけ、江ノ島と沿岸の道路と、そこにいた人間の肉体を粉々にした。

 コンクリと残骸と死体をごった混ぜにした波は沿岸を噛み砕くように駆け抜け、そのまま二キロも陸地を食い荒らした。

 何もかもミキサーに放り込むような破壊があらゆる建築物、あらゆる地形を平らに均し、海岸線は200メートルも後退。跡に残されたのは、小島のような怪物の姿と──波が運ぶアクルの体組織によって汚染された大地だった。

 

「そっからは坊ちゃんのお父ちゃん……ムナカタ博士の専門分野だ。坊ちゃんもその、手伝いでここ来たんでしょ? いやァ、まだお若いのにエラいですなあ」

「……ふん」

 

 ヤスヒコが鼻を鳴らした。

 

(おっと地雷)

 

 ブンタは苦笑いを浮かべた。

 見るからに刺々しい気配を纏ったヤスヒコの横顔が「違ェよ」と物語っている。ブンタはオトナらしくスルースキルを発揮して、町の外へと目を馳せる。

 海老名市は盆地なので、小高いところから見下ろすと、ずっと先の様子が見える。

 オジさんと子供。彼らの元にゆっくりゆっくり入道雲を押し流してくる風は、相模湾の上空を吹き抜けてきたものだ。鉄と、血の香りがする。

 その下に広がる大地は荒廃し、浜に近づくにしたがって汚染の黒さを増していくようだった。

 色をなくしたモノクロトーンの廃墟の上で、数百羽のカラスが黒煙のようになって旋回している。その下では残骸も死体も──すべて未処理のままだ。

 この未曾有の被害から、日本は立ち直らねばならない。

 

「現実にゃウルトラマンなんて必要ない。でっかい怪獣が思うさまブチ壊して、踏み荒らして、殺しまくってからハデに死んでもらう……復興はビジネスだ。これが、一番儲かる」

「あ?」

「怪獣アクルの死骸の先行解析権。時間にしておよそ二年分を米国に売ッ払いました」

 

 ヤスヒコが怪訝を顔に浮かべる。彼の前でブンタは指を折って、数え始めた。

 

「外交の世界で『売る』つってもカネが入るワケじゃない──だが、どちみちでかい儲けだ。そして、オトクイ様は米国だけじゃない。背後の共産国どもだって、アレを欲しがってる」

 

 がらんどうの町に響くのはセミの鳴き声と、ブンタの高笑いばかり。ヤスヒコの顔が渋いままなのは、悪のフィクサー気取りの振る舞いが気に食わないからではない。

 単純に、うるさいのだ。

 今まで彼の周りにいたオトナといえば、研究以外の話をいっさいしない実父ムナカタと、彼に付き従う、死人の群れのように陰気な科学者ばかり。

 戸惑いにも似た色を浮かべて固まるヤスヒコなど眼中にない様子で、ハゲの大男は続けた。

 

「米国内でいくつかの肉片が『ウッカリ』消えるでしょう。行く先は……地球は丸いですからなァ。ちょっと大回りして、お隣さんちに届く。かもネ……」

 

 怪獣サマサマだ。ブンタはほくそ笑み、新しいタバコを咥える。

 

「どーも」

 

 慣れた様子で、間髪いれずヤスヒコが火を差し出してきた。

 彼を見てブンタはフト考える。──ムナカタゼンイチローという男は喫煙者なのだろうか? 

 見たところ、せいぜいヤスヒコは小学校高学年だ。接待リーマンやホスト崩れを演じたくなる年頃からは、少々ズレている。

 ブンタは人を見るという能力でここまでノシ上がって来た。ヤスヒコは食えない読めないガキだが、父ムナカタよりは、ずっと分かりやすい。

 揺れるライターの火を透かして、彼はヤスヒコ少年を値踏みするように見据えた。

 

「……ンだよ、おっさん」

 

 ブンタは肩をすくめて見せた。

 こうして威勢よく振舞っているつもりだろうが、オトナと対面するとき、この襟足の長い美少年はいつでもご機嫌伺うような上目遣いの小声だ。

 

「ガキんちょの頃からそんなだと、人生クソになりますぜ」

「……ッせえな。オッサンに俺の何が分かるんだよ」

「なーんも」

 

 ──お前さんが家で苦労してそうだなってコト以外、なーんも。

 

 ギロリと見上げてくるヤスヒコに「へぇへ」と笑ってやって、ブンタは入道雲に負けないほどの量で煙をバッフウと吐いて見せた。

 子供相手に語るべきこと、そうでないこと。彼は、熟知している。

 万一どこかの新聞社のデバガメが潜んでいることを考えて黙っていたが、キタナい手なら、それこそ数え切れないほど打っている。

 

 米国だ。

 

 今回、海の向こうの商売相手には、いろいろ恩を売った。

 怪獣死骸の利権に血眼になってUSS George Washington, CVN-73(ジョージ・ワシントン)を主力とする空母打撃群を派遣したのを受け入れてやった。

 

 そして──領海ギリギリで待機する、一隻の原子力潜水艦。そいつに搭載された一発の大陸間弾道弾(I C B M)をも。

 

 万が一、怪獣アクルが手に負えなくなった時の『日本政府との合意に基づき使用する切り札』ということだが、発射スイッチはアチラさんのポケットの中だ。

 つまるところ米国は五十年の時間を経て、もう一度日本に核を持ち込んだのだ。夏の盛り。よりにもよって八月になろうという、このタイミングで。

 神を、そして国際法をも恐れぬ行いを許したのは、ほかでもないブンタだ。怪獣出現という異常事態を前にオロオロする原田総理に近づいて耳打ちすれば、そう難儀するコトでもなかった。

 ブンタは口笛を吹きたい。

 彼は乱世のほうが生きやすい。ワクワクしっぱなしだ。

 

「ちょっと水浸しになったが──おかげでニッポンはもっと強く、豊かになれる。海の底に沈んじまった死人どもは気の毒ですが。これで浮かばれるってモンだ」

 

 ブンタ必殺の不謹慎ジョークを食らっても、ヤスヒコはピクリとも笑わない。

 

「オジサン、カネもーけが好きなクソ政治家ってコトでいいのか?」

 

 ブンタというキッタない大人のことを理解し始めたヤスヒコの言葉からは、これまでの取り繕ったような慇懃さが薄れてきていた。

 

「いや、これが俺サマ自身驚くことですがね、違うんですよ!?」

 

 ブンタは、待ってましたとばかりにツルリとしたスキンヘッドをなで上げ、白い歯を見せる。

 

「俺サマが「これだ」とコマ動かしたら、俺サマが「ほらね」となるように、コトが進む。これが気持ちいい。そのためだけにやってる」

「そこらの人も、自衛隊さんも死にまくってるじゃん。どーなのさ、ソレ」

「俺サマが直接引き金に指かけて『ズドン』したワケじゃないっしょ」

 

 政治の世界を裏から操る悪役気取って好き放題してきたが──驚くべきことに、ブンタの価値観の上で、彼の両手は清浄なままだ。

 だってそうだろ。犠牲になった自衛官たちは、『国のタメ』と志願して作戦に加わった。

 津波で流されてゴチャゴチャの残骸になった民間人も、海沿いにいるってことは、高波や塩害を受け入れてソコにケツを落ち着けたのだ。

 

 怪獣がやってきて人生メチャクチャになる──そんなリスクも、当然承知の上だ。それが、ブンタの理屈だ。

 

「文句言うやつはね、覚悟足りてねェンです。ね?」

 

 べへへへへへ、とブンタはそこで笑う。品のない笑みだった。

 

「おっと……火のお礼がマダでしたねェ」

 

 と言って、ブンタはポケットを漁り、キーホルダーを差し出した。

 鋳造された金属製のハーレーはブンタの体温を宿してヤスヒコの掌に渡る。こすれて剥がれた赤いエナメルの塗膜を、少年はじっと見つめる。

 

「ホイヨとモノホンあげたいトコですが、ビンボー政治家なので、これでカンベン……」

「────マジで!? やた!」

 

 そこで、ヤスヒコが飛び跳ねた。

 彼の手元でキーホルダーが踊り、真夏の日光を反射させる。目が焼けるような日差しを顔に感じながら、ブンタはつかの間、面食らった。

 

「あらまァ……」

 

 どうせ面白くなさそうに「ふゥん」と言って、ポッケにねじ込むのを予期していたからだ。

 大人ぶる少年が、一瞬にしてコドモらしいコドモになってしまった。

 

「俺……俺さ、バイクが好きなんだ。いつか、カネ貯めて買うって決めてて」

「そうですかい」

「これ、ありがたくもらっとく……もらっときます。バイク買ったら、キーに付けるから……」

 

 やっぱり、父親と同じで読めねェな──苦笑したブンタは手すりでタバコの先を叩いて灰を落とす。

 だが、悪い気分ではない。

 せっかくなので、悪徳政治屋らしく、リップサービスのひとつでも飛ばしておくことにする。

 

「ああ──そうだ。新型の電動バイクをもらってんですよ。どうせご機嫌取りの合法ワイロだ。坊ちゃんがオトナになったらプレゼントしましょ」

 

 それまで笑っていた少年が、フト笑顔を潜めた。

 かわりに浮かべたのは、元の三白眼だ。

 

「オッサンさあ。もう二度と会わねーって思ってテキトーこいてんだろ」

「ゲッヘヘ。バレましたか」

 

 彼らの頭上を、編隊をなして軍用の輸送ヘリが飛んでいく。厚木基地を出発して、慰問の下準備と、相模湾で戦った部隊の収容に向かうものだ。

 ブンタは浜に散りばめられた大量の死骸のことを、ふと思い出す。

 

「あの女、さすがに死んだよな……」

「?」

 

 少年は短く眉をひそめたが、それ以上は聞かなかった。ブンタは煙を吐きながら、ひとりで話を続けた。

 

「ああいや、腐れ縁の同僚みたいな……とにかく腕が立つんですがね、この俺サマが首輪ハメられないほどの狂犬でして……」

 

 ■

 

「ちわー」

 

 バッコンと避難所の鉄扉を蹴り開けて、キリエが中に首を突っ込む。

 海岸線から500メートルの住宅地。バリバリの汚染区域の只中にある小学校の体育館内には、ただ、暗闇と夏の蒸し暑さが密閉されていた。

 

 パチャッ──サイボーグシューズが中に踏み入った瞬間、黒く染まった水溜りがキリエの足首を捕らえた。

 かすかに粘りを帯びた水面が、体育館の床を覆いつくしている。

 巨大なバッテリーと身の丈と同等のブレードを背負ったサイボーグは、かがむようにして館内に踏み入っていく。

 

「……どなたか、いらっしゃいませんかね」

 

 キリエは黒い水面に波紋を広げて進んでいく。返事はない。しかし、息遣いがある。あちこちから気配を感じる。猛獣が、檻に放り込まれた肉の塊にすぐ食いつかず、まず遠巻きに様子を伺うような──そういう、血生臭い気配だ。

 スーツに装着されたライトが自動点灯し、内部に広がる惨状を、まざまざと映し出す。

 避難者同士を区切るダンボール製のパーテーションは、黒と、そして赤で彩られていた。

 あちこち黒いヘドロが山となって積もり、そこには必ず、衣服が浮いている。まるでその場に人間が倒れて、中身だけドロドロに溶けて流れ出たらそうなるような形だ。

 ジーンズとシャツ、サンダルのワンセット。薄汚れた白いワンピースと、その足元で静かに溶けている、二人分の子供服。

 当たり前だが、ここはアクル上陸の際、すでに汚染されている。あれが浮上と同時に解き放った汚染物質は、生き物を別の何かに変えてしまう。

 その姿はまるで、黒いサナギだ。

 そしてそのサナギは、イボ皮の、ぬめりのある黒い怪物を生み出すようになる。身長二メートルの人型生物──後に『棘皮人間』と呼ばれる、人類の天敵を。

 

 立ち尽くすキリエの背後に、ぬうっと怪物が立ち上がる。

 

 ザキュッ

 

 ノールックでキリエが突き出したサイボーグ用小太刀が一閃した。

 怪物の眉間に深々と突き刺さったカーボン刀が引き抜かれると、ビクンという痙攣を残し、二メートルの巨体が糸を切られたように崩れる。

 どうと音を立てて倒れた怪物が、黒い飛沫を上げる。それを尻目に、キリエは黒い体液にまみれた刃を、鋼鉄製の義手の肘に挟んで拭う。

 彼女の瞳が暗闇に緑色の残光を走らせ、あたりを検める。ベンチの下、ロッカーの影、積み重なった衣服の隙間──暗視能力を備えた義眼が、室内に濃くわだかまった闇の中身をさらけ出す。

 そろそろと、黒く細長い四肢を動かし、怪物たちが這い出してきていた。

 

「──いいねェ」

 

 鬱屈とした闇の中で、キリエが剥き出した犬歯が異様に白く光る。

 抜き身の刃のように、彼女は殺気を隠しもしない。同じ空間にいるだけで重圧を感じるほどのプレッシャーを放ちつつ、サイボーグが一歩前進する。

 と、その姿が一瞬で掻き消え、風となった。

 直後、二体の怪物が吹き飛んだ。百キロをゆうに越す怪物の巨体はボールのように蹴り飛ばされ、熟れ過ぎたトマトのように壁で弾けて潰れる。

 そして、彼らと場所を入れ替えたように、キリエがそこに立っていた。

 蹴りを放ったままのポーズで、口の端から息を吐く。彼女の纏う冷気にも似た殺意の中で、それは白い煙のようにたなびく。

 

「フー……」

 

 獣臭い息だった。

 キリエがここに現れたのは民間人の救助のためなどではない。殺戮だ。

 彼女の姿を認めたとたん、棘皮人間たちは黒い津波となって四方八方から殺到する。それを前に、キリエはひるみもしない。

 小太刀を虚空に投げ出し、柄頭を蹴る。サイボーグ用の超硬質剣は一本の矢のように加速し、怪物たちを引き裂いて飛ぶ。

 怪物を数体まとめて串刺しにした刃は体育館の壁を縫いとめ、その勢いで大きく陥没させる。

 悲鳴のような音を立てて壁が崩れ始めたのには見向きもせず、キリエは次の怪物に向かっていく。

 その背で揺れる二メートルのブレードは、細かな仕事には向いてない。つまり小太刀は唯一の武器。それを易々放り出してなお、彼女から笑みが消えるどころか──より一層狂気を増して、彼女は牙を剥く。

 左腕に装着された巨大な義手が、関節という関節から火花を撒き散らしながら展開する。今まさにキリエの体に爪を届かせるところだった棘皮人間の顔面を、それで鷲掴みにする。

 

 メリッ──と音を立てたチタン爪が、怪物の顔面の肉を貫通し、分厚い頭蓋骨の中にまで突き刺さる。

 

 手足をバタつかせる怪物を振りかぶり、それをボールのようにブン投げる。クルクル回転して飛んでいった怪物が、何十という群れを巻き込んで爆散する。

 

「いよッ……しゃあーッ! ストライク!」

 

 悪魔の腕のような本性をあらわにした左手で、キリエはガッツポーズを作る。

 頭の中でハジけちゃいけない火花がハジけてんのが分かる。気持ちいい。夏の熱気と生臭さが掻き消えていくほどスッとしている。

 

 あの大怪獣『アクル』は、キリエにとって大した敵ではなかった。

 とあるスキンヘッドの悪徳政治家に『背中に飛び乗って爆弾埋め込んできてね。シクヨロ』と言われたときはワクワクしたが、あの怪獣、図体ばかりで、まるで打ち上げられたマグロだった。

 大したコトないマグロ怪獣をブッ殺して、足りなかった分のワクワクを、帰り道で見つけた怪物を殺しまくって帳尻合わせる。

 キリエがこの場に来た理由など、その程度でしかない。

 

「きゃあああっ!」

 

 殺した数が三十を越えた頃、絹を裂くような悲鳴がキリエの動きを止めた。

 

「……あ? 生き残り?」

 

 頭が握り潰された怪物の死骸を投げ出して、キリエはブラリと上体をもたげる。悲鳴の出所はすぐに分かった。体育館奥、ステージ脇の体育倉庫だ。

 黒い体が折り重なるようにして、鉄扉を舐めている。爪の先が引っかき傷を刻み、扉が悲鳴を上げる。

 彼らの熱狂にうなされるように、扉はゆっくりゆっくりと、こじ開けられていく。

 

 キリエは一瞬で動いた。

 

 鋭いヒールでフローリングを砕きながら、怪物の群れに迫り、そのままの勢いで飛び上がる。

 彼女の接近に気づいた怪物たちが動きを止めて振り返るが、もう逃げようはない。黒い長髪を死の翼のように広げ、凶悪な笑みを浮かべたサイボーグが、時速500キロのジャンピングキックと共に彼らの目前に迫っていた。

 

 パンッ

 

 風船が破裂する音を立て、怪物の群れが、一瞬にして黒いジャムに変わる。

 返り血で鬼の笑顔を真っ黒に染め上げたキリエは、そのままの勢いで鉄扉に突き刺さる。扉はティッシュのようにクシャっとひしゃげ、オレンジ色の火花を散らしながら室内に転がり込む。

 

「ひゃ、ひゃあああっ、なになにバクダン!?」

 

 目の前まで迫ってきた鉄塊から逃れようと、一人の少女が地を掻く。

 その細い手首を、キリエの義手がギチっと挟んで捕まえる。

 

「ただの爆弾と、爆弾みたいな人間、どっちがいい?」

 

 殺戮に酔いどれた笑みを貼り付けたまま、キリエがユラリと立ち上がった。とたんに、少女の全身がこわばる。無理もない。相手は全身をピッチリしたスーツに包んだサイボーグ美女。おまけに全身、怪物の破片にまみれている。

 

「ば……ばくだん……」

「そ。残念だな。私のオツムのアレっぷりなら、核爆弾級なんだけど」

 

 言いながらキリエは、手を離してやった。

 薄暗い体育館内でも、ことさら深い闇が渦巻く倉庫内を、彼女のライトが照らし出す。

 相手は高校生くらいの、薄汚れた少女だった。

 前髪はスダレのように垂れ込め、信じられないことに毛先が鼻頭に触れている。しかし不潔さはない。倉庫内に何日いたのかキリエには知れないが、かなり身奇麗な部類だ。

 ゆるくウェーブしたショートボブに整えられたヘアスタイルと、田舎の少女にしては隙のないメイク。身に着けるブレザーは、近くの県立校の夏服だろう。

 

「なん……ですか……」

 

 これだけ徹底して『おキレイ』をしておいて、恥部を隠すような前髪が、キリエの嗜虐心を誘った。

 悪魔の左腕を伸ばして、そっと、髪を掻き分ける。少女はビクリと体を引きつらせて反応したが──それだけだった。

 

「ふゥん……なんだ。面白くないな」

 

 キリエは、そこで興味をなくす。ただの美人だった。

 身長二メートルのサイボーグとの邂逅に揺れながらも、一歩も引かぬ、意思の強い瞳が目の前にあるだけだ。

 

「外のバケモン、とりあえずミナゴロシといたから。逃げるなら早くしな」

 

 頭を潰されて尚、脊髄だけでビクビク痙攣を繰り返す怪物の死体を、キリエは指差した。

 

「アナタ、ニュースでやってた自衛隊のロボット?」

 

 しかし少女は立ち上がる様子を見せず、聞いてきた。

 

「サイボーグね。似たようなモンだけど。まだ半分くらいにんげ──」

「お願いッ!」

 

 どん、と。キリエは重みを感じた。

 見れば、さっきまで放心していた少女がしがみついている。数日分汗と涙、絶望と老廃物の香りが、甘く漂ってくる。

 キリエは、その甘さに、つかの間だが打ちのめされた。クラっときてしまった。

 

「なんだなんだ。私にそういうコトすると、取り返しつかなく」

「お願い。『レイジ』を──おとうとを助けて!」

「……?」

 

 必死の形相を浮かべた少女を押しやって、キリエは壁際に目を凝らす。一枚の白いマットレスが敷かれ、上に乗せられた『もの』が垂れ流す黒い液体に染め上げられていた。

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